四国遍路テクテク日記

「四国を歩いて遍路する。」にこだわって平成14年のGWから2年間、5回に分けて歩いた記録を中心に遍路に関するあれこれ。

二回目の遍路を終えて(阿波から土佐)

2005-07-22 09:02:40 | 第2回(阿波から土佐)
二回目の遍路を終えて

 今回は、「修行の道場」といわれる土佐でしたが、室戸岬までは春のような
陽気の中を歩き、岩本寺まではまさに雪降る厳冬の中を歩くという様々な
体験をしました。

 その間、一緒に歩く人も少なく、ほとんど一人で歩きましたが、
季節はずれのお遍路に対しても四国の人の温かさは身にしみる思いです。

 宿の女将さんでは、浜吉屋さんや高知屋さんの女将さんなど、
昔からのお遍路宿の人達は本当に暖かくもてなしてくれました。

 七子峠で「岩本寺まで乗りませんか。」と声を掛けてくれた若い人達には
感謝の言葉もありません。

 今回のお遍路を思い出すと歩いているつらさよりも、
いろいろなところで受けた温かいもてなしが心に残ります。

 「種崎の渡し」手前のスーパーで「ジュースでも飲みなさい。」と
お婆さんが渡してくれた2百円の重さは、同じお金でもその価値が増していると
思うのは私だけなのでしょうか?
 これらの「思い」に何をもって応えることができるのでしょうか?

 四国で受けた数々の優しさの分だけでも、これから暮らしていく日々の中で
人に優しく接しようとする事ぐらいしか思いつきません。

 この次は、足摺岬までとお遍路道中最大の距離に挑まなければなりません。
体と心を鍛えて次に備えたいと思います。

 
 窪川からは、高知市まで鉄道で戻りました。
途中で遍路姿の老人が一人乗り込み、降りていきました。
私が歩いてきた遍路道とは離れたところを鉄道が通っているので
どこのお寺にお参りに行くのか分かりませんでしたが、
たぶん清滝寺あたりかと思います。

 高知市からは高速バスで大阪まで戻りました。

 途中、吉野川沿いの高速道路を走っているときです。
見慣れた光景の中に何とはなしにお寺を探しているとき、
熊谷寺の総門を見つけることが出来ました。

 夕日に照らされて黒く光り輝いている総門の姿は、荘厳で美しいものでした。
総門を下から見ていたときには気がつきませんでしたが、
緩やかな斜面に突き出た総門は、圧倒的な存在感を示しています。
昔の人たちは、この光景をいつも見ていたのかと思いました。

 遠ざかる総門に思わず手を合わせていました。





平成15年1月5日(阿波から土佐・第16日目)

2005-07-21 09:29:51 | 第2回(阿波から土佐)
1月5日(日曜日)
(第9日・通算第16日目・歩行距離25.8km・歩行歩数38,227歩)

 6:15分、目を覚ましたのでファンヒーターに火を付け部屋を暖める。

服を着て旅立ちの準備をしていると「朝食ができました。」と電話が入る。

 一階のお店に行くとご主人が朝食を用意してくれている。
ご主人に、「昨晩は随分雪が降りましたね。」と聞くと、「こんなに雪が降ったのは
数年振りだ。」と教えてくれる。
この旅館からは海が見えないが、安和は海沿いの町なので、めったに積もるほどの雪は
降らないようだ。
今回の寒波は、ここ数年振りにきた第一級の寒波らしい。

  7:10分、宿代を払い、お礼を言って岬旅館を立つ。

 安和の町は、一面、昨晩の雪に覆われ一面モノクロームの世界となっている。
まるで墨絵のようだ。
空には青空が広がるが、安和の町は山陰となっており町全体が薄暗く
淡い藍色に包まれている。
雪の白と藍色のモノクロームの世界だ。

 国道を走る車も少ない。
それでも、車道は雪がなくなり、両側の道端には吹き飛ばされた雪が積もっている。
この雪の上を歩いて行くが、表面が少し凍っているので、歩く度にサクサクと音を立てる。

 10分ほど歩くと焼坂トンネルが見えてきた。
このトンネルは長いけれど、向こうの出口が見えている。
幸いなことに、大雪のせいでトンネルを走る車は少ない。
何台かの車が轟音をあげて走ってきたが何とか通り抜ける。

 トンネルを抜けたところで、正面に見える山の上の方を見ると陽が射している。
木々についている雪が真っ白に輝きまぶしいくらいだ。
両側の樹木には樹氷のように雪が枝を覆っている。

焼坂トンネルをすぎ、車道をどんどん下っていくと遠くに久礼の町が見えてくる。
久礼の後方に見える山は山頂が強い風で雪が舞い上がっているのが見える。
左の海の方へ向かって雪煙を舞いあげている。
 
 道路に陽が当たり車道横の雪が解けてくる。
車道にある雪も解けてくると、車が通る度にシブキを飛ばしていく。
車が通る度に体をひねって車道に背中を向け、舞い上がるシブキが通り過ぎるのを
何回も繰り返すのは疲れる。

 大川橋から久礼の市街へはいる。
ここは、「そえみみず遍路道」への分岐点にもなっているが、
今回は、この「そえみみず」は歩かないことにきめていた。
それは、この雪で峠道がどのようになっているか分からないこともあるが、
久礼の町を歩きたかったという理由が一番大きい。
 
 久礼の町は、漫画の「土佐の一本釣り」の舞台でもあり、
作者の青柳祐介さんが住んでいた町でもある。
青柳さんはすでに亡くなってしまったが、この漫画は、私にとって忘れられない
漫画となっている。
そんなわけで、今回は、この久礼の町を歩くのも楽しみの一つにしていた。

 久礼の町を歩いていると、西岡酒造という造り酒屋の前を通る。
この酒屋さんは土佐で一番古くからやっている酒屋のようだ。
杉の玉が玄関に下がっている。
 江戸時代の商家風の美術館をすぎ、消防署の前を通り、細い道を歩いて行く。
小さな町だ。海辺の町だが波の音は聞こえない。
海へ行くには左の方へ進まなければならないが、道はまっすぐ山の方へ続いている。

8:45分、町はずれにある大坂休憩所に着いたので、東屋で一服する。

 これから先には家もあまりないようで、いよいよ峠道となるが、
車道がまだまだ続いているので、その轍を靴が濡れないように歩く。
 
 しばらく歩いていくと、右側にある白い障子が太陽を受けて輝いている家がある。
広い縁側があり、ふと見るとその縁側の右隅に猫が背中を丸めて
日向ぼっこをしている。
この、のんびりした光景は、まるで絵に描いたようだ。思わず笑みがでてきた。

 いよいよ民家がなくなり、周りは畑や山林といったところを歩いていると
向こうの方から軽トラックがゆっくり走ってくる。
 そのトラックをやり過ごし、トラックが作ってくれた轍を歩いていく。
この辺では、雪は七~八センチほどあり、靴の甲が隠れるくらいの深さになっていた。

 ちょっと広くなったところがあり、ここが車道の最後らしい。
その先は、山道となっているが、先ほど通った軽トラの人達のものらしい足跡が
山道の先へ続いている。
その足跡をどんどん歩いていくと、右側に小さな滝があり、この先には足跡がない。
どうやらここまで水をくみに来ていたようだ。

 この先は踏み後もなく、完全に私一人の世界になってしまった。
10セントほどの雪を踏みしめ山道を登っていく。
山の上の方には陽が当たっているが、私のいる沢の中は陽が当たらないため
寒さと静寂で凛とした空気につつまれてる。

ちょっと汗ばむほどの傾斜となってきた頃に、右後ろの山の方から
車が走る音が聞こえてきた。
道も急な斜面を階段が延々と続いている。
顔を上げても上の方が見えないくらいだ。
どうやら、七子峠が近いようだ。
 
九十九折りの階段が続く道を踏み板に積もっている雪に足を取られないように
気を付けながら登っていくと、急に前の方が明るくなり、
車の音が一段と大きく聞こえてくる。

 10:15分、七子峠につく。

 七子峠では七子茶屋で休むつもりでいたが、あいにくと店は休みのようだ。
隣のガソリンスタンドへ行くと既に閉店しており誰もいない。
ガソリンスタンドの入口に腰掛け、飲み物を飲んで一息つく。

 七子峠は、冷たい風が吹き抜け、汗ばんだ体が冷えてきたので歩き出そうとしたが、
車道を見ると、結構な交通量があるにもかかわらず、歩道が全くない。

 車道のどちら側を歩こうか考えたが、走ってくる車に向かって歩く方がいいかと思い、
車道の右側に渡る。 

 この時間になると、車道横の雪もすっかり解けてシャーベット状になっている。
トラックなど大型の車が走ってくると、横風で笠は煽られるし
細かなシブキは飛んでくるし、このまま歩くのはちょっと危険かと思っていた。

七百メートルほど下るとラーメンの豚太郎という店が見えてきた。
大きな駐車場があるので、その駐車場へ入ろうとすると
後ろから一台の乗用車が走ってきて、私の横に止まった。
助手席の窓が開き、30歳前後の女性が顔を出し、
「岩本寺まで行くのでしたら乗っていきませんか?」と声を掛けてくれた。
運転席には男性がいる。
「ありがとうございます。でも、歩いていこうと思っていますので。」と答えると、
「気を付けて歩いてください。」と声を掛けてくれる。
この時には、今まで車のお接待を受けたことがないので面食らってしまったというのが
本当の気持ちで、それほど感じていなかったが、時間が経つにしたがって、
ものすごくありがたいことだと思いようになった。

それは、歩道のない道路をお遍路が車道の横を走り抜ける車のシブキを
受けながら歩いており、笠もその車が作る風に巻き込まれそうになっている。
歩いている場所も、雪が解けて歩きずらそうな車道だ。
このまま岩本寺まで行くとしたら、まだまだ相当な距離がある。
乗せていってあげよう。
ちょうど、ラーメン屋さんの駐車場があり、そこに車を止めることができる。
そんな気持ちで、車を止めて声を掛けてくれたのだと思う。

 見も知らない他人のために、あのような若い人が車を止めてお接待してくれようとする
その心には本当に感謝するしかない。
このような気持ちを持っている人が年輩者だけでなく若い人にもいるということが
とても嬉しかった。
私は、自分のために歩いているにすぎないけれど、
きっと、このようにお遍路を見守ってくれている人がたくさんいるに違いない。
お遍路さんの歩いている道が違っていないかどうか気を付けて見守ってくれたり、
足を痛めているようなら、休むように声を掛けようなどと思って
見守っている人がたくさんいるのだろう。
そのことに、私が気づいていないだけかもしれないと考えると、
四国を歩いているお遍路は、大なり小なりこうした人々に見守られている。
そのことに対し、率直に感謝したい。
でも、このお接待に対し私がお返しできるものは何があるのだろうか?

豚太郎の駐車場から先は、右側だけに歩道があり、ホッとした。
正直なところ、このまま歩道がない道をズーット歩き続けなければならないとしたら
どうしょうかと思っていた。

 空には青空が広がっているのにどこからともなく雪が降ってくる。
それも、強い横風に乗って降ってくる。
不思議な現象だ。

 影野の町をすぎてしばらく歩くとお腹がすいてきたし、体も冷えてきた。

 11:20分、少し早いけれど「うどんそば根っ子」という食堂があるので、
そこで昼食を取ることにする。 

 根っ子は、ご夫婦二人でやっている食堂だった。
ガランとした店にお客は私一人だ。
窓の外を見るとまるで吹雪だ。
狐うどんを頼み、店にある週刊誌を読んだ。
久しぶりに見る活字が新鮮だ。

 お腹も一杯になり、外も時折陽が射すようになり天気も良くなってきたような
気がするので、とりあえず、頑張って先へ進むことにする。

 ここからは、線路に沿って国道が走っているので、
時折走ってくる列車や駅を見ながら歩く。

 六反地、仁井田駅をすぎて、ほどなく、高岡神社経由への分岐点にさしかかる。
高岡神社を回ると3キロほど遠くなるので、真っ直ぐに岩本寺を目指す。

 13:00分、時々吹いてくる風をさけるために道の駅「あぐり窪川」で一休み。  

ここまで来ると岩本寺へはあと3キロほどしか残っていないので、ゆっくり休む。
今日はお天候のせいか、今日で一旦区切るというせいなのか、
全然先へ進もういう気持ちが湧いてこない。

 国道から市内へと入る交差点を過ぎると、呼坂トンネルがある。
このあたりから雪が牡丹雪となり、ボトボト音がしそうなくらい降ってくる。
狭い道の両側にお店があり、旧道という雰囲気の中を進むと、
向こうの方に、見覚えのある山門が見えてきた。

 13:50分、岩本寺の山門に着く。


第37番札所 岩本寺

 今回の目的地である岩本寺に無事に着いた。
山門への階段の横には雪が積もっており、境内の中も真っ白になっている。
まずは山門で一礼し、本堂へ向かう。
境内には数人の参拝者がいるだけで閑散としている。

 本堂でお参りした後、本堂の中へはいる。
岩本寺の本堂の天井にはたくさんの絵が格天井の格子の中に一枚一枚
はめ込まれているが、実は、前回きたときにはことを知らなかった。
そのため、この絵を見逃している。
 先代の住職が本堂を建て替えるときに、いろいろな人に書いてもらった絵を
天井画とすることを思い立ち、寄進してもらったようだ。
有名な画家の絵もあるようだが、窪川に住んでいる人達の絵もたくさんあるようだ。

