goo blog サービス終了のお知らせ 

四国遍路テクテク日記

「四国を歩いて遍路する。」にこだわって平成14年のGWから2年間、5回に分けて歩いた記録を中心に遍路に関するあれこれ。

「念ずれば花開く」の真民さん亡くなる

2006-12-15 18:56:18 | 第1回(阿波編)
「念ずれば花開く」
 この詩をお書きになった坂村真民(さかむらしんみん)さんが
12月11日の早朝、老衰のため97歳でお亡くなりになったそうです。
心よりご冥福をお祈りいたします。 合掌!

私がこの詩に初めて出会ったのは前神寺の山門前にある石碑を
目にしたときです。
自然石に彫られたこの文字がスーッと目から入り心に響いてきました。
それからはこの簡素で短い言葉が、四国を歩いていて苦しいときなどに
フッと心に浮かんで元気づけてくれるのです。

 坂村真民さんは、仏教の精神に根ざした詩作で知られているようですが、
残念ながら私はこの言葉しか知りません。
この言葉を彫った詩碑は全国に建てられているようですが、
内子町から久万町にある44番札所大宝寺へ向かった歩いているときに
民家の庭に大きなこの詩碑を見つけたときには、
個人でこんなに大きな詩碑を建てたものだと思い、
驚きとともに感動した記憶があります。

この詩と出会ったのも四国遍路のお陰であり、
良い言葉と巡り会えたことに感謝しています。

鯖大師の護摩供養・千日回峰行

2005-07-06 09:44:59 | 第1回(阿波編)
5月4日(土曜日)

鯖大師の護摩供養

 護摩供養の案内がある。
護摩堂へ行く。円形の護摩堂の真ん中に護摩壇がある。
薄暗い護摩堂の中で護摩壇の周りを囲むように座る。
 
住職が席に着く。太鼓の音がドコドコ響き、護摩供養が始まる。
護摩壇から白い煙が柱のように立ち上る。
天井まで煙が上がったときにすう~と消えて行く。
太鼓の音が一段と早くなり、それに伴って読経の声が大きく早くなる。
護摩壇に炎が上がる。どんどん大きくなる。
炎の大きさが1メートル以上になる。
油のようなものを注ぐと一段と炎が大きくなる。

 護摩木をどんどん炎の中に投げ込む。油を注ぐ。大きくなる炎。迫力満点だ。
やがてお経が終わり、炎が小さくなると護摩供養の終わりだ。

 朝食を取り、出発の準備をする。

 鯖大師の本堂と大師堂にお参りをして納経を済ませる。
電車の時間には間があるので、境内をぶらぶらしている。
するとHさんがやってきた。
国道まで二人で歩き、餅屋さんの前で写真を撮ってもらい、
室戸岬を目指すHさんとはここで別れる。

今回は、私のお遍路はここで終わる。


 8:44分発の電車で徳島へ向かう。

 今晩は徳島市内にある大鶴旅館に泊まることとし、
今日は人形浄瑠璃を見学ることにする。

電車の中から昨日歩いた海岸線の道を見る。
Kさんの姿を捜してみていたが、見つけることは出来なかった。

 次はいつこの駅に立てるのか。

 大鶴旅館というビジネス旅館はKさんが泊まって「とてもいい宿だ」と
言っていたのを思いだしたからだ。

 この宿は、80歳を過ぎたお婆さんと50代の娘さんの二人でやっている。

 お婆さんは80歳という年齢が嘘のように若々しい人だ。
数年前に50ccのスクーターで徳島県内の札所を巡った話を聞かせてくれる。
みんなが反対したけれど、このお遍路では途中で命を落としてもいいと思い
巡拝したとのこと。そのバイタリティーには驚かされる。
私が80歳の時に、このようなバイタリティーが残っているのだろうか。


京都・千日回峰行

今回は、お遍路を終えたあと京都へ行って来た。
京都へ行った目的は、比叡山にある無動寺というお寺に行ってみることだ。

今、このお寺で千日回峰行という行に入っているお坊さんがいる。
千日回峰行という行は、比叡山の山の中を歩き、神社仏閣、霊石や霊水など
さまざまな縁起物に対し礼拝をするという行だ。
3年目までは毎年百日ずつ行い、4年目5年目は2百日行う。
5年目は、この2百日の行を終えるとただちに9日間お堂に籠もり、
不眠不臥、食べ物や水もいっさい取らずにお経を唱えるという過酷な行をおこない、
6年目は、京都市内まで行く百日。
7年目は175日歩くという行だ。
この行を終えた者には阿闇梨という称号が与えられる。

 無動寺は比叡山から琵琶湖側に少し下った山の中、急な谷にあった。
急斜面にしがみつくように建てられている。
明王堂というお堂の軒下には、回峰行者が穿いていたと思われる草鞋がたくさん
ぶら下げてあった。
 明王堂の眼前には、大津の市街と琵琶湖が目の前に広がる。
ここには延暦寺に来る観光客の喧噪も届かず、ひっそりと静まり返っている。

 この行の「歩く」ということに惹かれている。
お遍路も言い方を変えれば歩く行みたいなものだ。
歩いて、歩いた先で何を得るのか、それは、その人しだいなのだろう。

 私は、今回歩いた中で、その答えはまだ見つかっていない。 

平成14年5月3日(阿波・第7日目)

2005-07-05 09:44:24 | 第1回(阿波編)
5月3日(金曜日)
(第7日目・ 歩行距離40.8km・ 歩数57,716歩)

 5:00分、起床。空を見るが曇っている。
昨日頑張った割には、体に疲れが残っていないようだ。

 6:20分、朝食を取る。
ご主人から、「朝食後、準備が出来た人から3人づつ平等寺まで送ります。」と
のこと。
準備をして玄関に降りると昨日乗せて貰った軽のワンボックスがとまっている。
すでに、あの青シャツの人が助手席に座っている。
 6:50分、Kさんと私が後ろに座り丁度3人となり、出発する。

 平等寺前で車を降ろして貰い、ザックを背負って小坂さんに「さあ行こうか。」と声をかけ、数歩、歩き出したところで何か変なことに気が付いた。
そうだ、おいずる(白衣)を着ていない!。

 Kさんに、「忘れ物をしたので先に行って!」と声をかけ
平等寺に戻ることにする。
山門前から清水旅館に電話したが、すでに次の人たちを乗せた車は旅館を
出た後だった。
後発の人たちの乗った車にまた乗せて貰い、清水旅館戻る。

おいずるは座布団の上に置いてあった。
出がけに忘れ物がないか一応部屋の中を見渡したけれど
全く気がつかなかったのだ。
再度、平等寺まで送ってもらい、ご主人にお礼を言って、さあ出発だ。

 7:45分、Kさんから約40分遅れで歩き出す。
 空は曇っているので暑くなく、歩くには快適な気候だ。
平等寺前に架かっている橋が工事中のため、川上にある平等寺橋を渡り、
橋の向こう岸へ渡り、新野の街の中を歩く。
ほどなく大きな交差点に出るが、ヘンロ路はまっすぐ続いている。
 車がほとんど通らない車道を一人で歩く。

道の両側には水田が広がる。その向こうは山となっている。
のんびりとした田舎の道だ。まだ田植えが終わっていない水田が多い。
足の調子もまあまあなので、気持ちよく歩く。

道が少しずつ登り坂となり、両側は山となる。
坂道の右側の下に小さなお堂が見える。
月夜御前庵のようだ。

うねうねと曲がっていく道を一人で歩く、時々、お地蔵さんがあるだけで
静かなものだ。
右手に竹林が見えてきた。
きれいに整理され、山腹を横に幾重にも道が造られている。
どうやらここは、タケノコを取るための竹林らしい。
所々に上の方からタケノコを落とすためのトタン板で作られた通路がある。

 8:55分、鉦打の分岐点に来る。
上の方に国道55号線がある。交通量が多く、トラックが轟音を響かせ走っている。
歩道の縁石に腰掛け、靴を脱いで足を休める。

 ここから薬王寺のある日和佐まではこの国道をひたすら歩かなくてはならない。
車道に出る。歩道は整備されていない。
国道の両側に、白線が引かれ、これが車道と歩道の境界線となる。
左側の方が広いようなので、道を横断しようとするが交通量が多いので
横断もままならない。
左右を見て車が来ていないのを確かめ、走って横断する。

ほどなく、道の向こうにトンネルが見える。
そういえば今までトンネルを歩いたことがなかった。
今回のお遍路で初めてのトンネルを通る。トンネルの名前は鉦打トンネルだ。
出来て間もないのかヘンロ地図に載っていない。
トンネルはナトリゥム灯のオレンジ色が明るく光り、
両側に一段高くなった歩道もある。
安心して渡るが、トンネルの中に車が入ってくるとものすごい轟音が響く。

 福井トンネルを抜け弥谷観音への分岐点に来ると弥谷観音の方から
広島のYさんが歩いてくる。しばらくYさんと一緒に歩く。

Yさんは薬王寺まで行って今回は打ち止めにするので、
今日はのんびりと歩いている。
広島に帰る前に、「うだつ」で有名な脇町を見てから帰るようだ。

 9:55分、星越トンネルを出たところにモーテルがある。
道路が広くなっているのでここで少し休むことにした。Yさんは先に行く。

星越茶屋の前を通り過ぎるが、店にはお客が誰もいなかった。
道は緩やかに下っているので調子よく歩く。
時折、バイクの連中が5~6台爆音を響かせ走っていく。
前回はこの辺をバイクで走ったのだ思うが、どうもよく思い出せない。

 10:50分、久望トンネルの先にある車の休憩所で少し休む。
日和佐にあるユースホステルの看板を見つける。
やはり電話番号が違っているようなので、メモしておく。
この辺りで、平等寺から約14キロは歩いている。
薬王寺までの半分は歩いたことになる。もうひと頑張りだ。

