快風走

走っているとき、そして、走った後の風の心地よさはランニングの最高の楽しみです。

【山岳レースの歴史・第2章・アメリカ】の翻訳①~ハンデ戦のトレラン大会~

2020-06-04 15:56:18 | ランニング・ロシア語辞典
ヨーロッパ編に続き、アメリカ編。

アメリカで最初のトレラン大会Dipsea Raceは、いわゆる「ハンデ戦」だったらしい。

スピードの遅いランナーからスタートする「ハンデ戦」は、一斉スタートのレースと違って、抜いたり抜かれたりのシチュエーションが多い。
先にスタートしたランナーは抜かれないよう頑張るし、後にスタートしたランナーは追い抜いてやろうと必死になる。
ドキドキ感が満載だ。

見出し画像はネットで拾った。
アラスカのMount Marathon Race。
マラソン山(標高921m)への往復コースで約5㎞ぐらいらしい。

訳文中の「1913年には富士登山競走が開催された」とのあることの補足説明。
以下はウィキペディアから。
→御殿場における富士山での競走は金栗四三が発起人となった1913年(大正2年)7月25日の富士登山競走までさかのぼる(富士吉田市で現在開かれる同名の大会との関係はない)。
この競技は御殿場口五合目太郎坊から富士山頂までの速さを個人で競うものだった。
1925年(大正13年)に御殿場駅前と富士山頂を往復する富士登山往復駅伝が開始。
1939年(昭和14年)に第二次世界大戦のため中止。1951年(昭和26年)から1954年まで4回開催されたあと、再び中断。
1976年(昭和51年)に復活した。
この大会を第1回として以後続いている。
2020年は中止。
(以上) 


《今日のランニング・ロシア語辞典》
забегать/забежать на гору 山を駆け上がる
забегание на самые культовые вершины 最も聖なる頂への駆け上がり 
карабкаться/вскарабкаться на гору 山をよじ登る
сократить время покорения вершины 山頂征服タイムを短縮する 
установить новый рекорд 新記録を達成する
забег на вершину 山頂へのレース
по системе гандикапа ハンディキャップ制で

менее чем за 4 часа
до 3 часов
выбежать из 2 часов
どれも「~切り、~以内」みたいだけど、自分の知識では正確には区別できない。

「Mountain race ru.」の原文はこちら
→https://mountain-race.ru/news/istoria-gornyh-zabegov-cast-ii/
①の部分は、
「Появление горных забегов в США」から
「а рекорд, установленный Эмили, держится до сих пор」
 まで。

《アメリカにおける山岳レースの出現》
1874年にジョン・ミューアが、標高4322mのカリフォルニアのシャスタ山に駆け上がって以降、多くのアメリカ人がさらに速く山頂を征服することを求めた。

数年後、1883年、ガリー・ベブコックは4時間を切り、20世紀の20年代にはさらに無数の挑戦があった。
まずノーマン・クライドが山頂征服のタイムを3時間以内に短縮し、その後、バルニ・マッコイが新記録を達成し、その記録は山頂レース公式開催され始める1925年まで保持されつづけた。
開幕レースではデビッド・ローヤーが新記録を達成したが、その記録はロバート・ベップが2時間を切って走った1985年まで破られることはなかった。

アメリカにおける最初のトレイルの一つは、サンフランシスコのDipsea Raceで、1905年に初開催された。ミル・バレーから山を駆け上がり、スティンソン・ビーチへ降りる7マイル半だった。
このレースで興味深いのは、スタートにハンディキャップ制が採用されていたことだ。
最も若い参加者(6、7歳の子供)と最も年配の参加者が最も速くスタートして、エリートのアスリートたちは最後にスタートした。
こうした条件においては、ほとんどすべての者に優勝のチャンスがあり、誰が勝ってもおかしくはない。

20世紀初めには、山岳レースへの情熱は全世界に広がっていき、最も聖なる頂への駆け上がりとして開催されるようになる。
1908年にアラスカでMount Marathon Raceが開催され、1911年にワシントン州でMount Bakerマラソン、1913年には日本で富士登山競走が開催された。

Mount Marathon Raceは、その時以来、南アラスカのスワードの町で、毎年、独立記念日の7月4日に開催されている。
このレースが名声を博したのは、その距離からではなく、ランナーたちが岩、ぬかるみ、ガレ場のほとんど1000mの垂直コースをよじ登る山岳マラソンだったからだ。

2015年、この有名なレースに、キリアン・ジョルネとエミリー・フォルスベルグが参加し、新記録を達成した。
キリアンの記録は翌年、アラスカのデビッド・ホップスによって破られたが、エミリーの記録はまだ保持されている。


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