参議院選挙はともかくとして、次に続いてくる市会議員の選挙は厳しいものになる。議員数26名だった数が6名減の20名になる。そんな事を考えるとその準備もしなくてはならない。
そんなことから今日選挙人名簿の閲覧を申し込んだ。私たちの地域は地盤割りからE氏となる。盛り上げるためにも万全を期したい、9時から閲覧、名簿のチエックを始めてお昼もそのまま続行、3人掛かりで午後3時まで掛かってしまった。
団地という地域ガラか移動もかなり多いことが分かった。どのようにするかはこれからの事とかなり出遅れているように思うのだが? E氏本人はどのように考えているのだろうか?
なんとも歯がゆい思いをしているのは私だけなのだろうか? もっとE氏自身も積極的に動いてほしいとおもうのだが!外見的には鷹揚に構えすぎる様に思えるのだが、どうだろうか。
昨日の午後サンレデイさんから電話があった、ブログを教えて欲しいという。今日まで待ったその言葉に、嬉しさを感じた。
ブログを覚えないか?と言ってからだいぶ経つ、それだからこそなおのこと嬉しさを感じるのだろうか。
ブログは私は心のささやきだと思っている。その時々の、感じたことを素直に表現する。自分自身の言葉だと思う。
この世に生まれて、生きた証として何かを残したいと思うのは、誰もが持つ心情ではないだろうか。残念だけれども何も残す事は出来なかった。だからこそ、何時まで生きられるか知れないが晩年の暮らしの中で、その時々を、かく思い行動したと、息子や娘に、何もしてやれなかったお詫びとして、私は私の晩年を伝えたいと思っている。
サンレデイさんには、彼女自身のことばを綴ってほしいと期待しています。
今日三郷教室で初めてWindowsVistaをさわってみよう。ということで授業を受けた。XPとはスタートから違っていた。そして終了はまた違っている。
パソコンを始めた頃のような感覚でVistaを触っている。先生の言われるままに動かすしきゃ出来ない。われながら自分自身がはがゆいが仕方がない。残念無念というべきか、いかんともしがたい。2時間はアッという間のことだった。
終了時間間際に大きな雷がなった、雨も降り出す。9時に空を見上げると青空でいい天気だった、これなら雨は降らないだろうと合羽も持たずにでて来た。天気予報がこんなに的中するとは思わなかった。
教室を出て大場川に行くまでに濡れてしまった。大場川を過ぎると雨は小降りになる、いつもそうなるから不思議だ。三郷と吉川の境まで来ると雨はほとんど止んでいた。
家に帰ってから風呂を沸かした、風呂に浸かってのんびりしたかった。心身ともに温まった、ゆっくりパソコンに向かった。
Biglobeニュースに「あかちゃんポスト」運用初日に男児が預けられていた。と報じていた。
親が養育できない新生児を匿名で託す熊本市の慈恵病院。「赤ちゃんポスト(こうのとりのゆりかご)に、運用開始初日の今月10日、3~4歳の男児が預けられていたという。健康状態は良好で、身元を示すようなものはないという。
病院は10日正午から運用を開始。男児か預けられたのはその2,3時間後らしい。病院側は「コメントでこない}と話していた。ようである。
あかちゃんポストに3~4歳児が預けられるとは想像もしていなかったよで、驚いていたようだ。預けた方は相当悩んだ末の決断ではないだろうか? 救済の措置が取られて当然だろうと思うが、別な方法もあったのではないだろうか。
昨日の日曜日におあしすの多目的ホールで午前11から、音風カラオケサークルの始めての発表会があった。土井さんをはじめ小出さん、る美ちゃんなど私の友人、知人が10名ほど出場する。踊りで茶屋さんも出ていた。
加藤さんに連絡、彼女も聴きに行った。此処にも友人知人が聴きにきていた。
客観的に見ても団地のカラオケの人たちよりうまい。カラオケの成立からしても違いはある。つまり団地ではカラオケを媒体として、みんなが仲良くなれれば、という事でカラオケサークルが作られたと聞き及んでいる。
「家の中にくすぶっているのではなく、外に出て仲良く他人とひと時を過ごそう」ということらしかった。ボケ防止の一環としてカラオケが利用されたようである。
