ミロク文明

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コノ世は物(モノ)と事(コト)

2012-11-22 23:19:37 | コノ世の隠れた一面【1】
・本居宣長研究ノート「大和心とは」・・の記事http://yamato-gokoro.com/
  *本居宣長 Wikipedia (もとおり のりなが)1730年6月21日(享保15年5月7日) - 1801年11月5日(享和元年9月29日)は、江戸時代の国学者・文献学者・医師。名は栄貞。~
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*コノ世は物(モノ)と事(コト)
本論 : 第一回「物とは」の巻 

口語
「禊祓(みそぎはらい)というのは、身体の汚垢(けがれ)を清めることであって、心を祓い清めるというのは、外国(とつくに)の意(こころ)に外ならず、わが国の古代では、そのようなことは決してない。
(中略)とにかくも、何事でも心の観点のみによって、理非善悪を裁定することは、私事(わたくしごと)に属することである。」

注釈
ここで宣長(のりなが)は、神道の根幹の一つである「禊祓(みそぎはらい)」というのは、ひたすら身体を清浄にすることであり、禊祓の対象になるのは、あくまで「物」としての身体に外ならないといっています。
我が国古代において、禊祓は、「心」を清めるために、行われたものではないのです。

ところで、「物」は、身体のみではありません。宣長によれば、実に世界とは、様々な「物」によって構成されている場のことなのです。

それでは、宣長のいう「物」とは、一体何なのでしょうか。また、「禊祓(みそぎはらい)は、何よりも心を清めるためである」という見方は、何故「私し事」となってしまうのでしょうか。

この宣長の言葉は、短いですが、とても射程の深い言葉だと思います。
特に、心の浄化を何よりも重視する仏教的世界観を、根底から揺さぶるものといってもよいでしょう。

今回は、以上の疑問提起にとどめて、次回から、具体的な説明に入りたいと思います。
最終的に、宣長のいう「物にゆく道」(直毘霊)の端緒に、何とかたどり着ければと思います。

補足
参考までに、国語における、「物」と「事」という言葉の一般的な意味を、以下に概説しておきます。(岩波古語辞典より引用)
・物(モノ)

 形があって手に触れることのできる物体をはじめとして、広く出来事一般まで、人間が対象として感知・認識しうるものすべて。
コトが時間の経過とともに進行する行為をいうのが原義であるのに対して、モノは推移変動の観念を含まない。
むしろ、変動のない対象の意から転じて、既定の事実、避けがたいさだめ、不変の慣習・法則の意を表わす。

また、恐怖の対象や、口に直接のぼせることをはばかる事柄などを個々に直接指すことを避けて、漠然と一般的存在として把握し表現するのに広く用いられた。
人間をモノと表現するのは、対象となる人間をヒト(人)以下の一つの物体として蔑視した場合から始まっている。
 
・事(コト)
 古代社会では口に出したコト(言)は、そのままコト(事実・事柄)を意味したし、また、コト(出来事・行為)は、そのままコト(言)として表現されると信じられていた。
それで言と事とは未分化で、両方ともコトという一つの単語で把握された。
従って奈良・平安時代のコトの中にも、言の意か事の意か、よく区別できないものがある。

しかし、言と事とが観念の中で次第に分離される奈良時代以降に至ると、コト(言)はコトバ・コトノハといわれることが多くなり、コト(事)と別になった。
コト(事)は、人と人、人と物とのかかわり合いによって、時間的に展開・進行する出来事、事件などをいう。
時間的に不変の存在をモノという。後世コトとモノとは、形式的に使われるようになって混同する場合も生じてきた。


本論 : 第二回「事(こと)とは」の巻 

口語
「そもそも意(こころ)と事(こと)と言(ことば)とは、皆互いにぴったりと合う物で、上代(古代)は、意も事も言も上代、後の代は、意も事も言も後の代、漢国(からくに=中国)は、意も事も言も漢国である。(中略)

この古事記は、いささかもさかしら(漢意)を加へずに、古代より言い伝えられたままに記されているので、その意(こころ)と事(こと)と言(ことば)も、互いにぴったりと合う物で、皆上代の実(まこと)そのものである。」

注釈
人が自己の心情のみを問題にするのであれば、そこで必要とされる概念は、「心」と「言」だけで十分でしょう。
しかし、この「心」と「言」だけで、形づくられるモノローグ的な唯心世界は、自己の心象世界に外ならず、何ら具体的対象(他者)を伴った事象の世界としては、立ち顕れて来ません。

また、逆に、自己の心情とは無関係に、事物として客観的に存在する物質や抽象概念のみによって、形づくられる唯物世界や概念世界は、現に我々が生きている世界としての、生き生きとした情感と肌ざわりを、全く感じさせません。

本居宣長は、この個の心象のみに基づく唯心世界を、いかに具体的な事象の発現する世界と成すか、また、物質と概念の羅列に過ぎない無機的な唯物世界を、いかに我々に近しく、血の通った世界と成すか、これらの問題の解決に、一つの高次の地平を切り開きました。

そして、このために、宣長によって発見されたのが、「事」によって世界を構築するという道でした。
それでは、そもそも「事」とは何でしょうか。

まず、宣長のいう「事」を分析すると、次の二つの意味があることがわかります。


1.「事」とは、行い、行為、行動のこと。つまり、「心」が発動し、次に、それに基づき「言(ことば)」が発動し、次に行為すなわち「事」が発動するということです。
そして、上記の文で、心と言葉と行為が相かなう(一致する)状態を、「実(まこと)」と言っています。
「実(まこと)」とは、俗に言われているような、「善一筋」や「真理のみ」といった意味でないことに、注意が必要です。

2.「事」とは、生起した出来事、事実、また事の有様(事柄)のこと。(物も、そこに存在しているという事実において、すでに「事」である。)
「世界」とは、すなわち「事」の集積体のことであるといえます。


