「歩くZ旗」みね姉のひとりごと ~矜持 国を護るということ~

私たちを護ってくれている自衛隊を、私が護りたい!そんな気持ちで書いてきました。今は、自衛隊との日々の大切な記録です

桂駐屯地にお邪魔してまいりました♪  ~桂資料館、そして…編~

2015年03月03日 | 陸上自衛隊
というわけで、表敬訪問を終えた理事が戻られ、


ブリーフィングが始まります。



パワポで広報官の方が、駐屯地について説明して下さいました。


桂駐屯地は、京都市内唯一の駐屯地で、


中部方面後方支援隊、関西補給所です。


以前お邪魔させて頂いた、佐賀県目達原駐屯地も補給所でしたので、


「あっ、目達原と同じですね?」


言うと、


「そうです、そうです」


と。


で、具体的な説明は、後ほどの駐屯地各所の説明と一緒にさせて頂きますね






ブリーフィング終了後、


パーテーションで区切られた隣の部屋を見学させて頂きました。



以前、使用されていた看板です。



そして、よく見かける陶器製の手榴弾。


ここのは、備前焼でした。


こうなると、手榴弾ももはや芸術品…


ですが、ここで一番目を引き、興味をひかれるのは…









はい、不発弾の数々です


目達原もそうですが、ここ桂駐屯地にも、不発弾処理をする部隊があります。




こちらは、処理後に贈られた感謝状。


新しいのはレプリカですが…戦争の爪痕を顕著に感じます。


まだまだ、ひっそりといろんなところに眠っているのでしょうね…


こういう危険な作業を、コツコツと黙々とする職人さん的な仕事をする方、結構好きです。


こういう不発弾処理って、米軍がやると非常に大雑把らしいですね(笑)


爆破処理の時、火薬の量もめちゃくちゃで、えらいことになるんだそうです(笑)






そして、これだけ見つかりました…的な地図がコチラ↓↓↓



と、大阪市内で集中的に空襲があった場所を示した地図↓↓↓



そして…






米軍がばらまいた降伏勧告の文書です。


上部のは、以後の空襲予定地域の予告で、下が降伏勧告の文書。


これを読みながら、怒りが込み上げてきたのは言うまでもありません。


写真だと読みにくいのですが、ざっくり言うと、


「私たちは、無駄な殺戮をしたくない。だから早めに降伏しなさい」


ということが、しゃあしゃあと書いてあるわけです。


…東京大空襲の時、わざと逃げ道を火の壁でふさいで、非戦闘民を虐殺しておいて、


よくもまぁ、と思わずには居られませんでした。


「忘れてはならない東京大空襲」


これを、どこかの国のように、被害者主張ではなく、


事実ははっきりと国際的な場で、主張せねばならないと思います。


あの戦争で本当にひどい目にあったのは、一体どこの国民なのか?


事実がきちんと伝われば、ゆすり・たかりをする国もなくなるでしょう。


そして、どこよりも、そもそも、


この日本国内で、歴史の真実を伝えていかないといけません。


少しでも多くの人に、知ってもらわねばなりません。


先人たちの誇り高さと、教養の高さ、勇気、責任感、強さ…


今の日本から、急速に失われているあらゆるものを、それらを取り戻さねばなりません。


そんな思いを抱えながら、資料館を後にしました。











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