 ちょうど本堂の扉が開いているので中へはいる。
まだ、木の香がする本堂の天井を見ると、なるほどいろいろな絵が格子の中に
張り付けられている。
静物画あり、人物画ありといろいろな絵がいろいろな方向に向いている。
入口の上には、マリリンモンローを描いた絵がある。
この絵は、テレビにも写されていた絵だ。
しばらく天井絵を眺めてから、大師堂へお参りに行く。
雪を踏みしめながら大師堂に行く。
今回はこのお参りが最後のお参りとなるので、ここまで無事に来れたことに
感謝の気持ちを込めてお祈りをする。

納経所で納経をしてもらい、今晩宿泊を予約している者だということを話し、
宿坊に入る。今晩の泊まり客は私一人だという。

 部屋は八畳ほどの和室。
温風暖房機があるので入れるが襖の隙間から冷たい風が入ってくる。
テレビもない部屋で時間を持て余してしまう。

夕食は出せないと聞いていたので、近くのコンビニを教えてもらい買い物に行く。

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  窪川の市街を歩いて岩本寺へ向かっているときに雪が一番降っていたようです。
 菅傘に落ちる牡丹雪がボト、ボト、と音を立てて降っていました。
 雪景色は見慣れた私ですが、ここは土佐なんだという気持ちがあるために、
 この雪景色は異常なことと感じました。
 でも、窪川では年に数回はこの程度の雪が降るようです。
 

平成15年1月4日(阿波から土佐・第15日目)

2005-07-20 09:16:37 | 第2回(阿波から土佐)
1月4日(土曜日)
(第8日・通算第15日目・歩行距離31.4km・歩行歩数46,872歩)

 朝食は7時からと聞いていたので、のんびりとベットの中でウトウトしていた。

 そろそろ7時と思いロビーに行くと、まだ食堂の準備ができていない。
ロビーで待っていると、夜が明けてきた。
空がだんだん明るくなってくる。
今日は良い天気のようだ。

 「朝食の用意ができました。」と言われ、食堂へ行く。
朝食はお盆の中にセットされているが、その中に小さな凧が置かれている。
正月料理としての演出だ。
お雑煮風のお澄ましなどもある。ちょっと正月気分になる。

 食事も終え、フロントで宿代も払い、さあ、出発しようかとザックに手を掛けた
ところで、支配人の池上さんから、「お接待しますのでコーヒーでもどうですか?」
といわれる。
遠慮なくいただくことにする。 
ごちそうしてくれたコーヒーはカップチーノで美味しかった。
おまけに、昼食用のおにぎりまでお接待してくれた。

 7:20分、池上さんやフロントにいる従業員の人にお礼を言って、
国民宿舎土佐を後にする。

天気は良いがすごく寒い!

 車道から青龍寺へ続く遍路道は谷間にあるためにまだ薄暗い。
枯れ葉の下に石などがあり、足を取られないように注意して下る。

 10分ほどで青龍寺の山門に着く。
人気のない山門から本堂を望み手を合わせ、今日一日無事に歩けますようにと祈る。

 ここからは昨日歩いた宇佐大橋までもどる。
宇佐大橋の上では、時折強い風が吹き笠を飛ばされそうになる。
笠の縁をしっかり両手で押さえ、飛ばされないようにして歩く。
それにしても今日は寒い。
強い風が吹くので一層寒く感じる。

 宇佐大橋を渡り、宇佐の町を歩いていると、庭先の植木の中に梅の花が
咲いている木を見つける。
白い花がいくつか咲いている。
折からの日射しを受け花弁が輝いている。

 そうだ、やはりこの辺は暖かいところなのだ。
この数日は、この冬一番の寒気が日本列島を襲うと予報していたので寒いだけなのだ。
後ろから差す日射しに背中を押されるようにして浦の内湾を須崎に向かって歩く。

9:05分、深浦の集落で一休みする。
左膝のお皿の上が痛くなってくる。骨ではなくて、お皿の上の筋肉が痛い。
足の小指はすっかりマメの水もなくなり乾いている。痛みもない。
足の指が痛くなくなったら、今度は膝が痛くなってくる。
普段、これほどの距離を歩くことがないのだから、どこかが痛くなっても
仕方がないかと諦める。

立目のあたりに来ると道端にポンカンを売る無人店舗がたくさんある。
ビニール袋に10個ほど入って一番安いのは2百円から5百円ほどと値段の幅もある。
よく見ると、2百円のものは粒も不揃いだ。
5百円のものは粒も大きく色艶もいい。見るからに美味しそうだ。
ところどころに大きなビニールハウスが建っている。
この中を見るとポンカンの木がある。
温室栽培もやっているようだ。
その温室の中に、立目ポンカンと書いた段ボール箱が沢山置いてある。
今度、ポンカンを買うときには立目のものにしよう。
 
 浦の内中学校のあたりを歩いていると、目の前を何か白いものが風に飛ばされている。
雪かと思ったが、ここは南国土佐なので違うだろうと思っていたら、その白いものが
顔に当たるとひんやりと冷たい。
そうだ、やはり雪なのだ。
ここで雪を見るとは思わなかった。
冷たい風が吹いているのだから雪が降ってもおかしくはないのだが、
空には青空が広がり日射しもあると、どこからこの雪が降ってきたのかと思い
空を見たがよく分からなかった。

 10:35分、横波の集落につく。
ここからは、佛坂のコースを取るか、さらに、海沿いを進むか分かれ道となっている。
どちらを行こうか悩んだが、結局、ヘンロ標識に書かれている「こちらが本当の遍路道」
に惹かれ、佛坂へと進むことにした。

 11:07分、馬路のあたりで休憩する。
海辺から山道にはいると、風の当たりが和らぎホッとする。
そろそろ今日の宿をきめなければと思い、安和までいくことにして3軒ある宿に電話する。
今回は、宿を決めるときにヘンロ本に記載されている名簿の後ろから電話している。
民宿安和乃里は休業中との返事。
次に岬旅館に電話するとOKの返事。
宿代は6,800円だと念を押される。
財布には1万円あるから大丈夫だし、これで今日の宿も決まった。
後は安和の町を目指して歩くのみだ。
 
車道の左側に岩不動への標識を見つける。沢の中へ道が続いている。
この地点が佛坂のようだ。ここから、左へ曲がり沢の中へ続く山道へ入っていく。

 11:40分、岩不動につく。
誰もいないお堂にお線香をあげる。
お堂の中を見ると、薄暗い中に大きな岩が見える。
この岩がご本尊のようだ。谷間で陽が当たらないので寒い。
お参りもそこそこに、須崎を目指して歩く。

 車道にでてしばらく歩くと向こうの方から紙袋を下げた老人が歩いてくる。
お遍路のようだが、服装がホームレスのようにも見える。
その老人とすれ違うときに会釈をして通り過ぎようとすると
「岩不動はまだかい。」といわれる。
後ろを振り返り、車道の先に見える山道を指さして、後、10分位ですよといったが、
「まだそんなに歩くのか。」といって、スタスタと歩いていった。

 山間の道から目の前が開けてきて、左の方にはたくさんの車が行き来する
車道が見えてきた。どうやら国道のようだ。

新川橋を渡り、国道を横切り、妙見町から須崎の市街へと続く旧道を歩く。
人通りもなく寂しい町並を冷たい風が吹き抜けていく。
その風に笠を飛ばされないように両手で押さえながら歩く。

 多郷の駅をすぎ、車の交通量が増えて商店街らしい通りを歩いていると、
「鍋焼きラーメン」と書かれた黄色い旗がヒラヒラしているお店を見つける。
お腹もすいたところで、この店で昼食を取ることにする。

 12:35分、店にはいると小上がりが満員なのでカウンターに座り、
鍋焼きラーメンの小を頼む。
メニューはこの鍋焼きラーメンの大と小のみらしい。
ほかのメニューを頼んだ客は断られている。

 鍋焼きラーメンは初めて食べた。
どんなものがでてくるか興味津々だったが、でてきたラーメンは、
なるほど鍋焼き用の鍋に入れられている。
中を見ると、醤油タレの中に、ちょっと細めで縮れのないラーメンに
卵と青菜が入っているだけで、すごくシンプルだ。 
箸でかき混ぜると、鶏肉を微塵切りにしたものがはいっている。
これがスープの素らしい。
スープを一口すすると、熱いスープで口の中をやけどしそうになる。
でも、体が暖かくなる。
国民宿舎土佐でもらったおにぎりを出し、おにぎりと鍋焼きラーメンで
お腹は一杯になるし、体は暖かくなるし、やっと気力がもどってくる。

 交通量の多い国道に出て、その左側を歩いていく。
既に、須崎の町に入っているようで賑やかになってくる。

 酒屋さんを見つけたので、地酒の無手無冠があるか確かめるために入る。
店の中を見渡したがなかったのでご主人に聞くと、ここにあるといって
棚の前へ連れて行かれる。
確かに、無手無冠が数本置かれてある。
さっそく、2本を札幌へ送るように頼んでお金を払う。

 財布の中には6千円ほどしかなくなってしまう。
これでは、今晩の宿代を払うことができない。
安和の町に郵便局はあると思うが、小さな町なので開いているかどうか分からない。
今日は土曜日だし、開いていない可能性の方が強い。
 とりあえず須崎の町で郵便局を探しながら歩いていくと、
番外霊場大善寺の看板を見つける。

国道を左に折れ、少し進むと右側に小高い山が見えてきた。
この山の上が大善寺だ。
急な階段を上がると本堂がある。
人気のない本堂でお参りをする。
納経は下にある宿坊でするようなので、急な階段を下りる。
納経所に行くと、横の方から小さなリフトで山の上まであがれるようになっている。
足の不自由な人のために設けているが有料のようだ。

 ここで、須崎の郵便局までの道を聞き、お金を降ろしに行く。
5百メートルほど街の中にもどると郵便局があった。

 帰り道にあるお菓子屋さんに立ち寄り、お餅と金鍔を買う。
お店のおばさんと、しばし、立ち話をする。
「最近は、会社がリストラになったとか言ってお遍路する人が多くなった。」と
話してくれる。
店に張ってある納札を見せてくれてこの人もそうだと教えてくれる。
若いのにお遍路をするなんて感心だといわれ、そんなに若くはないのですよと答える。 
お礼を言って、このお菓子屋さんを後にする。

大善寺へもどり、その先から国道へと進む。

 新荘川橋の手前のある道の駅をのぞき、ちょっと休む。
道の駅は、すごく込んでいる。トイレを借りて、その辺をのぞくが、
お土産を売っている店が多く、今の私には用のない店ばかりだ。

 道の駅を後にして歩き出す。
しばらく歩くと、道は上り坂となっている。
ほどなく、角谷トンネルが見えてくる。
歩道もないトンネルで交通量も多い。
ちょっと気後れする。
しかし、進まないわけには行かない。

トンネルを抜けると、左側に海が見える景色のいい道となる。
ところどころに、ポンカン売りの店が建っている。
右の山を見ると、ポンカンの木らしい果樹園が広がっている。

道が下り坂になり、安和の町へはいる。
ほどなく、右手に岬旅館が見えてきた。

 15:35分、岬旅館に着く。

 岬旅館は、結構大きな旅館だ。
3階建てのビルで、1階は料理屋さんになっている。
海賊料理と看板に書いてある。
旅館の入口を捜したが、見あたらない。
料理屋さんの入り口は自動ドアとなっているが、電源が入っていないのか、
入り口の前に立っても開いてくれない。
ドアを、手でこじ開け、「ご免ください。」と声を掛けると、
中からやっと人がでてきた。

 3階の部屋に案内される。
風呂は2階にある女性用の風呂を使ってくださいといわれる。
どうやら今日の泊まり客は私一人のようだ。
 外の非常階段下にある洗濯機を借りて、昨日の分も併せて洗濯をする。
 風呂に入り、部屋にもどると、後はなにもすることがない。
布団を引いて、テレビを見ながらウトウトする。

 電話が鳴り、食事ですよといわれたので1階の食堂へ行く。
立派な和室に通され、鍋や天ぷら、それに、鰹のタタキとさらに別なお刺身などがあり、
今までで一番盛り沢山の料理が出ている。
ご飯もお代わりしてくださいといわれたので、2杯食べて、すっかり満腹してしまった。

 夜中に何か外が騒がしいので、目を覚ましてしまった。
窓を開けると、外は一面の雪で真っ白くなっている。
国道も真っ白で、わずかに車が走った跡が上下線で四本の細い線になって続いている。
車の姿はほとんど見えない。

 隣にあるコンビニの駐車場で、若い男女が雪玉をつくって投げ合っている。
その声がうるさかったのだ。
空からは、ボトボト音がしそうなくらい大粒の牡丹雪が降っている。
この景色は、札幌の雪景色と変わらないくらいだ。
どおりで、先ほどからまったく車の走る音がしないと思った。
これほど雪が降ると、こちらの車は冬用のタイヤなどは使っていないだろうから、
スリップして走れなくなってしまう。
寒くなってきたので、窓を閉めて布団の中に潜り込む。

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  「南国土佐」は暖かいというのが私のイメージだった。
 実際、室戸岬ではバナナが露地で実っていたし、Tシャツ1枚になって歩いていた。
 しかし、今晩は雪が降っている。
 それも、ボタボタと音がするくらいの振り方だ。
 今日一日は本当に冷たい風が吹き、寒かった。
 幾ら、この冬一番の寒気が入ってきたと天気予報で言っていたとしても、
 南国での雪は本当に意外だった。

