四国遍路テクテク日記

「四国を歩いて遍路する。」にこだわって平成14年のGWから2年間、5回に分けて歩いた記録を中心に遍路に関するあれこれ。

平成14年12月30日(阿波から土佐・第10日目)

2005-07-12 09:09:55 | 第2回(阿波から土佐)
12月30日(月曜日)
 (第3日・通算第10日目・歩行距離37.3km・歩行歩数55,583歩)

 6:30分、朝食の案内放送がある。

 朝食後、もう一度本堂へ行き、お参りして総門から出ようとしたが、
どちらの方へ行けばいいのか分からなくなってしまった。

 7:00分、YHの玄関に戻りそこから出る。
津照寺までは6.8kmとちょっと距離がある。
 すぐに、スカイラインに出たので左に曲がり舗装道路を下っていくと、
山門への入口がある。
どうやら、総門を出て右に曲がって来ると、この入り口に出るようだ。

 前回は、バイクでYHの玄関から出入りをしていたので、
YHとお寺の配置関係がよく分からなかった。

 道路は急な下り坂でしかも左右に折れ曲がっている。
 ほとんど車が通らない道路なので車道いっぱいを使ってジグザグに歩きながら
どんどん下っていく。
足の指の調子もいい。昨日の治療が功を奏しているようだ。

 しばらく下ると、見晴らしがよくなり右手にこれから歩いていく
室戸市内方面が見えている。
最御崎寺のある後ろの方が明るくなり太陽が顔を出したようだ。

 自転車を押しながら若い男性が坂道を登ってくる。
どうやら、自転車遍路のようだ。挨拶をしてどんどん下る。
 30分くらいで国道まで降りる。
ここから右に曲がり旧道を歩く。

坂本、津呂の市街を抜ける頃には後ろの方から陽が射してきて、やっと暖かくなる。
しばらく海沿いを歩くと、国道から室津の港への分かれ道につく。
左側の道を少し歩くと左側に港が見えてくる。
ほどなく津照寺への入口につく。

 8:30分、津照寺の山門に着く。
 

 第25番札所 津照寺

 津照寺の本堂は急な階段を登った一番上にある。
ちょっと足が痛くなってきているので、ステンレス製の手摺りにつかまって
登ろうとしたが、その手摺りが冷たくて思わず手を離してしまった。

 急な階段を登り本堂の境内に着く。
後ろを振り返ると目の下には室津港が見えおり、その先には太平洋が広がっている。
お参りしている人は、車遍路のご夫婦一組だ。
奥さんはお経を唱えているがご主人はその横で手持ちぶさたにブラブラしている。

 急な階段を下り、大師堂でお参りをして納経をして貰おうとすると、
先ほどの奥さんが「私たちは沢山あるので先にどうぞ!」と順番を譲ってくれたが、
納経所にはこの夫婦と私しかいないので順番通り先にして貰う。
数冊の納経帳と掛け軸と白衣に納経をして貰っている。

納経をしている老人が奥さんに「この納経帳は一番で購入したのだろう。」、
「そうです。」と奥さんが答えると、「一番にお礼参りをするように書いてあるが、
そのようなことは必要がない。」と話し、
私の納経帳を開き、「この人の納経帳にはそのようなことは書いてないだろう。」という。
「一番札所は金儲けのためにこのような納経帳を売っている。」などと
ブツブツ言っている。
なにも知らずに一番札所の売店でお遍路グッズを整える人に対してこんな話を
聞かされても気分が悪くなるだけではないか。
 もし、お礼参りが必要のないものならば、お寺さん同士で話し合っておけば
いいだけでないか。
お参りに来ている人に対していうことではないと思う。
納経所でこんな話を聞かされるとは思っていなかったので、ちょっと気分が悪くなった。
 
8:50分、津照寺に別れを告げて富津の町を歩いていく。
 次の金剛頂寺までは4kmと近い。
 まっすぐ進んでいると川に突き当たる。
すぐ右手に橋が見えるので渡ろうとすると、その橋のたもとでいろいろな餅を売っている。
あん餅を2個買う。

 市街から国道に出て金剛頂寺を目指す。

 本橋から道は右に曲がり、前方の山へと続いている。
車道が右に曲がるが、直進する方向に細い道が延びている。
歩き遍路は直進するようにヘンロ標識がある。
標識に従って登っていくと道は登山道となる。
それほど急な登りでもないのでどんどん登っていくと、やがて車道に出た。
すると、そこが金剛頂寺へ続く厄坂の階段の前だった。

