5月4日(土曜日)
鯖大師の護摩供養
護摩供養の案内がある。
護摩堂へ行く。円形の護摩堂の真ん中に護摩壇がある。
薄暗い護摩堂の中で護摩壇の周りを囲むように座る。
住職が席に着く。太鼓の音がドコドコ響き、護摩供養が始まる。
護摩壇から白い煙が柱のように立ち上る。
天井まで煙が上がったときにすう~と消えて行く。
太鼓の音が一段と早くなり、それに伴って読経の声が大きく早くなる。
護摩壇に炎が上がる。どんどん大きくなる。
炎の大きさが1メートル以上になる。
油のようなものを注ぐと一段と炎が大きくなる。
護摩木をどんどん炎の中に投げ込む。油を注ぐ。大きくなる炎。迫力満点だ。
やがてお経が終わり、炎が小さくなると護摩供養の終わりだ。
朝食を取り、出発の準備をする。
鯖大師の本堂と大師堂にお参りをして納経を済ませる。
電車の時間には間があるので、境内をぶらぶらしている。
するとHさんがやってきた。
国道まで二人で歩き、餅屋さんの前で写真を撮ってもらい、
室戸岬を目指すHさんとはここで別れる。
今回は、私のお遍路はここで終わる。
8:44分発の電車で徳島へ向かう。
今晩は徳島市内にある大鶴旅館に泊まることとし、
今日は人形浄瑠璃を見学ることにする。
電車の中から昨日歩いた海岸線の道を見る。
Kさんの姿を捜してみていたが、見つけることは出来なかった。
次はいつこの駅に立てるのか。
大鶴旅館というビジネス旅館はKさんが泊まって「とてもいい宿だ」と
言っていたのを思いだしたからだ。
この宿は、80歳を過ぎたお婆さんと50代の娘さんの二人でやっている。
お婆さんは80歳という年齢が嘘のように若々しい人だ。
数年前に50ccのスクーターで徳島県内の札所を巡った話を聞かせてくれる。
みんなが反対したけれど、このお遍路では途中で命を落としてもいいと思い
巡拝したとのこと。そのバイタリティーには驚かされる。
私が80歳の時に、このようなバイタリティーが残っているのだろうか。
京都・千日回峰行
今回は、お遍路を終えたあと京都へ行って来た。
京都へ行った目的は、比叡山にある無動寺というお寺に行ってみることだ。
今、このお寺で千日回峰行という行に入っているお坊さんがいる。
千日回峰行という行は、比叡山の山の中を歩き、神社仏閣、霊石や霊水など
さまざまな縁起物に対し礼拝をするという行だ。
3年目までは毎年百日ずつ行い、4年目5年目は2百日行う。
5年目は、この2百日の行を終えるとただちに9日間お堂に籠もり、
不眠不臥、食べ物や水もいっさい取らずにお経を唱えるという過酷な行をおこない、
6年目は、京都市内まで行く百日。
7年目は175日歩くという行だ。
この行を終えた者には阿闇梨という称号が与えられる。
無動寺は比叡山から琵琶湖側に少し下った山の中、急な谷にあった。
急斜面にしがみつくように建てられている。
明王堂というお堂の軒下には、回峰行者が穿いていたと思われる草鞋がたくさん
ぶら下げてあった。
明王堂の眼前には、大津の市街と琵琶湖が目の前に広がる。
ここには延暦寺に来る観光客の喧噪も届かず、ひっそりと静まり返っている。
この行の「歩く」ということに惹かれている。
お遍路も言い方を変えれば歩く行みたいなものだ。
歩いて、歩いた先で何を得るのか、それは、その人しだいなのだろう。
私は、今回歩いた中で、その答えはまだ見つかっていない。
鯖大師の護摩供養
護摩供養の案内がある。
護摩堂へ行く。円形の護摩堂の真ん中に護摩壇がある。
薄暗い護摩堂の中で護摩壇の周りを囲むように座る。
住職が席に着く。太鼓の音がドコドコ響き、護摩供養が始まる。
護摩壇から白い煙が柱のように立ち上る。
天井まで煙が上がったときにすう~と消えて行く。
太鼓の音が一段と早くなり、それに伴って読経の声が大きく早くなる。
護摩壇に炎が上がる。どんどん大きくなる。
炎の大きさが1メートル以上になる。
油のようなものを注ぐと一段と炎が大きくなる。
護摩木をどんどん炎の中に投げ込む。油を注ぐ。大きくなる炎。迫力満点だ。
やがてお経が終わり、炎が小さくなると護摩供養の終わりだ。
朝食を取り、出発の準備をする。
鯖大師の本堂と大師堂にお参りをして納経を済ませる。
電車の時間には間があるので、境内をぶらぶらしている。
するとHさんがやってきた。
国道まで二人で歩き、餅屋さんの前で写真を撮ってもらい、
室戸岬を目指すHさんとはここで別れる。
今回は、私のお遍路はここで終わる。
8:44分発の電車で徳島へ向かう。
今晩は徳島市内にある大鶴旅館に泊まることとし、
今日は人形浄瑠璃を見学ることにする。
電車の中から昨日歩いた海岸線の道を見る。
Kさんの姿を捜してみていたが、見つけることは出来なかった。
次はいつこの駅に立てるのか。
大鶴旅館というビジネス旅館はKさんが泊まって「とてもいい宿だ」と
言っていたのを思いだしたからだ。
この宿は、80歳を過ぎたお婆さんと50代の娘さんの二人でやっている。
お婆さんは80歳という年齢が嘘のように若々しい人だ。
数年前に50ccのスクーターで徳島県内の札所を巡った話を聞かせてくれる。
みんなが反対したけれど、このお遍路では途中で命を落としてもいいと思い
巡拝したとのこと。そのバイタリティーには驚かされる。
私が80歳の時に、このようなバイタリティーが残っているのだろうか。
京都・千日回峰行
今回は、お遍路を終えたあと京都へ行って来た。
京都へ行った目的は、比叡山にある無動寺というお寺に行ってみることだ。
今、このお寺で千日回峰行という行に入っているお坊さんがいる。
千日回峰行という行は、比叡山の山の中を歩き、神社仏閣、霊石や霊水など
さまざまな縁起物に対し礼拝をするという行だ。
3年目までは毎年百日ずつ行い、4年目5年目は2百日行う。
5年目は、この2百日の行を終えるとただちに9日間お堂に籠もり、
不眠不臥、食べ物や水もいっさい取らずにお経を唱えるという過酷な行をおこない、
6年目は、京都市内まで行く百日。
7年目は175日歩くという行だ。
この行を終えた者には阿闇梨という称号が与えられる。
無動寺は比叡山から琵琶湖側に少し下った山の中、急な谷にあった。
急斜面にしがみつくように建てられている。
明王堂というお堂の軒下には、回峰行者が穿いていたと思われる草鞋がたくさん
ぶら下げてあった。
明王堂の眼前には、大津の市街と琵琶湖が目の前に広がる。
ここには延暦寺に来る観光客の喧噪も届かず、ひっそりと静まり返っている。
この行の「歩く」ということに惹かれている。
お遍路も言い方を変えれば歩く行みたいなものだ。
歩いて、歩いた先で何を得るのか、それは、その人しだいなのだろう。
私は、今回歩いた中で、その答えはまだ見つかっていない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます