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mimi-fuku通信

このブログを通して読み手の皆様のmimiにfukuが届けられることを願っています。

日本の領土問題とイマジンのメッセージ(若い世代へ)。

2012-08-14 09:30:00 | 政治・社会・時事

ロンドン五輪の閉会式を観ながら。
みみふく通信では〝こんな〟つぶやき。
ジョンのイマジン。
領土問題なんて小さなこと。
大局を見つめて。

今朝のみふく通信のつぶやきは、
竹島問題と韓国男子サッカー選手。
会場にいたファンから手渡されたプラカード。
本人が事前に用意したものでなければ政治的意図はないだろう。
試合後の興奮状態。
日本人には大目にみる度量を求めたい。
小さな度量は大局を見逃す。

ジョン・レノン。
『イマジン』の歌詞に、

♪想像してみな。
国境のない世界を。
難しいことじゃない。
殺す理由も、
死ぬ理由も、
(どこにも)ないんだ。


♪想像してみな。

すべての人々が、
平和に暮らす社会。

♪想像してみな。
所有のない世界を。
君にそれが可能かい?

♪想像してみな。
総ての人々が、
世界を分かち合う社会を。

勿論、
ジョンが歌詞中で言う、
You may say I'm a dremer.

1971年の発表から約40年。
国際紛争のたびに流れるジョンの精神。
勿論、
それは絵空事の夢物語にも感じる。

時代は変わる。
注目すべき歌詞は、
♪想像してみな。
総ての人々が、
世界を分かち合う社会を。

ネット社会が平等に与えたコミニュケーション。
紛争の種が小さな領土の所有権でも。
引き下がれない国家間は時に対立を導く。

詳細なコミニュケーションなく、

自国の主張をプロパガンダに国民へ植え付け。
最初は小さかった小競り合いも不満感情の蓄積。
民主主義社会でも陥る罠(好戦論)は繰り返された。

若い世代へ。
ネット社会が平等に与えたコミニュケーション。
領土の所有権の頑なな主張が国家の大局なのか?
国家間の歴史認識の相違を埋める公開ディベートの必要性。
政治対立でなく学者間の領土権の論点の衝突と、
未来世代が話し合う“喋り場”を国が提供できれば。
*国の解決できない問題を民間交流で議論する。

時代は変わる。
時代は変わらなければならない。

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【福島第一原発事故(東日本大震災)は人災】:国会事故調の報告は無責任だ。

2012-07-06 00:22:55 | 政治・社会・時事

午後9時20分。
激しい通り雨の中、
一人酒場へ。

自分の考えを確認したい時は、
人の集まる居酒屋に限る。

2012年7月5日。
国会の事故調査委員会は、
福島第一原子力発電所の事故を“人災”と断定。
*これってどうなのよ?

事故調の言い分を読む限り、
“後付の答えありき”は否めない。


私の考えでは、

2011年3月10日の時点で、
原発事故(大津波の強襲)を予測できた人はいないと思う。

(大津波の)可能性を示す研究者と言っても、
“その発言力(=日本人が重んじる権威)”を思うと、

真剣に電源喪失を予知できた機関(組織)はあったのか?
と同時に、
声高らかに市民の耳に入る情報発信(メディア)の有無。
*私の知る限り福島沖に巨大津波が来るとの資料はなかった。


私はこの事故を自然災害と断定したい。
もしも福島第一原発の事故が人災であるとするなら、
その責任は日本の地震研究機関(気象庁含む)や、
各専門分野の大学や災害担当の行政機関(国・自治体)。
さらに、
危険性を指摘・改良要請を強く報じなかったメディア全般。


個人や研究者の意見は無に帰する“日本の知の現実”の中で、
主要な機関が何も疑いを持たずに原発の運転を認可していたなら、
この事故を人災(企業)と認定することは難しいのではないか?
*日本の知の現実=一部の頭脳を除いて考えることは許さない。

福島第一原発事故とは“日本の知の敗北”であり、
その責任は、
一企業や政府の専門機関だけの問題ではない。
*福島原発事故を人災と断定するならそれは日本の知の責任。


さらに重要なことは、
この事故を人災にすることを前提に、
事故調は議論は進められているだろう私の推測。

自分たちの考えと言うよりも、
メディアや大衆心理に配慮した“先出しの答え”に理由の付け足し。
日本独特の自分たちが攻撃対象にならないような先出しの答え。
私にはそう思えてならない。
*答えを先に出して理由をつける無知ほど馬鹿げたものはない。

もしも、
本気で国会の事故調査委員会が福島原発の事故を人災と考えるなら、
その発表と同時に大飯原子力発電所の運転差し止めの要求も肝要。

福島第一原発の事故は、
1000年に一度(不確定・未知数=M9の予知)の震災。
もしも、
原子力発電所の水素爆発が予知・予防できた人災と言うなら、
10万年に一度(不確定・未知数)の断層直下型地震の、
予知・予防を訴える研究者の言葉があれば耳を傾け、
日本中の総ての原発の廃止をできるか否か?
*私が知り限り東北沖の最大マグニチュードはM8.1だった。

もしも、
福島第一原発の1000年に一度(不確定・未知数)の震災による、
原子力発電所の水素爆発が予知・予防できた人災と言うなら、
400年周期で起きるとされる東海~南海の連動巨大地震と浜岡原発。

そのことに言及せずに、
既に起きてしまったことに大衆心理を考慮に入れた事故調の発表。
さらに、
どこか聞き覚えのある事故原因と責任の所在(メディアの配信との同期)。
事故調の調査報告に目新しいものは何もなかった。
(その理由から)私には事故調の報告が無責任にしか見えない。
と、
そんな話を居酒屋で論じた。

同調も否定もされなかったが、
福島原発で働く人の苦労への配慮。
さらに、
総ての原発が有するリスクと居住区。
そのことは意見が一致した。
*机上で答えありきの責任追及する輩には分かるまい。

“何処かで誰かを悪者を仕立てなきゃ収まらない日本人の特性”

批判されるべき者は他にも大勢いるだろう。
この事故が人災であるとするならば、
日本の国土に原発があってはならない。

原子力発電の安全は、
今日も100%はありえない。

予想しうる最高限度の安全確保。
その安全対策が行われないままに、
政府は大飯原発の再開を認可し、
今日も原発は動く。
*そのことを否定できない自分もいる。


もしも、その時。
それは紛れもない人災だ。
2011年3月10日(震災前日)と、
2012年7月5日は違う。
2度と起こしてはならない事故は、
次に起きた時には、
総ての理由が人災となる。


そのことに触れずに、
過去の責任を人災と言う無神経。

私の考えは誤りなのだろうか?

*****

下記は、
原発事故の被災地域である福島民報の社説の転載。
事故調が企業の責任と関係機関の癒着を人災とする中で、
“地方自治にも責任はなかったのか?”との問いかけ。
記事の内容を深読みすると、
被災地から日本国民への問いかけとも読み取れる。

*本紙では地元自治体擁護の論説。

【東電原発事故】:津波対策は国の責任。
(6月30日:福島民報社説)
福島県が東京電力福島第一原発3号機にプルサーマル計画を受け入れる際に、
厳しくチェックしていれば津波被害を防げたのではないか?
こんな話が先月末から流れ6月県議会でも取り上げられた。
発端は、
5月29日に福島市で開かれた国会の東電福島第一原発事故調査委員会だ。
大学院教授を務める委員が、
「津波対策を条件にしていれば今回の被害を避けられたかもしれないとの指摘がある」
と参考人の佐藤雄平知事に質問したことだ。
委員は、
「(経済産業省原子力安全・保安院と原子力安全委員会で)二重の確認を求めるかどうか、
副知事に聞いたところ強い要望はなかった」
とも指摘した。

違和感を与える質問だったが知事は、
「ダブルチェックについては国に任せていた」
「(こうした経過は)承知していない」
などと答えた。

知事はその他の質問への回答に窮する場面もあって、
津波対策では県の責任も重大であったのに怠ったかのような印象を与えた。

実際はどうだったのか。
県によると計画受け入れを検討していた平成22年3月に耐震安全性の確保などを求めている。
既に福島第一原発の代表号機として確認していた5号機と同じレベルの要求で、
ハードルを下げたわけではない。
また、
869年に発生した貞観地震のような大津波対策では保安院自体の文書に、
緊急に対応すべきとの切迫した記述は見られない。
副知事が条件を緩和して承諾した事実もなかった。

この委員は調査委員会終了時に記者から情報源を明かすよう求められたが答えなかった。
国側の資料に基づいて質問したとみられるが資料自体に信頼性があったのか。
そもそも原発で津波対策を含む耐震安全性の確保は、
安全規制を一元的に担っている国の責任で対応するものだ。

県が津波対策を申し入れなかったから原発事故が起きたとも読めるような資料がなぜあるのか。
国が津波事故の責任の一部を県に押し付けるつもりだったのか。
委員会での質問には疑問が残る。

原発事故の収束が見えない中で県の事故対応のまずさ不手際を問う声が県民から出ている。
県の業務での判断ミス、落ち度については真剣に受け止めてもらわなければならない。
ただ、
県と県民が分断されると責任を全面的に負うべき国と東電の姿が薄れかねない。
津波対策を含む耐震安全性の確保は国の責任であることをあらためて確認しておきたい。

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『首相官邸前と関電本社前の“大飯原発再稼働反対”金曜デモと報道規制』。

2012-06-23 04:28:28 | 政治・社会・時事

午前2時頃に目が覚め少し調べもの。
途端に目が冴え起きることにした。
気になることを文字にせねば熟睡できぬ。

調べものは毎週金曜日に行われると言う、
福井県大飯原発の再稼働反対デモ行進。
主宰する機関?は、
<首都圏反原発連合>
*HP→ http://coalitionagainstnukes.jp/?page_id=28
<ツイッター有志による反原発デモ>

*ブログ→ http://twitnonukes.blogspot.jp/
*ツイッター→ http://twitter.com/#!/twitnonukes
を含む複数のグループのようで、
何れもSNSを利用した無作為な呼びかけは、
今後の市民活動の新しい潮流と注目される。


首相官邸前には、
6月8日:4000人。

6月15日:11000人。
6月22日:45000人。
の参加者は主催者発表。
警察発表では、
6月22日:11000人。

大阪関西電力本社前では、
6月22日:1500人。
が集まったとされる。


仮に警視庁発表の、
11000人が本当だとしても、
それは物凄い数なわけで、
ひとつの潮流を止めることは、
既に難しい状態だろう。
*ツイッター内で多く呟かれる、
巨大メディアの報道姿勢への不満。

*****

私の知識が確かならば、
金曜デモ(仮称)は、
日本の法律では違法にあたる。

確かデモ行進する場合には、
警察への事前申告と許可が必要で、
デモに参加する人数に制限あり。
そんな話を、
以前に居酒屋で聞いた記憶。


かと言って、
市民(庶民)が自分たちの意志を持ち、
日本の将来のために立ち上がる行動は頼もしく、
この流れを規制することに私は反対だ。

私の願いは、
煽り煽られることなく“規律”ある行動。
話題が大きくなればなるほどに、
興味本位での参加や心無い過剰行動。

集団心理に“正義”を持ち込むと、

行動はエスカレートする事例は多く、
時に思わぬ暴力行為に発展。

そうなってしまっては、
市民の意志表示も正当に扱われず、
原発稼働停止目標も頓挫する。

日本国民が陥りやすい笛の音文化。
規律が確立する前の数字の目標。
人数を集めることに執着すると、
思わぬ落とし穴が待っている。

そのため(過剰行動の防止)には、
報道制限もありかな?

