最近、ワケが分からず“?”なことがありました。
私が住んでいる市の市報が一カ月に一度届くのですが、記事の中に、市内の女子高に通う生徒が自分達の高校について紹介している欄がありました。
そこで彼女は、自分の高校の特徴として女性学を学ぶと書いていたのですが、その内容が茶華道だったのです。
読んでいて『えっ!?』って感じになりました。
私の知識では女性学とは、Wikiの記述そのままなんで、引用すると「男性の視点にとらわれた既存の学問のあり方を批判し、女性の視点から問い直す研究。 新しい学際的な研究分野のひとつとされる。 女性、フェミニズム、ジェンダーや性をめぐる政治学などをテーマとする」でした。
当然、私の感覚では、茶華道を学ぶことがなぜ女性学と呼ばれるのか分からなかったのです。
その学校のホームページで詳しく見てみると、茶華道だけでなく、着物の着付けとか、お辞儀の仕方、挨拶の仕方、書道に短歌や俳句まで女性学と称して教えているみたいなのです。
それって、女性学ではなくて伝統文化教育みたいなものでしょう。
というか、茶華道とか着付けとかを女性にのみ結びつける発想って女性学とは真逆のスタンスでは?
もちろん、茶華道や書道、着付け、短歌・俳句を学ぶこと自体、悪いことでも何でもないんです。それを女性学と称することが「???」なんです。
よく指摘されることなんですが、茶華道が女性が身に着ける教養とされるようになったのは明治も中盤以降で、江戸時代まで茶華道は男性が身に着けるべき教養でした。
それがなぜ、近代では花嫁修業の一環として位置づけられたかというと、それこそ女性学の研究分野になります。
以下、私が随分前に女性学関係者に聞いた話です。どこまで正しいかは分かりません。
日清日露の戦争で、多くの戦争未亡人が生まれ、夫を亡くした彼女達の中には生活に困って体を売る人もいたとか。(当時の恩給制度だけでは生活できなかったのでしょうか。)
国の為に命を失くしたのに遺族が生活に困窮して体を売るとはあんまりで、そこから未婚の女性が茶華道を学ぶことが積極的に奨励されたということなのです。
つまり、未婚のうちに茶華道を習って先生の資格を取り、万一の時は茶華道の先生になって暮らしを立てられるよう、また名目としても先生として社会的に誇りを持てるようにしたというわけです。
以上は私が女性学の関係者から聞いた話です。
当時は女性が現金収入を得る手段などほとんどない時代でした。夫を亡くして困るのは軍人の妻以上に一般の女性達だったでしょう。そこで、働き手である夫を亡くした時の女性の仕事(現金)獲得の手段としての茶華道だったというわけです。
先生になっても、生徒の大半が未婚の女性なわけですから、考えようによっては相互扶助的なやり方です。
ところが、茶華道が嫁入り前の女性の花嫁修業の一環となってしまうと、戦前の家制度・家父長制とか良妻賢母思想とかと結びついてしまい、茶華道自体が処女性のような未婚女性の性的な価値や身体的抑圧のイメージを持たれてしまう結果にもなっています。
要するに、茶華道をやっている=家柄の良い、お淑やかな、ちゃんと躾けられた娘さんであるというような。
よく覚えているのですが、私がまだ30代の頃、茶華道の先生をしていた女性が性的・身体的抑圧の結果、とても珍しい心身症になった話を聞いたことがあります。(口外無用と言われていたので曖昧にしか書けない・・)
当時は、すでに女性の職業の幅は広く、職業に茶華道の先生を選んだこと自体、彼女の内面化していた抑圧の結果だったと思います。