平成15年1月3日(阿波から土佐・第14日目)

2005-07-19 09:31:16 | 第2回(阿波から土佐)
1月3日(金曜日)
(第7日・通算第14日目・歩行距離31.4km・歩行歩数46,843歩)

 6:00分、隣の大部屋に食事ですと女将さんの声が掛かる。
その声を聞いて私も起きることにした。

 布団を畳んで食堂へ行くと、大部屋の3人はすでに食べ始めている。
テレビの天気予報を見ると、今日の降雨確率は午前中80%、午後70%と報じている。

 6:40分、用意ができてしまったのでまだ暗いけれど立つことにする。
玄関まで見送りに来てくれた女将さんに挨拶して行こうとすると、杖は?といわれる。
おっと、杖と笠を部屋に置いたままだ。
あわてて部屋に戻り、忘れていた杖と笠を取り、もう一度忘れ物がないか
よく部屋の中を見回わす。
このほかに忘れ物はないようなので、もう一度玄関で女将さんにお別れを言って、
高知屋を出る。

 雪蹊寺の本堂へ行き、今日一日の無事をお祈りし、暗い道を歩き出す。 

 種間寺までは、6.5kmの道のり。歩き出して間もなく、ポツポツと雨が笠に当たる。
道が暗いので足下に注意しながら歩いていくと、雨が本格的に降り出してくる。
お店の軒下を借りて雨具のズボンをはく。
それほど寒くないが、一応防寒に注意して手袋も付けて歩く。

 ふと、前を見ると大間のおじさんが歩いている。
追いついて、種間寺まで一緒に歩いていく。
時折強くなる雨も風が付いていないのでそれほど気にはならない。

 ほとんど車の通らない田舎の道をおじさんと世間話をしながら歩いていくと、
種間寺が見えてきた。

 8:05分、種間寺に着く。


第34番札所 種間寺

 種間寺は小さなお寺だ。
本堂と大師堂が軒をくっつけるように建っている。
そぼ降る雨の中、ほとんど人気のない境内で、お経を唱える。

 納経所で清滝寺までの道を教えてもらい、お礼を言って清滝寺を目指す。
清滝寺までは、9.5km。ちょっと距離があるが、清滝寺には、
前回、お茶堂に泊めていただいたり、いろいろな思い出があるので、
なつかしく、心ウキウキで、歩き出す。 

このあたりは、歩道が整備されているので車の心配がなく歩ける。
雨も、降ったり止んだり、時折強くなったりと忙しい。
種間寺前を流れる用水路に沿って歩いていく。

 また、先に出ている大間のおじさんに追いつく。
大間のおじさんは、お寺に着くと、まず納経所へ行って納経をしてもらい、
それから、ちょこちょこっとお参りをしている。
だから、一緒にお寺についてもおじさんは先に出ていく。

 しかし、見ていると地図を持っているが見方が分からないのか、
交差点に来る度に地図を確認している。
そんなことで、私に追いつかれてしまうようだ。

 遠くに、仁淀川にかかる国道56号の橋が見えてきた。
仁淀川大橋だ。
橋の下をくぐろうとすると、橋の下で雨具を着ているご夫婦がいる。
この橋を渡るには、一度、橋の下をくぐり上流側から堤防の上に上がり
橋を渡るようになっている。
長い橋を渡り、右に曲がり堤防の上を歩く。
左手には、土佐市の高岡の市街が広がっている。
清滝寺は右手前方の山の中腹にある。

堤防の道を降り、高岡市街の道を歩く。
高岡の町を歩くが、まだ正月の3日ということでほとんどのお店は休みだ。
JA高岡のあたりで、ちょっと疲れたので休憩する。
大間のおじさんは、「休むと歩けなくなるので先に行く。」といって、歩いていく。
 
 昨日あたりから右足のお皿の上が痛くなってきた。
お皿が痛いのではなく、筋肉が痛い。
足の小指は靴を手術してから痛みはないし、マメの水もなくなり、
皮膚が乾いてすっかり治ってきている。
 その代わりというように、左膝が痛くなっている。
休んでいる間にお皿をマッサージをすると少し調子がよくなる。

 気を取り直して歩き出す。
ヘンロ標識にしたがって歩いていくと三嶋神社がある。
神社の前を歩いていくと、突然、目の前に広い車道が現れる。
どちらへ進めばいいかよく見たが、ヘンロ標識は見あたらない。
横断歩道があるので渡り、真っ直ぐ歩いていくと高速道路が目の前にある。
 その向こうに清滝寺のある山が見えている。

 このあたりは、高速道路の建設にともない、道路が新しくできているようで
地図にない道路がありよく分からない。
 でも、目指す山が見えているので、そちらへ向かって歩いていると、
清滝寺への標識を見つける。

 高速道路の下をくぐり、しばらく歩くと清滝寺の参道となった。
急な山道を歩いていくと、下の方に車道があり車が数台止まっている。
その車が全然進まない。
こちらは、急な参道をゆっくり登っていく。
すると、見慣れた山門が現れた。清滝寺の山門だ。

 10:35分、清滝寺の山門着く。


第35番札所 清滝寺

 山門の天井を見ると、龍と天女の絵が描かれている。
急な階段を上がっていくと、大きな薬師如来が見えてくる。
右側にお茶堂が見えてくるはずだと思い階段を登って行くが生け垣が見えるだけだ。
そうするうちに階段を上がりきり、境内に出てしまった。
階段の右側にあったはずのお茶堂がなくなっている。
境内をよく見ると、左端の方に新しい建物が建っている。
行ってみると、そこがお茶堂だった。
きれいで立派なお茶堂が新築されている。

 境内には、結構、人がいる。
まずは、本堂へお参りしようと思い、階段を登って賽銭を投げようとすると、
本堂の中にたくさんの人がいる。
こんなに人がいると思わなかったので、ビックリしてしまった。
お賽銭を投げ、お経を唱え、大師堂にもお参りする。

 本堂へ上がる階段の下に前回来た時と同じテントが建てられ、
数人のお爺さんが本堂の屋根葺き銅板への寄進を求めている。
 前回来たときに息子に関するいやな夢を見たが、何事もなく過ごしているので、
清滝寺さんのおかげと思い、お礼の意味を込めて今回も寄進することにした。

銅板に、私と長男の名前を書いて千円を寄進する。
お爺さんが「北海道から来たのか!」とビックリしている。

本堂にいる人達のことを聞いたら、厄除けのお祓いに来ている人達だと
教えてくれた。
しかし、下の車道で車を排水溝に落として動けなくなってしまい
お祓いを受ける人が全部来ていないので、待っている。とのこと。
それで、車が止まっていたようだ。
 
少しお爺さんたちと話をする。
真新しい鐘突堂があるのでいつできたか聞くと、なんと12月28日のことだという。
除夜の鐘に間に合わせるようにいそいで工事をしたようだ。
お爺さんの一人が、売り物のミカンを5個ほど袋に入れ直してお接待してくれた。
お礼を言って清滝寺をあとにした。

 次の青龍寺までは14.8km。
目の前に広がり雨雲に煙る横瀬山を越えて、太平洋に出た先にある。

 参道を下っているときに見ると下の車道にはまだ車が置かれたままになっている。
下から来る車が完全に道路をふさいでいる。
道を知っている地元の人は、迂回路があるのでそちらから出入りすればよい。
しかし、初めての人に迂回路を説明するのは難しいだろう。
 
11:50分、お腹がすいたのでどこかに食堂がないか捜しながら歩いていると、
高岡の市街の国道に出たところでカラオケ喫茶フェローという店を見つける。
よく見るとランチもやっているようなので、店の外で雨具を脱いで入ってみる。

常連客らしいお年寄りが3人ほど店の人と話をしている。
焼きうどん(500円)を頼む。
靴や靴下も脱いで足を休める。

 12:20分、お腹も一杯になったところで、青龍寺を目指して頑張ることにした。
ここからは、塚地峠という峠を通らなければならないが、数年前にトンネルができたので
このトンネルを通ると早く青龍寺へ行ける。
足のことを考え負担の少ないトンネルを通るか、それとも、昔からの峠道を通るか、
ずーと考えていた。

 塚地の集落のあたりでは、雨もほとんど上がり、車が跳ね上げていく水しぶきを
避けるのに忙しくなってきた。

 13:05分、塚地峠の入口に来た。
峠道を見ると水たまりもあり、歩きにくそうだ。
トンネルの方へ歩き掛けてから、結局もどった。
峠道を行かないと後で後悔しそうだと思った。

 峠道は、入口付近が荒れていただけで、ほどなく、歩きやすくなった。
車の音もほとんどなく、静寂そのものの道を一人で歩く。
峠道としてはそれほど起伏もなく、時折、木の葉から落ちる雨の滴が体に当たるだけで、
聞こえる音も自分の呼吸と足音だけだ。
15分ほどで峠に至る。

 宇佐の方が見えるようになってきたが、雲の中に煙っている。

 13:45分、宇佐の市街地に入る。
石造りの常夜燈があるところから、右に曲がって、裏道を宇佐大橋目指して歩く。

 14:10分、宇佐大橋手前にあるバス停で休む。
目の前には向こう岸へ続く宇佐大橋が延びている。橋の上は風が強そうだ。

 宇佐大橋は浦ノ内湾の入口に架かる大きな橋だ。
橋の上は、時折、強い風が吹くので、笠を吹き飛ばされないように両手で押さえながら歩く。
橋の中央から下を見ると、結構な高さだ。
やっと、橋を渡り終え、ホッとする。

 ここからは、左手に広がる太平洋を眺めながら青龍寺を目指す。
天気が良ければきれいな青い海なのだろうが、あいにくの天気で、
今日はどんよりした鉛色だ。

真黄色に塗られた三陽荘をすぎて、右に曲がると、右側の山裾に祀られている
たくさんのお地蔵さんが迎えてくれる。
お地蔵さんは、皆さん、新しい前掛けをしている。
新年を迎えるためにどのお地蔵さんにも真新しい前掛けが掛けられている。
3~4体ずつ道路際に建てられ、参拝客を迎えてくれる。

 15:00分、青龍寺に着く。


第36番札所 青龍寺

 青龍寺では、納経を先にするつもりだ。
その訳は、今日の宿泊は青龍寺奥の院に近い国民宿舎土佐だ。
国民宿舎土佐は、青龍寺の左側の山の上にある。
納経所まで降りてしまうとまた登らなければならないので、
先に納経を済ませてからお参りしようと思った。

本堂への階段を上がろうとすると大間のおじさんが階段を降りてくる。
おじさんは、「今回はこの青龍寺で区切ることにするつもりだ。」と話してくれる。
「足も痛いし、毎回1週間ほどしか歩いていないのに較べると、今回は十分に歩いた。」と
満足げに話してくれる。

おじさんにお別れとお礼を言って、本堂への階段を上がる。

 ほんの数人しかいない境内の本堂と大師堂でお経を唱える。
空は暗く、寒くなっているのでお経も早々に、山を登り奥の院を目指す。

 奥の院に行くには、境内から、一旦、少し下がったところから山道を
登らなければならない。

 この山道が、相当の道だった。
林の中は暗く、道には落ち葉が沢山落ちており、どこが道なのか
分からないようなところがある。
それでも、やっとの思いで登っていくと車道に出る。

 車道からは、階段状に整備された登山道を登り、再度車道に出ると、
左側に国民宿舎土佐があり、正面の参道を行くと奥の院だ。

まず、奥の院へお参りしようと思い、さらに、木立の中の細い登山道を登る。
少し行くと奥の院があった。

 奥の院は小さなお堂だが、参道はよく手入れされている。
お堂の手前には両側に小さな石仏が並んでいる。
 ロウソクに灯をともすと、周りがホッと明るくなったような気がする。
線香の香りが林の中に静かに広がる。
お賽銭を投げ、手を合わせてお祈りする。
頭の中になにも浮かんでこない。
なにも考えずに、ただただ手を合わせるだけだ。
  
 15:45分、国民宿舎土佐に着く。

やれやれ、これで今日一日のお遍路が終わった。
 フロントで宿料に記入した後、靴を乾かすために古新聞紙をもらう。
フロントの女性も親切に対応してくれる。
 国民宿舎土佐ではお遍路用の部屋に入る。
この部屋は、2段ベットが4つそれぞれ部屋の四隅に据えられ、
真ん中に小さなテレビといすが2脚ほどある。 
お茶も用意されており、設備としては文句ないが、物を置く場所がないのが不自由だ。
そのためかどうか知らないが、ござが数枚ほど用意してある。
宿では、ほとんど寝るだけの場所としている身にはこれでも十分だ。
 (今回の利用客は私一人だった。)

さっそく風呂に入りに行くと、内風呂の浴室に支配人がいる。
何か浴槽の中を調整中のようだ。露天風呂を進められたので、そちらに行く。
露天風呂は、最近作られたようで、ロビー横にある喫茶の外から階段を下がったところにある。
小さい風呂だが、浴槽からは目の前には太平洋が広がるという、抜群の眺望だ。
目の下には、打ち寄せる波が岩にあたり白波を立てている。
しかし、その波の音は聞こえない。
天気が良ければ、今回歩いてきた室戸岬の方が見えるのかもしれない。
だが、残念ながら、今日は、霞んでいる。
この浴槽の中で、足の指を揉んだり、膝を揉んだりしていると、
今日一日雨の中を歩いていたことを忘れる。

