この道の果てまで・・・

ただ純粋に ただ一途に歩む時
突如として それまでとは まったく違う
次元の異なる大地が あなたの目の前に姿を現す。

★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 67★

2006-08-28 19:36:49 | Weblog

◇ 人間物語 の メール講座   NO34 ◇




自分を
愛するということは
自分の中の 出来損ないの自分を 

駄目な所だらけの
自分を抱きとめられること。
その自分をいとおしく思えること。

決して
背伸びした自分を
本当の自分だなんて勘違いして

そんな自分を
自分として生きないこと。

背伸びしたり
必要以上に頑張ったりすることは
本当は 自分は駄目な所 
だらけだということを知っていて 

その本物の自分から
逃げようとしているだけなんです。

どんなに頑張たって
それは 逃避しているだけなんです。
積極的に逃げている それは消極性です。


もしも
そんな生き方をすれば 
あなたは自分自身をどんどんと
自分の手で淋しくさせてしまうことになります。

そんな時に
いわゆる 皆の言う所の
愛が 必要となります。

でも
そんなの愛でも 何でも有りません。

だって
そうでしょう?
自分の手で 本物の自分から 遠ざかる生き方をしておいて
 
自分自身ですら
愛することの出来ない自分を
他の人に 愛させるんですか?

そんな事を
人にさせて いるとしたら
あなたが どんなに口先で 愛しているといったところで
あなたには愛情なんて有りません。

あなたは
その相手の人を愛してなんていません。

そればかりか 
あなたが背伸びをし続けることで
手に入れようとしている 出来の良い「あなた自身」を
手に入れることすら あなたには多分出来ないことでしょう。




なぜなら
答えはこうです・・・。
あなたは もうすでに何十年の間
背伸びをし続けているのに 

今だに
「出来の良いあなた」なんて
手に入れる事なんて 出来てないじゃないですか!!!

背伸びを
する自分で 生きる方向で 
あなたが手に入れられる物なんて 
ひとつも無い事に出来るだけ早く気づいて

あなたが
自分に正直になっている時に
あなたの中に 感じられる

出来の悪い 
駄目な所だらけの 
自分と向き合って その自分を抱きとめる。

それは
人に頼るんじゃなくて
自分でする事 

何故なら
いつでも四六時中 
あなたと一緒に居られるのは あなた自身だけだから

人には
そんな暇なんてないから。

それに あなたの事を 人に受け止めさせたら
あなたは その人に裏切られる場合だって有れば
その人が先に死んでしまう場合だって有る。
その
どちらも 
あなたの人生は真っ暗になってしまうし

それに かこつけて 
この事を 放棄してしまうかもしれないから・・・。

とにかく
自分で抱きとめること。

自分で 
抱きとめるというのは 
どういう事かというと 
駄目な自分自身の方で生き様としてみる事。
 

駄目な
自分自身と共に居て上げる事 
それこそが愛でしょう?。

そうして生きられたら
あなたは他の人達を見て 
いかに 本物の自分を
愛せずに生きている人達の 
多い事かを目の当たりにするし
そんな人達の嫌ってしまっている自分自身を
受け止めて上げられる様にもなれるよ。


自分に正直になって
背伸びをし続けている 自分自身ではなく
出来損ないの駄目な自分を愛して
その自分と生きてみる・・・・と書き込んだけれど 
それでは本当の所 まだ半分なんです。


本当に
私が伝えたい所は 
そんなところではありません。

そのままでは
本当の あなたは 駄目な方の
自分だよと言っているみたいでしょう?。

確かに
そう言っていますけれど

それは
背伸びをし 
自分に知らず知らずの内に
無理強いを強いてしまっている自分よりは 
駄目な自分の方が 本物だよと言っているんです。

あなたが
正直になって 自分の中(内面)の
駄目な自分に対して 心を開くと・・・・。

心を開くと言うのは
駄目な自分に対して 抵抗をしない
あるいは嫌がったりしないで 向き合うと言う事

そして
「 あ~本当に俺って 
こんなちっぽけな自分でしか
無かったな~ これ以外の俺なんて
全部嘘っぱちで 無理して作り上げていただけな
んだな~ 」な~んて事に気が付いてくると
全身の力が抜けて とても楽な気持ちに成れるんです。