現在では、さらに面白いことに、婚活の場では茶華道をやっていることは言ってはいけないらしいのです。
良家のお嬢様ぶる、お高くとまった、格式ばかりが高い、堅苦しく、面白くない女性として男性から敬遠されるらしいのです。
もちろん、それはイメージの問題で茶華道自体が女性を躾けるもの=性的・身体的に抑圧しているわけではないと思います。(私は茶華道をやったことはないので実際は分かりませんが。)
でも現在の若い男性でさへ、否定的な意味合いでそういうイメージを持っているわけですから、茶華道にそういう価値を見出している人達は、年配の女性の中にはまだいるみたいです。
(姑が茶華道の先生をしていて、やたら権威的でウンザリするといった愚痴を私は最近でも聞かされています。)
で、そういう社会的背景を持っている茶華道やら着付けやらを学校で教えることがなんで女性学と称せられるのかが私の疑問なんです。
社会的背景を探ること自体は女性学と言えると思うのですか。
しかもネットでググってみると、そういう女子高校は私が市報で知った1校だけではなかったのです。
私が知らない間に女性学の定義が変わったとか。だとすればWikiの記述も変わる筈です。
第一、女性学(women's studies)は欧米発祥の学問で、日本だけ、女性が伝統文化を学ぶことみたいに内容を変えられるものでもないと思うのです。
それとも、とても単純に「茶華道は女の嗜みですよ」みたいな感覚で女性学と称して茶華道や着付けを教えているのかとも。
でも、高校の先生が女性学の意味を知らないなどということがあるのでしょうか。
このことで色々と調べてみると文化人類学の立場から「“お茶”はなぜ女のものになったか -茶道から見る戦後の家族」という本があることを知りました。
著者は女性で、フィールドワークとして、複数のお茶の教室に実際に習いにいって、そこで実際にお茶をやっている女性達の立場や意識を研究したもののようです。
機会があれば図書館で借りてみようと思います。
また、私が通っているシニアカレッジの歴史の講座では、二人の講師が別々に、江戸時代の女性の座り方として正座が描かれているものは見たことがないと語っていたのです。
だとすると、女性の正座がマナーとして一般化したのは近代以降ということになります。
これもまた近代以降の女性達の間での茶華道の普及と関係があったのかとか、市報の記事から色々と考えてしまっている今日この頃です。
私が住んでいる市の市報が一カ月に一度届くのですが、記事の中に、市内の女子高に通う生徒が自分達の高校について紹介している欄がありました。
そこで彼女は、自分の高校の特徴として女性学を学ぶと書いていたのですが、その内容が茶華道だったのです。
読んでいて『えっ!?』って感じになりました。
私の知識では女性学とは、Wikiの記述そのままなんで、引用すると「男性の視点にとらわれた既存の学問のあり方を批判し、女性の視点から問い直す研究。 新しい学際的な研究分野のひとつとされる。 女性、フェミニズム、ジェンダーや性をめぐる政治学などをテーマとする」でした。
当然、私の感覚では、茶華道を学ぶことがなぜ女性学と呼ばれるのか分からなかったのです。
その学校のホームページで詳しく見てみると、茶華道だけでなく、着物の着付けとか、お辞儀の仕方、挨拶の仕方、書道に短歌や俳句まで女性学と称して教えているみたいなのです。
それって、女性学ではなくて伝統文化教育みたいなものでしょう。
というか、茶華道とか着付けとかを女性にのみ結びつける発想って女性学とは真逆のスタンスでは?
