ヤーホ、こんにちは。

日々思うこと、笑顔を忘れずに。

南房総めぐり

2011年09月30日 12時13分53秒 | Weblog

9月25日南房総、勝浦に行く、朝おあしすに7時半に集合、同時刻勝浦に向けて出発した。バス旅行と言うことで気は楽だった、バスに乗りさえすれば目的地まで運んでくれるからだ。天気も上々まさにいうこと無だった。

役員さんの計らいで、バスに中ではお菓子屋飲み物も豊富にあり旅行気分を満喫することが出来た。

勝浦では三日月ホテルに一泊、温泉気分を味わいながら食事もよし、かくし芸もなかないいものがあり楽しむことがが出来た。なによりも部屋割りが良かった、適材適所というか? 役員さんのご苦労がしのばれる。

帰りはまず「月の砂漠」に王子様、御姫様の銅像をみて、お城を見学、房総の海山を見ながら帰りのコースを満喫していた。

帰路は順調に運ばれた、吉川には3時40分頃着いた、家に帰って4時になる。あまりにも順調だった、みなさんの日頃の行いの良さからだろうか・・・・・・・・?

何事もなく過ぎたことに感謝したい。


日帰り旅行

2011年09月15日 11時44分33秒 | Weblog

昨日、14日は、わたらせ渓谷と足尾銅山への日帰りの旅でした。

午前8時おあしすを出発、途中で吉川駅前で10人ほどを乗せて総勢43人でした。 吉川小さな旅の会、今年初めての旅行になります。

吉川を出発ー東北道ー北関東道ー大間々、奥村酒造を見学・酒飲ーわたらせ渓谷草木(昼食)-わたらせ鉄道、神戸(かんど)駅ー長いトンネルを抜けると、間藤駅ー足尾銅山へ(トロッコで坑道へー(見学)水の滴る中での作業、銅山の採掘は400年続いた、その坑道は東京から博多程の距離になるようだ。 

鋼資料館、いわゆる坑道内に展示されているものは・それぞれ年代別に分けられていた。江戸時代、明治・大正時代、昭和時代、と。 

だが私が物心ついたころは寛永通宝は使われていなかった。 私たちが小使いにもらっていたお金は「1銭銅貨」だった。 このお金を使った経験のある人は「太平洋戦争前の子供たち」いま後期高齢者と呼ばれる人たちではないだろうか

 一般的な寛永通宝(1文銭)は江戸末期までは各地で造られていたよだ、足尾で造られたものには足の字が刻まれていたようである。したがって「足字銭」と呼ばれていたようだ。 

何時の世にも、肉体労働に従事するものたちには過酷な条件で働いていたように思われる、 この銅山鉱に働く人たちを見ると、とても人間扱いとは思えない劣悪な働かされ方のように思えてならない。 これが日々の生活(働き方)だったのだろうか?

この足尾銅山は昭和40年頃閉山したと聞いているがどうなのだろうか? 

帰りは予定をはるかにオーバーしていた、午後6時半の予定が、おあしすで解散家に着いた時は8時だった。夜食はコンビニでおにぎりを買って済ませた。 バス旅行ではあったがやはり疲れた一時も早く寝たいと思った。    


和寿へ

2011年09月12日 20時35分02秒 | Weblog

和寿、もしこのブログを見ていたら 一度吉川の家に帰ってくるように!

来ずらいのかもしれないが、一度は帰って来るように。 パパは怒ってはいない、お前が何処に居るのか分からないから心配しているんだ。

電話でもいいかけて来ることを望んでいる。


しばらく振りです

2011年09月12日 13時13分59秒 | Weblog

体調不良やNTT料金不足などでしばらく投稿することが出来ませんでした。暑さに負けてしまったようです。

まだ30度を超える暑さが続きます、そのたけか眩暈がすることがあります。歳を取ったせいでしょうか? 当年82歳・まだまだ負けないつもりで居りますが、少々心身の疲れもでてきているようです。

早寝早起きを心掛けておりますが・・・・・・。たまには脱線することもあるようです。

これからも随時ブログにはお世話になって行きたいと思っています。