ヤーホ、こんにちは。

日々思うこと、笑顔を忘れずに。

福祉センターへ

2010年11月30日 14時36分29秒 | Weblog

きょうは福祉センターの個人利用の日9時から15時まで利用できる、、多くのカラオケ、フアンが集まってくる。

私もその一人のようだ、だがきょうは歌うことはできない。退院してやっと10日目、いまでも軽いめまいが起こるので不安が付きまとう。

きょう退院後初めて遠出をした、といってもセンターまで。我が家からほぼ1キロの距離、どうやら無事センターにつくことが出来た、皆さんの懐かしい顔が迎えてくれた。

団地のKさん、Yさん、2街区の彼、この近くの安さん、懐かしい顔だった。

きょうは意外と多く集っている、40人は下らない。

最近、親しい人なのに名前が出てこない、なんで出てこない。我にいらだちを感じる、なさけない。めまいで救急搬送されてからさらに進んだように思う。

それだけではなかった、物忘れが多くなる。人と話していても普通にはなせる、受けごたえも普通にできる。その当座は普通の人と変わりはない、だが覚えていられるのは当日だけ、翌日には全く忘れている。思い出すことさえできない。

最近はメモ帳にすぐ書くことにしている。約束事などなら大変なことになるから、メモを取る。日常の会話でも忘れてはいけないことはメモを取ることにしている。失礼にならない様に。

友達は病院を変えてみたらという、そして推薦してくれた病院がある。いつか近いうちに行ってみようと思う。


日常

2010年11月29日 12時08分02秒 | Weblog

退院後しばらくは軽いめまいがたまにあった、そのために外に出ることが出来なかった。

日常の日々は程遠いい感じがしていた、何時になったら本当の日常が帰ってくるのだろうかと思う。そんな日々が今も続いている。

家の中の暮らしだけなので足の筋肉は驚くほど落ちてしまった。太ももの筋肉が目に見えて痩せていることに氣付く、これから歩く訓練が必要になる、そんな気がしている。

今日は朝からいい天気に恵まれている、風も穏やか、歩くには絶好の条件が整っている。これからどれだけ歩けるか分からないが歩いてみたい。

午後2時過ぎに家を出た、外はやはり気持ちがいい。外壁の塗装は今盛り、2街区、3街区は一部を残してほぼ終わった、4街区が三分の一を残して塗装中。

ゆっくり、ゆっくり歩いて4街区の途中から戻ってくる、2街区にくるとホッとする。我が家はこの一角にあるから・・・・・、木々の間を抜け落ち葉を踏みしめながら歩くとサラサラと心地よい音を立てる。

サラサラ歩くと童心に帰ったようでさらに落ち葉を踏みしめて歩きたくなる・・・・・。

この季節にはこの季節の良さがある、忘れかけていたおさない頃を思い出させてくれる。懐かしい思い出がよみかえる・・・・・。

歳をとったということだろうか? それとも終焉に近いということだろうか?

 

 

 


歩く

2010年11月26日 14時36分40秒 | Weblog

歳をとって1週間病院に入院したらまず歩けなくなるという事は本当だった。いま、私は歩くことを目標にしているが、めまいの恐怖におびえているのではないだろうかと思う。

耳鳴りが依然として続いている、先日三郷中央病院で頂いた紹介状をもって独協医大病院の耳鼻科に行った、此処の医師も耳鳴りからめまいがすることを肯定している。

処方してくれた薬を2か月のんでも今の状態が続くなら、メニエルの可能性があると言う。

私の現状は感覚としては、右目が何となくおかしい感じがする。少々痛みもある、顔の中心がぼーっとしていて頭がなんとなく重い感じがする。なにかおかしい、そんな気がしてならない。

歩くといっても、団地のわずかな距離しか歩けない。家の中だけにいてはいけないと外に出るが、ほとんどペンチに座って外の景色を眺めているだけで歩くということが思いように行かない。8日間の入院生活で太もも・ふくらはぎが痩せてしまった、見た目もほっそりしている。