その当時の会長が考えて行なったようで、その意味ではまったく成立からして違いがあるといえる。団地ではその流れのままに、今日まできているので70歳を過ぎた人たちが大半を占めている。
おのずから違いのあることが明らかだ。といって団地のカラオケサークルを、唄う集団に作りかえることはいまさら出来るものではない。
本格的に習いたいなら他の団体に加入するしきゃ無いだろう。ともあれ2名の方が誘われて出場できたことは良かったと思う。他のカラオケサークルと交流を続けてゆければ良しとするしきゃ無いだろう。
現在の団地カラオケサークルは会員25名ほどが、集会所に集まりカラオケを習っている。講師は当時の会長がその資格をもっていることから続けられている。
長いこといろいろな面でお世話に成った、Eさんに頼まれて今回(121号)から後援会ニュースを私が作ることになった。
もちろん私一人では出来るものではない、多くの協力者が必要になる。私は紙面にまとめるだけのことだ。サンプルを見てこれくらいなら出来ると思ったから引き受けた。
間もなくやって来る市会議員の選挙、その議席は26議席から20議席へと減らされた。それぞれの議員は必死で選挙戦を戦うだろう。
とりわけ宣伝には力を入れるだろう、多少なりともE氏の力になれたら力になってやりたいと思っている。
政府が提唱している、「小さな政府」がこの街にも影響しているとは、いささか驚きだった。住民へのサービスを忘れないで欲しいと思う。
この街に来て6年ほど前に民謡を始めた。お世話に成ったのは俊章会だった、いま病院に入院しているTさんの紹介だった。
私も病で2年ほどお休みしたが2年前に復帰した、復帰して取り組んだのが会のニュース作りだった。民謡コンクールなどイベントのあった後に作ることにしている。今回は4月に行なわれた民謡春季大会のコンクールの結果を取り上げた。
俊章先生の教えをうけている俊章会、公民館民謡サークル、俊章公民館サークル、に参加している方の入賞者リストを載せている。2面に入賞したかたの感想を載せた。
パソコンを使っている方の誰もが作れる様にと、思い横書きにしてみた。比較的簡単に作れるはずである。如何でしょうか?
5月始めてのひろば私が参加したのは10時半頃だった、皆さんもう来ていた。6月の演芸大会(踊りの部)の踊りチャンチキおけさ、を洋室で練習していた。
女性軍がまず踊りの練習を繰り返し行なっていた、その後で男性が数人練習に加わった。
男3人あまり踊った事がないように見える、ばらばらな振りにそう感じられる。が意欲は素晴らしい、演芸大会には是非がんばって欲しい、女性軍の期待の大きさ も感じられます。
チャンチキおけさ 踊り唄・三波晴夫が歌っている。練習にはひろばの日以外にも計画しているようだ。
ひろばの3号室はおばちゃんたちのおしゃべりタイムになっていた。いいことではないだろうか。熱心におしゃべりをした笑いさらにおしゃべりを繰り返す。そして何よりも和やかなのがいい。
高齢者、特に後期高齢者(75歳以上)には何よりいいことに違いない。家から一歩も出ない方、人と交わる事のない方の、ウツや認知症の予備軍とされていることを考えれば、おばあちゃんもおじいちゃんももっと人と交わり、おしゃべりをしよう。
おばあちゃんの傍らで、おじいちゃんが将棋に夢中になっていた。話しかけても、声はすれども将棋盤から目を話さない。なにやら上の空のようだ。
この人たち、小学校を訪れ、月に1度の小学生と将棋を指す。将棋を知らない児童には教えても居る。ボランティアながら自分も楽しんでいる。いいことではないか。
5時前に起きて窓の外を見ると霧が立ち込めていた。前の棟がぼんやり見えるほどだった。
時間が経つにしたがって霧ははれてきたが曇っている。そんななかに、新緑の木立に隠れるように咲いていた、アカシヤの白い花が綺麗に映えていた。
青春時代の病棟で聞いた、「アカシヤの雨に打たれて・・・・」と唄っていた西田佐知子の細身の姿を思い出す。ついぞ見かけることがなくなってしまった彼女は今どうしているのだろうか?・・・・・ 5月初旬のひと時。