 今日は、今回のお遍路で初めて天気が崩れた。
昨日までは、本当に晴天に恵まれ、気持ちよく歩けた。
でも、今日の雨ぐらいなら風が付いていないので、篠つく雨と行ったところで、
歩いていてもほとんど気にならなかった。
雨より風の方が笠を飛ばされそうになり、そちらの方が気になる。
 明日からは、この冬一番の寒気が吹き込むらしい。
でも、北海道と違い、ここは南国、しかも四国だ。
いくら寒いと行ってもせいぜい氷点下数度の話だろう。
通勤で氷点下10度の中を歩いている私にとって何のことはない。
我慢できないほどの寒さが来るわけはないと思っている。

夕食膳はお正月の特別料理と聞いていたが、
なるほど、手の込んだ料理と思わせる物が出てきた。
しかし、酒の肴が多いため、お酒を飲まない食事中心の私にとって、ちょっと上品すぎた。
それでも、ご飯をお代わりすると気持ちよく出してくれたので、嬉しかった。
ここで、ご飯をお代わりする人はいないと思い、どうしようか考えたからだ。

 明日は、浦ノ内湾にもどって歩いて行くつもりだ。
この宿に泊まったのならば、このまま、横波スカイラインを歩いていく方が
近いのだと思うが、昔ながらの遍路道を歩きたかったので、宇佐大橋までもどることにした。


平成15年1月2日(阿波から土佐・第13日目)

2005-07-15 09:32:03 | 第2回(阿波から土佐)
1月2日(木曜日)
(第6日目・通算第13日目・歩行距離19.9km・歩行歩数30,826歩)

 6:00分、起床。
昨日買っておいたおにぎりやカップ麺で朝食を取る。

 7時前に駅に着く。
時刻表を見ると7:03分発の列車がある。
ちょうど良い時間なので、その列車に乗る。

 7:07分、JR土佐一宮駅に着く。
駅の陸橋を渡ろうとすると、ちょうどお日様が顔を出すところだ。
東の空がオレンジ色に輝き、太陽が顔を出した。
今日も天気が良いようだ。

 竹林寺を目指して歩き出す。
竹林寺のある山が南の方に見えているので、あまり迷うことはない。

 土佐一宮駅前を右に進み、しばらく行くと道は左へ曲がっている。
踏切を渡ると、正面に竹林寺のある山が見えている。
道なりに進んでいくと錦功橋に出る。
地図を見ると一本川下の橋を渡るようなので、川沿いの道を進む。
ほどなく、下の瀬大橋につく。
この橋を渡ると左側にサンピア高知の大きな建物が見えてきた。

 この辺りは、何となく見たような風景だ。
前回バイクで来たときに走った道のようだ。
市電道りに出てやっと思い出した。やっぱりこの道を走っている。

 市電通りを右折して、突き当たりを左に曲がり、真っ直ぐ進むと、
竹林寺へ続く車道の入り口だった。

 ここからは、ちょっと急な坂道で九十九折りの道となっている。
少し登ったところで大きな左カーブとなっているところがある。
そこに一台軽のバンが止まっており、猫が5~6匹いて餌を食べている。
首輪をしていないところを見ると野良猫のようだ。
路肩の落ち葉を掃いている中年の女性がいる。
この人が餌をやっているようだ。

 しばらく登っていくと、道が下り坂になっている。
ほどなく、左手に竹林寺の山門へ続く階段が見えた。

 8:35分、竹林寺に着いた。


第31番札所 竹林寺

 竹林寺はよさこい節に出てくる「坊さんかんざし買うを見た。」と歌われる、
この「坊さん」がいたお寺といわれている。 

 急な階段を登り山門の中に入ると参道の両側に灯明が配置され、
それが本堂へと続いている。

 境内は陽があたり明るくて気持ちがいい。
向かい合うように配置されている本堂と大師堂。
まず、右側にある本堂へお参りし、それから大師堂へお参りする。

 納経所は、境内から少し下がったところにある。
すでに数人の人がいるが、納経をしてくれる人の姿が見えない。
しびれを切らした人が呼び鈴を押すが誰も出てこない。
「売店はすぐ開いているのに、何で納経所に人がいないのだ。」と
毒ずいている人がいる。
まあ、まあ、待てばいいでしょうと言いたくなる。

 さらにしばらくすると、やっと、和服姿の女性が出てきた。

 納経も済ませ、山門からの階段を下ると車道のすぐ前にヘンロ標識を見つける。
標識にしたがって進むと、道は自然石で造られた階段となりどんどん下っていく。
 
 足が痛くなってきたので、立ったまま一息つくと、下の方に川が見えてきた。
五台小学校の角を左に曲がり坂本を歩くが道が狭く、歩道がないので堤防の上を歩く。
川面に反射する日差しがまぶしい。

 左手の奥に球場があるようで、打順の案内放送や歓声が聞こえてくる。
へんろ橋を渡り、唐津の集落を歩く。細い道がうねうねと続いている。
その脇には、車が走れる車道も平行して続いている。

 人通りのない道を歩いていると、前方に遍路姿の男の人が歩いている。
手には同行二人の地図を持っている。
この人の歩くスピードは私のスピードとほとんど同じなので、
つかず離れずの距離を保ちながら歩いていく。

 吹井のところで広い車道に出るがこの交差点で前を歩くお遍路さんが
地図を見ながらウロウロしている。
 私が右に曲がり進むと、その姿を見て後をついてくる。
  
 しばらく進むと右側に武市瑞山の住んでいた家と書かれた標識があるので、
ちょっと見に行くことにして、道路を渡ると、後ろを歩いているお遍路さんが
付いてこようとしている。

 「禅師峰寺へは真っ直ぐ行ってください。」と声を掛けて瑞山の住んでいた家へと向かう。
 瑞山の育った家だと思ってきたところは、家のあった跡のようだ。
がっかりして、元の道へ戻る。

 石土トンネルをくぐると左右に住宅が沢山建っているところに出た。
突きあたりに池がある。
この池を右に曲がりしばらく行くと、左側に禅師峰寺のある山が見えてくる。

  交通量の多い車道に出たところに、禅師峰寺への看板があり右を指している。
前を歩くお遍路さんはその標識を見て右に曲がっていく。
しかし、禅師峰寺は左にあるので、私は左に曲がる。

 少し行くとヘンロ標識があり右に曲がるように矢印が書かれている。
標識どおり進み、禅師峰寺の山の下に着く。
ここからは少し登って禅師峰寺となる。
車道横の山道を登る。
5分ほど歩くと10:25分、禅師峰寺に着く。


第32番札所 禅師峰寺
 
 禅師峰寺の境内からは、太平洋が広がり、遠くに浦戸湾にかかる
浦戸大橋や桂浜が見える。

 まずはお参りと荷物をベンチに置いて本堂と大師堂へお参りする。

 ベンチに腰掛けて浦戸大橋から続く海を眺めながら靴を脱ぎ靴下も脱いで、
すっかりくつろぎモードに入っていた。

 するとまもなく、私の前を歩いていたお遍路さんが来た。
話をすると、下北半島の大間から来ているおじさんで63歳とのこと。
毎年、お正月休みにお遍路をしており、もう3年くらい続けているとのこと。

 今日の宿を決めているのか聞くとまだだという。
私は雪蹊寺前の高知屋に泊まることを話し、その先になると種間寺のあたりには
宿がないので、土佐市まで足を伸ばさなければいけないことを話す。

 浦戸湾も浦戸大橋を歩いて渡るか、渡船で渡るか二通りの方法があるが、
私は渡船で行くつもりであることを話す。 

おじさんが先に禅師峰寺を立つ。

 足の調子を確かめると、今までなんでもなかった左足の小指と右足の膝が
急に痛くなってきた。特に右膝はお皿の上が痛くなっている。
どうやら、足の指が痛くなくなると別のところが痛くなってくるようだ。
 左足の小指が痛いのは、右足と同じように靴に切れ目を入れ楽にしようと思った。

 納経所へ行って納経を済ませると、納経所のお婆さんにカッターがあるなら
貸して欲しいとお願いすると貸してくれたので左足の小指あたりに切れ目を入れた。
これで、万全だ。

 納経所の手前にある台の上に手縫いの巾着が沢山置いてある。
大小いろいろなサイズがあり、古い着物の生地を使って作ってあるようだ。
どうやらお接待のようだ。
「ご自由にお持ちください。」と書いてある。
この中から、絞りの生地で作られている小さい巾着と一番大きな巾着を
二ついただくことにした。
小さい方はお賽銭を入れる袋にする。
マンドリンが書かれている大きな方は、記念だから妻へのお土産にするつもりでもらった。
巾着の中にポケットもついており丁寧に作られている。

  11:00分、禅師峰寺をあとにして雪蹊寺へ向かう。
 
まずは、渡船に乗るために種崎待合所へ向かう。

 途中に福家食堂というノレンの下がっている小さな店がある。
11:45分、ちょうどお昼時だしお腹もすいていたのでこの店で昼食を取ることにする。

お婆さんが一人でやっている小さな店だ。
お客さんは一人しかいない。常連さんのようだ。
狐うどん(400円)を頼む。
 話し好きなお婆さんでいろいろ聞いてくる。
北海道から来たというと、私も北海道へは一度行ったことがある。
息子が自衛隊にいるので北海道に配属されたときに呼んでくれた。
北海道の女性は色が黒いなどと、いろいろな話を聞かせてくれる。
お腹もいっぱいになったので、種崎待合所を目指して人気のない道を歩く。

 膝が痛くなったのでちょっと休もうと思い、種崎センターというスーパーの
陰に座り、靴を脱いでいたところへ買い物帰りのお婆さんが通りかかった。
 婆さんが荷物を置き、財布をとりだした。お接待だ!
200円を手にし「ジュースでも飲みなさい。」といって差し出される。
あわてて立ち上がり、お金を受け取ってお礼を言った。
 
12:55分、種崎待合所に着いた。
待合所には2~3人の人が船を待っている。
大間のおじさん遍路の姿が見えないので、どうしたか心配していると、やってきた。

 今日の宿をどうしたか聞くとまだ頼んでいないという。
おじさんが高知屋に電話すると宿泊OKといわれ、やっと今日の宿が決まる。
大間のおじさんは随分のんびりしている。

13:10分、フェリーに乗り、浦戸湾を渡る。
乗客は私たちを入れても5~6人だ。
 5分ほどで対岸に着く。
大間のおじさんと、ここからは川沿いに歩いていけばいいと話していると、
自転車に乗った若者が、「川沿いに行けばいいよ~。」と声を掛けてくれる。
 
13:35分、雪蹊寺に着く。


第33番札所 雪蹊寺

 雪蹊寺は山門がない。
 すぐ正面に本堂が見える。大師堂は本堂の右側にある。
それぞれにお参りして納経所へ向かう。
 雪蹊寺は本堂を新築するようだ。今の本堂は相当古い。

 前住職の三回忌を済ませたので新築を決意し、喜捨を求める旨の看板が立っている。
そういえば、バイクで来た時のお葬式が前住職のお葬式だったことを思い出す。

 納経を済ませたが、今日の宿は雪蹊寺の真向かいにある高知屋さんだ。
この時間では宿にはいるのは早いと思い、境内にあるベンチに座りぼんやりしていた。

ここで、明日の宿を青龍寺奥の院近くにある国民宿舎土佐に取ろう思い、電話する。
 国民宿舎土佐は、一旦、経営不振で廃業したが、池上さんという人が支配人になり
立直し中であり、歩きお遍路には特別に配慮をしていることがネット情報に
書かれていたので泊まってみたかった。

 フロントの人が「お正月料金でちょっと高いですが。」と言うが、頼むことにする。
1万円といわれたが、「歩き遍路です。」というと「お遍路さん用の部屋があるが
そこでも良いか。」といわれる。
「いいです。」と答えると、料金は8千円とのこと。
 これで明日の宿も決まったし、高知屋へ行くことにした。

「ご免ください。」と声を掛けると、元気なおばさんが出てきた。高知屋の女将さんだ。

 持っていた杖をすぐに取り、下の方を洗って渡される。
部屋に案内されると、洗濯物を出してくださいといわれる。
洗濯物を渡すと、風呂場の場所を教えてくれるなど、すごくてきぱきとしている。

部屋は、3畳ほどの個室だが、すぐ隣は大きな部屋で、そこの大間のおじさんがいた。
どうやら今日のお客さんは10人ほどらしい。

 部屋の中に新聞の切り抜きが張ってある。
記事を読むと、女将さんのお遍路に対する思いやりがよく書かれている。
特にお遍路さんが楽しみにしている食事の中で、鰹のタタキには十分満足してもらえる
ように気を使っていることが書かれている。夕食が楽しみだ。

風呂に入り、手足を伸ばし、足や指をよくマッサージする。
やっぱり、大きな風呂はいい。
 二日続けてビジネスホテルの風呂だったので、本当にゆっくりとした気持ちで風呂に入った。
そのあとは、部屋にある布団を広げ、少しウトウトとした。

 「夕食の準備ができました。」の声で、隣の部屋へ行く。
私を含めて男性が4人、席に着く。宿帳を書くようにいわれる。
夕食のお膳を囲むのは、女将さんと顔なじみの若い人と横須賀から来ている男性。
それに大間のおじさんだ。 

 女将さんの給仕により夕食が始まる。
女将さん肝いりのたたきを食べる。
ちょっと甘めに調理されている。
女将さんの話では、土佐の人は砂糖は使わないがちょっと甘くした方が
お客さんに喜ばれるので、私はそうしているなどと話してくれる。

 若い人が国民宿舎土佐に宿の予約をしようとしたが断られたと話している。
遍路だと言ったのに断られたと言っている。
私にはそんなことがなかったな~あと思い話を聞いていた。


 **土佐屋さんの女将さんの話**
   以前はお正月休みも営業していたが、最近は大晦日と元旦はお休みさせてもら
  っている。
建物が古くなってきたので、昔から使っていた建物は痛みがひどく、
  ギシギシとうるさいので2階だけに泊まってもらう。
 今日は、夫婦が3組泊まるので、その人たちに泊まってもらう。
  雪蹊寺の本堂を新築すること、などを話してくれる。
 
 ××××××××××××××××××××××××××××××××××××
 
 話を聞いていた若者が、大晦日とお正月を休むだけでそのほかの日は営業している
ことを串間さんのホームページに書いてもいいかと聞いている。  
どうやら、この若者もインターネットで掬水へんろ館を見ているようだ。
 (札幌へ帰ってから掬水へんろ館を見ていると、この高知屋さんのお正月休みのこ
  とを書いているのは、紀州の山猿というハンドルネームの人だった。)

 横須賀から来ているおじさんは、明日、清滝寺まで打って今回は区切るようだ。
「今回は雨具がじゃまになったので途中から自宅へ送ってしまった。」といっている。
「明日は夕方から雨なので、その前に打ち終えるから大丈夫だなどと話している。」
でも、テレビの天気予報では朝から雨の予報だ!
横須賀のおじさん、明日は大丈夫か?

