ヤーホ、こんにちは。

日々思うこと、笑顔を忘れずに。

平均寿命

2008年07月31日 22時02分04秒 | Weblog
今日発表された去年の平均寿命は、女性は85.99歳、男性は79.19歳でした。女性は世界1位、男性は3位だそうです。

此れを見る限り私は男性の平均寿命を上回った事になる。若い頃は病院暮らしが多かった、60歳まで生きられるだろうかと思っていた。それが今、平均寿命を上回ってまだ生きている。不思議な気がするのは何故だろうか?
 
1歳にして親元を離れた、そして伯母の家で育てられた。兄弟が居る事も知らなかった。父母が居る事はうすうすきずいていた、小学校5年の運動会の日に、知らない伯母さんが私の名前を呼んで応援してくれたよ。と家に帰ってきて話したら、それは多分お母さんだと思うよと言われた。弟、妹3人居ると聞かされた。

親、兄弟と一緒に暮らすことになったのは14歳の頃だった。戦時中の昭和18年の頃と覚えている。私の住んでいる伯母の家に、彼らが引っ越して来たということだった。

今はすでに両親はいない、弟があの家を継いでいる。いま兄弟とは疎遠になっている、なじめないのも仕方のない事かも知れないと思う。幼年期、少年期を別々に過ごしたのだから・・・・・。

しかし、いま可もなく不可もなく、その日暮らしといえども楽しく暮らしている。公民館の民謡サークルで民謡を習い、カラオケサークルで演歌を習い、そしてパソコン塾でパソコンを習い、ボケ防止に役立てている。

言うなれば気ままに生きて来た事が、平均寿命を生きられたという事かも知れない。

雨漏りと会議

2008年07月30日 19時08分00秒 | Weblog
おとといの午後急に雷がなり激しい雨が降る、北側の部屋の天井から雨漏りがしてきた。上の階の北側の窓が開けっ放しのままだったようだ。

上の階に行き呼び鈴を押しても出て来なかった。居なかったわけではない、居たはずである。たぶん私か呼び鈴を押したときにきずいたのではないだろうか。

私が帰ってきて、暫らくしてから、上の階の者です、と言って顔を出した。申し訳ありません、損保に入っておりますので十分補償はさせて頂きます。という口上だった。

損害補償を求めて上の階に行ったのではない、窓を早く閉めて欲しいから駆けつけたまでだった。どんな状況か家に上がってみてもらった。天井から雨漏りがしている、箪笥の表面はぬれていた。箪笥の前のダンポール箱はぬれていた、上にあった本も濡れていた。

箪笥の中はほぼ大丈夫のようだった。ダンボールの中身も大丈夫だった。それほどの被害はない、天井も雨漏りはしたけれど乾けばさほどの跡は残らないのではないだろうか。そんな状況だった。夕方若いご主人か謝りに来た。

そして昨日、朝9時から年金者組合の支部三役会を緊急に開いた。後期高齢者医療制度が4月から実施され、此れに伴い年金から保険料が天引きされている事。この制度の運用によってわれわれの受ける医療はどうなるか? 姥捨て山と酷評されている現状をみると、不安はつのるばかり。

先の参議院では野党4党による、後期高齢者医療制度の廃止法案が可決されている、議員さんたちが良くないから廃止すると言っているくらいなのだから、やはり良くないのではないか? そんな論理も成り立つのではないかと思うのだ・・・・・。

われわれも姥捨て山制度は御免だといいたい。年金者組合としては、75歳という年齢要件で医療差別を受ける。保険料の年金天引きは財産権の侵害ではないか。この2点で不服審査請求を行なう事が決定されている。

埼玉県本部では全組合員の10%以上の人の不服審査請求をする事が決定されている。我が支部でも県本部の決定を支持して、行動することに決まった。

そして今日、雨漏りの跡かたずけで忙しい。この際だからと思い、すこし小さくなった衣服や書籍なども整理しようと取り組んでいる。まだ整理なかば、今日はこれまでにしようと思う。