 一の坂トンネルを過ぎると深瀬だ。
この辺りへ来ると天気が良くなり、暑くなってきた。
ひっきりなしに走る車の音が耳についてくる。少し疲れてきたようだ。

 海賊船という大きな食堂がある。
建物は全体に赤く塗られており、船の形にして建てられている。
前方が開けてきたので日和佐の街がもうすぐだと思い頑張る。

 左側の方に街が見えてきた。どうやら北河内の町のようだ。
ここまで来ると日和佐の町ももうすぐだ。

 薬王寺の手前で果物を売っている店を見つける。
妻に何かおいしいお土産を送ってといわれていたのを思いだしたので行ってみる。
 この店には小夏があった。

 小夏は前回バイクでお遍路をしたときに清滝寺のお坊さんに
聞かされたミカンだ。
テニスボールくらいの大きさでレモンと同じくらい色鮮やかな黄色をしている。
「小夏ってどんな味ですか」と店の主人に尋ねると、
「それは食べてみなければ分からない」と言い、一つ剥いてくれた。
小夏はほかのミカンと食べ方が違っている。
まず、リンゴをむくようにナイフで黄色い皮をむく。
この時、中にある白い皮を残しながらむくのがちょっとしたコツだ。
つぎに、適当な大きさに切って塩を振りかけて食べる。
塩を振るのは、丁度、スイカに塩を振るのと同じで甘みを増すためのようだ。
 剥いてくれた小夏を食べる。
酸っぱい味が口中に広がる。
噛んでいると確かに甘みもある。
今まで食べたことのない不思議な酸っぱさだ。
気に入ったので1箱送ることにする。
さらに、横にあった土佐分担も1箱送ることにした。送料を含め8千円を払う。
 おじさんが後で食べなさいと言って小夏や清見オレンジを10個ほどくれる。
ザックがいっぱいになり重くなったが、これも善意の試練と思い
ありがたくいただく。
重くなったザックを背負い、目の前にある薬王寺へ向かう。

 12:30分、薬王寺に着く。


第23番札所 薬王寺

 薬王寺は観光客やお参りの人でごった返している。
今まで、静かなお寺になれていたので落ち着かない。
山門をくぐり階段を上がり本堂へ行く。
本堂からは日和佐城が見える。
お参りする人がひっきりなしに訪れる本堂と大師堂でお経を唱える。 

納経所前のベンチにザックを置き、納経を済ませベンチで休む。
昼食用のパンを食べているとYさんが納経所へ現れる。
Kさんに会ったか尋ねると、30分ほど前に薬王寺を立ったとのこと。
Yさんとはここでお別れだ。

 鯖大師に電話してみる。今晩の宿をお願いすると、「いいです。」との返事。
「今どこにいますか。」と尋ねられ、「薬王寺にいます。」と答えると、
「6時の夕食に間に合うようにお願いします。」と言われる。

 13:00分、頑張ればKさんに追いつくかもしれないと思い、
また、6時までには鯖大師までにつかなければ行けないという
プレッシャーを受けながら、約20キロ先にある鯖大師を目指す。

14:00分、日和佐トンネルを抜けたところで休む。
日和佐トンネルは暗く、歩道も狭いので車が歩いているすぐ横を走っていく。
大型のバスやトラックが来ると巻き込む風もありちょっと恐ろしい。
690mは長かった。

歩道と車道を区切っている白線を踏み出さないように歩いた。

 日和佐トンネルを過ぎて道が下り坂になると、その先に打越寺が見えてきた。
雲が厚くなり空が暗くなってきている。
夕方から雨の予報は当たりそうだ。

 日和佐町境につく。これからは牟岐町だ。
少し行くと前方を歩いているお遍路姿の人が2人いる。どうも若い女性のようだ。
さらにその向こうに男女2人組のお遍路がいる。
追いつこうと頑張って歩くがなかなか追いつかない。

 男女二人組のお遍路が道ばたにあるお地蔵さんにお参りをしている。
そこへ行って見ると、どうやら、これはへんろ路保存協力会の宮崎さんが
霊験あらたかだと言っている石仏のようだ。
私も道中の無事を願い手を合わせる。

 道路の反対側を歩いている4人のお遍路を追い抜いて少し行ったところで
Kさんに追いつく。
後ろから「頑張って歩かないと宿に着かないよ。」と声をかけると、
びっくりして後ろを振り返る。
ここから、Kさんと一緒に歩く。

 少し行ったところに、自販機の置いてある休憩所を見つける。
ここでちょっと一休み。
男女二人組のお遍路も休憩しに来る。
話をすると、お遍路は何回か回っているようで、
「今回はゆっくりと60日ぐらい掛けて歩くつもりだ。」と話してくれる。
男性の方は私より若く40歳前のように見えたので、ついどんな仕事をしている
のかと気になってしまった。
この人達の今晩の宿は、内妻荘とのこと。
鯖大師の手前にある民宿だ。

 休憩地点からほどなく小松大師のそばを通る。
この辺りから、kさんペースについていけなくなったので
先に行くように話し、後を歩いていく。
まだ、鯖大師までは8キロほどある。頑張らなければいけない。

 前を行くkさんが道路の反対側へ渡る。
手にはへんろ路保存協力会の地図を持っているのが見える。
何か勘違いをしているようだ。このまま進めばいいはずなのに、
川の右側にある集落に行こうとしている。
 まっすぐ進んでいると間違いに気がつくと思い、私は車道をまっすぐに
進んでいく。
 
 川に沿って車道を歩いていくとやっと牟岐の町に着いたようで
住宅が建て込んでくる。
車道の左側に旧土佐街道と書かれた標識のある細い道がある。
先の方でまた車道と合流しているようなので、そちらには行かず、どんどん進む。
後ろを見るとkさんも歩いている。

 ガソリンスタンドや商店がある。どうやら町の中心部に近くなっているようだ。  
地図を見ながら歩いていると、「民宿あずま」の看板を見つける。
kさんが今晩泊まる宿だ。
この宿の前の交差点を渡り、しばしkさんが来るのを待ち、
手を振って教え、ここで別れる。
「民宿あずま」の反対側を見ると、牟岐駅がある。

 私は、まだまだ、この先を数キロ歩かなければ行けない。

 牟岐警察署の辺りまで来るとポツポツと雨が落ちてくる。
早めに雨具を着た方がいいかと思い、ここで雨具を着る。

牟岐トンネルを通るが、トンネルに入ってくる車がヘッドライトを
つけないで入ってくる。
トンネルが短いのでつけないで入ってくるようだが、これは一寸怖かった。

牟岐トンネルを越え、さらに、八坂トンネルを抜けると右側に内妻湾が広がる。
初めて間近に海を見る。
このお遍路で初めて目の前に広がる海を見た。

海を見ると、雨にもかかわらずサーフィンをしている人がいる。
人数を数えてみると30人ほどいる。
上手な人はすこし沖の方で波待ちをしているが、下手な人は海岸のすぐそばに
出来る小さな波を使い練習している。
 道路から下を見るとサーファー達の車がたくさん止まっている。
その中に、着替えをしようとしているビキニの女性がいる。
こんなところで水着姿の女性に行き当たるとは、ちょっとドキドキした。
お遍路とサーファー変な取り合わせだ。

湾の向こうに内妻荘が見える。結構大きな民宿だ。
その向こうにトンネルが見える。内妻トンネルだ。
あのトンネルを越えとあと2キロほどで鯖大師となる。
もう少しで鯖大師なのだと自分に言い聞かせ強くなってきた雨に中を歩く。

 古江をすぎ、福良トンネルを抜けると、右側にやっと鯖大師の看板を見つける。
国道を右に曲がり、線路の下をくぐると鯖大師が見えてきた。
本堂の前を通り、宿坊へと向かう。

 17:30分、鯖大師の宿坊に着く。

 受付をしてくれた女性に「夕食は6時からです。」と言われる。
玄関で雨具の水を振り払い、とりあえず2階の部屋へ案内してもらう。
12畳ほどの部屋に一人で泊まるようだ。

 洗濯機の場所を教えてもらい行ってみると誰も使っていないので、
売店で洗剤を買い、早速洗濯機を回す。

 夕食の案内があるので二階の会場に向かう。
団体さんはもう皆さんそろっている。

 「歩き」と書かれた札のある場所に行くと、何と、大阪のHさんがいる。
 思いもしない再会に、驚き、思わず話が弾む。
鶴林寺を打った後の宿をどうしたのか聞くと、鶴林寺には16:30分頃に着いたが、
あると思っていたホテルは小松島市内のホテルということがわかったので
キャンセルし、鶴林寺の宿坊も休んでいるので途方に暮れていたら、
坂口屋まで送ってくれるという車遍路の人がいたのでお願いして坂口屋に泊り、
翌日はタクシーで鶴林寺まで戻り、また、歩き出したとのこと。

Hさんは、遍路地図も絵地図となったいる簡易な解説書しか持っていないので、
へんろ路保存協力会の地図を使うように話し、とりあえず、最御崎寺までは
私が持っているコピーをあげることとした。

お坊さんが食事の作法を説明している。
すごい早口の般若心経を唱え、感謝の言葉を唱え、夕食となる。
 歩きの席にいるのは、私とHさんのほかには、
若い女性と坊主頭の老人の四人だ。
この老人と若い女性は、薬王寺から一緒に歩いてきたようだ。
老人は何回か歩いてお遍路をしているようで、今回は別格を中心に
歩いているとのこと。
若い女性は、電車の最終駅となる甲浦(かんのうら)まで行くのだといっている。

 夕食後、Hさんと少し話をする。 
Hさんは、10日までに高知の禅師峰寺まで行きたいといっている。
そこで、一旦、大阪に帰り、また出直すのだという。
遍路地図は、最御崎寺で売っているというのでそこで買うつもりだという。
私の持っているコピーを渡し、地図の見方と、巻末についている
宿の一覧表の使い方を教える。

私は、今回ここまでで打ち終える。
あとは徳島と京都へ行ってみることを話す。

 風呂へ行くと夕食会場で一緒だった老人がいる。
小柄だけれどもがっちりした体をしている。
年齢は70歳に近いと思われるが、かくしゃくとした体だ。
私もこうありたいと思う。

 今日1日で約40キロを歩いた。その割には体がしゃっきりしている。
 時折強くなる雨の音を聞きながら寝る。


 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

 初めて40キロを歩いたけれど思ったほど体に負担は感じなかったけれど、
足には確実に負担がありました。
私は、O脚ですので、膝の外側にある腱が膝を曲げると痛くなっていました。
これは、この腱が膝の骨と擦り合うために炎症を起こしたものです。

