四国遍路テクテク日記

「四国を歩いて遍路する。」にこだわって平成14年のGWから2年間、5回に分けて歩いた記録を中心に遍路に関するあれこれ。

平成15年1月1日(阿波から土佐・第12日目)

2005-07-14 09:27:57 | 第2回(阿波から土佐)
1月1日(水曜日)
(第5日目・通算第12日目・歩行距離30.3km・歩行歩数50,543歩)

 5:00分、目を覚まし、夕べ買ってきたカップ麺などで朝食を取る。
元旦の朝食にしてはお粗末だが、これも仕方がない。
まずは、こうやってお遍路をしていることに感謝しよう。

 まだ真っ暗な安芸市街を歩き、安芸駅へ向かう。
6時ちょうどに安芸駅に着くが、これからごめん方面に行く列車は6:24分なので、
駅のロビーで休むことにした。

6:24分、西分へ向かう列車に乗る。
乗客は私一人だ。

6:40分、やっと薄明るくなってきた西分の駅からサイクリングロードへ出る。
背中の方で少しずつ明るくなってくる初日を気にしながらサイクリングロードを
歩いていく。

 7:05分、芸西村と夜須町の町堺に着く。
しかし、まだ朝日は射してこない。
そろそろ、日の出の時間なのだが?

 7:40分、夜須町の国道脇を歩いていると後ろから日が射してくる。
後方の山からなので日の出時刻からは30分以上遅いが、紛れもなく初日だ。
後ろを振り返り、初日に向かって手を合わせる。

 ほどなく、手結海水浴場にあるヤ・シィパークにつく。
黄色や赤の派手な原色の建物や椰子の木が数本海の方に見えるなど、
すっかりトロピカル調の雰囲気だ。
 駐車場も広い。
まっすぐ歩いていくと駐車場のはずれになり、道がなくなった。

 堤防があるのでその上を歩く。
堤防の上からは土佐湾が一望できる。
遠くの方に高知市街と浦戸大橋らしい橋も見える。
お日様が背中から押してくれる。
このまま堤防の上を歩いていくと、右手に赤岡と書かれた病院があるので、
右側にある国道へ戻る。

 8:25分、赤岡一本松にKマートというコンビニがあるので、
ここから、不用となっている着替えなどを送ることにした。

9:00分、国道が左側に曲がっている。
大日寺へは右に曲がらなければと思い、曲がろうとすると二股のところに
大きな建物がある。
よく見ると建物の上の方に黒潮ホテルと書いてある。

 このホテルが今日の宿だ。
とりあえずこのホテルのロビーで一休みすることにした。
 
今晩このホテルに泊まるのが良いかどうか考えた。
高知市内に宿を探せるのならばその方がいいが、
もし、探せなかったらここまで戻って泊まっても良いと思い、
フロントで相談すると「キャンセルはできます。」とのこと。
 
この先の宿をどうするかで今日一日の日程が決まるので、
明日の宿を高知屋に決めて、電話してみる。
そうすると、今晩は休んでいるが、明日は営業するといわれたので予約をする。
今日の宿についてはもう少し考えることにして、大日寺へ向かう。
 
9:50分、大日寺に着く。
 

第28番札所 大日寺

 大日寺の境内には初詣の参拝客が切れ目なく訪れ、
それが家族連れだったりカップルだったりと見ていても楽しい。

 本堂と大師堂にお参りし、納経を済ませてから、境内に戻り、
日向ぼっこを決め込んで靴下も脱ぎ、すっかりくつろぐ。

 今日の宿をどうするか考えていたが、とりあえず、黒潮ホテルはキャンセルする
ことにして、電話する。
 
10:20分、国分寺を目指して大日寺を後にする。

 戸板島橋を渡り、ヘンロ標識に従って快調に歩く。
このあたりは、畑の真ん中で、ビニールハウスがあったり畑に露地物の
野菜が植えてあったりと、北海道で言うと秋のような気候だ。

 車がほとんど走ってこないので、のんびりと、あちらこちらをキョロキョロ
しながら歩いていく。
 
11:25分、西山のあたりでヘンロ石を見つけたのでちょっと休憩する。

 しばらく行くと、十字路があり左の方に小さな神社がある。 
真っ直ぐ進もうとすると、神社に参拝に来た人たちの中からお爺さんが、
「この道を向こうの信号まで進み右に曲がればよい。」と教えてくれた。

 お礼を言って教えられたように進むと、ほどなく、陸橋がありJR線を跨いでいる。
しかし、その先の交差点でどちらに進めばいいのか分からなくなってしまった。

しばらく進むとヘンロ石があるはずだと思い歩いているが、なかなか、見つからない。
そうこうしていると、国分寺と書かれた標識があり矢印が左側を指している。
この矢印に従って、左に曲がり畑の中を進んでいく。
 すると、大きな川にぶつかってしまう。
すぐ右側に橋が見える。
左側にもちょっと遠くだが橋が見える。
ここで考えた。
左手の橋まで行って、もし違っているとかなり戻ってこなければならないので、
右側に架かっている橋を渡り、さらに、橋の名前を確認するとどの辺りにいるか
分かるのではないか?と考え、右に曲がることにした。

 右に曲がり橋まで来たが交通量もあり橋の名前を見るために
道路を横切るのも危ないくらいだ。
とりあえず橋を渡ってみることにする。

 そうすると、橋を渡ったところに四国の道の標識があり、
紀貫之の名所案内が書かれている。
国分寺へは橋のたもとを左に曲がると良いようなので、案内に従って曲がる。

 しばらく進むと、ズーッと先に見覚えのある国分寺らしい森が見えている。
間違いないと思い、適当に歩いていくと、やっと、国府橋のたもとにでる。

 何のことはない、どの橋を渡ろうか迷ったところから見えていた
左側の橋が国府橋だったのだ。
ちょっと迷ったが国分寺へ着いた。

 12:45分、国分寺へ着く。


第29番札所 国分寺

 国分寺は参拝のお客さんも多く、駐車場にはひっきりなしに車が出入りしている。
よく手入れされた境内へ続く参道を歩く。
 ここの境内は本当にきれいに手入れされている。

 本堂と大師堂にお参りして、納経所へ向かう。
途中に赤い実を付けた灌木があるので写真を一枚撮る。
 本堂前に戻り、ベンチに腰掛け境内にいる参拝客をぼんやりと見ていた。

 お父さんが着物姿の家族が来て本堂をバックに写真を撮っている。
家族全員の写真を撮るためにシャッターを切ってくれる人を捜しているようなので、
声を掛けて、写してあげる。

 お腹がすいたので、国分寺の手前に喫茶店みたいなレストランがあったので
そこへもどって昼食を取ることにした。
しかし、店へ行ってみると、なんと、お休みだった。
仕方がないので、持っていたオールレーズン(クッキー)と飲み物で昼食とする。

 ついでに今日の宿を決めようと思い、高知市の駅付近の宿に電話をしてみる。
安楽寺そばの「旅館まつば」に電話すると、もうやめてから何年にもなるといわれる。
お詫びを言って、電話を切る。

 次に、駅前の「ビジネスホテルタウン」へ電話すると宿泊OKの返事。予約する。
 
 善楽寺のそばにJR土佐一宮駅があるので、今日は善楽寺まで歩いて、
そこからは電車で高知市内へ入り駅前のビジネスホテルに泊まることにした。

 13:20分、国分寺を発つ。
 国分寺からは国分寺川沿いの道を歩くことにする。
この道は、細い道なので車の通りも少なく、気持ちよく歩けると思い選んだ。
空が曇ってきた。川原に近いところを歩くので風が出てきて寒い。
時折吹く強い風に煽られながら歩いていく。

 14:00分、浦原橋を渡る。
左手に高い塀が見える。
最初はなにか分からなかったが、どうやら刑務所の塀のようだ。
塀の上に監視所が見える。沢の左側が刑務所になっている。

 広い車道に出るとかなりの交通量がある。
坂道を上がると目の下に森が見える。どうやら一宮神社の森のようだ。

 14:50分、初詣の人達でごった返す善楽寺の山門に着く。


第30番札所 善楽寺 

 善楽寺は土佐一宮(いっく)神社と同居している。
初詣で一宮神社に行く人も、みなさん、山門をくぐっていく。
着物姿の女性も沢山歩いており、今日一番華やいだ雰囲気だ。

 そんな参道に一人で座って托鉢をしているお遍路がいる。
よく見ると中年の男性だ。
そういえば納経所に「境内での托鉢、物乞いをしないように」と書かれた
張り紙をあちらこちらのお寺で見た。
最近托鉢をする人が増えているのだろうか?

 駐車場を警備する警備員もたくさん出ており、
もう3時近いのに出入りする車の誘導に忙しい。

 時折、青空が広がっているがパラパラと天気雨が降る。
そんな中で、隣の神社に比べると人気の少ない善楽寺で、本堂と大師堂にお参りする。
 これで、今日の予定分を歩いたことになる。

 15:20分、善楽寺を後にし、約1キロ先のJR土佐一宮駅へと向かう。

 私の前を大きなザックを背負った中年の男性が歩いている。
ザックの背中に杖が差してあるから、どうやらお遍路らしい。
追いついたので挨拶する。
「今日はどちらまでですか?」と尋ねると、
「私は6月から野宿をしながら逆打ちで歩いている。
この辺のお寺は大日寺まで歩いたが、その先はお正月休みで商店が休みと思い、
この三が日は高知市内にいるつもりだ。
いずれにしても、先を急いでいるわけではないので、気に入ったところがあれば
何日も留まっていることもある。」と話してくれる。
今晩は、一宮駅で野宿するらしい。

 15:30分、駅に着く。
時刻表を見るとちょうどよく39分発の高知行きの電車がある。
このお遍路さんとはここで別れる。

 初めて高知駅へ来た。駅前はちょっと殺風景な気がする。
駅前にもかかわらずデパートとか商店の姿が見えない。
オフィスビルばかりが目に付く。

 高知駅から5分くらいのところにBHタウン駅前はあった。
ホテルの食堂は休みなので、近くのコンビニを教えてもらう。
 一度部屋に入ると外へは出かけたくないので、
教えてもらったローソンで明日の朝の分の食べ物も買い込んで、やっと一息つく。

 ビジネスホテルの風呂は狭くて嫌いだ。
浴槽の中で体を伸ばすことができない。足を揉むのも一苦労だ。
おまけに肩まで湯に浸かることすらできないし、洗い場がないのでゆったりできない。
ただ体を洗い、汗を流すだけの場所だ。
 私がお風呂に入るのは、今日一日頑張った足や体をいたわるためで、
そういう場所が欲しいのに、そうした機能は全くない。
これでは逆にストレスがたまってしまう。

 ここまで毎日30キロほどを歩いてきたが、明日は雪蹊寺前の高知屋さんまでの
約20キロほどなので、ちょっと一息付ける。  


平成14年12月31日(阿波から土佐・第11日目)

2005-07-13 09:35:58 | 第2回(阿波から土佐)
12月31日(火曜日)
(第4日・通算第11日目・歩行距離29.0km・歩行歩数44.340歩)

 6:00分、まだ暗い中、目を覚まし、ファアンヒーターに点火し、
しばらく布団の中で部屋の暖まるのを待っていた。
 ほどなく、「朝食の準備ができました。」と女将さんから声がかかる。
あわてて服を着て、布団をたたむ。

1階の広間に行くと彼女の姿はなく、すでに朝食を終えたようだ。

 朝食を終えてテレビの天気予報を見ていると、台所の方で彼女の声がする。
宿代を払っているようだ。
 私も一緒に払ってしまおうとして女将さんのところへ行く。
ここで女将さんと10分くらい話をした。

 **女将さんの話**
   私は、今、78歳になる。75歳まではこの仕事もそれほど苦にはならなかったの
  だけれども、最近は朝起きなどが辛くなってきた。
  お遍路さんのことを考えるとこの宿は閉めたくはないがいつまで頑張れるかと
  思っている。
毎年、お正月は休んで、兄弟の車で徳島の札所をお参りして高野山へ行ってい
  るが、今年の高野山は雪が多いので、夏タイヤでは無理だといわれた。
  それで今年は小松の方へお参りに行くことにしているが、そちらには、あまり
  行ったことがないので、宿が休んでいたりして、どうなるか心配している。
   お礼参りはいつも峰寺さんへお参りしている。
   年明けからは、工事の人たちが10人ほど宿泊することになっているので、
  それまでのお遍路だ。

   ××××××××××××××××××××××××××××××××××××

 女将さんから台所の流しにあった花切りばさみを借りて靴の手術に取りかかる。
右足の靴の小指が当たるところに切れ目を入れる。
履いてみると調子は良さそうだ。
 
玄関で彼女と納札を交わし、7:00分、私は神峰寺へ、
彼女は野市にある高知黒潮ホテルを目指し歩き出す。

 荷物は浜吉屋さんの玄関に置いて、手に持っているのは杖と納経帳だけだ。
ビニールハウスが建っている畑の中の農道を前方に見える神峰寺を目指して歩く。
浜吉屋さんから神峰寺までは約4キロの道のりだ。