報道機関は当面の間は、
事実の伝達に留め、
過剰に市民感情を煽らないで欲しい。

また、
主催者側も仮に行動規律が守られなくなれば、
数値目標を持たず地道な活動に切り替えて欲しい。


*****

床にも就かず、

そんなことを思う。

夜明けと、
小鳥のさえずり。
心地の良い朝だ。


~以下はWeb記事の転載。

*関西電力大飯原発再稼働反対デモ
大飯原発の再稼働に反対する大規模な抗議行動が、
6日夜も首相官邸前で行われた。
参加者は主催者発表で約15万人(警視庁調べで約2万1千人)。
官邸前の抗議行動は市民団体有志が3月に始めた。
当初の参加者は約300人だったが、
ツイッターなどの呼びかけで回を重ねるごとに増えている。

大阪市北区の関西電力本店前で6日夜、
大飯原発再稼働への抗議活動があり約2700人(主催者発表)が参加した。
デモ活動はツイッターでの呼びかけで4月からほぼ毎週金曜に行われている。
20人でのスタートだったが参加者は増え続け〝この日〟最多となった。
(2012年7月6日:朝日新聞)

*****

*官邸囲む「再稼働反対」 

関西電力大飯原発3号機の再稼働に反対する市民らが29日夕、
首相官邸周辺で抗議行動を繰り広げた。
官邸前から霞が関の官庁街まで1キロ近くにわたって路上に人々があふれ、
主催者側20万人と発表。
抗議行動は脱原発グループを中心にツイッターやフェイスブックなどで呼び掛け。
毎週金曜日夕にあり再稼働が政治課題に上り始めた6月は、
回を重ねるごとに参加者が増えている。
(2012年6月29日:日本経済新聞)

*****

*大飯再稼働撤回求め官邸前で「4万人」抗議
関西電力大飯原発の再稼働撤回を求める市民らが、
22日夜、首相官邸前で抗議集会を開いた。
主催者発表で約4万人、
警視庁調べで約1万人が参加。
プラカードや横断幕を手に、
「再稼働決定は許せない」と、
参加者が次々に声を上げた。
官邸前では、
大飯原発再稼働への抗議活動が週末ごとに続き、
16日の再稼働決定で反発が一段と強まっている。
22日は市民団体有志がツイッターで呼びかけ、
仕事帰りの若者や女性らの参加者が車道にあふれた。
またこの日は、
再稼働を支持する団体などが、
抗議集会に批判の声を浴びせ、
官邸前は騒然となった。
(2012年6月22日:朝日新聞)

*大飯再稼働:撤回求め官邸前でデモ
東京・永田町の首相官邸前で22日、
関西電力大飯原発の再稼働撤回を政府に求める抗議行動があった。
主催者によると約4万5000人、
警視庁によると約1万1000人が参加。
周辺の歩道を埋め尽くした人が「再稼働反対」と、
約2時間にわたって声を上げた。
有志の市民ネットワーク、
「首都圏反原発連合」の呼びかけ。
3月に始めた当初は300人程度だったが、
回数を重ねるごとに参加者が増えたという。
この日集まった人の列は約700メートルにも達した。
(2012年6月22日:毎日新聞)

*原発再稼働反対・市民団体がデモ
千代田区永田町の首相官邸前で22日、
政府が運転再開の方針を決めた関西電力大飯原子力発電所の、
再稼働反対を訴える市民グループらが抗議活動を行った。
ツイッターやフェイスブックなどを使った呼びかけで集まった、
若者ら約1万1000人が、
「原発はいらない」などと書かれた横断幕を掲げ、
首相官邸前の道路約500メートルにずらりと並んだ。
午後6時頃から約2時間にわたって、
「再稼働反対」「民意に耳を傾けて」などと声を張り上げた。
(2012年6月23日:読売新聞)

*首相官邸前で大飯原発の再稼働撤回を求めるデモ
東京・千代田区の首相官邸前で22日午後6時ごろから、
関西電力大飯原発の再稼働の撤回を求めるデモがあり、
「再稼働反対」のプラカードを持った参加者が、
官邸前の歩道を埋め尽くした。
このデモは、
ツイッターなどの呼びかけで参加者を募っていて、
警視庁によると約1万1000人が参加したという。
(2012年6月23日:フジ・テレビ)

*首相官邸前で再稼働反対デモ 
関西電力大飯原発3・4号機の再稼働決定の撤回を求める大規模なデモが、
22日夜に首相官邸周辺で行われ官邸に向かい力強いコールを繰り返した。
複数の市民グループ有志でつくる、
「首都圏反原発連合」がツイッターなどで呼び掛けた。
政府が3・4号機の再稼働方針を決めた四月から毎週末から、
官邸前で実施されているが再稼働が正式に決まった今月16日以降、
これに抗議して参加する市民が増加。
22日は官邸から霞が関方向へ人の波が歩道から車道にあふれ、
主催者発表で約45000人が加わった。
(2012年6月23日:東京新聞)

*****

*大飯再稼働:官邸前に4000人が首相会見に抗議
~2012年06月09日:00時28分
東京・永田町の首相官邸前では8日、
大飯原発3・4号機の再稼働に関する野田佳彦首相の会見に合わせ、
反原発を訴える市民ら約4000人が抗議活動を行った。
(毎日新聞) 

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【雑雑とした気分で】:亀岡市、岡崎市、館山市、そして関越道の事故と原因。

2012-04-30 01:00:00 | 政治・社会・時事

只今TV画面はWOWOWで録画したクラプトン&マルサリス。
21世紀に入って色々なコラボが多く異種格闘技?の競演場面も多くみられる。
先週にジャズ好きの知人からトニー・ベネットのデュエット1&2を借りた。
知人の金沢市の友人がWebからダウンロード(違法)して送ってくれた物らしい。

貸してと頼んだわけでなく“聴いてみろ”的な感覚で渡された。
3月にマイルスのワーナー・コレクションを貸したお礼なのだろうか?
他にも、
ダイアン・クレールのアルバムなど5枚を借りたものの聴く時間は足りず。


先週末に取り付けたAppleTVは思いのほか使える。
PCでもiPodでもYouTubeを見る機会は少なかったがAppleTVでは逆。
当初は音楽の転送が購入目的のはずが“専らYouTube”でクラシック鑑賞。
とにかく豊富なコレクションは世界中から集められた投稿の数々。
「人が集まれば何かが生まれる」。
も共有の意識の中で蓄えられる著作権を考慮しないお宝の数々。
「何を今更」。
英語検索から見つかる、
フル・タイムバージョンを履歴に蓄えれば立派なマイ・コレクション。

先日BSで放送・視聴した、
『1977年のアルゲリッチ』に触発されて、

協奏曲の“お宝映像”を探索したら、
*ミケランジェリ&チェリダビッケのラベル。
*ホロビッツ&メータのラフマニノフの3番。
*グルダ&セルのエンペラー。
*バックハウス&ベームのベートーヴェンの3番。
*アシュケナージ&ジュリーニのブラームスの1番。
*ルーヴィンシュタイン&プレヴィンのグリーグ等。
さらに近年の映像では、
*アルゲリッチ&デュトワのショパンの1番(N響)。
*ポリーニ&アバドのベートーヴェンの4番。

総てが映像つきの全曲演奏。
どんなに時間があっても観るに足りない。


*****

2012年4月29日のトップ・ニュースは、

金沢発→ディズニーランド行きの高速バスの激突事故。
近頃、
石川県でも耳にする格安バスの事故は大きな問題を残した。
桜の花満開の季節に居酒屋での話題は格安ツァーバス。
石川⇔京都間の片道切符が2000円。
電車の金額の3割強の価格は魅力的だ。

今回事故を起こした格安バスは金沢⇔東京を3500円。
電車の価格と比較すると3割を切る価格帯。
この話を普段利用する旅行会社に問うと〝チケットの扱い〟はないとのこと。
地元の高速バスしか扱っておらず近々流行の格安はインターネット予約のみ。
さらにバスの停車場所も地元のバス停は使えないため、
バス会社から乗り場が指定され途中乗車は高速道路のパーキングとも聞いた。

格安競争も好いけれどデフレ脱却と国が号令をかけても一向に変わらぬ価格破壊。

石川県の温泉旅館を安価で買収し価格破壊を仕掛けた関西の業者。
*倒産物件の買い取りはそれはそれで〝ありがたい面〟を考慮すべきだが…。

と同時に、
石川県の地元バス会社をよそ目に価格で集客を図る関西の旅行会社(運行は関東)。
*地元民のイメージとして地方を食い物にする都市部からの価格至上主義の台頭。
代償として住所氏名の確認のないままの乗車(被害者確認)はネット社会の功罪?


今回の関越自動車の高速バス死傷事故は、
企業(企画・運行)に問題があったのか?

個人(疲労・疾患等)に問題があったのか?

4月29日。
関越道(群馬県藤岡市)の大型バス・衝突事故の運転手(40代)の居眠り。

4月23日、
京都府亀岡市で起きた集団登校の列に突っ込んだ、

無免許運転(18歳)による暴走事故の理由が転寝(うたたね)。
さらに、
4月27日、

愛知県岡崎市で起きた集団登校事故(20代)はぼんやりを理由とし、
同日、
千葉県館山市で起きた集団登校事故(20代)でもボーっとしてたと供述。
 
先日の記事〔疲れる〕で紹介した、
カード会社のCMで、
「なんやかんやで、
いっぱい、いっぱいちゃうん」。
の言葉の前には、
「あーあ、まったく。
写真撮ったり、つぶやきやったり、
ゲームやったり、ブログやっ たり」。
の言葉が付き、
篠原涼子さんバージョンのCMでは、
「しょーもないことばっかり」。
と続く。


多くの方々が、
それほど重要でない時間を、
寝る暇を惜しんで楽しむ現代。

“いっぱい、いっぱい”
の中で疲れ果て、
取り返しの付かない失敗。

今回の一連の自動車事故(過失)の原因は、
情報過多な社会(時間の浪費)が生んだ、
現代病のひとつのような気もする。

“運転中の集中力の低下”

運転中でさえも、
テレビを見て、電話して、
時には、
メールの確認やナビの設定。

「いっぱい、いっぱい」。
は、
集中力を散漫にする。


運転手の行動履歴。
その検証も今後の課題だ。

運転する前は責任を持って、
充分な休息と体調管理。

それも、
“情報過多&自己中心主義”
の現代社会では難しい。

難儀な社会に憂いを申す。


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【家電、テレビ事業の不振と日本社会】:単品⇔システムの考察。

2012-02-10 00:50:00 | 政治・社会・時事

 今月に入って日本企業の厳しい現実がデータとして次々と発表された。
 
特に深刻な家電メーカーにおけるテレビの競争力の低下は大きなニュースとして伝わる。
 しかし庶民の側からは厳しい“恨み節”も聞こえる。
 「5年前に年老いた両親の親孝行にと数十万円出して購入したデジタルテレビ。
 そのローンが終わった頃にはテレビの価格は購入時の5分の1になっていた。
 何か詐欺にあったような感じがする。」
 *考え方によっては人よりも5年先に高画質を楽しんだ事実も現実。

 エコポイント制度が始まる2009年5月には18万円前後?してした、
 40型のテレビに与えられたエコ・ポイントは23000点。

 サイズ別に振り返ってみると、
 *46型以上: 36000p
 *42型、40型:23000p
 *37型:17000p
 *32型、26型:12000p
 *26型未満:7000p
 となっていた。

 当初のポイントの配分は、
 商品の約10~15%程度の値引き相当だと認識しており、
 エコポイントの目的は、
 リーマンショック後の世界同時不況対策としての内需拡大。
 我家でも、
 42型のプラズマ・テレビ(パナソニック)と、
 40型の液晶テレビ(ソニー)を購入した、
 2010年の10月頃では70000円台に価格は下降。
 我家ではエコポイント分を差し引くと、
 実質50000円台でデジタル・テレビを購入したことになる。
 それが、
 先週(2012年2月)の大型家電量販店のチラシを見ると、
 40型テレビで4万円台、
 32型テレビで2万円台、
 の実売価格も見られ、
 いったい日本のメーカーは何をやっているんだと思う。