 足に出来るマメなどは我慢すれば歩けますが、膝が痛むと歩けなくなります。
ですから、1日に歩く距離を何キロにするかという問題は、
とても大きな問題です。
1週間程度の区切り打ちでは多少の無理は出来ますが、通し打ちとなると
このあたりは十分に考えて歩く必要があります。

平成14年5月2日(阿波・第6日目)

2005-07-04 09:24:36 | 第1回(阿波編)
5月2日(木曜日)
(第6日目・ 歩行距離32.2km・ 歩数48,982歩)

 5:00分、起床。
Kさんと誘い合って「うさぎ茶屋」で朝食を取る。
ママさんから昼食用にばら寿司をおにぎりにしたものをお接待される。
記念に写真を一枚撮らせても貰いたいとお願いする。
「送ってくれますか。」といわれたので、「送ります。」と答えると、
名刺をくれた。
朝食の代金も5百円と安い。

 外へ出ると曇り空で強い風が吹いている。寒いのでフリースを着る。

 6:45分、立江を出発する。

 途中で中年女性二人連れのお遍路を追い越す。
立江寺の宿坊に泊まっていたようだ。

 昨日の安息日が効いているのか足の調子も体の調子もすこぶるいい。
Kさんも離れずに着いてくる。体が温まると自然にピッチが上がる。

 7:30分、萓原の分岐点に着く。
分岐点でも休まずに先へと進む。
沼江大師への分岐点手前で5分ほど小休止。
その後も快調なペースで進む。

やがて道は大きなT字型の交差点にぶつかる。
この交差点を左に曲がり国道123号沿いに進む。交通量はどんと増えてくる。

 8:45分、国道から鶴林寺へ向かう西山の分岐点に着く。
そのまま進むと、ほどなく左側に大きな白い建物が見えてきた。「金子や」だ。

 金子やのところで何回か一緒になっていたおじさんが休んでいた。
カメラを出しているので、「金子や」をバックに一枚撮ってあげる。

 金子やを左側に曲がり、これからいよいよ鶴林寺への登りとなる。
道は住宅の中を急な坂道となりどんどん登っていく。

やがて両側はミカン畑となる。
緑色の葉っぱの中に白い花が咲いている。
ミカンの花だ。初めて見た。
前回来たときにはミカンの花は咲いていなかった。
きれいな白い花がちょこっと顔を出している。

 道は、急な坂道となるが、道幅一杯を使ってジグザグに登り
ペースを変えないようにする。
後ろを振り返ると、もう、「金子や」があった集落は、
随分、目の下となっている。

 9:25分、水飲大師に着いたので少し休む。
水を飲んでみるが、あまり冷たくはない。
北海道で湧き水というと喉がしびれるほど冷たいのが普通だけれど、
四国に来てから飲んだ湧き水は、それほど冷たいとは思わないものが多い。
これも風土の違いか?

 10:00分、鶴林寺の山門に着く。


第20番札所 鶴林寺

 こんなに早く鶴林寺に着くと思わなかった。
でも目の前にあるのは間違いなく鶴林寺の山門だ。
結構急な登りだったけれど息は苦しくなかった。
見覚えのある二羽の鶴に迎えられる。
 これで、「一に焼山、二にお鶴」と言われている2番目にきつい
遍路転がしを登ったことになる。

 鶴林寺では少しゆっくり休みを取る。
「民宿ちとせ」で一緒だったご夫婦もいる。

本堂への急な階段を上り、本堂でゆっくりと般若心経を唱える。
大師堂でもお経を唱え、納経所へ向かう。

 納経を済ませて休んでいると、団体遍路がやってきて、
息のあったお経を唱える。

 今日は太龍寺を下ったところにある坂口屋に宿を取ってある。
あと半分の行程なので急ぐことはない。
おまけに、ここからは、急な下り坂で一気に400mを下り、
さらに太龍寺まで400mを登る過酷な道だ。足を十分に休める。

 10:55分、鶴林寺の宿坊の左側からヘンロ路を下る。
太龍寺までは6.5キロだ。 
階段状に整備されたつづら折りの道が続く。どんどん下る。
一緒に下っている小坂さんは下りの道に弱いので、「先に行って待っているから」と声をかけてどんどん下る。

 途中で、先に下っていたご夫婦のうち、ご主人に追いつく。
奥さんは先に下っているとのこと。
ちょっと太めのご主人には急な下り道は苦手のようだ。奥さんに追いつく。
話しながらさらに下ると、大井の集落に着いたようだ。
八幡神社が見えてきた。

 11:30分、八幡神社に着く。
奥さんはここで主人に待つように言われたという。
私もここでKさんを待つことにした。

八幡神社は、こじんまりとした社だが、何か風格を感じさせる神社だ。
 
 ほどなく、Kさんと、ご主人が降りて来る。

 少し休んだ後に、太龍寺を目指して歩く。

大井の集落を抜け、那賀川に架かっている橋を渡る。
川の水がきれいで、魚がはねているのが見える。
カヌーで遊ぶには丁度いい流れのように見えた。

川を渡ると道はまたどんどん急な坂道になってくる。
相変わらず快調なピッチで登っていく。

 途中で、下ってくるお婆さんに挨拶する。小柄で細いお婆さんだ。
手には何か山菜でも採っているのか、緑色の草のようなものを持っている。

 初老の男性を一人追い抜いてさらに登る。
道は急になっているが、この道を、急なところはジグザグに
曲がりながら登っていく。

ヘンロ道が急に車道に変わる。
少し歩いて、前を見ると太龍寺の山門が見える。

 13:00分、太龍寺の山門に着く。


第21番札所 太龍寺

 太龍寺は大きなお寺だ。こんな山奥にあるお寺だが境内は広く、
きれいに整備されている。
この山にはロープウェイがあり、大半のお遍路は、そのロープウェイで
登ってくる。

 本堂にお参りしようと歩いていると、納経所の前に「ふじや」で一緒だった
大阪の人を見つける。
聞くとSさんもここにいるようで、時間があるので舎心が嶽を見に
行っているとのこと。
 
 本堂をお参りした後、大師堂へ向かう。
大師堂は、山門の方へ戻った左手の杉の大木に囲まれた一番奥にある。
この大師堂の佇まいが好きだ。
大きな杉の木が参道の両側にあり、その一番奥に大師堂がある。
きれいには掃き清められた参道を歩き、大師堂でお経を唱える。

 納経所に戻り、ベンチで休む。
 ちょっと遅い昼食となったが、うさぎ茶屋のママさんからいただいた
おにぎりを食べる。ばら寿司の酢が口の中に広がりおいしい。

 このまま坂口屋までしか行かないのはもったいない気がして、
平等寺へ迎えに来てくれるというみゆき荘へ電話をしてみる。
あいにく、今日は予約でいっぱいとのこと。
あきらめて、私たちも舎心が嶽でも言ってみようかと話し、
Kさんとのんびりしていた。

 先ほど追い抜いた初老の男性に「やあ、若い人は早いですね。」と
話しかけられる。
この男性は神戸からちょくちょくお遍路に来ているようだ。
「先ほど下っていったお婆さんはいくつぐらいに見えました。」と言われ
「70歳は過ぎているように見えました。」と答えたところ、なんと82歳だという。
おまけに、鶴林寺から来て太龍寺まで来てさらに鶴林寺へ戻るところだという。
これにはたまげた。
80歳を過ぎてあの山道を往復する元気がどこにあるのだろう。
そんなことを微塵も感じさせない小柄なお婆さんだったことを思い出す。

 この神戸の男性は、香川県の札所にはお参りしていないと言う。
「友達から涅槃の道場には行かない方がよい。」といわれたので
香川県のお寺が一番近いのだけれども、そうしているとのこと。
初めて聞く話だ。

そのほかの札所も神戸からは近いこともあって何度も訪れているとのこと。
「それでは頑張ってください。」と挨拶され、先に山を下っていった。

 納経所のベンチでぼんやりしていてふと閃いたことがある。
みゆき荘のほかに平等寺まで迎えに来てくれる宿がないのだろうかということだ。
もう一度みゆき荘へ電話してみる。
「今日は予約でいっぱいだ。」と、先ほどと同じような返事をされる。
そこで、「平等寺まで迎えに来てくれる宿がほかにありませんか。」と
聞いてみた。
すると、「清水旅館なら迎えに行くかもしれない。」とのこと。
さらに図々しく、清水旅館の電話番号も教えて貰う。
みゆき荘さんごめんなさい。

 清水旅館に電話する。
「お遍路をしているものだけれど、平等寺まで送迎していただけるかどうか」
聞いてみると、「いいですよ。」との返事、さらに今日はまだ空きが
あるとのこと。
一応予約をして、今度はKさんが坂口屋に電話し、今晩の予約を取り消す。
 さあ急に忙しくなってきた。
急なことではあるが、予定を変更して平等寺を目指すことにした。
阪口屋さんごめんなさい!

