この道の果てまで・・・

ただ純粋に ただ一途に歩む時
突如として それまでとは まったく違う
次元の異なる大地が あなたの目の前に姿を現す。

深遠な生の扉

2010-12-22 10:50:01 | Weblog



それは

とても難しい

場所は どこかも

既に解かっているし

見当違いの方向など

歩いている訳では無いのに




こちらが

少しでも力んでしまったり

力を加えてしまうと途端に

入り口は閉ざされてしまうのだ。




ゆったりと身体の力を抜いて

気持ちの力までも抜かなければ

その入り口は開いてはくれない。




第一

何かを目的にしたり

何かを求めたりなど

既にしていない。




そんなものは もう

とっくの昔に捨ててしまった。




このまま歩めば

何を知る事が出来て

何が得られるのかも知らない。




けれど

知った事 得た事を

全て捨て去り 歩み続けていると




何も知らない私の足が 

何も持たない私のハートが

自然と向いて行く方向が在る

その方向に静かに歩んでいるだけだ。

何ひとつ見落とす事無く歩んでいるだけだよ。




なのに

それでも入り口が

閉ざされてしまう事が在る

そんな時には その場でじっと待つ

他に術など無い 摂理に反する何かを

私がしているのだろうと思い

閉ざされた入り口が開いてくれるのを

待つと 入り口は必ず開いてくれる。




長い間の自然との対話で

そんな事だけは自然と知る事が出来た。




勿論 それも

捨てて行かなくては

ならないのだけれどね。




だって頭的な理解で

私が その内に入り口は

開くさと 高をくくっていても

入り口は なかなか開いてはくれない。




本当に 私の中に

何も持たなくなった時にしか

入り口は開いてはくれないのだ。




その内に

私は理解する

最初に知の理解で

自分が高をくくっていた事を・・・。




待つだけと言ったけれど

待つ間に 私の中では

そんな事が 行われていき




私の中に

本当に何も無くなり

静寂さを伴った空間が姿を現した時に




その扉は開き 

新たな智慧を与えてくれる。




だから 私は

これから先 私が歩む方向も

この先に 私が知って行く事も

本当には 私は何も知らない

いつも新たに見せられるものは

私の理解を遥かに越えたものばかりだから

想像しようもない。




けれど

何も知らないのは、

何も持たないのは、今と変わらず

全く同じだから、私には何の不安も無い。




むしろ

何か わくわくとした期待感が

私の中には いつも在る。

これがいけないのかも知れない。

でも仕方が無い 今の私は そうなのだから。




まだまだ私など
 
雄大な生の前では

鼻タレ小僧に過ぎないのだから。

いや ひょっとしたら 

そこまでも行ってなくて

生まれたばかりの赤ん坊に

過ぎないのかも知れない。




でも私は 生の前で

ずっと生まれたばかりの

赤ん坊のままでも 良いかも知れない^^





































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