 本来の目的だったエコポイントによる内需拡大も、
 生産が受注に追い付かないからと海外生産に頼った挙句に、
 シェア目的(市場占有)に、
 安価で売るだけ売って市場が飽和した後に、
 「売れない、赤字だ。」
 と言っても庶民の目から同情の余地はない。

 利益を取れる商品に利益を求めず、
 数字(売上)を求めた結果生まれた、
 商品価格への信頼の失墜。
 “損をした!”
 と購買者に感じさせる販売方法は、
 庶民の心を戸惑わせts。
 *逆にAppleへの安心感は値引きがないこと。

 かと思えば、
 地元(地方)の電気屋さんでは量販店の価格の倍以上の高値で販売。
 商品モデル(型番)の違いこそあれ40型は40型が大凡の市民(庶民)の目。
 同じ40型モデルが10%、1万円以内の差なら地元電気店で購入したいと考えるも、
 同じモデルでさえ5割以上も高額になる家電販売のシステムも“地方イジメ”にうつる。

 大量購入=ロット買いで納品先の一元化による大手量販店の購買システム。
 これまでの“電気屋さんとのコミニュティ”を捨ててまで合理主義を推進した行政。
 利益を目的とするのではなく売り上げを目的とした日本の企業体質。
 その売上げ至上主義を牽引する官僚行政と消費税。
 *消費税は所得税とは異なり企業の利益に重点を置かない税制。

 しかしそのこと(官が誘導した合理主義)は、
 今日の本題ではない。

 【本題】

 2012年のmimi-fuku通信のテーマは未来を語ろう。
 先日も文字にしているテレビ電話の話は、
 Apple(アップル)製品で交信が可能なFaceTime(フェースタイム)。
  http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/d/20120115

 その話を友人たちとの集まりで話題にしたら、
 アンドロイドで推進されるtango(タンゴ)
 → http://jp.androlib.com/android.application.com-nettango-nettangoapp-jDzFx.aspx

 や、
 PC環境での使用者が多いSkype(スカイプ)

  http://www.skype.com/intl/ja/home/

 いずれもWi-Fi環境で使用できるテレビ電話の形態のようだ。
 特にスカイプについて記憶に残る事例は一昨年の学年同窓会で、
 英国に住む友人による乾杯の音頭をプロジェクターで映写。
 その時代の先進性に多くの同級生が驚いた。
 *新しいテレビ電話の形態は電話に付属されたテレビではなく、
 液晶画面(TV,PC,タブレット)に付属する音声伝達のようだ。

 2月5日の朝日新聞社説では、
 *3月期決算:パナソニック、ソニー、シャープの3社だけで計1兆3千億円の赤字。
 *原因:急激な円高と欧州危機、大震災、エコポイント特需の反動。
 *問題点:国際的な競争力の衰え。
 ~
サムスン電子とLG電子の韓国2社は大量生産による値下げで販売を増やし、
   収益を再び投資に回す循環を作りあげた。
 さらに
米アップルを例にだし、
 *携帯音楽プレーヤーと音楽ソフト配信。
 *
多機能情報端末とソフトのネット販売システムの組み合わせ。
 から、
 *単品からシステムへの切り替えが重要だ。
 と述べている。

 故:スティーブ・ジョブズ氏が解任されたアップル社に返り咲いた時、
 アップル社は企業として瀕死の危機に直面していた。
 ジョブズ氏が復帰後最初に行ったことは、
 永年のライバルであるビル・ゲイツ氏との面会であり、
 “資金の調達、ライセンスの譲渡、マイクロ・ソフトとの業務提携”
 を柱にマイクロ・ソフトのOSの使用許可を得たと記憶している。
 
 この面会(契約)こそが、
 その後のアップルが経験する伝説的な躍進の原動力であり、
 例えばiPodやiTunesがどんなに優れた機能を持っていても、
 OSの覇者である、
 マイクロソフト(=Windows)で作動しなければ市民権は得なかっただろう。
 *それは同時に日本のソフトバンクの躍進とAppleとの独占契約にも通じる。

 多くの家電メーカーの目標となったアップルの成長。
 マイクロソフトとのOS競争に敗れ瀕死の状態から僅か10年余りで、
 エクソンを抜いて時価総額世界一の企業に躍り出たのが昨年(2011年)8月。
 *もしマイクロソフトとの業務提携がなければ果たして今の成功はあったか?

 話を本題に戻そう。
 “単品からシステムへの切り替え”
 について、
 従来通りの家電メーカー1社での切り替えでは国際競争に勝てそうもない。
 日本のスマートフォン市場におけるアップルの躍進は認めるものの、
 従来の日本だけの携帯電話機能を選択する消費者が多いことも事実だ。
 その実は“お財布携帯やワンセグ放送”といった、
 日本独自のサービスへの支持との見方も強い。
 *docomoやauに対する長年の信頼や個々の通信目的の相違も考慮。
 また、
 通信料が高額な上に複雑な機能を持つスマホを敢えて選択しない人もいる。
 さらに私は推奨するもののアップル製品を作動する場合に必要な、
 PCとの同期を煩わしいと感じる人も多いことだろう。
 しかし、
 アップルの優位性は単品(iPhone.iPad.iPod等の機器)
としての魅力同様に、
 iTunesの操作性と一括管理(複雑なデータ)や一括購入(音楽、映像、アプリ)に優れ、
 単品ではできない自前のデータ(音楽・映像・画像)を大量に取り込むことが可能であり、
 さらに違法ファイル交換とは違った著作権を順守したソフトの正規販売は、
 米国のアーティストたちにも高い信頼性があるようだ。
 *世界中で行われるダウンロード・ソフトの販売による収益の優位性。

 単品(機器)は日進月歩で変化するだろうがシステムは利用者(ユーザー)にとっても財産であり、
 日々取り込んでいく蓄積されたデータの保持のために常にアップルのリピーターとなる可能性。
 *近年のアップルは購入商品のデータを永年預かる保証やクラウドの推進などに力を入れる。

 今私が文字にしているのは企業が今後進むべき道として考えるべきヒント。
 それは国内メーカーが目指した方向性は単品としての価格や売り上げだけに目を向け、
 システムにバラつき(互換性やメーカー単位のサービス)があったこと。
 *それはそれで国内競争力と開発競争の面ではプラスに作用していたのだが…。

 
“収益を上げる事業=安価な労働力=国際競争を高める” 
 と言った横並びの思想と差異のない価格至上の商品開発を、
 メーカー各社が目指したことによる価格破壊と収益の悪化。
 *価格破壊=税収の悪化(売れるモノの数量が変わらない場合)。  
 
 “視点を変える”
 勿論、
 視点を変えただけでは国際競争に勝つことはできない。
 しかし、
 国内販売だけでも視点を変えて日本独特の機能を構築。
 それは、
 日本国内でのシステム(規格)の一律化も必要で、
 何と何とが協力し(新しい)何を作り出すのか?
 また、
 ワンセグ放送やお財布携帯の事例を出すまでもなく、
 日本の風土(環境、文化、気質)にあった独自のサービスの提供と、
 その独自の風土(気候、地域、土着)が必要とする生活様式に、
 他国の企業が容易に踏み込めない特有のシステムの構築。
 それは、
 家電産業や自動車産業だけでなく総ての
産業(=事業)に通じ、
 そのための法整備と行政の協力。
 *考えることは誰もが同じだろう。

 2012年のmimi-fuku通信のテーマは未来を語ろう。
 具体例についても追々と文字にしたいと思う。

 それは私の力では実現不可能な寝床の空論であり、
 人から見れば無知・愚鈍にすぎない事だろうが、
 文字にしたことはいずれ必ず誰かがやってのける。 
 
 だからこそ、
 多くの市民(庶民)は未来を語るべきだ。

 何が自分にとって必要であり、
 何が社会にとって必要であり、
 何が未来にとって必要であるのか?

 雨風にさらされないで移動できる電動の車椅子。
 TV画面とWiFi機能を利用した相互通信の可能性。
 目的地まで自動運転してくれるコンパクトな電動車両。
 *団塊の世代が後期高齢者になるまでには実現熱望。

 さらに時節を問えば、
 屋根に降り積もる雪を融かす機能を持つ太陽光発電。
 脱衣場やトイレの温度を常時自動調整する壁付けミニ・エアコン。
 *考え始めればキリがない。

 日本は幸いなことに今後世界に先駆け超高齢社会に突入。
 不都合な中にこそ生まれる新たな市場とアイディア。
 *それは年寄りを翻弄し騙すような手法であってはならない。

 どんな社会が本当に暮らしやすいのか?
 庶民は未来に対する不安同様に希望を語るべきだ。
 *それは同時に国のシステムも見直すことに通じる。

 2012年は皆が未来を語ろう。
 それが日本を良くする近道に思う。

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【Appleアプリ】:寝床で読む“新聞コラムと各紙社説”の贅沢。

2012-02-06 21:38:38 | 政治・社会・時事

今日(2月6日)は、
待望のスーパーボールの放送日。


第46回(2012)スーパーボール
で、
音楽ファン注目は
大物ゲストが恒例となった、
ハーフタイムショー(halftime show)


過去には、

マイケル、ジャネット、U2、スプリングスティーンや、
ストーンズ、ポール・マッカートニー、ザ・フー等の、
ベテラン勢も参加する豪華ゲストが目白押し。


今年のショータイムは、
クィーン・オブ・ポップこと
マドンナ
がゲスト出演し女王様ぶりを発揮。

短い時間のパフォーマンスは、
大人数の大仕掛け。

イメージ(希望的推測)とは異なる、
健康的なマドンナは期待外れも、

それなりの存在感は健在。

過去の出演者は
*List of Super Bowl halftime shows
http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_Super_Bowl_halftime_shows

【本題】

話を本題に進めよう。
以前から紹介している、
iPod touchでのWeb閲覧。

新聞各紙の社説やコラムが、
「朝起きて寝床で自由に読める」
と文字にした。
http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/d/20120110

そのWebページは、
PC用に作成されたページで、
*新聞コラム社説リンク(PC)
http://www.ne.jp/asahi/sec/eto/NewsPaperLink.html

当然スマホ・サイズ画面の、
iPod touchで読む
Webページは見難く、
ピンチイン、ピンチアウトを繰り返し、
検索画面のリーダーからの文字閲覧は、
“眼の達者な方”
且つ、
“使い方の熟知”
が必要。


それが昨日(5日)、
私が週に一度(日曜日)試みる、
アプリ検索で偶然見つけた、

Apple製品(iPhone/iPad/iPod)専用アプリ、
『たて書きコラム』&『社説リーダー』
App Storeから無料購入。
その機能の便利さに驚いた。
*iPadの対応は未確認。

