四国遍路テクテク日記

「四国を歩いて遍路する。」にこだわって平成14年のGWから2年間、5回に分けて歩いた記録を中心に遍路に関するあれこれ。

平成15年9月16日(土佐から伊豫・第20日目)

2005-07-29 09:18:10 | 第3回(土佐から伊予)
9月16日(火曜日)
(第4日・通算第20日目・歩行距離33.3km・歩行歩数45,959歩)

 5:30分、起きる。
昨晩も、風がバンバン吹き抜けるので部屋の中が涼しく気持ちよく寝られた。
長い距離を歩いたにもかかわらず体の疲れは思ったほど残っていない。

 6:30分、「朝食できましたよ~」奥さんの声が掛かり食堂へ行く。
久百々さんの朝食には納豆が出ている。
西日本の人達は納豆をあまり食べないと聞いていたので、
奥さんにその事を話すと、「体にいいと聞いたので私は出している。」
とのこと。
おまけに、卵は、久百々さんで飼っている鶏が生んだものだという。
納豆に卵を入れて醤油を差しかき混ぜる。
これをご飯の上にのせて一気に食べる。
いつもながら食欲が落ちないのは健康な証拠だろう。

 6:30分、奥さんの見送りを受けながら、Wさんと下ノ加江まで一緒に歩く。
Wさんは、74歳、とても元気だ。
以前はインドに興味を持っていたので、何回かインド南部にある聖地にも
行っていたが、日本にも四国遍路があることに気がついてからは、
四国を歩いている。などと話してくれる。

 前の方から3人のお遍路が歩いてくる。
どうやら安宿に泊まっていた人達のようだ。
挨拶を交わす。

 7:05分、下ノ加江の三叉路に来たので、ここでWさんと別れる。
真後ろから太陽が当たり前方に長い影ができている。
自分の影を案内役に歩き出す。
 
 水田が両側に広がる道を歩いていく。
時折、自転車で通る中学生が元気に挨拶をしていく。
車がほとんど走ってこない。ちょっと寂しい。

 7:20分、疲れたのでちょっと一休み。
道端に座り込む。風が吹いて来るとちょっと寒い。
早々に歩き出す。

 しばらく歩くと交差点がありその向こうには立派な橋が架かっている。
この橋桁にヘンロ標識があり、左に曲がる道と真っ直ぐ行く道が
書かれている。
真っ直ぐ行くと真念庵の方を回り三原村に行くようだが、
ヘンロ標識によればそちらのほうが幾分近いようだ。
 私は左に曲がり、下ノ加江川沿いの道を進むことにする。
道は細いが車がほとんど走ってこないので気持ちよく歩ける。
おまけに、左側にある山の陰となるため太陽の直射から身を守れる。
右側には、下ノ加江の川が流れているが、すでに深い谷となっている。
川の水は綺麗なグリーンだ。
サラサラという流れの音を聞きながら歩くのは本当に気持ちが良い。
道はこの川沿いを少しずつ登っていく。

 小一時間ほど歩いたので、休憩する。
道端に座り込んで、例の通り靴と靴下を脱いでくつろいでいると、
鈴の音が聞こえてきて、私が歩いてきた道から元気な若者遍路がやってくる。
挨拶を交わしながら顔を見ると、まだ20歳そこそこだろうか?
野宿で歩いているという。
真っ黒に日焼けした顔が汗で光ってまぶしい。
今日は宿毛まで行って、野宿するという。

 足も休まったので歩き出す。
しばらく歩くと前の方で携帯をかけているお遍路さんがいる。
短パン姿だが足が真っ黒に日焼けしている。
挨拶をして先に行くが、私よりは年上で60歳位だろうか。
(このおじさんとは御荘町の磯谷さんで相部屋となる。
  神戸から来て通し打ちをしている三宮のWさん。)

 9:00分、鶴場橋という橋を渡り数件の人家があるところへ来た。
立派な神社がある。神社の名前は河内神社。
ほとんど家もないところに神社があるのは、いつものことだが、
鳥居の前には狛犬がおり、杉木立の奥に小さな社が見える。
なかなか立派な神社だ。

 河内神社のすぐ先に町境があった。
これで三原村に入ったことになる。

 鶴場橋を渡る辺りでは、川岸から少し離れた道を歩くので
真後ろから太陽にガンガン照らされる。
急に暑くなってくる。

 頑張って歩いていると、集落が見えてくる。

 11:00分、久繁の集落のようだ。
左側の方に大きな木が見えてきた。「たぶの木」のようだ。
「たぶの木」というのは胸高での幹の太さは二抱えほどあろうかという
大きな木だ。
樹高は15メートルほどはあろうかという堂々とした木だ。
「たぶの木」の横にバス停があり、ベンチもあるのでそこで昼食を
取ることにする。すぐ前にお店がある。竹内商店だ。