 平坦な車道が、いきなり急坂になりつづら折の道となる。
「土佐のまったて」の始まりか。
 つづら折りの急坂をどんどん登っていくと、車道の横にヘンロ標識があり
歩き用の遍路道がある。
登山道のような遍路道を登っていくと何回も車道を横切る。
 荷物を背負っていないので快調なピッチで登っていく。

 ほどなく、駐車場に着き、8:00分、神峰寺の山門に着く。


 第27番札所 神峰寺

 神峰寺の境内は、冷たい風が吹き抜け、陽が当たっていないのですごく寒い。
せっかくのお庭を見る余裕もない。
境内には歩きお遍路らしい人が一人いるだけだ。
 冷たい風に追いまくられるようにして本堂と大師堂にお参りする。
納経所に戻り、神峰の水を飲むが、やはり、ぬるい水だ。
北海道の湧き水のように喉が痺れるような冷たさはない。

 8:30分、神峰寺をあとにする。
 
 「土佐のまったて」を下っている途中で、やっと山陰から顔を出した朝日が当たる。
車道をどんどん下っていると、農家から出てきたお婆さんが私の前を歩く。
少し腰が曲がった小柄なお婆さんが杖をついて歩いているが、早くて追いつかない。
坂道をどんどん下っていく。

 お婆さんは、坂道の下に来ると、置いてある自転車にヒョイと乗って漕いでいく。
そして、ちょうど歩いてくる中年のご夫婦に「その辺りで荷物を預かってもらって
登ると良いよ。」と声をかけていく。

 9:20分、浜吉屋さんに戻る。
 女将さんからお茶を一杯ごちそうになる。
荷物を整理し、お礼を言って、浜吉屋さんをあとにする。

 住宅地の中を歩いていくと塀の隙間に黄色の数珠袋が挟んである。
誰かが落としたものらしい。こんな場所に数珠を落とす人は歩き遍路しかいないと
思うが、はたして、取りにこれるのか。

 10:40分、安芸市の町堺を通過する。
ここから今日の宿泊先である「ビジネスホテル弁長」までは9キロほどしかない。

 天気は快晴。後ろからお日様が当たり体が温まってくる。
国道は交通量が多く、歩道は狭く排水溝のふたの上を歩くので歩きにくいが、
快調に距離を稼いでいく。

 靴を手術した効果も徐々に現れており、右足の小指も昨日よりは楽だ。

 道の右側の歩道を歩いていると反対側にミカンやポンカンを売っている店がある。
妻へのお土産としてポンカンを送ることにした。
道路を渡ろうとするが、次々と車が走って来るのでなかなか渡れない。
やっとの思いで渡り、店のおじさんにいろいろ聞いて一箱2,500円のポンカンを
送ることにした。

 また、道路を渡り右側にもどろうとするが交通量が多いためなかなか渡れない。
左側には歩道がないためどうしても右側に行かなければならない。
左右を見定めて、走るようにして右側に渡る。

 10:55分、自販機が数台置いてあるところがあったので一休みする。
道路の反対側にはガソリンスタンドがあり、その右側には「椰子の実は残った」
というレストランがある。
レストランは休みのようだが、ガソリンスタンドの人は忙しく働いている。
 
 しばらく歩くと、市街地に入ってきたようで道路の両側にいろいろなお店が建っている。
伊尾木橋を渡り、安芸川橋を渡るともう安芸市内のようだ。

 スーパーの駐車場に警備員の人がいる。「ビジネスホテル弁長」を知らないか尋ねると、
すぐ近くにある大きなビルを指さし、そこの前にあったような気がすると教えてくれる。 
その大きなビルを目指して歩いていくと、そのビルの前に弁長さんの看板を見つける。

信号で道路の反対側へ渡り、11:50分、「ビジネスホテル弁長」に着いた。
 
 2階にあるフロントへ行く。
今晩の宿についたが、まだお昼だ。
弁長さんのレストランで五目麺(700円)を食べ、ここから先を少し歩いておくことにした。 
弁長さんの人に、ここから「ごめん・なはり線」の駅の場所を教えて貰い、
11キロほど先の西分まで歩いておくことにした。
 不要な荷物をホテルに置いて身軽になり、西分めざし歩く。
帰りは、ごめん・なはり線の汽車で戻って来るつもりだ。
 
 12:20分、「ビジネスホテル弁長」から安芸市内を西分目指して歩く。
 
 安芸市内の国道を歩いていくと右手に球場が見える。
阪神が春のキャンプを張る安芸球場のようだ。なんと、球場前という駅がある。

 国虎屋を過ぎて、穴内に入ったところで、左の海側にサイクリングロードがあるので
そちらを歩くことにする。
サイクリングロードは、ここから先ずーとつづいている。
車の騒音から逃れられたので、静かな道を一人でどんど歩く。
松林の中を歩いたり、海を眺めながら歩くので結構気持ちがいい。

 13:40分、極楽寺を過ぎて、「たこ丸」のあたりで休んでいると、
通りかかりの中学生が挨拶をしてくれる。

しばらく歩くと、海側の堤防の切れ目で休んでいるお遍路に出会う。
口ひげを蓄えているがまだ若い人だ。
荷物からすると野宿遍路のようだ。
挨拶だけして、先へと歩く。

 サイクリングロードの左側には堤防が作られており、
その堤防がずーと先まで続いている。
堤防の上に上がって歩くと海が見えて気持ちがいいが、時折冷たい風が吹くので、
サイクリングロードに降りて歩く。
 
 途中で海のプールと書かれた大きな施設などもあり、
このあたりは海水浴場になっているようだ。

 海岸でテントを張りバーベキューの準備をしている親子がいる。
今晩は大晦日。
キャンプをして新年の初日を拝もうというのか?
それにしても、大晦日にキャンプできる土地だということが羨ましい。
この時期にこんなにのんびりした気持ちでキャンプができるなんて、
北海道では絶対に無理だ。

 14:50分、西分駅に着く。これで約11キロほど進んだことになる。
サイクリングロードのすぐ右側が駅なので、明日歩き出すのもちょうど良い。
次の奈半利行き列車の時刻を見ると15:26分がある。
少し寒くなってきたが人気のないホームのベンチで靴を脱ぎ、すっかりくつろいでしまった。

 弁長さんに戻ると、夕食は5時までなら用意するといういわれる。
部屋に戻り、1階にあるコインランドリーで洗濯機を回し、
ハンバーグ定食(980円)を注文する。  
明日は早いので、ここで夕食代と部屋代を精算しておく。

近くのスーパーへ行き、明日の朝食を買い込み、これで、明日の準備も万全だ。

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 年末年始の宿が取れるか心配していたが、ここまでは順調に泊まれている。
足の方も痛いところはあるけれど、まあまあ順調といえるほうか。
これから先の年始の宿は全く取っていないので、これからどうなるかが問題だ。
でも、高知市内を目指しているので、市内にはお正月でも泊めてくれる宿はあると思い
あまり心配せずにその日、その日で決めればいいとのんびり構えていた。

平成14年12月30日(阿波から土佐・第10日目)

2005-07-12 09:09:55 | 第2回(阿波から土佐)
12月30日(月曜日)
 (第3日・通算第10日目・歩行距離37.3km・歩行歩数55,583歩)

 6:30分、朝食の案内放送がある。

 朝食後、もう一度本堂へ行き、お参りして総門から出ようとしたが、
どちらの方へ行けばいいのか分からなくなってしまった。

 7:00分、YHの玄関に戻りそこから出る。
津照寺までは6.8kmとちょっと距離がある。
 すぐに、スカイラインに出たので左に曲がり舗装道路を下っていくと、
山門への入口がある。
どうやら、総門を出て右に曲がって来ると、この入り口に出るようだ。

 前回は、バイクでYHの玄関から出入りをしていたので、
YHとお寺の配置関係がよく分からなかった。

 道路は急な下り坂でしかも左右に折れ曲がっている。
 ほとんど車が通らない道路なので車道いっぱいを使ってジグザグに歩きながら
どんどん下っていく。
足の指の調子もいい。昨日の治療が功を奏しているようだ。

 しばらく下ると、見晴らしがよくなり右手にこれから歩いていく
室戸市内方面が見えている。
最御崎寺のある後ろの方が明るくなり太陽が顔を出したようだ。

 自転車を押しながら若い男性が坂道を登ってくる。
どうやら、自転車遍路のようだ。挨拶をしてどんどん下る。
 30分くらいで国道まで降りる。
ここから右に曲がり旧道を歩く。

坂本、津呂の市街を抜ける頃には後ろの方から陽が射してきて、やっと暖かくなる。
しばらく海沿いを歩くと、国道から室津の港への分かれ道につく。
左側の道を少し歩くと左側に港が見えてくる。
ほどなく津照寺への入口につく。

 8:30分、津照寺の山門に着く。
 

 第25番札所 津照寺

 津照寺の本堂は急な階段を登った一番上にある。
ちょっと足が痛くなってきているので、ステンレス製の手摺りにつかまって
登ろうとしたが、その手摺りが冷たくて思わず手を離してしまった。

 急な階段を登り本堂の境内に着く。
後ろを振り返ると目の下には室津港が見えおり、その先には太平洋が広がっている。
お参りしている人は、車遍路のご夫婦一組だ。
奥さんはお経を唱えているがご主人はその横で手持ちぶさたにブラブラしている。

 急な階段を下り、大師堂でお参りをして納経をして貰おうとすると、
先ほどの奥さんが「私たちは沢山あるので先にどうぞ!」と順番を譲ってくれたが、
納経所にはこの夫婦と私しかいないので順番通り先にして貰う。
数冊の納経帳と掛け軸と白衣に納経をして貰っている。

納経をしている老人が奥さんに「この納経帳は一番で購入したのだろう。」、
「そうです。」と奥さんが答えると、「一番にお礼参りをするように書いてあるが、
そのようなことは必要がない。」と話し、
私の納経帳を開き、「この人の納経帳にはそのようなことは書いてないだろう。」という。
「一番札所は金儲けのためにこのような納経帳を売っている。」などと
ブツブツ言っている。
なにも知らずに一番札所の売店でお遍路グッズを整える人に対してこんな話を
聞かされても気分が悪くなるだけではないか。
 もし、お礼参りが必要のないものならば、お寺さん同士で話し合っておけば
いいだけでないか。
お参りに来ている人に対していうことではないと思う。
納経所でこんな話を聞かされるとは思っていなかったので、ちょっと気分が悪くなった。
 
8:50分、津照寺に別れを告げて富津の町を歩いていく。
 次の金剛頂寺までは4kmと近い。
 まっすぐ進んでいると川に突き当たる。
すぐ右手に橋が見えるので渡ろうとすると、その橋のたもとでいろいろな餅を売っている。
あん餅を2個買う。

 市街から国道に出て金剛頂寺を目指す。

 本橋から道は右に曲がり、前方の山へと続いている。
車道が右に曲がるが、直進する方向に細い道が延びている。
歩き遍路は直進するようにヘンロ標識がある。
標識に従って登っていくと道は登山道となる。
それほど急な登りでもないのでどんどん登っていくと、やがて車道に出た。
すると、そこが金剛頂寺へ続く厄坂の階段の前だった。

 9:45分、金剛頂寺に着く。


 第26番札所 金剛頂寺

 厄坂の急な階段を登ると正面に本堂が見える。
太陽の光を浴びて本堂の扉や屋根瓦がキラキラと光っている。
境内には、ほうきを持って、玉砂利を掃いたり、庭の手入れをしている
お婆さん達が数人いる。
指図をしている品のいいお婆さんがどうやら住職の奥さんらしい。

 まだ幼稚園に行っているような子供が二人飛び回っている。
 陽の射す暖かい本堂でお参りをして、今度は日陰で寒い大師堂でお経を唱える。
納経所へ行くと、その辺で仕事をしていた作務衣姿の人が納経してくれる。

 納経所の前にあるベンチで靴を脱ぎ足を休める。
そろそろ、両足の小指が痛くなってきた。
特に右足の小指が痛い。 

 納経所でここから先の道を教えて貰う。
宿坊の前をまっすぐに歩いていくと昔の遍路道だと教えられる。 
足のことを考えると登山道は歩きたくないので車道を行く方を聞くと
1kmほど遠回りになるといわれ、遍路道を行くことにする。

 10:15分、今日の宿がある奈半利を目指して出発する。

 細く狭い農道をクネクネと曲がりながら歩くと、道は急な下りの登山道となる。
杖をついて右足をかばいながら下る。
石ころに足を取られないように気を付けながら下る。
目の前に民家の屋根が見えてきた。
やっと登山道を下り終えたようだ。

