緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

エッセイとフォト

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逸翁美術館へ そして猫・・

2022年03月09日 | お出かけ
先日、茶道仲間の一人に誘われ、逸翁美術館に行ってきました。
今、逸翁美術館では「千家と十人の職方 -逸翁コレクションより- 」という催しをやっています。(3月13日まで)
お勉強の為、行ってきました。

一緒に行った方、行く前に「みどりさんも着物着てきてね」と一言。
お稽古でも着物で来られる方なのです。
というわけで私も頑張って着物で行きました。



「千家と十人の職方」、一般に「千家十職」と言われています。⇒詳しい話はココ
「茶道三千家に出入りし、千家の流れを汲む茶道具をはじめ歴代の御家元様の御好道具を代々にわたり制作する十の『職家』を表す尊称」だそうです。

そういうのが今も存続しているわけで・・。
今回は逸翁のコレクションのそれを見に行ったわけです。

行く前に茶道の先生に行くことを話したところ「大した物無かったよ」と言われました。
先生、そういうののチェックは怠らず、しかもはっきりと物をおっしゃる(笑)。
でも私は千家十職についてイメージも漠然としていましたから、とにかく勉強の為に行きました。

二人で一つ一つ丁寧に見ていって、すっかりお腹が空きました。
前に逸翁美術館に行った時はオムライス半強制お持ち帰りのお店に入ったのですが(ココ)、今回はスマホで美味しい食べ物屋さんを検索。
目当てのお店を探したのですが、行けども行けども行き着かない。
その場所の筈なのに存在しない。

「もう、どこでもいいやん」ということになり、適当なお店に入りました。
サラダとスープ付きのサーモン丼を食べました。
そのお店、オーナーが猫好きなのか、猫の置物やら猫のトリックアートやらがいっぱい。



それにつられたのか、ご一緒した人も猫好きで、猫が飼いたいのに猫ダメのマンションで猫が飼えない悩みを話されました。

猫と茶道は関係ないので、私は選んでそんな茶道教室に入ったわけではありませんが、茶道仲間は先生からして猫好きで、猫の話題ではいつも盛り上がってしまうのです。

先生は少し前、飼っていた猫がまだ若いのに突然死し、かなりガックリときた様子でした。
80代の一人暮らしですので猫は慰めだったみたいです。
息子さんが、何かあったら自分が猫を引き受けるから、また猫を飼ったらと言ってくれたらしいです。

家に元気な猫が2匹もいる私は恵まれた人間なのだとつくづく思います。


池田を散策 オムライス半強制お持ち帰り

2021年03月07日 | お出かけ
茶道の先生宅にお稽古に行ったら、そこで先輩が逸翁美術館の開催中の展示物が良かったという話をしてました。
で、翌日、雨でしたが、私もさっそく観に行きました。

逸翁というのは阪急の創始者、小林一三の雅号です。
彼が集めた茶道具を所蔵し、展示しているのが池田市にある逸翁美術館。
今回のテーマは「花のある茶道具」でした。

同じ阪急ですが神戸線にある我が町から十三まで行き、そこで宝塚線に乗り換えて池田で降りました。
池田で降りたのは何十年ぶり?
池田には「かき峰」という、稀に見る美味しい牡蛎料理専門店があり、そこに行って以来です。

逸翁美術館には池田の駅を出てから北へと上がっていきます。
自転車なら電動自転車でないと移動できないと思えるほど坂道が多い町です。

この白い塀の内側は池田文庫です。

池田文庫には主に演劇や民俗芸能に関する書籍・雑誌が所蔵されています。詳しくはここ
今回はここには入りませんでした。
逸翁美術館、池田文庫、小林一三記念館は近接してあるのですが、三つとも阪急文化財団によって運営されています。