 14:20分、あわただしく太龍寺に別れを告げる。 

 平等寺までは、約12キロの道のりだ。途中に大根峠という峠もある。
納経所終了時間までに平等寺に行き着くか微妙な時間だが、
私には、間に合うという自信があった。
何の根拠もないけれど、おそらく5時には着けるだろうという妙な確信があった。

 駐車場へ下りる裏側の道を二人でどんどん下っていく。
下り坂の苦手なKさんも、この程度の下り坂なら遅れることなくついてくる。

 山を下り終えて少し進むと、目の前に白い大きな建物が見えてくる。龍山荘だ。
龍山荘の前を過ぎると、道はT字型の交差点に出る。
交差点の右側に坂口屋がある。坂口屋さんも大きな宿だ。
この交差点を右に曲がり、ここからはしばらく車道を歩くことになる。

 15:50分、阿瀬比にあるガソリンスタンドで小休止する。
自販機からジュースを買って飲む。冷たいジュースが喉にしみこむ。
 ふと前を見ると、ヘンロ小屋と書かれた茶色で三角形の小さな建物が見える。
思い出した。これは、歌さんという人が建築を進めているヘンロ小屋なのだ。

道を渡り、ヘンロ小屋をのぞく。
屋根があるのみで、壁もないけれど雨露はしのげる。
でも、宿泊するにはちょっと狭いかなという印象の小屋だ。

 阿瀬比からはいよいよ大根峠への山道となる。
また杉林の山道を進むが、鶴林寺や太龍寺への登り道と較べると
なんていうことはない。
二人でどんどん登っていくと、目の前が明るくなり峠らしい場所を通る。
この先は下っているのでここが大根峠らしい。 

16:15分、大根峠に着く。

 ここからは山道をゆっくりと下っていく。
空が曇っているので、林の中は少し薄暗くなってくる。

 目の前が少し明るくなってきたと思ったら、どうやら山の道は終わりのようだ。
目の前に水田が広がり、畜舎が見える。畜舎の中には数頭の牛がいる。
 ここからは、あと2キロ弱だと思うが、5時までは20分くらいしかない。
ちょっとピッチを上げて歩く。
 
 山を回ると左手の向こうに平等寺が見えてきた。
どうやら間に合うようだと思いさらに歩いていくと、何と、道路工事で道は
迂回路を通らなければいけない。
ちょっと焦ったが、平等橋を渡り、平等寺に滑り込む。

 17:00分、丁度に平等寺に着く。


第22番札所 平等寺

 真っ先に納経所へ向かい、納経をお願いする。
その後、ゆっくりと本堂へ向かう。本堂への階段には一円玉がたくさん
落ちている。
これは、願掛けで置いているお賽銭だ。
本堂へ続く階段は男性の願掛け用で、本堂から右側にある階段が女性用だ。
それぞれの階段にお賽銭が上げられており、歩くときにそのお賽銭を
踏まなければあがれないところがある。
お金を踏むということにちょっと抵抗感を覚える。

 夕闇が迫り薄暗くなってきた。
納経を済ませたので清水旅館に電話して迎えに来て貰う。
「10分くらい待ってください。」とのこと。
山門前の階段に座り靴を脱ぎ足を休めながら迎えを待つことにした。

10分ほどすると、軽のワンボックス車が来た。清水旅館の車だ。
ご主人らしい白髪の老人が運転している。
車に乗ると、平等寺からはどんどん離れた方へ走っていく。
着いたところは、JR桑野駅だ。
この駅前に清水旅館がある。
ヘンロ地図では、この辺の位置関係が全く分からない。
 でも、なかなか良さそうな旅館で、建物の規模も大きい。

 2階の部屋へ案内される。風呂もついている。
湯船が三角形の変なお風呂だ。
洗濯機のある場所を聞いた後、お風呂にお湯を入れる。
案の定、三角形の湯船は足を伸ばせるほどのスペースがないので窮屈だ。
でも洗い場が広いので、足の指やふくらはぎをマッサージしたりするには
良かった。

 夕食ですとの案内を受けたので、1階にある食堂へ行く。
すると、植村旅館で一緒だった広島のYさんや埼玉の青シャツの人がいた。
Yさんの宿は確か坂口屋に取っていたはずだけど、ここまで足を延ばしたようだ。
そのほかにも初めて会った2人のお遍路さんがおり、総勢6人のお遍路が
今晩は清水屋でお世話になっている。
朝食は6時半からとのことで部屋に戻る。

 明日はどこまで行くか、まだ決めかねていた。
今の足の調子だと薬王寺までは約20キロほどなので問題なく行ける。
鯖大師までだと国道経由で約40キロとなる。足は何とかなるだろう。
また、鯖大師まで進んでおくと、次の最御崎寺は室戸岬にあるが
ここまでの残り距離が約60キロほどとなるので2日で十分行ける距離となる。
 予定より大幅に進んでいることもあり、徳島で1泊して徳島市内を見学しようか、京都へ行って延暦寺へ行ってみようか、いろいろなことが頭の中を
グルグル巡っている。
 テレビの天気予報を見ると、明日は夕方から雨になるようだ。
 ここでやっと心を決めた。

 明日は鯖大師まで行くことにして、徳島で人形浄瑠璃を見て、京都へ行き、
千日回峰行を行っているお坊さんのいる比叡山の無動寺へ行ってみることにする。
理由はいろいろあるが、明日の歩きが20キロでは物足りないこと、
一度は40キロを歩いてみたかったこと、そして、何といっても、
鯖大師で行っている朝の護摩供養は、一見の価値があると聞いていたので
これを見てみたかったためだ。

Kさんに鯖大師まで行くことを話すが、Kさんはこの先もあるのだから
30キロほどを目安に歩いていくほうが体にも楽なので、
牟岐町辺りまでとすることをすすめる。


 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

 一日の歩行距離を何キロにするかは人それぞれです。
でも、数日歩いていると自分にあった距離数が分かってきます。
私は、30キロを目標にしていましたが、この距離だと少し早めに宿には
いることが出来るので、余裕を持って歩けました。
 私の歩く速度は、1時間に5キロ強、1時間歩いて5分から10分休んでいたので、それらを含めても時速5キロほど出歩いたことになる。
そうすると30キロの距離だと約6時間で歩ける計算となります。
この時間に昼食で1時間、お寺でお参りすると最低30分がかかるので、
これらを組み合わせて次の日の予定を立てていました。

 最初は少し物足りないくらいの距離で足慣らしをすると、
そのあとの歩きは随分楽になると思います。

平成14年5月1日(阿波・第5日目)

2005-07-01 10:01:08 | 第1回(阿波編)
5月1日(水曜日)
(第5日目・ 歩行距離15.3km・ 歩数25,925歩)

 5:00分、起床。窓から空を見るとどんよりとした曇り空。
眉山の山頂も雲の中で見えない。天気予報の通り今日は雨の一日か?

 6:30分、朝食を取り、宿代を払い、部屋に戻り身支度を整え出発しようと
思い窓から外を見ると雨で地面が濡れている。
雨具を出し、上だけ着てフロントに降りる。
玄関先に出ると、部屋から見たのより雨が強く降っているので、
雨具のズボンも穿く。

 7:00分、近藤旅館を出発し、雨降る徳島市の中心街を恩山寺へと向かう。
 今回は雨傘を持っていない。
雨具と菅笠で歩くが菅笠はなかなか気持ちがいいものだ。
大きいのを買ったので、顔に雨が当たらず笠から肩に雨の滴が流れる。

 5~6分歩くとワシントンホテルの前に来た。
ホテルの入り口から白装束の人が出てくる。何と、昨日別れたSさんだった。
まるで打ち合わせをしたようにホテルの前で一緒になった。

一緒に徳島の町を歩き、恩山寺を目指す。
 
 雨は、時折、強くなったり小降りになったりして降っている。
 中心街を離れ歩道が狭くなった道を歩いていると、
向こうから通学のための高校生が自転車で向かってくる。
狭い歩道で行き交うのも大変だ。
むこうにすると、この狭い歩道をじゃまなお遍路が歩いてくるといった
ところかもしれない。
傘を差し前が見えない状態で走ってくる自転車の高校生を避けながら歩く。
 
 8:00分、1時間ほど歩いたので休もうと思っているとバスの法花営業所が
見える。
バスの待合所があるので休ませて貰う。
この道路は、県道宮倉徳島線という道路のようだ。
このまま進むと国道55号線にぶつかる。
このまま、どんどん進めばいい。

 国道にぶつかる交差点が見えてきた。
交差点の向こうに競輪場が見える。
駐車場を警備する人たちの姿が目に付く。

雨が小降りになってきた。
ヘンロが一人先を歩いている。
橋の手前を堤防から歩いてきた人だ。
歩くスピードが同じなのか、なかなか追いつかない。

 道路の反対側のガソリンスタンドの裏にこんもりとした樹が茂っている
ところがある。
Sさんがお杖の水でないかという。
目を凝らしてみるとヘンロ標識があるようだ。
そうすると、我々が歩いている右手にヘンロ路があるはずだと思い道を見ると
右手の山が恩山寺のある山に見える。
 ヘンロ標識はないが右に曲がればいいものだと思い進む。

 どうも道が違っているようだけれど、山裾を走っている車が見えるので
そちらに向かい畑や水田の中を横切り進む。

 舗装された道路に出て進むと恩山寺への入り口と思ったところには
ゴミの消却施設への標識がある。
どうやら道を間違えたようだ。
でも、そんなに間違っているわけはないと思い地図を見る。
よくわからない。
 
 そこへ、軽トラックが来たので、運転していた奥さんに恩山寺までの道を聞く。
このまま進み、交差点を左に曲がり、次を右に曲がるといいですよ
と教えられる。
その通り進むと、国道から恩山寺へ向かう道路とおぼしき道に出る。
 少し進むと、右に曲がると恩山寺の標識を見つける。

 バスの待合所の中でお遍路さんがたばこを吸っている。
話してみると、どうも、私たちの前を歩いていた人のようだ。
10分前に着いたとのこと。迷って歩いたのもそれ程の時間ではない。

 ほどなく、橋を渡ると恩山寺だ。
橋の右側に見覚えのある山門がある。
橋を渡ったところで車道の右側にヘンロ標識がある。
標識に従って歩くと、いきなり急な坂道となり林の中へ道が続く。
駐車場を左下に見ながら急な階段を上がると、そこは、もう境内の中だった。

9:55分恩山寺に着く。


第18番札所 恩山寺

 階段を上がり、右側にあった建物の屋根の下に荷物を置き、
お参りをするために、さらに、本堂までの階段を上がる。

 人影まばら、そぼふる雨の中を、本堂、大師堂でお経を唱える。
納経所で少し休み、先を急ぐSさんとは、ここで別れる。

 荷物を置いた建物に戻ると隣に赤いザックがある。
見ると、若い女性が一人でお参りをしている。

納経所から戻ってきたので、少し話をして、一緒に立江寺まで行くことにした。

10:45分、立江寺に向かう。立江寺までは3.8キロほどだ。
 恩山寺からは雨が降っているので車道を行こうと思ったが、
小降りになってきたのでヘンロ路を行く。

 薄暗い林の中をヘンロ路は続いている。
女性一人ではちょっと気味が悪いような道だ。杉林や竹林が続く。
ほどなく車道に出る。ここからは整備された歩道を歩く。

 この女性は大阪から来たと話している。
顔を見るとまだ若く24~25歳といったところか。
今日は鶴林寺まで行くという。
そして、今晩の宿は鶴林寺から太龍寺へ下った先10キロほどのところにある
ホテルだという。
そんなところに宿があったかなと思いながら歩いていた。