 私の部屋は、食堂と歩き遍路さんが相部屋となっている大きな部屋に挟まれている。
壁が薄いので両方の話し声が筒抜けだ。

 大間のおじさんの話を聞いていると、今、63歳で、鉄工場をやっているが
30代と50代と2回も椎間板ヘルニヤの手術をしている。
何か体を動かすことをしたいと思い、富士山にも登った。
その後、何かをしたいと思っていたところにテレビでお遍路をやっていたので、
これだと思い歩き出した。
今は、鉄工場の経営を息子に譲り、現役を退いている。
ぼくとつな人柄で、話す言葉に訛があるのがいい。

平成15年1月1日(阿波から土佐・第12日目)

2005-07-14 09:27:57 | 第2回(阿波から土佐)
1月1日(水曜日)
(第5日目・通算第12日目・歩行距離30.3km・歩行歩数50,543歩)

 5:00分、目を覚まし、夕べ買ってきたカップ麺などで朝食を取る。
元旦の朝食にしてはお粗末だが、これも仕方がない。
まずは、こうやってお遍路をしていることに感謝しよう。

 まだ真っ暗な安芸市街を歩き、安芸駅へ向かう。
6時ちょうどに安芸駅に着くが、これからごめん方面に行く列車は6:24分なので、
駅のロビーで休むことにした。

6:24分、西分へ向かう列車に乗る。
乗客は私一人だ。

6:40分、やっと薄明るくなってきた西分の駅からサイクリングロードへ出る。
背中の方で少しずつ明るくなってくる初日を気にしながらサイクリングロードを
歩いていく。

 7:05分、芸西村と夜須町の町堺に着く。
しかし、まだ朝日は射してこない。
そろそろ、日の出の時間なのだが?

 7:40分、夜須町の国道脇を歩いていると後ろから日が射してくる。
後方の山からなので日の出時刻からは30分以上遅いが、紛れもなく初日だ。
後ろを振り返り、初日に向かって手を合わせる。

 ほどなく、手結海水浴場にあるヤ・シィパークにつく。
黄色や赤の派手な原色の建物や椰子の木が数本海の方に見えるなど、
すっかりトロピカル調の雰囲気だ。
 駐車場も広い。
まっすぐ歩いていくと駐車場のはずれになり、道がなくなった。

 堤防があるのでその上を歩く。
堤防の上からは土佐湾が一望できる。
遠くの方に高知市街と浦戸大橋らしい橋も見える。
お日様が背中から押してくれる。
このまま堤防の上を歩いていくと、右手に赤岡と書かれた病院があるので、
右側にある国道へ戻る。

 8:25分、赤岡一本松にKマートというコンビニがあるので、
ここから、不用となっている着替えなどを送ることにした。

9:00分、国道が左側に曲がっている。
大日寺へは右に曲がらなければと思い、曲がろうとすると二股のところに
大きな建物がある。
よく見ると建物の上の方に黒潮ホテルと書いてある。

 このホテルが今日の宿だ。
とりあえずこのホテルのロビーで一休みすることにした。
 
今晩このホテルに泊まるのが良いかどうか考えた。
高知市内に宿を探せるのならばその方がいいが、
もし、探せなかったらここまで戻って泊まっても良いと思い、
フロントで相談すると「キャンセルはできます。」とのこと。
 
この先の宿をどうするかで今日一日の日程が決まるので、
明日の宿を高知屋に決めて、電話してみる。
そうすると、今晩は休んでいるが、明日は営業するといわれたので予約をする。
今日の宿についてはもう少し考えることにして、大日寺へ向かう。
 
9:50分、大日寺に着く。
 

第28番札所 大日寺

 大日寺の境内には初詣の参拝客が切れ目なく訪れ、
それが家族連れだったりカップルだったりと見ていても楽しい。

 本堂と大師堂にお参りし、納経を済ませてから、境内に戻り、
日向ぼっこを決め込んで靴下も脱ぎ、すっかりくつろぐ。

 今日の宿をどうするか考えていたが、とりあえず、黒潮ホテルはキャンセルする
ことにして、電話する。
 
10:20分、国分寺を目指して大日寺を後にする。

 戸板島橋を渡り、ヘンロ標識に従って快調に歩く。
このあたりは、畑の真ん中で、ビニールハウスがあったり畑に露地物の
野菜が植えてあったりと、北海道で言うと秋のような気候だ。

 車がほとんど走ってこないので、のんびりと、あちらこちらをキョロキョロ
しながら歩いていく。
 
11:25分、西山のあたりでヘンロ石を見つけたのでちょっと休憩する。

 しばらく行くと、十字路があり左の方に小さな神社がある。 
真っ直ぐ進もうとすると、神社に参拝に来た人たちの中からお爺さんが、
「この道を向こうの信号まで進み右に曲がればよい。」と教えてくれた。

 お礼を言って教えられたように進むと、ほどなく、陸橋がありJR線を跨いでいる。
しかし、その先の交差点でどちらに進めばいいのか分からなくなってしまった。

しばらく進むとヘンロ石があるはずだと思い歩いているが、なかなか、見つからない。
そうこうしていると、国分寺と書かれた標識があり矢印が左側を指している。
この矢印に従って、左に曲がり畑の中を進んでいく。
 すると、大きな川にぶつかってしまう。
すぐ右側に橋が見える。
左側にもちょっと遠くだが橋が見える。
ここで考えた。
左手の橋まで行って、もし違っているとかなり戻ってこなければならないので、
右側に架かっている橋を渡り、さらに、橋の名前を確認するとどの辺りにいるか
分かるのではないか?と考え、右に曲がることにした。

 右に曲がり橋まで来たが交通量もあり橋の名前を見るために
道路を横切るのも危ないくらいだ。
とりあえず橋を渡ってみることにする。

 そうすると、橋を渡ったところに四国の道の標識があり、
紀貫之の名所案内が書かれている。
国分寺へは橋のたもとを左に曲がると良いようなので、案内に従って曲がる。

 しばらく進むと、ズーッと先に見覚えのある国分寺らしい森が見えている。
間違いないと思い、適当に歩いていくと、やっと、国府橋のたもとにでる。

 何のことはない、どの橋を渡ろうか迷ったところから見えていた
左側の橋が国府橋だったのだ。
ちょっと迷ったが国分寺へ着いた。

 12:45分、国分寺へ着く。


第29番札所 国分寺

 国分寺は参拝のお客さんも多く、駐車場にはひっきりなしに車が出入りしている。
よく手入れされた境内へ続く参道を歩く。
 ここの境内は本当にきれいに手入れされている。

 本堂と大師堂にお参りして、納経所へ向かう。
途中に赤い実を付けた灌木があるので写真を一枚撮る。
 本堂前に戻り、ベンチに腰掛け境内にいる参拝客をぼんやりと見ていた。

 お父さんが着物姿の家族が来て本堂をバックに写真を撮っている。
家族全員の写真を撮るためにシャッターを切ってくれる人を捜しているようなので、
声を掛けて、写してあげる。

 お腹がすいたので、国分寺の手前に喫茶店みたいなレストランがあったので
そこへもどって昼食を取ることにした。
しかし、店へ行ってみると、なんと、お休みだった。
仕方がないので、持っていたオールレーズン(クッキー)と飲み物で昼食とする。

 ついでに今日の宿を決めようと思い、高知市の駅付近の宿に電話をしてみる。
安楽寺そばの「旅館まつば」に電話すると、もうやめてから何年にもなるといわれる。
お詫びを言って、電話を切る。

 次に、駅前の「ビジネスホテルタウン」へ電話すると宿泊OKの返事。予約する。
 
 善楽寺のそばにJR土佐一宮駅があるので、今日は善楽寺まで歩いて、
そこからは電車で高知市内へ入り駅前のビジネスホテルに泊まることにした。

 13:20分、国分寺を発つ。
 国分寺からは国分寺川沿いの道を歩くことにする。
この道は、細い道なので車の通りも少なく、気持ちよく歩けると思い選んだ。
空が曇ってきた。川原に近いところを歩くので風が出てきて寒い。
時折吹く強い風に煽られながら歩いていく。

 14:00分、浦原橋を渡る。
左手に高い塀が見える。
最初はなにか分からなかったが、どうやら刑務所の塀のようだ。
塀の上に監視所が見える。沢の左側が刑務所になっている。

 広い車道に出るとかなりの交通量がある。
坂道を上がると目の下に森が見える。どうやら一宮神社の森のようだ。

 14:50分、初詣の人達でごった返す善楽寺の山門に着く。


第30番札所 善楽寺 

 善楽寺は土佐一宮(いっく)神社と同居している。
初詣で一宮神社に行く人も、みなさん、山門をくぐっていく。
着物姿の女性も沢山歩いており、今日一番華やいだ雰囲気だ。

 そんな参道に一人で座って托鉢をしているお遍路がいる。
よく見ると中年の男性だ。
そういえば納経所に「境内での托鉢、物乞いをしないように」と書かれた
張り紙をあちらこちらのお寺で見た。
最近托鉢をする人が増えているのだろうか?

 駐車場を警備する警備員もたくさん出ており、
もう3時近いのに出入りする車の誘導に忙しい。

 時折、青空が広がっているがパラパラと天気雨が降る。
そんな中で、隣の神社に比べると人気の少ない善楽寺で、本堂と大師堂にお参りする。
 これで、今日の予定分を歩いたことになる。

 15:20分、善楽寺を後にし、約1キロ先のJR土佐一宮駅へと向かう。

 私の前を大きなザックを背負った中年の男性が歩いている。
ザックの背中に杖が差してあるから、どうやらお遍路らしい。
追いついたので挨拶する。
「今日はどちらまでですか?」と尋ねると、
「私は6月から野宿をしながら逆打ちで歩いている。
この辺のお寺は大日寺まで歩いたが、その先はお正月休みで商店が休みと思い、
この三が日は高知市内にいるつもりだ。
いずれにしても、先を急いでいるわけではないので、気に入ったところがあれば
何日も留まっていることもある。」と話してくれる。
今晩は、一宮駅で野宿するらしい。

 15:30分、駅に着く。
時刻表を見るとちょうどよく39分発の高知行きの電車がある。
このお遍路さんとはここで別れる。

 初めて高知駅へ来た。駅前はちょっと殺風景な気がする。
駅前にもかかわらずデパートとか商店の姿が見えない。
オフィスビルばかりが目に付く。

 高知駅から5分くらいのところにBHタウン駅前はあった。
ホテルの食堂は休みなので、近くのコンビニを教えてもらう。
 一度部屋に入ると外へは出かけたくないので、
教えてもらったローソンで明日の朝の分の食べ物も買い込んで、やっと一息つく。

 ビジネスホテルの風呂は狭くて嫌いだ。
浴槽の中で体を伸ばすことができない。足を揉むのも一苦労だ。
おまけに肩まで湯に浸かることすらできないし、洗い場がないのでゆったりできない。
ただ体を洗い、汗を流すだけの場所だ。
 私がお風呂に入るのは、今日一日頑張った足や体をいたわるためで、
そういう場所が欲しいのに、そうした機能は全くない。
これでは逆にストレスがたまってしまう。

 ここまで毎日30キロほどを歩いてきたが、明日は雪蹊寺前の高知屋さんまでの
約20キロほどなので、ちょっと一息付ける。  


平成14年12月31日(阿波から土佐・第11日目)

2005-07-13 09:35:58 | 第2回(阿波から土佐)
12月31日(火曜日)
(第4日・通算第11日目・歩行距離29.0km・歩行歩数44.340歩)