 竹内商店で飲み物とアイスを買ってバス停に戻る。
アイスを食べているとさっき途中で抜いてきたWさんがお店へ入っていく。
「休みませんか」と声を掛けたが、飲み物を飲んですぐに歩いていく。

 小豆アイスを食べるが、噛んで小さくしたものを飲み込んでも
喉の中でジュンと溶けていく。
飲み物も飲んで一息つき、久百々さんから頂いたおにぎりを食べる。

 11:30分、お腹も一杯になったところで歩き出す。
歩き出してすぐに道の横から出てきたお爺さんにヒョイと缶ジュースを
差し出される。
あわててお礼を言うと、片手をヒョイと挙げて道路を渡っていく。

 町はずれに立派な神社がある。
社殿を眺めながら歩いていると、木の陰で若者遍路がお弁当を食べている。
 「お先に!」と言って先に行く。

 宗賀の集落に来たので簡易郵便局を探す。
小さな集落なのでキョロキョロと見回すと、
交差点を右に曲がったところにある。
中にはいると、中年女性の職員が一人いる。
この人と世間話をしている女性もいる。
3万円おろして、送金したいというと郵便局の口座にしか
送金できないと言われる。
銀行に送金するならば、農協に行かないとできないようだ。

 「どちらから?」と郵便局の女性に聞かれたので、
「北海道の札幌からです。」というと、「あら、私も研修で北海道の豊幌と
言うところに行ったことがあるんよ。」といい、
さらに、「札幌には私の友達が宮の森の病院で婦長をしている。」と
話してくれる。
思わないところで、宮の森の話で盛り上がってしまった。

 三原町の市街に入ってくると老人ホームのような建物があり、
「いきいき三原会」と書いてあり、お遍路さんお休み下さいと書いてある。
どうやらここが三原村に新しくできた宿泊所のようだ。

 農協に行くと昼休みで事務室の中が閑散としている。
金融の窓口には先約がいるので、ちょっと待つ。
応接している女性は、フジテレビのアナウンサー佐藤里佳さん似の
なかなかの美人だ。
年齢24~25歳、応接も丁寧だ。ちょっと得した気分になる。

 久百々さんに5千円振り込みして、これでやっと胸のつかえがとれる。
久百々に電話して振り込んだことを伝える。
奥さんは「忘れていた」と言っている。
 ここでついでに今晩の宿の予約をする。
延光寺前にある「へんくつや」に電話する。
お婆さんが出たので今晩の宿をお願いすると「良いですよ」と言われ、
「どこにいるの」と聞かれる。
「三原村です」と答えると、「もう少しだね」と言われる。

 人気のない三原の街を抜け、しばらく歩くと、突然、右手に立派な
団地が現れる。
星ヶ岡団地と書かれた看板があり入口の道路も広い。
12:55分、この入口でちょっと一休みする。

 ここから、船ケ峠を越えると、沢が深くなり深いグリーン色の
水が光っている。
どうやら中筋川ダムの上流に来たようだ。
前方に見えるトンネルを抜けると、深い沢の中をぐんぐん下っていく。
疲れたので休もうとするがなかなかいい場所がない。

 14:10分、やっと、川に向かって降りていく道があるので、そこで休む。

 もうすぐ平田の街だと思い頑張ることにする。
ほどなく、目の前に刈り入れの終わった水田が広がっているところに出る。
黒川に来たようだ。
ズート向こうに大きな広告看板が沢山見える。
あれが平田のようだ。
ちょっと疲れてきた体にムチ打ちながら歩く。

 陸橋を渡り、しばらく進むと大きな交差点に出る。国道56号線だ。
この国道を左に曲がり、交通量が多くにぎやかな道を宿毛市に向かって歩く。

 15分ほど歩くと右手に延光寺の標識がある。
ここから国道を曲がり、延光寺への細い道を進む。
今晩の宿「へんくつや」の前を過ぎ、ほどなく延光寺に着く。

 最後の1時間は、ほとんどヘロヘロ状態で本当にきつかった。


第39番札所 延光寺

 15:20分、団体のお遍路さんがドヤドヤと山門から降りてくるのを待って、
延光寺の山門に入る。

 境内の中には別の団体さんがおり、ガヤガヤと賑わっている。
団体遍路の合間を縫って、本堂と大師堂にお参りする。
納経所が込んでいるだろうと思ったが、たくさん積まれた団体客のを
書く手を休め、先に納経してくれた。

 「へんくつや」に入ろうとすると携帯が鳴る。
三原村の農協からで振込先の氏名が違うようだと言っている。
どうも神原という名前を「かんばら」と仮名を振ったところ
「かみはら」が正しいので何タラカンタラといっているが、
携帯が切れてしまう。こちらからかけてもすぐ切れてしまう。
どうやら、ここは山の陰なので電波の繋がりが悪いようだ。
 こちらからも数回電話して、何とか話が通じた。