 10:40分、平尾に出る。ここからは海岸沿いに吉良川の町を目指して歩く。

 吉良川の街に入る。道が狭いのにかなりの交通量がある。
吉良川町並み保存群という標識があり、国道の右側に旧道があるようだ。
そちらを歩くことにした。
このあたりは、瓦屋根に漆喰壁の昔の建物が多く、それを保存しているようだ。
狭い道の旧道は車が2台すれ違うのでさえ窮屈そうだ。

 11:25分、町並みを抜け、吉良川大橋を渡る。
しばらく歩くとまた国道と合流する。
 
 11:50分、吉良川漁港前で休憩する。奈半利へ12キロという標識がある。
天気は良いが風が冷たくなってきたので、大きな事務所の陰で休む。
ここで、今晩の宿をどうするか考えた。
 今晩の宿は、奈半利にある「ビジネスホテルなはり」に取ってあるが、
できることなら神峰寺の麓にある浜吉屋まで行きたいと考えていた。
浜吉屋まで行くとすると今日の予定より7キロほど遠くなる。
 まずは浜吉屋さんで泊めてもらえるか電話すると「いいです。」と言われた。
これで気持ちは決まった。
女将さんに「お願いします。」といい、宿に着くのは5時近くになる旨を伝える。
そして、ビジネスホテルなはりに電話して今晩の予約を取り消した。

 痛い足を引きずりながら7キロを歩くのは容易ではないが、
できることなら浜吉屋さんに泊まってみたかった。
いろんな人が浜吉屋にお世話になっているので私も泊まってみたかったのだ。
 
12:50分、羽根の市街に入って食堂を探しながら歩いていると
「うどん十兵衛」という店がある。
さっそく入るが結構込んでいる。
あいていたイス席に座り十兵衛うどん(500円)を頼む。
いすに座ると、ちょっと失礼して靴と靴下を脱いで足を休める。

 ここから先のコースについてちょっと悩んでいた。
「中山越え」という昔の道があるがちょっとした山越えになる。
国道は海岸線を通っている。
足への負担を考え、海岸線を行くことにする。
 十兵衛でお腹を満たし、足も休めたので浜吉屋さんを目指して歩く。

足が痛くなって疲れてくると、道路の左側にある里程標が気になってくる。
100メートルごとに1~9までの数字がガードレールなどに付けられ、
1キロごとに高知までのキロ数がかかれている標識が立っている。
この数字が少なくなっていくのだけれども、疲れていると全然進んでいないような
気がして、見るたびにため息が出てくる。

 岬を一つ回って、しばらく行くと、13:55分、やっと室戸市と奈半利町堺に着いた。
この辺で中山越えの道と合流するはずだが、気を付けてみていたがわからなかった。
左手に広がる海のずーと先の方に市街地らしい建物が見えている。
港らしいところには大きなクレーンなども見えている。
そこが奈半利の市街のようだが、しかし、そこまではまだまだ相当の距離がある。
 
 左手は海、右手は山という国道をかなり疲れて歩いていたが、
町堺から何とか1時間頑張って歩き、14:55分、バス停があったのでちょっと休憩する。

 もう少しで奈半利の街に入るはずだと思っていた。
それは国道の両側に建物が少しずつ増えてきたからだ。

 道路が少し上り坂になってきた。その坂をあがると目の前に町並が広がっている。
やっと奈半利の町に着いた。

 少し歩くと右側に今日泊まるはずだった「ビジネスホテルなはり」が見えてきた。
大きなホテルで、なんと、露天風呂もあるようだ。
ここまで来れば、あと1時間と思い、市街地を一生懸命歩く。

 奈半利川橋を渡り少し行くと、左側に二十三烈士の墓という看板がある。
武地(半平太)瑞山と一緒に殉職した土佐藩の藩士の墓だ。
 国道は、かなりの交通量があるが、歩道がしっかりしているので
地図を見ながら歩いている。しかし、さっぱり進まない。

 やっと、安田大橋を渡る。
奈半利の町に入ってからもう一時間以上歩いている。
車の騒音をさけるために、安田川の橋を渡ってから旧道を歩く。
車がほとんど走っていない。
空はお日様が傾き、薄暗くなってきている。

右手に瓦屋根に漆喰できれいな格子模様の壁に造られた民家がある。
壁に漆喰で鶴や竹の絵が描かれている。
夕日に少し赤く染まった漆喰の絵に思わず見とれてしまった。

 もう少しだと思い、安田町の町を歩いていると、市街のはずれにやってきた。
交差点にある標識では右に行けば神峰寺とある。
この辺に浜吉屋さんがあるはずなのだが、しかし、どこにあるのかが分からない。
どこかで聞こうとしたが、歩いている人がいない。
左側に国道が走っており、なにか看板らしいものが見える。
その看板を見に行くと、浜吉屋の看板だった。
交差点を、左に曲がるとすぐらしい。
交差点に戻り、まっすぐに行くと100メートルぐらいで浜吉屋さんだった。

 16:55分、やっと浜吉屋さんについた。もう陽が暮れかかっている。
 奈半利市街に入ってから浜吉屋さんまでの7キロほどは、
足も痛くなってきて本当にきつかった。
 
 玄関で声をかけるとお婆さんが出てきた。
浜吉屋さんの女将さんらしい。
風呂が沸いているのですぐ入るようにいわれる。
部屋は二階の奥だといわれ案内される。
部屋は八畳ほどの和室で、ファンヒーターが置いてある。
今日のお客さんは二人らしい。

 風呂から上がって一息ついていると夕食ですといわれ、一階にある広間に行く。
広間には石油ストーブがガンガン燃えており暖かい。
丹前姿の若い女性がすでにお膳の前に座り夕食を取っている。
挨拶してから、話を聞くと、今日は金剛頂寺の麓にある「民宿うらしま」から
ここまで来たという。

羽根からは中山越えを歩いたとのこと。
どちら来たのか聞かれたので、最御崎寺からというとびっくりされた。
 
彼女(翌朝、納札を交換したので、神戸市のMさんということが分かった。)は、
神戸市なので2~3日くらいで区切って今年の春から歩いていると話してくれる。
 私も今年の春のGWから歩き出したと話すと、喜寿のおじいさんを知らないかといわれ、
11番藤井寺の前にある民宿ふじやで一緒だったと話すと、彼女は喜寿のおじいさんとは
その前日同じところに泊っており、私が民宿ふじやに泊った日には焼山寺まで行って
泊ったとのこと。
 喜寿のおじいさんは、井戸寺で、一旦、家に帰ったことを話す。

 たまたま共通の話題があったので話が盛り上がった。
おまけに今回のスタートも同じ日で、しかも剣山四号に乗っており、
彼女は東洋大師からスタートしたとのこと。
鯖大師にいた京都の女性とも電車の中で一緒だったようだ。
彼女は、今回は明後日竹林寺まで行って区切るようだ。
 明日は野市にある高知黒潮ホテルに泊まり、明後日は大日寺から竹林寺までを打ち、
神戸に帰るとのこと。
明日は30キロほど歩かなければいけないのが心配らしい。
あなたは?と聞かれたので、今回は岩本寺まで行く予定だと話す。
たった二人しか泊まっていない宿で、しかも見知らぬ女性と打ち解けた話が出きるのも
お遍路だからこそか?

 娘と大阪のHさんにケイタイからメールを打ち、今日の状況を報告する。
 足の手入れをしながら、小指への負担を軽くするためには靴の小指が当たっている
ところに切れ目を入れようかと思っていた。

 五本指の靴下の効果なのか小指以外のマメは親指の腹にしかできていない。
五本指の靴下をはかないで歩くわけにはいかないので、足指を楽にするために残された
手段は靴をどうにかするしかない。
そうすると幾らか楽になると思い、明日の朝にでも女将さんからハサミを借りて
靴の手術をすることにした。
 
 明日の神峰寺へは浜吉屋さんに荷物を置いて往復することにした。


平成14年12月29日(阿波から土佐・第9日目)

2005-07-11 08:36:17 | 第2回(阿波から土佐)
12月29日(日曜日)
(第2日・通算第9日目・歩行距離36.5km・歩行歩数52,471歩)

 夕べは、始終ウトウトして寝ていた。
春のGWの時もそうだったが、お遍路中は体のあちらこちらが痛く、熟睡できない。
でも、昨晩は8時頃に寝たので、睡眠不足などいう症状はない。

 6:30分に朝食を頼んでいたので、下の食堂へ行く。
卵焼き定食(450円)を食べる。

この時間ではまだ暗いので、もう少し明るくなるのを待って
6:50分、民宿南風を出発する。
奥さんからポンカンを2個もらう。

 まだ薄暗い中を、今日は室戸岬にある最御崎寺を目指す。
左手には海、右手には山の景色を見ながら歩く。
左手から指してくる日の光に霞むように見える前方の重なった山々の
一番奥が室戸岬なのだろう。

天気予報では今日は晴れとのこと。
しかし、夜明け前の気温は低く、フリースを着て歩いているが、
ぜんぜん、体が温まってこない。
少しずつ空が明るくなってくる。
山際の空が紫色から赤紫、さらに、オレンジ色になり、
少しずつ青味が増してくる。
この時間帯の空の色が好きだ。

やがて、あたりの民家にも日が射してくると幾分暖かくなる。
2キロほど進むと、二またに分かれている道があり、
右に進むと東洋大師と標識があるので、東洋大師へ寄ることにする。
 
東洋大師は小さなお寺だ。石段をあがるとすぐに本堂がある。
般若心経を唱え、納経していただく。

 そのまま、野根の町中の細い道を進んでいく。
時間が早いので、どこの店もまだ開いていない。
時々寒い風が吹き抜ける町中を一人で歩いていく。

野根大橋を渡ると、正面に真新しい地蔵堂が建っている。庚申堂だ。

 国道に出て歩いていくと、左手に野根漁港が見える。
野根漁港前を通り過ぎると、向こうの方から犬がシャンシャンと
小走りで走ってくる。
よく見ると、その後から子犬が5~6匹じゃれながら走ってくる。
親犬は道路の右側を一直線に走ってくるが、子犬たちは道路を横切り
私の方へ向かって走ってくる。
その子犬たちが、私の足にまとわりつく。
なにか食べ物が欲しいと言っているような気がするが、
犬が食べられるようなものは持っていないし、
親犬を探したがもうその辺にはいない。
子犬だけが私にまとわりついている。
歩こうとすると、足元でじゃれている子犬を踏みつけそうになる。
杖で追い払うわけにも行かない。
困ってしまったけれど、摺り足のようにして足を運び、
「食べ物はなにも持っていないからごめんね。」といいながら、
小走りに足を進めやっと子犬たちから脱出する。

 ほっとして後ろを見ると、なんと、子犬たちは私の後から走ってきた
自転車に同じようにまとわりついている。
自転車の人が進めず、自転車から降りて私と同じように子犬を
踏まないように避難している。
かわいい子犬たちだったけれど、この間、親犬は一度も姿を見せなかった。
野根の漁港にでも餌をあさりに行ったのか?

