だってママちゃんだもん

猫、旅行、日々の話を写真と共に

そろそろ終わりかな?

2018-06-29 10:41:42 | 日常
もう一人の旅友に紹介されて以来ここ5年近く一緒に旅行に行っている相棒も70超え。
私との年の差11歳は大きいと最近ことごとく感じる。

5年前は一眼で一生懸命写真も撮っていたが、最近は重いと言ってタブレットとスマホ専門。
何の為に高い一眼をかったのやらw

70代でも私よりも健脚な人は沢山いるが、車ばかり使ってあまり歩かない相棒の体力はかなり落ちている。

いつも旅行を申し込むときに、ビジネス利用を勧めるが、私に遠慮してなのか自分もエコノミーで良いと言う。

が、今回も旅行数日前にぎっくりになったとLINEが来た。

旅行に行かないのかと思いきや
アップグレードするという内容。
私に悪いから理由をこじつけての言いわけか?w

旅行当日、空港で相棒に会うが、、全くぎっくりを感じさせない動き。

足元の広い席がラッキーにも取れたのでアップグレードせず。

が、帰りは真ん中の席になってしまった相棒。

「帰ったら忙しいんだよな。。。次の日はゴルフ場に取りに行くものもあるし。。。」等々私に聞こえる独り言をブツブツ。

「だから?」と思わず聞くと

「だからアップグレードする」と言う。

何もそんなに遠回しに言わなくても最初から私はアップグレードしていきなと言っていたんだから良いのに。
逆にどうでも良い言い訳をされるのはちょっと。。。

今年2月にウユニに行った時、相棒は高山病でかなり具合が悪くなったにも関わらず
、懲りずに9月、一緒にマチュピチュに行くと言っている。

一緒に行く私としては具合が悪くなられてもとは思うが、行くと言うのにダメとも言えず。

今年はこの9月に行くマチュピチュで旅行は終了予定。

私自身は来年の予定をたててはいるが、相棒と相談はしていない。

もしかしたら、相棒自身もそろそろ終わりかな?と感じているのかもしれない。

ポーランド旅行記9.ワルシャワ歴史地区を観光

2018-06-28 08:03:37 | 旅行
首都と言うこともあってか今までと少し違い、近代的な建物も多くみられる。
ポーランドの首都ワルシャワは1944年にナチスドイツにほとんど破壊された。


ガイドに当初の壊滅状態だった写真を見せてもらったが、新たに作られた街は見事に蘇っている。


街の所々にあるベンチの様な物。
そこについているボタンを押すとショパンの音楽が流れる。


街の所々に設置されており、曲は場所によって違う。

が。。。
ある日、ガイドが早朝このベンチの前を通った時に1枚のカードを発見。
見ると、
「私はこのベンチの前に住んでいる物です。
朝早くから遅くまで毎日誰かがボタンを押すたびにショパンの曲が流れます。でも曲はたったの1曲だけ。
今日だけはどうかボタンを押さないでください。」
と、書いてあったとか。

ん~ん気持ちは分かるかも。w

私達はキュリー夫人の生家、旧市街広場等を散策。

この後空路帰国の途へ

ポーランド旅行記8.負の世界遺産アウシュビッツ収容所

2018-06-27 13:55:28 | 旅行
アウシュヴィッツ強制収容所とは、第二次世界大戦中の1940年から1945年にかけて、
ナチス・ドイツ(当時)の占領下にあったポーランド領内に作られた強制収容所の名称

第二次世界大戦中に、ヒトラー率いるナチ政権が国家をあげて推進した人種差別的な抑圧政策により、
最大級の惨劇が生まれたとされる強制収容所だ。


ヒトラーはユダヤ人を絶滅させようと考えていた。
アウシュビッツ強制収容所は、そのために建てられた施設である。




このような収容所を建設する土地を選ぶ条件として

 1.ヨーロッパの中央に位置し、交通の便がよいこと
 2.周囲の住民から施設を隔離できること
 3.増設していけるくらいの広大な土地があること

当初ナチスに反抗するポーランド人の虐殺を目的としていたが、
時が経つにつれ収容所は拡張され、1-2年のうちにヨーロッパ中から集められた大量のユダヤ人を殺すための一大殺戮施設へと変貌していった。

囚人は,奴隷労働として死ぬまで利用するか,ガス殺し,死体を焼却して,証拠隠滅を図った。

何故ユダヤ人はここまで迫害されたのか。
その理由は宗教的要素と人種的要素の二つの面をもつからとされている。

収容所の中はかなり広いが、中へ入ると若干息苦しく感じられたのは私だけだろうか。

更に、木で出来た小屋へ入ると何とも言えない匂いがした。

私は外へ出てレシーバーから聞こえてくるガイドの説明を聞いた。

こういう負の遺産も大切ではあるが、やはり私は綺麗な世界遺産の方が。。。w

この後、ワルシャワに移動し、夜はショパンピアノコンサートを楽しんだ。

つづく

ポーランド旅行記7.世界遺産クラクフ歴史地区の観光

2018-06-25 13:59:46 | 旅行
旅行5日目の午後はクラクフへ移動。

クラクフは、ポーランド王国時代の首都であった場所で、ポーランドで最も歴史ある都市の一つ。


街には今でもその歴史を感じられる建物が多く残っている。

世界遺産のクラクフ歴史地区にて聖マリア教会、ヴァヴェル城、中央広場等を見学。

聖マリア教会は13世紀初めに建造されたゴシック様式の建物で、
その歴史的価値から1978年には「クラクフ歴史地区」として世界遺産にも登録されている。


ゴシックルネッサンス様式のお城です。ワルシャワに首都が移る16世紀まで、
このヴァヴェル城に歴代のポーランドの王様が住んでいました。敷地内には大聖堂や旧王宮、王の墓など、歴史的な建造物が数多くある。

ヴァヴェル城で は調度品や美術品、宝飾品、武器などが展示されていて、
当時の王族の生活を垣間見ることができる。


国立博物館では ダ・ヴィンチ作「 白貂を抱く貴婦人」が展示されていたが、
他の展示品を見る事は出来なかった。


旅行6日目は負の遺産、アウシュビッツの観光となる

つづく

ポーランド旅行記6.塩の宮殿ベェリチカ観光

2018-06-24 13:52:01 | 旅行
旅行5日目午前中はヴェリチカ岩塩坑の観光。
ヴェリチカ岩塩坑は、世界最古の岩塩鉱山の一つ。

14~16世紀、ポーランド王家の財源を担った塩は、生鮮品の保存、火薬の製造、
役人の報酬などに用いられ採掘地がこの岩塩坑だった。


地下には、鉱山労働者たちが岩塩で築いた礼拝堂があり、レリーフや彫像、
シャンデリアなどは芸術の域に達している。


空気が塩の殺菌作用で浄化されていることから、療養所なども設けられている。

地下に降りるときエレベーターに乗り降りた。


中は迷路のようになっているため案内人が道案内をする。

中はひんやりしていたが、寒くはなかった。

当時の様子が良く分かるように再現されていた。

午後は世界遺産のクラクフ歴史地区の観光となる

つづく