ヤーホ、こんにちは。

日々思うこと、笑顔を忘れずに。

カラオケ教室とコスモス会

2007年08月31日 11時04分04秒 | Weblog

団地カラオケ教室は21名が参加、講師に前会長の阿美さんがなっている。勿論資格を持っている。毎月新曲を教えてくれる。今日は各個人が自由な選曲で歌える事になっていた。

テープ持参で好きな唄が唄える。全員参加と思いきや15人の参加だった。私は絆を仁科さんと、櫂を尾崎さんに唄ってもらった。もし唄う人がいなかったら釜山港へ帰れを唄うつもりでテープを用意していた。幸い唄えたのでよかったと思う。

 3時間後にはコスモス会の集まりがあった。文章を書く人たちの集まりで、気心の知れた者たちだった。

この吉川に来てこの人たちと出会えたことを嬉しく思う。人のことを何くれとなく気使ってくれる人たちでもある。世間話を、最近の出来事を、自分の考えをそれとなく話し合う。

2,3ヶ月に1度集まるようにしている。5時から9時までアットいう間に過ぎてしまった。またの日を楽しみに解散した。


内閣支持率

2007年08月29日 17時15分55秒 | Weblog

きょうの毎日新聞を見る限り、一昨日発足したばかりの内閣支持率はかなり厳しい。こんな事は克ってあっただろうか?内閣支持33%、不支持52%。内閣を見る国民の目は覚めているという事だろうか。

そして7割の方が長期政権を望まないと答えている。その原因はなんなのか?

アメリカの下院では「慰安婦問題を取り上げ、日本政府に謝罪するように要求、決議している」 これを真摯に受け止めるということはなかった。政府はいぜんとして慰安婦問題はなかった。という立場をとり続けている。

そればかりではない、沖縄戦で、軍の集団自決の命令はなかったとの立場をとり続けている。なぜ手榴弾が市民の手に渡っていたのか、不思議には思わないのだろうか? 民間に手榴弾などあるはずはない。などなど、国民が疑問に思うことがあまりにも多いのではないか。

入閣した人たちの言動にタカ派といわれる人たちがあまりにも多いのではないか?そんな気がしてならない。大東亜戦争は(太平洋戦争)は正しかったとすろ人たち。歴史の真実を見直してみてはいかがといいたくなる。

世論調査ならずとも長期政権は望みたくない。政権の交代こそ望みたいものだ。


内閣改造

2007年08月28日 21時44分08秒 | Weblog

安倍改造内閣はきょうの夜、皇居での認証式を経て発足した。その顔ぶれは次の通りである。

  総理。 安倍 晋三 52 無派閥 衆議院5回 山口4区
  総務。 格差是正 増田 寛也 55 初 民間
  法務。 鳩山 邦夫 58 津島派 衆議院10回 福岡6区 
  外務。 町村 信孝 62 町村派 衆議院6回 北海道5区
  財政。 額賀 福志郎 63 津島派 衆議院8回 茨城2区
  文部科学。 留任 伊吹 文明 69 伊吹派 衆議院8回 京都1区
  厚生労働。 舛添 要一 58 初 無派閥 参議院2回 比例
  農林水産。 遠藤 武彦 68 初 山崎派 衆議院6回 山形2区
  経済産業。 甘利 明 58 初 山崎派 衆議院8回 神奈川13区
  国土交通。 冬柴 鉄三 71 留任 公明党 衆議院7回 兵庫8区
  環境。 鴨下 一郎 58 初 津島派 衆議院5回 東京13区
  防衛。 高村 正彦 65 高村派 衆議院9回 山口1区
  官房、拉致問題。 与謝野 馨 69 無派閥 衆議院9回 東京1区
  国家公安、防災。 泉 信也 70 初 二階派 参議院3回 比例
  沖縄・北方、科学技術。 岸田 文雄 50 初 古賀派 衆議院5回 広島1区
  金融、行革。 渡辺 善美 55 留任 無派閥 衆議院4回 栃木3区
  経済財政。 太田 弘子 53 留任 民間 
  少子化、男女共同参画。 川上 陽子 54 初 古賀派 衆議院3回 静岡1区 