*たて書きコラム(apple)
http://itunes.apple.com/jp/app/tate-shukikoramu/id482348231?mt=8

『たて書きコラム』
朝刊各社(主要五紙+地方新聞)のコラムが、

縦書き文書で当日分のみ閲覧可能。
文字サイズも“大・中・小に変更可能”で、

一度開いたページは、
オフラインでも読むことが可能で、
一括習得すればオフライン読書に便利。

*社説リーダー(apple)
http://itunes.apple.com/jp/app/she-shuorida/id491889991?mt=8

*社説リーダー(Android)
http://androrank.com/?id=jp.amz.android.editorial&m=upd&c=1090

『社説リーダー』
横書きで文字サイズは統一ながら、

『新聞コラム社説リンク』(PC版)同様に、
過去(当日⇔2週間分)の
閲覧と、
開いたページはオフライン読書が可能。

*新聞社を選択しての一括習得もできる。

社説とコラムとは、
言わば新聞社の顔であり、

論説委員やベテラン記者達の、
卓越した文書
の宝庫。

それ(社の姿勢・主張)が

込み入った検索技術なしで閲覧できる、
アプリの利便性には
恐れ入った。
*アンドロイドの利便性は未確認。

新聞各社が現在の状況を、
いつまで許可するかは未知数だが、
Apple製品を所用している、
mimi-fuku通信読者には、
是非お薦めのアプリケーション。

朝起きて全国の“新聞社の顔”を読む贅沢。
世界的な方向性としての“共有”の概念。

何か不思議な時代を感じる。

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FaceTime(Apple発・テレビ電話)を使って感じた未来。

2012-01-15 22:11:55 | 政治・社会・時事

 私は昨年の年末の記事で、
 “未来を語ろう”と文字にした。
 >
2012年は未来を語ろう。
 >皆が揃って未来を語ろう。
 >それは決して明るい未来だ。

 明るい未来。
 日常の閉塞感の中で何が明るい未来なのか?
 今夜はそのことについて少しだけ思いを伝えたい。

 今年に入って当ブログは“iPod toch”で、
 〝できること〟を文字にしている。
 それは同時に“iPad”でできることであり、
 それは同時に“iPhone”でできること、
 について、
 読者の皆様には理解していただけたと思う。

 昨日友人の母親の葬儀に出席。
 同じく葬儀に出席した親しい友人に、
 “FaceTime(フェースタイム)”
 
の試験をするから家にいてと告げると、
 「わかったよ。」
 の返事。
 *彼はiPhone4もiPad2も所有。

 夕食の時間に遅れたので、
 帰宅して行きつけの居酒屋で軽く食事。
 偶然に馴染のラウンジのマスターと同席。
 *楽しい話が満載も別の機会に。

 午後9時30分には自宅に戻り、
 友人にPCの登録からメールを送信。
 返信された空メールをPCと同期してある、
 私のiPod(touch
)で開き住所録に登録し、
 iPod(touch)からボイス・メールの試験送信。
 ボイス・メール(声のファイル)の内容を理解し、
 友人も私のアドレスを住所録に登録。
 *これで準備ができた。

 iPod(touch)の場合は、
 ホーム画面に表示されている、
 FaceTimeのアプリをタップし、
 連絡先画面から情報(アドレス)を開き、
 TELまたはメアドをタップすると交信が始まる。
 僅か3タップ(PCのクリック)で、
 未知のテレビ電話の世界に突入。

 *この件は友人のブログにも記され、
 「まるで子供の頃にテレビで観た、
 サンダーバードの腕時計型TV電話の世界だ。
 それは40年の時を経てあっさりときていた。」
 と文字にしている。

 *友人のブログによると、
 iPhoneではホーム画面にアプリ表示はないらしく、
 手元にあるiPone4のマニュアル本を紐解くと、
 設定画面からWi- FiをONにしネットワークを確認。
 電話の連絡帳からFaceTimeをタップ。
 電話発信を選択することもできるようだ。
 また、
 2011年11月末現在でauは使用できないとある。 

 テレビ電話(相互画面送受信)を使用するには、
 *相互がFaceTimeに対応する機器を持つこと。
 *相互がApple IDを持っていること。
 *交信はWi-Fi(無線LAN)が条件であること。
 
の3つの条件を満たし相互の住所録に、
 必要事項(アドレス)を登録するだけ。

 *通信料金はIP電話や光電話同様に、
 ADSLや光通信の使用料で賄われ、
 実質的な通信費は無料となる。
 
 *****

 【本日の本題:未来を創る】

 実際にFaceTimeを使用してみて、
 思ったほどの驚きはなかった。
 おそらく3度も友人とやり取りをすれば、
 日常空間(順応性)になるだろう。

 昨日はやり方が分からないと言っていた友人から、
 今日はFaceTimeからのアクセスがあった。
 何の予告もなく画面が開き許可・不許可の指示を表示。
 それこそ受信する側は、
 ワン・タップでテレビ電話の世界に突入する。
 
 そのことを、
 夕方図書館の女子職員に話したら、
 「最近テレビでCMをよく見ますよ。」
 との返事も、
 「最近は民放をあまり見てないよ。」
 の独り言。

 彼女の話では、
 「おばあちゃんと孫が嬉しそうにTV電話をしている。」
 iPhoneのコマーシャルらしい。

 おそらく〝そういう事〟なのだ。
 こうしたテレビ電話を一番欲しているのは、
 外に出る機会が少なくなったご老人なのだろう。
 ただし、
 1955年以前に生まれた世代は電気に弱い。
 私の母の話では、
 「電気(感電)は目に見えないから怖い」
 や、
 「当時は電気製品は高価で子供は触れなかった」
 にも理由があるようだ。

 “欲しいけれど使い方が分からない”

 当然のこととして、
 ビデオの録画すら〝ままならない世代〟にとって、
 スマートフォンを使いこなすことは困難だろう。

 当ブログ12日の記事で、
 >PC回線の使用料:約3000円(12M)。
 >固定電話の基本料:約1700円+a。
 があればWi-Fi通信が可能だと文字にした。
  http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/d/20120112

 さらに、
 テレビ電話としてのiPad2(画面が大きい)と、
 安価なPC(当然Appleでなくても良い)を足して、
 10万円も予算があればお釣りがくるだろう。

 しかしその金額を出せるかどうかは、
 高齢者所帯が手にする年金金額や、
 預金残高による。

 公務員夫婦や大企業に永続勤めた夫婦なら、
 年額400万円を上回る収入が見込めるが、
 自営業者や零細企業に勤めていた社員は、
 国民年金のみ支給は夫婦で150万円に満たない。
 さらに年上のご主人と昨今の男女の平均寿命。
 夫に先立たれた女性1人が月に貰える年金額は、
 場合によって5万円を切ると聞く。 

 しかし、
 一番テレビ電話を必要とするのは、
 一人暮らしのご老人だろうことは論を俟たない。

 私は正義を語っているわけではない。
 “国家財政の負担になる弱者への過分な配慮”
 そのことは誤りであることは肝に銘じている。

 それならば未来を語ろう。
 それは決して直ぐにでも実現できる未来だ。

 私がテレビ電話に使用しているiPod(touch)は、
 定価16800円の8Gタイプ。
 その機器で〝できることの多彩〟は驚くばかりだ。

 しかしご老人には使いこなすことは困難だろう機器。
 交信はわずか3タップでできても使いきれない理由は、
 整理整頓されながらも多く並ぶアプリを押し間違えれば、
 元に戻す作業に不安を覚える。
 *ならばボタン(アプリ)はひとつでよい。

 無線ルーターの構築は、
 慣れているつもりの人間でも困難。
 業者に頼めば容易いが、
 見慣れない機器が増えることの抵抗。

 それならば電話機本体に無線機能をつけ、
 テレビ電話ができるだけの状態にすればよい。
 それはパソコンにつなぐ必要もない。
 *メールの同期ではなく希望電話での同期。
 さらに、
 電話機本体から飛ばされる受動器(仮iPod)本体が、
 テレビのリモコンとして機能しデジタル・テレビに転送。
 それを実現することは〝今ある技術〟で不可能でない。

 つまり、
 平素使用するテレビのリモコンで、
 平素使用する電話機からWiFi受信し、
 リモコンでテレビ電話をコントロール。
 *勿論それはAppleの技術ではない。

 さらに固定電話でいつものように、
 ダイヤル回線(プッシュ・ボタン)すれば、
 リモコンが記憶した登録先の無線を受信。
 *記憶はリモコンでなくテレビ本体でもよい。
 それも近々に可能な技術だろう。

 米Appleにできて日本の企業にできないわけがない。
 それでも〝できないだろう〟は日本企業の独立意識。
 *バラバラな目標ではAppleを超えることはできない。

 ならば電器産業でなくNTTが主導でするかと言えば、
 電話の使用料(通信費)を見す見す下げる行動はしない。
 さらに、
 “業種間の価格競争はしても新たな冒険はしない”
 *それは現行企業として間違った方向ではない。
 
 しかしテレビ電話を体験してみて、
 地方から出て働く子供や孫から毎日送られる元気な便り。
 子供は年老いた老夫婦の顔色を見れば言葉の嘘を見抜く。
 *身体の調子が悪くても心配をかけたくないお年寄りの親心。

 さらに考えてほしい。
 時折訪問してくれる公私のデイ・サービス。
 手が回らない独り暮らしの孤独と渇望。
 もし一人暮らしの老人に既知の友人がいれば、
 いつでもオンラインで顔を合わせる環境づくり。
 *例えば別れ別れに暮らす仮設住宅の住居者。
 
 理想を語れば、
 小・中学生の子供たちが授業の一環として、
 高齢者の経験談をテレビ画面を通して聞く機会。
 さらに、
 信頼できる公共・企業の早期退職者などが、
 ボランティアでテレビ電話の画面を通し、
 交信を求めるお年寄りのお話に耳を傾ける。

 “それは国(行政)がやるべきことではない”
 との認識は持っている。
 しかしそれは昨日までの約束事で、
 明日からは〝それ〟を国が推進してもいい。
 *変わる変えると言いながら具体策が見えない現実。

 
説明もつかず誰も得をしない、
 過去の公共工事にしがみ付く、
 現行行政(政府)の姿勢。
 *国家は何に投資すべきか?

 私が語る未来は弱者救済ではなく、
 世界に誇るべき国家のインフラの構築。
 *東日本大震災の教訓。

 私が描く未来は決して明るい。
 暗くするのは、
 過去のテキストを踏襲する国家行政。
 *若い能力に考えることを許さぬ体質。

 人が求める安心。
 それは人と人との信頼。

 
 新しい社会に必要な、
 新しい考えを持った若い価値観。

 何が国家・国民の幸せなのか?

