ヤーホ、こんにちは。

日々思うこと、笑顔を忘れずに。

矢田部過労死裁判

2012年05月24日 21時03分11秒 | Weblog
矢田部暁則さんの過労死裁判がきょう埼玉地方裁判所で11時30分から行われる。

当初は行くつもりだったが、頭痛とめまいで行くことができなかった。
残念な気がしている、暁則さんに申し訳ない気がしている。

5月病とでもいうのだろうか? 83歳、高齢ということなのだろうか?
情けないと思う。

次回7月の時にはなんとしても、過労死労災認定を勝ち取らなければと思う。できるだけ多くの人達と誘い合わせて行かなければと思っている。

夏場所 千秋楽

2012年05月21日 09時05分56秒 | Weblog

夏場所優勝は平幕の旭天鵬に決まった。来日以来21年目、大輪の花を咲かせた。                            37歳8ヶ月の最年長優勝とのことだった。

大相撲初の平幕決定戦(栃襖山前頭4枚目、旭天鵬前頭7枚目)栃襖山は旭天鵬のはたき込みに敗れた。

それにしても6大関の不甲斐なさ、情けない。稀勢の里は上位に勝てない体質を変えない限り優勝は望めないだろう。                                                                          琴奨菊は膝の故障にもかかわらず10勝5敗で終えた、来場所に期待したい。

今場所、満員御礼の札が掛かったのは4回、大相撲の人気が上がらないのはなぜか? 相撲のフアンは多いはず、力士の奮起を促したい。


友人・知人

2012年05月13日 10時12分48秒 | Weblog

団地の中の友人・知人は次のようになる。(忘れないために)

1街区  富山三重子、 奥原和三、 伊藤邦子、 大里 隆、 舟橋良明、

2街区  酒井朋治、 酒井玉江、 伊嶋道子、 森本 薫、 森本ユキコ、 鈴木征一郎、 和田              光子、 野中八重、  樋口邦雄、 鈴木政道、 松澤武治、 永井貴代子、 瀬谷八重子、 

3街区  佐藤四男治、 石村芳子、 庭田正夫、 粟野初美、 桃原幸子、 西田清子、 

4街区  大和ナヲ子、 染谷住子、 宮本守康、 宮本廣枝、 石川節子、 石田政行、 佐々木郭子、 堀内 晃、 堀内美智子、 寺尾 實、 山崎初子、 岡本菊江、 加藤陽子、 保谷茂代、 、 秋元 操、 茶屋幸江、 山時豊子、 阿部隆丸、 阿部福子、 菊池民子、 諏訪静子、 土井 健、 土井愛子、 

5街区  浅見裕子、 小原和枝、 小寺幸江、 斎藤 時、 杉崎サダ,  以上。

* 1街区 5名、  2街区 13名、  3街区 6名、  4街区 23名、  5街区 5名、 合計52名

友人とは、何でも話せる人であり、 知人とは、日常会話の出来る人。  


友人

2012年05月06日 18時47分00秒 | Weblog

この団地に来て20数年になる、そしてその間の友人と言える人は団地長寿会のなかでは10数人に絞れるのではないだろうか。

名前を挙げると次のようになる。

男では、 舟橋良明74、 佐藤四男治76、 宮本守康82、 石田政行83、 寺尾 實76、 阿部隆丸87、 土井 健81、そいて保谷幸男83

女性では、 富山三重子79、 永井喜代子77、 岡本菊枝78、 加藤陽子77、 茶屋幸江77、 菊池民子76、 浅見裕子82、 小原和枝77、 杉崎サダ77、 山時豊子91、などだろうか。

これらの人達は、いろいろ話の出来る人たちと言えるだろう。いわゆる深からず、浅からずというあいだがらではないだろうか。

団地という枠にとらわれず話のできる人は他に居るというのが現実ではないだろうか。

以上が団地の中の現在(2012年)のかけがいのない友人ということが言えると思う。あまり多いといえる数ではないが。

持ちつ持たれつ朗らかに楽しく暮らしているといえようか。

 


日本文学報国会

2012年05月05日 11時54分17秒 | Weblog

戦争中の政府の強い支援があって成立した昭和17年(1942)5月26日創立総会。

総会の基調演説は内閣情報局次長「尊王攘夷の血戦」の筆者である。

奥村喜和男(1900~69)激しい愛国主義と外国嫌いを象徴している。

すべての作家がこれに参加したのではないかという印象を受ける。

多くの作家が文報に入ったのは、戦争目的に賛同する真面目な考えからか、あるいは左翼気の作家たちにとって文報に属することで、過去の罪を水に流すことが出来るからだった。

内田百聞(1889~1971)そもそも政治家と付き合う作家が嫌いだった。

日本人の戦争、文芸春秋の中で、徳富蘇峰(1863~1957)は戦時中に戦争支持の論陣を張ったばかりでなく、敗戦後も戦争支持の記事を書き続けた。「一億一英雄たれ」などがある。

