ヤーホ、こんにちは。

日々思うこと、笑顔を忘れずに。

SCサークルと団地サークル

2008年06月30日 11時46分16秒 | Weblog
昨日、SCサークルと団地歌謡サークル合同のカラオケを老人福祉センターで行なった。降りしきる大雨の中よくぞ集まったものだと思う。9時半から15時まで、歌う事大好き人間の集まりなので一人2回までしか歌えなかった。

この両サークルを教える講師が阿美さんと、同じ講師だった。そのために本日の企画が成立したことになる。初めてのことだった。

両方の会長の挨拶、私が最高齢ということで乾杯の音頭をとった。

唄いだしは両会長からはじまった、唄う順番はくじ引きで決められた。私は24番だった、最初は「富士」を唄う。次に「絆」を仁科さんと唄った、浮気していると言われない、と彼女は言う。Kさんのことを言っているようだ、そんなことはないんじゃないと答えた。

彼女カラオケ店に勤めているだけに上手だった、私が唄いやすいように歌ってくれる。さすがに・・・・・と思わずには居られない。いつかお店にも伺わなくちゃーと思う。

時さんは85歳、女性では最高齢、それでも歌は正確に唄う。最初は「やぶれ傘」一人で旨く唄う。次はデユエット曲「あずま男と浪花の女」を土井さんとうたった。上手に唄っていた。

SCの方はやはり旨かった。足立さんを筆頭に、佐藤さん他数名、男性も目立った人が数名いた。名前が分からないのが残念、次回の宿題かもしれない。

デユエット曲を歌った人が数名いた、デユエットもまたいいものだとおもう。

点数表示に挑戦されたのは9名、私もその一人、しかもトップにうたう事になった。今月習い覚えたばかりの「周防灘」を歌う。結果は905点ウワースゴイの声がする。9人歌い終えて3番目に入った。

1番は岡本さん132点、歌はおなじみの「堀部安兵衛の妻」せりふ入りのうただった。2番が仁科さん915点だった。900点を越えたのはこの3人だけだった。

SCの方々は900点を越えることは出来なかった。それでもSCの方は旨い。点数とは関係ないようだった。

最後の締めは、点数の多かった岡本さんがおこなった。講師の先生の長寿とSCと団地のカラオケの更なる発展と交流を重ねられるよう祈念して挨拶を終わった。大変立派な挨拶だったと思う。

3時を過ぎていた、いぜんとして雨が降り続いていた。タクシーを呼んで帰る、時さん、青木さん、浅見さん達に便乗して乗せてもらった。

富士を習う

2008年06月28日 20時58分35秒 | Weblog
ももちゃんの誘いを受けて音風に行く。29日に老人福祉センターで朝9時半より、SCサークルと団地歌謡サークル合同のカラオケを行なうことになっている。その練習を兼ねてゆく。

まず「おんな渡り鳥」を歌ったがあまりよくないようだった。次にままさんが「周防灘」を1,2番を歌った、3番をヤーホさん唄ってといわれて、音を1つあけてもらって唄う、これは良かったようだった。

そして、「富士」を2つ上げてもらって唄ったが、その唄い方ではダメと言われる。ままさんと一緒に唄う、そして唄い方を習った。一人で唄ってみた、それでいいのよと言われてなんとなく自信がついたように思う。明日はこの「富士」を唄ってみようと思う。

何と言っても私には、山本譲二の歌は欠かせない。「名もない花に乾杯を」を唄ってみようと思う。わたしのおはこの一つなのだから・・・・。もし更に唄えるならば「花も嵐も」を唄ってみようと思う。

両者合わせて、38名とのことだったから、まず3曲は唄えると思う。午後3時までと言う事で、もしかすると4曲唄えるかもしれない。

PC活用と病院と

2008年06月28日 08時40分35秒 | Weblog
昨日、久しぶりに三郷教室に行く、本土寺のデジカメピクニックに行けなかったので、授業に使う写真に京都旅行の写真をパソコンに取り込む、暗い写真のレベル補正をしてパソコンに保存した。この一連の作業を行なう。この後3日間をかけて写真集を作る。

この活用コースは本当に楽しい、だから長続きするのかもしれない。飽きることなく続けられる。2時間の授業もあっという間に終わってしまう。講師の先生には感謝しています。

午後はマイさんに行く。先日の大腸ファイパー検査のフイルム写真を見る、意外ときれいな大腸の中を見る。良かった何も無くて、と思う。14日分の薬を貰って帰る。

虫に刺されてかゆい、かゆいのでかいたものだからさらに拡がってしまった。そのために田中皮膚科に行く、薬を戴いて帰る。薬を患部に塗る、なんとなくかゆみが引いたような気がする。