 彼女の雨具はノースフェイスのゴアテックス製の雨具だ。
雨対策がしっかりしているとほめたところ、友達のアドバイスでザックから
雨着まで買い求めたとのこと。
 
 お京塚に気がつかず歩いていると、もう、立江の町に入っていた。
見覚えのある交差点に来る。
立江寺の駐車場はまっすぐ進むように矢印が書いてある。
しかし、立江寺への標識が見あたらない。
しかし、路は分かっているので左に曲がり、市街地を抜け立江寺の山門に立つ。

 11:50分、立江寺に着く。
 

第19番札所 立江寺

 境内にはSさんと恩山寺手前であった人のほか数人のお遍路がいるだけだ。
そぼ降る雨の中を本堂と大師堂へお参りをする。 

お参りを済ませたので、近くにある酒井軒本舗に行く。
この前来たときにはここのお赤飯がおいしそうなので買った店だ。
薄皮饅頭を買い、半分を若い女性にお接待する。
すると彼女が納札をくれたので、名前がHさんということがわかった。
Hさんの写真を立江寺の山門前で撮り、ここで別れる。

 立江寺の隣にあるうどん屋で昼食を取る。キツネうどんを頼む。
うどん屋には先客としてSさんがいる。
 雨は上がってきたようだ。

Sさんの今日の宿は10キロ先の「金子や」なので、もう一頑張り。

私はここ立江までなのでのんびりしている。
 今日の宿「民宿ちとせ」は途中にあるので、宿の前まで一緒に行き、
そこでSさんと別れる。
 
 12:50分、「民宿ちとせ」に着く。
 雨は完全に上がってきている。
今日のお遍路を打ち止めにするにはちょっと早い時間だけれど、
今日は安息日と決めたので、のんびりすることにした。

 玄関で「ごめんください」と声をかけるが何の反応もない。
隣にある建物に声をかけると、お嫁さんらしい方が出てきて、
おばあちゃんが留守のようだけど、2階に上がり奥の部屋を
使ってくださいといわれる。
 2階に上がり奥にある6畳の和室に入る。今日はここが宿となる。

 部屋の片隅に布団が2組置いてある。
荷物を置いて、足の手入れをすると後は何もすることがない。
布団に寄りかかりテレビを見ながらウトウトする。 

下の方で話し声が聞こえる。
おばあちゃんが来たようだ。お嫁さんと何か話している。
下に行き、お婆さんに挨拶をする。
お婆さんの様子が何か変だ。
私の名前を言って「お世話になります。」と挨拶をしているのに、
どうでもいいような感じだ。
必要以外のことは話したくないような感じがする。
「風呂が沸いたら声をかけます。」と言われ、2階に上がる。
 
「風呂に入ってください。」と言われたので下に降りたが、
風呂の場所がわからない。
台所にいるお婆さんに声をかけると、風呂は台所の奥にあった。
 
 お婆さんは、台所のテーブルに腰掛け、テーブルの上から顔だけが
見えるような座り方をしている。やはり、なにか変な感じがする。

 風呂場の脱衣所に洗濯機もあったので後で洗濯をすることにした。
風呂から上がって一息ついていると、お客が来たようだ。
声を聞くと、どうもKさんのようだ。

Kさんの部屋に行き、風呂の場所を教え、洗濯物があるなら一緒に洗うと
声をかける。
Kさんの話では、ここでは食事を出してもらえないという。
そういえば、私は、お婆さんと食事の話は何もしていないことに気がついた。
食事は、向かいの方にある「うさぎ茶屋」という店で取ってくださいとのこと。
朝食もそこで食べさせてもらえるようだ。

洗濯が終わり2階に上がろうとすると、玄関に2人のお遍路さんが来ている。
泊まりたいと言っているようだが、お婆さんの説明では、
「私は2年ほど前に体の調子が悪くなったので宿をやめてしまった。」と
説明している。
 今日はあいにく全部の部屋もふさがっているので、
別なところを捜してほしいと言っている。
この話を聞いてやっと事情がのみ込めた。

 「民宿ちとせ」さんは、お婆さんがやっていた宿だけれど、
体調を崩したのと高齢のため宿をやめてしまったのだ。
しかし、泊めてくださいと連絡してくる人を断るわけには行かないので
素泊まりだけで泊めているのだ。
 だから、部屋の中に布団も置きっぱなしだし、掃除も行き届いていないのだ。
食事の世話もできないのは当然なのだと思う。

へんろ路保存協力会の本に「民宿ちとせ」は載っている。
歩く遍路の大半はこの本を持ち歩いている。
この本から削除されない限り、まだまだこの宿に泊まりたいと連絡してくる
遍路はいるのだろう。

 お遍路宿を経営するのは大変なことだと思う。
商売として考えると、決して儲かるものではないだろう。
私の代までは何とか続けたいと、頑張っている人がまだまだたくさん
いるのだろう。
植村旅館のように後を継いでくれる人がいればいいが、
継いでくれる人がいなければ消えるだけなのか。
きっと、この宿は、隣にいるお嫁さんが継がない限り、
なくなってしまうだろう。
ヘンロブームというわれる中でこのような現実にぶつかると、
ちょっと寂しい気がする。

 「うさぎ茶屋」にKさんと夕食を食べに行く。
カウンターだけ6席ほどの小さなお店だ。ママさんが一人でやっている。
夕食は、海苔巻きとみそ汁、それに、タケノコ、フキや魚などの煮物、
すり身も付きなかなかの内容だ。
それで料金は5百円とすこぶる安い。

 ご夫婦が店に入ってくる。どうやら「ちとせ」の隣の部屋に来た
ご夫婦のようだ。
ご主人は2回目、奥さんは初めてのお遍路のようだ。
電車やバスも利用して歩いていると話している。
明日の宿は坂口屋に取っているようだ。そこまでは歩いていくと言っている。

 明日の朝食も6時から用意してくれると言う。6時半に頼んだ。

 お腹がいっぱいになったところで、明日の昼食用にパンと飲み物を
買いに町へ行く。
7時頃になるとほとんどの店が仕舞う町だ。
食料品のお店を見つけたので、パンと飲み物を買う。

宿へ戻る途中で、恩山寺から来たときにぶつかる交差点に出た。
交差点の左角には、立江寺駐車場の看板がある。
この看板をよく見ると、何と、四国の道の石柱に看板を縛り付けている。
どうりで立江寺への標識がみつからなかったわけだ。
標識はあるけれど、その標識がこのように駐車場の看板にすっかり隠されている。

 立江寺周辺の道路は狭く駐車場がないためこのような標識を設けている
ようだが、これでは歩き遍路はどちらに進めばいいか分からない。
困ったものだ。


 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

 長い遍路道を歩いていると、何箇所か泊まる宿の制限を受ける場所があります。
それは次の行程上にある宿との関係で決まります。
鶴林寺と太龍寺の間には宿がありません。
ですから、この二つのお寺を一気に歩いてしまわなければなりませんが、
鶴林寺への登り、それから一旦山を下って、さらに次の山の上にある太龍寺まで
1日分の距離としては十分な距離です。

 ですから、鶴林寺の山下にある「金子や」さんに泊まって、
次は、太龍寺を降りた山の下にある宿に泊まるのが一般的な行程となっています。

 私は、一日に歩く距離を30キロとして歩いていました。
1時間歩いたら10分ほど休憩を取る。
このペースで歩くのが一番疲れなかったようです。

 歩き出すと休憩を取らないで次のお寺を目指す人もいますが、
休憩をキチンと取る方が疲れが残らないと思います。

 数日歩いていると自分のペースというものが自然と出来てきます。

平成14年4月30日(阿波・第4日目)

2005-06-30 09:39:57 | 第1回(阿波編)
4月30日(火曜日)
(第4日目・ 歩行距離26.1km・ 歩数41,423歩)

 5:00分、起床。空を見ると青空がのぞいており、今日もいい天気のようだ。

6:00分、朝食。奥さんがしきりに、ご飯が柔くてすみませんと謝っている。
娘さんに任せたら水加減を間違ってしまったとのこと。
私は軟らかいご飯が好きなので気にならない。今日も2杯をしっかりと食べる。
 今晩の宿を決めていないので、奥さんに徳島市内で紹介してもらえる宿はないか尋ねると、近藤旅館を紹介してくれる。

 玄関先の箱の中にハッサクがたくさん入れてある。
もらっていってほしいとのこと。
ハッサクは重いので1個だけいただく。
 お婆さんが玄関まで見送りに出てくれている。
お歳を聞くと80歳を越えているとのこと。
「お元気ですね!」と言うと、「お遍路さんからいつも元気をもらっています。」とのこと。

 6:35分、奥さんとお婆さんにお礼を言って、13番大日寺へ向かう。
大日寺までは、11.1キロほどだ。

 ヘンロ路は、植村旅館の裏にある橋を渡り、鮎喰川の右岸の集落の中を
下っていく。
 空にはどんどん青空が広がり、まだ空気がヒンヤリしているので
気持ちよく歩ける。
足の調子も指先が痛いだけで何とかなりそうだ。
今日は徳島市内を目指し歩く。

 ヘンロ路は鮎喰川の右岸から左岸の車道へもどる。
前を行くYさんとの距離がどんどん離れる。
車道に出る。車道は、結構な交通量がある。
通勤時間なのか、みんな結構飛ばしていく。

 7:35分、広野の集落に着く。橋を渡って広野小学校の前で一休み。 
 左足の小指のテーピングを直して、ちょっと休む。
車がどんどん増えてきて狭い路をスピードを上げて走っていく。
この道は歩道がないのでちょっとおっかない。
歩道用に書かれているラインを越えないように気をつけて歩く。

