先日、ある元帝国海軍中尉の講演を聞きました。
その方は、加藤 さん(93歳)です。(なんと、Wikipediaがあります)
加藤さんは、航空巡洋艦「最上」で、かのレイテ沖海戦に参戦したご経験がある方ですので、お話がとても楽しみでした。
昨年、永遠の0を観て、久野潤先生の「帝国海軍の航跡」を読んでから、
私も直接、戦場に行かれた方たちのお話を聞いてみたい、と願っていましたら、
今年に入って、運良くお会いできる事が増え、いろいろとお話を伺う機会を得られたことは、
大きな幸運です。
お話を聞いた者としては、出来るだけたくさんの方に知って頂くことが、
ご恩に報いることではないか、と考える次第です。
実は、この日の講演会では、私は司会を務めさせて頂いたのですが、
会場入りされた加藤さんにご挨拶をした時、笑顔で、
「年寄りですから、お手柔らかに頼みます」
とユーモアたっぷりに仰ったのがとても印象的でした。
足腰がしっかりとしていらして、90分以上、立ったままでお話されました。
さすがは元海軍士官、そのお話は、力強く明快で聞きやすいだけでなく、
本当に軽快で楽しくてユーモアたっぷりです。
「私は、近衛になる道があったので、家族は全員そうしろと言いました。
近衛であれば、戦場に行くことはないので、戦死する可能性はありませんから。
ですが、私はそれを蹴って、志願して海軍に行くことにしたのです。何でかと言いますと、
モテたかったらです(笑)
夏のあの真っ白い詰め襟に短刀を刺した姿は、そりゃあかっこよくて憧れました。
モテてましたよね(笑)」
「最上に着任すると、士官一人につき、自分の父親くらいの歳の准尉がついて、
身の回りのことをなんでもしてくれるんです。
週に一度はコース料理が出て、びっくりしました。
私なんか、ナイフやフォークやら使う順番がわからない・・・
困っていると、後ろについてくれている准尉が教えてくれるんです。
・・・あんな待遇は戦争中海軍士官だったからで、
そうでなければ一生なかったでしょう。
食事は、やっぱりカレーライスと、あとは肉じゃががおいしかったですね。
戦艦大和は、大和ホテルと呼んでいましたよ(笑)
大和の甲板では、時々、海外から持ち込んだ映画が上映されていたので、
観に行っていました。日本で上映される時は、
・・・ほら、男女がこうくっつくシーン(キスシーン)はカットされているんですが、
海外から持ち込んだものなので、カットされないままなのでね、
いやぁ、盛り上がりましたねぇ(笑)」
「海軍は給料はよかったです。通常の給料に乗組員手当に、
私は搭乗員手当もつきましたから、よかったです。
しかも、艦に乗っているとお金使いませんからね。昭南(シンガポール)に上陸したときなんかに、
料亭で芸者さん呼んで、ぱ~~~っと使いましたね(笑)
女性は、慰安婦なんて海軍には居ませんでした。芸者さんは日本人ばかり。
中国人や朝鮮人はいませんでしたよ」
ここだけ聞くと、ずいぶん楽しそうで、なんだ、いい思いばっかりしていたのか、
と思われるかもしれませんが、
言うまでもなく、そんな楽しいことばかりのはずはありません。
加藤さんは、戦艦最上に零式水上偵察機の搭乗員として乗艦され、
その3ヶ月後、レイテ沖海戦に参戦されるのです。
最上は、旗艦山城はじめとする西村艦隊に所属していました。
「山城は大正に作られた老朽艦、こちら最上は最新鋭ですよ。
あんな鈍足と一緒に行くのはかなわんな、とみんなで言っていました」
案の定、足の遅い山城は、米駆逐艦の魚雷2発と米戦艦及び巡洋艦より
4,000発もの砲弾を発射され、数十発以上が命中し
弾薬庫が爆発・・・艦長は「総員脱出」を命じるも、僅か2.3分で転覆し沈没。
なんと、生存者は10名以下という生存率の低さです。
また、山城と行動を共にしていた、同型艦の扶桑は同日に米駆逐艦の魚雷攻撃を受け魚雷4本が命中、
弾薬庫に引火爆発船体が真っ二つに割れて、沈没・・・こちらは、生存者ゼロでした。
この2艦の最後を、加藤さんは見届けられました。
そんな中、最上は機関部を被弾し、速力が8ノットに落ちます。
甲板に加藤さんがいた時、艦橋が直撃を喰らいました。
加藤さんが、急いで艦橋に上がると、艦橋にいた全員が戦死していたそうです。
「永遠の0、あれ映画観た方多いと思いますが、赤城がやられた時、
甲板を火だるまになって転げ回っていた水兵がいましたね。
あれ、あんなことは、絶対に起こりえないですよ。
敵の爆弾を落とされると、首やら腕やらは飛び散り、バラバラになるもんです。
甲板はその上を波が覆い被さるので、真っ赤になるんです。もう、真っ赤です」
最上は、曙に発見され、生存者は曙に移乗します。
「最後、士官で艦内を見回ったのですが、その時、倒れている兵士が足を掴んで
こっちを観て、口をぱくぱくさせるんです。
連れて行ってくれて、と言っているんでしょうけど、とても連れて行ける状態ではないので、
申し訳ないけど、
敬礼してその場を離れることしかできませんでした。・・・この時のことは、今でも思い出すと
苦しいですね・・・」
その後、曙は魚雷を放って最上を沈めます。
その様子を、加藤さんは、曙から敬礼して見つめていたのだそうです。
「・・・レイテ沖海戦といえば、栗田艦隊の謎の反転がありますが・・・どう思われますか・・・?」
と、私が質問したところ
「あれ・・・あれね・・・私はもちろん、当時はそんなこと知るよしもなかったので、
戦後に知ったことですが、腹立ちましたよ!!
