四国遍路テクテク日記

「四国を歩いて遍路する。」にこだわって平成14年のGWから2年間、5回に分けて歩いた記録を中心に遍路に関するあれこれ。

四度目の遍路を終えて

2005-08-25 08:44:37 | 第4回(伊予から讃岐)
 高松で1泊して、翌日の朝、高速バスで大阪へ向かう。

 午後1時半を少し回った時間に関空に着く。
搭乗口にある搭乗手続用の端末機にチケットを入れるが、
画面に取扱いできないと表示され、チケットが端末機から出てきてしまう。
まだ出発までの時間があるせいかと思いベンチに座り電光表示板を見ていた。
札幌への出発便に15:00発の表示がない。
おかしいなあ~と思ってチケットをよく見ると、何と伊丹と書かれてる。
どうやら空港を間違えてしまったようだ。

 あわてて電車の乗り場へ向かい大阪方面への電車を探すと13:50分なんば行き
南海電車の急行があると言われそれに飛び乗った。
なんばでタクシーを拾い伊丹に向かう。
まだお正月休みで高速道路は空いているが伊丹に着いたのは3時を10分ほど
回っていた。

 搭乗予定の便はすでに離陸した後なのでチケットカウンターに行って
乗り遅れたことを話し、次の便に乗れないか交渉する。

 私の持っているチケットは、本来、予約変更が出来ないチケットなのだが
カウンターにいる女性がチラッと時計を見てから「本日限りの便なら
変更します。」という。

しかし、16:00の便は満席だという。
19:00関空発千歳行きの便には空席があるといわれたので、
取りあえず16:00の便でキャンセル待ちをして、それがダメなら
また関空に戻るしかないと思い、キャンセル待ちの手続きをお願いする。

 キャンセル2番のチケットを持って荷物検査を終え、搭乗口のカウンターで
待機する。
 妻に電話すると「あんたは肝心なところでポカッとミスをすることがある。」
と呆れられる。

 妻が怒るのも無理はない。
以前、高野山へ来たときの帰りに、伊丹からの出発時間を1時間ほど
間違えて飛行機に乗り遅れそうになり、頼んでいたお好み焼きが
食べられなかったことがある。
このことを思い出したようだ。

幸いにもキャンセル待ちで16:00発の便に乗れる。
機内は満席でギュウギュウ詰めの状態だが、この便に乗れるということは、
結果的に見ると千歳到着が1時間遅れるだけの話だ。
何のことはない。(こう考えるのは私だけのようだ。)

 機内で、今回のお遍路のことを考えた。
あれほど覚えられなかった般若心経が、ようやく暗記できたようだ
ということに、お遍路として体の中に何かが染み込んできたような気がした。

 バイク遍路を入れると2巡目になっている。
この間唱えた般若心経は、88×2カ所(本堂及び大師堂)×2巡目=352回、
別格や番外のお寺にもお参りしているので、これらを入れるとほぼ4百回ほどは
唱えているはずだ。
これだけ唱えなければ276文字の般若心経を暗記することが出来ないとは
情けない話だが、これが現実なので仕方がない。しかし、
暗記が出来ても意味が分からない。
今度来るまでには般若心経の差し示す言葉の意味を勉強しようと思う。

 1年半ほど前から歩き遍路を始めるのと呼応するかのように身近な人達が
随分亡くなっている。
 義兄、妻の従兄弟、同僚など私がお世話になった人達の供養をするために
お遍路に出ているような気がするくらいだ。
それが私の勤めだというなら一生懸命に勤めさせてもらうだけだ。
生きているものの勤めとして!

 「砂の器」というテレビドラマが人気になっている。
主人公をSMAPの中井正広が演じているということだが、「砂の器」は
松本清張さんの原作で30年ほど前に映画になっていたものだ。

 「砂の器」と聞いて思い出した。
映画の中に主人公が子供の時に父親と故郷の石川県から出雲で保護されるまで
遍路姿で旅をしている場面だ。
特に、海岸の波打ち際を二人で歩いている姿が脳裏に焼き付いている。
私にとって、この場面が「お遍路」を意識させられた一番最初の出会いだ。
きれいな映像の中から映像とはかけ離れた悲惨さが強烈に訴えてくる。

 ボロボロになった白装束、菅笠に杖、歩いている場所は四国ではないが、
私にとってはお遍路として受け止めていた。

 主人公の父親役を今は亡くなった加藤嘉さんがやっていた。
台詞のない場面、美しいが厳しい風景とその風景の中を一生懸命に生きようとして
歩いている親子の悲惨さを浮き彫りにしており、これらが重なり合って
見るものの胸を締め付ける。

 これが私にとって「お遍路」を意識させられた原風景なのだ。
お遍路に一歩を踏み出させたものが、ここにあったことを思い出した。

平成16年1月4日(伊豫から讃岐・第35日目)

2005-08-24 08:58:08 | 第4回(伊予から讃岐)
1月4日(日曜日)
 (第9日目・通算第35日目・歩行距離 24.6km・歩行歩数48,694歩)

 6:00起床、目覚めは悪くない。
今日半日で今回のお遍路は終わる。
忘れ物をしないように注意して荷造りをしていると、朝食を届けてくれる。
 朝食を食べると終えると何もすることがないので、出発することにする。
 
 6:50分、民宿あずさを出発する。
外は薄明るくなってきており、今日も天気がいいようだ。

 国分寺の方へ少し戻って、ラブホテルのある交差点を右に曲がり、
五色台を目指す。

 住宅地を抜けると、遍路道は登山道になる。
九十九折りの登山道を一気に駈け登る。

 途中で後ろを振り返ると、朝靄の中に国分寺の街が眠っている。
上に行くにしたがって、だんだん陽が当たって暖かくなる。

 少し汗を掻いてきたので、雨具を脱ぐ。

 7:50分、五色台の上に出る。
ここからは左に曲がり車道を進むことにする。
20分ほど進むと、自衛隊の敷地があり、ここから右手の山道に入る。

 山道は薄暗く、下っているが、所々にある岩が濡れていて滑るので
足を取られないように注意して歩く。
ほどなく、舗装された道に出る。白峰寺が見えてきた。


第81番札所 白峰寺

 9:55分、白峰寺に着く。
境内にはいるが参拝客は数人しかいない。
お寺の人が境内を掃除している。
挨拶しながら本堂への階段を上がっていく。
汗をかいた体にお寺の冷気が気持ちよくしみ込んでくる。

大師堂のお参りも済ませてから納経所へ行く。

 納経所で、宿坊をやっているか聞くと、「最近は近くにある簡易保健センターを
紹介して泊まってもらう」という。
Mさんも簡易保健センターに泊まったのか?

 8:50分、白峰寺を出て根来寺へ向かう。
ここから根来寺までは細い山道を歩く。
ちょうど五色台の端から端まで歩くことになる。
山道には町石仏が残っており、その番号を数えながら歩いていく。

 途中で、3人連れのハイカーらしい人達を追い抜いて、快調に歩いていく。
谷に降りたり、また登ったりしているとちょっと広くなった場所があり
大きなお地蔵さんが祀られている。
これが十九丁地蔵だ。

 ここは、国分寺へ行く分岐点にもなっている。

 十九丁からは30分ほどで根来寺に着く。


第82番札所 根来寺

 9:55分、根来寺の山門に着く。
左手の林の中には牛鬼の像がある。
山門から階段を下り、再度階段を上がり本堂へ続く回廊へ入る。
この回廊の中には小さな仏像がたくさん納められている。
20センチほどの小さな仏像が回廊を埋め尽くしている。
ものすごい数だ。
その仏像が九州とか四国とか地方別に納められている。
全て寄進されたものだ。
この回廊を左手から回ると、本尊が納められているところがあり、
参道から歩いてくるとちょうど正面になる場所だ。

 大師堂は、本堂から一段下がったところにあり、参道を挟んだ反対側に
納経所がある。

 根来寺は紅葉の名所で、秋には紅葉狩りに来る人で溢れている。
山門から下ったところに植えられている紅葉が一番美しい。
大師堂や本堂から見ると紅葉の枝を上の方から見下ろすことになり、
色鮮やかさが一段ときれいに見える。

納経を終えると、横にあるベンチで休むことにした。
今日は風もなく天気もいいのでお日様に当たるとポカポカして気持ちがいい。
ベンチはちょうどお日様が当たるので、汗をかいた体が暖まりシャツが
乾いてくる。

 10:25分、のんびり休んだところで一宮寺を目指して五色台を下る。

 五色台の九十九折りの広い車道を下っていると、目の下、左の方から瀬戸内海
に高松市内から屋久島方面が見渡せる。
眼下には鬼無町の街が広がる。

 この道をドンドン下っていくと南側の斜面一面にミカンが植えられ、
その実が黄色く光っている。
降り注ぐ太陽を受け実だけではなく緑色の葉っぱ実までキラキラと
光り輝いている。きれいだ!!

 ドンドン下っていると、膝が痛くなってくる。
広い車道から別れ、鬼無へ続く細い農道を下っていくと見覚えのあるミカン畑に
出る。
この畑で農作業をしていたお婆さんからミカンを頂いたことがある。
でも、この畑にあるミカンの木には実が一個もない。
すでに収穫されている。

 11:30分、下り坂の道を歩いていたので膝が痛くなってきた。
一休みする。

 高松西高校の下にある溜池のところだが、溜池はすっかり枯れて
茶色の地肌を無惨にさらしている。
正面から浴びる日差しが強い。
暑いのでフリースも脱いでしまった。
おまけにシャツの腕をまくってしまう。
肌に当たる風が暖かく、いい気持ちで太陽を浴びる。
日光浴には最高の天気だ!

 ここからは盆栽通りと書かれた道を下る。
道の両側には盆栽の鉢植えやいろいろな木を養生している畑がある。
○○植木店などと書かれた看板があちらこちらにある。

 坂道を一番下ったところに国道との交差点がある。
この交差点を渡ろうとしていると、横に停車している原チャリのお婆さんが
声を掛けてくる。
「コーヒーでも飲んで!」といって3百円をお接待してくれる。
お礼を言うと、「気持ちだけね!」といって原チャリで走り去る。

 ここからは鬼無の住宅地の中に続く細い道を歩く。

 香東川の堤防に上がると川の中に道が続いている。
川幅は広いのだが、水が流れている幅は、ほんの10メートルもないくらいだ。
その川にコンクリート製の小さな橋が架かっているが、潜水橋になっている。
橋には手すりもなく、車が1台通るのがやっとといった幅しかない。
この橋を歩いていると、向こうから車がやってくる。
橋の一番ヘリに立ち車をやり過ごす。
でも、生活道路としてこの橋を渡る人も多いのだろう。
そうでないとこの橋が残っているわけがない。

 堤防を越えて市街地に入ったところで喫茶店を見つける。
TOCHIという喫茶店に入り、先ほど頂いたお金でコーヒーを飲むことにした。
昨日に引き続き喫茶店に入ってしまう。
時間的には昼食の時間だが、先ほどの休憩でクッキーとか食べているので
お腹は空いていない。
なにより昼食はうどんを食べることにしてる。
この喫茶店で30分くらい休んだ。

 13:00分、そろそろ先を急がねばといった感じで喫茶店を後にした。
ここからは、以前、道に迷ってしまったように、複雑に曲がりくねった
遍路道となる。

 一宮町と書かれた住居表示板を見つける。
そろそろ一宮寺が近いようだが、細い路地や水路の脇道をウネウネと曲がり、
ようやく一宮寺に着く。


第83番札所 一宮寺

 13:40分、一宮寺の裏手にある駐車場に来ているので、正面に回り山門から
境内に入る。
 正面にある小さな本堂でお参りをしてから右手にある大師堂へ行く。

 大師堂の中には売店もあり、売店のお婆さん達が世間話に夢中になっている。
その横で、お経を唱える。
これが、今回、最後のお経となるので心を込めて唱える。

これで、今回のお遍路は無事に終えたこととになる。

 納経所で高松市内に行く方法を聞くと、納経所のお婆さんが琴電で行くのが
一番便利だと教えてくれる。
バスだと1時間に1本程度しかないが電車だと数本はあるという。
琴電の乗り場は歩いて10分ほどだという。

 お礼を言ってから、いわれた方へ歩いていくと、10分ほどで一宮という
小さな駅にぶつかった。
この駅から琴電の電車に揺られながら高松市内へ向かう。

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  この日の夜は高松市内に泊まった。
 栗林公園のすぐ近くにある旅館だったので、栗林公園を見てみた。
 よく手入れされた公園だった。
 あちらこちらにある松が綺麗な公園だった。

  

平成16年1月3日(伊豫から讃岐・第34日目)

2005-08-23 09:18:53 | 第4回(伊予から讃岐)
1月3日(土曜日)
 (第8日目・通算第34日目・歩行距離 36.7km・歩行歩数45,843歩)

 5:30分に起きて朝のお勤めに行く準備をしていると電話が鳴る。
ご主人が心配して電話してくれる。
お礼を言って電話を切る。

 人気のない商店街から金堂の前を通り大師堂へ行く。
大師堂に入ると数人のお坊さんがいるが、お参りの人はほとんどいない。

 正面に護摩壇があり、そこに黒い衣をつけたお坊さんが座わり、
お寺の人が数人その前に座ったので、私もその横に座る。
 護摩供養が始まるとその奥の祭壇に住職らしい僧侶が7~8人のお坊さんを
従えて席に着く。
一番奥に昨日の尼さんが座っている。

 護摩供養とその奥で行っている朝のお勤めは全く別々に行われているようだ。

 30分ほどで、参拝者に対する言葉もなく淡々と進み、終わってしまう。
参拝者が数人しかいないせいなのか?

 宿に戻る途中、再度、金堂にお参りをする。

 朝食を終え、7:25分、ご主人に見送られて金倉寺へ向かう。

 昨夜の金比羅詣が効いているのか、体が重く足の進みが悪い。
おまけに天気はいいが気温が上がってこない。
時折、冷たい風が吹いてくる。
 意気が上がらないままダラダラと歩いているが、
金倉寺までは4キロほどしかない。


第76番札所 金倉寺

 8:10分、金倉時の山門に着く。
境内の中はガラ~ンとして、何故か寒々しい。
本堂にお参りをしていると団体遍路の一行がやってくる。
巻き込まれないように大師堂も先にお参りをして、納経所へ行く。

 納経を終え、境内に立てられているテントに行くとショウガ湯を
お接待してくれる。
ショウガのピリッとした刺激に体が元気づけられる。
 団体遍路の人達もショウガ湯のお接待を受けにくる。
ほとんど年輩のお婆さんだ。
ワイワイガヤガヤと元気な声がテントの中に響く。
やっと体が温まってきたので先へ進むことにして、お接待してくれた
お婆さんにお礼を言う。

 山門から出たすぐ先にある交差点でどちらに進めばいいか分からなくなる。
交差点の向こうにパチンコ店があり、その隣の石材店におじさんがいる。
道隆寺へはどちらへ進めばいいか聞くと、この石材店の左横にある道が
遍路道だと教えてくれる。

 交差点を渡り、おじさんにお礼を言って、遍路道へ入る。
畑の中をうねうねと続く道を歩いていくと、目の前に大きな工場が見えてくる。
金陵という酒造メーカーの工場だ。
この工場の裏手を回り込むようにして遍路道を歩いて行くと見覚えのある
大きな楠の木のところに出る。
葛原正八幡神社の楠の木だ。

 そうだ、この楠の木の向かい側に以前千円をお接待していただいた
秋山さんの家がある。
見ると、相変わらずの佇まいで秋山さんの家がある。
 表札を見ると秋山さんのお名前が書かれているので、
家の前で手を合わせ、先に進む。

 住宅地の中をドンドン歩いていくと、ほどなく、正面に道隆寺の山門が
見えてくる。


第77番札所 道隆寺

 9:25分、道隆寺に着く。

 道隆寺でお参りを済ませ、ベンチで休んでいると、
先ほど金倉寺で入れ違いに歩いていったご夫婦遍路に話しかけられる。

 このご夫婦は、私よりは少し年上といったところで静岡からお遍路に来ている。
今回はお正月に観音寺から歩き出し、今日、この道隆寺で帰るとのこと。
「6年前歩き出したが、なかなか先へ進めない。」などと話してくれる。
でも、奥さんが嬉しそうに、先ほどの金倉寺で納経帳の裏に発願年月日を
書き入れてくれたと話してくれる。
納経帳にはお参りした日付が入らないので、それはいい記念になるなあ~と
思った。

 この、ご夫婦と別れ、道隆寺の裏から国道21号を郷照寺目指して歩く。
郷照寺までは丸亀市内を通り、宇多津町までの約7キロほどだ。

 交通量の多い国道を丸亀市内に向かって歩いていると、
向こうから自転車に乗ったおじさんがやってくる。
そのおじさんが私に向かって、「金倉寺のそばにあるまんだらやに
行かないかと誘ってくれる。」
しかし、ここから金倉寺に戻るのは逆方向へ行くことになる。
「まんだら」は先ほど通ってきた金陵のそばにある善根宿だ。
丁重にお断りすると、おじさんは「まんだらやは友達がやっている。」などと
言うが何としても、この好意は私にとっては迷惑な話だ。 
 今晩泊めていただくならいいが、私は、国分寺までは行くつもりでいる。

おじさんは、善通寺の裏にあるミニ88カ所を回っているだとか、
いろいろな話をしてくれるが、ちょっとピントが外れている。
「まあ、気を付けて回りなさい。」と言って、道隆寺の方へ走っていく。

 丸亀市内に入るがお正月休みで人がほとんど歩いていない。
土器川に架かる蓬莱橋を渡り、後ろを振り返ると丸亀城が見える。
こんもりした山の上に小さな天守閣が見える。

 土器川を渡った先にうどん屋を見つける。
その名もずばり「さぬきうどん」という店だ。
それほどお腹がすいているわけではないが、本格的な讃岐うどんを
まだ食べていないので、この店にはいることにした。

 10:45分、湯気の立ち込めた店内に入りメニューを見るが
何を頼めばいいか迷ってしまう。
結局、大根おろしうどんの小400円を頼む。ツユは熱いのにした。

出てきたうどんを見ると、大きなドンブリに2玉くらいの
アツアツのうどんが入っている。
それをたっぷりの大根おろしに熱い汁を入れたつけ汁に浸して食べる。
表面はモチモチ、中はシコシコ麺でとてもおいしい。
麺が長いのでつけ汁用の容器に入りきれない。
フウフウいいながら全部食べてしまう。
おいしかった~あ。満足!満足!
さすが本場の讃岐うどん!!大満足だ!