これだけで1日が終わってしまった。疲れる、最近は疲れが残るので気になっている。

男の視点

2008年06月26日 17時21分23秒 | Weblog
きのう午後音風にゆく。水曜会はいつも集まりが低調、出席は6名、欠席が5名だった。

出席者のうち2名は新人さんだった。なんとなく盛り上がりに欠ける、それも仕方ない、自ら重鎮と自負している方がお休みとのことだったから。

稽古の最初は「輪島朝市」だった、二人一組でマイクを持って唄う。その後一人で唄う。

この後は今月の課題曲「周防灘」ヤーホさん唄ってと指名される、音を一つ上げて唄った。女の歌はこの方が男は唄いやすい、音程も安定する。歌によっては二つ上げることもある、ただし一人で唄うときに限る。

先日、公民館の草取りを行った。作業終了して館長が挨拶された、その館長の顔を見たとき、水曜会のSさんの顔にそっくりだった。

館長はMさん、名字(みようじ)が違うので全くきずかなかったが、聞いて驚いた、兄弟とのことだった。女性は結婚すれば名字が違って当たり前、だけど男は、同じ名字のまま。

その当たり前のことを忘れていた。男の感覚でしかものを見られなかったということだろうか? なんだか自分の事ながら、滑稽にも思えてくる。

時さん訪問

2008年06月25日 18時57分20秒 | Weblog
朝10時に時さんを訪問した。文章サークルの文集「いずみ」のバックナンバーを見たいと言うので28,29,31,32号を持っていった。特に見たいというのは盛岡へ越していった菊池さんの文章のようだった。

33号に彼は「岩手の冬」と岩手出身の作家、野村胡堂と「あらえびす」、を書いている。此れを見たことがキッカケのようだった。時さん、その友達の工藤さんがともに盛岡の出身のようだった。二人で相談して、古郷のことが書いてあるならということのようだった。

28号には、「九戸政実の乱と南部氏の危機」「南部の武将北十左衛門の処刑」を。

29号には、岩手県出身のバレリーナー、小牧さんの「皇居の清掃奉仕と小牧バレエ団」風さそふ 花よりもなを我はまた 春のなごりを いかにとかせん、の辞世の句を残した浅野匠頭で知られるように、「田村藩と忠臣蔵」を書いている。」

31号では「歌は世に連れ世は歌に連れ」で「北上夜曲」誕生エピソードなどを書いている。そして「セミの鳴き声聞かない盛岡」

32号では、「2007年盛岡の夏」「故里の歴史と川端康成」を書いている。これらの主題はすべて岩手であり盛岡になっている。

彼はかって吉川団地の4街区14号棟に住んでいた、その関係で文章サークルの会員になっている。私より遥かに先輩であり、教えられることも多い、良き先輩をもったと思っている。時さんと工藤さんはこの文章が欲しかったようである。かなえられて良かったと思う。

沖縄戦

2008年06月24日 09時11分23秒 | Weblog
きのう調子が悪く書くことが出来なかった、今日改めてかいてみたい。
昨日6月23日は沖縄の戦争が終結して63年になる。4人に1人がその犠牲者になったと言われている。
今年の初め、「集団自決」をめぐって大きな問題になった、歴史教科書の改ざん問題など、沖縄戦の真実をゆがめる動きがあった。

大東亜戦争は正しかったとする人たちがいる。沖縄戦に限らず、太平洋戦争を、その真実を正しく認識することが現在最も重要ではないかと思う。

なにが真実なのか、検証することが今求められているのではないだろうか。タブーなき論議が必要不可欠。今こそ太平洋戦争の国民の合意が必要だろう。

戦争体験者が少なくなってゆく現在、体験者の真実の声を記録して行きたいと思う。沖縄戦、最後の激戦地となった糸満市摩文仁に建つ「平和の礎」の前で、沖縄戦全戦没者追悼式が正午から開かれていた。県知事は平和宣言のなかで戦争の真実を伝えたいと言っていた。参列者の一人が「平和の礎」の中の名前をみると涙が出てくると言っていた。

かってマッカーサーによって戦犯として処刑された7人、東條英機、広田弘毅、土肥原賢二、板垣征四郎、木村兵太郎、松井石根、武藤章、だけだったのか?マッカーサーはこれで終止符をうった。