「事」の世界においては、たとえ自分一人の心理上の「事」だからといって、客観的に起こった出来事(事件)と比べて、事としての重みが少ないということはありません。

(→唯物論的見方の否定)。また、その逆も然りです。(→唯心論的見方の否定)

重み付けの基準は、唯一「事」と「心」の接触による感応の度合いの大小です。

そもそも宣長によれば、我々人間が実際に生きているのは、客観的な出来事が、弁証法的に連続していくだけの唯物的な世界ではなく、また、主観的な心象上の出来事が、感情を伴って連続していくだけの唯心的世界でもありません。


「事」と「心」が接する刹那に生じ、一瞬一瞬刻々と生まれに生まれ、成りに成りて、多種多様、あらゆる形に変化しながら、不断に展開し続ける「事」の世界に、我々は「事」顕現の過程すなわち通路として存在しつつ、同時に「事」そのものとして生きているのです。

そして、「事」に接した刹那、「心」の内に結晶した「或るもの」を、「情」と名付けました。

この「情」は、「事」をそのままに受容し「もののあはれ」を知る、あくまで受動的な機能を持ったものと位置づけられています。


さて、ここに、いよいよ有名な「もののあはれ」が出てきましたが、詳細は後段にゆずります。

今回は宣長の説く「事」について、そのほんの入り口の部分を、大まかに説明してきましたが、前回に取り上げた「物」の正体とは、実はこの「事」に外なりません。

つまり、宣長の歩もうとする道は、「物にゆく道」(直毘霊)とも、名付けることができるのです。
そしてここで、やや結論的に、「事」(=「物」)を説くならば、以下のようになるでしょうか。


こころ(心)は、ことば(言葉)となり、言葉は、「こと(事)のは(発=発端)」となる。事(こと)は、このように生まれ続ける。
ここにおいて、「言(こと)」と「事(こと)」とは一体となる。言葉の響き、すなわち言葉の振り(=言霊)の中に、対象すべては、紛れもなく「事(こと)」として存在している。


それでは、このような「事」を、そもそも成り立たせている根拠とは、一体何なのでしょうか。
宣長によれば、正にこのように思考すること自体が、「漢意(からごころ)」と名付けられた思考方法に外なりません。

そして、この漢意(からごころ)こそが、「事」を「事」として、そのままに受容することを、妨げているというのです。


本論 : 第三回「漢意(からごころ)とは」の巻
注釈
ここで宣長は、「事」の背後に、何らかの、我々に了解可能な論理に基づいた原理・原則を、無意識的に求めてしまう志向性を、漢意(からごころ)としているのです。また、次のようにも言っています。


生かして頂いて ありがとう御座位ます


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弥勒菩薩 論・A・

2012-11-20 20:54:21 | 弥勒菩薩論
*弥勒菩薩論【A】 (シュタイナーと出口王仁三郎の一致-[Ⅰ])の記事
  
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ルドルフ・シュタイナーと出口王仁三郎の符合「概 要」
  はじめに 目次

地球の救い方・・・R.シュタイナーの人智学に学ぶ「リスト」
第一章 シュタイナーの弥勒菩薩の講義に符合する出口王仁三郎の足跡     
 ・シュタイナー(1911年9月21日 ミラノでの講義)
・・・知性と美意識と徳性が人間の魂的生活の中に現れてくる過程を把握するために、もう一度、第五、第六、第七、後アトランティス文化期【1】について考えてみましょう。
■コメント:
■【1】第五、第六、第七、後アトランティス文化期について
 ◇シュタイナーによれば、現代とは、遊星の7段階における地球期の、7小循環における後アトランティス時代の、7区分における第五文化期に当たります。
*ルドルフ・シュタイナー - Wikipedia

 ◇ 一方、出口王仁三郎は、1871年(旧歴7月12日)(新暦:8月27日)生まれで、新暦1928年3月3日、”満56歳7ヶ月”に『みろく大祭』を行なっています。さらに、新暦1948年1月19日、”満76歳5ヶ月”で昇天しています。
これは、1928年から1948年の間に出口王仁三郎が弥勒菩薩として神業の型を示したものであるとされています。
*出口王仁三郎 でぐち おにさぶろう、新宗教「大本」の二大教祖の一人- Wikipedia

仏教において、弥勒菩薩は56億7千万年後に弥勒仏となるとされており、弥勒が菩薩から仏の階位になる型として、5・6・7という数字は、深い霊的意味を秘めています。そして、王仁三郎は、五六七をミロクと読んでいます。
  
 ◇ 五・六・七の数字の示す意味は双方では違いがありますが、ここでは、双方が、弥勒菩薩と五・六・七という数字に、深い意味を暗示していることを心に留めておいて下さればと思います。
 

* 現在の第五文化期に於いて、道徳的な行為に喜びを感じないとしても、知力が損われることはありません。
第六文化期に於いては様子は全く異なってきます。紀元三千年頃から、悪徳は知能を崩壊させるようになります。

知的でありながら不徳である人間の心的能力は、どんどん退化してゆきます。道徳を顧みない人間は全く知力を失った人間になります。
知が全く「徳」に基づくものになるからです。第七文化期に於いては「徳」を有しない知は存在することができなくなります。【2】・・(途中、省略)

■【2】第六、第七文化期における道徳と智の関係について
 ◇ シュタイナーは、一つの文化期が約2160年単位(黄道十二宮と春分点の周期)で、進んでゆくとしているので、第四文化期(牡羊座文化)から第五文化期(魚座文化)に移行したのは西暦の1413年頃だとされています。よって、
       第五文化期(魚座文化) は、1413年頃からの約2160年間、
       第六文化期(水瓶座文化)は、3573年頃からの約2160年間、
       第七文化期(山羊座文化)は、5733年頃からの約2160年間、
と、推定されます。そして、
       第五文化期は「知的でありながら不徳である人間が退化してゆく時代」
       第六文化期は「道徳を顧みない人間は全く知力を失った人間になる時代」
       第七文化期は「徳を有しない知は存在することができなくなくなる時代」
であると説明しています。