何のために、っておもいましたね」
当時、命がけで囮艦隊となった方たちからしたら、当然のお気持ちでしょう。
以前お話を伺った、伊勢の砲術員の田部さんも同じ事を仰いました。
加藤さんはその後、第六三四海軍航空隊に配属されました。
水上爆撃機「瑞雲」機長として、対艦爆撃に出撃多数の戦果を挙げられ、中尉に昇進されます。
加藤中尉は、特攻命令を待つ身となったそうですが、
結局、熟練搭乗員が減少する一途をたどる中、加藤中尉には、
特攻隊員の養成の任にあたることになりました。
貴重な実戦経験者を、後輩の指導に当たらせるということです。
「映画でも言っていましたが、特攻隊は十死零生ですよ。我々飛行機乗りは、九死に一生の、
一生に命をかけていました。
それが、十死零生・・・これは全く違います。しかしみんな、行くときは『後を頼んだぞ!』と、
ケロッとして言うんです。
あれは一体どういう心境だったのかなと思いますよ。
私は、特攻隊員を養成するに当たって、どうしたらいいのか必死に考えました。
・・・それで考えたのが『死ぬ方がマシ』と思える厳しく辛い訓練を課すことでした・・・」
特攻隊員の養成といえば、まさに、永遠の0の宮部久蔵と同じです。
「死に向かうための訓練」を課すというのが、どれほど辛いことか、想像を絶します。
「死ぬ方がマシ」と思えるほどの訓練を課すことが、加藤さんの精一杯の愛情だったこと、
慈悲だったことは疑いありませんし、
そんな形でしか愛情や慈悲を示せないことが、戦争の悲しさであろうと思います。
同時に、最近特攻について、私は考えるのことが、それは、そんな攻撃方法しかない、
というところまで追い詰められた状態、であると同時に、
負けた時の悲惨さを思うと、捨て身でもどんなことをしてでも、思いつく限りのことをして、
なりふり構わず
負けないためのなにかをせねばならなかったのではないでしょうか?
後世の人間からみるととてつもなく愚かな行為に見えても、護るためには、
他にもう方法がないと思ったのでしょう。
そのなんとしても勝たねばならない、という感覚は、今の日本人には理解しがたいことだと思います。
加藤さんが、最初に力強くはっきりと仰ったことは、
「今後、全面戦争はもう起こらないと思います。しかし、部分紛争は、
これは起こらないとは言えないと思います。
そうなった時、戦いというものは、どんなに小さな戦いであっても、絶対に勝たねばなりません。
どんなことをしてでも、どんな卑怯な事をしてでも、絶対に戦いには勝たねばなりません。
これが、実際に戦いを経験してきた、私の信念です」
ということでした。
「参加することに意義がある」「経験を積むことが大事」などと考える、
多くの現代の日本人には、やや衝撃的な言葉ではないでしょうか。
ですが、実際の戦場で命のやりとりをしてこられた方の言葉には、すさまじい重みがあります。
「負けると何も言えないんですよ。勝てば官軍、まさにそうなんです」
敗戦し、東京裁判に反論すら許されなかったことは、如実にその事を表しています。
日本と亜細亜を護るため、大東亜戦争を命がけで戦った方たちからすると、
自分たちが一方的に悪者にされ、
悪の権化のように言われることを甘受せねばならないというのは、どれほど屈辱で悔しいか、
想像するに余りあります。
「負けた、とわかった時、何を覚悟したか・・・日本人男性は子供、赤ん坊に至るまで全て殺害、
女性は全て暴行され妊娠させられる、こうなる、と思いました」
つまり、敗戦後に「民族浄化」が行われることを覚悟したのだそうです。
結果としてここまでの事は起こりませんでしたが、民族浄化といってもいい虐殺事件が、
終戦後に起こりました。
通化事件です。
通州事件と並んで、中国人が日本人に対して行った虐殺事件です。
しかも、通化事件は終戦後に起こっています。
これは、ここに詳細を掲載するのは憚られるほどのひどい内容ですので、ご興味がある方は、
ご自身で見てみてください。
また、通化事件に限らず、満州や朝鮮半島から引き上げて来る日本人たちが、
ソ連兵、中国人、朝鮮人から、
どれほどひどい目に遭わされたか・・・。
国内でも、在日朝鮮人からどれほどの女性が、未亡人が強姦されたか・・・。
戦争に負けて、国が亡くなるとはこういうことです。
国を護るべき武力がない、ということがどれほど悲惨かということを、
サヨクに煽動されて「ヘイワ」を叫ぶ人は、推して知るべきです。
加藤さんの
「どんな手を使ってでも、絶対に勝たねばならない」
という言葉に、全てが込められていると思います・・・。