ヤーホ、こんにちは。

日々思うこと、笑顔を忘れずに。

疲れる

2009年02月27日 10時36分28秒 | Weblog
昨日弟の死に立ち会って彼の家に行き、家に6時半頃帰ってくる。殆ど吉川市内から出たことのない私には、清瀬、西東京と動いたこの日は疲れがピークに達していた。

二人の息子に弟の死を電話で知らせる。3年の闘病生活で痩せてはいたが静かな寝顔に戻っていた、在りし日の弟の姿だった。お疲れ様、安らかに眠ってくださいと祈る。

軽い夕食を食べ、何をするでもなく、ただ時間のたつのに任せるだけのまま10時を過ぎた。寝なけれはとベットに横になる、いつの間にか寝入っていた。

風邪が戻ってしまったのだろうか、咳がやたらと出るこの咳で目を覚ます。今朝時計を見ると9時を過ぎていた、何時も見ている「だんだん」は終わってしまっていた。一人寂しい朝食をとる。

体が何となくだるい、頭はポーッとしていた。外は雨から雪に変わっている、寒さを凌ぐにも身体を癒すにもベットに入るしかないようだ。

弟が亡くなる

2009年02月26日 19時23分31秒 | Weblog
3年前ほどに肺気腫で手術したがその後の経過が悪く入退院を繰り返していた。1ヶ月前に入院その後の経過もよくならず今日午前10時36分死亡、78年の生涯を閉じた。残念というしかないが、親父の生涯と全く同じというのも何かの因縁だろうか?

私は生まれて間もなく伯母の家に預けられた、小学生の4年生の時・秋の運動会で、見知らぬ伯母さんが私の名を呼び捨てで応援してくれた人がいると、家に帰ってから話したら、たぶんその人がお前の本当のお母さんだといわれた。弟妹も居る事をそのとき始めて聞く事になった。

戦後始めて伯母の家で両親・弟妹と暮らすことになる17歳の頃だった。少年時代の思い出は皆無といってよい。

私が吉川に来て25年、この間に彼が私の家に来た事は1度もない。私のほうが両親の墓参に行くだけの一方通行でしかなかった。いわば縁の薄い兄弟と言ってもよい気がする。

今日電話で弟の危篤の知らせを受けて病院に駆けつけたが間に合わなかった。残念と言うしかない。

風邪を引く

2009年02月21日 18時58分20秒 | Weblog
2・3日前から風邪気味だった、今日パソコン活用に行くか、休むかまよいました。MYBOOKが最終日だったので無理を承知で出席した、結果はやはり良くなかった。

帰って直ぐ病院に行く、診察を受けて薬をもらいかえってきたが今日明日は安静にするように言われた。

本当は明日は歌謡連合のカラオケ発表会があり私は「木曽川しぐれ」を中央公民館で午後2時頃唄う事になっていました、残念だけれどもあきらめるしかない。教えてくれた先生には申し訳ないと思っています。

聴きに行くことさえできない、仲間達の晴れ舞台を見ることもできないなんてなおのこと残念に思えて仕方ありません。今日明日とも寝ているしかないのかもしれないと思うと残念です。

散歩

2009年02月20日 16時45分16秒 | Weblog
今年2回目になる散歩をした、団地からきよみ野の1・2街区を抜けて永田公園を通って帰ってきた。歩数にして4594歩、距離は2.8kmだった。消費カロリーは132kcal。脂肪燃焼量は18gとのことだった。

もっと歩きたいけど私の足が云う事を聞いてくれない、歩き始めて4.5百メートルも歩けば右足の足首から下の感覚が失われてゆく今まで歩けなかった理由の一つでもあった。

それと高血圧、薬は欠かさずのんでいても私の頭の中は蝉時雨でひと時も休む事はない、夜中にこの泣き声で起きる事がある。おきたからと言ってどうする事もできないのだが、そんな時には今習っている演歌を聴くことにしているそのうちに眠くなるのを待つ。

そんな日がほとんど続いている、加齢によることのようで何とも情け無い状態が続いている。暖かくなれば歩く機会も増えてくるであろうと願っている。

カラオケ教室へ

2009年02月17日 18時56分41秒 | Weblog
風邪のために此処2週間ほどは声を出す事ができなかった。この22日に私は演歌「木曽川しぐれ」を歌謡連合の主催する舞台で唄わなければならない、そのためにもと今日思い切ってカラオケ教室に行った。

今日出席したのは6人だった、初めに声ならしに「青い山脈」を全員で3回ほど歌う。そのあと各自自分の持ち歌を唄った。

なんとなく不安があったが唄う事で多少は不安も解消されてゆく、いよいよ私の番が来た時は、音程を2つ上げてもらった。「木曽川しぐれ」を唄う、1曲目は多少不安があった、しかし唄う事によって自信も芽生えてくる、2曲目は不安なく唄う事ができた。

きょう此処に来てよかったと思う、22日には自信を持って中央公民館の舞台に立てる。思い切って唄う事ができると確信している。


MyBookを作る

2009年02月17日 11時27分22秒 | Weblog
きのうMyBookを作った。パソコン活用で写真は入れたもののまだ未完成だったその続きを行なう、と言っても私の作ったものはマイク片手にカラオケを唄っているものばかり単調そのもの。