 ◇ 一方、出口王仁三郎は、『ミロクの世』について、「善い事をすればよくなり、悪いことをすれば悪くなる世を称してミロクの世と云うのである。

今までの世は悪いことをしても旨く世間を胡麻化すことが出来れば立身出世も出来るし、善い事ばかりをして居ても、虐げれられ苦しめられ悲惨な境遇に泣かれなければななぬものも数多くあった。これは悪魔の守護する世であったからである。

ミロクの世になってからは最早かかる不合理は許されない。善い事をすればどんどんよくなり、悪い事を企つれば片っ端から打ち砕かれ、悪の思わくは一つも立たぬ正しい世の中になるのである。」と述べています。
 また、『ミロク三会』の説明の中では、「ミロクの三会の世は、言心行一致の神の表わるる聖代を云うのである。」と語っています。

 ◇ 「ミロクの世」の世界観については、言葉と精神と行動が伴った道徳に貫かれた世界であるという点において、双方の観点は非常に類似していることが解ります。


*・・第四後アトランティス文化期に初めて、キリスト存在は宇宙の高みから下って、肉体の中に現われました。現在の第五文化期に於いて、人間は知力を強化することによってエーテル的形姿を見ることができるように進化した人々が、1930年代から1940年代にかけて地上に現われます【3】。
■【3】進化した人々が1930年代から1940年代にかけて地上に現われることについて
 ◇ シュタイナーは、第五文化期において、1930年代から1940年代にエーテル体に存在するキリストを見ることが出来る人々(高次の見霊者)が、地上に出現すると述べています。自身でもゴルゴダの秘蹟を見霊できたシュタイナーが、どうしてこのように語ったのでしょうか?

それは、第一に、当時の神智学協会が新たな結社『東方の星』を結成し、インドの少年ジダ・クリシュナムルティをキリストの再来であるとしたことが誤解であることを指摘したと考えられます。その後、クリシュナムティは、1929年に「星の教団の解散宣言」してしまったのです。*ジッドゥ・クリシュナムルティ - Wikipedia
そして第二に、これとほぼ同時期に、もう一つ注目すべきことが日本で起っています。それが、出口王仁三郎の行動です。
 
 ◇ 先にも説明しましたが、出口王仁三郎は、1928年(満56年7ヶ月)に『みろく大祭』を行ない、1948年に満76歳5ヶ月で昇天しているのです。。みろく大祭ってから昇天するまでが、1928年~1948年ということで、シュタイナーのエーテル次元に存在するキリストを見るとされる1930年代~1940年代という区切りにほぼ一致しているのです。
 ◇ したがって、シュタイナーの預言した”1930年代から1940年代”に地上に現われる進化した人々とは、出口王仁三郎とその仕組みを担った人を示していると考えられるのではないかと思うのです。


*今から後三千年の間に、多くの人々がエーテル的なキリストを見ることができるようになり、三千年後には、福音書やキリストの生涯の記録を必要としなくなります。その人たちは魂的生活の中に現実のキリストを見るからです【4】。
■【4】『紀元三千年』と『今から三千年後』の文化の違いについて
 ◇ ここでは、”三千年”という言葉が非常に多くでてきますので、多少、補足しておきたいと思います。
シュタイナーは、紀元3000年、つまり現代から約1000年後の第五文化期の終わり頃には、「悪徳は知能を崩壊さえてゆく」としています。
要するに、道徳を顧みない人間は、動物的な本能のままに動く野獣と化してゆくと考えられます。(この問題については、黙示録の666に関わることなのですが、ここでは省略します。)

一方、3000年後とは講義のなされた1911年頃から3000年後ですので、紀元4911年頃ということになり、第六文化期の中期を示すことになります。(【B】の【7】を参照のこと)

 ◇ 出口王仁三郎が神業によって型を示した舞台は、1892年、京都府綾部市の大本の開祖である出口直に艮の金神(国祖・国常立尊)が神懸り、お筆先として神示を綴ったことによって始りました。

この国祖・国常立尊は、大地を修理固成された神であり、この時まで三千年にも渡って退隠されてきたとされています。王仁三郎は、『三千年に実る桃』と題して、「三千年に初めて実る桃と云うのは、艮の金神様の事である。」としています。
   
 ◇ よって、人智学でいう地球期の全七文化期という人類の霊的な運行とは別に、三千年単位で運行する神界の仕組みがあるということが、双方の”三千年”という言葉に共通していることが解ります。
ここでは、三千年という言葉を覚えおいていただければ、後でその重要性が解ると思います。


* 第四後アトランティス文化期には、キリストが肉体に受肉したので、人々は肉体的なキリストしか見ることができなかった、ということをはっきり理解するひつようがあります。
現在の文化期に於いて、紀元三千年にかけて徐々にエーテル的なキリストの姿が見られるようになります、キリストが再び肉体の中に現われることはありません【5】。・・(途中、省略)

■【5】キリストが再び肉体の中に現われることはない、ということについて
 ◇ シュタイナーは、キリストは第四文化期に肉体を持ったナザレのイエスに三年間貫いた存在としており、第五文化期にはエーテル体、第六文化期にはアストラル体に、そして第七文化期には人類の偉大な魂の集合体の如き力強い宇宙自我の中に出現すると語っています。

 ◇ 出口王仁三郎は、『キリストの再来』と題して、「(ナザレのイエスに対する酷評を述べた上で)・・・自分の謂うキリストはそんなつまらぬ貧弱なものではない。霊肉体共に安心立命させ、人類の生活に向って、も少し活動力のあるものである。

大本人の中には自分をナザレのイエス、キリストに擬するものがままある様だが、実に迷惑千萬である。自分が嘗て霊界物語に説いたキリストとナザレのイエスとは全然別人であることをここに言明しておく。」と述べています。

