四国遍路テクテク日記

「四国を歩いて遍路する。」にこだわって平成14年のGWから2年間、5回に分けて歩いた記録を中心に遍路に関するあれこれ。

平成14年12月31日(阿波から土佐・第11日目)

2005-07-13 09:35:58 | 第2回(阿波から土佐)
12月31日(火曜日)
(第4日・通算第11日目・歩行距離29.0km・歩行歩数44.340歩)

 6:00分、まだ暗い中、目を覚まし、ファアンヒーターに点火し、
しばらく布団の中で部屋の暖まるのを待っていた。
 ほどなく、「朝食の準備ができました。」と女将さんから声がかかる。
あわてて服を着て、布団をたたむ。

1階の広間に行くと彼女の姿はなく、すでに朝食を終えたようだ。

 朝食を終えてテレビの天気予報を見ていると、台所の方で彼女の声がする。
宿代を払っているようだ。
 私も一緒に払ってしまおうとして女将さんのところへ行く。
ここで女将さんと10分くらい話をした。

 **女将さんの話**
   私は、今、78歳になる。75歳まではこの仕事もそれほど苦にはならなかったの
  だけれども、最近は朝起きなどが辛くなってきた。
  お遍路さんのことを考えるとこの宿は閉めたくはないがいつまで頑張れるかと
  思っている。
毎年、お正月は休んで、兄弟の車で徳島の札所をお参りして高野山へ行ってい
  るが、今年の高野山は雪が多いので、夏タイヤでは無理だといわれた。
  それで今年は小松の方へお参りに行くことにしているが、そちらには、あまり
  行ったことがないので、宿が休んでいたりして、どうなるか心配している。
   お礼参りはいつも峰寺さんへお参りしている。
   年明けからは、工事の人たちが10人ほど宿泊することになっているので、
  それまでのお遍路だ。

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 女将さんから台所の流しにあった花切りばさみを借りて靴の手術に取りかかる。
右足の靴の小指が当たるところに切れ目を入れる。
履いてみると調子は良さそうだ。
 
玄関で彼女と納札を交わし、7:00分、私は神峰寺へ、
彼女は野市にある高知黒潮ホテルを目指し歩き出す。

 荷物は浜吉屋さんの玄関に置いて、手に持っているのは杖と納経帳だけだ。
ビニールハウスが建っている畑の中の農道を前方に見える神峰寺を目指して歩く。
浜吉屋さんから神峰寺までは約4キロの道のりだ。

 平坦な車道が、いきなり急坂になりつづら折の道となる。
「土佐のまったて」の始まりか。
 つづら折りの急坂をどんどん登っていくと、車道の横にヘンロ標識があり
歩き用の遍路道がある。
登山道のような遍路道を登っていくと何回も車道を横切る。
 荷物を背負っていないので快調なピッチで登っていく。

 ほどなく、駐車場に着き、8:00分、神峰寺の山門に着く。


 第27番札所 神峰寺

 神峰寺の境内は、冷たい風が吹き抜け、陽が当たっていないのですごく寒い。
せっかくのお庭を見る余裕もない。
境内には歩きお遍路らしい人が一人いるだけだ。
 冷たい風に追いまくられるようにして本堂と大師堂にお参りする。
納経所に戻り、神峰の水を飲むが、やはり、ぬるい水だ。
北海道の湧き水のように喉が痺れるような冷たさはない。

 8:30分、神峰寺をあとにする。
 
 「土佐のまったて」を下っている途中で、やっと山陰から顔を出した朝日が当たる。
車道をどんどん下っていると、農家から出てきたお婆さんが私の前を歩く。
少し腰が曲がった小柄なお婆さんが杖をついて歩いているが、早くて追いつかない。
坂道をどんどん下っていく。

 お婆さんは、坂道の下に来ると、置いてある自転車にヒョイと乗って漕いでいく。
そして、ちょうど歩いてくる中年のご夫婦に「その辺りで荷物を預かってもらって
登ると良いよ。」と声をかけていく。

 9:20分、浜吉屋さんに戻る。
 女将さんからお茶を一杯ごちそうになる。
荷物を整理し、お礼を言って、浜吉屋さんをあとにする。

 住宅地の中を歩いていくと塀の隙間に黄色の数珠袋が挟んである。
誰かが落としたものらしい。こんな場所に数珠を落とす人は歩き遍路しかいないと
思うが、はたして、取りにこれるのか。