逸翁美術館です。


ウィークデーで、その上雨にもかかわらず、来館者は途切れずありました。
館内は撮影禁止です。
掛け軸も含め、春らしく花を取り入れた茶道具の数々が展示されていました。
茶室もあり、コロナでなければ美術館所蔵の茶道具での呈茶もあるのですが、今は閉鎖中でした。
こじんまりとしていましたが、雰囲気のよい美術館でした。

その後は小林一三記念館へ。
坂道を曲がりながら登っていきました。

ここです。

ここは元は雅俗山荘と名付けられた小林一三の自宅でした。
今は記念館と高級フレンチレストラン「雅俗山荘」になっています。

お庭も広くて綺麗。

茶室もあります。
池田文庫にも茶室があるとのことですが、小林一三は茶の湯をことのほか愛していたようです。

小林一三の書斎だった部屋。

和洋折衷の広大な住宅でした。

記念館では主に小林一三の業績に触れられていました。
よく知られていることですが、大阪・神戸間、大阪・宝塚間に電車を走らせ、田んぼや畑だった沿線を宅地開発し、サラリーマンが購入できるように分譲地をローンで売り出し・・・。
電車の利用客を増やす為に動物園から始まって、野球場、宝塚歌劇、ターミナル百貨店などを作り、要するに電車を走らせて街と文化を作るという私鉄経営のビジネスモデルを彼は創出したわけです。
(私もそうやってできた住宅街の延長に住んでます!)

家にあった「百の手すさび ‐近代の茶杓と数寄者往来‐」という本によると、当時の財界人は関西関東を問わず、私生活では茶の湯に夢中になる人が多かったようです。
関西にいた小林一三もその一人だったみたいです。
彼のコレクションは、作者の有名無名にこだわらず、自分の美意識で集められていたようでした。

茶道はなぜか近現代では若い女性の嫁入り道具の一つで「おしとやか」なものに思われがちですが、そもそも戦国武将が夢中になり、近代でも大物財界人が夢中になってその文化を支えたもの。
ちょっと世間一般のイメージと違うのかも。
確かに、金持ちでなければ良い道具は集められませんけど。
でも近代の数寄者(茶の湯好き)は、ホントにお茶を楽しんでいたみたいです。

というわけで雨の中、小林一三が作った池田の街を楽しみましたが、時間を見ると1時30分近く、お腹空き過ぎ~。
駅まで行けば食べるところもあるみたいでしたが、とにかく早く食べたくて途中にあったカウンター席だけの小さな食堂に入りました。
メニューを見てオムライスを注文。

先客の男性もオムライスを注文していたらしく、出来上がったオムライスをチラッと見ると、ギョギョ、物凄いデカ盛り。
別のものを注文していた先客の料理も見ればギョギョギョ、物凄いデカ盛り。
肉体労働する男性相手の、ボリュームで勝負する、そういうお店だったのか。
値段はオムライスが650円で、デカ盛りだけど高くないです。

出来上がった私のオムライスもデカ盛り。
食べようとするとマスター曰く「余ったら持って帰ってね」
せっかくだからスマホで写真を撮りましたが家に帰って見たら写っていませんでした。
どこへ行ったオムライスの写真。

食べてる最中も、マスターはしきりと余ったら持って帰るように言うのです。
ついに『それって強制?』って思いました。
どうせ食べきれないと思われたみたいです。
オムライスは味は普通、チキンは沢山入ってました。

でもオムライスって、結局トマトケチャップで味付けしたごはんがメーンです。
とても食べきれるものじゃなく、持って帰ることに。
持って帰る容器もお店がタダで提供してくれ、コーヒーもサービスで一杯ついてました。
電車で帰ると聞くとマスターは紙の手提げ袋まで用意してくれました。
マスターの趣味か、店じゅう外国の映画俳優の写真を貼りまくった、凄い庶民的なお店でした。

その日はそのまま帰ったのですが、池田にはカップヌードルミュージアムもあり、そっちの方が有名かもしれません。
その日の夕飯は、もちろん余ったオムライスと自分で作ったおかずになりました。