 ◇ 以上より、王仁三郎は、第四文化期のナザレのイエスの(三年間ではなく一生の足跡ついて、これを”貧弱”であるとしているので、王仁三郎の云うキリストとは、自我界に現われる次元のキリスト存在であると推測できます。


*・・仏陀の階位は物質界に於いてのみ到達し得るものです。死後キリストに出会うことのできる魂も、物質界に於いてのみ獲得できるものです。菩薩は物質界に受肉し、そこで仏陀の階位へと上昇します。そして、仏陀は再び地上に受肉する必要がなくなります。

今まで話してきましたようなキリスト理解も、物質界に於いてのみ得られるのです。そして、今から三千年の間に、人類は霊的なキリストを見る力を物質界で獲得してゆくことになります。

物質界に於いて、キリストを理解する条件を作り、霊的なキリストを見る能力を用意するのが人智学の使命です。・・ 

■コメント:
 シュタイナーが、この講義を行なった1911年の当時、41歳となった人物が日本の京都府綾部市を拠点に活発な宗教活動を開始していました。
その人物こそ、大本教・出口王仁三郎です。 
私は、シュタイナーの語る弥勒菩薩についての講義を読み解くうちに、大本で神・霊・現の三界の型を示したとされる出口王仁三郎の足跡との間に、非常によく一致しているものを感じました。

そこで、以下にシュタイナーの講義文中に【■コメント】で示した内容と、出口王仁三郎の言動との関連性を示し、その謎を解き明してゆこうと思います。だたし、ルドルフ・シュタイナーの神智学の秘教講義の内容と、出口王仁三郎の「水鏡」「月鏡」「玉鏡」という、いわゆる「三境」の内容等を扱っていますので、ドイツと日本の秘教的な叡智を織り交ぜた少々難解な内容となることをお許しいただければと思います。
(シュタイナーと出口王仁三郎の一致-[Ⅰ])の記事より
(弥勒菩薩論【B】につづく)
弥勒菩薩 論・C・
弥勒菩薩 論・D・

(1911年9月21日 ミラノでの講義)
『仏陀からキリストへ』ルドルフ・シュタイナー著 西川隆範訳 書肆風の薔薇 弥勒菩薩より

弥勒菩薩 論・B・

2012-11-17 18:58:00 | 弥勒菩薩論
*弥勒菩薩論【B】 (シュタイナーと出口王仁三郎の一致-[Ⅱ])
2012/11/20精神世界ランキング 新規登録・192~位台?

(弥勒菩薩論【A】のつづき) (1911年9月21日 ミラノでの講義)
*・・・「徳」の発展は地球の進化の衝動とは少し異なります。

ゴルゴダの秘蹟が生ずる前、仏陀の後を継ぐ一人の菩薩が地上に受肉し、ゴルゴダの秘蹟の準備をしました。
ナザレのイエスの生まれる一世紀前に、この菩薩はパンディラのイエス(神智学では、エッセネ派教団を霊的に指導する使命をもっていたとされる人物)の中に受肉しました。
仏陀の後を継ぐ菩薩であるパンディラのイエスと、キリストと呼ばれる宇宙存在に三年間貫かれたナザレのイエスとは、別の存在です【6】。

■コメント:
■【6】仏陀の後を継ぐ菩薩であるパンディラのイエスについて
 ◇ シュタイナーは、インドの古い伝説で、弥勒は、釈迦が浄飯王の子として地上に下る以前に、霊界で菩薩の王冠を手渡されたと述べています。
この時から弥勒は、弥勒菩薩として地上に下り、人類の進化に特別の任務を帯びるようになったというのです。

そして、ナザレのイエスの100年前に、タルムード文献に登場するパンディラの子、イエス(イエス・ベン・パンディラ)として、エネッセ派教団を指導し、テラペウス教団とエッセネ派の動きを霊的に指導する任務に着手したといいます。
このパンディラのイエスは、エッセネ派の教義の中に神の冒涜を見た者たちによって、涜神者、異端者として告訴され、石で撃ち殺されて着に吊るされ、処刑された上に汚辱を加えられたとされています。

 ◇ さて、出口王仁三郎は、大本教において五六七殿(みろくでん)で布教活動をしますが、第一次大本事件での弾圧され、蒙古に渡って十字架に磔にされ、銃で処刑される寸前に救われ、第二次大本教事件で二度目の弾圧を経験しています。
また、こうした弾圧の原因も、言論の自由が侵されていた当時の軍国主義に対立したとして、不敬罪に問われたためなのです。

また、王仁三郎は、釈迦は一切を無として神の存在を説かず、イエスは父と子と精霊を説いたため母の要素が欠落しており、どちらも不完全極まりない教理であったと述べています。

 ◇ 弥勒が菩薩という使命を受けて後の、パンディラのイエスとしての人生は、出口王仁三郎の弥勒菩薩の型と、非常に類似しています。
さらに、神の真理を語ったがために、冒涜者としての扱いを受けた点も、非常に似ていると言って良いでしょう。


*パンディラのイエスの中に受肉した菩薩は何度も地上に出現します。
そして、今から三千年後に仏の位階に達し、弥勒仏として最後の地上での人生を送るのです【7】。・・(途中、省略)

■【7】今から三千年後に仏の位階に達し、弥勒仏として最後の地上での人生を送ることについて
 ◇ シュタイナーの言葉から、単純に弥勒菩薩が弥勒仏に至るのは、
      紀元1911年 + 3000年後 = 紀元4911年頃になると推測されます。
つまり、弥勒菩薩が弥勒仏の位階に達するのは、第六文化期の中期から後期であり、第七文化期に、「道徳」に貫かれた地上天国としての「ミロクの世」が訪れると推測できます。

 ◇ 出口王仁三郎は、1928年がこの時であると語っていますが、弥勒菩薩の御魂が王仁三郎に神懸り、「弥勒仏の”型”を開始した年」であると解釈するべきです。
また、それ以前の大本教内での”型”は、さらに縮小された雛型とみることが妥当かもしれません。
 