天気が良く、後ろから指す陽の光のおかげで体が温まり、快調に歩いていた。
 野根の町から先16キロほどは宿がない。
佐喜浜町までは自動販売機もないところだと聞いていたので、
500ccのペットボトルを2本もって歩いていた。
気温が上がっているようで、長袖シャツの腕をまくって歩く。

 8:40分、ちょっと疲れたので、淀が磯橋で休む。

 9:00分、法海上人堂に着く。小さなお堂だ。お参りしていく。

 10:50分、佐喜浜町に入る。国道にあるコンビニで弁当を買い昼食とする。
ミニカツ丼(380円)を食べる。まだ温かく美味しかった。
両足の靴下も脱ぎ、指の調子を見るが両足の小指が痛くなってきた。
サビオを張って、痛い小指を少し揉む。

 昼食後、町はずれを歩いていると、目の前に突然白い車が止まった。
なにかと思ったら、髭面の中年の男性が「お接待させてください。」といって
お茶、バナナ、ミカンの入った袋を差し出す。
ありがたくいただく。
 この人も、白衣を着ているので車遍路をしているようだ。
水も食べ物を十分に持っているけれど、断るわけには行かない。
これで小さなザックは荷物で一杯になってしまった。

 目の前に広がる、折り重なる岬を一つずつ一つずつ回って歩いて行く。

 道路の右側に民宿が見える。日の当たる窓一面に布団が干してある。
ロッジ尾崎だった。
気温が上昇しているので布団押しには最適なようだ。

ほどなく、「民宿とくます」に着く。
「とくます」とは漢字で徳増と書く。
思ったより大きな民宿だ。
この辺の民宿は釣り人がたくさん来るのでそれらの人用であるかもしれない。
途中の磯の岩場にはたくさんの釣り人がいた。

 遠くの方に変わった岩が見える。
どうやら夫婦岩のようだ。

 12:10分、夫婦岩を通過する。
ここまで来ると、あと12キロほどなので今日の行程の約3分の2を
歩いたことになる。
あと一息と頑張るが、両足の小指がだんだん痛くなってきた。
特に右足の小指が痛い。

 12:45分、椎名漁港前で一休み。
ここからは暫く国道と平行している町の中の旧道を歩く。
旧道は車の騒音もなく安心して歩ける。
 このあたりで、バナナの木が庭にある家を発見する。
おまけに、バナナが実っている。
15センチほどの実が2房ついている。
これにはたまげた!
 いくら暖かい土地だといってもバナナが露地で実るとは思ってもみなかった。
さすがは、南国土佐と!ビックリしながらしばし見つめた。

 三津市街も同様に旧道を歩く。
三津市内のはずれに近代的な大きなビルが建っている。
海洋深層水を汲み上げる施設のようだ。
付近の景観には似合わないビルがドーンと建っている。

 14:30分、高岡漁港手前のカーブを曲がると青年大師像が目の前に見えてきた。
カーブを曲がるといきなり目に飛び込んでくる。
真っ白な大師像の横顔が見える。厳しい顔だ。

 14:45分、青年大師像に着く。
ちょっとトイレタイムで休憩する。
ここで、車遍路の人からもらったバナナとミカンを食べる。
足の痛みも増してきたので靴下も脱ぎ捨てて素足になる。
ここまで来ると、あと少しで最御崎寺なのでゆっくり休む。
 
15:00分、最御崎寺に向けて歩き出す。
歩き始めてすぐに中年の逆打ち遍路の人に会う。
大きな荷物を背負っているので野宿で歩いているようだ。
挨拶だけして別れる。

 御蔵洞の手前に海難事故で亡くなった人を祀っているお堂がある。
たくさんの地蔵さんが祀られてている。
歩きながらお地蔵さんに向かって手を合わせる。
ふと見ると、門の内側に緑色のテントが張ってある。
歩き遍路の人が張ったものか?
テントに鳥の糞が落ちている。
 
 御蔵洞に着く。
観光客らしい家族連れが数人いる。
中に入るともうすっかり暗くなっている。
数枚写真を撮って、いよいよ最後の登り口である登山口に向かう。

 登山口への坂道を上ると道はいきなり階段となり、
左右に折れ曲がり急な坂をどんどん登って行く。
急に心臓が苦しく歩けなくなる。
あわてて深呼吸をする。
今までは水平移動ばかりしていた体がいきなりの垂直移動で悲鳴を上げている。
数回深呼吸を繰り返して心臓の鼓動が静まるのを待つ。
一度苦しいところをすぎると、後は何とか落ち着いた。
どんどん高度を稼いでいくと、右手にスカイラインへと書かれた標識があり、
ほどなく、最御崎寺の総門が見えた。

 15:30分、最御崎寺総門に着く。


 第24番札所 最御崎寺

 総門で一礼し、境内に入る。
日が傾きかけた境内には数人の参拝客しかいない。
誰が突いたのかゴーンと鐘が鳴る。
本堂と大師堂にお参りをして、納経所へ行く。
納経後も、本堂前のベンチにしばらく座っていた。
まだ時間も早いので、境内から離れがたかったのだ。
ぼんやりとベンチに腰掛け、人影のない境内を眺めていた。
一口飲み物を飲むと、急に寒気がしてきた。
フリースを着て、汗をかいた体が冷えないようにして宿坊に向かう。

 宿坊で名前を言うが予約がないといわれる。
ユースの会員かと言われるが、違うと答えるといつ頃予約したなどと聞かれる。
そのうち、桐沢という予約客がいるといい、どうやら私の名前を桐沢と
聞き違っていたようだ。

 宿代を払い、2階の洋室を使うようにいわれる。
部屋へ行くと、前回泊まった部屋の真向かいのようで、
3人分のベットのある大きな部屋にどうやら一人で泊まるようだ。

風呂は4時過ぎになるといわれたので、洗濯をすることにする。
靴を脱いで素足になりスリッパに履き替えると足がホッとする。
両足の小指と親指の腹にマメができているがそのままにして、
風呂に入ってから治療することにした。

いずれにしても、今日一日はよく歩いた。
 テレビをつけて、ベットの上に横になりぼんやりしていた。

 4時過ぎたので風呂にいってみるとお湯が一杯になっている。
もう入れるかと思い、さっそく入る。
浴室のタイルが暖まっていなので少し肌寒いが、お湯の中にはいると、
ジンジンとお湯の暖かさが冷たい体にしみ込んでくる。
お湯の中で、ふくらはぎや太股をマッサージする。
足の指もゆっくり揉む。

 風呂から上がるとさっそく足の指のマメの水抜きをする。
足にできているマメは、両足の小指が一番ひどく、
そのほかには親指の外側と母子球のところにそれぞれ中位のができている。
ライターの炎で焼いた針先をマメに刺す。
中の水を絞り出す。
そして、サビオを巻く。これで治療は終わりだ。
 
 今回は、五本指の靴下を初めて使用してみた。
薄手の五本指の靴下とその上に厚手の靴下を重ねてはいていたが、
やはり、靴が細身なので小指に負担が集中してしまった。
サビオを巻いた小指のことを考えて、五本指の靴下の小指の部分を切り取り、
いくらかでも負担を軽くすることにした。
 
 夕食の案内放送が入ったので食堂へ行く。
本日の宿泊客は10人。
ご夫婦が一組。
自転車でお遍路をしている男の大学生が2人。
あとは観光客のようだ。
歩いてお遍路をしているのは私一人だ。

自転車遍路の人は、今朝徳島市から来て明日は高知市内へはいるとのこと。

 乾燥機にかけた洗濯物を部屋へ持ってきたが、靴下があまり乾いていない。
風呂場にヘアードライヤーがあったのを思い出し、ちょっと乾かしに行く。


平成14年12月28日(阿波から土佐・第8日目)

2005-07-08 09:57:44 | 第2回(阿波から土佐)
12月28日(土曜日)
(第1日・通算第8日目・歩行距離20.8km・歩行歩数28,375歩)

 7:00分、徳島駅に着く。見慣れた風景に接するとなつかしい気分が湧いてくる。

 ここからは、前回打ち止めにした鯖大師までさらに汽車で行かなければならない。
みどりの窓口で相談すると、この時間からだと剣山4号で行くことになるが、
阿南まで普通列車で行って剣山4号に乗り換えた方が特急料金が5百円ほど安くなる
と言われ、その乗車券を頼んだ。

 11:05分、なつかしい鯖瀬に到着。お遍路らしい若い女性が一人降りる。
鯖瀬の駅で身支度を整え、今晩の宿を頼んでいなかったので、東洋町にある
「民宿南風」に電話する。
 奥さんらしい人が、「泊まる部屋は2階で、風呂やトイレは1階にあるけれど
大丈夫か。」と言われる。
「大丈夫です。」と答え、今晩の宿をお願いする。

 実は、今回のお遍路に当たっての宿は29日の最御崎寺宿坊、
30日の「ビジネスホテルなはり」、31日の「ビジネスホテル弁長」、
1月1日の「高知黒潮ホテル」しか頼んでいない。

 28日については、実際に鯖瀬に着いてから天気と体調を見極めて決めたいと思っていた。
 天気は快晴。雪国から来ると暖かくて気持ちがいい。
昨晩はほとんど寝ていないにもかかわらず体調もいいので、
予定通り東洋町まで足を延ばすことにする。

 鯖瀬の駅から左に曲がり線路下をくぐると懐かしい鯖大師本坊の石柱が見えてくる。
境内はお正月の準備中で、掃除をしたり忙しそうに働いている人が数人いる。
境内には私のほかに2人のお遍路がいる。若い女性と中年の男性だ。

まず、今回のお遍路の無事を祈願して本堂と大師堂にお参りする。
久しぶりに般若心経を唱えるが、人気の少ない境内で唱えるお経は
なかなか気持ちのいいものだ。

 11:30分、納経を済ませ、鯖大師を後にする。

 鯖瀬駅前にある鯖瀬大福でお餅を4個買い、おやつにする。
若い女性のお遍路が歩いている。
その後ろを私も歩いていく。
歩行スピードはほとんど同じなので、間隔が縮まることもなく等間隔が続く。

そのうち彼女のスピードが落ちてきたのか、追いついたので少し話をする。
 彼女は京都から来ており、9月に鯖大師まで歩いたようだ。
杖を持ち、白衣を着ているのにお寺でお参りはしていないとのこと。
なにか、お経を唱えるのは自分の気持ちに合わないと言っている。

人それぞれに、いろいろな考え方があるので、自分の気が向いた方法でお参りしたり
お寺を巡ればいいのではないかと話しながら歩く。

 後ろの方からバイクの音がする。
なんと5~6台のバイクが轟音を響かせながら室戸方面へ向かって走り抜けていく。
ナンバーを見るとほとんど四国以外ナンバーのようだ。
この陽気なら、北海道と違ってまだまだバイクで走り回ることができる。
うらやましくなるが、今回の私には二本の足しかない。
 このあとも、数台のグループや一人だけで走っているバイクが何台も通り過ぎていった。

 いつの間にか海南町の街に入る。
しばらく歩くと道の左側にヘンロ小屋が建っている。
この小屋はどこかで見たような作りをしている。
そうだ、春にお遍路をしたときに見た太龍寺から平等寺に行くとき通った
阿比瀬にあった小屋によく似ている。
あの小屋は歌さんが作ったヘンロ小屋だ。
そうだ、これが一番最初に歌さんが作ったヘンロ小屋なのだ。
結構大きな小屋だ。
道を横切って道路の反対側に渡り写真を一枚撮る。

 13:05分、海部町境の橋のたもとに着く。
大安食堂で昼食を取るつもりだったが、なんと休業中。
やむなく歩いていくと道路の反対側に「ベンツ」という喫茶店を見つける。

店に入るが誰もいない。
そのうちに店の人が来ると思い、トイレを使わしてもらい、
右足の小指が痛くなってきたので、両足の靴下を脱いでくつろいでいた。

 突然、電話が鳴る。すると、年輩のおばさんが店にやってきて私をみて驚く。
この店には車で来る人がほとんどなので、車がこないので隣の自宅で
仕事をしていたらしい。
うどん(400円)を頼んで昼食とする。

 13:40分、お腹もいっぱいになったので、また、歩き出す。
 13:55分、宍喰町堺を通過。

 宍喰町の街を通り、14:55分、宍喰大橋を渡る。

 15:15分、水床トンネルを抜けると、高知県、東洋町の標識がある。
これで、やっと、徳島県を終えたことになる。
ここからは、高知県。
さあ、これからは修行の道場だ。
今日の宿である民宿南風までは、あと5キロほど、もう一頑張りだ。

 15:30分、甲浦(かんのうら)に着く。
ホワイトビーチホテル前のバス停で休憩する。
ちょっと足が痛くなってきたが、日が傾いてきたのでもう一頑張りと
自分に言い聞かせ、歩き出す。
時折強い風が吹き寒くなってくる。

甲浦坂トンネルを越えたので、もう少しで今日の宿だと思い歩いていると、
左側に民宿南風の看板を見つける。

 16:05分、民宿南風に到着する。
 雑貨店のような入口から入り、「ごめんください。」と声をかけると
日焼けした顔の奥さんが現れる。
宿帳を書き、風呂とトイレの場所を聞き、2階の部屋を教えてもらう。

階段を上がり、一番奥の部屋へはいる。
3畳間ほどの和室にもう布団が引いてある。
暖房器具はコタツしかない。
今日の泊まり客は、私一人のようだ。
食事は、1階の食堂で取るようだが、メニューを見て適当に頼むようだ。
足の指を手入れし、コタツに電源を入れ、ちょっとまどろむ。

夕食は焼き肉定食(600円)にする。
ボリュームたっぷりで結構お腹がいっぱいになる。
デザートにポンカンを2個くれる。こんなところでポンカンにお目にかかれるとは
思っても見なかった。
「妻が好きなんですよ。」と話すと、東洋町はポンカンとサーフィンを
キャッチフレーズにしている町とのこと。

壁に、表彰状が張ってある。
よく見ると今年の国体にエキシビジション競技としてサーフィンが行われたようで、
女子の部1位表彰状だ。
娘さんがもらったものだと話してくれる。
 民宿南風の作りも、1階のトイレ周りなどを見るとサーフィンや海水浴客に
便利なようにできている。
お遍路より海水浴客の利用が多いようだ。
この娘さんがポンカン農家に収穫の手伝いに行っているようで、
毎日もらってくるとのこと。そのお裾分けらしい。
甘みはちょっと薄いけど、みずみずしいポンカンだった。


徳島へ向けて飛び立つ(阿波から土佐へ)

2005-07-07 09:08:33 | 第2回(阿波から土佐)
 春のGwに引き続きお遍路に出かける機会を考えていましたが、
しがないサラリーマンにとって次に長期休暇が取れるのは夏休みしかありません。
しかし、灼熱の高知県で夏休みに歩いて遍路するということは
最初から諦めていました。

 北国育ちの人間にとって、気温35度にもなろうかという道路を、
さらに、アスファルトの照り返しを受けながら歩くということは無理だと思いました。
 すると、次の機会は、お正月休みしかありません。
今年のお正月休みは、何年か振りに巡ってくる9連休となる年です。
これは見逃せないと思い妻に相談してみると以外にもokの返事!
早速、旅行会社に航空券の手配をすると、なんと、お正月休みの繁忙期にもかかわらず
チケットも取れてしまった。
こうなると行くしかない!

