というわけで、表敬訪問を終えた理事が戻られ、
ブリーフィングが始まります。
パワポで広報官の方が、駐屯地について説明して下さいました。
桂駐屯地は、京都市内唯一の駐屯地で、
中部方面後方支援隊、関西補給所です。
以前お邪魔させて頂いた、佐賀県目達原駐屯地も補給所でしたので、
「あっ、目達原と同じですね?」
言うと、
「そうです、そうです」
と。
で、具体的な説明は、後ほどの駐屯地各所の説明と一緒にさせて頂きますね
ブリーフィング終了後、
パーテーションで区切られた隣の部屋を見学させて頂きました。
以前、使用されていた看板です。
そして、よく見かける陶器製の手榴弾。
ここのは、備前焼でした。
こうなると、手榴弾ももはや芸術品…
ですが、ここで一番目を引き、興味をひかれるのは…
はい、不発弾の数々です
目達原もそうですが、ここ桂駐屯地にも、不発弾処理をする部隊があります。
こちらは、処理後に贈られた感謝状。
新しいのはレプリカですが…戦争の爪痕を顕著に感じます。
まだまだ、ひっそりといろんなところに眠っているのでしょうね…
こういう危険な作業を、コツコツと黙々とする職人さん的な仕事をする方、結構好きです。
こういう不発弾処理って、米軍がやると非常に大雑把らしいですね(笑)
爆破処理の時、火薬の量もめちゃくちゃで、えらいことになるんだそうです(笑)
そして、これだけ見つかりました…的な地図がコチラ↓↓↓
と、大阪市内で集中的に空襲があった場所を示した地図↓↓↓
そして…
米軍がばらまいた降伏勧告の文書です。
上部のは、以後の空襲予定地域の予告で、下が降伏勧告の文書。
これを読みながら、怒りが込み上げてきたのは言うまでもありません。
写真だと読みにくいのですが、ざっくり言うと、
「私たちは、無駄な殺戮をしたくない。だから早めに降伏しなさい」
ということが、しゃあしゃあと書いてあるわけです。
…東京大空襲の時、わざと逃げ道を火の壁でふさいで、非戦闘民を虐殺しておいて、
よくもまぁ、と思わずには居られませんでした。
「忘れてはならない東京大空襲」
これを、どこかの国のように、被害者主張ではなく、
事実ははっきりと国際的な場で、主張せねばならないと思います。
あの戦争で本当にひどい目にあったのは、一体どこの国民なのか?
事実がきちんと伝われば、ゆすり・たかりをする国もなくなるでしょう。
そして、どこよりも、そもそも、
この日本国内で、歴史の真実を伝えていかないといけません。
少しでも多くの人に、知ってもらわねばなりません。
先人たちの誇り高さと、教養の高さ、勇気、責任感、強さ…
今の日本から、急速に失われているあらゆるものを、それらを取り戻さねばなりません。
そんな思いを抱えながら、資料館を後にしました。
ブリーフィングが始まります。
パワポで広報官の方が、駐屯地について説明して下さいました。
桂駐屯地は、京都市内唯一の駐屯地で、
中部方面後方支援隊、関西補給所です。
以前お邪魔させて頂いた、佐賀県目達原駐屯地も補給所でしたので、
「あっ、目達原と同じですね?」
言うと、
「そうです、そうです」
と。
で、具体的な説明は、後ほどの駐屯地各所の説明と一緒にさせて頂きますね
ブリーフィング終了後、
パーテーションで区切られた隣の部屋を見学させて頂きました。
以前、使用されていた看板です。
そして、よく見かける陶器製の手榴弾。
ここのは、備前焼でした。
こうなると、手榴弾ももはや芸術品…
ですが、ここで一番目を引き、興味をひかれるのは…
はい、不発弾の数々です
目達原もそうですが、ここ桂駐屯地にも、不発弾処理をする部隊があります。
こちらは、処理後に贈られた感謝状。
新しいのはレプリカですが…戦争の爪痕を顕著に感じます。
まだまだ、ひっそりといろんなところに眠っているのでしょうね…
こういう危険な作業を、コツコツと黙々とする職人さん的な仕事をする方、結構好きです。
こういう不発弾処理って、米軍がやると非常に大雑把らしいですね(笑)
爆破処理の時、火薬の量もめちゃくちゃで、えらいことになるんだそうです(笑)
そして、これだけ見つかりました…的な地図がコチラ↓↓↓
と、大阪市内で集中的に空襲があった場所を示した地図↓↓↓
そして…
米軍がばらまいた降伏勧告の文書です。
上部のは、以後の空襲予定地域の予告で、下が降伏勧告の文書。
これを読みながら、怒りが込み上げてきたのは言うまでもありません。
写真だと読みにくいのですが、ざっくり言うと、
「私たちは、無駄な殺戮をしたくない。だから早めに降伏しなさい」
ということが、しゃあしゃあと書いてあるわけです。
…東京大空襲の時、わざと逃げ道を火の壁でふさいで、非戦闘民を虐殺しておいて、
よくもまぁ、と思わずには居られませんでした。
「忘れてはならない東京大空襲」
これを、どこかの国のように、被害者主張ではなく、
事実ははっきりと国際的な場で、主張せねばならないと思います。
あの戦争で本当にひどい目にあったのは、一体どこの国民なのか?
事実がきちんと伝われば、ゆすり・たかりをする国もなくなるでしょう。
そして、どこよりも、そもそも、
この日本国内で、歴史の真実を伝えていかないといけません。
少しでも多くの人に、知ってもらわねばなりません。
先人たちの誇り高さと、教養の高さ、勇気、責任感、強さ…
今の日本から、急速に失われているあらゆるものを、それらを取り戻さねばなりません。
そんな思いを抱えながら、資料館を後にしました。