 ◇ 以上の理由は、【D】の【20】を参照ただければ、十分に理解していただけると思います。


*・・今日の霊学の内容は、浄飯王(じょうぼんのう)の子である菩薩が仏陀となった時に説いた東洋の霊智とは変わることころはありません。
釈迦牟尼仏の説いた教えを実現するのは次に仏陀になる菩薩の仕事だと言われています。

この菩薩は全世界に、真のキリストを啓示する光の智を伝えることになります。パンディラのイエスに受肉した菩薩はキリスト衝動の偉大な師となりました。
このことは、菩薩ヨサファットがいかにキリスト教の師バルラームから教えを受けていたかを伝えている。『バルラームとヨサファット物語』明瞭に示しています。

将来、弥勒仏となるこの菩薩を、東洋の神秘学者は「善をもたらす者」と呼んでいます。
今日の人間にはその概念を持つことができない程の高次の段階の言葉の力が弥勒仏の中に存在することになる、と神秘学は考えています【8】。

■【8】高次の段階の言葉の力を持つ弥勒菩薩について
 ◇ シュタイナー自身、母音と子音の解釈を西洋的に説明しており、アイウエオの母音を木星・火星・土星・水星・金星に関連させ、母音を霊的なものとし、子音を物質的なものだとしています。
さらに、魂は母音によって表現され、霊的な高次元世界に移行すると、子音は消え、母音だけで歌われる宇宙の歌が聴こえるのだといいます。
シュタイナーは、こうした叡智を舞踊芸術オイリュトミーとして芸術・教育・治療に役立てました。

 ◇ 出口王仁三郎は、山口志道の言霊学を「体としての大本言霊学」、中村孝道の言霊学を「用として大日本言霊学」と位置付け、この双方を統合した言霊学の偉人です。

大本の本部、綾部の金龍海には、言霊の五大父音を象徴する五つの島が造られ、その湖面には言霊の水茎文字が現われるとしたといいます。
大正八年(1919年)には、その湖畔に言霊閣を建立し、七十五声を象徴する言霊の鈴と天津金木が鎮斎したといいます。

その他にも王仁三郎の言霊に関する逸話は実に多いのですが、それは言霊によって神を示し、信仰を広めたと表現しても過言ではない程、言霊学に根ざしていたのです。
また、その王仁三郎自身も、一霊四魂を代表する音声は、アオウエイの五大父音である。宇宙の根本の造化作用は、要するに至祖神の一霊四魂の運用の結果なのである・・・。」と述べています。

 ◇ 出口王仁三郎の言霊学を学んでゆくと、その複雑さと共に、王仁三郎の言霊の力をすることができるはずです。
母音を霊的なものとするシュタイナーが語る弥勒菩薩の特長を、王仁三郎が存分に発揮していたことは明らかです。


*高度の霊的感覚器官によって世界の進化を知覚することによって、三千年後に弥勒仏が説く教えを知ることができます。
その説法は、象徴的な形で語られますが、人類はまだ十分に成熟していないので、弥勒仏が語るような言葉を語ることはまだできません。

 仏陀は、正しい意見、正しい判断、正しい言葉、正しい行為、正しい見地、正しい努力、正しい記憶、正しい確認の八正道という形で、偉大な智を与えています。
弥勒仏の語る言葉には霊力があり、それを聞いた人の中に「道徳」的衝動が喚起されます。
聖ヨハネがキリストについて「そして言葉は肉となった」と書いたのに対して、弥勒仏の福音は「そして肉は言葉となった」と記されるでしょう【9】。

■【9】弥勒仏の福音は「そして肉は言葉となった」と記されることについて
 ◇ シュタイナーは、弥勒菩薩ではなく、3000年後に弥勒仏と存在の福音について述べているのでこの言葉の真意は、その時が来るまでは解らないのかもしれません。 

 ◇ 出口王仁三郎は、大本の言霊学で「新約聖書のヨハネ伝首章には、言霊の秘事を漏しあり。」
として、「(要約すれば)宇宙万有の主宰の全大主神は、言霊を以って天地を創造し、経綸を創めたことから、万民の安堵せしめる神国を招来するためには、軍事や教育、政治、宗教では絶対に不可能であり、天津神の八咫の鏡、すなわち言霊の妙用に他ならないのである。」と述べています。

 ◇ 以上の王仁三郎の言葉は「言葉は肉となった」という解釈とは異なるものの、肉体を持った人間が善言美詞を常とすることによって、万民が安堵できる神の国(ミロクの世)を招来するために必要不可欠であることが解ります。
それは、ある意味では、霊的次元への上昇であり、肉が言葉になることではないでしょうか?


* 弥勒仏の説法は、キリストの力が浸透したものです。
弥勒仏の生涯はキリストの生涯と同じ型をとるであろう、ということが霊的な探求の結果から明らかにされています【10】。

■【10】弥勒仏の生涯はキリストの生涯と同じ型をとることについて
 ◇ この内容は、上記【6】のパンディラのイエスを参照していただければ、いっそう深い理解が得られると思います。
 
 ◇ 大本では、1921年2月12日に第一次大本事件が起り、1924年2月に蒙古に向かい、1927年5月17日に第一次大本事件が免罪となっています。
王仁三郎はこれを『ミロクミロク』と題して、「大本事件初まって満三年にして蒙古に行き、又満三年を経て無罪となる、前後七十二ヶ月、即ち三十六ヶ月と三十六ヶ月、ミロク、ミロクである。」と語っています。
さらに、王仁三郎は蒙古に行き、そこで十字架に縛り付けられ、キリストの『型』を示します。そして、九死に一生を得て帰国するのです。

 ◇ つまり、これは、シュタイナーの語る「キリストの型をする弥勒仏」の見解と、「蒙古で十字架に架けられることを『型』として示した」という出口王仁三郎の見解という、双方の主張する弥勒仏の姿と、その『型』が見事に一致してるのです。


