この道の果てまで・・・

ただ純粋に ただ一途に歩む時
突如として それまでとは まったく違う
次元の異なる大地が あなたの目の前に姿を現す。

全ての物事の原因を自分の中に探し出す

2008-05-12 10:15:30 | Weblog



1人の人を本当に


愛せるようになることは


実は とても難しいことなのです。






ただ表面だけを 


その人の表層に現れている部分だけを


愛することは簡単ですし誰にも出来ますが






どんなに愛したとしても


自分の中の奥の方で


しっかりと自分だけは


傷付かない様にしての愛は愛とは言えません。







この様に


自分の表面だけではなく


内面にまで目を向けていたら






あなたの愛ひとつを見つめてみても 


自分に問題が無いなどという馬鹿げたことは


何に対しても言えないのです。






自分に問題があると


見なすことが出来るからこそ


自分の手で問題の解決に取組もうとするし、


間題の解決が出来るのです。






もしも、それを誰かの所為にしていたら


その人の責任だから


原因すら見つめる事をしないのです。


それは その場では楽で良いかも知れません。


けれど問題の解決は人に委ねられた訳で


自分の手の中に解決の糸口が無い事にしてしまうのです。






逃げることも良いです。


人の所為にする事も良いでしょう。






けれど、そうして歩く限り


原因を究明する必要も無い代わりに


あなたが解決できない問題から更に逃げ回るしか


道は残されていない事になってしまいます。






自分の問題として見つめて行くことは


決してマイナスになどならないし


ネガティブな事ではありません。


むしろ本物の積極性と言えるのです。






なぜなら どんな問題でも 


まずは自分の責任として引き受ける事で


自分の手の中に解決の糸口を持って来れるのですから







自分が


本当に苦しくなった時には


最後にでも良いですから 


ぜひとも これを試してみてください。


きっと自分の前に道は開かれている事に


簡単に気づける様になれます。







そして 


勘違いをしてはいけない事は


自分の責任だと頭や言葉だけで


自分に言い聞かせるのと


私の言っている事は 全く違います。


言葉で私が悪かったとか 


私の責任だったなどと言うのは


誰でも簡単に言えるのです。






本当に自分の責任として捉えたら


当然 何が原因だったのかを見つめて行きます。


本気で原因を見つめ その原因を見破れた人は


どこが どういう風に自分の責任なのかを


誰が聞いていても納得出来る様に具体的に言えるのです。







原因が解かれば


自分がどうすれば良いのかも


解かって来ますし、適切な対応が取れて


簡単に問題が解決されてしまうのです。







自分自身に目が向いていると、


物事を自分以外の人の所為に


すり替えないで歩めると

 
あらゆる問題を小さな芽の内から


摘み取る事が出来て この指先程度の力で


抜き取る事が出来ます。







自分に目を向ける事が出来て居ないと


常に問題を 自分以外の所為にしてしまいます。


そうする事で その問題は大木の様に育ち


解決には多くの体力と労力を要する様に成ってしまいます。























どこにも属さず 誰にも頼らず
あなたが考え あなたが判断して歩く道
http://ningen-monogatari.com/sub15.html







もしも あなたが
愛で傷ついていたなら
どんな愛で傷ついた深い痛みでも
必ず癒してしまう事の出来る
私達の講座を考えてみて下さい。
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