 9:45分、金剛頂寺に着く。


 第26番札所 金剛頂寺

 厄坂の急な階段を登ると正面に本堂が見える。
太陽の光を浴びて本堂の扉や屋根瓦がキラキラと光っている。
境内には、ほうきを持って、玉砂利を掃いたり、庭の手入れをしている
お婆さん達が数人いる。
指図をしている品のいいお婆さんがどうやら住職の奥さんらしい。

 まだ幼稚園に行っているような子供が二人飛び回っている。
 陽の射す暖かい本堂でお参りをして、今度は日陰で寒い大師堂でお経を唱える。
納経所へ行くと、その辺で仕事をしていた作務衣姿の人が納経してくれる。

 納経所の前にあるベンチで靴を脱ぎ足を休める。
そろそろ、両足の小指が痛くなってきた。
特に右足の小指が痛い。 

 納経所でここから先の道を教えて貰う。
宿坊の前をまっすぐに歩いていくと昔の遍路道だと教えられる。 
足のことを考えると登山道は歩きたくないので車道を行く方を聞くと
1kmほど遠回りになるといわれ、遍路道を行くことにする。

 10:15分、今日の宿がある奈半利を目指して出発する。

 細く狭い農道をクネクネと曲がりながら歩くと、道は急な下りの登山道となる。
杖をついて右足をかばいながら下る。
石ころに足を取られないように気を付けながら下る。
目の前に民家の屋根が見えてきた。
やっと登山道を下り終えたようだ。

 10:40分、平尾に出る。ここからは海岸沿いに吉良川の町を目指して歩く。

 吉良川の街に入る。道が狭いのにかなりの交通量がある。
吉良川町並み保存群という標識があり、国道の右側に旧道があるようだ。
そちらを歩くことにした。
このあたりは、瓦屋根に漆喰壁の昔の建物が多く、それを保存しているようだ。
狭い道の旧道は車が2台すれ違うのでさえ窮屈そうだ。

 11:25分、町並みを抜け、吉良川大橋を渡る。
しばらく歩くとまた国道と合流する。
 
 11:50分、吉良川漁港前で休憩する。奈半利へ12キロという標識がある。
天気は良いが風が冷たくなってきたので、大きな事務所の陰で休む。
ここで、今晩の宿をどうするか考えた。
 今晩の宿は、奈半利にある「ビジネスホテルなはり」に取ってあるが、
できることなら神峰寺の麓にある浜吉屋まで行きたいと考えていた。
浜吉屋まで行くとすると今日の予定より7キロほど遠くなる。
 まずは浜吉屋さんで泊めてもらえるか電話すると「いいです。」と言われた。
これで気持ちは決まった。
女将さんに「お願いします。」といい、宿に着くのは5時近くになる旨を伝える。
そして、ビジネスホテルなはりに電話して今晩の予約を取り消した。

 痛い足を引きずりながら7キロを歩くのは容易ではないが、
できることなら浜吉屋さんに泊まってみたかった。
いろんな人が浜吉屋にお世話になっているので私も泊まってみたかったのだ。
 
12:50分、羽根の市街に入って食堂を探しながら歩いていると
「うどん十兵衛」という店がある。
さっそく入るが結構込んでいる。
あいていたイス席に座り十兵衛うどん(500円)を頼む。
いすに座ると、ちょっと失礼して靴と靴下を脱いで足を休める。

 ここから先のコースについてちょっと悩んでいた。
「中山越え」という昔の道があるがちょっとした山越えになる。
国道は海岸線を通っている。
足への負担を考え、海岸線を行くことにする。
 十兵衛でお腹を満たし、足も休めたので浜吉屋さんを目指して歩く。

足が痛くなって疲れてくると、道路の左側にある里程標が気になってくる。
100メートルごとに1~9までの数字がガードレールなどに付けられ、
1キロごとに高知までのキロ数がかかれている標識が立っている。
この数字が少なくなっていくのだけれども、疲れていると全然進んでいないような
気がして、見るたびにため息が出てくる。

 岬を一つ回って、しばらく行くと、13:55分、やっと室戸市と奈半利町堺に着いた。
この辺で中山越えの道と合流するはずだが、気を付けてみていたがわからなかった。
左手に広がる海のずーと先の方に市街地らしい建物が見えている。
港らしいところには大きなクレーンなども見えている。
そこが奈半利の市街のようだが、しかし、そこまではまだまだ相当の距離がある。
 
 左手は海、右手は山という国道をかなり疲れて歩いていたが、
町堺から何とか1時間頑張って歩き、14:55分、バス停があったのでちょっと休憩する。

 もう少しで奈半利の街に入るはずだと思っていた。
それは国道の両側に建物が少しずつ増えてきたからだ。

 道路が少し上り坂になってきた。その坂をあがると目の前に町並が広がっている。
やっと奈半利の町に着いた。

 少し歩くと右側に今日泊まるはずだった「ビジネスホテルなはり」が見えてきた。
大きなホテルで、なんと、露天風呂もあるようだ。
ここまで来れば、あと1時間と思い、市街地を一生懸命歩く。