いささか疑問が残りはしないか。本当の戦争犯罪人は誰なのか? 私は真実が知りたい。

戦争のない、恒久平和こそ願っている。

疲れた

2008年06月21日 20時38分14秒 | Weblog
昨日の大腸検査ですっかり疲れてしまった。身体がだるい、こんなはずではなかったのにと思っていたが、やはり年齢のせいだろうか?1月に肺炎を患いそれからなんとなく弱ってしまったような気がする。情け無いと思う。

今月は民謡も、パソコン活用も休んでしまった。やりたいことが沢山あるのに、へこたれてはいられないと思いながらも、欠席してしまっている。残念で仕方がない。

いま取り掛かっている外壁の塗装も、遅々として進まない、遅れるばかりだ。ベランダに並ぶはずの植木も部屋のなか一杯になっている。いまが成長期なのにと思うと、情け無い早く外に出してやりたいと思えどもママならず、何とも手のうち用がない。

本当ならば5月一杯で工事は終わっているはずなのに、と思うと腹立たしくなる。
余すと所は、ベランダの手すりの塗装だけのように見えるのだが、早くかたずけて欲しいと思う。早く「完了しました」という声が聞きたい。

大腸検診

2008年06月20日 19時33分18秒 | Weblog
今日、大腸のファイバー検診を3時半から行なった。そのために早朝7時からマグコロールP100gを1800mlの水に溶かして1時間かけて飲んだ。
この薬以前ほど飲み難いとは思わないが、やはり飲み難かった。そして大腸をからにすることになる。トイレに何回も通った。

検査時間の20分前に病院に行く、検査着に着替えてレントゲン室に入る。台の上に乗って右腕に麻酔薬を注射される。少し頭が朦朧となる、横向きにされ検査が始まる。一瞬痛みを感じたものの、後は何ともない。数分後、終わりました。と言う看護師さんの言葉でわれに返る。

看護師控え室に連れてゆかれ、ベットに寝かされる。30分ほどして起こされる。私服に着替えて診察室前で待つ。

程なくして医師に呼ばれ検査の説明を聞く、悪いものは見つかりませんでした、良かったですね。ということで大腸は無事OKでした。まずはひと安心ということでしょうか、不安解消でこれからは元気が出るだろうと思う。

音風へ

2008年06月17日 17時25分09秒 | Weblog
ひまわりの発表会の写真を昨日プリントした、今日音風の稽古に持ってゆく。良く撮れていると自分でも思う出来栄えだった。篠田先生も良く撮れているねと言ってくれた。

そうこうしているうちに四ノ宮さんも来た、昨日の発表会のこと、その後のひもわりの打ち上げのことなど、そのウチワ話など話してくれた。

9年前、愛好会から独立して、ひまわりを立ち上げた経緯は篠田先生が話してくれた。

四ノ宮さんが協力者として尽力した事など、会の運営を会長として長年にわたって行なったことなど。四ノ宮さんの立場が漸く分かってきた、ご苦労されたことだと思う。

今では吉川の最大のカラオケサークルになっていると言っても過言ではない。る美さんも、ないがしろにはできない間柄のようだ。

音風では気軽に唄えるということに、ここに訪れることのようだ。また、先生と友達ということもあるようだ。

このカラオケ協会にもいろいろ葛藤があるような気がする。じっと見守って行きたいと思う。

ひまわりカラオケ発表会

2008年06月16日 15時23分54秒 | Weblog
きのう第4回ひまわりカラオケ発表会が交流センター・おあしすの多目的ホールで午前10時30分開演、午後5時まで行なわれた。

協賛する友好団体は、カラオケ愛好会、撫子会、団地歌謡サークル、SCサークル、音風カラオケ教室、雅、澤、あすなろ、てるてるぽうず、など9団体と舞踊・華扇流艶美末会などだった。

愛好会の会長・神山さんの祝辞からひまわりの歴史の一端を知ることができた。発足は9年前とのことだった。

今回も私は出さしていただいた、音風から5名が参加した。kさんとデユエットで夫婦海峡を唄わせて戴いた。先生からは○だねといわれた。

今回は風邪で苦しんでいる、稽古の時から喉に違和感を感じていた。そのままこの日を迎えてしまった。仲間達からは良かったよ、と言われホッとしている。

今回も音風、団地、ひまわりの仲間達の写真をデジカメで撮る。25名ほどを撮る。

終了後、音風の打ち上げに15名ほどが参加した。始めて見る若いグループも参加していた、溌溂として唄う彼女達の姿に注目が集中していた。天真爛漫で物怖じしない、嫌味がないところがいい。その姿には好感が持てた。

朝10時から夜10時まで、好きなこととはいえ長時間にわたって神経を集中していることは疲れる。家に帰って風呂にも入らず寝てしまった。