 国道を歩いていると宇多津町に入る。
右手に行くと郷照寺の看板が出ている。
 この角を曲がろうとして、ふと反対方向を見ると、国道の左手に
人集りのしている店がある。
何かと思って看板を見ると、なんと「おか泉」だった。
「おか泉」という店は、讃岐うどんの店の中でも超有名店なのだ。
しかし店先で並んでいる人は30~40人はいるだろう。
とても並ぶ気はしないので、おか泉に入るのは諦めた。

 国道を右に曲がり少し行くと郷照寺の手前に餅屋さんがある。
ここで草餅を買って郷照寺へ行くが、この角でも警備員が交通整理をしている。


第78番札所 郷照寺

 11:25分、郷照寺に着く。

 郷照寺は参拝客でごった返している。
駐車場には車があふれ、階段を登り境内にあがるとお守りを買う人やら
お参りをする人で真っ直ぐ前に進めない。
こんなに人の多い境内は初めてだ。

 本堂でお参りを済ませ、左手の階段を上がり大師堂に行こうとするが
人が込み合って進めない。
やっと大師堂の前に着き、灯明台でロウソクに火をつけようとするが
火のついたロウソクで埋まっている。
消えかかったロウソクを外しやっと火をつける。

 大師堂に賽銭を投げようとすると、お堂の中は人であふれ祈祷を受けている。
太鼓や鉦が鳴らされお経が上げられている。

 お参りを終え、大師堂の横に回ると、そこにはテントが張られ
祈祷をする人の受付となっているようだが、ここにも長い列が出来ている。

 そういえば、宿で見たテレビでも、郷照寺や箸蔵寺は厄払いのコマーシャルを
流していた。その効果なのか?

 納経所で納経をしてもらい、裏庭の池のところで一休みする。
大師堂の方から降りてくる人波や鯉に餌をやる子供などを見ながら、
さっき買った餅を食べる。

 さて、今晩の宿も決めなければ行けない。
この時間なら国分寺までは行けるので国分寺町で宿を捜すことにした。
民宿あずさに電話するとOKとの返事。
さて、さて、残りは13キロほどなので夕方までにはつける。

 郷照寺からは、静かな住宅街の中に続く遍路道を歩いていくと、
宇多津町から坂出市にはいる。

 坂出市の中心街にある坂出商店街を歩いていると、お正月休みで閉まっている
店の中に喫茶グリーンという灯りのついている看板を見つける。
今日はそれほど先を急ぐ訳でもないので、ちょっと休んでいくことにする。

 喫茶グリーンにはいると、年輩のお客さんばかりで暗い感じがする。
久しぶりにコーヒーを頼み、週刊紙を見る。
靴と靴下を脱ぎ、すっかりくつろぎモードに入っているとママさんが
焼き芋を食べないかと言って、アルミホイルに包んだ焼き芋をくれる。
お礼を言ってもらうと、まだホコホコしている。

「男の人で食べない人もいるからね。」といって渡してくれた。
「どこから来たの?」と聞かれたので、お定まりの話をしていると、
そばにいた常連のお爺さんが「偉いもんだ!」と感心してくれる。

 さて、店を出ようと思いお金を払うとカウンターにいたおばさんが
「お金はいい!」という。
先ほど焼き芋をくれた人がママさんかと思ったらどうやら違うようだ。
このおばさんが本当のママのようだ。
「私もいろいろな人にお世話になってこの商売をしているからね。」と
いってお金を返してくれる。
お礼を言って納札を渡す。

 喫茶店を出てから商店街を歩くと見覚えのある店がある。
少し進むとまた見覚えのある店が現れる。
おかしいなあと思ってハッとした。
どうやら店を出たときに道を間違って宇多津町の方へ戻っているようだ。
あわてて、回れ右をして歩く。

 一本道だから間違えるはずはないのにと思い、よく考えるとグリーンさんは
商店街の右側にあるのに左側にあったような気がして、
左に曲がってしまったからおかしかったのだ。
ちょっと頭がボーッとしてきたか?

 商店街を抜けた後も道なりに真っ直ぐ進んでいくと、
ヘンロ標識が右手の細い道を差している。
その道を進むと踏切があり、そのまま進んでいくと八十場の水に着く。
この大師堂の前を進むと、白峰神社の裏手に出る。
ほどなく天皇寺だ。


第79番札所 天皇寺(高徳院)

 13:55分、白峰神社の本殿前を通り天皇寺に着く。
このお寺は、白峰神社の一角にひっそりと、まるで間借りをしているように
建てられている。
境内というスペースもないような場所に本堂と大師堂が棟を寄せ合うように
建てられ、ちょっと落ち着かない。

それでも、本堂と大師堂にお経を上げて納経所へ向かう。
納経所はちょっと離れた場所にある。

 神社の鳥居の前に老人の男性遍路が托鉢をしている。
その前を、ちょっと会釈だけして通り過ぎる。

 天皇寺から坂道を下り予讃線沿いの旧道を歩く。
JR鴨川駅前の交差点を左に曲がり、綾川に架かる綾川橋を渡り、
堤防の上を歩く。

 綾川橋を曲がって堤防の上を歩いていると、左手にお城のような
変わった形の建物がある。
何だろうと思って歩いていると、どうやらラブホテルのようだ。
塀を回してあり中が分からないようになっているが、出口が堤防の方にある。
その出口を何の気なしに見ながら歩いていると1台の車が出てくる。

 見るつもりはなかったのだが、出てきた車が正面から受ける日差しのせいで
運転席と助手席に座っている人がハッキリと見えてしまった。
運転していたのは65歳くらいの男性。
髪は薄くけっこうな歳だ。
助手席の女性はソバージュの髪を両手でたくしあげ、二の腕と顔が艶々と
光っている。
年齢は20代後半といったところか。
この年齢差を普通に考えると会社社長のお爺さんと水商売のホステスさんと
いった関係に見える?
いずれにしても不倫関係といった方が的を得ているのではないか。

 お遍路をしている身にとっては何も関係がないものではあるが、
お正月休みの白昼という時間を考えると、妙に生々しいものを見てしまった
気がして、何とも言いようのない気持ちが湧いてくる。

これは、羨ましいという気持ちか?または、修行が足りないせいなのか?

 綾川の堤防から国道11号の歩道を歩く。
交通量が多く騒音がひどい道を、左手に見える五色台を回り込むように歩く。
小高い丘を越えると左手に国分寺町が見えてくる。


第80番札所 国分寺

 15:35分、国分寺町の山門に着く。
 山門は参拝客の出入りでけっこうな人だ。

 山門を入ろうとすると境内から車椅子を押した夫婦が歩いてくる。
車椅子にはお婆さんが座り、押しているのは息子さんか?
その横を奥さんらしい人が一緒に歩いてくる。
山門の中央には太い土台になっている横木があり、その木を車椅子の前輪を
浮かして渡ろうとするが、横木の高さは30センチ以上あるのでうまく渡れない。
お婆さんがどこか引っかかっているのか「痛い!痛い!」と声を上げる。
すると、境内から歩いてきた男性が車椅子の前の方を持ち上げようとしたので
私も手伝い、二人で車椅子の両側から持ち上げて、横木を乗り越える。

さらに、その先には数段の階段があるので、そこも同じ要領で降ろして上げる。
車椅子を押していた人とお婆さんがお礼を言う。

 山門に立てかけた杖を持って境内に入る。
すでに日が傾いてきており、ちょっと寒くなってきた。

 本堂の前でお経を唱えるが、教本を見ている目が文字を読んで行けない。
頭がボーっとして目は教本を見ており書かれている文字を認識しているが、
見えている文字に従ってお経を唱えているのではなく、
頭とは関係なしに口が勝手に動いて般若心経を唱えている。

 不思議だ!暗記したお経を唱えている感覚とも違う。
まるで口だけが独立して勝手に般若心経を唱えている。

 今まで般若心経を暗記しようとしたけれどなかなか出来ないでいた。
それがすらすらと口をついて出てくる。
頭の中に覚えているものを思い出しながら唱えるのではなく、
口が勝手に発声しているという感覚だ。

 大師堂で教本を見ないで般若心経を唱えてみると、なんと出来るではないか。
やっと、般若心経が身に付いてきたのか??

 16:10分、民宿あずさに着く。
この宿は変な宿だ。普通の住宅を民宿にしているようだ。
居酒屋にカラオケ店などもやっているが民宿の看板がどこにもない。
私の泊まった部屋は6畳ほどの部屋でセミダブルのベットがある。
食事も、別な場所から運んできており、ご飯がドンブリ一杯に盛られている。
それを置いて行くだけで、給仕をするわけでもない。
でも、洗濯もできたし、風呂にも入れたので別に不満はない。

 夕食を運んでくれたときに宿代を払い、五色台への道を教えてもらう。
明日は勝手に出発して下さいといわれる。

 今回のお遍路をどこで区切るか考えていた。
明日は高松市内へ入る。
次に来たときのことを考えると交通の便利がいい場所が一番だ。
そうすると、五色台にある根来寺ならば不便だから何としても山は
降りなければならない、しかしあまり進んでしまうと88番の大窪寺まで
行くのにもの足りなくなってしまう。
そうこう考えると一宮寺しかない。

一宮寺ならば高松市内なので交通の便もいいだろう。
そして、一宮寺からなら88番大窪寺までは2日間でゆっくり歩ける距離だ。

 この先の行程を考えると、88番まで2日間、お礼参りの1番まで2日間、
高野山に2日間のちょうど1週間でこの歩き遍路を完結することが出来る。

 そう考えると、明日は一宮寺までで終えるのが一番いいと思う。


平成16年1月2日(伊豫から讃岐・第33日目)

2005-08-22 09:18:00 | 第4回(伊予から讃岐)
1月2日(金曜日)
 (第7日目・通算第33日目・歩行距離 33.9km・歩行歩数61,766歩)

 6:00分、起床

 6:30分に2階の食堂へ行き、朝食を取る。
女将さんにお礼を言って、観音寺までの道を聞く。
宿の前の道を真っ直ぐに行くと広い道にぶつかるので、それを左に曲がり
後は道なりに市街地目指して進めばいいと教えてくれる。

 7:00分、民宿おおひらの玄関先は、山陰になっておりまだ日が射してこない。
風がないので寒さもそれほど感じない。
神恵院・観音寺を目指して少しずつ明るさは増していくが人気のない寒々とした
道を歩いていく。

 観音寺の市街にかなり近づいてきたと思って歩いていると、
まだ開いていないお店の駐車場に停まった軽自動車から中年の女性が降りて
自動販売機で買い物をしている。
通り過ぎようとすると、缶コーヒーを2本「こんなものだけれど
飲んで下さい。」と言って差し出す。
お礼を言って納札を渡すと、「北海道から来ているのですか!」と感心される。
私の姿を見たので、わざわざ先回りして缶コーヒーをお接待してくれたようだ。
本当にありがたいことだ。
 「気を付けて回って下さい。」と言い残し、駐車場から出ていった。

 私は、お礼を言いながら頭を下げて見送った。
このお接待に元気を得て、前方に見えてきた観音寺のある山を目指して歩く。

 予讃線の踏切を渡り、一の谷川に架かる橋を渡ると、琴弾公園のある山が
目の前に見えている。
この山の、右側の方に目指すお寺がある。

 大平正芳記念館の前を通り適当に歩いていくとドンドン立派な商店街の方へ
道が続いている。
ちょっとき過ぎたかと思いキョロキョロしていると小さな小路の先に
遍路石を見つける。
そちらへ行こうとすると、向こうから歩いて来る老人から、
「このまま進めばすぐに橋があり、その先だよ。」と教えられる。
お礼を言って、そのまま進むと、右手に財田川に架かる大きな橋があり、
その先に、琴弾八幡宮の大きな鳥居が見えている。

 鳥居の手前にヘンロ標識を見つけたので、右に曲がり住宅地の中を歩く。
ほどなく、神恵院・観音寺の山門が見えてきた。


第68番札所 神恵院・第69番札所 観音寺

 8:40分、神恵院・観音寺に着く。

 山門から階段を上がり境内に入る。
さらに階段を上がり神恵院に行こうとすると、神恵院は左手との標識がある。
不審に思って標識どおり左に曲がって歩くと、右手にコンクリート製の建物が
あり、それが神恵院の本堂だと書かれている。

 本堂に向き合うと、そこにはコンクリート剥き出しの壁があり真ん中に
入り口がある。屋根も見えない、不思議な建物だ。

 入り口から中にはいると階段があり、その階段を上がると本堂がある。
本堂はお堂の造りとなっているが、本堂の前にはコの字型にコンクリートの壁と
屋根があり、お経を読む声が反響する。

 階段を下りて本堂の右手にある昔ながらの大師堂にお参りをしてから、
反対側にある観音寺の本堂と大師堂にお参りをする。
観音寺は何も変わっていない。

 神恵院の変わり様に驚きながら納経所へいく。
納経所手前に立派なトイレが出来ている。

 観音寺の本堂横にある茶店で休憩する。
茶店のおばさんに聞くと、神恵院本堂は2年ほど前に建て替えられたようだ。
 木造建築が当たり前と思っている本堂をコンクリート製にするには
随分勇気がいったことだと思う。
この神恵院の本堂がすんなり受け入れられるには、
一体何年の月日がかかるのだろうか。

 神恵院・観音寺を後にして、財田川の堤防にある遍路道を川上に向かって歩く。
川の中に青サギや白サギが姿を見せている。

 正面から暖かな日差しを受けながら、遠くに見える本山寺の五重塔を
目指して歩くのは気持ちがいい。

 予讃線の橋の下をくぐると、もうすぐ本山寺だ。


第70番札所 本山寺

 10:10分、本山寺に着く。
広い境内の中に参拝客がちらほら見える。
正面の本堂は、雨戸が開けられ中が明るくなって、ご本尊がよく見える。

 納経を済ませた後、本堂の前にあるベンチに座りぼんやりしていた。
広い境内を竹箒を持って掃いている女性がいる。
作務衣を着ており、お参りの人に挨拶したり話しかけている。
どうやらお寺の人のようだ。