筋肉の衰えは、歩く事を拒否しているかにさえ思えるようだ。そろりそろりとしか歩けない。距離にして300メートルぐらいだろうか? 歩っていてもめまいの恐怖はついて回る。

今の私はこんな現状でしかありえない、残念だけれどもこれが現実です。

 


買い物

2010年11月23日 13時11分36秒 | Weblog

退院後初めて買い物に行った。団地内のスーパーまで我が家から歩いて100数十メートル、しかし今回は遠く感じた。

おぼつかない足を運びゆっくりと歩く、広場のペンチにしばらく腰かける。木々が織りなす紅葉もおわりに近ずいているようだ、木々の先端部分は落葉している、落ち葉があたり一面に広がっていた。

小学校入学前の小さな子供だちがブランコに滑り台に・・・・・数人が遊んでいた。おかあさんたちがおしゃべりしながら見守っている。

必要最小限に買い物を済ませて帰ってきた。外の空気に摺れたのは10日振りだろうか? ひんやりとした空気に包まれながらの買い物だった。なんと表現したらいいのか? 懐かしく感じられた。

いつも通いなれたこの道、紅葉した落ち葉を踏みしめながら歩く。

この時期、団地は建物の衣替えの最中。建物が覆い隠されている所も、衣替えが終わってすっきりした姿を見せているもの、それぞれがある。今年中に工事が終わりすっきりした姿が見られるのだろうか?まだまだ手つかずの街区もある・・・・・?

1日1日が私の体に少しずつ変化をもたらす。気分もすこしずす晴れやかなものになるような気がしている。1日ずつ、1日ずつ・・・・・。


入退院

2010年11月21日 12時32分14秒 | Weblog

13日の午前1時過ぎ、激しいめまいと嘔吐頭痛に見舞われ息子に119番に通報してもらった、救急隊が来てくれた頃は意識は朦朧としていた。布にくるまれて階段を降りる頃は何をされているのかほとんど意識はなかった、救急車に乗せられどのように病院に来たのか全く分からなかった。

病院についてから、かすかな意識の中から私の体に何か取り付けられている様に思えた。なんだかもちろんわからない、何をされるのか意識の外にあった。そのうちに点滴が始まったようだった。

13日は、最初から最後まで終日点滴で暮れたようだった。

14日、は早朝点滴にはじまった、午後には普通食が出たようだったが食べることはできなかった。朝の体温は37,6度、氷枕で冷やされた、夕方に氷枕を取り換えた。点滴は朝夕2回になった。

この日元の妻(25年前に離婚)が来てくれた、いま次男と一緒に暮らしている。一緒にいた頃より落ち着いて、歳相応にきれいになったように見受けられた。

15日、朝食はおかずのみを食べた。点滴、血圧は145-61、昼は食事が食べられる。3時の検温、血圧153-73、体温36,7度だった。夕食後、血圧148-61、点滴をする。この日の夜初めて手すりにつかまりながらトイレに行く。無様なかっこうであったことは否定できない。

16日、朝の血圧144-65、体温36,5度。点滴、食事はほぼ食べられるようになった。なんの点滴か尋ねたら、めまいがしないようにするためですとの返事だった。3時の血圧133-66、夕方143-56、36,8度だった。

17日、朝の血圧、体温は144-65、354度、点滴。トイレの回数を聞かれるので書いておく、11回~1回。

18日、朝の血圧121-61、36,5度。トイレは10回~1回。気分は良し、耳鳴りが始まる。点滴は朝、夕1回あり。この日私たちの担当看護師さんに、私が書いているブログのURLを教える。点滴はこの日が最後とのことだった。担当医師から20日退院のお許しが出た。

19日、トイレ10回~1回。この日ひまわりカラオケサークルのSさん、Tさん、Nさん、おそろいで来てくれた。予期しなかったことでびっくり、お菓子の差し入れまで頂いた。本当にありがとう。

由美が忙しい時間を割いてこの日に来てくれた。長男が私がいつも着ている服とズボン、靴を持ってきてくれる。退院の準備がこれで整う。

20日、朝の血圧は144-72、病院での最後の食事となる朝食、おいしく全部食べる。耳鳴りは右が大きい。病院できずいたことだが、耳の聞こえ方は右の耳の方が大きく聞こえる、左は小さく聞こえる、難聴だろうか?