どうしたら一応見られるものにできるのか?考えてみたもののいい考えなぞ浮かんでこない、ままよどうにでもなれとばかり取り掛かってみた。

何回もやり直してみた、やっと落ち着いたのが、型抜きと背景で整えるしかないという事だった。

それも未知の世界、どんなに仕上がるかできてからのお楽しみという事のようだ。N先生の助けを借りるしかないかもしれない、十分に意見を聞いて仕上げてみたいと思っています。

ひまわりに行く

2009年02月12日 17時47分12秒 | Weblog
今日始めてひまわりカラオケ教室に行ってみた、出席者は10数名だった。定刻授業開始まず発声練習を約20分程行なう、そのあと身体をリラックスさせるための上半身の運動を行なう。

今まで習った歌の復習「会津のおんな」「雨のタンゴ」「女の旅路」を唄う。2分の一音符、全音符、を強くうたうように注意があった。

女の旅路の場合など、冬が来るのにのに、津軽を越えてのて、など声を強く前に押し出すように唄ってほしいなど、意識して唄うようにとのことだった。歌詞の意味を理解して、言葉をハッキリと発音する。

ひまわりカラオケサークルの人達の歌の旨さに感心していたが、此処に来てなんとなく納得できるような気がした。発声練習をきちっとやっている事、身体をリラックスさせる運動を取り入れていることなど、基本的なことを十分に行なっている事だった。

歌に対する取り組み方が違うと思った、指導する方のものの感がへ方の違いを感じている。

今日が2月の最初の練習日、月謝の集金日ということであった。これにあわせて私も入会する事にした。今日からひまわりカラオケサークルの会員になった。

北西の風

2009年02月08日 14時57分45秒 | Weblog
用事で友人の家に行った帰りにカスミまで買い物に行く。まさに行きはヨイヨイ帰りは恐いを体験する事になった、行きは風に押されてスイスイ気持ちよく行くことができた。

カスミの2階へ、書店に寄る。「イラストでわかる図解日本史」が目に付いた手にとって見る、第1章日本文明の誕生の時代 第2章古代天皇と貴族の時代 第3章武士と庶民の成長の時代 第4章 群雄割拠の戦乱の時代 第5章江戸幕府による太平の時代 第6章幕末維新の革命の時代 第7章近代日本の発展の時代 第8章内外の危機と戦争の時代に分かれていた。ある意味ではよくまとめていると興味を持ったので買い求めた、家に帰ってよく見ようと思っている。

この2階のよろず安売り店で爪切りを買う目的で来たのだが寄り道をしてしまった。1階に下りて今日の買い物を済ませる。

帰りに、まず自転車置き場の自転車が強風にすべて倒されていた。かえる方向は西へ向かう、北西の強い風にあおられて自転車に乗ることができなかった。前かがみに自転車を押してゆく,セキ薬品の所で北に方向転換歩き出す、暫らくしてやっと自転車に乗ることができた。

ここでも北西の風はまともに受けるが、住宅が西から来る風をさえぎってくれているので多少は助かっていた。家にはやっとの思いでたどり着いた。苦難の買い物といえるようだった。 

Mybook304を作る

2009年02月07日 17時37分23秒 | Weblog
パソコン活用でMybook304を作る。S先生の指示どおりに操作する、bookが現れてページ毎に自分の好きな写真を挿入してゆく。

私は30ページを希望したので意外と写真の挿入には手間取った、教室だけでは間に合わないので家でもやらなければと、先生に家での起動の仕方を教えて頂いた。

不安交じりにやってみたら何とか出来た。ひまわりカラオケ発表会に参加した人達の写真を最初に入れて行く、最後の10ページぐらいは気ままに挿入した。最終ページは団地カラオケサークルの人達の写真で締めた。

実祭にこのMybookが出来上がったらどんなだろうかと思う。表表紙をどんなものにしようかと悩みは尽きない、いいアイデアがないものだろうか?

カラオケと散歩

2009年02月05日 16時27分13秒 | Weblog
午前中は買い物に行く、午後団地のカラオケ教室に行った。

神野美伽が唄う「汽笛」だった。①何十年ぶりだよな コップの冷酒は 今なら財布 気にせずに 奢ってやれる この俺に 昔の上野は どこにもないが 昭和の路地の 吹き溜まり 酒よ… 酒よ… ひとりぼっちの汽笛だよ ②工場のかた隅の 汚れたアパートも 壊されビルが 立ち並び ドブ板一枚 ないけれど 昔の上野は いい町だった 屋台を引いてた あのオヤジ 酒よ… 酒よ… ひとりぼっちの汽笛だよ。こんな歌だった。

私には神野美伽の歌はあわない、たぶんこの歌をカラオケで唄うことはないだろうと思う。毎月新しい歌を覚えるということは大変な努力を必要とする、年老いた私達にはキツイことでもある。ボケが恐いからみんな付いていってるのではないだろうか。

歌が終わってから、久しぶりに散歩に行く、団地を出てきよみ野の住宅街をぬけてきよみ野富士の横を通り田んぼの中道を通って帰ってきた。約一時間ほど歩く、最近では初めてだった。

右足の感覚がなくなった、やはり右足が弱いのかもしれないと思う。これからも暖かい日には歩きたいと思っている。