 6:00分、まだ暗い中、目を覚まし、ファアンヒーターに点火し、
しばらく布団の中で部屋の暖まるのを待っていた。
 ほどなく、「朝食の準備ができました。」と女将さんから声がかかる。
あわてて服を着て、布団をたたむ。

1階の広間に行くと彼女の姿はなく、すでに朝食を終えたようだ。

 朝食を終えてテレビの天気予報を見ていると、台所の方で彼女の声がする。
宿代を払っているようだ。
 私も一緒に払ってしまおうとして女将さんのところへ行く。
ここで女将さんと10分くらい話をした。

 **女将さんの話**
   私は、今、78歳になる。75歳まではこの仕事もそれほど苦にはならなかったの
  だけれども、最近は朝起きなどが辛くなってきた。
  お遍路さんのことを考えるとこの宿は閉めたくはないがいつまで頑張れるかと
  思っている。
毎年、お正月は休んで、兄弟の車で徳島の札所をお参りして高野山へ行ってい
  るが、今年の高野山は雪が多いので、夏タイヤでは無理だといわれた。
  それで今年は小松の方へお参りに行くことにしているが、そちらには、あまり
  行ったことがないので、宿が休んでいたりして、どうなるか心配している。
   お礼参りはいつも峰寺さんへお参りしている。
   年明けからは、工事の人たちが10人ほど宿泊することになっているので、
  それまでのお遍路だ。

   ××××××××××××××××××××××××××××××××××××

 女将さんから台所の流しにあった花切りばさみを借りて靴の手術に取りかかる。
右足の靴の小指が当たるところに切れ目を入れる。
履いてみると調子は良さそうだ。
 
玄関で彼女と納札を交わし、7:00分、私は神峰寺へ、
彼女は野市にある高知黒潮ホテルを目指し歩き出す。

 荷物は浜吉屋さんの玄関に置いて、手に持っているのは杖と納経帳だけだ。
ビニールハウスが建っている畑の中の農道を前方に見える神峰寺を目指して歩く。
浜吉屋さんから神峰寺までは約4キロの道のりだ。

 平坦な車道が、いきなり急坂になりつづら折の道となる。
「土佐のまったて」の始まりか。
 つづら折りの急坂をどんどん登っていくと、車道の横にヘンロ標識があり
歩き用の遍路道がある。
登山道のような遍路道を登っていくと何回も車道を横切る。
 荷物を背負っていないので快調なピッチで登っていく。

 ほどなく、駐車場に着き、8:00分、神峰寺の山門に着く。


 第27番札所 神峰寺

 神峰寺の境内は、冷たい風が吹き抜け、陽が当たっていないのですごく寒い。
せっかくのお庭を見る余裕もない。
境内には歩きお遍路らしい人が一人いるだけだ。
 冷たい風に追いまくられるようにして本堂と大師堂にお参りする。
納経所に戻り、神峰の水を飲むが、やはり、ぬるい水だ。
北海道の湧き水のように喉が痺れるような冷たさはない。

 8:30分、神峰寺をあとにする。
 
 「土佐のまったて」を下っている途中で、やっと山陰から顔を出した朝日が当たる。
車道をどんどん下っていると、農家から出てきたお婆さんが私の前を歩く。
少し腰が曲がった小柄なお婆さんが杖をついて歩いているが、早くて追いつかない。
坂道をどんどん下っていく。

 お婆さんは、坂道の下に来ると、置いてある自転車にヒョイと乗って漕いでいく。
そして、ちょうど歩いてくる中年のご夫婦に「その辺りで荷物を預かってもらって
登ると良いよ。」と声をかけていく。

 9:20分、浜吉屋さんに戻る。
 女将さんからお茶を一杯ごちそうになる。
荷物を整理し、お礼を言って、浜吉屋さんをあとにする。

 住宅地の中を歩いていくと塀の隙間に黄色の数珠袋が挟んである。
誰かが落としたものらしい。こんな場所に数珠を落とす人は歩き遍路しかいないと
思うが、はたして、取りにこれるのか。

 10:40分、安芸市の町堺を通過する。
ここから今日の宿泊先である「ビジネスホテル弁長」までは9キロほどしかない。

 天気は快晴。後ろからお日様が当たり体が温まってくる。
国道は交通量が多く、歩道は狭く排水溝のふたの上を歩くので歩きにくいが、
快調に距離を稼いでいく。

 靴を手術した効果も徐々に現れており、右足の小指も昨日よりは楽だ。

 道の右側の歩道を歩いていると反対側にミカンやポンカンを売っている店がある。
妻へのお土産としてポンカンを送ることにした。
道路を渡ろうとするが、次々と車が走って来るのでなかなか渡れない。
やっとの思いで渡り、店のおじさんにいろいろ聞いて一箱2,500円のポンカンを
送ることにした。

 また、道路を渡り右側にもどろうとするが交通量が多いためなかなか渡れない。
左側には歩道がないためどうしても右側に行かなければならない。
左右を見定めて、走るようにして右側に渡る。

 10:55分、自販機が数台置いてあるところがあったので一休みする。
道路の反対側にはガソリンスタンドがあり、その右側には「椰子の実は残った」
というレストランがある。
レストランは休みのようだが、ガソリンスタンドの人は忙しく働いている。
 
 しばらく歩くと、市街地に入ってきたようで道路の両側にいろいろなお店が建っている。
伊尾木橋を渡り、安芸川橋を渡るともう安芸市内のようだ。

 スーパーの駐車場に警備員の人がいる。「ビジネスホテル弁長」を知らないか尋ねると、
すぐ近くにある大きなビルを指さし、そこの前にあったような気がすると教えてくれる。 
その大きなビルを目指して歩いていくと、そのビルの前に弁長さんの看板を見つける。

信号で道路の反対側へ渡り、11:50分、「ビジネスホテル弁長」に着いた。
 
 2階にあるフロントへ行く。
今晩の宿についたが、まだお昼だ。
弁長さんのレストランで五目麺(700円)を食べ、ここから先を少し歩いておくことにした。 
弁長さんの人に、ここから「ごめん・なはり線」の駅の場所を教えて貰い、
11キロほど先の西分まで歩いておくことにした。
 不要な荷物をホテルに置いて身軽になり、西分めざし歩く。
帰りは、ごめん・なはり線の汽車で戻って来るつもりだ。
 
 12:20分、「ビジネスホテル弁長」から安芸市内を西分目指して歩く。
 
 安芸市内の国道を歩いていくと右手に球場が見える。
阪神が春のキャンプを張る安芸球場のようだ。なんと、球場前という駅がある。

 国虎屋を過ぎて、穴内に入ったところで、左の海側にサイクリングロードがあるので
そちらを歩くことにする。
サイクリングロードは、ここから先ずーとつづいている。
車の騒音から逃れられたので、静かな道を一人でどんど歩く。
松林の中を歩いたり、海を眺めながら歩くので結構気持ちがいい。

 13:40分、極楽寺を過ぎて、「たこ丸」のあたりで休んでいると、
通りかかりの中学生が挨拶をしてくれる。

しばらく歩くと、海側の堤防の切れ目で休んでいるお遍路に出会う。
口ひげを蓄えているがまだ若い人だ。
荷物からすると野宿遍路のようだ。
挨拶だけして、先へと歩く。

 サイクリングロードの左側には堤防が作られており、
その堤防がずーと先まで続いている。
堤防の上に上がって歩くと海が見えて気持ちがいいが、時折冷たい風が吹くので、
サイクリングロードに降りて歩く。
 
 途中で海のプールと書かれた大きな施設などもあり、
このあたりは海水浴場になっているようだ。

 海岸でテントを張りバーベキューの準備をしている親子がいる。
今晩は大晦日。
キャンプをして新年の初日を拝もうというのか?
それにしても、大晦日にキャンプできる土地だということが羨ましい。
この時期にこんなにのんびりした気持ちでキャンプができるなんて、
北海道では絶対に無理だ。

 14:50分、西分駅に着く。これで約11キロほど進んだことになる。
サイクリングロードのすぐ右側が駅なので、明日歩き出すのもちょうど良い。
次の奈半利行き列車の時刻を見ると15:26分がある。
少し寒くなってきたが人気のないホームのベンチで靴を脱ぎ、すっかりくつろいでしまった。

 弁長さんに戻ると、夕食は5時までなら用意するといういわれる。
部屋に戻り、1階にあるコインランドリーで洗濯機を回し、
ハンバーグ定食(980円)を注文する。  
明日は早いので、ここで夕食代と部屋代を精算しておく。

近くのスーパーへ行き、明日の朝食を買い込み、これで、明日の準備も万全だ。

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 年末年始の宿が取れるか心配していたが、ここまでは順調に泊まれている。
足の方も痛いところはあるけれど、まあまあ順調といえるほうか。
これから先の年始の宿は全く取っていないので、これからどうなるかが問題だ。
でも、高知市内を目指しているので、市内にはお正月でも泊めてくれる宿はあると思い
あまり心配せずにその日、その日で決めればいいとのんびり構えていた。

平成14年12月30日(阿波から土佐・第10日目)

2005-07-12 09:09:55 | 第2回(阿波から土佐)
12月30日(月曜日)
 (第3日・通算第10日目・歩行距離37.3km・歩行歩数55,583歩)

 6:30分、朝食の案内放送がある。

 朝食後、もう一度本堂へ行き、お参りして総門から出ようとしたが、
どちらの方へ行けばいいのか分からなくなってしまった。

 7:00分、YHの玄関に戻りそこから出る。
津照寺までは6.8kmとちょっと距離がある。
 すぐに、スカイラインに出たので左に曲がり舗装道路を下っていくと、
山門への入口がある。
どうやら、総門を出て右に曲がって来ると、この入り口に出るようだ。

 前回は、バイクでYHの玄関から出入りをしていたので、
YHとお寺の配置関係がよく分からなかった。

 道路は急な下り坂でしかも左右に折れ曲がっている。
 ほとんど車が通らない道路なので車道いっぱいを使ってジグザグに歩きながら
どんどん下っていく。
足の指の調子もいい。昨日の治療が功を奏しているようだ。

 しばらく下ると、見晴らしがよくなり右手にこれから歩いていく
室戸市内方面が見えている。
最御崎寺のある後ろの方が明るくなり太陽が顔を出したようだ。

 自転車を押しながら若い男性が坂道を登ってくる。
どうやら、自転車遍路のようだ。挨拶をしてどんどん下る。
 30分くらいで国道まで降りる。
ここから右に曲がり旧道を歩く。

坂本、津呂の市街を抜ける頃には後ろの方から陽が射してきて、やっと暖かくなる。
しばらく海沿いを歩くと、国道から室津の港への分かれ道につく。
左側の道を少し歩くと左側に港が見えてくる。
ほどなく津照寺への入口につく。

 8:30分、津照寺の山門に着く。
 

 第25番札所 津照寺

 津照寺の本堂は急な階段を登った一番上にある。
ちょっと足が痛くなってきているので、ステンレス製の手摺りにつかまって
登ろうとしたが、その手摺りが冷たくて思わず手を離してしまった。

 急な階段を登り本堂の境内に着く。
後ろを振り返ると目の下には室津港が見えおり、その先には太平洋が広がっている。
お参りしている人は、車遍路のご夫婦一組だ。
奥さんはお経を唱えているがご主人はその横で手持ちぶさたにブラブラしている。

 急な階段を下り、大師堂でお参りをして納経をして貰おうとすると、
先ほどの奥さんが「私たちは沢山あるので先にどうぞ!」と順番を譲ってくれたが、
納経所にはこの夫婦と私しかいないので順番通り先にして貰う。
数冊の納経帳と掛け軸と白衣に納経をして貰っている。

納経をしている老人が奥さんに「この納経帳は一番で購入したのだろう。」、
「そうです。」と奥さんが答えると、「一番にお礼参りをするように書いてあるが、
そのようなことは必要がない。」と話し、
私の納経帳を開き、「この人の納経帳にはそのようなことは書いてないだろう。」という。
「一番札所は金儲けのためにこのような納経帳を売っている。」などと
ブツブツ言っている。
なにも知らずに一番札所の売店でお遍路グッズを整える人に対してこんな話を
聞かされても気分が悪くなるだけではないか。
 もし、お礼参りが必要のないものならば、お寺さん同士で話し合っておけば
いいだけでないか。
お参りに来ている人に対していうことではないと思う。
納経所でこんな話を聞かされるとは思っていなかったので、ちょっと気分が悪くなった。
 
8:50分、津照寺に別れを告げて富津の町を歩いていく。
 次の金剛頂寺までは4kmと近い。
 まっすぐ進んでいると川に突き当たる。
すぐ右手に橋が見えるので渡ろうとすると、その橋のたもとでいろいろな餅を売っている。
あん餅を2個買う。

 市街から国道に出て金剛頂寺を目指す。

 本橋から道は右に曲がり、前方の山へと続いている。
車道が右に曲がるが、直進する方向に細い道が延びている。
歩き遍路は直進するようにヘンロ標識がある。
標識に従って登っていくと道は登山道となる。
それほど急な登りでもないのでどんどん登っていくと、やがて車道に出た。
すると、そこが金剛頂寺へ続く厄坂の階段の前だった。