夏祭り

2008年07月27日 22時08分44秒 | Weblog
今日は団地の夏祭り2日目、昨日は子供プールに放された金魚すくいをまず幼児たちが行なう、小さなバケツをもらい親が付き添ってプールに入った。10センチほど入った水の中にはなされた金魚を追いかける。なかなか捕まらない、違反と知りながらも、見かねて親が捕まえてパケツに入れる。監視員もおおめに見ている。

5分程で別の組に変わる。そして小学生低学年の番になる。さすが小学生ともなると、要領よく捕まえる。5分ほどには10匹ぐらいは捕まえていた。

1度に20人ほど、10組ぐらいで行なわれたようである。2時頃になると小学生優先でビンゴゲームが行なわれた。夕方6時半からは盆踊り大会になる、今年で34回目とか、これほど永く続いているところは市内には何処にもない。

今日は午前中は子供みこしと幼児たちの山車が団地内を1周した。2字半頃から、米5kg、洗剤、醤油、ティシュペーパー、などの抽選会が行なわれた。私は洗剤が当たった。

6時半からは盆踊りのはずだったが、突然の雷雨・しかもスゴイ降り方だった、一瞬の内に水浸しになってしまった。祭りを当て込んで店開きをした人の悲鳴が聞こえる。盆踊りが出来る状態には無い。太鼓の音も消えてしまった。

我が家も大変だった、上の階から北側の部屋に水漏れがしてくる。上の階の人に連絡、困るよ、水漏れでと注意した。北側の窓が開け放しだったから雨水が吹き込んだようだった。

雷の稲光から3秒後に音が聞こえてくれば、3分後には雨が降るから注意しろ。といわれている、そのことが分からなかったのだろうか?・・・・・・。お蔭で我が家は大変迷惑をしている。

地震・無差別殺人

2008年07月24日 20時09分27秒 | Weblog
今日未明、岩手県洋野町で震度6強の地震があった。マグにチュウド6.8ということだった、強い横揺れと縦揺れを感じたようである。

十勝沖地震のときと比べて被害が少なかった事は何よりも良かったように思う。被災者には気の毒というしかない、何をしてあげることも出来ないのだから・・・・

八王子駅ビルの書店での殺人事件、菅野容疑者は33歳、親を困らせたかった。誰ででもよかった、刃物なら簡単に人を殺せるとおもった。と供述していると報道されている。

「33歳にもなって、親を困らせたかった」あまりにも幼稚に過ぎないか、他人事ながら残念でならない。どうしてまともな考えをもてないのだろう、33歳にもなって・・・・と言いたい。

殺された方は大学4年生、アルバイト従業員だったようで、真面目な大学生、将来を見つめて夢を持つていたと言われている。あまりにも可哀そうで仕方がない。

秋葉原無差別殺人では、人を殺すために秋葉原に来た。誰でも良かった、多くの人を殺したいと思った。と供述したと言われている。「むしゃくしゃしているから」と、なぜ無差別殺人に結びつくのか? マツタクワカラナイ。

人の尊厳をどう考えているのだろう。これでは死刑廃止の根拠が無くなるとしか思えない。残念だけれども・・・・・・。

カラオケの稽古

2008年07月23日 21時55分09秒 | Weblog
第4週の水曜日はカラオケの稽古日、最初に声ならしに「青い山脈」を歌う。二人ずつ2曲ほど歌って次の人たちに回します、全員が唄います。

きょうは最初に「輪島朝市」、唄いだしは何故か私になる。此れを全員が唄います。このクラスは11名、けっこう時間が掛かります。

次に「おんな上州路」「笠に一輪 椿の花を 挿せば見返る 街道すずめ 惚れたあなたの 後追いかけて 今日は渋川 明日は桐生 雲と旅ゆく アン・ア・アン・アン・アン おんな上州路」1曲目はこうなります。この歌は今回で終わりにしたい、ということでした。

次は「周防灘」でした、これも私から始まります。この歌のほうが、なんぼか唄いいい。「群れ翔ぶカモメを 引きつれながら  船は行く行く 瀬戸の海 さようなら・・・さようなら さよならあなた 潮風冷たい デッキに立てば しぶき舞い散る・・・ 周防灘」というのが1曲目です。

こうして2時間みっちり唄います。みなさん真剣に唄います。月に2回、2500円を払ってのカラオケの稽古になります。真剣にならざるを得ないでしょうねぇ。

ここでも私が最年長でした、若い人たちのエネルギーを戴いて、頑張っているところです。笑われるでしょうか?