そして
ここからが 
とても大事な事なのですが

そうして
駄目な自分を 
頭の先っぽでは無く
心を開いて 受け入れると 

とても
楽な気持ちに
成れるばかりでなく

そこには
もっと 深くて重要な
事実が隠されているのです・・・・・・・・。

それは
あなたが 今の今見つめてる
あるいは 向き合っている 受け入れている

“ 駄目な自分自身とは
 一体 何時の物なのか? ”と言う
質問をしてみたいのです・・・。

私達が
生きているこの世の中は
常に時間が流れています。

今迄に
起きた全ての事は
過去と言う時間の中に
飲み込まれてしまっていて 
二度と帰ってくる事は有りません。


そして
私達の考える未来と言う時間は
私達の考えや想像の中に有るものであって

まだ 
現実の時間として
過ごす事など出来得ない
まだ 来ていない時間です。

実際に
私達に味わい
感じられる時間は 
今現在と言う時間だけなのです。

そして
大事な事は 
どんなに嬉しいことであれ
或いは どんなに悲しいことであれ

私達に
現実として感じられるのは
たったの一度きりだと言う事実です。


何であれ 
どんなことであれ 
たったの一瞬だと言う事実です。

なのに
私達の中では 
そういう具合には成っていません。

事実として
感じられるのは
誰であれ たったの一瞬なのにも拘わらず

その後で
私達は 私達の中で 
まるで ビデオで録画したものを
私たち自身に見せ続ける様な事をしていて 

あたかも
その事実が
ず~っと続いていて 

自分自身の中に
今も その事実が有るかの様に
思い込ませています・・・変でしょうこれって?


小さい頃に
何かを失敗してしまって
叱られたり 或いは 皆の前で恥ずかしい
思いをしてしまったりと

そんな中で
傷付いてしまった
あなたの心さえも ひっくるめて

それらの
事実は ぜ~えんぶ
終わってしまって 今は無いのに
有るように感じられていたら・・・・

それは 
あなたが あなたに見せ続けている
ビデオで 有って事実じゃあないよ。

それは
あなたを 背伸びした あなたで
走らせ続ける為の仕掛けの様な物なのです。

あなたを
走らせ 
息切れさせて 

あなたの
人生において 
あなたの 手によって 
あなた自身を 失望させる為の仕掛けです。

一時的には
良い時も
有るかも知れないけれど

最終的には 
何ひとつ手にする事も出来ずに
あなたは 深い孤独の中で身動き一つ取れなく
なってしまうかもしれません。

駄目な
自分が自分の
内面に有るように感じられる時

そこから 
逃げ出し 背伸びをする
自分で生きるのではなく 
その当の駄目な自分が 一体 いつの物なのかに気づけると

それは つい今しがたの物であって
今は既に無くなってしまっているという事実に気づけ
逃げ出す必要など無いどころか
そこには 何一つない 
自分と呼べる物さえ 無くなってしまっている
なぁ~んにもない
「無さ」が広がっています。


この空間こそが
その無さ自体が本物のあなたです。

その空間は 身体を隔てた 
身体の外側の巨大な空間とひとつに繋がっています。
溶け合っています。
その時あなたは宇宙です・・・。

本当です・・・。





でも
それは 自分の心の中に
浮かんでいる物自体が 「自分」となって仕舞うと云った

心の
特異性と仕掛けがあるので
一度 解った気になっても その解った事が

何時の物かを 
見破ると言った事を
していかなければ成りません。

常に見破り続けることに
よって常に新しい新鮮な鮮度をもった
より深まった空間を感じ続けられる事が出来ます。


あなたの中に
何ひとつ映し込んでいない
空間を感じられる様になると 

その
空間自体で 物事に取り組んだ時に
どんな物事であれ 今迄の自分以上の成果を結果とし
て得られる様になってしまいます。

何も世の中の
果ての果てまで旅をしたり
沢山の人達から 
借り物の知恵を掻き集めたりしなくたって

あなたは 
どんな物事でも 誰に尋ねなくても
やってのけられる人に成ってしまいます。

それほどの
お宝が あなたの中に眠っています。

それも 
あなた1人だけの
権利のある財宝です。

あなたが
要らないのなら 
私が貰える物なら
貰いたい物です・・・ホント!