 12月27日22:05分、高速バス東京発徳島行き「なると7号」は定刻を15分遅れで
浜松町を出発した。これで、
明日の朝には徳島市に着ける。
ホッとして、今日一日のことを思い出す。
 
 27日は仕事納めの日なので、中間管理職の端くれとしては休むわけには行かない。
きっちりと仕事を終えてから出かけることにしていた。
  
27日は、前日の夜から雪が降り続き、朝にはもう20センチは積もっている。
いやなムードだ。
テレビのニュースで千歳空港は天候調査中で多少の遅れがでていると報じている。
でも、午後3時頃には雪は降り止むらしい。
ここまでくると、あれこれ心配してもしょうがない。
すべては、運任せと割り切って仕事に出かける。

 今回は、千歳から羽田まで飛行機で飛び、浜松町から徳島までは夜行の高速バスを
利用して行くこととした。
こうすると、なんと、翌日の朝には徳島市に入ることができる。
 しかし、仕事を終えてからの徳島行きなので、なんといっても、
飛行機が飛ばなかったり飛行機に間に合わなかったりするとすべての
計画に狂いがでてしまう。

この時期は雪による影響が一番心配なのだが、
今日の天気は夕方までは吹雪と最悪の状況だ。

 天気予報が当たり、3時頃には雪が降り止んだ。
しかし、汽車や航空機に遅れがでている模様だ。

 5時15分、終業のベルが鳴る。職員同士や上司へ年末の挨拶を行う。

職場で着替えをして地下鉄北24条駅へ走るようにしていくと5時44分の
地下鉄に間に合った。

 札幌駅の改札所の上にある発車時刻案内板をみると、
千歳空港行きのエアーポートは、私が乗る予定だった6:10分発の案内はされておらず、
一つ前の5:40分の案内がされている。
とりあえず、何でもいいから千歳行きの列車に乗るしかないと思い、
改札を抜け列車に乗ったがまだ発車する様子はない。
雪の影響でずいぶんと遅れているようだ。
車内の案内では、この列車も6:00分に発車予定だという。 

 6時過ぎに札幌駅を発車し、多少遅れて千歳空港には7時ちょうどに着く。
すぐにJASの出発カウンターに行くと、私が乗る予定の19:20分の便は1時間半ほど
遅れると言われる。
しかし、先発の15:15分発の便が予定より遅れており17:10分離陸の予定で、
まだ空席があるので振り替えますかと言われる。
すぐに手続きを取ってもらい荷物検査を受け出発ロビーへと急ぐ。
 
20:50分、ここまですべて予定より先発の列車や飛行機に乗って、
ほぼ当初の計画通りの時間に羽田空港に着く。

 東京は天気がよい。すぐにモノレールで浜松町へ向かう。
21:40分浜松町に着く。
夜間急行バスは21:50分発車なので、ぎりぎり間に合った。
やっと一息つく。

バスの待合所は、たくさんの帰省客でゴッタ返している。
帰省客も随分いろいろな人がいる。
学生のような若人に混じって、明らかに東北方面へ規制すると思われる
年齢の高い男達の集団もいる。
皆さん、大きな荷物を抱えている。

 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

 お正月休みは本来の遍路シーズンから外れています。
しかも、田舎にある遍路宿はお正月休みを取って休んでいるところもあるでしょう。
この辺は心配しても仕方がないので、まずは、その時々で判断して泊まるところを
捜すしかないと思い、あまり考えこまないことにした。



鯖大師の護摩供養・千日回峰行

2005-07-06 09:44:59 | 第1回(阿波編)
5月4日(土曜日)

鯖大師の護摩供養

 護摩供養の案内がある。
護摩堂へ行く。円形の護摩堂の真ん中に護摩壇がある。
薄暗い護摩堂の中で護摩壇の周りを囲むように座る。
 
住職が席に着く。太鼓の音がドコドコ響き、護摩供養が始まる。
護摩壇から白い煙が柱のように立ち上る。
天井まで煙が上がったときにすう~と消えて行く。
太鼓の音が一段と早くなり、それに伴って読経の声が大きく早くなる。
護摩壇に炎が上がる。どんどん大きくなる。
炎の大きさが1メートル以上になる。
油のようなものを注ぐと一段と炎が大きくなる。

 護摩木をどんどん炎の中に投げ込む。油を注ぐ。大きくなる炎。迫力満点だ。
やがてお経が終わり、炎が小さくなると護摩供養の終わりだ。

 朝食を取り、出発の準備をする。

 鯖大師の本堂と大師堂にお参りをして納経を済ませる。
電車の時間には間があるので、境内をぶらぶらしている。
するとHさんがやってきた。
国道まで二人で歩き、餅屋さんの前で写真を撮ってもらい、
室戸岬を目指すHさんとはここで別れる。

今回は、私のお遍路はここで終わる。


 8:44分発の電車で徳島へ向かう。

 今晩は徳島市内にある大鶴旅館に泊まることとし、
今日は人形浄瑠璃を見学ることにする。

電車の中から昨日歩いた海岸線の道を見る。
Kさんの姿を捜してみていたが、見つけることは出来なかった。

 次はいつこの駅に立てるのか。

 大鶴旅館というビジネス旅館はKさんが泊まって「とてもいい宿だ」と
言っていたのを思いだしたからだ。

 この宿は、80歳を過ぎたお婆さんと50代の娘さんの二人でやっている。

 お婆さんは80歳という年齢が嘘のように若々しい人だ。
数年前に50ccのスクーターで徳島県内の札所を巡った話を聞かせてくれる。
みんなが反対したけれど、このお遍路では途中で命を落としてもいいと思い
巡拝したとのこと。そのバイタリティーには驚かされる。
私が80歳の時に、このようなバイタリティーが残っているのだろうか。


京都・千日回峰行

今回は、お遍路を終えたあと京都へ行って来た。
京都へ行った目的は、比叡山にある無動寺というお寺に行ってみることだ。

今、このお寺で千日回峰行という行に入っているお坊さんがいる。
千日回峰行という行は、比叡山の山の中を歩き、神社仏閣、霊石や霊水など
さまざまな縁起物に対し礼拝をするという行だ。
3年目までは毎年百日ずつ行い、4年目5年目は2百日行う。
5年目は、この2百日の行を終えるとただちに9日間お堂に籠もり、
不眠不臥、食べ物や水もいっさい取らずにお経を唱えるという過酷な行をおこない、
6年目は、京都市内まで行く百日。
7年目は175日歩くという行だ。
この行を終えた者には阿闇梨という称号が与えられる。

 無動寺は比叡山から琵琶湖側に少し下った山の中、急な谷にあった。
急斜面にしがみつくように建てられている。
明王堂というお堂の軒下には、回峰行者が穿いていたと思われる草鞋がたくさん
ぶら下げてあった。
 明王堂の眼前には、大津の市街と琵琶湖が目の前に広がる。
ここには延暦寺に来る観光客の喧噪も届かず、ひっそりと静まり返っている。

 この行の「歩く」ということに惹かれている。
お遍路も言い方を変えれば歩く行みたいなものだ。
歩いて、歩いた先で何を得るのか、それは、その人しだいなのだろう。

 私は、今回歩いた中で、その答えはまだ見つかっていない。 

平成14年5月3日(阿波・第7日目)

2005-07-05 09:44:24 | 第1回(阿波編)
5月3日(金曜日)
(第7日目・ 歩行距離40.8km・ 歩数57,716歩)

 5:00分、起床。空を見るが曇っている。
昨日頑張った割には、体に疲れが残っていないようだ。

 6:20分、朝食を取る。
ご主人から、「朝食後、準備が出来た人から3人づつ平等寺まで送ります。」と
のこと。
準備をして玄関に降りると昨日乗せて貰った軽のワンボックスがとまっている。
すでに、あの青シャツの人が助手席に座っている。
 6:50分、Kさんと私が後ろに座り丁度3人となり、出発する。

 平等寺前で車を降ろして貰い、ザックを背負って小坂さんに「さあ行こうか。」と声をかけ、数歩、歩き出したところで何か変なことに気が付いた。
そうだ、おいずる(白衣)を着ていない!。

 Kさんに、「忘れ物をしたので先に行って!」と声をかけ
平等寺に戻ることにする。
山門前から清水旅館に電話したが、すでに次の人たちを乗せた車は旅館を
出た後だった。
後発の人たちの乗った車にまた乗せて貰い、清水旅館戻る。

おいずるは座布団の上に置いてあった。
出がけに忘れ物がないか一応部屋の中を見渡したけれど
全く気がつかなかったのだ。
再度、平等寺まで送ってもらい、ご主人にお礼を言って、さあ出発だ。

 7:45分、Kさんから約40分遅れで歩き出す。
 空は曇っているので暑くなく、歩くには快適な気候だ。
平等寺前に架かっている橋が工事中のため、川上にある平等寺橋を渡り、
橋の向こう岸へ渡り、新野の街の中を歩く。
ほどなく大きな交差点に出るが、ヘンロ路はまっすぐ続いている。
 車がほとんど通らない車道を一人で歩く。

道の両側には水田が広がる。その向こうは山となっている。
のんびりとした田舎の道だ。まだ田植えが終わっていない水田が多い。
足の調子もまあまあなので、気持ちよく歩く。

道が少しずつ登り坂となり、両側は山となる。
坂道の右側の下に小さなお堂が見える。
月夜御前庵のようだ。

うねうねと曲がっていく道を一人で歩く、時々、お地蔵さんがあるだけで
静かなものだ。
右手に竹林が見えてきた。
きれいに整理され、山腹を横に幾重にも道が造られている。
どうやらここは、タケノコを取るための竹林らしい。
所々に上の方からタケノコを落とすためのトタン板で作られた通路がある。

 8:55分、鉦打の分岐点に来る。
上の方に国道55号線がある。交通量が多く、トラックが轟音を響かせ走っている。
歩道の縁石に腰掛け、靴を脱いで足を休める。

 ここから薬王寺のある日和佐まではこの国道をひたすら歩かなくてはならない。
車道に出る。歩道は整備されていない。
国道の両側に、白線が引かれ、これが車道と歩道の境界線となる。
左側の方が広いようなので、道を横断しようとするが交通量が多いので
横断もままならない。
左右を見て車が来ていないのを確かめ、走って横断する。

ほどなく、道の向こうにトンネルが見える。
そういえば今までトンネルを歩いたことがなかった。
今回のお遍路で初めてのトンネルを通る。トンネルの名前は鉦打トンネルだ。
出来て間もないのかヘンロ地図に載っていない。
トンネルはナトリゥム灯のオレンジ色が明るく光り、
両側に一段高くなった歩道もある。
安心して渡るが、トンネルの中に車が入ってくるとものすごい轟音が響く。

 福井トンネルを抜け弥谷観音への分岐点に来ると弥谷観音の方から
広島のYさんが歩いてくる。しばらくYさんと一緒に歩く。

Yさんは薬王寺まで行って今回は打ち止めにするので、
今日はのんびりと歩いている。
広島に帰る前に、「うだつ」で有名な脇町を見てから帰るようだ。

 9:55分、星越トンネルを出たところにモーテルがある。
道路が広くなっているのでここで少し休むことにした。Yさんは先に行く。

星越茶屋の前を通り過ぎるが、店にはお客が誰もいなかった。
道は緩やかに下っているので調子よく歩く。
時折、バイクの連中が5~6台爆音を響かせ走っていく。
前回はこの辺をバイクで走ったのだ思うが、どうもよく思い出せない。

 10:50分、久望トンネルの先にある車の休憩所で少し休む。
日和佐にあるユースホステルの看板を見つける。
やはり電話番号が違っているようなので、メモしておく。
この辺りで、平等寺から約14キロは歩いている。
薬王寺までの半分は歩いたことになる。もうひと頑張りだ。