もちろん、茶華道や書道、着付け、短歌・俳句を学ぶこと自体、悪いことでも何でもないんです。それを女性学と称することが「???」なんです。
よく指摘されることなんですが、茶華道が女性が身に着ける教養とされるようになったのは明治も中盤以降で、江戸時代まで茶華道は男性が身に着けるべき教養でした。
それがなぜ、近代では花嫁修業の一環として位置づけられたかというと、それこそ女性学の研究分野になります。
以下、私が随分前に女性学関係者に聞いた話です。どこまで正しいかは分かりません。
日清日露の戦争で、多くの戦争未亡人が生まれ、夫を亡くした彼女達の中には生活に困って体を売る人もいたとか。(当時の恩給制度だけでは生活できなかったのでしょうか。)
国の為に命を失くしたのに遺族が生活に困窮して体を売るとはあんまりで、そこから未婚の女性が茶華道を学ぶことが積極的に奨励されたということなのです。
つまり、未婚のうちに茶華道を習って先生の資格を取り、万一の時は茶華道の先生になって暮らしを立てられるよう、また名目としても先生として社会的に誇りを持てるようにしたというわけです。
以上は私が女性学の関係者から聞いた話です。
当時は女性が現金収入を得る手段などほとんどない時代でした。夫を亡くして困るのは軍人の妻以上に一般の女性達だったでしょう。そこで、働き手である夫を亡くした時の女性の仕事(現金)獲得の手段としての茶華道だったというわけです。
先生になっても、生徒の大半が未婚の女性なわけですから、考えようによっては相互扶助的なやり方です。
ところが、茶華道が嫁入り前の女性の花嫁修業の一環となってしまうと、戦前の家制度・家父長制とか良妻賢母思想とかと結びついてしまい、茶華道自体が処女性のような未婚女性の性的な価値や身体的抑圧のイメージを持たれてしまう結果にもなっています。
要するに、茶華道をやっている=家柄の良い、お淑やかな、ちゃんと躾けられた娘さんであるというような。
よく覚えているのですが、私がまだ30代の頃、茶華道の先生をしていた女性が性的・身体的抑圧の結果、とても珍しい心身症になった話を聞いたことがあります。(口外無用と言われていたので曖昧にしか書けない・・)
当時は、すでに女性の職業の幅は広く、職業に茶華道の先生を選んだこと自体、彼女の内面化していた抑圧の結果だったと思います。
現在では、さらに面白いことに、婚活の場では茶華道をやっていることは言ってはいけないらしいのです。
良家のお嬢様ぶる、お高くとまった、格式ばかりが高い、堅苦しく、面白くない女性として男性から敬遠されるらしいのです。
もちろん、それはイメージの問題で茶華道自体が女性を躾けるもの=性的・身体的に抑圧しているわけではないと思います。(私は茶華道をやったことはないので実際は分かりませんが。)
でも現在の若い男性でさへ、否定的な意味合いでそういうイメージを持っているわけですから、茶華道にそういう価値を見出している人達は、年配の女性の中にはまだいるみたいです。
(姑が茶華道の先生をしていて、やたら権威的でウンザリするといった愚痴を私は最近でも聞かされています。)
で、そういう社会的背景を持っている茶華道やら着付けやらを学校で教えることがなんで女性学と称せられるのかが私の疑問なんです。
社会的背景を探ること自体は女性学と言えると思うのですか。
しかもネットでググってみると、そういう女子高校は私が市報で知った1校だけではなかったのです。
私が知らない間に女性学の定義が変わったとか。だとすればWikiの記述も変わる筈です。
第一、女性学(women's studies)は欧米発祥の学問で、日本だけ、女性が伝統文化を学ぶことみたいに内容を変えられるものでもないと思うのです。
それとも、とても単純に「茶華道は女の嗜みですよ」みたいな感覚で女性学と称して茶華道や着付けを教えているのかとも。
でも、高校の先生が女性学の意味を知らないなどということがあるのでしょうか。
このことで色々と調べてみると文化人類学の立場から「“お茶”はなぜ女のものになったか -茶道から見る戦後の家族」という本があることを知りました。
著者は女性で、フィールドワークとして、複数のお茶の教室に実際に習いにいって、そこで実際にお茶をやっている女性達の立場や意識を研究したもののようです。
機会があれば図書館で借りてみようと思います。
また、私が通っているシニアカレッジの歴史の講座では、二人の講師が別々に、江戸時代の女性の座り方として正座が描かれているものは見たことがないと語っていたのです。
だとすると、女性の正座がマナーとして一般化したのは近代以降ということになります。
これもまた近代以降の女性達の間での茶華道の普及と関係があったのかとか、市報の記事から色々と考えてしまっている今日この頃です。