*古代に於いて、人類の師となるべき偉大な人物が世に現われると、その人物は若い頃から特別の才能と魂の資質を現したものでした。

とはいえ、人生のある時期に至って、人格を一変させるような導師も存在します。

そのような人類の導師の自我は、人生のある時期に肉体の外皮から去り、別の存在の自我がその肉体に入るのです。イエスはこのような導師の典型です。
イエスが三十歳の時、彼の自我は肉体から離れ去り、代わって、キリスト存がイエスの内部を占領しました。
弥勒菩薩はどの転生に於いても、この型の生涯を送ることになります【11】。

■【11】弥勒菩薩はどの転生に於いても「三十歳頃に別の自我が入る」型の生涯を送ることについて
 ◇ 出口王仁三郎は、京都府亀岡市の穴太の農家に生まれ、13歳で小学校を中退し代用教員となり、22歳で園部の牧場で働き、25歳の時穴太で精乳館を開業します。
そして、27歳の時に高熊山に導かれ、一週間の修行をし、その後に床縛りなどで霊界の全貌を知悉すると共に、自己の使命を自覚するようになってゆきます。

28歳で初めて綾部の出口直を訪問し、29歳の時に再び綾部に行き、30歳で出口直の末娘である出口澄と結婚します。この頃、王仁三郎にはスサノオの使命を担うようなります。
そして、長らく誤解と非難を経て、15年後の45歳になってはじめて王仁三郎がミロクの大神様であることが、大本で認められることになります。

 ◇ 王仁三郎は、27から28歳の頃、極めて深い霊的体験を繰り返し、30歳前後からスサノオノ尊という(シュタイナー云う)「別の存在の自我」が肉体に入り、その『型


(弥勒菩薩論【C】につづく) 
  (1911年9月21日 ミラノでの講義)
【『仏陀からキリストへ』ルドルフ・シュタイナー著 西川隆範訳 書肆風の薔薇 P96弥勒菩薩】より

弥勒菩薩 論・C・

2012-11-16 23:35:00 | 弥勒菩薩論
*弥勒菩薩論【C】(シュタイナーと出口王仁三郎の一致-[Ⅲ])

(弥勒菩薩論【B】のつづき)
*このような人物は少年時代に、彼が三十歳頃に菩薩になるであろうという前兆を現しはしません。弥勒菩薩が仏陀になる時、三十歳か三十一歳の時に、他の存在が彼の肉体を所有します。

このような菩薩は若い頃には決して自分の本来の姿を明かすことはなく、他の存在が肉体を占領する三十歳ないし三十一歳の時に、全く異なった霊格を現すのです【12】。

■コメント:
■【12】菩薩が三十歳ないし三十一歳の時に、全く異なった霊格を現すことについて
 ◇ これについては、上記の【11】を参照くだされば、同じことを意味していることが解ります。
 ◇ 出口王仁三郎が正しく30歳になる頃、王仁三郎にはスサノオノ尊が神懸り、出口直にはアマテラスが神懸り、『火水の戦い』を繰り返すようになります。
 ◇ したがって、シュタイナーの弥勒菩薩の特長である「三十歳に全く異なった霊格を現す」という『型』は、ここでも明確に証明されています。

*受胎の時点では肉体に入らず、生長した人物を自分の外被として占領する存在には、モーゼ、アブラハム、エゼキエル等がいます。

 三千年後に弥勒仏となる菩薩はこのような型の存在です。このような菩薩を既に少年時代に於いて見出し得るとするのは、全く衒学趣味のオカルティズムです。
このような存在は三十歳から三十一歳にかけて、自らが自分の本性を明かします。彼は自らの力で世界の前に現われるのであって、誰かが、三十歳以前の彼に菩薩の姿を示させようとするのは誤まりです【13】。

■【13】弥勒菩薩が、三十歳から三十一歳にかけて、自らが自分の本性を明かすことについて
◇ これについては、弥勒菩薩論【B】の【11】と、上記【12】をご覧いただければ、王仁三郎が30歳の時、スサノオノ尊としての神格を宿し、その働きとしての発露を見出そうとしていたことが解ります。そして、スサノオノこそが真の贖い主であり、救世主であることを明かします。
しかし、王仁三郎の神格を理解する者が誰もいなかったため、31歳の時には開祖派の信者に暗殺されそうになります。さらに、34歳の時には、王仁三郎の著作が焚書されてしまいます。そして、45歳にして「みろくの大神様」としての神格を認められることになります。

つまり、弥勒菩薩であることを審神(さにわ)できる人は、誰一人として存在せず、王仁三郎自らが自分の本性を明かしたのです。 
 ◇ したがって、シュタイナーの明かす弥勒菩薩の特長は、ここの点においても王仁三郎の言動によく一致してます。

*このような誤まりは何度も起りました。例えば、十七世紀に、スミルナのサベタイ・ツゼヴィは自分は救世主キリストの生まれ変りであると宣言し、ヨーロッパ各国から大勢の人々が彼のところに巡礼に行きました。

 今日、天才というものを承認するのを好まない風潮が一般的ですが、また一方では、精神の怠惰から権威的にある人物を神格化する風潮もあります。
人智学は権威的な信仰とは無縁です、私は自らの霊的な探求の結果明らかにできたことのみを話しています。