以上の方々が2007年8月27日認証された。今後の行政を担当される。

 


選挙結果

2007年08月27日 09時56分54秒 | Weblog
きのうの選挙の投票率は埼玉県知事選挙の過去最低とのことだった。結果は27.67%でした。10人の内3人弱の人の投票とは情け無い。
 埼玉知事選(開票率100%)
 当1,093,480 投票率 70,90% 上田 清司=無現②
     386,727   〃   25,28%  吉川 春子=無新
      57,807   〃    3,81%  武田 信弘=無新  

 では吉川市の選挙結果はどうだったのだろうか? 
   上田 清司氏 7,958票 投票率 67,71% 
   吉川 春子氏 3,442票   〃  29,28%
   武田 信弘氏   353票   〃   3,01% となっている。

上田清司氏は無所属とはいえ、オ-ル与党ともいえる自民、公明、民社の支持をうけて選挙を有利に戦っていた事を考え合わせれば当然の結果といえよう。

知事選挙

2007年08月26日 22時33分48秒 | Weblog

埼玉県の知事選挙投票日、7時から行なわれている。私は12時30分頃投票所になっている関小体育館に行く。

正門を入って体育館に行くまで誰ともあうことはなかった。投票所には誰も投票する人はいない。私一人が受付をしているだけだった。

投票用紙を貰って所定のところで、立候補者の名前を書き、投票した。この間誰も投票に現れない。投票所は閑散としている。こんな選挙は全くはじめての経験だった。

投票を済ませて帰る方向に向かう途中に、西の通用門から二人投票に来られたと思われる人にあっただけだった。

私を含めてこの方達と3人が、この時間に投票したことになる。この投票所から関小の正門まで150メートルはある。正門を出るまで、誰にも会わないし投票にきたのではないかと思われる人らしい方にも逢う事はなかった。

何と言ったらいいのだろうか? あまりにも閑散としている。これで選挙なのだろうかと疑いたくなる。ただ唖然とするばかりだ。・・・・・・・・。


高校野球

2007年08月23日 10時19分55秒 | Weblog

昨日高校野球の決勝戦が甲子園球場で行なわれた。対戦したのは広島・広陵高校と佐賀・佐賀北高校。

広陵は2回と7回にそれぞれ2点を取る。しかし佐賀北は8回4球押し出しの直後副島の満塁ホームランで逆転した。これが決勝点となって優勝を成し遂げた。

打席は佐賀北の副島、高めのスライダーを強振、逆転満塁ホームランとなる。このあと9回を久保が締め、栄冠に輝く。

副島はインタビュの中で、野村君は唯一の失投だと思う。と相手投手をたたえていたことが印象に残る。野村は7回まで1安打ピッチングだった。

今年の高校野球は特待制度問題に揺れた。376校、約8000人の選手が学費免除などを受けて、日本学生野球憲章違反とされた。そんな年に4081校の頂点に立ったのは、特待制度や野球留学とは無縁の県立校だった。18人全員が地元中学の出身だった。(毎日新聞の報道より)

普通の子でも基礎技術の徹底で、やればできる。ことの証明ではないだろうか。

 


航空機事故

2007年08月22日 16時57分26秒 | Weblog

20日の那覇空港で起きた、中華航空のボーイング737型機の炎上はNHKの朝のテレビを見ているときに起きた事故だった。滑走路から誘導路を廻って駐機場に到着したところでの事故だった。

右側のエンジン付近から煙が上がりその直後に炎が見えた、シューターで脱出する乗客の姿は落ち着いていたように見える。その直後に爆発、黒い煙と炎が高く上がる。乗員乗客165人は無事脱出したことが確認できた。

航空機事故をテレビで見るのは初めてだった。スゴイと思う。乗員乗客が無事だった事が何よりだった。何故このような事故が起きたのか?その究明は事故調査にゆだねるしかないが、これからますます増えるであろう飛行機の利用をより安全に利用できるように調査究明して欲しいものだと思う。

事故のすさまじさをまともに映像としてみて、わずかの間に燃え尽きる飛行機にあらためて、そのすごさに恐怖を感じた。それも一瞬の出来事でしかなかった。御巣鷹の尾根に激突して多数の犠牲者を出した、あの事故を思い出させるものだった。