 今晩の宿をどこにしようか考えていた。
昨日痛かった左足の脹ら脛も痛みはない。
今回の遍路の予定である善通寺までは今日中に着いてしまう。
この調子で歩けば、おそらく高松市までは行けるだろう。

 そこで、今晩は善通寺に泊まることにして、金比羅詣でをすることにした。
そうと決まれば、善通寺まで急がなければならない。

 10:30分、本山寺を後にする。
ここからは、国道11号に出て、次の弥谷寺までは12キロほどだ。

 国道11号をひたすら弥谷寺目指して歩く。
今日は日差しもあり暖かく、フリースの腕をまくりながら気持ちよく歩く。
 豊中町から高瀬町に入りお腹がすいてきた。
うどん屋を探しているが、やっと見つけたうどん屋さんがまだお店を
開いていなかったり、なかなか適当な店が見つからない。

 12:05分、国道から旧道へ続く遍路道の分岐点に「ラーメン大学」という店を
見つける。
お腹がすいていたので、うどんを諦めてラーメンにする。

 12:30分、お腹も一杯になり元気も出てきたところで、正面に見える
弥谷山を目指して遍路道を歩く。
弥谷寺はこの山の中腹にある。

 高瀬町の街にある四つ角に見覚えにある立派な遍路石を見つける。
この角を右に曲がり、坂道をドンドン登っていく。
弥谷寺の山道であることを示す双石柱をすぎると、道の傾斜が増してくる。

「ふれあいパークみの」に続く車道の入口を超えて少し登ったところに
八丁目大師堂がある。
このお堂にお参りをして、参道を登る。

 参道の両側に八十八カ所のお参りが出来る石仏が祀られている。
この石仏に手を合わせながら登っていくと大きな駐車場があり、
その先からいよいよ弥谷寺への本格的な参道が続いている。

 この辺りで、空模様が怪しくなってくる。
霧雨のような細かな粒が顔に当たる。
空を見るといつの間にかドンヨリと曇っている。


第71番札所 弥谷寺
 
 ポツポツと雨が落ちてくる中、参道歩いていく。
俳句茶屋の店先を過ぎると目の前に弥谷寺の山門が見えてくる。
ここから本堂までは延々と階段を登らなければいけない。
お正月の参拝客もけっこうきている。
晴れ着姿の女性や家族連れの人達の元気な声が聞こえる。

 大師堂の前からさらに本堂へと続く階段を登っていると、
着物姿の中年女性が階段を登っている。
着物でこの階段を上がるのは大変だと思うが、本堂まで上がって
お参りをしている。

 13:30分、やっと本堂に着く。
本堂からは三野町方面の広大な景色が広がるはずだが、
残念ながら、乳白色のドンヨリとした雲に阻まれ、鉛色の雲が目の前を
塞いでいる。

 前回来たときも弥谷寺では雨に降られている。
このお寺の持っている不思議な雰囲気には晴天より雨の方がよく似合っている。

 お参りの後、大師堂へ向かって階段を下りていく。
大師堂は靴を脱いでお堂の中に入らなければいけない。
お守りやお土産を売っている納経所の前を通り、大師像にお参りを済ませ、
さらにその奥にある大師が修行をした岩蔵にお参りをする。

 娘の桂の高校受験お守りをここから頂いていったが、
残念ながら不合格であった。
しかし、私立学校での高校生活は楽しかったようで、
あまり不満を口にしなかったので、その事に感謝し、お礼のお参りをした。

 大師堂の前にあるベンチに座り、今晩の宿を決めなければと思い
地図を見ていると、善通寺の門前近くに一富士という旅館がある。
一富士という宿は観音寺にもあり、前回は予約をしていながら断ったことが
あるので、これも何かの縁と思い一富士に電話する。
奥さんが電話に出て、泊めてくれることになった。

 ポツポツ落ちる雨も参道脇の深い林に遮られて歩くには邪魔にもならない。
雨宿りも兼ねて俳句茶屋に寄ることにした。
 
 俳句茶屋で甘酒を頼む。
ここの甘酒は酸味があり米の粒が口に当たる、ちょっと変わった甘酒だ。
酒粕から造る甘酒ではなくてお米を発酵させて造る甘酒のようだ。

 今晩どこに泊まるか聞かれたので、善通寺門前の一富士だというと、
「あそこは、以前、料理屋をしていた店で、今は旅館をやっているが、
場所が分かりづらいのでうまく行けるかな~」と言われる。

 おまけに、「この時間から善通寺まで行くのは無理でないか。」と
いわれたので、「大丈夫!」と答え、曼茶羅寺へ向かうことにした。

 俳句茶屋を出て竹林の中を歩いていると雨が本降りとなってくる。
雨具を着けて竹林の中を下っていく。

 高速道路の下をくぐって歩いていくと、向こうから荷物で一杯の自転車を
押しながら若い男性の遍路が坂道を登ってくる。
挨拶をしようとすると、こちらへ来るのではなく左手の方へ曲がっていく。
どうしたのかと思ってその男性遍路が行った方を見ると、ブロック造りの
小さな小屋があり、どうやらそこで野宿をするようだ。
 
 国道へ出てしばらく進み、小止みになってきた空模様を気にしながら
歩いていると、門前屋という大きな宿があり、その宿をぐるりと回ると
曼茶羅寺の山門がある。


第71番札所 曼茶羅寺

 14:50分、小雨に降る中を山門から境内に入る。
雨が降っているのでロウソクや線香が濡れないように気を付けながら火をつける。
本堂と大師堂にお参りし、納経所へ行きながら不老松を捜したが見えなかった。

 不老松というのは、一本の松の木で、高さ3~4メートルほど、
直径が10メートルほどの円形をしており、ちょうどキノコの笠のような
形をしていた松だ。

 納経を済ませてから、納経をしてくれたお婆さんに不老松のことを尋ねると、
平成14年の春に枯れてしまったと教えてくれる。
どうやら、松食い虫にやられてしまったようだ。
「毎年、松食い虫の防除はしていたのだが、一番発生する時期だけ
防除していたので、防除が不足していたらしい。
気が付いたときには手遅れとなって、平成13年の秋頃から枯れ葉が
目立ってきて、平成14年の春には枯れてしまった。」と教えてくれた。

 「今は、この松の木で造った大師像を祀ってある。大師堂も皆さんに
身近に感じてもらえるように、立派なお堂にはせずに、すぐ手が届くように
小さなお堂にしたので、良かったらお参りして下さい。」といわれる。

 なるほど、不老松があった場所には小さなお堂が建てられており、
その中にはYの字型の伸びる枝の根本に大師像が彫り込まれている。
なかなかいいお顔をしている。
お参りをしてから大師像の肩に触る。
不老松があった場所には丸く芝が植えられている。

 生命のあるものは必ず死んでしまうとは思っていても、
この松を守ってきた寺の人にしてみれば自分の代で枯らせてしまったことに対し
大きな責任を感じただろう。
檀家からいろいろ言われたかもしれない。
 でも、不老松が大師像に形を変えて、今まで生きていた以上に皆さんから
守られて行くならば、それが一番いいことなのだろうと思う。
大切なのは、形がなくなっても、人々の心に残っていれば、
それは消えることなく、残っていくものだと思う。

 曼茶羅寺から山に向かって坂道を登っていくと、10分足らずで出釈迦寺に着く。


第73番札所 出釈迦寺

 15:10分、出釈迦寺の階段を登り鐘突堂となっている山門をくぐると境内だ。
小降りになった雨の中、背中に荷物を背負ったままで本堂と大師堂に
お参りをする。

 納経所へ行き、納経を済ませると休む間もなく甲山寺へ向かう。

 今回、出釈迦寺へ来たときには弘法大師が幼少の頃身を投げて、
その、信仰への誓いを立てたという捨身が嶽禅定へも行ってみたいと
思っていたが、この雨の中を行くのは気が進まなかったので、
またの機会にすることにして今回は諦めた。

 曼茶羅寺の横をすり抜けて甲山寺へ向かう。

 本降りにはならないが、降ったり止んだりの空模様の中をちょっと先の方に
見える小高い山を目指して歩く。
甲山寺は、この山の左側にある。


第74番札所 甲山寺

  15:55分、甲山寺に着く。
 山門前の駐車場にマイクロバスが止まり、団体遍路の人達が十数人降りてくる。
お婆さんが多いが男性も数人混ざっている。

 荷物をベンチに置いて本堂前に行くと、すでに団体さんのお参りが
始まっている。
先達さんを中心に一糸乱れぬお経が始まる。
私は、その横で般若心経を小声で唱える。
そうして、大師堂へ先に回る。
お参りを先に済ませてから、団体遍路の人達のお経を聞く。
なかなか熱のこもったお経だ。

 曇り空のせいか夕闇が迫ってきており、次は、いよいよ善通寺なので
先を急ぐことにした。雨もあがってきたようだ。

 善通寺までは2キロ足らず、17時までには十分間に合う。

 善通寺の近くへくるとゴーンと鐘の音が聞こえてくる。
前方に道路を横切る人の波が見えてくる。善通寺だ。


第75番札所 善通寺

 16:25分、善通寺に着く。
大師堂に先にお参りをしてから納経をしてもらい、
それから金堂へお参りすることにした。

何故かというと、善通寺は二ブロックに別れており、金堂と五重塔のある
ブロックと、大師堂と宿坊などがあるブロックに別れている。
今いるのは、大師堂のあるブロックなので、お参りをした後に
納経も済ませることにした。

 それにしても、すごい人だ。
大師堂へ続く参道が人の波で埋まっている。
やっと、お灯明をつけ、お賽銭を投げて、片隅でお経を読む。

 広い境内にはあちらこちらにテントが立てられ、お守りやお札を売っており、
祈祷を受け付けるテントもある。
納経を済ませてこれらのテントを見ていると、お祓いを受け付けているテントの
中に若い女性のお坊さんを見つける。
まだ20代のように見える。
お祓いの申し込みをする人もこの時間になるとあまりいないようで、
寒そうにしている。
そこで、この尼さんに大師堂をバックに写真を1枚とってもらい、
記念に尼さんの写真を撮らせてもらうと、横のテントにいたお爺さんが
記念だからといってツーショット写真を撮ってくれた。

 朝のお勤めのことを聞くと、明日の朝も大師堂でお勤めをしているというので、
参加することにして、尼さんと別れた。

 大分、薄暗くなってきたので金堂へ向かうが、参道の人波も
まばらになってきた。

 金堂前でロウソクに火をつけ、金堂内でお参りをする。
そろそろ、金堂内の売店も後かたづけを始めたので、ちょっと落ち着かない。

 お参りも無事終えたので、一富士旅館に向かう。
だいたいの場所を納経所のおばさんが教えてくれたので、
善通寺前の商店街を歩いていると、街区図を見つける。
その地図に従って、路地の奥へ歩いていくと一富士には迷うことなく
着くことが出来た。
玄関先を見ても普通の旅館とはちょっと造りが違う建物だ。

 17:00分、一富士旅館に着く。
 玄関に入り呼び鈴を押すと女将さんが出てくる。
2階の部屋に案内してもらい、金比羅さんに行きたいと言うと、
暗くなってきたので早い方がいいと言われる。

 ご主人がJRの時刻表を見てくれると17:19分琴平行きの電車があるという。
荷物を置いて、駅の場所を教えてもらい駆け足で駅に向かう。

 無事に19分発の電車に間に合う。善通寺から一駅で金比羅さんのある琴平だ。

 琴平の駅に着く頃は真っ暗になっている。
でも、人通りは絶えない。人の流れに逆らうようにして金比羅さんへ向かう。
参道の入口に着くと、両側にあるお土産物やさんの明かりが眩しいくらいだ。
ここから延々と階段が続いているが、登っていく人は少ない。
降りてくる人を避けながら、お土産やさんを覗きながら、グングンと階段を
登っていく。
しばらく行くとお土産やさんがなくなる。
すると、辺りが急に暗くなる。

 参道を照らす照明が所々に灯っているだけだ。
暗い参道を一気に上がっていくと、本宮に着く。
お参りをする人がお賽銭を投げている。
本宮の入り口には大きな賽銭箱が有り、その前に白い布で賽銭を投げ込む場所が
造られている。

 近くにいた人に本宮をバックに写真を一枚撮ってもらうと、
そのまま、階段を下る。
アッという間の、金比羅詣でだ!
 途中で夕食を取らなければと思っていたが、ほとんどの店が閉まっている。
参道を降りて街の中で食堂を探すがなかなか見つからない。
やっと、中華の店を見つけたので中華飯を食べる。

 18:49分の多度津行きで善通寺に戻る。

 宿に帰り、風呂に入ると、早々に寝る。
明日の朝は、6時から始まる善通寺の朝のお勤めに参加するつもりだ。

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  善通寺には立派な宿坊があります。
 この時には、宿坊が改築中で泊まることが出来ませんでした。
 前回泊まったときには一人で求めていただけましたし、地下には立派な
 温泉がありました。
 温泉といっても沸かし湯なのですが「大師の湯」と名付けられ、大きな
 浴槽で気持ちよく入ったことがあります。

  善通寺では毎朝のお勤めに沢山の信者さんが一緒にお勤めをします。
 今回はほんの数人でしたが、前回お勤めに参加したときには、宿坊に
 泊まっている人がほとんど参加しており、さらに、お坊さんも沢山参列
 しており盛大なお勤めでした。
 お勤めの最後には、弘法大師の錫杖によるお加持が行われます。

  機会があればぜひ善通寺の宿坊に泊まることをおすすめします。

平成16年1月1日(伊豫から讃岐・第32日目)

2005-08-19 09:25:44 | 第4回(伊予から讃岐)
1月1日(木曜日)
 (第6日目・通算第32日目・歩行距離 36.3km・歩行歩数56,553歩)

 5:50分、起床
昨晩買っておいた稲荷すしと茶碗蒸し、それに味噌汁の簡単な朝食を済ませ、
荷物をまとめ出発の準備をする。

 6:30分、ろんどん荘の玄関をそっと開けて、まだ真っ暗な三島の町を
三角寺目指して歩く。
三角寺への遍路道はろんどん荘から山側にあるので、真っ直ぐに坂道を
登っていく。

 人通りのない真っ暗な道を登っていくとバイパスにぶつかる。
そこをさらに上の方に登っていくと、道がドンドン狭くなり道も先の方へ
進めなくなる。
どうやら、来すぎたようなので、今来た道を少し下り、
左へ左へ進める道を歩いていくと曲がり角に常夜燈を見つける。

 どうやら、遍路道に戻ったようだと当たりをつけて歩いていると
曲がり角にヘンロ標識を見つける。
 ほっと一息ついて辺りを見ると、だいぶ明るくなってきた。

 遍路道が高速道路の下を抜け、公園のある辺りからはドンドン急な坂道となる。
そのうち、車道から離れ歩く人だけが通れる急な遍路道となる。
ふと後ろを振り返ると伊予三島の町が眼下に広がっている。
太陽は、山陰から明るさを増しているが、初日を見るのは無理のようだ。

 相当登ったところで道はやっと平坦になり、幾筋かの沢を越えていく。
突然、後ろの方から叫び声が聞こえる。
ビックリして後ろを振り返るが誰もいない。
耳を澄ませて聞き耳を立てると、何と沢の向こうを走っている車から
叫び声が聞こえてくる。
酔っぱらった若者のようだ。

 ほどなく、爆音を発てた車が私の横をすり抜けていく。

 8:00分、三角寺の駐車場に着く。


第65番札所 三角寺

 三角寺の駐車場に先ほどの車が1台止まっており、
若者4人が騒ぎまくっている。
駐車場の看板に体当たりしたり、蹴飛ばしたり、奇声を発したりしている。

 三角寺への階段を上がり境内にはいるが、境内はガラーンとして誰もいない。
お正月らしい雰囲気も全く感じられない、寒々とした境内だ。
本堂と大師堂へお参りをしていると、先ほどの若者達がやってくる。
その辺にあるベンチなどを蹴飛ばしたり、賽銭箱を覗いたりと
相変わらず傍若無人の振る舞いをしている。
無視して、納経所に向かって歩いていくと、境内の中を走って階段を下りていく。