 9:45分、金剛頂寺に着く。


 第26番札所 金剛頂寺

 厄坂の急な階段を登ると正面に本堂が見える。
太陽の光を浴びて本堂の扉や屋根瓦がキラキラと光っている。
境内には、ほうきを持って、玉砂利を掃いたり、庭の手入れをしている
お婆さん達が数人いる。
指図をしている品のいいお婆さんがどうやら住職の奥さんらしい。

 まだ幼稚園に行っているような子供が二人飛び回っている。
 陽の射す暖かい本堂でお参りをして、今度は日陰で寒い大師堂でお経を唱える。
納経所へ行くと、その辺で仕事をしていた作務衣姿の人が納経してくれる。

 納経所の前にあるベンチで靴を脱ぎ足を休める。
そろそろ、両足の小指が痛くなってきた。
特に右足の小指が痛い。 

 納経所でここから先の道を教えて貰う。
宿坊の前をまっすぐに歩いていくと昔の遍路道だと教えられる。 
足のことを考えると登山道は歩きたくないので車道を行く方を聞くと
1kmほど遠回りになるといわれ、遍路道を行くことにする。

 10:15分、今日の宿がある奈半利を目指して出発する。

 細く狭い農道をクネクネと曲がりながら歩くと、道は急な下りの登山道となる。
杖をついて右足をかばいながら下る。
石ころに足を取られないように気を付けながら下る。
目の前に民家の屋根が見えてきた。
やっと登山道を下り終えたようだ。

 10:40分、平尾に出る。ここからは海岸沿いに吉良川の町を目指して歩く。

 吉良川の街に入る。道が狭いのにかなりの交通量がある。
吉良川町並み保存群という標識があり、国道の右側に旧道があるようだ。
そちらを歩くことにした。
このあたりは、瓦屋根に漆喰壁の昔の建物が多く、それを保存しているようだ。
狭い道の旧道は車が2台すれ違うのでさえ窮屈そうだ。

 11:25分、町並みを抜け、吉良川大橋を渡る。
しばらく歩くとまた国道と合流する。
 
 11:50分、吉良川漁港前で休憩する。奈半利へ12キロという標識がある。
天気は良いが風が冷たくなってきたので、大きな事務所の陰で休む。
ここで、今晩の宿をどうするか考えた。
 今晩の宿は、奈半利にある「ビジネスホテルなはり」に取ってあるが、
できることなら神峰寺の麓にある浜吉屋まで行きたいと考えていた。
浜吉屋まで行くとすると今日の予定より7キロほど遠くなる。
 まずは浜吉屋さんで泊めてもらえるか電話すると「いいです。」と言われた。
これで気持ちは決まった。
女将さんに「お願いします。」といい、宿に着くのは5時近くになる旨を伝える。
そして、ビジネスホテルなはりに電話して今晩の予約を取り消した。

 痛い足を引きずりながら7キロを歩くのは容易ではないが、
できることなら浜吉屋さんに泊まってみたかった。
いろんな人が浜吉屋にお世話になっているので私も泊まってみたかったのだ。
 
12:50分、羽根の市街に入って食堂を探しながら歩いていると
「うどん十兵衛」という店がある。
さっそく入るが結構込んでいる。
あいていたイス席に座り十兵衛うどん(500円)を頼む。
いすに座ると、ちょっと失礼して靴と靴下を脱いで足を休める。

 ここから先のコースについてちょっと悩んでいた。
「中山越え」という昔の道があるがちょっとした山越えになる。
国道は海岸線を通っている。
足への負担を考え、海岸線を行くことにする。
 十兵衛でお腹を満たし、足も休めたので浜吉屋さんを目指して歩く。

足が痛くなって疲れてくると、道路の左側にある里程標が気になってくる。
100メートルごとに1~9までの数字がガードレールなどに付けられ、
1キロごとに高知までのキロ数がかかれている標識が立っている。
この数字が少なくなっていくのだけれども、疲れていると全然進んでいないような
気がして、見るたびにため息が出てくる。

 岬を一つ回って、しばらく行くと、13:55分、やっと室戸市と奈半利町堺に着いた。
この辺で中山越えの道と合流するはずだが、気を付けてみていたがわからなかった。
左手に広がる海のずーと先の方に市街地らしい建物が見えている。
港らしいところには大きなクレーンなども見えている。
そこが奈半利の市街のようだが、しかし、そこまではまだまだ相当の距離がある。
 
 左手は海、右手は山という国道をかなり疲れて歩いていたが、
町堺から何とか1時間頑張って歩き、14:55分、バス停があったのでちょっと休憩する。

 もう少しで奈半利の街に入るはずだと思っていた。
それは国道の両側に建物が少しずつ増えてきたからだ。

 道路が少し上り坂になってきた。その坂をあがると目の前に町並が広がっている。
やっと奈半利の町に着いた。

 少し歩くと右側に今日泊まるはずだった「ビジネスホテルなはり」が見えてきた。
大きなホテルで、なんと、露天風呂もあるようだ。
ここまで来れば、あと1時間と思い、市街地を一生懸命歩く。

 奈半利川橋を渡り少し行くと、左側に二十三烈士の墓という看板がある。
武地(半平太)瑞山と一緒に殉職した土佐藩の藩士の墓だ。
 国道は、かなりの交通量があるが、歩道がしっかりしているので
地図を見ながら歩いている。しかし、さっぱり進まない。

 やっと、安田大橋を渡る。
奈半利の町に入ってからもう一時間以上歩いている。
車の騒音をさけるために、安田川の橋を渡ってから旧道を歩く。
車がほとんど走っていない。
空はお日様が傾き、薄暗くなってきている。

右手に瓦屋根に漆喰できれいな格子模様の壁に造られた民家がある。
壁に漆喰で鶴や竹の絵が描かれている。
夕日に少し赤く染まった漆喰の絵に思わず見とれてしまった。

 もう少しだと思い、安田町の町を歩いていると、市街のはずれにやってきた。
交差点にある標識では右に行けば神峰寺とある。
この辺に浜吉屋さんがあるはずなのだが、しかし、どこにあるのかが分からない。
どこかで聞こうとしたが、歩いている人がいない。
左側に国道が走っており、なにか看板らしいものが見える。
その看板を見に行くと、浜吉屋の看板だった。
交差点を、左に曲がるとすぐらしい。
交差点に戻り、まっすぐに行くと100メートルぐらいで浜吉屋さんだった。

 16:55分、やっと浜吉屋さんについた。もう陽が暮れかかっている。
 奈半利市街に入ってから浜吉屋さんまでの7キロほどは、
足も痛くなってきて本当にきつかった。
 
 玄関で声をかけるとお婆さんが出てきた。
浜吉屋さんの女将さんらしい。
風呂が沸いているのですぐ入るようにいわれる。
部屋は二階の奥だといわれ案内される。
部屋は八畳ほどの和室で、ファンヒーターが置いてある。
今日のお客さんは二人らしい。

 風呂から上がって一息ついていると夕食ですといわれ、一階にある広間に行く。
広間には石油ストーブがガンガン燃えており暖かい。
丹前姿の若い女性がすでにお膳の前に座り夕食を取っている。
挨拶してから、話を聞くと、今日は金剛頂寺の麓にある「民宿うらしま」から
ここまで来たという。

羽根からは中山越えを歩いたとのこと。
どちら来たのか聞かれたので、最御崎寺からというとびっくりされた。
 
彼女(翌朝、納札を交換したので、神戸市のMさんということが分かった。)は、
神戸市なので2~3日くらいで区切って今年の春から歩いていると話してくれる。
 私も今年の春のGWから歩き出したと話すと、喜寿のおじいさんを知らないかといわれ、
11番藤井寺の前にある民宿ふじやで一緒だったと話すと、彼女は喜寿のおじいさんとは
その前日同じところに泊っており、私が民宿ふじやに泊った日には焼山寺まで行って
泊ったとのこと。
 喜寿のおじいさんは、井戸寺で、一旦、家に帰ったことを話す。

 たまたま共通の話題があったので話が盛り上がった。
おまけに今回のスタートも同じ日で、しかも剣山四号に乗っており、
彼女は東洋大師からスタートしたとのこと。
鯖大師にいた京都の女性とも電車の中で一緒だったようだ。
彼女は、今回は明後日竹林寺まで行って区切るようだ。
 明日は野市にある高知黒潮ホテルに泊まり、明後日は大日寺から竹林寺までを打ち、
神戸に帰るとのこと。
明日は30キロほど歩かなければいけないのが心配らしい。
あなたは?と聞かれたので、今回は岩本寺まで行く予定だと話す。
たった二人しか泊まっていない宿で、しかも見知らぬ女性と打ち解けた話が出きるのも
お遍路だからこそか?

 娘と大阪のHさんにケイタイからメールを打ち、今日の状況を報告する。
 足の手入れをしながら、小指への負担を軽くするためには靴の小指が当たっている
ところに切れ目を入れようかと思っていた。

 五本指の靴下の効果なのか小指以外のマメは親指の腹にしかできていない。
五本指の靴下をはかないで歩くわけにはいかないので、足指を楽にするために残された
手段は靴をどうにかするしかない。
そうすると幾らか楽になると思い、明日の朝にでも女将さんからハサミを借りて
靴の手術をすることにした。
 
 明日の神峰寺へは浜吉屋さんに荷物を置いて往復することにした。


平成14年12月29日(阿波から土佐・第9日目)

2005-07-11 08:36:17 | 第2回(阿波から土佐)
12月29日(日曜日)
(第2日・通算第9日目・歩行距離36.5km・歩行歩数52,471歩)

 夕べは、始終ウトウトして寝ていた。
春のGWの時もそうだったが、お遍路中は体のあちらこちらが痛く、熟睡できない。
でも、昨晩は8時頃に寝たので、睡眠不足などいう症状はない。

 6:30分に朝食を頼んでいたので、下の食堂へ行く。
卵焼き定食(450円)を食べる。

この時間ではまだ暗いので、もう少し明るくなるのを待って
6:50分、民宿南風を出発する。
奥さんからポンカンを2個もらう。

 まだ薄暗い中を、今日は室戸岬にある最御崎寺を目指す。
左手には海、右手には山の景色を見ながら歩く。
左手から指してくる日の光に霞むように見える前方の重なった山々の
一番奥が室戸岬なのだろう。

天気予報では今日は晴れとのこと。
しかし、夜明け前の気温は低く、フリースを着て歩いているが、
ぜんぜん、体が温まってこない。
少しずつ空が明るくなってくる。
山際の空が紫色から赤紫、さらに、オレンジ色になり、
少しずつ青味が増してくる。
この時間帯の空の色が好きだ。

やがて、あたりの民家にも日が射してくると幾分暖かくなる。
2キロほど進むと、二またに分かれている道があり、
右に進むと東洋大師と標識があるので、東洋大師へ寄ることにする。
 
東洋大師は小さなお寺だ。石段をあがるとすぐに本堂がある。
般若心経を唱え、納経していただく。

 そのまま、野根の町中の細い道を進んでいく。
時間が早いので、どこの店もまだ開いていない。
時々寒い風が吹き抜ける町中を一人で歩いていく。

野根大橋を渡ると、正面に真新しい地蔵堂が建っている。庚申堂だ。

 国道に出て歩いていくと、左手に野根漁港が見える。
野根漁港前を通り過ぎると、向こうの方から犬がシャンシャンと
小走りで走ってくる。
よく見ると、その後から子犬が5~6匹じゃれながら走ってくる。
親犬は道路の右側を一直線に走ってくるが、子犬たちは道路を横切り
私の方へ向かって走ってくる。
その子犬たちが、私の足にまとわりつく。
なにか食べ物が欲しいと言っているような気がするが、
犬が食べられるようなものは持っていないし、
親犬を探したがもうその辺にはいない。
子犬だけが私にまとわりついている。
歩こうとすると、足元でじゃれている子犬を踏みつけそうになる。
杖で追い払うわけにも行かない。
困ってしまったけれど、摺り足のようにして足を運び、
「食べ物はなにも持っていないからごめんね。」といいながら、
小走りに足を進めやっと子犬たちから脱出する。

 ほっとして後ろを見ると、なんと、子犬たちは私の後から走ってきた
自転車に同じようにまとわりついている。
自転車の人が進めず、自転車から降りて私と同じように子犬を
踏まないように避難している。
かわいい子犬たちだったけれど、この間、親犬は一度も姿を見せなかった。
野根の漁港にでも餌をあさりに行ったのか?