 「へんくつや」に入ると、女将さんから冷たい飲み物を勧められた。
冷たいジュースが喉にしみ込む。
一息ついてから二階の部屋へ上がる。
冷房があるので早速入れて、汗を冷やす。気持ちが良い。

 ご主人手作りの岩風呂に入り汗を流す。
大きな浴槽と小さな浴槽があり岩を組み合わせてあるが、
一人で入っているとちょっと不気味だ。
洗濯機も置いてあるので一緒に洗濯もしてしまう。

 夕食まで時間があるので延光寺へ行ってみる。
するとお寺の方からWさんが歩いてくる。
「途中で昼寝をしてすっかり遅くなった。」と言っている。
今晩は、しま屋さんに泊まる。へんくつやの真ん前だ。

 午後5時を過ぎたので人影のない境内をのんびり散策する。
境内の隅に置いてあるベンチに座りぼんやりと本堂を見ていると、
アゴ髭をたくわえた白髪の老人でヒョローとした男性が話しかけてくる。
「通夜堂に泊まるの?」と聞かれたので「いいえ宿に泊まっています。」と
答えると、いきなり「お金持ちだね~」といわれる。

 この後、延々と老人の話を聞かされる。
   以前に歩き遍路をしたことがあるが、途中で足が痛くなったりして
  タクシーを使ったりしたので7~80万ほどかけたことがある。
   今回は、6万円ほどを持って1番から歩いているが、民宿に2~2泊
  したらお金がなくなってしまった。
  困っていると、托鉢をしなさいと教えてくれたお坊さんがいたのでやろう
  としたが、恥ずかしくてなかなか出来ない。
  やっとの思いで1軒の家の前で事情を話し般若心経を唱え、500円を貰った。
  これだけの思いをして托鉢をして500円しかもらえないのかと思ったら腹が
  立ってきたそうだ。
   そうして、お接待を受けながら通夜堂に泊まりお遍路を続けていると、
  疲れで足元がふらつき側溝に落ちて足を挫いてしまった。
  それからは、痛い足を引きずりながらここまで来た。
  明日は峠越えだし、松尾峠の大師堂が泊まれるかわからないし、
  この足で峠道を歩けるかも心配だし、御荘町までは距離があるので
  どうしょうか考えている。
などと一人で話している。
 
 そこへ、坊主頭の恰幅のいいお坊さんが白い犬を連れてこちらへ歩いてくる。
「住職さんだ!」と男が言う。
 住職が私に「あんたも通夜堂に泊まっているのか?」と尋ねるので、
「私は下の民宿に泊まっています。」と答える。
 すると、住職が男に向かって「余計なことかもしれないが、通夜堂を
 持っているお寺は少ないので、それを当てにしてお遍路をするのはどうかと
 思うし、何より、お金がないのならタバコをやめなさい。」と言って、
 歩いていった。
 男は、「やあ、一本取られた」と言って笑っている。

 私は、この男が一体何のためにお遍路をしているのか理解できなかった。
お金がないので家に帰ることもできないなどと愚痴ばかりこぼしている。
自分は不幸な存在で、その不幸も自分には責任がないと言ってるように聞こえる。
でも、ここに来るまでにもさんざんいろいろな人の世話になっているはずだ。
その人達に対する感謝の言葉もない。
托鉢の話だって自分は苦労したと言うが、托鉢先の家の人にとって
この人にお願いしたわけでもなく、勝手に玄関先で般若心経を唱えただけだ。
それでお金がもらえるという考えの方が虫がいいと私は思う。
こんな自分勝手な愚痴話ばかり聞かされているとイヤになってきた。
 最初に「民宿に泊まっている」と言って、「金持ちだね~」と言われた
ときからイヤな感じがしていた。
ますますイヤになってきたので、ベンチを立って別れる。


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   お遍路をしている人にもいろいろな人がいる。
  熱心にお参りをしている人、何か、願掛けでお遍路をしている人は
  表情に悲壮感がある。
   淡々と遍路をしている野宿主体の職業遍路の人、それから、後で
  出会ったホームレスのような遍路、形はいろいろあるが、今回会った
  老人には考えさせられてしまった。
   お遍路をすることがこの人にとってどういう意味を持っているのか
  私には理解が出来なかったからだ。
   お遍路がお遍路にお金を無心することが理解できない。
  確かに、歩いて遍路をしていることが分かると、団体遍路の人から
  ジュースを貰ったりしたことはあるが、それは、私が求めたわけではなく
  あくまでも善意でお接待していただいたものだ。
   この老人がお遍路をして得るものはいったい何なのでしょうか?