私の話しの内容を、どうか私が語ったからという理由で信用するのではなく、歴史や特に自分自身の経験に照らし合わせて確認して欲しいのです。

今日のような知の時代には、信仰に訴えることはふさわしくありません。皆様の知的考察能力を通して私の話しを吟味してほしいと思います。

 もう一度、繰り返しますと、二十世紀に於いて菩薩は、彼が未来の弥勒仏であると誰かに告げさせることはなく、自分自身の言葉の力で世界の前に立つのです【14】。

■【14】二十世紀の弥勒菩薩が、自分自身の言葉の力で世界の前に立つことについて
 ◇ 言葉の力、には様々な解釈ができると思いますが、【B】の【8】の言霊学や、【11】~【13】の流れを強調することができると思います。
また、王仁三郎は「自分の言葉の力で世界の前に立つ」という意味では、世界共通語としてのエスペラント語の普及に尽くしたと言う意味でも、世界の前に立った人物です。
 ◇ シュタイナーは20世紀の弥勒菩薩について語っていますが、弥勒菩薩が毎世紀ごとに転生を果たす使命担っていることを考えれば、20世紀においても弥勒菩薩が転生していたことは、ある意味当然のことなのかもしれません。
しかし、その人物が誰なのか?という問いに対して、ここでも王仁三郎をおいて他に、これに相当する人物は存在しないように思えるのです。
(弥勒菩薩論【D】につづく)

弥勒菩薩 論・D・

2012-11-06 19:43:33 | 弥勒菩薩論
・地球の救い方・・・R.シュタイナーの人智学に学ぶ - Yahoo!ブログ・2006/4/1(土) ・記事
http://blogs.yahoo.co.jp/sakimorikeikan/folder/1411448.html?m=lc
★シュタイナーと出口王仁三郎

*弥勒菩薩論【D】(シュタイナーと出口王仁三郎の一致-[Ⅳ])
(弥勒菩薩論【C】のつづき)  
*今日の話しを要約しますと、今日二つの霊的生命の流れが作用しているということです。一つは智の流れ、すなわち仏陀の流れで、智と良心と平和の崇高な教えです。仏陀の教えを全人類の心の中に浸透させるために、キリスト衝動は必要になってきます。第二の流れはキリストの流れで、審美的感情と洞察力によって、人類を智から「徳」へと導くものです【15】。
■コメント■
■【15】仏陀の流れと、キリストの流れ、という二つの霊的生命の流れについて
 ◇ シュタイナーは、1911年11月20日に、「いまから約三千年後に、この菩薩は弥勒仏になります。彼は精神界から、魔術的な道徳を人々の心に流し込みます。そのような弥勒仏の流れは、クリスティアン・ローゼン・クロイツに結びつく西洋の流れと共同するのです。」と述べています。

 ◇ 王仁三郎は、『神、耶、佛すべてを信ず』と題して、「バイブルから、奇蹟を除かんと企てた耶蘇教(やそきょう:キリスト教のこと)信者がある。誤れるも甚だしいものである、耶蘇教より奇蹟を取り去れば、それはもう宗教ではなくて倫理学である。私は佛教、耶蘇教、神道の総べてを信ずるものである。」と述べています。
 ◇ 双方共に、あらゆる宗教の枠に囚われることなく、かつ霊的な観点から各宗教の支流から本流としての一つの大きな教えの流れを説いた、という点において共通点は非常に多いと思います。

 
*キリスト衝動の最も偉大な師は弥勒菩薩で、彼は三千年後に弥勒仏になるまで何度も地上に受肉します。【16】東洋のアカシャ年代記の記憶は真実です。
■【16】キリスト衝動の最も偉大な師は弥勒菩薩が弥勒仏になるまで何度も地上に受肉することについて
 【18】菩薩菩薩が弥勒仏となるまで、各世紀毎に地上に受肉することについて
 ◇ シュタイナーは、弥勒が菩薩から仏になるまでに、五千年を必要とするとしており、それまでの間、ほとんど毎世紀ごとに受肉していると明かしています。

 ◇ 王仁三郎は、『直美と操』と題して、孫・直美の前世が開祖・出口直であることを明かした後、「王仁(わたし)は何度も生まれかわって来て居る。印度(インド)にも生まれた事がある。あらゆる境遇を経てきた。」と述べています。
 ◇ シュタイナーの言葉のままに、単純計算すれば、
    5000年 ÷ 100年(1世紀) = 50回
ということになり、弥勒菩薩な『型』としての運命を辿る人生を、50回に及ぶほどに繰り返し、自身の向上と共に、万民の救済にあたっている尊い存在であることが伺えます。


*釈迦が菩提樹の下で悟りを開いてから五千年後に、弥勒は最後の地上への受肉をするのです【17】。
■【17】釈迦が菩提樹の下で悟りを開いてから五千年後に、弥勒が最後の受肉をすることについて
 ◇ 諸説はありますが、一般的には、釈迦は紀元525年頃に、菩提樹の下で悟りを開き仏陀となったとされています。したがって、単純に計算すれば、
紀元5000年 - 紀元前525年 = 紀元4475年の頃に、弥勒菩薩が仏になると推測されます。
 ◇ しかし、シュタイナーは、1911年8月19日のミュンヘンの講演で、弥勒の再来について語った時に、「二千年前に仏陀は、当時の人間の最良の心魂にとって自然なことを見事な言葉で語った。」と述べています。
よって、この五千年後という言葉は、”おおよそ”の意味として捉えるべきだと、思われます。
 その理由に関しては、【20】をお読みいただければ、納得していただけると思います。


*仏陀及び菩薩の後継者と、私たちがキリストと呼ぶ宇宙存在との間には相違があります。パンディラのイエスの肉体に受肉した菩薩はキリストではありません。キリストはただ一度、三年間だけ肉体に受肉しました。菩薩は弥勒仏となるまで、各世紀毎に地上に受肉します【18】。
■【18】については、【16】と一緒に説明をのべたので、そちらを参照のこと。
人智学の使命は諸宗教を総合することです。宗教の一つの型を仏教に、もう一つの型をキリスト教に見出すことができます。時代が進むにつれ、仏陀とキリストが私たちの心の中で結びついたように、様々の宗教が結びついてゆきます【19】。
■【19】人智学によって仏陀とキリストの教えが結びついたことについて
 ◇ シュタイナーは、1911年11月20日に、「いまから約三千年後に、この菩薩は弥勒仏になります。彼は精神界から、魔術的な道徳を人々の心に流し込みます。
そのような弥勒仏の流れは、クリスティアン・ローゼン・クロイツに結びつく西洋の流れと共同するのです。」しかし、今日の弥勒菩薩は、それはまだできず、言葉をとおして思考が伝えられうるだけであると述べています。
 ◇ しかし、神の仕組みによって、まったく同じ時期に、日本の大本教に出口王仁三郎の存在が弥勒菩薩が弥勒仏になる『型』を示したことによって、3000年後を待たずして、シュタイナーの人智学が告げる秘教講義の内容を、こうして如実に理解することができるのです。 
 ◇ よって、私たちは、現代においてシュタイナーの人智学と、王仁三郎の大本の型を理解することで、西洋と東洋の流れを、日本において読み解くことができると思うのです。