暑気払い

2008年07月22日 08時39分44秒 | Weblog
きのう音風水曜日第1、第2、クラスの暑気払いを12時から16時まで行なった、16名が集まる。他のクラスの人たちと顔を合わせるのもいいものだと思う。

最初は最近教えて頂いた「周防灘」を1曲づつ唄う。つぎは「輪島朝市」をそして「恋瀬川」「夫婦ちゃんりん」と続いた。最後は自分の好きな歌を唄う。

私は「名もない花に乾杯を」を唄った。ほとんど女性の歌ばかりうたっていたので、好きな歌ではあったが曲に乗り切れなかった。2番になってから漸く曲に乗れた。やはり男性の歌はいい、気持ちよく唄う事ができる。

9月28日(日)に野田市文化会館大ホールで行なわれる、りんどう歌謡学園のチャリティー歌の祭典に出てと、私と山本さんが指名された。指名されるだけでも嬉しいと思う。でるかどうかは後に決めたいと思う。

長い時間を友人達と好きな歌を唄い過ごして、一日楽しい日を送れたことに感謝したいと思う。

雷雨

2008年07月18日 19時34分04秒 | Weblog
今日のパソコン活用は、マイブックエディター3でつくる写真集製作講座だった。

MYBOOKをつくろうということで、先日クラスメートの皆さんは本土寺を訪れて紫陽花や菖蒲の写真を撮ってきている。そしてインストールもすんでいる。

私はその日大腸がん検診で行けなかった、そのために京都へ行った時の写真をインストールした。今回は此れを使うことにした。

しかしMYBOOKを作るには、ネットでエクストラパージョンをダインロードしなければならない、先生の口頭での案内に従って使うことが出来るようにした。

ブックファイルの作成では、基本ツールバーを使って自由に写真をレイアウト出来る様にする。デザインパレット、機能ポタン、ツールバー、を使う。そして画像の挿入、画像を配置・移動・拡大縮小、元に戻す・やり直し・削除。を自由に使いながら、ブックファイルの編集をする。これらの設定をおこなった。これから2日間で仕上げる事になる模様のようだ。

今日私は昨年作った「晩秋の本土寺」のMYBOOKを持っていった、紅葉を撮ったもので、それなりに出来ていると思っている。皆さんにご覧戴いた。

授業が終わって教室を出た、早稲田8丁目を過ぎた頃、雷が鳴り出した。高架橋の下で、持っていった合羽を着る。大場川を過ぎたころ豪雨となる。対面して通る車のしぶきをまともに受けてしまった。顔面に痛いほどあびる結果になる。

ほとんど合羽は用を成さなかった。早々に帰って風呂を沸かして入る。3年半通い続けて始めての経験だった。風呂からあがって暫らくしたら、雨も上がり青空が見えて来た。私が教室を出て数分たった頃からが一番ひどい時だったように思われる。



治療と民謡

2008年07月17日 11時37分42秒 | Weblog
4ヶ月もの間家の中においたままだった植木を、ベランダに出したとはいえ成長期を十分な手当ても出来ないままだった。午前中この植木の手入れをしてすごす。

午後は整骨院に行き自分の体の手入れをする。肩と背中、軽い腰痛とお年寄り共通の状態が私にも襲ってきている。ほっておけば直悪くなるのではないかと治療を続けている。

又この整骨院が繁盛で自分の番になるまで1時間以上待たなければならない。肩と背中に電気マッサージを30分、腰には赤外線治療を同時にかけている。

此れが終わって身体に薬を塗り手によるマッサージを行なう、かなり入念にしてくれるので有り難い。足の痺れもだんだんよくなりつつある。

治療がすんだ後、きよみ野富士をまわって田んぼ道を遠回りをしながら家に帰る。程よい散歩をしている。そして早めの夕食を食べると、俊章公民館民謡に行く時間になる。

この日は声ならしに「猿島豊年音頭」「灘の酒造り唄」を唄う。そして8月に行なわれる民謡大会の出場者の稽古が始まる。

山崎さんの「りんご節」滝田さんの「日向木挽唄」白石さんの「南部牛追い唄」「渡部さんの「宇和島さんさ」などが唄われた。10人合唱コンクールには「猿島豊年音頭」を唄うことになっている。此れは女性の方たちが唄う。