あ~あ 勿体無いな~。

これで少なくとも
お宝の方向だけは 解って頂けたでしょうか。



今 
私が こうして
書き込みをしているでしょう
この事実も一瞬で 書き込む たびに次から次えと
無くなって消えていってしまっています。

あなた達が
読んでくれるのは 
私が感じられた一瞬の事実の残骸です。

皆が これを読む頃には 
全然違う 「今」 と言う時間を
生きている 私が居るんです。 
その様に
事実が 無くなっていっているのですから
自分の内面からも その度その度 
自分の した事を 捨てて行ける事なんです。

本当は捨てるんではなく 「あ~さっきの
物だ」 と 気づける事なんです。

そして 
何ひとつ映す事の無い空間で
常に安らいでいる事です。
何一つ映す事の無い空間を あなたの中に見つけ出せる事なのです。

波ひとつ立たない
静かな 湖面の様に 静寂な空間・・・・・。


余談ですが
若い頃の 物事のやり方と言うのは
自分の中に 何か(やり遂げた完成品やらあるいは
やっている最中の自分の姿やら 周りの絶賛やら)を見出して
燃える様な気持ちで
物事に取り組んでいくのですが・・・・

多分 日本が 
高度経済成長期だった頃などは

そんな
気持ちで仕事に取り組んでいた
お父さん達が凄く多かったのに
今は そのお父さん達も元気が無くなってしまいました。

その
お父さん達に 
この さざ波ひとつ立たない とても静かな湖面の様な空間と
物事への 取り組み方をぜひ伝えて上げたいものです。
燃える様な
気持ちなど要らないのだということを
そんなものが無くたって物事には取り組めるんだと言う事を。
もう気持ちが死んだままでなど歩く必要などないことを。
そしたら日本は、今よりも ず~っと良くなるのに・・・。




恋をするでしょう
ふられるとするでしょう。

別に 
これは恋でなくても 
夢中になってる仕事でも 
何でも良いんです。

その
対象となるものに対して
自分が 本気に成れば成るほど

その対象物を
失ってしまった時のショックは
大きいでしょう? 

その時・・・自分の中に
ポッカリと穴があいたような状態というのを
体験した事がないですか?・・・・きっと誰もが
そんな経験を一度や二度はしているでしょう。

あの時の
ポッカリと穴が 
空いてしまった側の方が あなた自身なんです。

それまでの あなたは
何か勘違いをしてしまっていますよって教えてるんです。

本当の
あなた自身を
見つけてくれって言われてるのに
あなたと来たら必死で その穴を埋めてしまおうとする。

埋めると言うのは 
また何か 新しく夢中に成れる物を
探して来てしまうことを言います。

再び あなたを騙し 
あなたに居眠りをさせようとする事を言います。

そして
今迄自分が夢中に成れていたものは 
どれも つまらない物ばかりだと言うことに あなたが気づき
やっと 本当の あなた自身に目を向けられる時期が来ているのに
あなたは そのチャンスを棒に振ろうとしている事が
あの穴を埋めようとしている事に当たるのです。

そればかりか
その穴を 埋め終わると安心までしてしまう・・・。


もしも 
あの穴が本物の 
あなただとしたら
あなたは自分自身を埋めているんです・・・。



本当は
怖がらずに 少しずつでも良いから
調べたら良いのにね~。

一見 
あの穴からは
不安みたいなものが 
ビュウビュウと吹き上げて来る様に見えるけれど

それは
ただ単に 
今の あなたが 
自分と思っている物にとって都合が悪いだけであって

本当は
ちっとも恐くなんて無いかも知れません。

最初の内は
その穴を埋めたりなんか
しないだけで良いんです。

次に
友達関係にまで発展させましょう。
色んな事を そこは あなたに教えてくれる筈です・・・・・。






ここまでが
メール講座の ちょうど半分に当たる前半の部分です。

明日からは
再び後半の部分をアップして行きたいと思います。

この前半の部分を経た後の後半は
また一味も二味も違ったものになるはずですから。
多分 理解の仕方や 理解の深さといったものが
随分と変わっているはずです。





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