 Appleが提示した小さな経験は、
 私に多くのイメージを与えた。

 >2012年は未来を語ろう。
 >皆が揃って未来を語ろう。
 >それは決して明るい未来だ。

 以上は私の今年のテーマだ。
 明後日(17日)防災と通信を語ろう。

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【石川県で起きたJR脱線事故の責任(2011.11.29)】:視点を変えて。

2011-11-29 21:22:23 | 政治・社会・時事

 今朝に録画してあった、
 アニタ・オデイのライブ映像を聴きながら。
 
 石川県の大きなニュースは朝から電車が止まった。
 入ってはいけない道路に自動車が入り込み、
 午前6時から午後7時頃までの約13時間。
 北陸線の長距離電車は全面運休。

 ニュースを転載すると、
 29日(2011年11月)。
 午前6時5分頃石川県加賀市大菅波町のJR北陸線の新菅波踏切で、
 富山発大阪行き特急「サンダーバード2号」(9両編成)と乗用車が衝突、
 先頭車両の一部が脱線した。
 乗客約90人にけがはなく乗用車を運転していた,
 兵庫県尼崎市の男性(79)も車外に逃げて無事だった。
 大聖寺署やJR西日本によると男性が乗用車で踏切を渡ろうとして脱輪し立ち往生。
 男性は非常ボタンを押さず手を振って特急に事態を知らせようとしたが間に合わず特急が衝突した。
 特急は車を巻き込み約300メートル先で停止した。
 現場の踏切は道幅が狭いためバイクと耕運機を除く車両の通行が禁止されている。
 男性は「金沢の知人に会うために来たが道に迷った」と話しているという。
 乗客は約3時間後に降車。
 JR職員の誘導で線路上を100メートルほど歩き用意されたバス2台で敦賀駅(福井県)へ向かった。
 一部乗客はタクシーに分乗して金沢駅に引き返した。
 (読売新聞:11月29日(火)13時11分配信)

 29日午前6時4分ごろ加賀市大菅波町のJR北陸線新菅波踏切で、
 兵庫県尼崎市の79歳の男性が運転する乗用車が脱輪し立ち往生。
 そこへ富山発大阪行きの特急サンダーバード2号が衝突しました。
 特急列車には乗客乗員およそ90人が乗っていましたがけが人はいませんでした。
 乗用車の男性も逃げだしてけがはありませんでした。
 この事故の影響で特急列車の先頭車両の一部が脱線したため復旧作業が難航。
 小松駅と福井県の芦原温泉駅の間で現在も上下線とも運転を見合わせています。
 現場の踏切は耕運機を除き乗用車は通行禁止でした。
 警察の調べに対して男性は、
 「金沢の知人を訪ねようとして道に迷った」
 と述べています。
 JR西日本金沢支社によりますと、
 午後4時40分現在、運休または、運休が決まっている列車は、
 関西方面を結ぶサンダーバードや、
 中京方面を結ぶしらさぎなど特急、普通合わせて103本。
 運転を見合わせている小松ー芦原温泉の間は午後7時以降に運転再開の予定ですが、
 ダイヤの乱れはきょういっぱい続く見込みです。
 (北陸朝日放送:11月29日(火)18時24分配信)

 と言う“時折耳にする前例の多い事故”なのだが、
 一人の高齢者ドライバーの信じられない判断が多くのJR利用者に多大な迷惑をかけた。
 通勤、通学前の時間の混雑や月末の出張、紅葉シーズンの観光を思えば・・・。
 との文書は的を射る。

 しかし、
 気象・災害による運休やストによる運休。
 人身事故(多くが飛び込み自殺)による電車の遅れ。
 電気系統の故障やコンピューター・システムの故障。
 ~予期せぬ事態は個人の計画を大きく狂わせる。

 幸いなことに死者・負傷者はいない。
 
との考え方も一般的に有効だ(特に報道の視点)。
 そして、
 “すべての責任は道に迷った高齢者ドライバー”
 
の無謀な農道への侵入と判断ミス。
 で片付けてしまえば今後(未来)の見通しは暗い。

 
 視点を変えてみよう。
 男性は非常ボタンを押さず、
 手を振って特急に事態を知らせようとしたが、
 間に合わず特急が衝突した。
 特急は車を巻き込み、
 約300メートル先で停止した。 

 の文書を見逃してはいけない。

 コンビニですら全店で監視カメラがある時代に、
 車両が通行する踏切にカメラを置いて、
 通信システム(動画の転送)で、
 走行中の電車や近隣駅で事前に確認。
 あるいは、
 踏切内の物体を感知するカメラと踏切の遮断機をリンクさせ、
 踏切内の物体の有無を走行中の電車のコンピューターに伝達し、
 自動的にブレーキが作動するシステムの開発。
 現代の文明能力なら造作もないシステムではないのだろうか?
 ~他にも雪国でなければ踏切内の重量探知など手段は多い。

 北陸新幹線の開業を間近に控え浮かれ気分の金沢市民。
 逆に、
 小松空港を抱え新幹線開業を冷やかに見つめる
南部地区。
 ~個人的には選択肢が増えありがたいことなのだが。
 人口分布から赤字確実な政治的ハードにかける事業費と、
 既存路線での安全面の最新化(ソフト)に費やす努力。

 “脱線事故の責任は最新化に興味を示さないJRにはないのか?”

 昭和の時代と何も変わらないJR(国鉄)の仕組み。
 乗客は約3時間後に降車。
 JR職員の誘導で線路上を100メートルほど歩き、
 用意されたバス2台で敦賀駅(福井県)へ向かった。
 は3時間も車内で待機(閉じ込め)させられる現実。
 ~特急電車の場合は車内に手洗いやワゴン販売があるものの、
 これが普通電車でも対応は変わらないだろう事例は山の数。
 
 デジタル時代も変わらぬ昭和のマニュアル。
 社長の自殺にまで至った北海道でのトンネル事故の判断。
 *危険を察したら直ちに電車を止め状況判断に応じてダイヤを止める(止まる)。
 *安全確認の上で希望者には早急に電車から降車させ近隣駅に移動。
 ~ただし火災の場合は躊躇なく降車を促し風下へ移動。
 また事故を起こした電車以外も線路上に待機するのではなく、
 事故の最も近い駅間に電車の停車場(線路上)を設けて、

 次々と駅に辿り着いて降車(バス移動)させる努力の模索。
 ~飛び込み事故で30分以内にバスの手配をした西武鉄道を東京で経験。

 起きてしまったことは仕方がない。
 しかし、
 “JRの判断によって苦痛を強いられる乗客は多い”
 ~状況を聞いても答えられる職員は皆無に等しい情報無策。
 と過去の経験から、
 そんなことを感じる事故だった。

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スティーブ・ジョブズ氏の死去&小沢一郎氏の初公判(2011年10月6日)

2011-10-06 23:00:00 | 政治・社会・時事

 今夜の更新記事は今週に入急遽り加入した、
 WOWOWをテーマにするはずだった。
 
 夜7時のNHKニュース。
 私にとっての今日(6日)最大のニュースは、
 スティーブ・ジョブズ氏の死去(現地時間5日)。
 2004年に膵臓癌(がん)を患い徹底した治療と管理により、
 延ばされた寿命(与えられた時間)は約7年。

 生き急ぐかのようなその7年間にジョブズ氏が成し遂げた偉業は、
 7年前の社会では想像もできない急速な進化を世界にもたらした。

 スティーブ・ジョブズ
 紛れもない時代の偉人であり世界史に刻まれるビック・ネームとなる。

 2008年の7月。
 mimi-fuku通信ではスティーブ・ジョブズ氏について触れている。

 *新型携帯電話「iPhone」を創った男/ スティーブ・ジョブズ。
  http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/d/20080712

 過去記事によると、
 『新型携帯電話:iPhone(アイフォーン)3G』
 
が2008年7月にソフトバンクより発売。
 と記されている。

 2011年10月6日:今朝の朝刊には、
 『改良型携帯電話:iPhone 4S』
 
がKDDI(au)でも販売。
 との文字に企業間競争の激化を予感。

 アップルの新SEO:ティム・クック氏の地味なプレゼンにも注目は、
 ジョブズ氏が亡くなる僅か前日のニュースだった。

 iPod,iPhone,iPad。
 iPodのカラー液晶画面登場以来凡その未来想定は予測できたものの、
 通信の発達もまた想像を超える速さで進みジョブズ氏の思考を刺激した。

 アップル社の総帥:スティーブ・ジョブズ(1955年~2011年)についての、
 2008年の過去記事を読み返してみると、

 ジョブズは一度アップル社を退社している。
 退社といえば聞こえは良いが“その実”業績不振による解任。
 アップル社の会長職(名誉職)を与えられたものの、
 ジョブズは新しい会社NeXTを立ち上げるために、
 自身が所有していたアップル株を売却。
 売却益をNeXT社に投資しハード&ソフトの両立を試みたが断念。
 その後NeXT社をソフトウェア会社として成長させた。
 1996年~97年にかけてアップル社がNeXTの買収契約に合意しアップルに復帰。
 そしてジョブズ率いる2000年頃からのアップル社の快進撃はご承知の通りである。

 iTunesとiPodによる成功は企画力と開発力の圧倒的な独創性を見せつけ、
 新しいアメリカン・ドリームの象徴とされている。
 そうしたジョブズの経歴は彼の持つカリスマ性を高め、
 ビル・ゲイツとは対照的な経営者としての側面も強調されることが多い。

 数年前に雑誌:AERAで読んだインタビュー記事が強く印象に残っている。
 完璧主義者で自信家の彼が自らの過去を振り返り、
 「私は良いものさえ作れば市場は反応すると信じてきた。
 そのために価格を無視してでも自分が欲しものを作ろうと考えた。
 しかしそれは私の思い過ごしだったようだ。
 市場にとってまず大事なことは価格なのだ。
 購入できる価格を設定し上で商品作りを考えるべきことに気付いたことは、
 私にとっての大きな変化だった。
 そして市場の求めているものは完璧なものではなく、
 ヴァリュー・フォー・マネー(Value for Money)
 ~価格に見合った質の高いサービスの提供~
 の徹底なのだ。
 最高の音質を求めればコストはかかる。
 しかしその価格が商品を購買する購買層(ターゲット)に対して、
 高嶺の花となってはその商品は自己満足に過ぎない。
 大切なことは購入できる価格のライバル製品の中で、
 対象商品が如何に傑出しているかが、
 ヴァリュー・フォー・マネーの定義であり、
 市場において満足度を共有できる商品こそが、
 大衆の指示を得ることができる。」
 そんな感じの
コメントだったと記憶している。

 基本コンセプトの徹底。

 繰り返すが、
 「私は良い商品さえ作れば市場(マーケット)は反応すると信じてきた。
 そのために価格を無視(高額)してでも自分が欲し商品を作ろうと考えた。
 しかしそれは私の思い過ごしだったようだ。
 市場にとって先ず大切なことは(購入可能な=大衆)価格なのだ。
 購入できる価格を設定した上で、
 商品作りを考えるべきことに気付いたことは、
 私にとっての大きな変化(収穫)だった。
 そして市場が求める商品は完璧なものではなく、
 “ヴァリュー・フォー・マネー(Value for Money)”
  ~価格に見合った質の高いサービスの提供~
 の徹底なのだ。
 最高の音質(携帯音楽プレーヤー)を求めればコストはかかる。
 しかしその価格が商品を購買する購買層(ターゲット)に対して、
 高嶺の花となってはその商品は(製作者の)自己満足に過ぎない。
 大切なことは購入可能な価格のライバル製品(他社の商品)の中で、
 対象商品(自社の商品)が如何に傑出しているかが、
 ヴァリュー・フォー・マネー(=コスト・パフォーマンス)の定義であり、
 市場において“満足度を共有”できる商品こそが、
 大衆の指示を得ることができる。」
 は、
 21世紀初頭の急速な変化が起きた国際マーケットの指標となる言葉であった。
 ~ただし経営コンセプトは時代の変化に対応して異なり続ける傾向から絶対はなく、
 今後も価格設定ありきのビジネス・モデルが継続しえるかは流動的と考えたい。

 我国でも、
 急速に価格破壊が進んだ1998年前後の新しい生産拠点(国際化)と市場の開拓。
 “購入できる価格”内での安定した品質と市場への刺激策(=満足度の共有)。
 ジョブズ氏が180度転換した市場命題は、
 “マイクロソフトの後塵を拝したアップルの逆襲”
 でありその基本概念は奇想天外な構想を生んだ。

 無料で提供された、
 iTunses(ソフト&有料ストア)なくしてアップルの発展はあり得なかった。
 生産するだけのビジネスモデルにこだわる多くの企業(生産拠点と価格)に対し、
 ジョブズ氏は“だけを廃する”ことで商品の存在価値(=多様性の創造)を高め、
 変化する通信技術を逸早く未来想定した上での商品開発と商品(夢)の提供。

 “人よりも一歩も二歩も先を見据えた経営哲学&自らの死との対話”

 膵臓癌(すいぞうがん)。
 多くの場合は発見された時点で手遅れと言われる最も深刻な臓器の腫瘍。
 ・・・。
 ジョブズ氏は生き急ぐ必要があった。
 と同時に、
 ジョブズ氏の強い個性は絶えず対立を生みだし、
 対立もまたジョブズ氏に多くの経験を植えつけている。