 納経所の方から歩いてくる人がいる。
なんと、湯の谷温泉で一緒だったMさんだ。
「いやー早いねえ!もうここまで来たんだ。」といわれる。
Mさんは、伊予三島の町から、今朝一番のバスでお参りに来たと話してくれる。
また、すぐに市内の戻るバスが出るので急がなければならないと話し、
あわただしく本堂の方へ走っていく。
 お参りを済ませ戻ってくるMさんから納札を頂く。
(ここで初めてこの人がMさんということが分かった。)
 休憩所で休んでいるお爺さんに頼んで、二人で並び記念写真を撮ってもらう。
写真を写したら、Mさんはすぐに階段に向かいバス乗り場へと走っていく。
その後を私も階段を下りて、雲辺寺を目指す。
駐車場に降りてから、右に進めばよい。

 駐車場からは延々と下り道が続いている。
左手に、元旦の日の光を受け眩しく輝く三島の町が広がるが、
遍路道は山陰に続いており、時折吹く風が汗をかいた体から体温を奪っていく。

左手から深く切れ込んでいる沢の下に向かって山の斜面をドンドン下っていく。

 9:05分、車道との合流点である平山のバス停で一休みする。
国道192号はさらに下の方にあるようなので、この車道は旧道のようだ。

 旧道を歩いて別格14番常福寺(通称:椿堂)を目指して水田の端にある
沢沿いのへんろ路を下っていると、下の方から大きな荷物を背負った
男性二人のお遍路さんがが汗をかきかき登ってくる。
どうやら野宿遍路のようだ。挨拶を交わし先へ進む。

 前方の谷の中に集落が見えてくる。どうやら椿堂のある川滝の集落のようだ。
集落に近づくと椿堂の瓦屋根が見えてくる。赤い旗なども見えてくる。

 9:40分、椿堂に着く。
こぢんまりとしたお寺で、左手に建築中の大師堂があり、
右手の奥が本堂のようだ。
本堂と仮置きの大師堂にお参りをして、納経所へ行くと若いお坊さんが
輪袈裟を掛け、姿勢を正して納経してくれる。
横から、奥さんらしい女性が「甘酒でもいかがですか?」と
声を掛けてくれたので、遠慮なくいただくことにした。

 境内にあるベンチに座り甘酒を飲む。少しぬるいが甘さが口の中に広がる。
茶碗を納経所へ返しに行くと、大師堂への寄進を呼びかけている張り紙に
目がとまる。
急に、何か寄進をしていきたくなったので、釘隠の飾り金具を
寄進することにした。
3千円を払い名簿に名前を書く。
この釘隠には寄進者の名前を彫ってくれるという。
この次に来たときには、自分の前が彫られている釘隠を探す楽しみが増えた。

 ホームページを見ていることなどを話すと、「なかなか更新が出来ない。」と
いい「雪景色の写真は入れてあるので見て下さい。」いわれる。
 体もすっかり休まったので、池田町を目指して歩くことにする。
ここからは、国道192号を歩いて行かなければならない。

 せっかく下ってきた道が、ここからは登り坂となり境目トンネルまで
続いている。

 11:00分、4キロほどダラダラ続く坂道を登っていくと、
やっと、境目トンネルの入り口が見えてきた。
トンネルの長さは855メートルとある。
歩道が整備されているので難なく通り抜ける。

 10分ほどで境目トンネルを抜けると、下り坂になっている。
下り道になったのとほぼ同時に、左足の脹ら脛の下の方が急に痛み出す。
一瞬何事かと思ったが、どうやら三角寺からの下り道で脹ら脛の筋肉に
負担がかかり悲鳴を上げたようだ。
すぐ傍にバス停があったので休憩する。

 11:15分、日陰でちょっと寒いバス停の中で左足の脹ら脛をマッサージする。
アキレス腱のすぐ上が痛い。
でも、ちょっとマッサージしていると力を入れても痛みが和らいだような
気がする。

 もうすぐ佐野の集落だから、そこまで頑張って昼食にしようと思い、歩き出す。

 国道を下っていくと佐野に着く。
見慣れた岡田やさんの建物が見える。
国道から旧道に入り、橋を渡って西商店の店先に座り昼食を取る。
昨夜三島のローソンで買っておいたおにぎりを食べる。
西商店はもちろん休みだが、店先に座ると正面から太陽の日差しを受けるため、
眩しいが体がポカポカして気持ちがいい。
ここでも、左足の脹ら脛を十分にマッサージする。

 さあ~、ここからは、いよいよ雲辺寺への登りとなる。

 12:00分、西商店の前を出発する。少し下ってから、道は左手の山の中へと
続く。
高速道路の下をくぐり、いよいよ登山道のような遍路道なるが、
一度歩いている道なので快調に登っていく。
左足の脹ら脛も登るときにはほとんど痛みを感じない。
 快調!、快調!小一時間ほどで雲辺寺へ続く車道に出る。

 ここからは、九十九折りの車道を、時々行き交う車を避けながら
さらに高度を稼いでいく。
 しばらく行くと、前の方に車がたくさん見えてくる。
どうやら駐車場が一杯のようで、道の両側のちょっとした隙間を見つけて
駐車している車がたくさんある。 
でも、そのスペースが見つからない車と、お参りを終えて下ってくる車との
交差するスペースがないので大変だ。
警備員がいるが車を前後に移動させるだけで右往左往している。
この光景を尻目に歩いていくと、前方に山門が見えてくる。


第66番札所 雲辺寺

 13:55分、雲辺寺の山門に着く。
境内に行くとものすごい人だ。本堂前には人が溢れている。
テントが張られお守りなどを売っているようで、そのテントも人で溢れている。
 あわただしい雰囲気の中で本堂にお参りをする。

 大師堂に向かって歩いて行くと大師堂前の広場で山伏の火渡りの行が
おこなわれている。
私がお参りを済ませて見に行ったときには、一般の人達が渡り終える
ところだった。
法螺貝が吹かれなかなかいい雰囲気だ。

 納経所で話を聞くと、今日は一段と人手が多いが、
明日は何も行事がないので静かになると話している。

 どこか休むところを探していると、大師堂の下に休憩所があり
ストーブが焚かれていたので、そこで休憩する。
休憩所の中も人で一杯だ。
小さなお餅を木の枝の先につけて焚き火で炙り、焼いた餅をみんなで食べている。
無病息災のお守りのようだ。お餅は自分で用意してきているようだ。
 
 雲辺寺は香川県最初のお寺で、いよいよ涅槃の道場に足を入れたことになる。
でも、この人込みに中にいると、そういった感慨も湧いてこない。
少し日が傾いてきたので、太興寺までを急がなければならない。

 14:10分、体も十分休めたので、雲辺寺を下ることにする。
ここから、約5キロほど山道を下らなければならない。

 ロープウェイへの道を過ぎた山陰の斜面一杯五百羅漢像が並んでいる。
等身大より少し大きな羅漢さんが斜面一杯にいる姿は壮観だ。
台座の方が苔むしている羅漢像もあるから、
いつからここに置かれているのだろうか?
せっかくの羅漢様もこの場所で、特に案内もされてなければ歩きの人ぐらいしか
目にすることは出来ない。
勿体ないと思い山を下っていく。

 目の前を二人連れで登山服姿の女性がお喋りをしながら下っている。
ロープウェイも山頂の駐車場も混むので、下から登ってきた人のようだ。
挨拶して先に行く。

 男性5~6人のグループや家族連れの人達を追い抜いて快調に下っていく。
左足の脹ら脛もそれほど痛みはない。

 15:10分、やっと車道に出る。ちょっと休む。
ここからは、町石仏に見守られながら太興寺目指して歩く。

 道の右手に南無大師遍上金剛の旗が数本はためいている建物がある。
すぐ横には消防車が止まっている。どうやら消防団の建物と集会所のようだ。

 この建物を通り過ぎて間もなく、前方から足を引きずるように歩いてくる
老人遍路が話しかけてくる。
「白藤大師堂はまだですか?」と聞かれたが、大師堂などなかったような
気がしてから、ハッと気が付いた。
先ほどの旗が立てられていた集会所が大師堂だったのだ。
「ほんの、4~5百メートルですよ。」というと、頭を下げて、
足を引きずって歩いていく。
 後ろ姿を見ると背負っている荷物も大きく、両手にも袋をぶら下げている。
あの足で、明日は雲辺寺を越えられるのだろうか?

 もうすぐ太興寺という農道の交差点に数人の人達が立っている。
何事かと見れば、左手の田圃の中に乗用車がある。
近くに行ってみるとどうやら交差点を曲がりきれず田圃の中に突っ込んで
しまったようだ。
 立っているおじさんに聞くと、一言、「よく有るんだ!」で片づけられた。

 太興寺の裏口に着く。
ここから入った人には納経しないと書かれた看板を見ながら、
民宿おおひらの前を通り、薄暗い林の中を左に曲がり山門へと歩いていく。


第67番札所 太興寺

 16:25分、太陽が山陰に沈んで薄暗くなりかけたきたが、
やっと、太興寺に着くことが出来た。

 山門から階段を上がり境内にはいると、半分に切ったドラム缶で
焚き火をしている。
この焚き火を横目で見ながら本堂と大師堂にお参りをする。
境内にお参りの人は、ほんの数人しかいない。何か寒々としている。
お参りを済ませた後、焚き火に当たり暖を取る。

 寒くなってきたので宿へ行くことにする。

 民宿おおひらさんにはすぐ着いてしまう。
玄関で声を掛けると中年の女性が出てきて部屋へ案内してくれる。
お風呂場とトイレの場所を聞き、食堂は2階だと教えられる。

 部屋にはハロゲンランプで暖を取るようになっている。
扇風機のような器具が首を振り、部屋の中を暖める。
振った首が正面にくるとオレンジ色の光が当たり暖かいが、光がずれると寒い。
何とも落ち着かない暖房器具だ。
体を温めるには風呂が一番だと思い、早速、風呂に入る。

 風呂では左足の脹ら脛をよくマッサージする。
やはり、温かいお湯に浸かって手足を思い切り伸ばすときが最高の気分だ。
冷えた体を十分に温めて部屋に戻ると、食事の用意が出来たと電話が来る。
 2階に上がると、広い食堂があり、用意されていたお膳は一つだけだった。
今晩のお客は私一人のようだ。
先ほどの女性が味噌汁を持ってきてくれる。
カウンターの中にいる女性が女将さんのようだ。
女将さんに「今日は休みではなかったのですか?」と聞くと
「そんなことはありません。」という。
でも、泊まり客は私一人なので、お正月に私一人のために宿を
開けてもらったのではないかと思い恐縮してしまった。

 食堂の壁に掛かっている書の額を見ると大平正芳と書かれている。
元総理大臣大平正芳さんの書だ。
女将さんに、「こちらの宿と何か関係があるのですか?」と尋ねると
「特に関係はないが、大平正芳さんはこの土地の出身者なので後援会などの
関係で頂いた。」と話してくれる。
書かれている文字はあの大柄な体型には似合わない女性的な感じのする
線の細い字だった。
意外に神経質な人かもしれないと思いながらその書を見ていた。

 明日の朝食を6時半にお願いして、部屋に戻る。

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  お正月を迎えての札所の風景も千差万別です。
 三角寺のようにお参りに来る人もなく閑散としたお寺もあれば運辺寺の
 ように参拝客で一杯になっているお寺もあります。
 テレビに初詣を呼びかけているお寺のコマーシャルを見たこともあります。
 一体、この差はどこから来るのでしょうか?
 宗教的な行事での新年の捉え方に差があるとは思えないのですが?
 札所にはいろいろな宗派のお寺さんが含まれていることは理解できます。
 でも、真言宗のお寺が一番多いはずです。
 それでいて、これだけの違いがどうして出てくるのか不思議でなりません。
 

平成15年12月31日(伊豫から讃岐・第31日目)

2005-08-18 08:58:35 | 第4回(伊予から讃岐)
12月31日(水曜日)
 (第5日目・通算第31日目・歩行距離 38.7km・歩行歩数57,105歩)

 6:30分、起床。

 7:00分、食堂へ行くとまだ準備が出来ていない。
席に座って待っていると、女将さんが恐縮しながら急いでご飯とみそ汁を
持ってきてくれる。
 食べていると、Mさんが来たので昨晩のお礼を言って、納札を渡す。
Mさんは、今日は、これからバスに乗って横峰寺へ行くという。
ここでお別れだ。

 7:15分、ドンヨリとした鉛色の空の中を歩き出す。
国道から山側にある遍路道を歩く。
誰もいない道を黙々と歩く。

 20分ほど歩くと、前方右手にある山の中腹に大きな神社らしい建物が
見えてくる。
どうやら、伊曽野神社の社らしい。
 
 加茂川に架かる伊曽野橋を渡る。
この橋はメローディー橋と書かれており、橋桁が鉄琴になっている。

 橋を渡ると武丈公園で桜の名所らしい。
堤防の上を歩く。

 武丈公園からしばらく歩くと畑の真ん中にお地蔵さんが2体背中を向けて
座っている。
大きなお地蔵さんは頭に毛糸で編んだ帽子を被っているが、
色落ちして灰色になっている。
何とも言えず良い表情なので写真を一枚撮る。

 8:10分、福武新田集会所と書かれた建物の前にベンチが置いてあるので
休憩する。
空は相変わらずドンヨリと曇っており、吹く風が冷たい。
雨具を着たままで休む。
寒いと飲み物もあまりいらない。
靴を脱いで、靴下の上から足を揉む。
これだけでも、足が休まったような気がする。

 一生懸命歩いていると遍路道が国道と合流する。
 9:40分、西条市と新居浜市の境界を過ぎたところにローソンを見つける。
ここで、ちょっと買い物をして休む。

 新居浜市の喜光寺商店街を歩いて、お酒やさんの前を通り過ぎると
「お遍路さん!」と呼び止められた。
後ろを振り返ると男性が私に向かって歩いてきて、
「少ないけれど何か飲み物を買って下さい」と5百円をお接待してくれる。
 「どちらから?」と聞かれたので「札幌からです。」と答えると、
「北海道からですか、私の遠縁に当たるものが旭川にいます。」と教えてくれる。
納札を渡すと、「こんな少しのお金で申し訳ない。」と言われるので、
「そんなことはありません。大事に使わせて頂きます。」といって別れた。
 
 10:45分、喜光寺商店街を過ぎたところで、一休みする。
天気は相変わらずで寒いのだが、お接待を受けたので、気持ちはちょっと
暖かくなっている。

 11:30分、遍路道が国道と合流するところで霧雨が降ってきた。
ちょうど藤茶屋という食べ物屋さんがあったので、
ちょっと早いが昼食を取ることにした。
 かき揚げうどん500円が今日の昼食だ。

 これから先の行程を考えると雲辺寺の手前にある民宿岡田に
泊まれるかどうかで、これからと明日の行程を考えなければいけない。

 民宿岡田さんに電話をして元日の夜に泊めてもらえるか聞いたところ、
元日は休みだといわれる。
そうすると、その先の宿はどうなのか確認すると、観音寺の太興寺そばにある
民宿おおひらは元日もやっている言う。
とりあえず元日の宿をお願いしておく。

 次に、出来るだけ雲辺寺の近くまで行こうと考えると伊予三島に
泊まらなければいけないことになる。
ろんどん荘に電話すると今日は休みだが泊まるだけなら泊めますと言われる。
ちょっと考えて、一応、断わることにした。
伊予三島では別の宿を探すことにした。

 12:00分、お腹が一杯になり、体も温まったので先を急がなければならないが、
霧雨が本降りになっている。
でも、それほど強い雨ではない。
お金を払い、雨具を着て、雨の中に一歩踏み出す。

 民家もないゆっくりとした登り坂で交通量の多い国道を、
時折けたたましくシブキを上げながら走る大型車の巻き上げる風に
菅笠を吹き飛ばされないように歩いていくと、土居町との町境に来る。
ここから遍路道が国道から離れ、民家の中へ続いている。ホッとする。