 一の坂トンネルを過ぎると深瀬だ。
この辺りへ来ると天気が良くなり、暑くなってきた。
ひっきりなしに走る車の音が耳についてくる。少し疲れてきたようだ。

 海賊船という大きな食堂がある。
建物は全体に赤く塗られており、船の形にして建てられている。
前方が開けてきたので日和佐の街がもうすぐだと思い頑張る。

 左側の方に街が見えてきた。どうやら北河内の町のようだ。
ここまで来ると日和佐の町ももうすぐだ。

 薬王寺の手前で果物を売っている店を見つける。
妻に何かおいしいお土産を送ってといわれていたのを思いだしたので行ってみる。
 この店には小夏があった。

 小夏は前回バイクでお遍路をしたときに清滝寺のお坊さんに
聞かされたミカンだ。
テニスボールくらいの大きさでレモンと同じくらい色鮮やかな黄色をしている。
「小夏ってどんな味ですか」と店の主人に尋ねると、
「それは食べてみなければ分からない」と言い、一つ剥いてくれた。
小夏はほかのミカンと食べ方が違っている。
まず、リンゴをむくようにナイフで黄色い皮をむく。
この時、中にある白い皮を残しながらむくのがちょっとしたコツだ。
つぎに、適当な大きさに切って塩を振りかけて食べる。
塩を振るのは、丁度、スイカに塩を振るのと同じで甘みを増すためのようだ。
 剥いてくれた小夏を食べる。
酸っぱい味が口中に広がる。
噛んでいると確かに甘みもある。
今まで食べたことのない不思議な酸っぱさだ。
気に入ったので1箱送ることにする。
さらに、横にあった土佐分担も1箱送ることにした。送料を含め8千円を払う。
 おじさんが後で食べなさいと言って小夏や清見オレンジを10個ほどくれる。
ザックがいっぱいになり重くなったが、これも善意の試練と思い
ありがたくいただく。
重くなったザックを背負い、目の前にある薬王寺へ向かう。

 12:30分、薬王寺に着く。


第23番札所 薬王寺

 薬王寺は観光客やお参りの人でごった返している。
今まで、静かなお寺になれていたので落ち着かない。
山門をくぐり階段を上がり本堂へ行く。
本堂からは日和佐城が見える。
お参りする人がひっきりなしに訪れる本堂と大師堂でお経を唱える。 

納経所前のベンチにザックを置き、納経を済ませベンチで休む。
昼食用のパンを食べているとYさんが納経所へ現れる。
Kさんに会ったか尋ねると、30分ほど前に薬王寺を立ったとのこと。
Yさんとはここでお別れだ。

 鯖大師に電話してみる。今晩の宿をお願いすると、「いいです。」との返事。
「今どこにいますか。」と尋ねられ、「薬王寺にいます。」と答えると、
「6時の夕食に間に合うようにお願いします。」と言われる。

 13:00分、頑張ればKさんに追いつくかもしれないと思い、
また、6時までには鯖大師までにつかなければ行けないという
プレッシャーを受けながら、約20キロ先にある鯖大師を目指す。

14:00分、日和佐トンネルを抜けたところで休む。
日和佐トンネルは暗く、歩道も狭いので車が歩いているすぐ横を走っていく。
大型のバスやトラックが来ると巻き込む風もありちょっと恐ろしい。
690mは長かった。

歩道と車道を区切っている白線を踏み出さないように歩いた。

 日和佐トンネルを過ぎて道が下り坂になると、その先に打越寺が見えてきた。
雲が厚くなり空が暗くなってきている。
夕方から雨の予報は当たりそうだ。

 日和佐町境につく。これからは牟岐町だ。
少し行くと前方を歩いているお遍路姿の人が2人いる。どうも若い女性のようだ。
さらにその向こうに男女2人組のお遍路がいる。
追いつこうと頑張って歩くがなかなか追いつかない。

 男女二人組のお遍路が道ばたにあるお地蔵さんにお参りをしている。
そこへ行って見ると、どうやら、これはへんろ路保存協力会の宮崎さんが
霊験あらたかだと言っている石仏のようだ。
私も道中の無事を願い手を合わせる。

 道路の反対側を歩いている4人のお遍路を追い抜いて少し行ったところで
Kさんに追いつく。
後ろから「頑張って歩かないと宿に着かないよ。」と声をかけると、
びっくりして後ろを振り返る。
ここから、Kさんと一緒に歩く。

 少し行ったところに、自販機の置いてある休憩所を見つける。
ここでちょっと一休み。
男女二人組のお遍路も休憩しに来る。
話をすると、お遍路は何回か回っているようで、
「今回はゆっくりと60日ぐらい掛けて歩くつもりだ。」と話してくれる。
男性の方は私より若く40歳前のように見えたので、ついどんな仕事をしている
のかと気になってしまった。
この人達の今晩の宿は、内妻荘とのこと。
鯖大師の手前にある民宿だ。

 休憩地点からほどなく小松大師のそばを通る。
この辺りから、kさんペースについていけなくなったので
先に行くように話し、後を歩いていく。
まだ、鯖大師までは8キロほどある。頑張らなければいけない。

 前を行くkさんが道路の反対側へ渡る。
手にはへんろ路保存協力会の地図を持っているのが見える。
何か勘違いをしているようだ。このまま進めばいいはずなのに、
川の右側にある集落に行こうとしている。
 まっすぐ進んでいると間違いに気がつくと思い、私は車道をまっすぐに
進んでいく。
 
 川に沿って車道を歩いていくとやっと牟岐の町に着いたようで
住宅が建て込んでくる。
車道の左側に旧土佐街道と書かれた標識のある細い道がある。
先の方でまた車道と合流しているようなので、そちらには行かず、どんどん進む。
後ろを見るとkさんも歩いている。

 ガソリンスタンドや商店がある。どうやら町の中心部に近くなっているようだ。  
地図を見ながら歩いていると、「民宿あずま」の看板を見つける。
kさんが今晩泊まる宿だ。
この宿の前の交差点を渡り、しばしkさんが来るのを待ち、
手を振って教え、ここで別れる。
「民宿あずま」の反対側を見ると、牟岐駅がある。

 私は、まだまだ、この先を数キロ歩かなければ行けない。

 牟岐警察署の辺りまで来るとポツポツと雨が落ちてくる。
早めに雨具を着た方がいいかと思い、ここで雨具を着る。

牟岐トンネルを通るが、トンネルに入ってくる車がヘッドライトを
つけないで入ってくる。
トンネルが短いのでつけないで入ってくるようだが、これは一寸怖かった。

牟岐トンネルを越え、さらに、八坂トンネルを抜けると右側に内妻湾が広がる。
初めて間近に海を見る。
このお遍路で初めて目の前に広がる海を見た。

海を見ると、雨にもかかわらずサーフィンをしている人がいる。
人数を数えてみると30人ほどいる。
上手な人はすこし沖の方で波待ちをしているが、下手な人は海岸のすぐそばに
出来る小さな波を使い練習している。
 道路から下を見るとサーファー達の車がたくさん止まっている。
その中に、着替えをしようとしているビキニの女性がいる。
こんなところで水着姿の女性に行き当たるとは、ちょっとドキドキした。
お遍路とサーファー変な取り合わせだ。

湾の向こうに内妻荘が見える。結構大きな民宿だ。
その向こうにトンネルが見える。内妻トンネルだ。
あのトンネルを越えとあと2キロほどで鯖大師となる。
もう少しで鯖大師なのだと自分に言い聞かせ強くなってきた雨に中を歩く。

 古江をすぎ、福良トンネルを抜けると、右側にやっと鯖大師の看板を見つける。
国道を右に曲がり、線路の下をくぐると鯖大師が見えてきた。
本堂の前を通り、宿坊へと向かう。

 17:30分、鯖大師の宿坊に着く。

 受付をしてくれた女性に「夕食は6時からです。」と言われる。
玄関で雨具の水を振り払い、とりあえず2階の部屋へ案内してもらう。
12畳ほどの部屋に一人で泊まるようだ。

 洗濯機の場所を教えてもらい行ってみると誰も使っていないので、
売店で洗剤を買い、早速洗濯機を回す。

 夕食の案内があるので二階の会場に向かう。
団体さんはもう皆さんそろっている。

 「歩き」と書かれた札のある場所に行くと、何と、大阪のHさんがいる。
 思いもしない再会に、驚き、思わず話が弾む。
鶴林寺を打った後の宿をどうしたのか聞くと、鶴林寺には16:30分頃に着いたが、
あると思っていたホテルは小松島市内のホテルということがわかったので
キャンセルし、鶴林寺の宿坊も休んでいるので途方に暮れていたら、
坂口屋まで送ってくれるという車遍路の人がいたのでお願いして坂口屋に泊り、
翌日はタクシーで鶴林寺まで戻り、また、歩き出したとのこと。

Hさんは、遍路地図も絵地図となったいる簡易な解説書しか持っていないので、
へんろ路保存協力会の地図を使うように話し、とりあえず、最御崎寺までは
私が持っているコピーをあげることとした。

お坊さんが食事の作法を説明している。
すごい早口の般若心経を唱え、感謝の言葉を唱え、夕食となる。
 歩きの席にいるのは、私とHさんのほかには、
若い女性と坊主頭の老人の四人だ。
この老人と若い女性は、薬王寺から一緒に歩いてきたようだ。
老人は何回か歩いてお遍路をしているようで、今回は別格を中心に
歩いているとのこと。
若い女性は、電車の最終駅となる甲浦(かんのうら)まで行くのだといっている。

 夕食後、Hさんと少し話をする。 
Hさんは、10日までに高知の禅師峰寺まで行きたいといっている。
そこで、一旦、大阪に帰り、また出直すのだという。
遍路地図は、最御崎寺で売っているというのでそこで買うつもりだという。
私の持っているコピーを渡し、地図の見方と、巻末についている
宿の一覧表の使い方を教える。

私は、今回ここまでで打ち終える。
あとは徳島と京都へ行ってみることを話す。

 風呂へ行くと夕食会場で一緒だった老人がいる。
小柄だけれどもがっちりした体をしている。
年齢は70歳に近いと思われるが、かくしゃくとした体だ。
私もこうありたいと思う。

 今日1日で約40キロを歩いた。その割には体がしゃっきりしている。
 時折強くなる雨の音を聞きながら寝る。


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 初めて40キロを歩いたけれど思ったほど体に負担は感じなかったけれど、
足には確実に負担がありました。
私は、O脚ですので、膝の外側にある腱が膝を曲げると痛くなっていました。
これは、この腱が膝の骨と擦り合うために炎症を起こしたものです。

 足に出来るマメなどは我慢すれば歩けますが、膝が痛むと歩けなくなります。
ですから、1日に歩く距離を何キロにするかという問題は、
とても大きな問題です。
1週間程度の区切り打ちでは多少の無理は出来ますが、通し打ちとなると
このあたりは十分に考えて歩く必要があります。

平成14年5月2日(阿波・第6日目)

2005-07-04 09:24:36 | 第1回(阿波編)
5月2日(木曜日)
(第6日目・ 歩行距離32.2km・ 歩数48,982歩)

 5:00分、起床。
Kさんと誘い合って「うさぎ茶屋」で朝食を取る。
ママさんから昼食用にばら寿司をおにぎりにしたものをお接待される。
記念に写真を一枚撮らせても貰いたいとお願いする。
「送ってくれますか。」といわれたので、「送ります。」と答えると、
名刺をくれた。
朝食の代金も5百円と安い。

 外へ出ると曇り空で強い風が吹いている。寒いのでフリースを着る。

 6:45分、立江を出発する。

 途中で中年女性二人連れのお遍路を追い越す。
立江寺の宿坊に泊まっていたようだ。

 昨日の安息日が効いているのか足の調子も体の調子もすこぶるいい。
Kさんも離れずに着いてくる。体が温まると自然にピッチが上がる。

 7:30分、萓原の分岐点に着く。
分岐点でも休まずに先へと進む。
沼江大師への分岐点手前で5分ほど小休止。
その後も快調なペースで進む。

やがて道は大きなT字型の交差点にぶつかる。
この交差点を左に曲がり国道123号沿いに進む。交通量はどんと増えてくる。

 8:45分、国道から鶴林寺へ向かう西山の分岐点に着く。
そのまま進むと、ほどなく左側に大きな白い建物が見えてきた。「金子や」だ。

 金子やのところで何回か一緒になっていたおじさんが休んでいた。
カメラを出しているので、「金子や」をバックに一枚撮ってあげる。

 金子やを左側に曲がり、これからいよいよ鶴林寺への登りとなる。
道は住宅の中を急な坂道となりどんどん登っていく。

やがて両側はミカン畑となる。
緑色の葉っぱの中に白い花が咲いている。
ミカンの花だ。初めて見た。
前回来たときにはミカンの花は咲いていなかった。
きれいな白い花がちょこっと顔を出している。

 道は、急な坂道となるが、道幅一杯を使ってジグザグに登り
ペースを変えないようにする。
後ろを振り返ると、もう、「金子や」があった集落は、
随分、目の下となっている。

 9:25分、水飲大師に着いたので少し休む。
水を飲んでみるが、あまり冷たくはない。
北海道で湧き水というと喉がしびれるほど冷たいのが普通だけれど、
四国に来てから飲んだ湧き水は、それほど冷たいとは思わないものが多い。
これも風土の違いか?