センター寄り日

2007年08月20日 15時41分53秒 | Weblog
今日10時から15時まで、団地、土飯半、吉川東の3地区の老人福祉センターの寄り日だった。一日カラオケや踊り、誰とはなしにおしゃべりをする。大勢の人の顔を見るのも、また良きかなと思う。殆んどの人が楽しいひと時を過ごしたのではないだろうか。

今日は土飯半の佐藤さんと絆を唄う。いつも一緒のご主人は今日は家にということだった

9月に行なわれる連合長寿会の運動会の輪踊り、3地区の人々の練習風景。団地の人たちが多く参加している、会長がまず先頭に・・・・・

佐々木さんは晩年になってから踊りを習い始めた。今は市の催しなどで踊る、上達も早いがその熱心なことに目を見張るばかりだ。

最近はカラオケを楽しむ人が多い、まず唄えない人はいない。教室に通う人も多くなっている。あるいみで社交的な人が多いこともあるようだが、この人たちにウツやボケはいない。快適な人たちばかりだと思う。

たが、此処にこれない人たちをどうするか? 主立つ人は考える必要があるのではないか。 永遠の課題かもしれないが、とにかく長寿会の幹部の人たちには課題として受け取って欲しいものだと思う。






カラオケと送り火

2007年08月17日 15時35分21秒 | Weblog

昨日カラオケNANAにKさんと行く。9月のカラオケ発表会に絆を唄うことになっているので、間違えなく唄えるようになりたい、そんな想いから行くことになった。

絆、櫂をほぼ中心に、それぞれ好きな歌を織り交ぜて唄う。暑さからの逃避をかねたものになったようだった。

やはり外に出てみると暑さが身に染みる。この日熊谷では40.9度の74年ぶりの記録だったという。越谷でも40.4度だったようだ。隣接するわが街はやはり猛暑だった。うだるような暑さに身の置き所はない。

梅干をつぶして砂糖を少し入れて水を注ぎ飲むと、少しはスーとした気分になれる。わずかだが暑さしのぎになる。

夜は京都五山の送り火をテレビで見る。それぞれの寺の檀家の人たちの活躍と祈りを捧げる京都の人たちの姿を見る。

京都五山にともされた送り火、大、妙法、舟形、広沢の池から見た鳥居形勇壮にして優雅さを留める送り火。こころのふるさとかも知れません。


終戦62周年に

2007年08月15日 15時46分40秒 | Weblog

62年前のこの日、私は中島飛行機(株)田無製作所にいた。正午に重大なお話があります、鋳造工場前の広場に集まりなさい。ということで昼食前に集まった。そしてラジオから流れる独特の節回しで詔書を読む昭和天皇の声を聞いた。

最初は何を話しているのか理解できなかった。大人達が呆然としていることに何か大変な事が起こったのだと知る。

そのうち日本は負けてのか?とささやく声が聞こえる。ジリジリと照りつける太陽の下で立ちつづける厳しさと、甲高い声で鳴くせみの声に苛立ち、この国がどうなってゆくのかさえわからず。みんながただ呆然と立ち尽くしていた。

みなさん職場に戻ってください後ほど指示があります。という放送に従い職場に戻る。弁当を食べる意思さえなくしていた。茫然自失ということはこのようなことなのかと思う。先々のことはまったく読めなかったし、身の置き処を知らずという状態だった。

ただ一つだけ実感できた事は、アメリカのB29の爆撃にあわずにすむということだった。連日連夜の爆撃と艦載機のP51の機銃掃射から免れることの喜びがわれわれには大きかった。

この生まれ故郷にいても戦地にいることとさほど違いはないのではないかと思われるほど、痛めつけられていたという事ではないだろうか。 19年頃からは日本の飛行機なんてまったく見ることは出来なかった。アメリカの飛行機にやりたい放題にやられていた事が実感だった。

多分多くの方が敗戦を喜んでいたのではないだろうか。軍部の横暴と憲兵や特高警察の横暴が身に染みていたこともあったろう。二度とこんな時代の来る事は御免だと思う。

日本だけでなく世界が、右傾化しているように見える今日だからこそ、危惧せざるを得ない。そんな状況に思える。