 土居町にはいると雨も小やみになり、上がってしまう。

 13:00分、熊谷橋を渡り村上食品というお店の前で休憩する。
旧道は、車がほとんど走ってこないのでのんびりと歩ける。
ここから、別格12番延命寺にお参りをすることにした。

 国道を横切って伊予土居駅に向かって歩いていくと左手に延命寺が見えてきた。

 13:55分、延命寺に着く。
小さな本堂にお参りをして、本堂より立派な大師堂に行く。
大師堂の中は広く,お土産やいろいろなものも売っている。
その中に大師像が安置されている。
大師像にお参りを済ませ、掃除をしている方に納経をお願いする。
納経料を差し出すと、「歩きの人から納経代は頂かないことにしている。」と
いわれ、返してくれる。
お接待と思いありがたく受け取る。

 境内のベンチで休みながら、今晩の宿をいよいよ決めなければと思い、
いろいろ考えたが、ろんどん荘に泊めてもらうことにして電話をする。
先ほどと同じように女将さんから泊まるだけならと言われ、お願いする。
 
 延命寺の境内の一角に大きな松の枯れ木が祀ってある。
木の幹が大きく捻じ曲がっている。
いろいろな謂われがあるようだ。

 さて、宿も決まったので、あと11キロほどを元気を出して歩く。
ろんどん荘を目指して歩いていると、後ろから風が吹いて後押ししてくれる。

 15:25分、豊岡橋のところにある仕出し豊田さんの前で休む。
足が痛くなってきており、元気もなくなっている。
空も薄暗く、何とも元気の出しようがない。
 でも、歩かないことには先へ進めない。

 小さな雑貨屋さんがある。
店先に干しイモが売っていたので買うことにした。
お婆さんがでてきて相手をしてくれる。
今日は大晦日なのに何時まで店を開けているか聞いたところ夕方までは
開けているという。
大晦日なのに早仕舞しないのか聞くと、これでも最近は早く閉めているという。
昔は夜の8時頃までは開けていたようだ。

「今晩はろんどん荘かい?」と聞かれたので「そうです。」と答えると、
「あそこはお遍路さんに親切だからね。」と教えてくれる。

 三島の市内に入ってきたようで道路の交通量が増えてくる。
下の方にある国道に降りて、ちょうど交差点で待っているおばさんに
ろんどん荘の場所を聞くと、「私はここの者でないので、あそこにいる人に
聞きなさい。」と近くにいる老人を指さす。
その老人に尋ねると、「この道を真っ直ぐ行った先の交差点を右に曲がると
すぐ角だ。」と教えてくれる。
言われたように歩くとすぐにろんどん荘が見えてきた。
ろんどん荘は大きなビジネスホテルだ。

 16:50分、やっと、ろんどん荘に着いた。
自動ドアの前に立つが、ドアが開かない。
手でドアを開け、玄関の中から「今晩は!」と声を掛けると
元気のいい女将さんが出てくる。
「今日は休みなので、食事なし、風呂なしで泊まるだけで良いのか?」と
言われるので、「それで良いです。」と答え、部屋に案内してもらう。
どこか近くに銭湯がないか聞くと、すぐ近くに健康浴場があると教えてくれて、
サービス券をくれる。
食べ物は、すぐ近くにコンビニも食堂もあると教えてくれる。
宿代を払い、荷物を部屋に置いて、早速、お風呂に入りに行く。

 ろんどん荘は、伊予三島の中心街にあるようだ。
駅も郵便局もすぐそばにある。
海に向かって坂道を降りていくと健康浴場があった。
 大きな駐車場があり、食べ物屋も隣接した立派な施設だ。
風呂には露天風呂もある。
ゆっくり体を温めて英気を養う。
近くのコンビニで明日の朝食を買ってから、ろんどん荘の近くにある
うどん屋で夕食を食べる。

 部屋に戻ると、何もすることがない。
今晩は大晦日、テレビを付け、布団の上でぼんやりしていると、
自然に目が塞がりウトウトしてしまった。

 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

   大晦日を遍路中で過ごすのは昨年に引き続き2度目となります。
  昨年は、安芸市のビジネスホテル弁長さんで過ごした。
  何とかそれなりの大きい街にたどり着いたのでビジネスホテルがあり
  泊めていただけた。
  これが田舎ならこうはいかないだろう。
   テレビでは、紅白歌合戦、K1グランプリなどをやっているが、
  見ていても、別な世界の出来事のように感じて、内容が思い出せない
  くらいだ。
   心は完全にお遍路モードになっているようだ。

平成15年12月30日(伊豫から讃岐・第30日目)

2005-08-17 09:20:26 | 第4回(伊予から讃岐)
12月30日(火曜日)
 (第4日目・通算第30日目・歩行距離 33.0km・歩行歩数44,947歩)

 5:50分、起床

 6:30分に1階に下りると、朝食の準備が出来ている。
ご主人が給仕してくれる。
同宿の人はまだ起きてこない。

 6:45分、栄家旅館のご主人に見送られて出発する。
ご主人から、横峰さんには、栄家さんの前の道を進み商店街を過ぎたところ、
信号で3つ目を左に曲がると横峰寺へのお遍路道だと教えてくれる。
お礼を言って、まだ薄暗い丹原町の商店街を歩く。

 商店街を歩いていると店のシャッターを開けている人達から挨拶をされたり、
道を教えていただく。
その度にお礼を言って、先へ進む。

 栄家さんのご主人に言われた3つ目の信号を曲がり、ブルースカイの空に
横峰寺のある黒々と聳える山に向かって真っ直ぐに続く道を歩いていると、
左手の空にオレンジ色に光る短い筋が見える。
細い筆でスッとなぞったようなオレンジ色がブルースカイの空に映える。
何かと思ってよく見ると、飛行機雲が朝日を受けて光っているようだ。
そのオレンジ色に光が少しずつ動いていく。

 中山川に架かっている石鎚橋を渡る頃には、辺りもすっかり明るくなってきた。

 国道11号の交差点にある歩道橋を渡り、高速道路の下をくぐったところで
休憩場所を探していた。

7:45分、ちょうど石上神社があったのでここで一休みする。
石上神社は小さな神社だが、なかなか趣のある神社だ。
階段を登り本殿にお参りをする。
 ここからは、両側に山が迫ってくる狭い農道をうねうねと、
登山口を目指して緩やかに登っていく。

 行き交う車もない誰もいない農道を歩いていくと、時折吹き下ろしの強い風が
吹いてくる。
菅笠を吹き飛ばされないように手で押さえながら歩く。

 湯浪にある八幡神社の前を通る。
この神社には、以前バイクで来たときに社殿に1泊させて貰ったことがある。
あの時は、ゴールデンウィークだったが、この辺りは標高が高いので寒くて
ふるえながら寝た記憶がよみがえってくる。
とても懐かしい。
 そういえば、八幡神社に泊まった夜に、広島のバスジャック事件が
起きていたのだ。
満天の星空の中で、雑音に混じり緊張したアナウンサーの声が耳に残っているが、
別世界での出来事のように聞いていたことを思い出す。
ここに泊まってから、もう3年が過ぎている。

 誰もいないし、車も来ないと思って車道の真ん中を歩いていると、
後ろから車が走ってくる音がする。
あわてて道の端によると、タクシーが走り抜けていく。
こんな場所までタクシーを走らせてくる人はお遍路に違いないと思い、
きっと、登山道に入ると追いつけると考えながら歩く。

 9:00分、登山口にある東屋に着く。
ここで一休みして息を整え、一気に横峰寺まで行くつもりだ。
 軽トラのおじさんが沢山のポリタンを降ろしてる。
どうやら水を汲みに来たようだ。
ここの水はおいしいようで、前に来ていたときも沢山のポリタンクを持った人が
水汲みに来ていた。

栄家旅館で同宿の人がやってくる。
額に浮かんだ汗を拭いながら、「やっと追いついた」という。

 9:20分、横峰寺への登山道に入る。
この道は、2回目なのでだいたいの様子が分かっている。
丁石仏の番号を見ながらドンドン登っていく。
ちょっと急な坂にはいると、上の方で人の声がする。
先ほどタクシーで来た人達のようだ。私と同年代のご夫婦だ。
挨拶を交わし、先に登っていく。

 丁石仏の番号が一桁になるともうすぐ横峰寺だ。
左手に、小さなお堂がある。
ほどなく、横峰寺の山門が見えてくる。


第60番札所 横峰寺

 9:55分、横峰寺に着く。
汗をかいた体に山の冷気が気持ちいい。
数人しかいない境内で、本堂と大師堂をお参りして、納経をしてもらう。

 香園寺への道を聞くと、大師堂の前を駐車場の方へ向かって歩いていくと
標識があるので、それに従って下ればよいと教えてくれる。

 納経所横のベンチで一休みしていると、小学生の男の子と女の子を連れた
ご夫婦がお参りに来ている。
子供達は寒い寒いと言って背中を丸めている。

 10:20分、納経所は山陰で日差しが当たらないので、香園寺に向かって
山を降りることにする。
栄家で同宿の人が追いついてくるかと思っていたが、まだ来ない。

 車道から登山道に入り、ときどき木の間から差す日差しを受けながら
快適に下る。

 途中で、下から登って来るおじさんがいる。
このおじさんと話をすると、「以前、このちょっと上にあるベンチで
札幌から来ているご夫婦と仲良くなり、今でも親交がある。」と話してくれる。
「この札幌の人は、西区に住むHさんという人で、お遍路を終えた後、
立派な本を送ってくれた。
さらに、私たちは、この上にあるベンチに仲間内ではHベンチと名付け、
時々ここまで登ってきては景色を眺めている。」などと話してくれる。
同じ札幌の人が、お遍路でちょっと触れ合っただけで、このようにいつまでも
温かく記憶に残してくれるのは、お遍路であるが故のことと思う。
このように人達に支えられながら、お遍路が出来るのだと思う。

 このおじさんの話だと、横峰寺に手前にあったお堂に自分が子供の頃は
4~5軒の家があり、暮らしていた人達がいたという。
あんな山の上でどんな人達が暮らしていたか聞くと、山伏の流れをくむ人達が
暮らしていたようだと教えてくれる。
買い物は、石鎚山の方に下った河口まで行っていたようだ。
河口から横峰寺までは健脚の人でも1時間半はかかるだろう。
あんな山奥で暮らしていた人がほんの50年ほど前までいたなんて
信じられなかった。

 おじさんにお礼を言って、別れる。

 長い下りの山道をやっと降りて、香園寺奥の院に着く。
誰もいないお堂の前でお経を唱える。
お堂の左手にある窓が開いており、ここで納経をしていただけるようだが、
声を掛けたが誰も出てこない。
仕方がないので、香園寺を目指して歩く。

 大谷池というものすごく大きな溜池の横を歩くが、水は真ん中を一筋の流れ
となっている。
池の大きさに比較すると、何とか細い流れか。
浚渫をしているのか、池の中にダンプカーやバックホーがとまっている。
その建設機械が小さく見えるほどの大きな池だ。

 大谷池を過ぎると少しずつ街に入ってくる。
高鴨神社の境内にはいると本殿の裏側に出る。
ヘンロ標識が本殿の裏側を通るように矢印が付けられている。
矢印に従って歩くと、境内の中でどちらへ進めばいいのか分からなくなる。
道は、この神社の下に続いているようだ。
神社に上がる階段横の道を歩きながら、ふと、気が付いた。
このヘンロ標識に従って歩けば、本殿の前を避けて横道を通るようになっている。
お遍路さんに、社殿前をウロウロされたくないと言うことなのか?

 住宅地の中を歩いていると、12:55分、香園寺に着く。


第61番札所 香園寺

 この寺の建物は、どうしても好きになれない。
ドーンとした鉄筋コンクリート製の大きな建物だ。
2階の入口からお堂の中に入り、薄暗いお堂の中でお参りをする。

 お参りを済ませて納経所へ行くと、納経帳を開いたおじさんが
「横峰寺を済ませたんの?」と聞いてくる。
「ええ、今朝、登ってきました。」と答えると、「ふん!、ふん!」と
頷いている。

 もうすぐ1時、お腹がすいている。
香園寺前にあるMIKIという喫茶店に入りうどん+ミニ牛丼セット6百円を頼む。

 13:50分、お腹も一杯のなったところで今日の宿を決めなければいけない。
喫茶店を出たところで、前神寺そばにある湯の谷温泉に電話する。
今晩は湯の谷温泉に泊まれることになったので、あと三か寺を歩かなければ
いけないが、距離的には6キロほどしかない。
のんびり歩いても陽のある間には着いてしまう。

 国道11号と並行して住宅地の中を歩く。
宝寿寺はこの国道11号に面しているので、そろそろ宝寿寺かと思い国道に
出て歩く。


第62番札所 宝寿寺

 14:05分、宝寿寺に着く。

 小さなお寺で、しかもすぐ横が国道なので騒音がひどい。
参拝客もいないので、さっさとお参りを済ませ納経所へ行く。

 ここから、吉祥寺までは1.5キロしかない。引きも切らず車の走ってくる
国道の脇を歩く。


第63番札所 吉祥寺

 吉祥寺の本堂前に行くと大きな声でお経を唱えているお遍路さんがいる。
60歳は過ぎている男性だが、アルミのマットを持っているので野宿を
しているようだ。
独特の節回しで般若心経を唱えている。
この人がお参りを済ませるのを待ってから、私もお経を唱える。

 納経を終え、前神寺を目指して国道へ出たら、先ほどの歩き遍路さんが
国道を横切ろうとしている。
私はそのまま国道を歩いていく。前神寺までは3キロほどだ。

 国道を歩いていくと、前方右手の山の中腹に大きな瓦屋根の建物が見える。
お寺か神社のようだ。
この建物が前神寺にしては山の中に入りすぎると思って歩いていると、
右手に細い道が国道と並行している。
右に曲がり、この道を歩いていくと大きな建物には日の丸がはためいており、
よく見ると石鎚神社だ。
 前神寺はこの石鎚神社のすぐ先にあった。


第64番札所 前神寺

 15:20分、前神寺に着く。
前神寺は山門から本堂まで、ちよっと距離がある。
山門にはいると左手に「念ずれば花開く」の石碑が迎えてくれる。
そのまま参道を歩いていき左に曲がると正面に大師堂がある。
大師堂の前を右に曲がり、階段を上がってさらに進むと、正面に本堂がある。
本堂でお参りをしたあと、右手手前にある階段を上がり、
お堂から本堂の写真を撮る。

 大師堂へ引き返し、お参りを済ませて、納経所へ行く。
納経所にいる若いお坊さんは、挨拶をするでもなく、目も合わせずに
一言も発することなく納経を終えると、ぶっきらぼうに納経帳を返してくれる。

 あとは、宿に行くだけなので、納経所前のベンチで一休みする。
山陰で陽の当たらないベンチは寒いのだが、今日はいい天気だったので、
まだ、幾分気温が残っている。

 ちょっと寒くなってきたので宿へ行くことにする。
納経所の右手から駐車場を抜けて道路に出たところに小さな公園があり
東屋がある。
東屋を見ると、お遍路らしい男性が二人座って話している。
どうやらここで野宿するらしい。

 15:55分、湯の谷温泉に着く。
湯の谷温泉は冷泉を沸かしてはいるが、れっきとした温泉だ。
泊まる部屋は奥の方にある離れのような建物だ。
本館とは渡り廊下で繋がっているが、廊下の途中に洗濯機が置いてある。
建物は古いが、泊まる部屋は趣があった。

 部屋で着替えを済ませると洗濯物を持って、風呂へ向かう。
廊下の途中にある洗濯機に洗濯物と洗剤を放り込み、風呂へ行く。
 風呂場はたくさんの入浴客で混んでいた。
今回、初めての温泉なので、ちょっと熱めのお湯の中で手足を伸ばし
ゆっくり入る。
気持ちがいい! 体の隅々まで暖かさが沁みてくる。

 夕食が出来たとの電話を受けたので、食堂へ行く。
4人ほどの食事が用意されており、すでに私以外の人は席について食べている。
私の名前が書かれた席に着くと、私の前に座っている60歳過ぎのガッチリした
体型のラガーシャツの人が話しかけてくる。