 10:00分、鶴林寺の山門に着く。


第20番札所 鶴林寺

 こんなに早く鶴林寺に着くと思わなかった。
でも目の前にあるのは間違いなく鶴林寺の山門だ。
結構急な登りだったけれど息は苦しくなかった。
見覚えのある二羽の鶴に迎えられる。
 これで、「一に焼山、二にお鶴」と言われている2番目にきつい
遍路転がしを登ったことになる。

 鶴林寺では少しゆっくり休みを取る。
「民宿ちとせ」で一緒だったご夫婦もいる。

本堂への急な階段を上り、本堂でゆっくりと般若心経を唱える。
大師堂でもお経を唱え、納経所へ向かう。

 納経を済ませて休んでいると、団体遍路がやってきて、
息のあったお経を唱える。

 今日は太龍寺を下ったところにある坂口屋に宿を取ってある。
あと半分の行程なので急ぐことはない。
おまけに、ここからは、急な下り坂で一気に400mを下り、
さらに太龍寺まで400mを登る過酷な道だ。足を十分に休める。

 10:55分、鶴林寺の宿坊の左側からヘンロ路を下る。
太龍寺までは6.5キロだ。 
階段状に整備されたつづら折りの道が続く。どんどん下る。
一緒に下っている小坂さんは下りの道に弱いので、「先に行って待っているから」と声をかけてどんどん下る。

 途中で、先に下っていたご夫婦のうち、ご主人に追いつく。
奥さんは先に下っているとのこと。
ちょっと太めのご主人には急な下り道は苦手のようだ。奥さんに追いつく。
話しながらさらに下ると、大井の集落に着いたようだ。
八幡神社が見えてきた。

 11:30分、八幡神社に着く。
奥さんはここで主人に待つように言われたという。
私もここでKさんを待つことにした。

八幡神社は、こじんまりとした社だが、何か風格を感じさせる神社だ。
 
 ほどなく、Kさんと、ご主人が降りて来る。

 少し休んだ後に、太龍寺を目指して歩く。

大井の集落を抜け、那賀川に架かっている橋を渡る。
川の水がきれいで、魚がはねているのが見える。
カヌーで遊ぶには丁度いい流れのように見えた。

川を渡ると道はまたどんどん急な坂道になってくる。
相変わらず快調なピッチで登っていく。

 途中で、下ってくるお婆さんに挨拶する。小柄で細いお婆さんだ。
手には何か山菜でも採っているのか、緑色の草のようなものを持っている。

 初老の男性を一人追い抜いてさらに登る。
道は急になっているが、この道を、急なところはジグザグに
曲がりながら登っていく。

ヘンロ道が急に車道に変わる。
少し歩いて、前を見ると太龍寺の山門が見える。

 13:00分、太龍寺の山門に着く。


第21番札所 太龍寺

 太龍寺は大きなお寺だ。こんな山奥にあるお寺だが境内は広く、
きれいに整備されている。
この山にはロープウェイがあり、大半のお遍路は、そのロープウェイで
登ってくる。

 本堂にお参りしようと歩いていると、納経所の前に「ふじや」で一緒だった
大阪の人を見つける。
聞くとSさんもここにいるようで、時間があるので舎心が嶽を見に
行っているとのこと。
 
 本堂をお参りした後、大師堂へ向かう。
大師堂は、山門の方へ戻った左手の杉の大木に囲まれた一番奥にある。
この大師堂の佇まいが好きだ。
大きな杉の木が参道の両側にあり、その一番奥に大師堂がある。
きれいには掃き清められた参道を歩き、大師堂でお経を唱える。

 納経所に戻り、ベンチで休む。
 ちょっと遅い昼食となったが、うさぎ茶屋のママさんからいただいた
おにぎりを食べる。ばら寿司の酢が口の中に広がりおいしい。

 このまま坂口屋までしか行かないのはもったいない気がして、
平等寺へ迎えに来てくれるというみゆき荘へ電話をしてみる。
あいにく、今日は予約でいっぱいとのこと。
あきらめて、私たちも舎心が嶽でも言ってみようかと話し、
Kさんとのんびりしていた。

 先ほど追い抜いた初老の男性に「やあ、若い人は早いですね。」と
話しかけられる。
この男性は神戸からちょくちょくお遍路に来ているようだ。
「先ほど下っていったお婆さんはいくつぐらいに見えました。」と言われ
「70歳は過ぎているように見えました。」と答えたところ、なんと82歳だという。
おまけに、鶴林寺から来て太龍寺まで来てさらに鶴林寺へ戻るところだという。
これにはたまげた。
80歳を過ぎてあの山道を往復する元気がどこにあるのだろう。
そんなことを微塵も感じさせない小柄なお婆さんだったことを思い出す。

 この神戸の男性は、香川県の札所にはお参りしていないと言う。
「友達から涅槃の道場には行かない方がよい。」といわれたので
香川県のお寺が一番近いのだけれども、そうしているとのこと。
初めて聞く話だ。

そのほかの札所も神戸からは近いこともあって何度も訪れているとのこと。
「それでは頑張ってください。」と挨拶され、先に山を下っていった。

 納経所のベンチでぼんやりしていてふと閃いたことがある。
みゆき荘のほかに平等寺まで迎えに来てくれる宿がないのだろうかということだ。
もう一度みゆき荘へ電話してみる。
「今日は予約でいっぱいだ。」と、先ほどと同じような返事をされる。
そこで、「平等寺まで迎えに来てくれる宿がほかにありませんか。」と
聞いてみた。
すると、「清水旅館なら迎えに行くかもしれない。」とのこと。
さらに図々しく、清水旅館の電話番号も教えて貰う。
みゆき荘さんごめんなさい。

 清水旅館に電話する。
「お遍路をしているものだけれど、平等寺まで送迎していただけるかどうか」
聞いてみると、「いいですよ。」との返事、さらに今日はまだ空きが
あるとのこと。
一応予約をして、今度はKさんが坂口屋に電話し、今晩の予約を取り消す。
 さあ急に忙しくなってきた。
急なことではあるが、予定を変更して平等寺を目指すことにした。
阪口屋さんごめんなさい!

 14:20分、あわただしく太龍寺に別れを告げる。 

 平等寺までは、約12キロの道のりだ。途中に大根峠という峠もある。
納経所終了時間までに平等寺に行き着くか微妙な時間だが、
私には、間に合うという自信があった。
何の根拠もないけれど、おそらく5時には着けるだろうという妙な確信があった。

 駐車場へ下りる裏側の道を二人でどんどん下っていく。
下り坂の苦手なKさんも、この程度の下り坂なら遅れることなくついてくる。

 山を下り終えて少し進むと、目の前に白い大きな建物が見えてくる。龍山荘だ。
龍山荘の前を過ぎると、道はT字型の交差点に出る。
交差点の右側に坂口屋がある。坂口屋さんも大きな宿だ。
この交差点を右に曲がり、ここからはしばらく車道を歩くことになる。

 15:50分、阿瀬比にあるガソリンスタンドで小休止する。
自販機からジュースを買って飲む。冷たいジュースが喉にしみこむ。
 ふと前を見ると、ヘンロ小屋と書かれた茶色で三角形の小さな建物が見える。
思い出した。これは、歌さんという人が建築を進めているヘンロ小屋なのだ。

道を渡り、ヘンロ小屋をのぞく。
屋根があるのみで、壁もないけれど雨露はしのげる。
でも、宿泊するにはちょっと狭いかなという印象の小屋だ。

 阿瀬比からはいよいよ大根峠への山道となる。
また杉林の山道を進むが、鶴林寺や太龍寺への登り道と較べると
なんていうことはない。
二人でどんどん登っていくと、目の前が明るくなり峠らしい場所を通る。
この先は下っているのでここが大根峠らしい。 

16:15分、大根峠に着く。

 ここからは山道をゆっくりと下っていく。
空が曇っているので、林の中は少し薄暗くなってくる。

 目の前が少し明るくなってきたと思ったら、どうやら山の道は終わりのようだ。
目の前に水田が広がり、畜舎が見える。畜舎の中には数頭の牛がいる。
 ここからは、あと2キロ弱だと思うが、5時までは20分くらいしかない。
ちょっとピッチを上げて歩く。
 
 山を回ると左手の向こうに平等寺が見えてきた。
どうやら間に合うようだと思いさらに歩いていくと、何と、道路工事で道は
迂回路を通らなければいけない。
ちょっと焦ったが、平等橋を渡り、平等寺に滑り込む。

 17:00分、丁度に平等寺に着く。


第22番札所 平等寺

 真っ先に納経所へ向かい、納経をお願いする。
その後、ゆっくりと本堂へ向かう。本堂への階段には一円玉がたくさん
落ちている。
これは、願掛けで置いているお賽銭だ。
本堂へ続く階段は男性の願掛け用で、本堂から右側にある階段が女性用だ。
それぞれの階段にお賽銭が上げられており、歩くときにそのお賽銭を
踏まなければあがれないところがある。
お金を踏むということにちょっと抵抗感を覚える。

 夕闇が迫り薄暗くなってきた。
納経を済ませたので清水旅館に電話して迎えに来て貰う。
「10分くらい待ってください。」とのこと。
山門前の階段に座り靴を脱ぎ足を休めながら迎えを待つことにした。

10分ほどすると、軽のワンボックス車が来た。清水旅館の車だ。
ご主人らしい白髪の老人が運転している。
車に乗ると、平等寺からはどんどん離れた方へ走っていく。
着いたところは、JR桑野駅だ。
この駅前に清水旅館がある。
ヘンロ地図では、この辺の位置関係が全く分からない。
 でも、なかなか良さそうな旅館で、建物の規模も大きい。

 2階の部屋へ案内される。風呂もついている。
湯船が三角形の変なお風呂だ。
洗濯機のある場所を聞いた後、お風呂にお湯を入れる。
案の定、三角形の湯船は足を伸ばせるほどのスペースがないので窮屈だ。
でも洗い場が広いので、足の指やふくらはぎをマッサージしたりするには
良かった。

 夕食ですとの案内を受けたので、1階にある食堂へ行く。
すると、植村旅館で一緒だった広島のYさんや埼玉の青シャツの人がいた。
Yさんの宿は確か坂口屋に取っていたはずだけど、ここまで足を延ばしたようだ。
そのほかにも初めて会った2人のお遍路さんがおり、総勢6人のお遍路が
今晩は清水屋でお世話になっている。
朝食は6時半からとのことで部屋に戻る。

 明日はどこまで行くか、まだ決めかねていた。
今の足の調子だと薬王寺までは約20キロほどなので問題なく行ける。
鯖大師までだと国道経由で約40キロとなる。足は何とかなるだろう。
また、鯖大師まで進んでおくと、次の最御崎寺は室戸岬にあるが
ここまでの残り距離が約60キロほどとなるので2日で十分行ける距離となる。
 予定より大幅に進んでいることもあり、徳島で1泊して徳島市内を見学しようか、京都へ行って延暦寺へ行ってみようか、いろいろなことが頭の中を
グルグル巡っている。
 テレビの天気予報を見ると、明日は夕方から雨になるようだ。
 ここでやっと心を決めた。

 明日は鯖大師まで行くことにして、徳島で人形浄瑠璃を見て、京都へ行き、
千日回峰行を行っているお坊さんのいる比叡山の無動寺へ行ってみることにする。
理由はいろいろあるが、明日の歩きが20キロでは物足りないこと、
一度は40キロを歩いてみたかったこと、そして、何といっても、
鯖大師で行っている朝の護摩供養は、一見の価値があると聞いていたので
これを見てみたかったためだ。

Kさんに鯖大師まで行くことを話すが、Kさんはこの先もあるのだから
30キロほどを目安に歩いていくほうが体にも楽なので、
牟岐町辺りまでとすることをすすめる。


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 一日の歩行距離を何キロにするかは人それぞれです。
でも、数日歩いていると自分にあった距離数が分かってきます。
私は、30キロを目標にしていましたが、この距離だと少し早めに宿には
いることが出来るので、余裕を持って歩けました。
 私の歩く速度は、1時間に5キロ強、1時間歩いて5分から10分休んでいたので、それらを含めても時速5キロほど出歩いたことになる。
そうすると30キロの距離だと約6時間で歩ける計算となります。
この時間に昼食で1時間、お寺でお参りすると最低30分がかかるので、
これらを組み合わせて次の日の予定を立てていました。

 最初は少し物足りないくらいの距離で足慣らしをすると、
そのあとの歩きは随分楽になると思います。

平成14年5月1日(阿波・第5日目)

2005-07-01 10:01:08 | 第1回(阿波編)
5月1日(水曜日)
(第5日目・ 歩行距離15.3km・ 歩数25,925歩)

 5:00分、起床。窓から空を見るとどんよりとした曇り空。
眉山の山頂も雲の中で見えない。天気予報の通り今日は雨の一日か?