 過去の経験を活かし最大限に生き抜いたジョブズ氏の生涯。
 と、
 思いつく言葉を(私が)文字にするのは容易い。 
 しかし、
 ジョブズ氏が歩んだ道のりと経験。
 決して誰にも真似のできない未知の領域への挑戦に、
 神(悪魔)の申し子と讃える人も多い。

 パフォーマーとしての注目される事の多いジョブズ氏。
 しかし先進性(開発者)と経営能力(適材適所の人材登用)。
 さらに人材(エンジニア)との軋轢(無理な要求の指示・命令)と、
 その気にさせる“人を動かす力”は耳にする限り類を知らない。

 私はその部分(開発能力&経営能力)に感銘を受けるし、
 頭に描く想像(=自身の夢)を実現化する巨大な行動力は、
 人々の暮らしや社会環境を大きく変えた。

 それは政治力や国家行政ではなく、
 それは卓越した個人の創造性と、
 実現可能に貢献した企業の能力。

 ジョブズ氏の死は業界の勢力図を大きく変えるだろう。
 しかしジョブズ氏に代わる人材は当分あらわれそうにない。
 “100年(世紀)に1人のカリスマ経営者”

 世界は惜しい人材を失った。

 <関連リンク>
 *スティーブ・ジョブズ氏のスタンフォード大学での卒業式スピーチ
  https://sites.google.com/site/himazu/steve-jobs-speech

 リンク先に記入される2005年6月12日のジョブズ氏の有名なスピーチは、
 膵臓癌による生と死の境界を生きている経験(&不安)を前提に語られており、
 読み進んで行けば私が文字にした拙文の意味が分かりやすいと感じます。
 長文ではありますが是非お読みください。

 *****

 2011年10月6日。
 この日のトップ・ニュースは、
 小沢一郎民主党代議士の初公判。
 小沢氏の言い分も理解できる。
 *総選挙を狙ったかのような検察の暴挙(権力の執行)。
 *近年できた法律による民間人の手による起訴。
 この部分について小沢氏に同情する余地もある。
 しかし私の過去ブログ、

 *法律は許されても“それはモラルの問題”。
  http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/d/20100827

 *平成23年:東北地方太平洋沖地震(東日本巨大地震)に思う事 14。
 http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/d/20110414

 の記事で述べたような理由から私は小沢氏を信用する事はできない。
 自分達(政治家)が作った法律によって起訴された事実を否定する事。
 三権分立を論じる前に法に基いた手続きに悪態をつく態度は自己否定。
 本当に報道(夕方の記者会見)を見るに及んで“恥を知らない人”だと感じた。

 問われるべきは法律ではなく政治家としての姿勢(=在り方)の問題であり、
 小沢一郎氏の政治姿勢が自己への執着と感じさせることに残念でならない。

 蛇足ではあるが有罪判決を受けた、
 小沢氏の元秘書:石川知裕衆院議員は、
 早急に議員(国会・衆議院)を辞職すべきだ。

 逮捕・起訴は司法の決定機関である裁判所の判断ではない。
 私はその点について、
 議員の立場や行政職員(公務員)の立場は守られるべきだと思う。
 しかし一審とは言え、
 有罪判決が出た今もなお何故彼は、
 議員の席に身を置き血税を得るのか?

 私の常識では議員を辞職し、
 地元の有権者に身を委ねる事が真っ当ではないか?
 それが守られないことは三権分立の軽視(=司法)に当たる。
 と同時に、
 それを見過ごす事は、
 国会(議員総べて)の良識が問われる。


 ~以下Web記事転載(ジョブズ氏関連)。

 米電子機器大手アップルは5日(2011年10月)共同創業者の、
 スティーブ・ジョブズ前最高経営責任者(SEO)が同日死去したと発表。
 享年56歳だった。

 *携帯音楽プレーヤー:iPod(アイポッド)。
 *多機能携帯電話:iPhone(アイフォーン)。
 *多機能端末:iPad(アイパッド)」など、
 革新的な大ヒット商品を世に送り出し経営不振だったアップルを、
 世界最大のIT企業に導いたカリスマ経営者だった。

 *****

 20世紀から21世紀にかけ、
 人類の日常生活に革命を起こしたカリスマ経営者がこの世を去った。
 波乱万丈の人生だった。
 米サンフランシスコに生まれ直に養子に出された。
 大学中退後の1976年。
 自宅のガレージで友人のスティーブ・ウォズニアックとアップル・コンピュータを創設。
 マウスを使った家庭用パソコン:『マッキントッシュ』がヒットし、
 一躍若手起業家の仲間入りを果たすも経営対立から、
 1985年に会社を追われた。

 ジョブズ氏自身が「ひどく苦い薬だった」と振り返る経験を経て、
 映画会社『ピクサー・アニメーション・スタジオ』を設立した。
 CGを使った『トイ・ストーリー(95年)』がヒット。
 1997年。
 12年ぶりに古巣アップルのトップに復帰した。

 復帰後は、
 デザインと機能性にこだわった一連の商品を発売。
 iPodは音楽業界の形態に革命を起こした。
 iPhoneも世界的な社会現象となり、
 iPadと合わせ、
 “10年間で3度の革命を起こした”
 と、ITアナリストに評された。

 2004年にすい臓がんを治療。
 2009年に肝臓移植のため半年間休職した。
 2011年1月に再び体調を崩し休職。
 2008年にCEOを辞任していた。

 最近では今年3月に療養中ながら新製品発表会に登場。
 「技術が教養や人間性と結び付いてこそ、
 “人の心を動かす”ことができる。」
 と持論をアピールしていた。

 テクノロジーの世界のカリスマだったがジョブズ氏は、
 豊かな言葉を持つ人物としても知られた。
 2005年にスタンフォード大の卒業式でのスピーチは、
 名演説として今も語り草になっている。

 「17歳の時から33年間、毎朝鏡を見て(私は)自問自答している。
 “今日が人生最後の日だとしたら私は今日する予定のことをしたいと思うだろうか”
 そして答えがノーであることが何日も続けば何かを変えるべきなんだ。」

 強いメッセージを送った後に、
 「ハングリーであれ、愚かであれ」
 と締めくくった言葉は多くの著書などで引用されている。
 (2011年10月7日付/スポーツ報知・記事転載)

 *****

 5日に死去した米アップルの創業者スティーブ・ジョブズ氏が手掛けた製品は、
 PCの『マッキントッシュ』から多機能携帯端末『iPad』に至るまで、
 ミニマリスト的デザインとシンプルな操作性が特徴だった。
 ジョブズ氏のこうした革新的なデザインには、
 禅の影響があるのではないかと指摘する声もある。
 ジョブズ氏は若いころインドに旅して仏教に触れ、
 1970年代にカリフォルニア州の禅センターに通って、
 日本出身の禅僧:故・乙川弘文氏と交流を深めたといわれる。

 乙川氏はジョブズ氏の結婚式を司り、
 1986年にジョブズ氏がアップルのCEOを解任されて設立した、
 ネクストの宗教指導者にも任命されるなど2人の交流は長年にわたって続いた。

 ジョブズ氏がスタンフォード大学で2005年に行った有名な講演をはじめ、
 同氏の発言の中には禅の自力本願の思想が反映されている。
 講演でジョブズ氏はこう語った。
 「過去33年間、私は毎朝鏡の中の自分に向かって、
 “もし今日が自分の人生最後の日だったら、
 今日やろうとしていることをやりたいと思うか?”
 と問い掛ける。
 そして答えが“NO”の日が続いたら何かを変えなければいけないと思う。
 自分はいつか死ぬと思い続けることは私が知る限り、
 何かを失うかもしれないという思考の罠に陥るのを防ぐ最善の方法だ」。

 ジョブズ氏と乙川氏との交流はフォーブズから近く出版される、
 劇画小説「The Zen of Steve Jobs」に描かれる。
 (2011年10月6日付/CNN Japan 記事転載)

 *****

 自ら立ち上げた会社であるアップルコンピューターから、
 1985年に追い出されたスティーブ・ジョブズ氏は、
 12年後の1997年に再びアップルに復帰した。

 そして新しい広告キャンペーンを開始した。
 キャンペーンのタイトルは、
 “違う考え方を持ちなさい(Think Different)”
 アルバート・アインシュタインやボブ・ディラン、
 マーティン・ルーサー・キングやジョン・レノン、
 トマス・エジソンやモハメド・アリ、
 マハトマ・ガンディーやパブロ・ピカソ。
 彼等の顔が次々に登場しナレーションが流れる。

 「ここに正気でない人たちがいます。
 社会不適者に不平ばかり言う者。
 (所謂)問題児たちです。
 世間を違う目で見ている人たちなんです。
 人々が彼らに対し正気ではないと囁く時、
 我々は彼らの中の天才性を見ます。
 正気でない人だけが、
 自ら世間を変えることができると信じ、
 それによって世間が変わります。」

 ジョブズ氏の人生がまさにそうであった。
 人々は彼を正気ではないと思い問題児とみなした。
 しかしジョブズ氏とアップルは世の中を違う目で見た。
 人々がジョブズ氏とアップルは正気ではないと後ろ指を差した時、
 彼らは天才的な製品を作り世間を変えた。
 スティーブ・ジョブズ氏の56年間の人生。
 世の中が変わった。

 ●アップルの始まり
 ジョブズ氏は1955年に未婚の母親から生まれ、
 その直後に里親に送られた。
 しかし不幸ではなかった。
 誰かがジョブズ氏にポールとクララ・ジョブズ氏夫婦について触れながら、
 「里親」と表現すればジョブズ氏は直ちに「両親」と言葉を訂正した。
 よい家庭だった。
 そしてよい環境だった。
 その場所は、
 ほかならぬシリコンバレーだったからだ。

 ジョブズ氏の自宅から遠くないところには、
 米航空宇宙局(NASA)のエームス研究所があった。
 ジョブズ氏は幼い頃、
 そこで同じ年頃の少年らは目にできなかったコンピューターに接した。
 オレゴン州のリード大学に通ったが1学期後に中退しシリコンバレーに戻り、
 コンピューターに関心のあったエンジニアたちと付き合った。
 この集いであった人の1人がジョブズ氏より5歳年上の、
 スティーブ・ウォズニアック氏だった。
 ウォズニアック氏はアップルコンピューターの初ヒット作、
 『アップルII』を作った人だ。

 1976年。
 ジョブズ氏はウォズニアック氏の新婚宅や自宅の車庫を事務所代わりにし、
 アップルコンピューターを立ち上げた。
 資本金はポケットマネーをはたいて工面したわずか1000ドル。
 ジョブズ氏には確信があった。
 ウォズニアック氏が作るコンピューターはまもなく各家に1台ずつ、
 冷蔵庫や洗濯機と同じように売られるだろうし、
 その時になれば世の中は変わるだろうという確信だった。

 誰一人としてジュブズ氏の考えに同調しなかった。
 否、正気ではないとさえ言われた。
 当時の基準から見ればコンピューターとは、
 研究所や企業で使われる高価な代物で、
 一般家庭における代物ではなかったからだ。
 しかし、
 1977年。
 ジョブズ氏とウォズニアック氏が作った『アップルII』は、
 飛ぶように売れ個人向けコンピューター(パソコン=PC)時代を切り開いた。

 ●失敗の連続
 1984年。
 ジョブズ氏が作ったマッキントッシュは失敗の始まりだった。
 ジョブズ氏とアップルの従業員らが、
 ゼロックスのパロアルトリサーチセンター(PARC)が開発した、
 マウスやグラフィックユーザーインターフェイス(GUI)を、
 PCに適用したのは革新的な出来事だった。
 それまでのコンピューターはキーボードで画面に命令語を打ち込む方式で作動させた。
 がマッキントッシュは絵をマウスでクリックすれば作動する未来のコンピューターだった。
 問題はこの技術を取り入れたマッキントッシュの価格が高すぎることだった。
 マッキントッシュは昨今のコンピューターの形を初めて提案したが、
 時代を余りにも先取りしていた。
 消費者は高価なマッキントッシュに顔を背け、
 ジョブズ氏はアップルから追い出された。