 「歩いているんでしょ?」、「はい!」と答えると、「前神寺で見かけたので
そう思っていた。どこから来たの?」と質問が続く。
北海道から来ていること、今回は松山市から歩き出したことなどを話し終えると、
この人は、輪島から来ていること、今治まで歩いていたが、今回はその残りを
交通機関と歩きを併用して88番まで終えようと思ってきていることなどを
話してくれる。

食事が終わった後も部屋に来ないかと誘われ、お邪魔することにした。
 この人(三角寺で納札を貰ったのでMさんと分かる。)は、
東京で食品を扱う会社に勤めていたが、郷里の輪島半島にある町に残っている
両親が高齢で面倒を見る必要があること、また、奥さんがリュウマチで体が
不自由であることなどを話してくれる。

 ビールを勧められて、部屋にお邪魔していたが、お遍路中に酒を口にしたのは
今回が初めてだ。
 Mさんが住んでいる町の町長は友達だというが、
なんと、すでに6期24年も町長をやっているという。
多選批判も小さな町には関係がないようだ。
しかし、町財政は苦しく、合併問題もあり、なかなか大変のようだ。
この町長にいろいろなことを言い過ぎて喧嘩してしまったという。

 いつも思うことだが、確かに、しばらく住んでいなかった土地に行くと
その土地の問題点などが気になって仕方がないことがある。
今まで住んでいたところと比較するし、悪いところばかり目についてしまう。
この感情をストレートに現してしまうと、よそ者が何を言う、
何も知らないくせに!といった、感情むき出しの話になってしまいがちだ。

 でも、この時感じたことをそのままにすると、不思議なことに、
次の年には言う気も起きなくなってしまう。
だから、その時感じたことを素直に言うことは大切だが、
相手が素直に聞く気持ちがなければ、悪口を言われていると感じ、
敵意をむきだしにしてくるだろう。
自分が感じたことを素直に取ってもらうためには、この辺の言い方と、
どのような場面で言うかが大切なことだと思う。

 けっこういろいろな話をしていたが、時間も遅くなってきたので、
お礼を言って部屋に戻る。

 明日の行程は、池田町の民宿岡田さんが1日の夜泊めてくれるかに
懸かっている。
もし休みならば、伊予三島市まで行って、一気に雲辺寺を越えなければ
いけなくなる。

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  昨年のお正月もそうでしたが、年末から年始にかけて歩く場合には、
 宿の確保が重要な問題となります。
 都市部では、年中無休のビジネスホテルなどがありますが、田舎へ行くと
 そういうわけにはいきません。
  本来、冬はお遍路さんが歩く時期ではありませんし、年末からお正月は
 田舎ではそれぞれの行事があり、仕事を休む習慣の土地の方が多いと
 思います。
  ですから、年末から年始を歩く場合には、泊まる宿をどこにするか
 ある程度決めておいてから宿泊可能かの情報を得ておく方がいいと思います。

平成15年12月29日(伊豫から讃岐・第29日目)

2005-08-16 09:49:54 | 第4回(伊予から讃岐)
12月29日(月曜日)
 (第3日目・通算第29日目・歩行距離 30.9km・歩行歩数47,827歩)

 6:00分、いつものように布団を出る。

 6:30分、1階の食堂で朝食を取る。

 テレビで天気予報を見ると、今日から少し寒波がゆるみ暖かくなると
報じている。

 ちょっと早いけれど、用意もできたので5:50分に笑福旅館を出る。
太山寺への道は旅館の前の道を真っ直ぐに歩けばよい。
女将さんに挨拶して玄関を出る。
夜明け前の薄暗い空が少しずつ明るくなってくる。


第76番札所 泰山寺

 7:25分、泰山寺に着く。
お城の石垣のような造りの壁を回り、階段を上がると境内だ。
ようやく日が射してまぶしくなってきた本堂と大師堂にお参りをするが、
私の他にお参りをしている人はいない。

 お参りを終えて納経所へ行くと中年の女性が一人納経帳を持って
ウロウロしている。
どうやら、納経所に誰もいないのでどうしたら良いか分からないようだ。
納経所にあるベルを押してあげると、奥の方から住職らしい人が出てくる。
中年女性が先に納経をすると、お礼を言って足早に境内をかけていく。

 次の栄福寺まで約3キロの道のりだ。
畑の中に続く道を歩いていると、向こうから犬の散歩をしているご夫婦が
やってくる。
挨拶をして歩いていくと、お地蔵さんと一緒に遍路石のある交差点に来る。
お地蔵さんは雨がかからないように小さな屋根が付けられた囲いの中にあり、
遍利石の指は狭い路地の先を指している。

 その差した指先に従ってしばらく歩くと、蒼社川にぶつかり堤防の上を右に
曲がって歩く。堤防の上が抜け道となっているのか車の量が多い。

 川に架かっている橋を渡り、左にある農道を歩いて行くと、
道はさらにあぜ道のようなせまい道になり、小高い山を回り込むように
続いている。

ほどなく、栄福寺の駐車場が見えてきた。


第57番札所 栄福寺

 8:15分、栄福寺に着く。
栄福寺は、小さなお寺だ。本堂も大師堂も小さく可愛らしい造りだ。
山陰にあるので日も射さず、ちょっと寒い。

 本堂と大師堂にお参りを済ませ、納経も終えると、ベンチでちょっと休む。

 ここから仙遊寺までは距離は2.5キロとさほどではないが、
仙遊寺は山の上にあるので標高差を考えると1時間弱はかかると覚悟している。
 
 8:30分、栄福寺から仙遊寺に向かう。
道はすぐに登り坂となり、溜池の上に向かって階段になる。
溜池の上に出る。この溜池は犬塚池だ。ここから山を見ると、
中腹に仙遊寺らしい瓦屋根の建物が見えている。

農道を歩いていくと、あちらこちらにお地蔵さんが祀ってある。
手を合わせながら歩いていき、ふと後ろを振り返ると、今治の街が一望できる。
しまなみ街道の橋が島々を繋いで広島方面へ続いているのがよく見える。
今治の街には朝日が当たりキラキラと輝いている。
今日歩いてきた道が一望できるので、南光坊から栄福寺までの道を目で
追ってみる。

 ほどなく、仙遊寺の山門に着く。
この山門から歩きは直登出来るが、車は右の車道を上ることになる。


第58番札所 仙遊寺

山門をくぐると、道はいきなり暗く狭い沢の中を階段となって
上へ上へと続いている。
この階段を一生懸命登ると、汗が一気に吹き出してくる。
でも、5分ほどで境内に出る。

 9:00分、ちょうど仙遊寺の境内に着く。

 ちょうど本堂に日が射し込んでいる。本堂の屋根が光の中で輝いている。
本堂の奥の方にも日差しがのびているので、その日差しを背中に受けながら
お経を唱える。
本堂の右奥にある大師堂には日が当たっていないので少し寒い。

 納経所は本堂の中にあるので、もう一度本堂へ行く。
本堂の前にあるベンチに座っていると、小学生の女の子が一生懸命ほうきで
庭を掃いている。
お父さんの手伝いをしているが、お父さんから小さな石を集めているだけで
ゴミのないところは掃かなくてもいいと言われ、ちょっと不満顔をしている。
元気なコロコロした子供だ。

 老人が話しかけてくる。
この老人も庭の掃除に来たようだ。
「どこから来た、歩いているのか?」と言われたので、
「そうです。札幌から来ています。」と言うと、これからの道を教えてくれたが、
方言でちょっと聞きづらかった。
お礼を言って、仙遊寺を後にする。
帰りは車道を下ることにした。

 仙遊寺からはJR伊予富田駅に向かうコースと五台山に向かうコースがあるが、
お爺さんの行っていたコースは溜池の手前を右に曲がれといわれたので、
五台山コースを選択する。

 山道をドンドン下っていくと、農道に出る。
そのままさらに下っていくと、なるほど、十字路の向こうに溜池がある。
この十字路を右に曲がってドンドン歩く。
五台山の入り口を過ぎたあたりから、道が分からなくなった。
国分寺のある方角よりドンドン右の方にそれているような気がする。
適当に補正して歩いていくと、牛を飼っている農家があるので道を聞いたが
よく分からない。
ズート先の方に交通量のある道路が見えているので、取りあえずそちらに
向かって歩いていく。

 もう少しで広い道に出るといったところで、後ろから走ってきた軽自動車を
運転する中年の女性から、この広い道の交差点を渡るとすぐ細い道にぶつかる
ので、その道を右に行くと橋があると教えられる。

お礼を言って、交差点を渡ろうとすると右手にうどんのやまびこを見つける。
そうすると、この交差点野崎にある細い道を左に曲がるとすぐ橋があるはず
なので、交差点を渡り細い道を女性に聞いた方向とは逆に曲がり歩く。

 ほどなく右手に橋があったので、その橋を渡り、すぐ、左に折れ、
地図に従って歩く。

 畑の中の道をドンドン歩いていく。
今日は天気も良く、風も昨日とは違って暖かい。フリースを脱いで
綿のシャツ姿になり、腕まくりをして歩く。
気持ちいい風が、頬に当たる。

 11:00分、ちょっと道に迷ったが、無事に国分寺に着く。
国分寺の山門前にある「タオルの店五九楽館」はやっていなかった。
テントが残っているだけで、その中はガランとしている。


第59番札所 国分寺

 階段を登って境内にはいると数人のお遍路さんがいるだけで閑散としている。
境内には太陽の光が当たり、眩しいくらいだ。気温も上昇している。
お参りを済ませた後、境内で日向ぼっこをする。
昨日までの冷たい風と打って変わって、今日の風は暖かく気持ちが良い。

 ここで、今晩の宿を丹原町にある栄家旅館に決めて電話をする。
女将さんが電話に出て,OKの返事を貰う。
 さて、宿も決まったし、お腹もすいてきたので昼食を取ろうと思った。
国分寺の先に食べ物屋がありそうなので、国分寺を後にする。

 15分ほど歩いたところに「いちりき」という和食のレストランを見つける。
ちょっとしゃれた感じの建物なので入るのを躊躇したが、
この先にどんな食べ物屋さんがあるか分からない。
小綺麗な店の中にはいると、お客さんはほとんどいなかった。
一番奥の席に座り、肉うどんを頼む。

 肉うどんのお陰でお腹の中もすっかり暖かくなったので、
ここからは、フリースも脱いで身軽になって歩く。

 伊予桜井の街を歩いていくと、国道196号に合流する。
交通量の多い道路なので歩道が付いているが、ゴオーゴオーという騒音の中を
歩くのは気が滅入ったしまう。

 国道が少しずつ登り坂となってくる。
歩道も狭くなってくるので、騒音が一層ひどくなる。
 左手に小さな集落があり細い道が国道と平行しているようなので、
その道を歩く。
わずか10メートルか20メートル離れるだけで騒音がぐんと少なくなる。
 集落の中を歩いていくと道が国道から離れていく。
少し戻って、国道際で一休みする。

 一休みして気持ちも新たに歩き出すと、東予市との境に来る。
ここから右手にある小道には入らなければいけないが、
行き交う車が多いのでなかなか国道を横切ることが出来ない。
 やっと、国道を横切ると、ほとんど車の走っていない車道となる。
東予学園の横を気持ちよく歩いていると、道が下り坂となり見晴らしの
いいところに出る。
山頂付近が雪で白い山並みが目の前に広がっている。
一番白いのがきっと石鎚山なのだと思うが、どの頂が石鎚山か分からない。

 道はここから集落へと続いているが、細く狭い道となる。
 少し下ったところで、お婆さんから声を掛けられる。
ミカンでもといって、3個お接待してくれる。
ここでお婆さんに、石鎚山の山頂がどれなのか教えて貰うと、
一番右端の高い雲に隠れている山頂が石鎚山だと教えてくれる。
お礼を言って、坂道をドンドン下る。

 伊予三芳の街を歩いていると急に右足の脹ら脛が痛くなる。
まるで針を刺されたような痛みが走る。
ほどなく、日切大師なので、そこまで我慢して歩く。

 14:05分、狭い路地に入ると、突き当たりに日切大師堂がある。
裏びれた小さなお堂だ。隣にある民家はまるでゴミ屋敷のようだ。
ゴミともがらくたとも言いようのない物が家の回りに捨てられている。
取りあえずお参りをして、木陰で休んでいると、隣の家から出てきた
おじさんが話しかけてくる。
どうやら、この日切大師堂を守っている人のようだ。
北海道からお遍路に来ていることなどを話していると、庭にあるミカンの木から
ミカンを2個切り取ってお接待してくれる。
お礼を言って日切大師堂をあとにしたが、脹ら脛の痛みはおさまっていた。
あの痛みは一体何だったのだろう。

 日切大師堂から10分ほど歩いたところで、玄関の開いている家の前を
通り過ぎると、「お遍路さーん」と声がかかる。
振り返って少し戻ると、家の中から70歳は過ぎている上品なお婆さんが出てくる。
「これをお接待したいのですが」と言って、小さなフクロウのマスコットを
4~5個渡してくれる。
見ると、大きさが2センチほどのフクロウだ。
手芸品のようで、赤や紫、桃色などカラフルな布をベースに可愛らしい目も
付いたフクロウだ。
お礼を言って納め札を渡すと、「フクロウは「不苦労」と書くこともでき、
「苦労せず」と読むこともできるので、お守りとして渡している」と
教えてくれる。
可愛らしいフクロウを1個杖に付けて歩くことにした。
表札を見るとNさんと書かれている。お婆さんありがとう。
Nさんからもミカンを3個頂いたので、ザックの中にミカンがあふれている。
でも、このような出会いがあるから、お遍路は楽しい。

 さて、お正月休みは郵便局の休みが長いので、9月のお遍路のように、
お金がおろせずに久百々さんの宿代を踏み倒すなどということがないように、
どこかでお金をおろさなければいけないと思っていた。

 ちょうど、お遍路道沿いに吉岡郵便局があったので少し多めにおろしておく。
これで、年明け4日までの宿代は大丈夫だ。

 空模様がおかしくなってきた。いつの間にかドンヨリと曇っている。
風も強くなってくる。寒くなってきたので雨具も付けて歩く。
丹原町にはいるが、市街地はまだ先の方だ。
なだらかに下っている道の先に市街地が見えている。
もう一息だ。疲れてきた体に活を入れる。

 ようやく丹原町に入ってきた。役場や郵便局がある。
さて、栄家旅館の場所を探さねばと思っていると、街角に街路図がある。
よく見ると、栄家旅館が書かれている。
これで、だいたいの場所もわかったので、丹原町の商店街を真っ直ぐ歩き
栄家旅館を目指す。

丹原町の商店街を抜けるとYの字の交差点がある。
何の気なしに左に曲がって進む。
しばらく行くと丹原高校の前に来たが栄家旅館がみつからない。
道を間違ったと思い引き返し、Yの字交差点を今度は右に行くと
すぐ近くに栄家旅館がある。

 16:00分、栄家旅館に着く。  
 
 女将さんので迎えを受け、2階の部屋に案内される。
洗濯機の場所を聞くと外にあると言われる。
玄関を出た駐車場の隅に洗濯機があった。
荷物を整理し、洗濯に取りかかっていると、食べませんかと焼餅を持ってきて
くれる。
熱いのでフウフウ言いながら食べる。おいしかった。
洗濯をしていると、霧雨が降ってくる。

 夕食の時間まで、しばしウトウトうたた寝をする。

 風呂に入り、夕食を食べに1階に行くと、今晩泊まるもう一人の客が
ようやく着いたようだ。

ご主人が食事を運びながら説明してくれる。
今晩の食事に出ている野菜は全て自家製のものでご主人が育てているものだ
という。
自然薯も出ていたので、これもですかというと、そうですと言われる。
自然薯は体に良いので皆さんに出しているようだ。

 ご主人はタクシーの運転手をしていたようで、お客さんを乗せて
お遍路にも随分出掛けたことがあると話してくれる。
 女将さんにNさんからお接待されたフクロウを数個あげる。
「私、フクロウ大好きなんです」と、とても喜んでくれる。

 今晩の、もう一人のお遍路さんが食卓に付く。
年齢は30過ぎのちょっと腹が出かかっているがっちりした体系の男性だ。
延命寺の先から歩いてきたと話している。
ご主人が、到着が遅いので暗くなるし道が分からないかと思い
迎えに行っていたが、探せなかったと話している。