伊藤 整(1905~1969)日記やエッセイで開戦を喜び、予想されるアングロサクソンの壊滅に期待をかける。                                                                           ガダルカナルの戦闘の結果ははっきり黒白がつけられたものではなかった。ガダルカナルの敗退後の、日本の大本営は死傷者の数を隠蔽したり戦闘の結果を偽るなど大本営の発表は当てにならなくなった。                                      

敵の損害を誇張するなど捏造するようになり、日本の損害を最小限に抑えて発表するようになる。

高見 順は昭和20年(1945)6月まで文報参加を拒否していた。高見は10年余り前、共産主義者の容疑で憲兵に逮捕され拷問された。その汚名をそそぐことで文報入りを決意した要因であったかもしれない。

宮本百合子(1899~1951)は戦後になって、夫の宮本顕治から文報入りを非難された。平野 謙(1907~1978)も

20世紀の傑出した短歌詩人。斎藤茂吉 代表的な短歌雑誌「アララギ」に短歌を発表する。

知識階級がよむ二大雑誌。  「中央公論」  「改造」 は昭和19年(1944)7月出版禁止となった。  思うに雑誌の内容がどちらかといえば依然として進歩的であったからである。

北原武夫(1907~1987)は伊藤に「文学は休止だね」とはなす。

思いつくままに書いてみた。

 


歌謡連合協会総会

2012年05月04日 17時21分48秒 | Weblog

きょう、老人福祉センターにおいて歌謡連合協会の定期総会が10時から行われた。

まず議長の選出、会長挨拶、議題の審議と定番通りに進められる。そして役員の改選で一通りの議題は終了する。

今回、一番の議題といってもいい問題が「歌仲間のつどい」についてだった。

24年度の事業計画、予算案、24年度の役員の改選、 歌仲間の活動についてどうするか、が問題となる。

ここに参加する団体は、  1 SCカラオケサークル、   2 団地歌謡サークル、 カラオケ愛好会、   3 埼年協カラオケ教室、 ひまわりカラオケサークル   4あすなろカラオケサークル、  の6団体である。

「歌仲間のつどい」活動について    開催担当の当番制が採用される、 「担当サークル」の輪番制で行われることとなる。 次回・6月9日からとなる。

まず最初は、SCカラオケサークルから順次実施されることとなる。   以上のように決められた。

 


長寿会の仲間たち

2012年05月03日 09時54分56秒 | Weblog

長寿会の親しい人たちを記録しておきたいと思う。

まず男性は   阿部・87、 石田・83、 宮本・82、 土井 ・81、 佐藤四・76、 舟橋、74、 森本、71、以上、 7名。

女性は、  山時・91、 浅見・82、  諏訪・82、  富山・79、  岡本・78、  茶屋・77、  小原・77、  永井・77、  加藤・77、  杉崎・77、  菊池・76、  桃原・76、  堀内・75、  ほたに・74、  佐々木(郭)・72、  以上、15名となる。

意外と少ないことに気付く。 長寿会の集会でも男性は少ない、女性の集まりは多い。 各種催し物などにも協力的のようだ、そして楽しんでいることも確かなようだ。

いろいろな集会を見てもそのような気がする。 なぜなのか? 男はなまけ癖かあるということだろうか?

女性は各種催し物には積極的に参加していることが目につく、女性の参加なくしては物事が運ばないような気がする。  

特に長寿会の集会にはそのような傾向が強いように思える。まずは女性の方たちに敬意を捧げたい、ありがとう。 これからもよろしくお願いしたいと思います。 


誕生日

2012年05月02日 13時49分46秒 | Weblog

きのう私は83回目の誕生日を迎えた。私の親、兄弟で80歳を超えた者はいない。

母は50代で他界している、父も79歳で生涯を終えている。弟も79歳だった。

妹たちは元気で暮らしている、たぶん私より長生きするだろう。女性の平均寿命は超えるのではないだろうか。

私がこれまで生きられたことは不思議なきもしないではない、生まれて間もなく叔母たちの家に預けられた。体が弱かったからだと聞いている。

小学校の4年生のころ、麻疹で1ヵ月休んでいる。終戦後18歳で結核で入院・さらに胃潰瘍になった、追い打ちをかける様にカリエスを発症する。

終戦後ということもあって、入院した病院は劣悪なものだった。パス、ヒドラ、ストマイは用意されていたが何より食事が悪かった。栄養補給が足りなかった、そのために入院期間も長引いたのではないだろうか?

3年ほどで入院生活をあきらめて、家庭療養に切り替えた。長い間の療養生活・・・・・ようやく働けるようになったには27,8歳になっていた。

最初は3時間程度の勤務だった、会社に了解してもらった。少しづつ時間を延長していった。

弟の結婚問題が浮上して、否応なしに結婚させられた。長男が結婚してないのに・・・・・と。世間体を慮ってのものだった。

29歳で結婚した。30歳で長男が生まれる、元気な子であって呉れよと願った。

そんなことがあって現在に至っている。