天気が良く、後ろから指す陽の光のおかげで体が温まり、快調に歩いていた。
 野根の町から先16キロほどは宿がない。
佐喜浜町までは自動販売機もないところだと聞いていたので、
500ccのペットボトルを2本もって歩いていた。
気温が上がっているようで、長袖シャツの腕をまくって歩く。

 8:40分、ちょっと疲れたので、淀が磯橋で休む。

 9:00分、法海上人堂に着く。小さなお堂だ。お参りしていく。

 10:50分、佐喜浜町に入る。国道にあるコンビニで弁当を買い昼食とする。
ミニカツ丼(380円)を食べる。まだ温かく美味しかった。
両足の靴下も脱ぎ、指の調子を見るが両足の小指が痛くなってきた。
サビオを張って、痛い小指を少し揉む。

 昼食後、町はずれを歩いていると、目の前に突然白い車が止まった。
なにかと思ったら、髭面の中年の男性が「お接待させてください。」といって
お茶、バナナ、ミカンの入った袋を差し出す。
ありがたくいただく。
 この人も、白衣を着ているので車遍路をしているようだ。
水も食べ物を十分に持っているけれど、断るわけには行かない。
これで小さなザックは荷物で一杯になってしまった。

 目の前に広がる、折り重なる岬を一つずつ一つずつ回って歩いて行く。

 道路の右側に民宿が見える。日の当たる窓一面に布団が干してある。
ロッジ尾崎だった。
気温が上昇しているので布団押しには最適なようだ。

ほどなく、「民宿とくます」に着く。
「とくます」とは漢字で徳増と書く。
思ったより大きな民宿だ。
この辺の民宿は釣り人がたくさん来るのでそれらの人用であるかもしれない。
途中の磯の岩場にはたくさんの釣り人がいた。

 遠くの方に変わった岩が見える。
どうやら夫婦岩のようだ。

 12:10分、夫婦岩を通過する。
ここまで来ると、あと12キロほどなので今日の行程の約3分の2を
歩いたことになる。
あと一息と頑張るが、両足の小指がだんだん痛くなってきた。
特に右足の小指が痛い。

 12:45分、椎名漁港前で一休み。
ここからは暫く国道と平行している町の中の旧道を歩く。
旧道は車の騒音もなく安心して歩ける。
 このあたりで、バナナの木が庭にある家を発見する。
おまけに、バナナが実っている。
15センチほどの実が2房ついている。
これにはたまげた!
 いくら暖かい土地だといってもバナナが露地で実るとは思ってもみなかった。
さすがは、南国土佐と!ビックリしながらしばし見つめた。

 三津市街も同様に旧道を歩く。
三津市内のはずれに近代的な大きなビルが建っている。
海洋深層水を汲み上げる施設のようだ。
付近の景観には似合わないビルがドーンと建っている。

 14:30分、高岡漁港手前のカーブを曲がると青年大師像が目の前に見えてきた。
カーブを曲がるといきなり目に飛び込んでくる。
真っ白な大師像の横顔が見える。厳しい顔だ。

 14:45分、青年大師像に着く。
ちょっとトイレタイムで休憩する。
ここで、車遍路の人からもらったバナナとミカンを食べる。
足の痛みも増してきたので靴下も脱ぎ捨てて素足になる。
ここまで来ると、あと少しで最御崎寺なのでゆっくり休む。
 
15:00分、最御崎寺に向けて歩き出す。
歩き始めてすぐに中年の逆打ち遍路の人に会う。
大きな荷物を背負っているので野宿で歩いているようだ。
挨拶だけして別れる。

 御蔵洞の手前に海難事故で亡くなった人を祀っているお堂がある。
たくさんの地蔵さんが祀られてている。
歩きながらお地蔵さんに向かって手を合わせる。
ふと見ると、門の内側に緑色のテントが張ってある。
歩き遍路の人が張ったものか?
テントに鳥の糞が落ちている。
 
 御蔵洞に着く。
観光客らしい家族連れが数人いる。
中に入るともうすっかり暗くなっている。
数枚写真を撮って、いよいよ最後の登り口である登山口に向かう。

 登山口への坂道を上ると道はいきなり階段となり、
左右に折れ曲がり急な坂をどんどん登って行く。
急に心臓が苦しく歩けなくなる。
あわてて深呼吸をする。
今までは水平移動ばかりしていた体がいきなりの垂直移動で悲鳴を上げている。
数回深呼吸を繰り返して心臓の鼓動が静まるのを待つ。
一度苦しいところをすぎると、後は何とか落ち着いた。
どんどん高度を稼いでいくと、右手にスカイラインへと書かれた標識があり、
ほどなく、最御崎寺の総門が見えた。

 15:30分、最御崎寺総門に着く。


 第24番札所 最御崎寺

 総門で一礼し、境内に入る。
日が傾きかけた境内には数人の参拝客しかいない。
誰が突いたのかゴーンと鐘が鳴る。
本堂と大師堂にお参りをして、納経所へ行く。
納経後も、本堂前のベンチにしばらく座っていた。
まだ時間も早いので、境内から離れがたかったのだ。
ぼんやりとベンチに腰掛け、人影のない境内を眺めていた。
一口飲み物を飲むと、急に寒気がしてきた。
フリースを着て、汗をかいた体が冷えないようにして宿坊に向かう。

 宿坊で名前を言うが予約がないといわれる。
ユースの会員かと言われるが、違うと答えるといつ頃予約したなどと聞かれる。
そのうち、桐沢という予約客がいるといい、どうやら私の名前を桐沢と
聞き違っていたようだ。

 宿代を払い、2階の洋室を使うようにいわれる。
部屋へ行くと、前回泊まった部屋の真向かいのようで、
3人分のベットのある大きな部屋にどうやら一人で泊まるようだ。

風呂は4時過ぎになるといわれたので、洗濯をすることにする。
靴を脱いで素足になりスリッパに履き替えると足がホッとする。
両足の小指と親指の腹にマメができているがそのままにして、
風呂に入ってから治療することにした。

いずれにしても、今日一日はよく歩いた。
 テレビをつけて、ベットの上に横になりぼんやりしていた。

 4時過ぎたので風呂にいってみるとお湯が一杯になっている。
もう入れるかと思い、さっそく入る。
浴室のタイルが暖まっていなので少し肌寒いが、お湯の中にはいると、
ジンジンとお湯の暖かさが冷たい体にしみ込んでくる。
お湯の中で、ふくらはぎや太股をマッサージする。
足の指もゆっくり揉む。

 風呂から上がるとさっそく足の指のマメの水抜きをする。
足にできているマメは、両足の小指が一番ひどく、
そのほかには親指の外側と母子球のところにそれぞれ中位のができている。
ライターの炎で焼いた針先をマメに刺す。
中の水を絞り出す。
そして、サビオを巻く。これで治療は終わりだ。
 
 今回は、五本指の靴下を初めて使用してみた。
薄手の五本指の靴下とその上に厚手の靴下を重ねてはいていたが、
やはり、靴が細身なので小指に負担が集中してしまった。
サビオを巻いた小指のことを考えて、五本指の靴下の小指の部分を切り取り、
いくらかでも負担を軽くすることにした。
 
 夕食の案内放送が入ったので食堂へ行く。
本日の宿泊客は10人。
ご夫婦が一組。
自転車でお遍路をしている男の大学生が2人。
あとは観光客のようだ。
歩いてお遍路をしているのは私一人だ。

自転車遍路の人は、今朝徳島市から来て明日は高知市内へはいるとのこと。

 乾燥機にかけた洗濯物を部屋へ持ってきたが、靴下があまり乾いていない。
風呂場にヘアードライヤーがあったのを思い出し、ちょっと乾かしに行く。


平成14年12月28日(阿波から土佐・第8日目)

2005-07-08 09:57:44 | 第2回(阿波から土佐)
12月28日(土曜日)
(第1日・通算第8日目・歩行距離20.8km・歩行歩数28,375歩)

 7:00分、徳島駅に着く。見慣れた風景に接するとなつかしい気分が湧いてくる。

 ここからは、前回打ち止めにした鯖大師までさらに汽車で行かなければならない。
みどりの窓口で相談すると、この時間からだと剣山4号で行くことになるが、
阿南まで普通列車で行って剣山4号に乗り換えた方が特急料金が5百円ほど安くなる
と言われ、その乗車券を頼んだ。

 11:05分、なつかしい鯖瀬に到着。お遍路らしい若い女性が一人降りる。
鯖瀬の駅で身支度を整え、今晩の宿を頼んでいなかったので、東洋町にある
「民宿南風」に電話する。
 奥さんらしい人が、「泊まる部屋は2階で、風呂やトイレは1階にあるけれど
大丈夫か。」と言われる。
「大丈夫です。」と答え、今晩の宿をお願いする。

 実は、今回のお遍路に当たっての宿は29日の最御崎寺宿坊、
30日の「ビジネスホテルなはり」、31日の「ビジネスホテル弁長」、
1月1日の「高知黒潮ホテル」しか頼んでいない。

 28日については、実際に鯖瀬に着いてから天気と体調を見極めて決めたいと思っていた。
 天気は快晴。雪国から来ると暖かくて気持ちがいい。
昨晩はほとんど寝ていないにもかかわらず体調もいいので、
予定通り東洋町まで足を延ばすことにする。

 鯖瀬の駅から左に曲がり線路下をくぐると懐かしい鯖大師本坊の石柱が見えてくる。
境内はお正月の準備中で、掃除をしたり忙しそうに働いている人が数人いる。
境内には私のほかに2人のお遍路がいる。若い女性と中年の男性だ。

まず、今回のお遍路の無事を祈願して本堂と大師堂にお参りする。
久しぶりに般若心経を唱えるが、人気の少ない境内で唱えるお経は
なかなか気持ちのいいものだ。

 11:30分、納経を済ませ、鯖大師を後にする。

 鯖瀬駅前にある鯖瀬大福でお餅を4個買い、おやつにする。
若い女性のお遍路が歩いている。
その後ろを私も歩いていく。
歩行スピードはほとんど同じなので、間隔が縮まることもなく等間隔が続く。

そのうち彼女のスピードが落ちてきたのか、追いついたので少し話をする。
 彼女は京都から来ており、9月に鯖大師まで歩いたようだ。
杖を持ち、白衣を着ているのにお寺でお参りはしていないとのこと。
なにか、お経を唱えるのは自分の気持ちに合わないと言っている。

人それぞれに、いろいろな考え方があるので、自分の気が向いた方法でお参りしたり
お寺を巡ればいいのではないかと話しながら歩く。

 後ろの方からバイクの音がする。
なんと5~6台のバイクが轟音を響かせながら室戸方面へ向かって走り抜けていく。
ナンバーを見るとほとんど四国以外ナンバーのようだ。
この陽気なら、北海道と違ってまだまだバイクで走り回ることができる。
うらやましくなるが、今回の私には二本の足しかない。
 このあとも、数台のグループや一人だけで走っているバイクが何台も通り過ぎていった。

 いつの間にか海南町の街に入る。
しばらく歩くと道の左側にヘンロ小屋が建っている。
この小屋はどこかで見たような作りをしている。
そうだ、春にお遍路をしたときに見た太龍寺から平等寺に行くとき通った
阿比瀬にあった小屋によく似ている。
あの小屋は歌さんが作ったヘンロ小屋だ。
そうだ、これが一番最初に歌さんが作ったヘンロ小屋なのだ。
結構大きな小屋だ。
道を横切って道路の反対側に渡り写真を一枚撮る。

 13:05分、海部町境の橋のたもとに着く。
大安食堂で昼食を取るつもりだったが、なんと休業中。
やむなく歩いていくと道路の反対側に「ベンツ」という喫茶店を見つける。

店に入るが誰もいない。
そのうちに店の人が来ると思い、トイレを使わしてもらい、
右足の小指が痛くなってきたので、両足の靴下を脱いでくつろいでいた。

 突然、電話が鳴る。すると、年輩のおばさんが店にやってきて私をみて驚く。
この店には車で来る人がほとんどなので、車がこないので隣の自宅で
仕事をしていたらしい。
うどん(400円)を頼んで昼食とする。

 13:40分、お腹もいっぱいになったので、また、歩き出す。
 13:55分、宍喰町堺を通過。

 宍喰町の街を通り、14:55分、宍喰大橋を渡る。

 15:15分、水床トンネルを抜けると、高知県、東洋町の標識がある。
これで、やっと、徳島県を終えたことになる。
ここからは、高知県。
さあ、これからは修行の道場だ。
今日の宿である民宿南風までは、あと5キロほど、もう一頑張りだ。

 15:30分、甲浦(かんのうら)に着く。
ホワイトビーチホテル前のバス停で休憩する。
ちょっと足が痛くなってきたが、日が傾いてきたのでもう一頑張りと
自分に言い聞かせ、歩き出す。
時折強い風が吹き寒くなってくる。

甲浦坂トンネルを越えたので、もう少しで今日の宿だと思い歩いていると、
左側に民宿南風の看板を見つける。

 16:05分、民宿南風に到着する。
 雑貨店のような入口から入り、「ごめんください。」と声をかけると
日焼けした顔の奥さんが現れる。
宿帳を書き、風呂とトイレの場所を聞き、2階の部屋を教えてもらう。

階段を上がり、一番奥の部屋へはいる。
3畳間ほどの和室にもう布団が引いてある。
暖房器具はコタツしかない。
今日の泊まり客は、私一人のようだ。
食事は、1階の食堂で取るようだが、メニューを見て適当に頼むようだ。
足の指を手入れし、コタツに電源を入れ、ちょっとまどろむ。

夕食は焼き肉定食(600円)にする。
ボリュームたっぷりで結構お腹がいっぱいになる。
デザートにポンカンを2個くれる。こんなところでポンカンにお目にかかれるとは
思っても見なかった。
「妻が好きなんですよ。」と話すと、東洋町はポンカンとサーフィンを
キャッチフレーズにしている町とのこと。

壁に、表彰状が張ってある。
よく見ると今年の国体にエキシビジション競技としてサーフィンが行われたようで、
女子の部1位表彰状だ。
娘さんがもらったものだと話してくれる。
 民宿南風の作りも、1階のトイレ周りなどを見るとサーフィンや海水浴客に
便利なようにできている。
お遍路より海水浴客の利用が多いようだ。
この娘さんがポンカン農家に収穫の手伝いに行っているようで、
毎日もらってくるとのこと。そのお裾分けらしい。
甘みはちょっと薄いけど、みずみずしいポンカンだった。