 しかし彼のやり方は確かに正しかった。
 当時アップルのマッキントッシュ・コンピューター向けソフトウェアを製作・販売した、
 小さなソフトウェアメーカー:マイクロソフト(MS)のビル・ゲイツ氏は、
 この過程で学んだマッキントッシュ・ソフトウェア技術を利用し、
 その後に『ウインドウズ』運営体制(OS)を作り出す。

 アップルから追い出されたジョブズ氏は、
 アップルを見返したいとの思いから、
 ネクスト(NeXT)というコンピューター会社を作った。
 素敵なデザインに優れた性能。
 先をリードするソフトウェアを使った、
 完璧なコンピュータを作るのが目標だった。
 しかし、
 今度もジョブズ氏は市場を読み間違えた。
 ネクストはマッキントッシュよりもさらに高価で、
 ターゲットにしている消費者は大学生だった。
 売れるはずはなかった。

 この時ジョブズ氏は、
 映画:【スター・ウォーズ】の監督として有名なジョージ・ルーカスから、
 コンピューター・グラフィック会社を一つ買収する。
 ルーカスが妻との離婚訴訟に敗れ慰謝料の支払いに追われ、
 大急ぎで売りつけた会社だった。
 同社はその後に『ピクサー』と名前を変えた。
 自社映画:【トイ・ストーリー】が初めて商業的成功を収めた1995年まで、
 実に9年間もピクサーは骨折り損の草臥れ儲けのように膨大な損害を受けた。

 当時ジョブズ氏と共にピクサーを立ち上げたエド・キャットムル氏は、
 ジョブズ氏の死亡のニュースを耳にし、
 「スティーブはコンピューターでアニメを作るという、
 正気でない考えを心底から信じ我々にチャンスを与えた」
 と振り返る。

 ●ジョブズの復活
 1997年。
 ジョブズ氏はアップルに戻ってくる。
 アップルは不渡り寸前(倒産寸前)まで追い込まれた状態だった。
 復帰したジョブズ氏が手がけたことは何一つ前向きな反応を得ることができなかった。
 復帰直後ジョブズ氏が手がけた最大の仕事はライバル会社だったMSとの提携だった。
 ジュブズ氏は(ライバルの)ビル・ゲイツ氏を訪ね、
 MSに自由にアップルの特許を使わせる代わりに投資を頼み込んだ。
 1997年。
 ジョブズ氏のキー・ノートでMS(マイクロ・ソフト)との提携事実が発表され、
 ジョブズ氏の後ろの巨大な画面にゲイツ氏が登場すると、
 アップルのファンらは野次を飛ばした。
 しかしこの時からジョブズ氏は正しかった。
 アップルはこの協力のおかげで急場をしのぐことができ、
 立ち直りの足がかりを作った。

 2001年に発表した、
 携帯向け音楽プレーヤー:『アイポッド』も最初から失敗が囁かれた。
 携帯向け音楽プレーヤー市場は数十年間ソニーの独壇場だったし、
 携帯向け音楽プレーヤー、メーカー各社は軒並み該当分野だけに集中する、
 専門メーカーだった。

 (失敗が囁かれた理由は)コンピューターを作り続けたアップルが、
 果たして携帯向け音楽プレーヤーを売ることができるだろうか?
 という懸念だった。

 その結果は皆ご存知の通り。
 アイポッドは世界で最も多く売れた、
 携帯向け音楽プレーヤーとなった。

 2007年に披露した、
 多機能携帯電話:『アイフォーン』も失敗の予想が先に出た。
 携帯電話メーカーは消費者ではなく通信社を相手に物を売るビジネスだった。
 通信会社とのネットワークも営業ノウハウも無かったアップルには、
 製品を売る手が無いということだった。
 しかしアイフォーンは世界で最も多く売れるスマートフォンとなった。
 アイフォーンに熱狂する消費者らは、
 通信会社に圧力をかけアイフォーンを販売させ、
 アイフォーンを販売できない通信会社は競争で遅れを取った。
 ジョブズ氏は市場の力学関係を変えてしまった。

 2010年。
 多機能端末:『アイパッド』が出たときも皆が口をそろえて、
 「サイズだけ大きくなったアイフォーン」
 だと酷評を飛ばした。
 しかしそのおかげで皆が存在すらしなかった、
 “タブレットPC市場”というこれまでにない新しい市場が誕生し、
 “アイパッドの人気”のためパソコン市場が揺らいだ。

 ジョブズ氏はアップルを自分の最も好きなバンドである、
 ビートルズにたびたび例えた。
 「ビートルズは4人がお互いに弱みを補い合うバンドですね。
 お互いにバランスが取れています。
 そしてこの4人の合計は4より一際大きいのです。
 企業の偉大なところは、
 これは1人で出来ることではないということです。
 アップルはチームプレーですね」。

 (2011年10月7日付/東亜日報・記事転載)

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【アナログ放送終了+ぴあ休刊=情報の拡散】:今夜も時間不足は私的メモ。

2011-07-24 23:55:55 | 政治・社会・時事

 2011年7月24日正午。
 総てのアナログ放送が一斉に終了した。
 7月25日午前0時。
 総てのアナログ放送終了の告知画面が消え完全移行。
 約60年間の放送に幕を閉じた。
 *岩手・宮城・福島の3県を除く(2012年3月末日の放送終了予定)。

 【アナログ番組、3県除き終了】
 地上テレビのアナログ放送は、東日本大震災でとくに大きな被害を受けた岩手・宮城・福島の3つの県を除き終了日を迎え、正午には通常の番組が終了しました。このあと日付が変わる25日午前0時までに電波も停止しデジタル放送に完全に移行します。地上テレビのアナログ放送は平成13年の電波法などの改正を受けてデジタル放送への移行が進められてきました。
 そして24日、東日本大震災で特に大きな被害を受けた岩手・宮城・福島の3つの県を除く44の都道府県で終了日を迎えNHKと民放のアナログ放送は正午に通常の番組の終了と問い合わせ先を知らせる画面に一斉に切り替わりました。総務省によりますとデジタル放送に関する相談に応じる「総務省地デジコールセンター」には24日午前0時から午後3時までの間におよそ7万5400件の問い合わせがありました。
 また全国のNHKには受け付けの開始から午後2時までに合わせておよそ1万3300件、民放各局には午後1時までに合わせておよそ4800件の問い合わせがあり、いずれも通常の番組が終了した正午の直後に集中しました。アナログ放送は、このあと日付が変わる25日午前0時までに電波も停止してデジタル放送に完全に移行し昭和28年にテレビ放送がスタートして以来、60年近くの歴史に事実上の幕を閉じます。
 残る岩手・宮城・福島の3つの県でも来年3月末でアナログ放送が終了し地上テレビ放送のデジタル化が全国で完了することになっています。
 またBSアナログ放送も24日(同日)全国で放送を終了します。
 「総務省 地デジコールセンター」の電話番号は、
 TEL:0570-07-0101。
 「NHKアナログ放送終了お問い合わせセンター」の電話番号は、
 TEL:0570-07-2011。
 いずれも24時間受け付けています。
 (以上はNHKニュース:2011年7月24日・Web記事転載)

 昨日(23日)は休日を利用し書店回りをした。
 お目当ての書籍は、
 『ぴあ』最終号&『なでしこジャパン』特集号。
 『ぴあ』は8月4・18日合併号(680円)。
 『なでしこジャパン』は週刊サッカー・ダイジェストを購入(700円)。
 今夜は『ぴあ』のお話。 

 【さらば「ぴあ」の時代】
  ~首都圏版休刊~

 『ぴあ』とは。
 1972年、当時学生だった矢内廣社長らが東京で創刊した地域型情報誌。映画や演劇、コンサート、展覧会などの情報を網羅的に掲載して人気を得た。及川正通の表紙イラストは、世界最長連載として2007年、ギネスブックに認定された。
 月刊でスタートし、79年から隔週刊化。中部版と関西版も創刊された。80年代後半には、首都圏版が53万部に。90年には首都圏版が週刊化。08年に隔週に戻した。現在の部数は6万部。
 (以上は朝日新聞Web記事を転載)

 『ぴあ』の時代(上)
 
 映画、演劇、演奏会などの予定を掲載してきた雑誌『ぴあ(首都圏版)』が21日発行の1341号で休刊する。1972年7月の創刊から39年。『ぴあ』を片手に劇場通いを楽しんだ人は数知れない。ピーク時には50万部を超えインターネットの普及後も根強いファンに支えられてきたがついに「最後の情報誌」として幕を閉じる。『ぴあ』はどう歩み、何を時代に残したのか。2回にわたって検証する。

 創刊時からの中心メンバーの一人で現取締役の林和男さん(60)は「休刊はハッピー・リタイアメント(幸せな引退)」と切り出した。「この会社の役目は、出版というより情報伝達。創刊時には雑誌しか手段がなかったが、いま最もふさわしいのはインターネットですから」と説明する。雑誌『ぴあ』のコンテンツは、今後もネットに引き継がれる。「雑誌『ぴあ』への思いもあるが、ぴあという会社がエンタメビジネスの中心的企業であることにこだわり続けたい」と、展望を語った。
 『ぴあ』創刊の1972年は、時代が音を立てて変わろうとする激動時だった。「いつ、どこで、何が。名画座の上映作品や時間を網羅的に知りたい」。中央大の学生だった現社長、矢内廣さん(61)や林さんらの、素朴な欲求が発端だった。アルバイト先のTBSで賛同した他大学の学生ら7人が、演劇やコンサート情報も含めた雑誌作りを始める。
 「学生運動を経験し、自分たちはどう生きていくか。普通に就職するのではなく、何かほかのことができないか。そんなことを考えていた時代だった」。既存の発想にとらわれなかった彼らの「熱」の背景を、林さんが振り返る。情報収集から編集まで、何もかも一から学んだ。創刊号は1万部印刷し、書店に持参できた2000部のうち、約1800部が売れた。8000部は配りきれなかったのだ。
 東京都中野区の矢内さんの下宿で生まれた『ぴあ』は、口コミで人気が広がり、2年後には10万部に達する。74年に株式会社化。76年には直販から、取次店を通す一般の流通ルートにのり、駅売りも始まった。わずかな空欄に読者のメッセージなどを載せる「はみだし情報」の開始もこの時期だ。当時は珍しかった学生からの起業ベンチャーでもあった。

 月刊から隔週刊になった79年9月ごろから、学生の間に急速に広まる。「花金(はなきん)」という言葉が浸透し、週末情報を得られる雑誌として定着。他の情報誌が映画内容への評価といった「意思」を交える中、『ぴあ』は「情報」をそのまま載せるというポリシーを貫く。例えば、ロードショーの大作映画も自主上映作品も、情報として同等に扱ってきた。後に「文化の時刻表」と呼ばれるゆえんだ。
 84年4月には、現在の社業の中核を占める「チケットぴあ」を開始。チケットを買うために『ぴあ』を買う、という新たな購買層を開拓し、88年10月14日発売号(秋の学園祭超特大号)では最高実売部数53万部に達する。

 85年に関西版、88年に中部版も誕生し(いずれもすでに休刊)、90年11月には週刊化。世はまさにバブルの時代だ。発行も40万部台で好調が続く。90年代後半には都市型情報誌が相次いで発行され、「東京ウォーカーVSぴあ」といった図式も注目されたが、2000年ごろから全体的な退潮が始まる。03年、ぴあはチケット事業拡大を念頭に東証1部に上場した。