 10:40分、安芸市の町堺を通過する。
ここから今日の宿泊先である「ビジネスホテル弁長」までは9キロほどしかない。

 天気は快晴。後ろからお日様が当たり体が温まってくる。
国道は交通量が多く、歩道は狭く排水溝のふたの上を歩くので歩きにくいが、
快調に距離を稼いでいく。

 靴を手術した効果も徐々に現れており、右足の小指も昨日よりは楽だ。

 道の右側の歩道を歩いていると反対側にミカンやポンカンを売っている店がある。
妻へのお土産としてポンカンを送ることにした。
道路を渡ろうとするが、次々と車が走って来るのでなかなか渡れない。
やっとの思いで渡り、店のおじさんにいろいろ聞いて一箱2,500円のポンカンを
送ることにした。

 また、道路を渡り右側にもどろうとするが交通量が多いためなかなか渡れない。
左側には歩道がないためどうしても右側に行かなければならない。
左右を見定めて、走るようにして右側に渡る。

 10:55分、自販機が数台置いてあるところがあったので一休みする。
道路の反対側にはガソリンスタンドがあり、その右側には「椰子の実は残った」
というレストランがある。
レストランは休みのようだが、ガソリンスタンドの人は忙しく働いている。
 
 しばらく歩くと、市街地に入ってきたようで道路の両側にいろいろなお店が建っている。
伊尾木橋を渡り、安芸川橋を渡るともう安芸市内のようだ。

 スーパーの駐車場に警備員の人がいる。「ビジネスホテル弁長」を知らないか尋ねると、
すぐ近くにある大きなビルを指さし、そこの前にあったような気がすると教えてくれる。 
その大きなビルを目指して歩いていくと、そのビルの前に弁長さんの看板を見つける。

信号で道路の反対側へ渡り、11:50分、「ビジネスホテル弁長」に着いた。
 
 2階にあるフロントへ行く。
今晩の宿についたが、まだお昼だ。
弁長さんのレストランで五目麺(700円)を食べ、ここから先を少し歩いておくことにした。 
弁長さんの人に、ここから「ごめん・なはり線」の駅の場所を教えて貰い、
11キロほど先の西分まで歩いておくことにした。
 不要な荷物をホテルに置いて身軽になり、西分めざし歩く。
帰りは、ごめん・なはり線の汽車で戻って来るつもりだ。
 
 12:20分、「ビジネスホテル弁長」から安芸市内を西分目指して歩く。
 
 安芸市内の国道を歩いていくと右手に球場が見える。
阪神が春のキャンプを張る安芸球場のようだ。なんと、球場前という駅がある。

 国虎屋を過ぎて、穴内に入ったところで、左の海側にサイクリングロードがあるので
そちらを歩くことにする。
サイクリングロードは、ここから先ずーとつづいている。
車の騒音から逃れられたので、静かな道を一人でどんど歩く。
松林の中を歩いたり、海を眺めながら歩くので結構気持ちがいい。

 13:40分、極楽寺を過ぎて、「たこ丸」のあたりで休んでいると、
通りかかりの中学生が挨拶をしてくれる。

しばらく歩くと、海側の堤防の切れ目で休んでいるお遍路に出会う。
口ひげを蓄えているがまだ若い人だ。
荷物からすると野宿遍路のようだ。
挨拶だけして、先へと歩く。

 サイクリングロードの左側には堤防が作られており、
その堤防がずーと先まで続いている。
堤防の上に上がって歩くと海が見えて気持ちがいいが、時折冷たい風が吹くので、
サイクリングロードに降りて歩く。
 
 途中で海のプールと書かれた大きな施設などもあり、
このあたりは海水浴場になっているようだ。

 海岸でテントを張りバーベキューの準備をしている親子がいる。
今晩は大晦日。
キャンプをして新年の初日を拝もうというのか?
それにしても、大晦日にキャンプできる土地だということが羨ましい。
この時期にこんなにのんびりした気持ちでキャンプができるなんて、
北海道では絶対に無理だ。

 14:50分、西分駅に着く。これで約11キロほど進んだことになる。
サイクリングロードのすぐ右側が駅なので、明日歩き出すのもちょうど良い。
次の奈半利行き列車の時刻を見ると15:26分がある。
少し寒くなってきたが人気のないホームのベンチで靴を脱ぎ、すっかりくつろいでしまった。

 弁長さんに戻ると、夕食は5時までなら用意するといういわれる。
部屋に戻り、1階にあるコインランドリーで洗濯機を回し、
ハンバーグ定食(980円)を注文する。  
明日は早いので、ここで夕食代と部屋代を精算しておく。

近くのスーパーへ行き、明日の朝食を買い込み、これで、明日の準備も万全だ。

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 年末年始の宿が取れるか心配していたが、ここまでは順調に泊まれている。
足の方も痛いところはあるけれど、まあまあ順調といえるほうか。
これから先の年始の宿は全く取っていないので、これからどうなるかが問題だ。
でも、高知市内を目指しているので、市内にはお正月でも泊めてくれる宿はあると思い
あまり心配せずにその日、その日で決めればいいとのんびり構えていた。