 広野の町を過ぎてから、一昨年来たときに泊まった軽井沢レジャーランドの
標識を見つける。
懐かしかった。対岸を見ると、夕食を取った食堂も見える。
懐かしい光景に気をよくしてどんどん川沿いの路を下っていく。
通勤時間が過ぎたようで心なしか車の量も少なくなったような気がする。

 8:40分、刑務所入り口手前に丁度良い木陰があったので小休止する。
Sさんが追いついてきて少し話をする。鈴をどこかに落としてしまったらしい。

 入田町に入る。日差しが強くなり気温がどんどん上がっている。
ここまで来るともうすぐ大日寺だ。
大日寺の手前で、お婆さんに呼び止められ、ハッサクのお接待を受ける。
ありがたくいただく。

 9:35分、大日寺に着く。


第13番札所 大日寺

 境内には数人のお遍路がいる。見たことのない顔の人が多かった。
 荷物を日陰のベンチに置かしてもらい、お参りをする。
納経を済ませ、ベンチに腰掛け一服する。
植村旅館から貰ったハッサクを1個食べてから、近藤旅館に電話する。
宿泊OKとのこと。これで今日の宿も決まり、ほっと一安心。

 次の常楽寺を目指す。常楽寺までは2.3キロ程と近い。
ここから17番井戸寺までは、お寺の間隔が近いので適当に休める。

 大日寺の右側を曲がり、鮎喰川を目指して歩く。 
川に架かっている橋のたもとに向かって車道が右側に曲がっている。
しかし、ヘンロ路はそちらへ行かず、逆に左に曲がり川にむかっている。
左に曲がり歩いていくと、橋の真ん中に歩道が延びて、橋の歩道に繋がっている。
 橋を渡り右に曲がると、住宅地の中をうねうねと曲がりながら路が続いている。
ため池が見えてくると、常楽寺はもうすぐだ。

 10:30分、常楽寺に着く。


第14番札所 常楽寺

 山火頭の石碑に迎えられ、記憶のある自然石の階段を上がると、
常楽寺の境内だ。
境内に広がる自然石に足を取られないように気をつけながら本堂へ向かう。 
風が強くなってきており、ロウソクに火をつけるがうまくいかない。
何とか火をつけて線香に火を移す。
人気のまばらな境内なので気兼ねなくお経を唱えられるはずが、
暑さのため気持ちが集中しない。大師堂でもお経を唱える。

納経はお婆さんがしてくれた。
 実は、常楽寺の納経所ではある期待があった。
 それは、前回来たときに納経していただいた和服姿のすてきな奥様に
会えるかもしれないという期待である。
前回は、歳の頃から住職の奥さんかと思われる上品ですてきな奥さんが
納経をしていた。
納経帳を書いている姿、納経帳の扱いも丁寧で、すてきな人だと思っていた。
今回は縁がなかったようだ。

 あきらめて、次のお寺、国分寺へと向かう。国分寺までは0,8キロだ。
 
 慈眼寺の入り口に、立派なお地蔵様を見つける。懇ろにお参りする。

 11:05分、国分寺に着く。常楽寺からは1キロ足らずなのですぐに
着いてしまった。


第15番札所 国分寺
 
 国分寺は、境内の中を風が舞い、土埃が上がっている。
風に追われるように納経を済ませ観音寺に向かう。観音寺までは1.7キロほどだ。

 山門前のT字型の交差点に来ると、ヘンロ標識は左側を指し、
四国の道の標識は右側を指している。今回は右側に行ってみる。
すると道はぐる-っと国分寺を回り、ヘンロ路と合流した。

 ほどなく、大きな車道に出る。
ここへ来ると標識も見当たらないので左に曲がって進むと、前のほうで、
国分寺にいた青いシャツの人が道を聞いており、交差点で車道を横切ったので、
ついてゆく。
この人の前にもう一人ヘンロらしい人が歩いている。
 
 小学校の横を通り、細い道をまっすぐ歩いていくと交差点があった。
その交差点を渡ろうと思って左右を見ると、右側に観音寺の山門が見えた。
前を行く人に声を掛けようと思ったが、既に100mは先を歩いているので
あきらめて、観音寺へ向かう。
11:45分、観音寺に着く。


第16番札所 観音寺

 観音寺は、町の中にある小さなお寺だ。境内も狭く、こじんまりとしている。
山門の正面に本堂があり、右手に大師堂がある。

 人気の少ない境内で、本堂、大師堂にお参りする。

 納経所へ行くとお婆さんが納経してくれる。
納経が終わってから話しかけてくる。
話を聞いていると、どうもテレビニュースで報じていたこの付近であった
事件のことを話しているようで、「最近この辺も新しい住宅地が出来て
知らない人が増えたので、この辺も物騒になってきている。」とのこと。
「知らない人には話しかけることもできない。」などとブツブツ言っている。
 話の内容からすると、徳島市でもこの辺は中心街から大きく離れた町なのに、
都市化が進み、宅地開発が進みつつあり、市街からの移住者が多くなり
顔の知らない人が増え物騒になってしまったということらしい。

12時となったので昼食を取りたいと思い、お婆さんにどこか食堂はないか
尋ねると、お寺の前を左に進み突き当たりを左に進むと、
ほどなくうどん屋があるという。
地図をよく見ると、「ぬまた」といううどん屋さんがあり、
そこで一服することにして、観音寺を後にする。次の井戸寺までは2.9キロだ。

 「手打ちうどんぬまた」に入り昼食とする。「ぶっかけうどん」を頼む。
小上がりに上がり、靴を脱ぎ、靴下も脱ぐ。
足の指を前後左右に動かし揉むと気持ちが良く、生き返るようだ。 
 ここでうどんを食べていると、Sさんが来る。
さらに、喜寿のおじいさんとKさんも来る。
みんな考えることは同じようだ。
 ぶっかけうどんは、冷たくておいしかった。みんなにも勧める。

 Kさんが、いま、観音寺の納経所でお坊さんに怒っている人がいた
という話をする。
話の内容は、どうも、私の前を歩いていた青シャツの人が観音寺への交差点を
曲がらずに道を間違えてまっすぐに行ってしまったことに端を発しているようだ。
交差点に目印の標識がないということを怒っていたようだ。

 青シャツの人は道ばたにあるお地蔵さんにも手を合わせていた人なので、
そんなことで怒るということが信じられなかった。
でも、お遍路をしている人がすべていい人であるはずもないので、
「いろんな人がいるね!」ということか。

 Sさんと先に「ぬまた」を出ると、何と先ほどはなした青シャツの人が
歩いてくる。
私たちは、左に曲がろうとすると「まっすぐ行くのではないかという」
「どっちへ行っても同じですよ」と言い残し、私たちは左へ進む。

 住宅地の中を何回か曲がると、正面に井戸寺が見えてきた。

 13:30分、井戸寺に着く。


第17番札所 井戸寺

 喜寿のおじいさんは所用が出来たため、本当は通し打ちのつもりで出てきたが
今回はこの井戸寺で、一旦、家に帰るとのこと。 
 この次の健闘を願い、ここで分かれる。

 井戸寺の納経所で待っていると、先に納経を済ませたおばさんが
「小さいお金で済みません」と言って、納経料を小銭で払った。
住職らしい人が、「ドルでなければ問題ありませんよ。」と冗談を言っている。
 「大きなお金で、納経料を払われると困ることもあるけれど、
小さなお金で払われても困ることはない。そんなことも気になるのですかねぇ。」と言っている。
おもしろい住職だ。 

 井戸寺からは、丁度、一緒になったSさんと徳島市内を目指して歩く。
右手の先に見える眉山の麓が徳島市内なのでそこまで行かなければならない
とのこと。
市街地の道を快調に進む。

 鮎喰川を渡ったところで自転車に乗ってきた中年の女性から
缶ジュースをお接待される。
お礼を言って、その先にあるバスの停留所で休む。

 停留所で休んでいると青シャツの人が来る。
「この道でいいのか、今晩はどこに泊まるの?」などとしつこく聞いてくる。
口の訊き方もぞんざいな感じがする。
あまり相手にしたくない感じなので、適当に答え先を行く。
そうすると後を着いてくる。まあ、行き先は同じ方向なのだからしかたがない。
 
 佐古6番町と思われる辺りで道が大きく右に曲がっている。
地図には、こんなに道が曲がっているようには書かれていないので、
ヘンロ地図を出して見ていると、また青シャツの人が来て口を挟む。
地図には目印のガソリンスタンドが載っていたので、安心して進む。

 道路に向かい側に郵便局を見つけたので、お金を降ろすために横断歩道を渡る。
Sさんとはここで別れる。Sさんの今日の宿はワシントンホテル。

 郵便局で今日の宿である近藤旅館の場所を聞くがどうもよくわからない。
でも、駅前のほうにあることは間違いがないようだ。

 徳島市内の中心街に向かってどんどん歩いていると、
右側の小路からお遍路姿の人が出てくる。
ちょっと話していると、同じ路からあの青シャツの人も歩いてくる。
そして、道の標識が違っていると毒付いている。
横を見ると、四国の道の石柱が立っており、
なるほど、恩山寺と書いて右を指している。

この標識に従って曲がったところで先ほどのお遍路さんに会い戻ってきたようだ。

 青シャツの人を相手にせずに進んでいくと、眉山ロープウェイの駅前に出る。
横断歩道に新町橋と書かれてあるので、この辺に近藤旅館があると思い
近くの弁当屋で聞く。
しかし、どうも要領を得ない。
適当にもどって、違う人に聞き、やっと、場所がわかった。
近藤旅館の前を通り過ぎて探していたようだ。

 16:00分、近藤旅館に着く。
 フロントにいたお婆さんに「早かったですね。」と言われる。

 若奥さんに洗濯機の使い方などを聞いて、洗濯をする。
夕べ植村旅館で洗濯して乾いていないものを屋上の物干しにかける。
風があるのですぐに乾きそうだ。

 目の前には中心街が広がるので、ちょっと徳島の町の散策に出かける。
街を歩いている女学生のスカートの短さにちょっとどきどきする。
これは、この数日あまり人のいない道を歩いていたせいかもしれない。