 奈半利川橋を渡り少し行くと、左側に二十三烈士の墓という看板がある。
武地(半平太)瑞山と一緒に殉職した土佐藩の藩士の墓だ。
 国道は、かなりの交通量があるが、歩道がしっかりしているので
地図を見ながら歩いている。しかし、さっぱり進まない。

 やっと、安田大橋を渡る。
奈半利の町に入ってからもう一時間以上歩いている。
車の騒音をさけるために、安田川の橋を渡ってから旧道を歩く。
車がほとんど走っていない。
空はお日様が傾き、薄暗くなってきている。

右手に瓦屋根に漆喰できれいな格子模様の壁に造られた民家がある。
壁に漆喰で鶴や竹の絵が描かれている。
夕日に少し赤く染まった漆喰の絵に思わず見とれてしまった。

 もう少しだと思い、安田町の町を歩いていると、市街のはずれにやってきた。
交差点にある標識では右に行けば神峰寺とある。
この辺に浜吉屋さんがあるはずなのだが、しかし、どこにあるのかが分からない。
どこかで聞こうとしたが、歩いている人がいない。
左側に国道が走っており、なにか看板らしいものが見える。
その看板を見に行くと、浜吉屋の看板だった。
交差点を、左に曲がるとすぐらしい。
交差点に戻り、まっすぐに行くと100メートルぐらいで浜吉屋さんだった。

 16:55分、やっと浜吉屋さんについた。もう陽が暮れかかっている。
 奈半利市街に入ってから浜吉屋さんまでの7キロほどは、
足も痛くなってきて本当にきつかった。
 
 玄関で声をかけるとお婆さんが出てきた。
浜吉屋さんの女将さんらしい。
風呂が沸いているのですぐ入るようにいわれる。
部屋は二階の奥だといわれ案内される。
部屋は八畳ほどの和室で、ファンヒーターが置いてある。
今日のお客さんは二人らしい。

 風呂から上がって一息ついていると夕食ですといわれ、一階にある広間に行く。
広間には石油ストーブがガンガン燃えており暖かい。
丹前姿の若い女性がすでにお膳の前に座り夕食を取っている。
挨拶してから、話を聞くと、今日は金剛頂寺の麓にある「民宿うらしま」から
ここまで来たという。

羽根からは中山越えを歩いたとのこと。
どちら来たのか聞かれたので、最御崎寺からというとびっくりされた。
 
彼女(翌朝、納札を交換したので、神戸市のMさんということが分かった。)は、
神戸市なので2~3日くらいで区切って今年の春から歩いていると話してくれる。
 私も今年の春のGWから歩き出したと話すと、喜寿のおじいさんを知らないかといわれ、
11番藤井寺の前にある民宿ふじやで一緒だったと話すと、彼女は喜寿のおじいさんとは
その前日同じところに泊っており、私が民宿ふじやに泊った日には焼山寺まで行って
泊ったとのこと。
 喜寿のおじいさんは、井戸寺で、一旦、家に帰ったことを話す。

 たまたま共通の話題があったので話が盛り上がった。
おまけに今回のスタートも同じ日で、しかも剣山四号に乗っており、
彼女は東洋大師からスタートしたとのこと。
鯖大師にいた京都の女性とも電車の中で一緒だったようだ。
彼女は、今回は明後日竹林寺まで行って区切るようだ。
 明日は野市にある高知黒潮ホテルに泊まり、明後日は大日寺から竹林寺までを打ち、
神戸に帰るとのこと。
明日は30キロほど歩かなければいけないのが心配らしい。
あなたは?と聞かれたので、今回は岩本寺まで行く予定だと話す。
たった二人しか泊まっていない宿で、しかも見知らぬ女性と打ち解けた話が出きるのも
お遍路だからこそか?

 娘と大阪のHさんにケイタイからメールを打ち、今日の状況を報告する。
 足の手入れをしながら、小指への負担を軽くするためには靴の小指が当たっている
ところに切れ目を入れようかと思っていた。

 五本指の靴下の効果なのか小指以外のマメは親指の腹にしかできていない。
五本指の靴下をはかないで歩くわけにはいかないので、足指を楽にするために残された
手段は靴をどうにかするしかない。
そうすると幾らか楽になると思い、明日の朝にでも女将さんからハサミを借りて
靴の手術をすることにした。
 
 明日の神峰寺へは浜吉屋さんに荷物を置いて往復することにした。