医師から退院後に、早い時期にどこかの耳鼻科に掛かるように進られた。今までの経過と治療内容を書いた経過報告書をもらう。薬は1週間分頂く。

10時に長男が迎えにくる。8日間の入院にお別れをする。看護師のみなさんにお礼を述べて帰ってくる。

 

 

 


すまいる1周年

2010年11月12日 06時45分54秒 | Weblog

カラオケ店「すまいる」が開店から1年目、きのう1周年記念のカラオケパーティを午後0時半から5時までの予定で行った。約20名弱の方々が招待された。

団地から招待された方々は、大和、金田、加藤、保谷の4人、知人で四ノ宮さん、私の知っている方は4人になる。

店から指定された席順は右端から、加藤、保谷、四ノ宮、大和、金田さん、となっていた。それぞれの間柄をよく心得ているな・・・と感心させられる。

加藤さんと会うのはほぼ3ヶ月ぶりかもしれない、しかし10年来のおつきあいをしている。四ノ宮さんはひまわりカラオケサークルの仲間でもある。大和さん金田さんは団地の人、会えば話も弾む。きょうここに集まった人たち、ここでカラオケを歌い楽しんだ人たちばかりだ。

名札に1回目、2回目に歌う歌詞名・歌手名を書くようになっていたので、私は1を「酔待ち酒場」、三山しろし。2を「あの日の君を恋うる歌」、大川栄策。として出した。加藤さんは、1を「愛のままで」、2を「雨のタンゴ」だったようだ。

それぞれが2曲歌い終わってもまだ時間があった。3曲目を歌うことになって、私は「人恋酒場」三山ひろしの歌だった。加藤さんは「金沢の雨」川中美幸の歌だった、私が聞いた範囲ではこの歌が彼女が歌った中では一番よかったように思えた。

私たちはこの店を4時半頃おいとました。加藤さんは5時からの勤務ということで公民館へ、私は洗濯物が干してあるので家路を急いだ。

「すまいる」に一日楽しませてもらって、ありがとうと感謝したい。

 


尖閣映像

2010年11月11日 08時33分39秒 | Weblog

沖縄・尖閣諸島沖の中國漁船の衝突をめぐるビデオ映像が流失した事件、政府はなぜ隠そうとしているのか?国民の知る権利はどうなっている。

第5管区保安本部の海上保安官の、読売テレビの取材に対して「国民が誰でも見る権利がある。誰もやってくれないなら自分でやるししかないと、誰にも相談せず一人でやった」「私がこういう行為に及ばなければ、闇から闇へ葬られて跡形もなくなってしまう」と動機を述べたという。

このことがあって、我々の目に触れることが出来た。多くの人が見たであろうと思う。

海上保安本部の巡視艇に中國漁船の衝突事故、誰の目から見ても故意によるものと思うであろう。いわばその証拠とも思えるビデオ映像。かくす必要があるのだろうか?

