りなりあ

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指先の記憶 第三章-32-

2011-02-28 17:30:28 | 指先の記憶 第三章

大輔さんの右腕が動く。
「壊さないで!!」
立ち上がった私は叫びながら両手で大輔さんの体を押していた。
突然のことに大輔さんは少しバランスを崩す。
棚の上の貯金箱。
小学生の夏休みに作った、貯金箱。
それに触れられそうになって、思わず大輔さんの体を押していた。
「ご、ごめんなさい。」
私は何をしているのだろう?
触られたわけでもないのに。
大輔さんは何もしていないのに。
どうして?
自分自身の行動と言葉が奇妙で不思議だった。
「ごめん。」
大輔さんの声に顔をあげる。
なぜか彼は少し微笑んでいて、今まで騒々しかったのが不思議なくらい穏やかな表情だった。
「大丈夫、触ってないから。好美の手作り?」
「はい…小学生の時に…でも」
心の奥に閉じ込めていた思い出が、まるで飛び出るようだった。
「おじいちゃんが…手伝ってくれるだけのはずなのに、どんどん勝手に作っちゃって…。」
夏休みの宿題なのに。
思い出して頬を膨らませた私を、大輔さんが見て笑う。
この人でも、こんな風に笑うんだ、と不思議に思った。
騒々しくて、騒がしくて、うるさくて、鬱陶しくて、私をイライラとさせた人。
哲也さんと同じ年齢なのに、子どもっぽくて、落ち着きがない人。
そんな印象しかなかった人が、とても満ち足りた笑顔を私に向けた。
そんな風に微笑みかけてもらうのは、とても久しぶりだった。
みんな、私をかわいそうだと、不憫だと、哀れだと、大きな優しさで包み込むように微笑んでくれる人が多かった。
その優しさに救われたのは事実。
でも、哀れみの眼差しに惨めな思いをしたのも事実だった。
「哲也、帰ろうか。あ、その前に、これ飲んでから。」
大輔さんが、まだ誰も手にしていなかった猫のカップでハーブティを飲む。
そして、私に犬のカップを差し出した。
「冷めちゃうよ?」
受け取った私は、その場に腰を下ろした。
少し冷めたハーブティを飲んで、そして視線を上げると、哲也さんと目が合った。
その直後に、哲也さんが噴出した。
それが珍しくて、声を出さないようにしているけれど、哲也さんは耐え切れないという風に笑っていた。
それにつられたのか、須賀君も笑い出す。
「なんだよ、2人とも。」
不機嫌な声を大輔さんが出して、それを聞いた哲也さんと須賀君が、また笑い出す。
「悪い、いや…人って変わらないものなんだと、思っただけだ。」
笑いながら、言葉を詰まらせながら、哲也さんが言う。
「考え方とか、行動とか…記憶とか…簡単に消えないんだな。」
大輔さんが飲み終えたカップを、少し乱暴に置いた。
「それって、成長していないってことですよ。哲也さん。」
須賀君の言葉に、また哲也さんが笑う。
「2人そろってやめてくれよ。帰るぞ、哲也。」
須賀君の後ろを通った大輔さんが、ポンッと、手のひらを須賀君の頭上に置いた。

◇◇◇

床に転がって、目を閉じた。
「おーい、姫野。眠るなら2階に行け。」
「…おなかいっぱい。もう食べられない。」
「当たり前だ。あれだけ食べたら充分だ。」
言いながら須賀君は、まだ箸を動かしている。
「さすが育ち盛り。若いなぁ康太は。」
「何をオヤジみたいなこと言っているんですか。大輔さん。ちょ、ちょっと哲也さん。それ、俺の肉。」
「…頼むから、そういう悲しくなるような発言をするな。まだ冷蔵庫にあるだろ。」
「どうして2人とも一生懸命本気で肉食べるんですか?帰って家で食べればいいのに。」
「誘ったのは康太だろ。俺と哲也は康太達が食べる為に買ってきたのに。残れば冷凍すればいいと思ったのに、この調子だと全部食べる気だろ?」
「ほらほら、大輔さん。白菜とネギ。瑠璃先輩のお野菜美味しいですよ。」
「分かってるよ。さっき食べた。康太、響子さんにも、ちゃんと分けてやれよ。」
須賀君と大輔さんの言い争いは相変わらず。
「…私は、いいです。見てるだけで…。」
目を開けると、響子さんが立ち上がって台所へと向かうのが見えた。
朝食に須賀君が用意してくれた料理を、私は食べることができなかった。
昼食は響子さんが作ってくれた。
残っているはずの須賀君の料理は、既に冷蔵庫の中にはなかった。
響子さんが食べてくれたようだが、須賀君は食欲旺盛の私が全て食べたと思い込んでいる。
哲也さんと大輔さんが買ってきてくれた、見たこともない高級そうな牛肉で“すきやき”を提案してくれた響子さんは、私の気持ちを察している。
須賀君の手料理に嫌悪を感じてしまったこと。
この状態で須賀君と食卓を囲むことに抵抗があること。
騒々しい声を聞きながら、また瞳を閉じた。