全員の唄の稽古には「秋田もとすり唄」が唄われた。午後7時から始まって9時に終わる。2時間たっぷり声を張り上げる。私たちの健康の源泉にもなっている。
きのう一日の出来事でした。



休漁

2008年07月16日 10時54分38秒 | Weblog
昨日、燃料費の高騰で漁師さんたちが全国で一斉に漁を休んだ。その数20万隻との事だった。

先の洞爺湖サミットではほとんど成果もないまま終わってしまった。50年までに温室効果ガスを半減すると言っていた当初の目標を、アメリカの思惑を考えるあまりの福田さん、言い出せずに終わった。原油の高騰はすでに始まっていた、原油の投機マネーの規制にも踏み出せないまま放置したようにみえる。

食糧危機もそうだった。食料価額の高騰はアフリカ諸国をますます追い詰めている、飢餓に苦しむ人たちをどう救うのか?あまりにも無策に過ぎないか。

原油高騰が国民の暮らしを直撃する中で、新テロ特措法にもとすく、米艦船などに燃料を無償で提供している海上自衛隊のインド洋派兵のための予算総額が、1年間で約90億円に達するといわれている。予備費から出されているといっても国民の税金に他ならない。

もっと国内に眼を向けて欲しいものだと思う。輸入に頼る我が国ではオオストラリアやカナダの小麦の不作は直接響いて来る。アメリカのトウモロコシはバイオ燃料に、飼料としての輸入が途絶えた。大豆も輸入できなくなっている、食料油、みそ、しょうゆ、などにも影響している。

われわれの食卓に上る多くのものが値上がりしている。我が国の食料の自給率は35%と言われている、農業政策の見直しが必須の条件になっていないか? いままで採ってきた減反政策は間違っていないか?

当面、燃料の高騰にどう対処するか、政府の舵取りを国民は待っている。これは漁業者だけの問題ではない、国民全体が待ち望んでいることを念頭に置いて欲しい。

胃カメラ

2008年07月14日 19時39分28秒 | Weblog
昨夜の9時から絶食、朝はお茶を飲んだだけ。9時過ぎに家をでる、マイさんに着いたのが9時20分頃。

看護師の問診を受けて、最初に超音波検査をします。そぎにらくらく胃カメラを撮ります。超音波室の前で待っていてください、おしっこをしないようにと注意される。

私より数人の方が検査室の前で待っていた、1時間後くらいに呼ばれて検査室に入る。終わったらオシッコをしてもいいですよと言われる。

それから更に1時間後にやっと胃カメラを撮ることになる。らくらくでお願いしますと言う。かたに注射、泡を取り除くためにとシロップを飲まされる。喉の刺激を抑えるためにと渡されたドロドロの液を口の含む、3分間は飲まないように口に含んでいてくださいとのこと、3分たったら飲み込んでくださいと言われる。

これで一応の準備は済んだようだった、ベットに仰向けになって寝てくださいとのこと。

先生の到来を待つ、らくらくということで、右腕の血管に麻酔薬を注射される。1分もたたないうちに意識はなかった。何をされているかも分からないほどだった。終わりましたよと言われ、看護師に腕をとられて看護師室の横のベットに寝かされた。起こされて気が付くとすでに1時を廻っていた。

診察室の前で待っていてくださいと言われて待つ。副院長に呼ばれて検査の結果を聞く。ほとんど前回と同じようで悪いところは見当たりませんでした。といわれてホッとしている。

薬もなくなっているので処方してもらう。薬局へより、薬を受け取ると時計の針は3時をさしていた。帰りに買い物をして家に帰るともう4時だった。