 6:30分、朝食を取り、宿代を払い、部屋に戻り身支度を整え出発しようと
思い窓から外を見ると雨で地面が濡れている。
雨具を出し、上だけ着てフロントに降りる。
玄関先に出ると、部屋から見たのより雨が強く降っているので、
雨具のズボンも穿く。

 7:00分、近藤旅館を出発し、雨降る徳島市の中心街を恩山寺へと向かう。
 今回は雨傘を持っていない。
雨具と菅笠で歩くが菅笠はなかなか気持ちがいいものだ。
大きいのを買ったので、顔に雨が当たらず笠から肩に雨の滴が流れる。

 5~6分歩くとワシントンホテルの前に来た。
ホテルの入り口から白装束の人が出てくる。何と、昨日別れたSさんだった。
まるで打ち合わせをしたようにホテルの前で一緒になった。

一緒に徳島の町を歩き、恩山寺を目指す。
 
 雨は、時折、強くなったり小降りになったりして降っている。
 中心街を離れ歩道が狭くなった道を歩いていると、
向こうから通学のための高校生が自転車で向かってくる。
狭い歩道で行き交うのも大変だ。
むこうにすると、この狭い歩道をじゃまなお遍路が歩いてくるといった
ところかもしれない。
傘を差し前が見えない状態で走ってくる自転車の高校生を避けながら歩く。
 
 8:00分、1時間ほど歩いたので休もうと思っているとバスの法花営業所が
見える。
バスの待合所があるので休ませて貰う。
この道路は、県道宮倉徳島線という道路のようだ。
このまま進むと国道55号線にぶつかる。
このまま、どんどん進めばいい。

 国道にぶつかる交差点が見えてきた。
交差点の向こうに競輪場が見える。
駐車場を警備する人たちの姿が目に付く。

雨が小降りになってきた。
ヘンロが一人先を歩いている。
橋の手前を堤防から歩いてきた人だ。
歩くスピードが同じなのか、なかなか追いつかない。

 道路の反対側のガソリンスタンドの裏にこんもりとした樹が茂っている
ところがある。
Sさんがお杖の水でないかという。
目を凝らしてみるとヘンロ標識があるようだ。
そうすると、我々が歩いている右手にヘンロ路があるはずだと思い道を見ると
右手の山が恩山寺のある山に見える。
 ヘンロ標識はないが右に曲がればいいものだと思い進む。

 どうも道が違っているようだけれど、山裾を走っている車が見えるので
そちらに向かい畑や水田の中を横切り進む。

 舗装された道路に出て進むと恩山寺への入り口と思ったところには
ゴミの消却施設への標識がある。
どうやら道を間違えたようだ。
でも、そんなに間違っているわけはないと思い地図を見る。
よくわからない。
 
 そこへ、軽トラックが来たので、運転していた奥さんに恩山寺までの道を聞く。
このまま進み、交差点を左に曲がり、次を右に曲がるといいですよ
と教えられる。
その通り進むと、国道から恩山寺へ向かう道路とおぼしき道に出る。
 少し進むと、右に曲がると恩山寺の標識を見つける。

 バスの待合所の中でお遍路さんがたばこを吸っている。
話してみると、どうも、私たちの前を歩いていた人のようだ。
10分前に着いたとのこと。迷って歩いたのもそれ程の時間ではない。

 ほどなく、橋を渡ると恩山寺だ。
橋の右側に見覚えのある山門がある。
橋を渡ったところで車道の右側にヘンロ標識がある。
標識に従って歩くと、いきなり急な坂道となり林の中へ道が続く。
駐車場を左下に見ながら急な階段を上がると、そこは、もう境内の中だった。

9:55分恩山寺に着く。


第18番札所 恩山寺

 階段を上がり、右側にあった建物の屋根の下に荷物を置き、
お参りをするために、さらに、本堂までの階段を上がる。

 人影まばら、そぼふる雨の中を、本堂、大師堂でお経を唱える。
納経所で少し休み、先を急ぐSさんとは、ここで別れる。

 荷物を置いた建物に戻ると隣に赤いザックがある。
見ると、若い女性が一人でお参りをしている。

納経所から戻ってきたので、少し話をして、一緒に立江寺まで行くことにした。

10:45分、立江寺に向かう。立江寺までは3.8キロほどだ。
 恩山寺からは雨が降っているので車道を行こうと思ったが、
小降りになってきたのでヘンロ路を行く。

 薄暗い林の中をヘンロ路は続いている。
女性一人ではちょっと気味が悪いような道だ。杉林や竹林が続く。
ほどなく車道に出る。ここからは整備された歩道を歩く。

 この女性は大阪から来たと話している。
顔を見るとまだ若く24~25歳といったところか。
今日は鶴林寺まで行くという。
そして、今晩の宿は鶴林寺から太龍寺へ下った先10キロほどのところにある
ホテルだという。
そんなところに宿があったかなと思いながら歩いていた。

 彼女の雨具はノースフェイスのゴアテックス製の雨具だ。
雨対策がしっかりしているとほめたところ、友達のアドバイスでザックから
雨着まで買い求めたとのこと。
 
 お京塚に気がつかず歩いていると、もう、立江の町に入っていた。
見覚えのある交差点に来る。
立江寺の駐車場はまっすぐ進むように矢印が書いてある。
しかし、立江寺への標識が見あたらない。
しかし、路は分かっているので左に曲がり、市街地を抜け立江寺の山門に立つ。

 11:50分、立江寺に着く。
 

第19番札所 立江寺

 境内にはSさんと恩山寺手前であった人のほか数人のお遍路がいるだけだ。
そぼ降る雨の中を本堂と大師堂へお参りをする。 

お参りを済ませたので、近くにある酒井軒本舗に行く。
この前来たときにはここのお赤飯がおいしそうなので買った店だ。
薄皮饅頭を買い、半分を若い女性にお接待する。
すると彼女が納札をくれたので、名前がHさんということがわかった。
Hさんの写真を立江寺の山門前で撮り、ここで別れる。

 立江寺の隣にあるうどん屋で昼食を取る。キツネうどんを頼む。
うどん屋には先客としてSさんがいる。
 雨は上がってきたようだ。

Sさんの今日の宿は10キロ先の「金子や」なので、もう一頑張り。

私はここ立江までなのでのんびりしている。
 今日の宿「民宿ちとせ」は途中にあるので、宿の前まで一緒に行き、
そこでSさんと別れる。
 
 12:50分、「民宿ちとせ」に着く。
 雨は完全に上がってきている。
今日のお遍路を打ち止めにするにはちょっと早い時間だけれど、
今日は安息日と決めたので、のんびりすることにした。

 玄関で「ごめんください」と声をかけるが何の反応もない。
隣にある建物に声をかけると、お嫁さんらしい方が出てきて、
おばあちゃんが留守のようだけど、2階に上がり奥の部屋を
使ってくださいといわれる。
 2階に上がり奥にある6畳の和室に入る。今日はここが宿となる。

 部屋の片隅に布団が2組置いてある。
荷物を置いて、足の手入れをすると後は何もすることがない。
布団に寄りかかりテレビを見ながらウトウトする。 

下の方で話し声が聞こえる。
おばあちゃんが来たようだ。お嫁さんと何か話している。
下に行き、お婆さんに挨拶をする。
お婆さんの様子が何か変だ。
私の名前を言って「お世話になります。」と挨拶をしているのに、
どうでもいいような感じだ。
必要以外のことは話したくないような感じがする。
「風呂が沸いたら声をかけます。」と言われ、2階に上がる。
 
「風呂に入ってください。」と言われたので下に降りたが、
風呂の場所がわからない。
台所にいるお婆さんに声をかけると、風呂は台所の奥にあった。
 
 お婆さんは、台所のテーブルに腰掛け、テーブルの上から顔だけが
見えるような座り方をしている。やはり、なにか変な感じがする。

 風呂場の脱衣所に洗濯機もあったので後で洗濯をすることにした。
風呂から上がって一息ついていると、お客が来たようだ。
声を聞くと、どうもKさんのようだ。

Kさんの部屋に行き、風呂の場所を教え、洗濯物があるなら一緒に洗うと
声をかける。
Kさんの話では、ここでは食事を出してもらえないという。
そういえば、私は、お婆さんと食事の話は何もしていないことに気がついた。
食事は、向かいの方にある「うさぎ茶屋」という店で取ってくださいとのこと。
朝食もそこで食べさせてもらえるようだ。

洗濯が終わり2階に上がろうとすると、玄関に2人のお遍路さんが来ている。
泊まりたいと言っているようだが、お婆さんの説明では、
「私は2年ほど前に体の調子が悪くなったので宿をやめてしまった。」と
説明している。
 今日はあいにく全部の部屋もふさがっているので、
別なところを捜してほしいと言っている。
この話を聞いてやっと事情がのみ込めた。

 「民宿ちとせ」さんは、お婆さんがやっていた宿だけれど、
体調を崩したのと高齢のため宿をやめてしまったのだ。
しかし、泊めてくださいと連絡してくる人を断るわけには行かないので
素泊まりだけで泊めているのだ。
 だから、部屋の中に布団も置きっぱなしだし、掃除も行き届いていないのだ。
食事の世話もできないのは当然なのだと思う。

へんろ路保存協力会の本に「民宿ちとせ」は載っている。
歩く遍路の大半はこの本を持ち歩いている。
この本から削除されない限り、まだまだこの宿に泊まりたいと連絡してくる
遍路はいるのだろう。

 お遍路宿を経営するのは大変なことだと思う。
商売として考えると、決して儲かるものではないだろう。
私の代までは何とか続けたいと、頑張っている人がまだまだたくさん
いるのだろう。
植村旅館のように後を継いでくれる人がいればいいが、
継いでくれる人がいなければ消えるだけなのか。
きっと、この宿は、隣にいるお嫁さんが継がない限り、
なくなってしまうだろう。
ヘンロブームというわれる中でこのような現実にぶつかると、
ちょっと寂しい気がする。

 「うさぎ茶屋」にKさんと夕食を食べに行く。
カウンターだけ6席ほどの小さなお店だ。ママさんが一人でやっている。
夕食は、海苔巻きとみそ汁、それに、タケノコ、フキや魚などの煮物、
すり身も付きなかなかの内容だ。
それで料金は5百円とすこぶる安い。

 ご夫婦が店に入ってくる。どうやら「ちとせ」の隣の部屋に来た
ご夫婦のようだ。
ご主人は2回目、奥さんは初めてのお遍路のようだ。
電車やバスも利用して歩いていると話している。
明日の宿は坂口屋に取っているようだ。そこまでは歩いていくと言っている。

 明日の朝食も6時から用意してくれると言う。6時半に頼んだ。

 お腹がいっぱいになったところで、明日の昼食用にパンと飲み物を
買いに町へ行く。
7時頃になるとほとんどの店が仕舞う町だ。
食料品のお店を見つけたので、パンと飲み物を買う。

宿へ戻る途中で、恩山寺から来たときにぶつかる交差点に出た。
交差点の左角には、立江寺駐車場の看板がある。
この看板をよく見ると、何と、四国の道の石柱に看板を縛り付けている。
どうりで立江寺への標識がみつからなかったわけだ。
標識はあるけれど、その標識がこのように駐車場の看板にすっかり隠されている。

 立江寺周辺の道路は狭く駐車場がないためこのような標識を設けている
ようだが、これでは歩き遍路はどちらに進めばいいか分からない。
困ったものだ。


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 長い遍路道を歩いていると、何箇所か泊まる宿の制限を受ける場所があります。
それは次の行程上にある宿との関係で決まります。
鶴林寺と太龍寺の間には宿がありません。
ですから、この二つのお寺を一気に歩いてしまわなければなりませんが、
鶴林寺への登り、それから一旦山を下って、さらに次の山の上にある太龍寺まで
1日分の距離としては十分な距離です。

 ですから、鶴林寺の山下にある「金子や」さんに泊まって、
次は、太龍寺を降りた山の下にある宿に泊まるのが一般的な行程となっています。

 私は、一日に歩く距離を30キロとして歩いていました。
1時間歩いたら10分ほど休憩を取る。
このペースで歩くのが一番疲れなかったようです。

 歩き出すと休憩を取らないで次のお寺を目指す人もいますが、
休憩をキチンと取る方が疲れが残らないと思います。

 数日歩いていると自分のペースというものが自然と出来てきます。