VIVASHという珈琲ショップへ入る。カプチーノを頼む。
生クリームの泡に砂糖を浮かし飲む。おいしかった。

 お遍路から、ちょっと都会の生活に戻るが妙に落ち着かない。
徳島新聞を見ると今日の気温は26度だったようだ。6月中旬の気温とか!
道理で暑かったはずだ。

 近藤旅館に泊まっている人でお遍路は私一人だった。
あとの人たちは高知から来ている建設関係の人たちのようだ。
若い人たちで、体格もよく茶髪などで一見、暴走族風だけれど奥さんと
話しているのを聞くとごく普通のお兄さん達だ。

 明日の天気予報では雨だと言っている。
この3日間は晴天に恵まれていたので、しかたがないか。
 でも、明日は、立江までの15キロほどなので、
やはり、お大師様がゆっくりしなさいということだと勝手に解釈し、
「金子や」さんへの予約確認をあきらめ、のんびりすることに決める。


平成14年4月29日(阿波・第3日目)

2005-06-29 14:58:19 | 第1回(阿波編)

4月29日(月曜日)
(第3日目・ 歩行距離26.8km・ 歩数39,468歩)
 
 5:00分、隣の部屋が起きたようで話し声がする。

 昨晩は、痛めた足の指が気になって熟睡できなかったけれど、
旅先ではウトウトしているだけで熟睡できないのはいつものことだ。
しかし、体調はすこぶる快調。
足も痛いのは指だけで、膝とかふくらはぎに影響はないようだ。

外へ出てみると曇り空で空気が湿っぽい。少し青空も見えているので
天気は良さそうだ。

 6:30分、朝食を取る。皆さん元気な顔をしている。
今日はしっかりと2杯のご飯をかき込む。これでカロリーの補給は十分だ。
起きてすぐでも食欲があるのは元気な証拠か?
食事が済んだら、部屋にもどり荷物をまとめる。

 7:00分、民宿ふじやを立つ。
藤井寺の本堂に向かい今日一日の無事を祈願し、お参りをする。

本堂の左横にある登山口に向かう。
さあ、ここから今日一日遍路最大の難所と言われる「焼山寺の遍路転がし」が
始まる。

山道の右側にミニ遍路の石仏が置かれている。
順番を追ってみていくと、延々と続く階段の山道になる。
沢から尾根に出るための急な山道だ。両側は鬱蒼とした杉林。
薄暗くしっとりとした空気に包まれ、冷気が汗ばむ体に気持ちいい。
足元は杉の落ち葉があり、いくらかのクッションとなり踏みしめた感触は優しい。
最初はゆっくりと歩いて体調を見たが体が温まってくると調子が良くなり、
快調なピッチで登っていく。

 先に登っていた同室のSさんや数人の遍路を追い抜く。
1時間ほど登ったところで町石仏があったので小休止する。
あたりは明るくなっており山道の斜度も緩やかになってきている。
もう尾根筋に入っているようで、長戸庵も遠くないと思う。

8:10分、長戸庵に着く。長戸庵はかわいらしいお堂だ。
せっかくなので、お堂に線香を上げ、般若心経を唱える。

 長戸庵の横の広場で竹を切っている人が3人ほどいる。 
どうも、広場に生えてくる竹を切っているようだ。
チェンソーの音が響き、竹が倒れる。
作業の手を休めた人が、飴を接待してくれた。
1個いただき、お礼を言って長戸庵を後にする。

 道は緩やかな登りとなっているが、周りは明るく、空も晴れて
青空が見えている。

 尾根道に出る。
両側が鋭く落ち込み急な斜面となっているが周りが杉林となっているので
恐怖感はない。

やがて、道は下り道となる。
どんどん下がっていくと建物の屋根が見えてきた。柳水庵のようだ。
柳水庵のおじいさんと思われる人が竹箒を持って参道を掃いている。
挨拶をして柳水庵前のベンチに荷物を下ろす。

 9:20分、柳水庵に着く。先着者が一人いた。
昨日ふじやに泊まっていた大阪の人だ。
   
ここでちょっと休み、 柳水庵のお堂にお参りをする。
おじいさんが降りてきたので納経をお願いする。
 柳水庵のお婆さんから絵はがきの接待を受ける。
天気はすっかり回復し、空は一面の青空となっている。
気温も上昇しているようだ。
 ここは、丁度、中間地点。さあ、もうひと頑張りだ。

 9:45分、柳水庵を立つ。
 道は一旦下り、車道を少し歩いてから、また登りになる。
両側はよく手入れされた杉林で、明るく、時折吹き抜ける風が涼しく
気持ちがいい。 
ここでも快調なピッチで歩く。今回は、この山道でも呼吸が乱れない。
これも、普段、自転車通勤と歩いていた効果か?

 山道の向こうに階段が見える。
階段の下に立ち、上を見ると、杉の木をバックに大きな大師像が見える。
これが、あの、一本杉庵の大師像のようだ。
階段を一歩一歩上がるたびに大師像が大きくなってくる。
階段に向かって厳しい顔で見下ろしている大師像だ。
杉の古木が後ろにあるため陽の光を遮り暗くて大師の顔がよく見えない。

 大師像の大きさは3メートルはあろうか?堂々とした作りだ。
 階段を上がると自然に大師像に向かい手を合わせる。
そういう気持ちにさせる大師像だ。

 大師像の背後には、後光が差しているように伸びる大きな杉の枝が広がる。
間近で大師さんの顔を見る。なかなかいい顔をしている。
それにしても、この像をここまでどうやって運んできたのだろうか。

 10:30分、一本杉庵に着く。
大師像の右奥にある一本杉庵でもお参りをする。
 道は、ほどなく見晴らしの利くところへ出た。
目の下に左右内(そうち)の集落が見える。

正面に見える山が焼山寺がある山だと思い見ていると、
いきなり、鐘の音がゴーンと間近に響く。
本当にすぐ近くで鐘を打っているような響きだ。
この鐘の音に勇気づけられ、左右内の集落を目指し、山道を下る。

 11:00分、左右内の集落に着く。
左右内の集落を地図を見ながら歩いているうちに、
標識を見逃してしまったようだ。
丁度、農作業をしていたお婆さんに道を尋ね、言われた方に歩き、
遍路路にもどる。
歩道に腰掛けて、ちょっと一休み。

 川の中に大きなきれいな石がたくさんある沢を渡ると、
さあいよいよ焼山寺までの最後の登りとなる。

登山道のような山道を登っていくと、中年と老年の5~6人のグループが
休んでいる。
話をすると、今朝6時ころに藤井寺から登りだしたようだ。
「何時に出発したの。」と聞かれ「7時です。」と答えると、
「やあ、さすが若い人にはかなわないな。1時間も先に出たのに
追いつかれてしまった。」と言われる。
挨拶をして、先に行く。
 
林道のような道に出る。その先には舗装道路が見えている。
舗装道路に出てわかった。
この道は、前回来たときに走った焼山寺の駐車場へ行く道だ。
見覚えのある舗装された道を歩く。
遍路姿の人が何人か降りてくる。
右に大きく曲がると、その先に見覚えのある焼山寺の山門が見えてきた。

山門前の大師像が迎えてくれる。
これで、「焼山寺への遍路ころがし」を歩いたことになる。

 焼山寺までの「遍路転がし」は四国お遍路最大の難所といわれている。
しかし、私にとって、今回の「遍路ころがし」は非常に気持ちよく歩くことが
出来た。
最初の急な登り道は、前日の雨によりしっとりとした冷気に包まれ、
汗をかいた体を心地よく冷やしてくれたし、
風がないために冷えた体が寒くなることもなかった。
 日差しが強くなってきても、杉木立が日差しを遮り、
適度に調節してくれている。
足元も杉の落ち葉により適当なクッションがあり心地よい。
 一本杉庵の大師像は階段を上ってくる私を厳しい目で見ているが、
そのまなざしは決して厳しいだけではなく、よく見ると、慈愛に満ちている。
さらに、左右内の集落の見える尾根では焼山寺の鐘の音が早く来いと元気づける。
 こんなに気持ちよく「遍路転がし」を歩いてしまっていいのだろうか。
こんなに気持ちよく歩いて汗をかいたのは、本当に久しぶりだ。
 遍路中最大の難関といわれる「遍路転がし」がこんなに気持ちよく歩けるとは
思いもしなかった。

 11:55分、焼山寺に着く。


第12番札所 焼山寺

 境内にはお参りする人の姿もまばらで、静かなものだ。
時折、鐘を突く人がいる。ゴォーンといい音が境内に響き渡る。
 
本堂と大師堂にお参りをして納経を済ませると、
空いたお腹を満たすために食堂へ行く。
うどんとおにぎりを頼み、席に着く。
 靴の紐をほどき、行儀が悪いがお客さんがいないのをいいことに、靴下を脱ぐ。
足の指を揉みながら1本1本を広げる。痛いけれど気持ちがいい。

食堂でしっかり休んでしまった。
この間に、喜寿のおじいさんや、隣の若い人、大阪の人などが焼山寺に
着いているが、Sさんがなかなかこない。
どうしたかちょっと心配だけれども、今日の宿は同じ植村旅館なので
先に行くことにする。
  
 13:00分、焼山寺を後にする。天気は快晴、空には青空が広がり
気温も上昇している。
これからはアスファルトの道を下るのでちょっとげんなりする。

 時折、ヘンロ路を交え車道をぐんぐん下る。
下り道のほうが足に対する負担は重いが贅沢は言えない。
でも、相当急な下り道だ。
まっすぐに下ると膝に負担が掛かるので、車がこないのをいいことに
道幅いっぱいを使ってジグザグに下る。

 13:25分、杖杉庵に着く。
庵の前には大きな杉の古木がある。これが庵の名前の由来だろうか?