横暴ともみられる中國の扱い方、逮捕されてその後釈放された中國漁船の船長、まさかの英雄あつかいだった。

この映像を流した海上保安官の扱いはまさに逆、「守秘義務違反容疑で取り調べる」だった。国民の知る権利なぞなんのその、知らしむへからず、と言わんばかりだ。

尖閣諸島の領有権は? 古来からの日本の領土ではないか。 これに絡む今回の事件、隠すのではなく、オープンにしてしかるべきではないかとおもうが・・・・・。

海上保安官の危惧、当然だろう。それこそ我々の目に触れることなく葬ふられた可能制の方が高いと言えそうだ。

海上保安官の正義感から起こった今回の事件ではなかったか、と思うのだが・・・・・。


頚動脈検査

2010年11月10日 16時04分40秒 | Weblog

頭痛、めまいがたびたび起こるということで、きょう再びマイさんに行き頸動脈超音波検査をおこなった。

日本医大から専門の先生が来るということだった。検査の写真を見ての診断は、頸椎の右の血管にクラークがあるということだった。

柔らかいものではがれやすいとのことだった、これが脳に飛んで行けは脳梗塞になる可能性があるとのことだった。

左にも小さなクラークがあるということだった。現在はこのクラークを薬で固める、方法をとりたいとのことだった。頭痛、めまいの薬と一緒に飲んでもよいとのことだった。

この薬を半年間続けて飲む、それで結果を見たいとのことだった。

健在は耳鳴りが絶えず続いている、なんとかならないだろうかと思う。


マイさんに行く

2010年11月10日 09時09分51秒 | Weblog

きのうメディカルコミュニティマイに行った、頭痛とめまいに悩まされていたのでその訳を話して診察してもらった。

それは某診療所で脳梗塞があると診断されたからで、あらためてマイさんに行ってみた。

始めに点滴を約2時間かけて行い、そのあとでCT検査で頭の中を調べる。例えば1cm以下の脳虚血招待をラクナ脳梗塞というけれど、たいして問題にするほどのことではない、と言われた。

歳をとれはだれでもその程度のものはある気にすることもない、とのことだった。

きになるなら、頸動脈エコーで調べてみては・・・・・とのことだった。予約を10日の午後1時30分として帰ってきた。


世界の平均寿命

2010年11月08日 07時52分27秒 | Weblog
今がわかる時代がわかる2010年版「世界地図」によると、世界各国の平均寿命が地図とともに記載されています。それによると次のようになる。

1位 日本 2007年・82,5歳。1950年・62,1歳。(以下最初の数字は2007年とし次の数字を1950年とします)
2位 スイス 81,7歳~69,2歳。  3位 イタリア 81,31歳~66,3歳。  4位 オーストラリア 81,29歳~69,8歳。  5位 アイスランド 81,2歳~72,0歳。  6位  フランス 81,0歳~67,1歳。  7位 スウェーデン 80,92歳~71,8歳。  8位  スペイン 80,87歳~63,9歳。  9位 イスラエル 80,60歳~65,4歳。  10位 カナダ 80,57歳~69,1歳。 11位 韓国 79、0歳~47,9歳。  12位 キューバ 78,3歳~59,5歳・  13位 アメリカ 78,0歳~68,9歳。  14位 中国 73、0歳~40,8歳。  15位 インド 64,7歳~37,9歳。

平均寿命が長い国は、ヨーロッパや日本、オーストラリアなど先進国に集中しています。栄養状態はもちろん、医療や介護体制など、さまざまな社会インフラに投資できる経済力があることが、平均寿命が伸びる大きな要因としてかんがえられます。

一方で、貧困や飢餓にさいなまれているサハラ砂漠以南のアフリカ諸国には、平均寿命が50歳を下回る短命な国が集中しています。これらの国は5歳以下の小児死亡率が高いことから、平均寿命を伸ばすためには、まず医療の充実と公衆衛生および栄養状態の改善を図り、小児の死亡率を下げることが重要であるとされています。

1位 スワジランド39,6歳~41,4歳。  2位 モザンビーク 42,1歳~31,3歳。  3位 ザンビア 42,3歳~42,1歳。  4位 シエラレオネ 42,5歳~32,1歳。  5位 レント 42,6歳~42,1歳。  6位 アンゴラ 42,7歳~30,0歳。  7位 ジンバブエ 43,4歳~48,5歳。  8位 アフガニスタン 43,8歳~28,8歳。 9位 中央アフリカ 44,7歳~33,4歳。  10位 リベリア 45,7歳~36,8歳。

先進国とアフリカ諸国とがあまりにも大きな格差があることにびっくりいています。余談ですが、私の年齢81,6歳は日本の平均寿命に11ヵ月及ばないことを知りました。