*この人類の霊的進化の展望から、その進化の過程に於ける文化及び諸事象の理解を用意するものとして人智学衝動の必要性が了解されると思います。【20】
■【20】文化及び諸事象の理解を用意するものとして人智学衝動の必要性について
 ◇ 弥勒菩薩論【A】の【2】の内容を再度、別の角度から分析すると、
       第四文化期(牡羊座文化)は、紀元前 747年頃から1413年頃まで。
       第五文化期(魚座文化) は、紀元後1413年頃から3573年頃まで。
       第六文化期(水瓶座文化)は、紀元後3573年頃から5733年頃まで。
       第七文化期(山羊座文化)は、紀元後5733年頃から7893年頃まで。
つまり、霊的次元では、2160年×4文化期=8640年間(約9000年間)ということになります。     
 ◇ 王仁三郎は、『三千年に実る桃』と題して、「三千年に初めて実る桃と云うのは、艮の金神様の事である。しかして、其の教えを聞いたものは天国に入る事を得るのである。
桃の実の味、即ち神の道である。九千年に実る桃、六千年に実る桃とあるのは、第一天国、第二天国の比喩であって、三千年の桃は即ち第三天国に相応するのである。」としています。
     
そこで、神界の三千年の神仕組みを考えてると、1928年(3月3日)の『みろく大祭』を、分岐点として、3000年単位に区切ることができると思います。
従って、三千年に実る桃とは、紀元前1072年に始まり、紀元1928年に実を結んだことになります。
六千年に実る桃とは、紀元後1928年に始まり、紀元4928年に実を結ぶと推測されます。
九千年に実る桃とは、紀元後4928年に始まり、紀元7928年に実を結ぶと推測されます。

この、3000年×3段階=9000年間の神仕組みと、人類の約9000年の文化の運命とが弥勒菩薩の働きによって、神霊現の三界に同時に桃の実を結ばせることになると推測できます。
    
 ◇【B】の【7】では、シュタイナーの講義の内容から、紀元4911年頃に弥勒菩薩が弥勒仏になると推測しましたが、王仁三郎の大本教の神仕組みにおいても紀元4928年頃に六千年の神仕組みが成就することが推測され、この時に出口王仁三郎の御霊は、現世での経綸を終えると推測されます。
よって、【17】の「釈迦が菩提樹の下で悟りを開いてから五千年後に、弥勒菩薩は最後の受肉をする」という内容とは、400年ほどの誤差があります。
しかし、弥勒菩薩が弥勒仏になる時とは、”紀元4920年±10年頃”だと推測するのが最も妥当だといって良いのではないかと思います。

 ◇ 結論として、『三千年の仕組み』で、大本に弥勒菩薩が弥勒仏となる『雛型』を示したと推測されます。また、『六千年の仕組み』で、釈迦の仏の教えを、弥勒菩薩が弥勒仏として『成就』させます。そして、『九千年の仕組み』で、神仏の道を歩む人類が、地上天国『ミロクの世』に生きることになるということです。

同時に、弥勒菩薩の教えを得た人類は、各文化期と神仕組みの段階において、第三天国界、第二天国界、第一天国界へと導かれることでしょう。


 (1911年9月21日 ミラノでの講義)
【『仏陀からキリストへ』ルドルフ・シュタイナー著 西川隆範訳 書肆風の薔薇 弥勒菩薩】より
*西川隆範:シュタイナー人智学の研究
■補足:
◇ そして、何よりも大切なことは、何故、『弥勒菩薩の型』が必要なのか?ということです。
『弥勒菩薩の型』とは、他でもない、私たち一人一人の人間に、釈迦、キリスト、人智学、大本教の教えが、一貫した真実であり、それを信じて心と言葉と行動を道徳的に導き、ミロクの世に導くためなに他ならないはずなのです。
◇ シュタイナーは、イエス・キリスト、仏陀がこの世に再来することはない二度と無いと断言しています。これは、弥勒菩薩の型を理解できれれば、それは当然のことなのです。

現在の世の中には、「自分が仏陀の生まれ変りである」と語る宗教家がおられますが、人智学的考察からして、その言葉は、虚偽以外の何ものでもなない事の証明なのです。
そして、仏陀やキリストの再来を呼びかける宗教や、虚言を囁く悪霊から身を守るための、審神に役立つ真実ということができると感じます。
(シュタイナーと出口王仁三郎の一致-[Ⅰ])の記事より
*ルドルフ・シュタイナー - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%BC
ルドルフ・シュタイナー(Rudolf Steiner, 1861年2月27日 - 1925年3月30日(満64歳没))は、 オーストリア帝国(1867年にはオーストリア・ハンガリー帝国に、現在のクロアチア)出身の神秘思想家 。アントロポゾフィー(人智学)の創始者。哲学博士。
*シュタイナー研究室 http://www.bekkoame.ne.jp/~topos/steiner/Steiner.html
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弥勒菩薩 論・A~Dシュタイナー
弥勒菩薩 論・B・
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弥勒菩薩 論・D・
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生かして頂いて ありがとう御座位ます


福録  
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ミロクの世 369文明 ミロク文明人 大和ごころを志しての旅

あまてらスおホ三かみ  ミロクさん意おホ三神
[主神] 天照日之大神 様 ・神界・内在神(良心)・愛和塊【心柱】
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