 執行役員の小林覚さん(45)によれば、『ぴあ』本誌の今後を検討し始めたのは5、6年前から。他の情報誌が消え、ぴあの部数減は続いた。「90年代後半までは、読者の年代は幅が広かった。年齢を重ねた層はエンターテインメントから足が遠のき『卒業』していったが、ネットの影響もあり、若い年代がそれを補うほど増えなかった。年々まさに卒業生の分だけ、発行部数がゆっくりと減少していった」
 さらに、新しいチケット販売システムの導入トラブルで08年3月期から3期連続で赤字になったのも、休刊に多少なりとも影響を与えたようだ。休刊直前は6万部にまで減少した。
 (以上は毎日新聞:2011年7月20日の東京夕刊・記事転載)

 『ぴあ』の時代(下)

 情報誌『ぴあ』が7月21日発売号で休刊すると発表された4月22日、ツイッター上では「悲しい」「時代が変わってしまう」「おれたちの青春は終わりなのか」といったつぶやきが、何千本も飛び交った。作家の盛田隆二さん(56)もそこに参加した一人だが「若者も含め、これほど大勢が『ぴあ』について自分たちの思い入れを語りたがるとは予想していなかった」という。盛田さんは1978年4月、ぴあに入社、独立する96年3月まで18年間、編集に携わった。「『ぴあMap』などの企画を考え、新宿の街を歩き回ったり、忙しいけれどおもしろい仕事でした。社長も社員もみな若く、大学の映画研究会の部室がそのまま編集室に移行したような雰囲気があった」と語る。欄外の「はみだしYouとPia」はツイッターの原型であり、大手映画館も小劇場も同等に扱うカタログ化はネット時代を先取りした。『ぴあ』が「紙のインターネット」と称されるのも不思議ではない。

 高校で8ミリ映画のサークルに入っていたというコラムニストの泉麻人さん(55)は、新聞に載らない名画座の上映予定を『ぴあ』で調べて劇場に通ったと語る。「まだレンタルビデオもなく、足を運ばないと映画を観(み)られない時代でしたね。でも、途中でおもしろい町並みをみつけたりで、マイナーな劇場を発掘する楽しみを教えてもらった。講演会の情報などもあり、若者が行動し、参加するメディアだった」

 タウン誌の研究で知られる東京経済大学名誉教授の田村紀雄さん(76)は、『ぴあ』が出版界に二つの革新をもたらしたと指摘する。「一つは伝統的な流通を通さない直売で、その後のタウン誌の手本にもなった。もう一つは、情報を分類して提供するディレクトリー化です。それまでの雑誌が取り上げたのは既に起こったニュースでしたが、『ぴあ』は事件でもない生活の情報を一覧にして読者に提供した。こちらは他のメディアが次々と追いかけ、今や定番になっています」。ミニコミ誌として誕生した『ぴあ』はメジャーな雑誌へと成長する。だが、ネット時代の荒波をかぶって部数は低迷、ついに休刊に追い込まれた。創刊39年後の休刊について田村さんは「始まりがあれば終わりがある。寿命だった」と分析する。70年代から80年代に創刊されたタウン誌の多くは、ベトナム戦争や大学紛争を経験し(挫折した)若者が大手メディアに対抗して出したもので、その情熱は次世代に引き継がれなかったというのだ。

 若者たちがネット情報を便利だと感じたのは時代の趨勢(すうせい)とはいえ生き残る方法があったのではないかと語るのは作家の坪内祐三さん(53)だ。「ここ10年あまり『ぴあ』は時代後れでした。若者向けの若手俳優のインタビュー記事や『ススめる!』などの特集は、若者にも中年にも受けなかったと思います。たとえば、そこで編集のギアを替えて、オリジナルな読者、50代以上の人たち向けに編集を変えることもできたのではないか。ネットよりも雑誌で情報を得たいという世代は『ぴあ』を必要としているのだから、対象を絞ってぜひ復刊してほしい」

 最終号の表紙はこれまでのハイライト場面のコラージュとなった。75年9月号以来、すべての表紙を遊び心たっぷりに描き、『ぴあ』の顔だったイラストレーターの及川正通さん(72)は、背広姿の矢内廣社長が表紙を頼みに自宅にやって来た日のことをよく覚えている。「ひと晩中、仕事そっちのけでお互いに夢を語ったんですよ。ぼくは映画好きでもなかったけれど、若い人の手助けができるならと引き受けた。それ以来、ずっと時代の流れを感じながら時代の人物を描き続けてきた。自分でいうのもおこがましいのですが、浮世絵を描かせてもらったかなとも思います」
 (以上は毎日新聞:2011年7月21日の東京夕刊・記事転載)

 アナログ放送終了については意外と多くの方が慌てたかもしれない。
 総ての放送の終了は当然別室TV・録画機器のすべての放送が終了。
 *でも慌てないで。
 デジタルテレビに外部出力があれば録画機器の入力に接続(番組を見ながらの録画)。
 さらに廉価商品でなければ外部出力からの留守録機能がついているテレビも多く、
 アナログ・ビデオでも録画&録画保存は可能(DVD転送はワン・コピー×裏番組録画不可)。
 またアナログテレビでもデジタル対応のDVDレコーダー(HD付)を接続すれば、
 テレビをモニター使用(入力切替)することでテレビが壊れるまでの視聴は可能で、
 “どちらかがデジタル”であれば何の問題もない事実情報は伝達不足。
 言いかえればBSデジタルの放送さえもアナログ・ビデオに録画できるし、
 廉価版のデジタル対応(BS対応)のDVDレコーダー(2万4000円位~)
でも、
 アナログテレビの視聴が可能はチューナーとして使用なら中古5000円もあり?
 *もちろん地デジ・チューナーを買えば安上がりだけどTV買ったら捨てるだけに抵抗感。
 何でも捨ててしまえば良いと言う訳ではないので買い替え前の再考も手かな?
 *mimi-fuku通信の常連さんなら“そんなこと”ご存知ですよね。

 時間を持たないことは罪なことで“自分の言葉”が少ない。
 そんな時は“人の言葉”を拝借するのが今の時代なのか?
 文字を埋めるために“私的メモ”と題してWebニュースを転載。
 私の思い出も少しだけ述べてみたい。
 
 『ぴあ』の休刊(廃刊?)には思うことが多い。
 毎日新聞・東京夕刊の記事によると、
 *1972年:創刊(実売1800部)
 *1974年:10万部突破。
 *1979年:月刊→隔週
 *1984年:「チケットぴあ」を開始。
 *1988年10月14日発売号は最高実売部数53万部。

 *19
85年:関西版発行。
 *1988年:中部版誕生。
 *1990年:隔週→週刊化(発行も40万部台)
 *1990年代後半:『東京ウォーカーVSぴあ』の図式。
 *2000年頃から全体的(出版物)な退潮が始まる。

 『ぴあ』最終号には創刊号の付録つき。
 月刊『ぴあ』創刊号は28Pで100円。
 昭和47年(1972年)7月10日発行は、
 ・テアトル東京で「ゴッドファーザー」の封切。
 ・コンサート情報を見るとガロとRCのジョイントコンサートが当日600円。
 ・外タレはディープ・パープルが武道館で2700円~1600円。
 ・EL&Pは後楽園球場(スタジアム)で2300円~1300円。
 そんな時代に『ぴあ』は産声をあげた。 
 
 私が『ぴあ』を意識したのが1988年頃。
 仕事で東京へ出張するようになったからだ。
 金沢に“ぴあステーション”が誕生したのもこの頃だと思う。
 当時はチケット・セゾンとチケットぴあが覇権を争ったように記憶。
 *ローリング・ストーンズの初来日公演(1990年2月)はぴあ券が手元に残っているし、
 *ポール・マッカートニーの初来日公演(1990年3月)はセゾン・チケットが手元に残る。
 1993年頃の石川県の書店では
 ぴあ首都圏版、ぴあ関西版、ぴあ中部版の3冊が同時に並び、
 1990年代は毎月のように東京・名古屋・関西へと出張。
 コンサートに通っていた時代の1990年代には『ぴあ』は私にとっても愛読書だったし、
 2000年代に入っても羽田に着くと直ぐに『ぴあ』を購入するのが常だった。
 開催されているイベントや美術展情報&テレビ番組表を電車の中・ホテルの部屋でくまなく調べた。
 *1990年代はプロレス雑誌も発売日には必ず購入する習慣があり電車のお供だった。

 文字にし足りないが“もう5分”で日付が変わる(ここで時刻セット)。 
 1995年のターニングポイントは阪神大震災と通信の変革(携帯電話+PC通信)
 でもパソコン通信の最先端をチケット販売で大成功させたのが“ぴあ”だった。
 その『ぴあ』が高速通信(インターネット+光通信&フルブラウザの携帯電話)に足元をすくわれた。
 もちろん“ぴあ”だけではなく多くの媒体や産業が高速ネットワークに足元をすくわれ瀕死の惨状。
 情報の拡散は如何ともし難いが時間もなく“その話”は別の機会に…。
 
 2011年7月24日。
 連日の大きな大きなニュースを下記に記録(私的メモ)。
 高速情報化社会&個々が配信する膨大な情報網。
 この文書が多くの方々の目に留まるのも、
 情報の拡散の形態であることに違いない。

 “時間が足りない”
 それは多くの方々にとっても共通の悩みとして持っており、
 情報過多(時間×好奇心=葛藤)が原因の一因であるだろう。
 *選択肢の拡散=自主的削除(自己コントロール)が必要。

 益々難儀・難解な時代が続くようだ。


 ~以下グーグル・ニュースの朝・夜のトップ・ページを転載。

 <2011年7月24日:朝のニュース>

 *中国:高速列車が脱線 2両落下、11人死亡(温州市)
 *ノルウェー連続テロ、死者90人超す、首都中心に避難勧告
 *松井が古巣で本塁打、日米通算では501本目
 *玄海原発1号機に欠陥の可能性、鋼材不均質?井野氏ら指摘
 *駆け込み地デジ化、量販店に列、チューナー品切れも
 *米、南シナ海領有権で中国けん制 「国際法で解決を」

 *R&B歌手、エイミー・ワインハウスさん死亡
 *待ってました!勘三郎、8か月ぶり号泣復帰
 *はいだしょうこの楽屋に泥棒!マネジャー殴り逃走
 *甲斐よしひろ 3年ぶりソロツアーで熱唱

 *藍、今季初優勝に王手!ノーボギーで単独首位浮上
 *オールスター:坂本、球宴1号に猛打賞「うれしかった!」
 *エバンス、総合首位で最終Sへ=ツール・ド・フランス
 *日馬富士、白鵬の8連覇を阻止!2度目の優勝(名古屋場所14日目)

 <2011年7月24日:夜のニュース>

 *中国高速鉄道の脱線事故、共産党政権に衝撃
 *テロ容疑者、犯行認める「残虐だが必要だった」
 *なでしこリーグ:世界一効果でINAC戦に1万7812人
 *増税12年度から5年で調整 25日、閣僚会合に提示
 *地デジ:窓口へ、量販店へ殺到…完全移行
 *アナログ放送終了、地デジコールセンターに相談7万5400件

 *勘三郎“心の故郷”松本で半年ぶり舞台復帰
 *水樹奈々に2万5000人熱狂!さいたまスーパーアリーナ公演
 *鳥居みゆき「見どころは全裸シーン」

 *北島が2位で決勝進出=男女400リレー、五輪出場権獲得、世界水泳
 *琴奨、鶴竜の大関とりは来場所-貴乃花審判部長が明言
 *大相撲名古屋場所:日馬富士 Vに花の全勝ならず
 *オールスター: 155キロを連発 地元で初先発の由規「仙台でできてよかった」

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