 そうだ、歩いているときは自分一人でしっかり歩いているつもりでも、
自分の見えない、感じないところでどれだけ宿の人や地元の人に心配をかけたり、
世話になっていることがあるかを考えながら歩かなければいけない。
 この人は、暗い中でも宿を探してこれるかもしれないが、
宿の人にしてみれば、道に迷っているのではないかといろいろと心配している。
遅くなるなら電話1本かけるだけの気遣いがあればいいのになあ~と思う。
他山の石として、私も気を付けなければいけないと思った。

 この人は、明日は横峰寺から石鎚山へ登ると言っている。
でも、石鎚山の山頂付近は雪で真っ白になっている。
どこまで登れるのだろうか。

 明日はいよいよ横峰寺だ。
山登りなので早めに床につく。

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  宿の予約については、私は当日のお昼頃までにはするようにしています。
 宿の仕事を考えると、昼食時間が一番連絡が付きやすいと思って電話を
 かけています。
  最近、宿泊の予約をしておきながら連絡なしにキャンセルする人も
 いるようです。
 このような場合、今回の栄家旅館のご主人のように、どこかで道に迷って
 いるかもしれないと思い捜しに行く親切な宿もあります。
 泊めていただく方の心得として、宿に着くのが遅くなるようでしたら
 必ず連絡を入れていただきたいものです。
 そうすれば、宿に人も安心して待つでしょうし、歩いている方も、無用の
 心配をかけずに済みます。
  でも、早立ちして早めに宿に着くような行程で歩くことをおすすめします。
 自分一人で歩いているのではなくて、歩かせていただいているという気持ちが
 大切だと思います。 

平成15年12月28日(伊豫から讃岐・第28日目)

2005-08-12 09:30:50 | 第4回(伊予から讃岐)
12月28日(日曜日)
 (第2日目・通算第28日目・歩行距離 36.3km・歩行歩数52,739歩)

 いつものように6時に布団を抜け出す。
 
6:45分、1階にある食堂に行くと朝食の準備が出来ていた。
ボリュームのある朝食がテーブルに並んでいる。
今回はちょっとダイエットをしようと考えているので、ご飯は1膳だけにする。

 朝食を終え、宿代を払うと、女将さんが「ちょっと邪魔になるかもしれない
けれど。」といって、シラス干しをお土産に持たせてくれる。
お礼を言って宿を出る。

 7:15分、やっと明るくなってきた堀江を女将さんに見送られながら歩き出す。
川のところまで来て後ろを振り返ると、まだ、女将さんが手を振って見送って
くれている。
私も手を振ってお別れする。

 今日も寒い風が吹いている。
しばらく進むと国道に出る。
ここからは、海沿いの道をズーッと歩かなければいけない。

 堀江の街を過ぎると国道のすぐ左側が海になっており、
後ろを振り返ると堀江の港が見えている。
海の色がエメラルドグリーンに光っている。きれいだ。

 しばらく歩いていると、2~3百メートル先を歩いている人がいる。
白い着物を着ているのでお遍路だろう。
歩くスピードが同じなのか、間隔が縮まってこない。

 ふと見ると、前を歩いている人の姿が見えなくなった。
どうしたのだろうと思って歩いていると、堤防の横でカメラを構えている。
よく見ると女性だった。

 私はそのまま進んでいくと、後ろの方から鈴の音がだんだん近づいて来る。
声を掛けられたので振り向くと、30代後半といった女性が遍路姿で歩いている。
夕べはどこに泊まったのか聞くと、民宿伊予路に泊まったという。
ほとんど同じ場所に泊まっていたようだ。

 話しかけてもあまり答えが返ってこないので、前後に並んで歩いていくと、
道路の反対側に粟井坂大師堂が見えてきた。
彼女はそこへお参りしていくというので、ここで別れる。

 8:20分、少し休もうと思っていると、JR粟井駅前近くのはしだ商店に
ベンチがあったので、ここで休むことにした。
自販機から飲み物を買っておく。
 ベンチで休んでいても寒いので早々に歩き出す。
歩いている方が体が温まる。

 しばらく行くと雪雀と書かれた造り酒屋さんの前を通る。
一度、通り過ぎて戻る。
この酒屋さんからお土産用のお酒を札幌まで送ることにした。
店に入ると中年の女性が二人働いている。
「辛口のお酒がほしいのですが。」というと「私のところのお酒は
全部辛口です。」と言われる。
純米吟醸と純米特別、それに本醸造のお酒3本を送ってもらうことにした。

 ここからは、海が海水浴場となっているのか、いろいろな食べ物やさんの
看板を見ながら歩く。

 1時間近く歩いたところで、北条市役所と書かれた標識を見つけたので
右に曲がり、北条の街へはいる。

 北条の街も閑散としており、人影のない道を黙々と歩く。

 児童館のような建物に近づくと餅つきをやっていた。
子供達が大きな杵を持ち上げ、餅をついている。
おじさんが合いの手を入れている。
ここだけは賑やかだった。

 時折あるヘンロ標識に導かれ歩いていくと、国道らしい交通量の多い
広い道路を横切る。
ずーっと先にある山を目指して細い道が一直線に伸びている。

 その道をドンドン歩いていくと、T字型の交差点に差し掛かる。
そこには延命寺への標識がある。
ここを何の気なしに曲がるとすぐ右手に小さなお寺がある。
そのまま進むと、竹林があり両側が畑となっている。
四つ角がありどちらへ進めばいいのか分からなくなってしまった。
ちょうど、農作業のお婆さんがいたので、
「鎌大師へは、どの道を行けばいいのですか。」と尋ねると、
「通り過ぎている。」と言われ、先ほどの小さなお寺が鎌大師だと教えてくれる。
お礼を言って、あわてて、今、歩いてきた道をもどる。
どうやら、ボーっとして歩いていたようだ。

 9:50分、鎌大師に着く。

 小さな本堂と、本堂の右側にあるさらに小さな大師堂にお参りをする。
庵の方で納経をして貰おうと思い玄関を開けたが誰もいない。
呼び鈴を鳴らすと奥の方から私と同年代のお坊さんが出てくる。

 鎌大師では、密かに、お正月の準備の手伝いなどで手束妙絹尼さんが
来ていないかと期待をしていた。
しかし、それは淡い希望だった。

 納経を終えると「コーヒーでも飲んでいって下さい。」といわれ、
缶コーヒーを持って奥の方へ行ってしまった。
しばらくすると、カップに入れた温かいコーヒーを持ってきてくれた。
どうやら、レンジで暖めてくれたらしい。
お礼を言ってご馳走になることにした。

 ここから先の道を教えて貰いながら、お寺で厄払いをすることについて
いろいろな話を聞く。
昨年の清滝寺をお参りしたときにお祓いを受けている人達とのことが
ずーっと気になっていた。
北海道ではお祓いと言ったら、ほとんどの人が神社でする。
お寺でお祓いをする人は、ほとんどいないのではないか。

 この人の話では、神社でお祓いをするのもお寺でお祓いをするのも、
こちらでは違和感なく普通に行っていると話してくれる。
神社に固執しているのは、北海道だけの話なのか?

 鎌大師から一山越えると浅海の街だ。ここからまた海沿いの道を歩く。

 しばらく歩くと「海賊うどん」と看板の出ている店がある。
思い出した。この店は、以前バイクで来たときにハーレー君が昼食を
取っていた店だ。

 国道をドンドン歩いていくと、右側にお店がある。
店の前にベンチが置いてあるのでちょっと休むことにした。

11:25分、菊間町、池内園芸で休憩する。
ここのベンチに座ると、ちょうど日差しもよく風も吹いてこないので、
体がほんのりと暖かくなってくる。
お腹がすいてきたので、昨日貰っていたミカンなどを食べる。

 左手に広がる海には大きな船が行き交っている。
貨物船やフェリーなどの他にクレーン船などいろいろ船が次から次にやってくる。
この船に追い抜かれないように競争しながら頑張って歩く。

 菊間町にはいると、道路の右側に遍照院がある。
お参りをしながら本堂の中を覗くと、本堂の中に沢山の人がいる。
どうやらお祓いを受けているようだ。
お参りを終え納経所へ行こうと思ったら、納経所前のテントで
お土産などを売っているお婆さんが缶ジュースと最中を入れた袋を
お接待ですと言って差し出す。
そして、住職はお祓い中だから納経が出来ないと言う。
お婆さんにお礼を言って、遍照院を後にした。

 お腹がすいてきたので食堂を探しながら歩いていると、
町はずれにラーメン屋を見つけたので昼食はラーメンにする。

「ラーメンとんとん」に入ると店の中はお客さんで込んでいた。
カウンターに座り、塩ラーメンを注文する。
 そして外へ出て、今晩の宿を予約する。
今晩のお宿は、南光坊のあたりに泊まることにした。
しかし、数軒の宿に電話したところ呼び出し音が鳴っても誰も出ないか、
やっと繋がったと思ったら「この電話は随分前から私が使っている。」と
言われて電話を切られてしまう。
結局、電話の繋がった宿が一軒もなかったので、一度店の中にもどる。

 ラーメンを食べ、元気も出てきたので今治市を目指して歩く。

 14:00分、菊間町から大西町に入ったところに休業中のガソリンスタンドが
あったので一休みする。

 ここで、また、今晩の宿を探す。
南光坊裏の笑福旅館にやっと電話が繋がり、泊めてくれることになった。
やれ、やれ、これで今晩の宿も決まった。

 大西町の街に入ってくると、向こうの海に大きな船が数隻浮かんでいる。
大きなクレーンなどもあるので、どうやら造船所らしい。
近くに行くと「来島ドック」と書かれている。
 来島ドックと言えば、社長だった坪内寿夫さんを主人公にした柴田連三郎の
小説にもなった会社だったことを思い出す。
こんなところにあるのだ!

 山の向こうにストロボが点滅している真白な大きなH型の橋脚の上の方が
見える。
橋脚からは半円形のケーブルがその橋脚を繋ぐように垂れ下がっている。
しまなみ街道に架かっている橋の橋脚のようだ。
もう少しで今治だと思い、頑張って歩く。


第54番札所 延命寺

 15:10分、延命寺に着く。
見覚えのある小さな山門をくぐり売店の前を通り過ぎると、正面に本堂がある。
人影まばらな本堂前でお経を唱える。
 左手の階段を上がり、大師堂でもお参りをする。

 納経所で納経をしていると、売店のお婆さんがショウガ湯をお接待してくれる。
ショウガの香と甘い味が舌にしみ込む。
お礼を言ってから、納経所の前にあるベンチで一服する。

 納経所のお爺さんに、ここから南光坊への道を聞くと、納経所の前を山門まで
行かずに、ベンチの横から真っ直ぐ左手に進めばよいと教えてくれる。

 言われたとおりに進むと、道はドンドン山の中へ向かう。
坂道を登り切ると、そこは、大きな墓地の中だった。
どうやら、市営の墓地のようだ。
すり鉢状の谷一面が墓地になっている。

 この墓地には、お正月を迎えるための墓参をしに来ている人が沢山いる。
墓地の真ん中にある道を市街地に向かって進んで行くと、向こうから火葬場に
向かう人達のバスがやってくる。
こんな時間でも火葬場が開いている。

 お参りに来ている人の車が駐車しているため、車同士がすれ違うことが
出来ない。
車をよけながら歩いていると、広い道に出る。
そこを左に曲がって進んでいくと、左手に大きな神社がある。姫神神社だ。

 道が街の中に入ってくると南光坊はもうすぐだ。
南光坊と書かれた矢印がある交差点を曲がると右側に大きな神社がある。
別宮大山祓神社だ。
南光坊はこの神社の隣にある。


第55番札所 南光坊

 16:20分、今日最後のお寺となる南光坊に着く。
日が沈み、薄暗くなっていく静かな境内で本堂と大師堂にお参りをする。
納経所を探すと、本堂横の建築中と書かれた塀の横に入り口があった。

中には、若いお坊さんと老人が楽しそうに話をしている。
納経をお願いしてからお坊さんと話をすると、お坊さんが隣にいる老人を
「この人はシドニーで将軍という日本料理の店のコックさんで、お正月なので
帰省してきている。」などと教えてくれる。
そこで、「私は北海道から来ているのです。」と教える。
そして、3年ほど前にこちらに来たとき、お経の本を落としてしまい、
こちらで買い求めたところ、こちらのお坊さんの入山記念とかで造られた
立派な経本を分けて貰いました。と話すと、「それは私が入山修行を終えた
ときに記念で造った経本です。」と言われる。
そして、あの経本が北海道まで行っているのですかと、感慨深げに話してくれる。

 シドニーの将軍に務めている老人は、年齢65歳くらい、お兄さんが南光坊の
仕事を手伝っている関係で顔を出したと話してくれる。
「もう、シドニーに行ってから8年ほどになる。」などと話してくれる。
 
 玄関の上がり框に紙箱があり、その中に小さな手縫いの巾着袋が沢山ある。
信者のお婆さんが造ったものでお接待するために置いてあると言われたので、
一つ頂くことにした。
薄い小豆色の袋を貰い、携帯の充電コードを入れるのに使うことにした。

 外が暗くなってきたので、お礼を言って、南光坊を後にする。
今晩の宿、笑福旅館はすぐ裏の方にあるはずだ。
地図を見ながら歩くと、5分くらいで見つかった。

 玄関で声を掛けると、お婆さんが出てくる。女将さんのようだ。
70歳は過ぎている。
風呂と洗濯が出来る場所を聞いてから、2階の部屋へ案内される。
洗濯する場所は、風呂の浴室にあるドアを開けると裏口になっており、
そこに洗濯機が置いてある。

 部屋に荷物を置き着替えを持って風呂に行く。
浴室から素っ裸で裏口から外に出て洗濯物を洗濯機に放り込み、
浴室に戻り風呂に入る。

 夕食の時に、「この付近の宿に何件か電話していたが辞めたと言われた宿が
数軒あった。」と女将さんに話すと、「この辺は、しまなみ街道の工事に合わせ、
鉄道の高架工事を行ったため廃業した宿が何軒もある。」と言う。
経営者が高齢で、しかも後継者もいないのでやむなく廃業した宿も多いという。
笑福さんも「忙しいときは近くに嫁いでいる娘さんが手伝いに来てくれるので、
何とかやっている。」などと話してくれる。
 宿の経営者が高齢で、しかも後継者難だという話は、ここだけでなく、
あちらこちらで聞くし、実際に見てきた話だ。
お遍路宿も、お遍路だけを相手にしては食べていけない現状がある。

 四国遍路を世界遺産にと言う話があるが、遍路宿がドンドン消えていくという
問題をどう考えるのだろうか?
 遍路をしていると一番接する機会が多いのは、納経所の人と宿の人だ。
しかし、断然、宿の人と話す機会の方が多い。
女将さんなどからいろいろな話を聞いて教えられることも多い。
このような宿が、経営者の高齢化などからドンドン廃業している。
時代の流れと言ってしまえば身も蓋もないが、何とかしなければいけない
問題だと思う。
 遍路道を残すということは、お寺を残すだけでは意味をなさない。
遍路宿も含めて考えなければいけない問題だと思う。
しかし、私の頭では良い解決案も浮かばない。

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  遍路宿の女将さんは高齢の方が多い。
 あちらこちらで私の代まではと頑張っている女将さんのお世話になってきた。
 跡継ぎの問題は、お遍路宿が商売として成り立たない現状がある。
 特に歩き遍路にとって大事な場所にある宿が、一般客が泊まれるような場所に
 ない場合には商売としては難しいと思う。
 年間、数千人といわれる歩き遍路のうち何人が泊まるのだろう。
 1家が生計を立てていく上での収入額から逆算すると必要な売上額が計算でき
 るが、その金額には当然満たないだろう。
 だから、廃業してしまうのだ。

平成15年12月27日(伊豫から讃岐・第27日目)

2005-08-11 13:42:08 | 第4回(伊予から讃岐)
12月27日(土曜日)
 (第1日目・通算第27日目・歩行距離 27.2km・歩行歩数45,473歩)

 JR松山駅に6:00分に着く。外はまだ真っ暗で、冷たい風が吹いている。
ここからバスに乗り換えなければいけないが、バスは松山市駅から出る。
松山市駅には電車で行くことにした。
 15分ほど待つと電車が来た。
電車に乗り換えて、松山市駅に着く。
何か食べ物を買おうと思ったが、開いてい留店が見あたらない。
やっと、ローソンを見つけたので、ここで朝食用に肉まんを2個買う。
待合室で肉まんを食べながらバスを待つ。

 7:05分、浄瑠璃寺方面へのバスが出る。
お客さんはほとんどいない。一緒に乗った私より年上の女性が話しかけてくる。
大阪駅からのバスも一緒に乗っていたようで、しかも、隣に乗っていたという。
どうやら、真ん中の列に乗っていた女性のようだ。
 お遍路についていろいろ聞いてくる。
身なりは小綺麗で上品なものを身に付けていると思ったら、宝塚から来たという。
 身内のお見舞いに来たと話してくれるが、浄瑠璃寺のあたりは松山市内から
相当離れているので、病院というよりは老人保健施設へお見舞いに来たようだ。
松山は遠いのでなかなか来られないなどと話してくれる。
浄瑠璃寺の手前でバスを降りる。「気を付けて歩いて下さい」と言われる。

 7:50分、バスが浄瑠璃寺の前に着く。
運転手さんが気を利かして浄瑠璃寺の真ん前でバスを止めてくれる。
お礼を言ってバスを降りる。
 さあ、ここから、今回のお遍路が始まる。
今回の予定では善通寺あたりを目指して歩くつもりだ。


第46番札所 浄瑠璃寺

 浄瑠璃寺の前で一礼し、階段を上がる。
空は鉛色でドンヨリと曇っている。境内の中は暗く、冷たい風が吹き抜けて寒い。
誰もいない本堂と大師堂の前でお参りをする。 
お参りを済ませポツンと灯りがついている納経所へ行くと納経所には
見覚えのある住職がいる。
丁寧に納経してくれる。
境内の中を掃除しているお寺の奥さんに八坂寺への道を聞く。

 ドンヨリとした曇り空で足元から冷たい風がビュービューと吹く
遍路道を八坂寺に向かって風に押されるようにして歩く。

 畑の中の道を歩いていると空からチラチラと白いものが降ってくる。
雪だ!雪が強い風に舞うように降っている。どおりで寒いはずだ。

 畑の横に軽自動車が止まっている。
その車に向かって畑の中から歩いてきたお婆さんがミカンを2個
お接待してくれる。
今回、初めてのお接待だ。お礼を言って、ミカンをポケットの中に入れる。

 八坂寺まではほんの1キロ足らずの距離だ。
ほどなく、道の先に八坂寺が見えてきた。


第47番札所 八坂寺

 8:40分、八坂寺に着く。
 八坂寺の小さな門をくぐり、階段を上がると境内だ。
誰もいない境内で本堂へお参りをしようと歩いていると、横の方から真っ白な
猫が私に向かって歩いてくる。
本堂でお経を上げようとすると、その白猫がミャアーミャアーいって
足元にまとわりついてくる。
「おいおい、おまえに食べさせるようなものは何も持っていないよ。」と
話しかけながらお経を唱え出すと、白猫は本堂に上がり丸くなって
ジッとこちらを見ている。
お参りを済ませ、大師堂に向かうと猫はそのまま本堂にいる。

 大師堂のお参りを済ませ、納経所へ向かう。
私の他には誰もいないし寒いので、納経を済ませるとすぐに西林寺へ
向かって歩き出す。
八坂寺の山門を出ると、疎水沿いのすぐ左手にヘンロ標識があり、
ヘンロ標識に従って狭い道を歩いていく。

 バス通りに出て道を下っていくと別格霊場第8番の文珠院がある。
お参りをして行くことにした。
寒さのためお経を唱える口の動きがぎこちない。
このあたりでやっと太陽の日が差し少し暖かくなってきた。
文珠院は、境内は狭いが4メートルはあろうかという石造りの
大きな大師像がある。
ちょっと手を合わせて、先を急ぐ。

 バス通りをドンドン歩いていくと、右手の角に四国の道の標識を見つける。
その標識に従って右に曲がり、ちょっと進むと家の前に佇む老人がいる。
挨拶をすると西林寺への道を教えてくれる。
言われたとおりに進み、すぐ先にある交差点を左に曲がる。
交通量の多い広い道に出る。

 重信川の橋を渡っていると河川敷のゴルフ場でゴルフをしている人がいる。
気持ちよさそうにクラブを振っている。

 右手に枝分かれしている細い道があり小さな通夜堂が見える。
そちらに曲がり、通夜堂で休んでいる中年男性のお遍路さんに挨拶をして
通り過ぎる。
しばらく行くと、広い道を横切らなくてはいけないが交通量があるので
躊躇していると、左手に、信号機のある交差点があり、
その手前にお焼きを売っている店がある。
このお店で、おやつ用にお焼きを3個買う。

 交差点を渡り、遍路道に戻ると、ほどなく、西林寺の山門が見えてきた。


第48番札所 西林寺 

 9:45分、西林寺に着く。
西林寺の境内には数人のお遍路さんがお参りをしている。
でも、皆さん車で来ているようだ。
 お参りと納経を済ませ、境内のベンチで一休みする。
先ほど買ったお焼きを1個食べるが、小豆餡の味に物足りなさが残る。
やっぱり、小豆の餡は北海道の方が断然おいしい。
 西林寺をあとにして、交通量の多い道を横切り、狭い遍路道を浄土寺に向かう。
道は狭いが、時折バスの走ってくる交通量の多い道だが歩道がない。
車に気を付けながら歩いていく。


第49番札所 浄土寺

 10:45分、浄土寺に着く。
浄土寺は、ちょっと奥まったところにあるので、
車の音も全く聞こえず静かなお寺だ。
静かな境内で気持ちを落ち着けてお参りをする。

 納経所で住職さんと昔の話をする。
住職さんの子供の頃この辺の人はみな貧しかったので、冬でも履き物は
下駄しかなかった。
雪が降っても下駄履きだったので、寒さで手足はしもやけやあかぎれで
真っ赤になっていた。
今の子供達は恵まれている。などと話してくれる。

 西林寺を出ると交通量の多い交差点がある。その交差点のところに
日尾八幡社の神社があり、この神社前を右に曲がり、住宅街に入っていく。
住宅街の先を少し登っていくと溜池があり、その先に繁多寺がある。


第50番札所 繁多寺 

 11:25分、繁多寺に着く。
 繁多寺は小高いところにあるので、ここからは、町並みの上に松山城が見える。
境内はきれいに掃かれており、よく手入れがされている。
 お参りを済ませてから納経所前のベンチで一休みする。
お腹が少しすいてきたけれど、石手寺をお参りしてから昼食とすることにした。
石手寺までは2.5キロほどしかないので30分もあれば着いてしまうだろう。

 山門前の溜池を右手に見ながら住宅街を石手寺に向かって歩く。
途中から国道40号線に出ると、その突き当たりに石手寺がある。


第51番札所 石手寺

 12:15分、石手寺に着く。
 石手寺の山門前に仲見世があるのだが、今日は閉まっている店が多い。
店が閉まっている暗い山道を山門に向かって歩く。
 ほどなく山門があり、右手の方からモウモウと線香の煙が流れてくる。
石手寺は、いろいろなお堂があるので、どこにお参りをすればいいのか
迷ってしまう。
正面の本堂にお参りをして、右手にある大師堂もお参りをする。

 納経を済ませると12:30分になっている。
お腹がすいているので、門前にある「うどん屋大介」に入る。
肉うどんを頼む。うどんの温かい汁がお腹に染みわたる。
ドンブリを両手で挟むとドンブリを通してうどんの温かさが両手に伝わる。
 ここまで、冷たい風に追われるように歩いて来た。
うどんの温かさが体に広がると、ここで、これからの予定をどうするか
考える余裕が出てきた。
 最初の予定では、今晩は道後温泉で泊まるつもりだった。
しかし、ここから道後温泉には15分もあれば着いてしまう。
体の調子もいいので、もう少し足を伸ばすことにした。

 今晩の宿を円明寺の近くにある「民宿まあめいど」にしようと思い
電話をかける。
女将さんが出て、泊まれることになったが「料金はおいくらで?」と
聞かれたのでお遍路料金の「6千円でお願いします。」といったら、
「5百円足せませんか?」と言われたので、その料金でお願いすることにした。
さらに「夕食はたくさん出ますので、お腹をすかして来て下さい。」と言われる。

 ここから太山寺と円明寺を回って宿までは15キロほどある。
十分お腹はすくはずだ。

 今日の宿も決まったので、さあ、太山寺を目指すか。

 ここからのお遍路道は道後温泉に向かっている。
歩いていくと、道後温泉本館の前に来る。この本館前を左に曲がり商店街に入り、すぐに右に曲がる。
道後温泉を通るとは聞いていたが、本当に温泉前の商店街の中を通るとは
思わなかった。

 疎水沿いの細い道を西に向かって歩く。
松山大学のグランドを抜けて歩いていると、小さな地蔵堂があり
その裏側で灯油缶で焚き火をしながら世間話をしている老人達がいる。
挨拶をすると「ちょっと休んでいかないか」と言われる。
男性3人に女性2人の5人が、ワイワイと雑談をしている。
イスを勧められ、坐ると「どこから来た?」と早速の質問がくる。
「北海道からです。」といつものように答えると、矢継ぎ早に質問が飛んでくる。
それに答えていると、ミカンを食べろと言って隣のお婆さんが渡してくれる。
とりとめのない雑談を聞きながら焚き火で手を暖めていると、
ご老人達は世界一周したか?と言う話で盛り上がっている。
15分ほどでお暇しようと腰を上げると、向かい側に坐っているお爺さんが
裏の方から取り出したミカンを5個ほどくれる。
お礼を言って、歩き出す。

 しばらく歩くと安城寺回りと古三津回りの分岐点に来る。
今回は、古三津回りを歩くことにして、左の細い道に入る。
 この道をドンドン30分ほど歩いていると、どうも道が違うようだ。
あたりを見渡すと、街区図があるのでその地図を頼りに左の道を進む。
すると、すぐに広くて交通量の多い道に出る。
この道を歩いて行くが、どうも太山寺がある山と思われる方角から
離れていくような気がする。

跨線橋を渡った先に大きな交差点がある。
交差点の上にある標識を見ると、真っ直ぐ進むと三津港と書かれている。
地図を見ると近くに線路があるので、JR三津浜駅が目印になると思い、
近くのスーパーで駅の場所を聞く。
右手に進むといいと教えてくれる。
そのまま、聞いたとおり歩いて行くと線路から離れてしまう。
戻って線路沿いに細い道を適当に歩いていくと、線路の先の方に
跨線橋が見えてきた。

 駅前に来ると古い駅舎の屋根に三津駅と書かれた看板がある。
探していたのは三津浜駅なので、なぜ駅名が違うのか分からない。
 駅前に駐車しているタクシーの運転手さんに聞くと、
この駅は伊予鉄道の三津駅だという。
三津浜駅はJR線なので違うのだ。
JR線だと思っていた線路は伊予鉄の線路だったのだ。
だから駅名が違うのだ。
太山寺への道を聞くと「タクシーで送ってやるよ!」と冗談を言いながら、
この駅前の道を右に進み、その先にある三叉路をさらに右に進めば
太山寺だと教えてくれる。

 運転手さんにお礼を言って、教えてくれたとおり右手に進むと、
地図に出ている白石一商会がある。
三叉路に来ると、太山寺と円明寺と書かれた標識もある。
どうやら、これでちゃんとした道に戻ったようだ。

 三叉路を右に曲がり歩いていくと住宅もなくなり小高い山に向かって
道が延びている。
坂道を登って行くと向こうから野球のユニホームを着た坊主頭の高校生が
何人も走ってくる。
胸には新田と書かれている。

 坂を登りきると左手の細い道のヘンロ標識がある。
その標識にしたがって山道を歩いていくと、やがて、下り坂になり、
坂の下に太山寺の一の門を見つける。
ここを左に曲がって進むと、太山寺の山門は工事用のテントに覆われている。
どうやら改修工事をしているようだ。
テント掛けの中から土煙や鋸の音が聞こえてくる。
 

第52番札所 太山寺

 15:45分、太山寺の本堂に着く。
太山寺は、山門をくぐってから本堂までかなりの距離がある。
 本堂に着く頃には、夕闇が迫り、薄暗くなってきた。
早速、本堂と大師堂にお参りをする。

 太山寺の納経所は本堂から少し下ったところにある。
納経所に行くと30代前半?の若い女性が納経帳を書いてくれる。
この女性が見事な筆使いをするので、お顔と手元を交互に見てしまった。

 ここから円明寺までは2キロほどで、しかも下り坂なのでぐんぐん歩く。
思ったほど疲れも出ていない。


第53番札所 円明寺

 16:25分、円明寺の山門に着く。
円明寺は、前回オートバイで来たときに初めてお接待を受けたお寺だ。懐かしい!
あの時は、山門を入ろうとするとジュースとパンをお接待していただいた。
あの時お接待してくれた女性達はどうしているのだろう?
こんな縁で円明寺には親近感を感じる。

 山門をくぐると、パラパラと雨が降ってくる。
それほどの雨でもないので、本堂と大師堂へお参りをしてから納経所へ避難する。
納経所で雨宿りをしながら「まあめいど」の場所を聞くがよく分からないようだ。
取りあえず西門から出て右に真っ直ぐ進むと海の方へ出るので、
そちらへ行くように教えてくれる。

 西門へ行こうと歩いていると、若者が「歩いているのですか?」と
話しかけてくる。
先ほど太山寺でも見かけた若者だ。
話していると、この若者は札幌から来ているという。
私も札幌だというといろいろと話してくれる。
 この若者は、お正月休みで実家の北九州市へ帰ってきたので、
この機会を利用して実家の車を借りてお遍路にきた。
北海度で放送している「水曜どうでしょう」を見て、
「俺もやってみたくなった」などと話してくれる。
「水曜どうでしょう」というテレビ番組は北海道だけで放送している番組だが、
大泉洋というタレントが50ccの原チャリを使い、ほんの数日で
お遍路をするという企画を放送したことがある。
この放送を見てやってみようという気になったようだ。

 実は、この「水曜どうでしょう」という番組は娘がよく見ている番組だ。
私は、ばかばかしい番組なのでほとんど見たことがないが、
中高生には人気の番組だ。
この番組を見てお遍路に出掛けようという若者がいるということは、
「水曜どうでしょう」恐るべしといったところか。

 そぼ降る雨の中を西門から海に向かって歩く。ほどなく雨が降り止む。
20分ぐらい進むとどちらに行けばいいか分からなくなった。
ちょうど、大きな白い犬の散歩をしているおじさんがいたので聞いてみると、
まあめいどと書かれた看板を見たような気がするという。
教えてもらった方に進んでいくと街区図があり、
この地図をよく見るとまあめいどが載っている。
これで場所が分かったので、歩いていくと川がありそこを左に曲がり
海に向かっていくとまあめいどの看板を見つける。

 17:15分、今日の宿まあめいどに着く。

 まあめいどさんの夕食は豪華だった。
いろいろな魚料理に囲まれて食べきれないくらいだった。
刺身に揚げ物、鍋と盛りだくさんの食べ物がテーブルの上に並ぶ。
食事中も女将さんがずっーと給仕に付いてくれる。
その時にいろいろな話をしてくれた。
 その話を聞いていると、もともと道後温泉で親の代から旅館をやっていた。
旅館といっても会社契約の保養所としての旅館業なので一般のお客を
泊めることはほとんどなかったようだ。
この旅館も、景気が悪くなってきたので閉めたが、息子が医者なので、
開業することを考えて人手に渡すことなく守ってきた。
しかし、息子さんは開業医より研修医を選びアメリカの大学に行ってしまった。
それで仕方なく旅館は手放し、ここ堀江で小さな宿と居酒屋をご主人と二人で
始めた。
 「どうしてこの宿を知ったのですか?」と聞かれたので、
インターネットで見たことを話す。
「女将さんの日記も読んでますよ。」というと、恥ずかしそうにしている。

 明日の朝食を6:45分に頼んで部屋で休むことにした。