ここからはちょっと近道でヘンロ路がある。
いきなり細い農道のような道となる。土の道は、急な坂道でも足には優しい。

 14:00分、鍋岩にある公衆便所に着く。
駐車場の向かい側にある「アイスクリームあります。」の看板に
惹かれてしまった。
アイスクリームを買ってちょっと一休み。

地図を見ると、丁度、阿部商店前の交差点となっている。
ここから玉が峠に行くには車道を行く「草木繁茂期、大雨後の代替コース」か
ヘンロ路となるが、ヘンロ路を選ぶ。

 車道からのヘンロ路は、いきなり人一人が通れるだけの狭い山路となり
林の中に消えている。
しばらく進むと人家の横に出て、細い車道をヘンロ標識に従って進む。

 これより、玉が峠へ0.5キロと書かれたヘンロ標識にしたがって進むと、
道はいきなり急な折り返しの登山道となる。
右に左に折り返し一気に高度を稼いでいく。
結構きつい山道だ。汗が一気に吹き出してくる。

やっと、車道に出る。どうやら玉が峠のようだ。
少し進むと、右側に庵があり、左側には石仏がある。

 14:55分、玉が峠に着く。
 玉が峠からの車道はほとんど通る車もなく、コンクリートの急な坂道を
またもやジグザグに曲がりながら、時折、吹き抜ける風に吹かれ下っていく。

目の下に鮎喰川が流れているのが見える。
しかし、川までの標高差はかなりある。今日の宿は、川にそばにあるので、
この川と道が合流するところが宿なのだと思い頑張って下る。

消防署阿野分団と書かれた建物がある。消防車の車庫のようだ。
ここを過ぎると数軒の家がある。
その中の1軒の庭先に駕籠が置いてあり、ハッサクが入っている。
張り紙がしてあり、「お遍路さんは自由にお持ちください」と書いてある。
早速、1個いただく。

 そのハッサクは、次の休憩で食べた。
皮が少し干せていたが、ちょっと苦みがあるハッサクの味は格別だった。

 16:15分、植村旅館に着く。
 今日一日の長い遍路が終わった。

 植村旅館では、3人部屋で相部屋となる。
既に1人は来ているようで、奥さんに話を聞くと、もう一人の人は
Sさんのようだ。

 狭い階段を上がり2階に上がると、窓の下には鮎喰川が見える
景色のいい部屋だ。
先着の客は広島のYさんという人だ。
昨晩は柳水庵へ泊まったとのこと。うらやましいな~。

 洗濯をしようと思い、奥さんに話をすると、こちらで洗濯しますといわれ、
お風呂に入ってくださいとのこと。
厚意に甘え、洗濯物を渡してお風呂に入る。

風呂から上がり、部屋でくつろいでいると、Sさんが来た。
「だいぶ早く着いていたの?」と聞かれたので時計を見たら5時を
回ったところだったので、「1時間くらいですよ。」と答える。

ほどなく数人のお遍路が来たが、その中に夕べ隣の部屋にいた
喜寿の老人と若い人がいた。

 Yさんに柳水庵のことを聞く。
柳水庵は3人しか泊めないと聞いていたので、よく泊まることが出来たものだ。

柳水庵のご夫婦は高齢であり、お婆さんが入院していたとか
足がすっかり弱くなったので布団などは自分でひいてもらうことになった
などと聞いていたのでその辺の様子を聞くが、どうもその通りのようだ。

 柳水庵がなくなってしまうと、あの山道を一気に藤井寺から焼山寺まで
行くことが出来ない人には、歩いて遍路をすることが出来なくなってしまう。
 老夫婦の長命を祈るしかない。

 三人で宿の話をしていると、この先、次の難所である鶴林寺と太龍寺を
打つには鶴林寺手前にある「金子や」さんが一番都合の良い宿であるが、
この周辺にはここしか宿がないので、この宿が取れなければ手前にある
立江に宿を取るしかないことになる。
また、太龍寺の先には金龍荘と坂口屋の2軒があるが、
平等寺の周辺には宿がないので、二人とも金子やさんと金龍荘に
宿の予約をしているとのこと。

 私は、この先の宿はまだ取っていないので、早速、「金子や」に
電話してみるが、あさっては予約でいっぱいとのこと。
しかたがないので、立江にある「民宿ちとせ」と太龍寺の先にある
坂口屋に電話し、宿の予約をする。


 ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

 藤井寺から焼山寺までの道は「遍路転がし」といわれ、弘法大師が歩いた
時代と同じように残されている道と言われています。

 二山越えて、さらに、次の山の中腹にあるのが焼山寺です。
四国遍路1200キロあまりある道の最大の難所といわれています。

 確かに、二山半の山道を越えるのは大変ですが、山道はよく整備されており
ゆっくり時間をかけて歩けば、普通の人でも十分に踏破できる道です。

 この「遍路転がし」を越えることによって、これから先の遍路を歩く自信が
出来たという人はたくさんいます。

 「遍路を歩き通す気持ちを試されているような気がする。」そういった道です。

平成14年4月28日(阿波・第2日目)

2005-06-28 09:47:20 | 第1回(阿波編)
平成14年4月28日(日曜日)
(第2日目・ 歩行距離33.4km・ 歩数49,372歩)

 5:30分に目を覚ます。さあ、今日からは本格的にお遍路だ。
天気は良さそうだ。昨日買っておいたパンとお茶で朝食を取り、
朝食用のおにぎりを昼に食べることにする。

 5:55分、ばんどう旅館を出発する。
 人気のない板東の町を歩く。狭く細い道がうねうねとつづく。
ひんやりとした空気が気持ちいい。空には青空が広がっている。
一路、大日寺を目指す。大日寺までは4.5キロほどある。7時までには着きたい。
 
 歩き出して40分ほどするとヘンロ路へ行く標識を見つける。
ここからは車道と分かれて、山道のヘンロ路を歩く。
 山道を抜け畑の中を曲がりながら進む。ヘンロ路は土の道で足には優しい。

 ほどなく愛染院の境内に出る。おばあさんが一人で庭掃除をしている。
境内を見た後、山門から出る。山門の両側には古くて大きな草鞋がかかっている。
 ヘンロ路が車道につながるともう少しで大日寺だ。
 前を歩いているお遍路がいる。若い男の人だ。手にゴミ袋を提げている。
どうやら道に落ちているゴミを拾いながら歩いているようだ。挨拶して追い抜く。

 やっと大日寺が見えてきた。
山門前の駐車場には車の前にブルーシートを広げ朝食を取っている人達がいる。
 

第4番札所 大日寺

7:00分、予定どおりの時間で大日寺に着く。
大日寺は、沢の一番奥にあり、両側に山肌が迫っている。
その山陰を通して境内に日が当たり出しウグイスが鳴く中でお参りをする。
境内にはほとんど人影がないので、すがすがしい気持でお経を唱える。
大師堂をお参りした後に本堂へ続く回廊の中にある仏像を見る。
納経を済ませると、次の地蔵寺へ向かう。地蔵寺までは2キロだ。
今日は11番まで行かなければならないので、ちょっと急ぐ。
地蔵寺までは、今来た車道をまっすぐに降りるだけだ。

 地蔵寺の手前で五百羅漢に入る。
 境内には人影もなく、辺りはシーンとしており、
ウグイスや鳥の声が境内に響く。

入館料5百円を払い、五百羅漢のあるお堂へはいる。
お堂の中は薄暗く、空気が冷たくひんやりしている。
なるほど、いろいろな顔をした羅漢さんがいる。
妻の父に似た羅漢さんを見つける。思わず笑ってしまった。

 五百羅漢を出て階段を下りると、すぐに地蔵寺の本堂横に出てしまった。


第5番札所 地蔵寺

 7:40分、地蔵寺の境内に入る。
 さて、お参りをと思ったら、団体遍路の人達がいる。
息のあった読経が静かな境内に響く。団体さんのお経の後で、
私も、ゆっくりとお経を唱える。
今回は、一昨年の経験が生きているのか、お経を唱える時にあまり周りを
気にすることなく唱えられる。これも経験のなせる技か?

8時丁度に地蔵寺を後にする。次の安楽寺までは5.3キロ、約1時間かかる。
途中で、別格1番大山寺への案内石柱を見つける。
今回は、別格へのお参りは道中にあるものだけと思っているので、
横目で石柱を見て通り過ぎる。

上板町の町を通り、松島神社を過ぎると、安楽寺は近い。
 9:05分、安楽寺に着く。


第6番札所 安楽寺

竜宮城のような山門をくぐり境内に入る。
ここで、ちょっと小休止、足も痛くなってきた。
今回は、お遍路用に靴を新調してきた。軽登山靴でちょっと細身だが
クッション性もよく気に入っている。
細身の靴なので大きめの靴を購入してきたし、多少は履き慣らしたつもりだ。
しかし、長くても1時間程度を歩いただけなので、こんなに長時間を
履いたのは今回が初めて。
まあ、ぶっつけ本番に近い状態だ。
したがって、靴が合わなくて足が痛くなるのは覚悟していた。
今のところ、右の小指が少し痛い程度で、快調に歩いている。

足と気持ちが落ち着いたところで、次の十楽寺へ向かう。
十楽寺までは1キロほどの距離しかないので、気持ちも楽だ。


第7番札所 十楽寺

 9:45分、十楽寺に着く。
 山門の中に、見覚えのあるお地蔵さん達がいる。
水子を祀ってある地蔵さん達だ。
大小の地蔵さんが二重三重に重なり祀られている。
ここで手を合わせ、境内へ進む。
 
 4番と5番は2キロ、6番と7番は1キロ、8番と9番の間は2.4キロと近く、
5番から6番は5.3キロ、7番から8番は4.2キロと距離がある。
ちょっと頑張って歩くと、おまけのように次のお寺があるという
お大師様の粋な計らいだ。

 次の熊谷寺までは約4.2キロ、今度はちょっと頑張らなければいけない順番だ。
熊谷寺は、前回来たときに中山門の屋根瓦を寄進したお寺だ。
思いで深いお寺なので頑張って歩く。


第8番札所 熊谷寺

熊谷寺に近くなってきたところで「たみや旅館」を見つける。
「たみや旅館」は、俳優の萩原健一などが泊まっていた旅館で、
女将さんが有名な人だ。
「たみや旅館」を右に曲がると坂の上の方に熊谷寺の総門が見えてきた。
懐かしいので写真を撮る。

総門をくぐり、10:50分、熊谷寺の納経所に着く。

 さすがにこの時間になると納経所も人であふれている。
 本堂と大師堂はここからまだ上のほうにあるので、
荷物をベンチに置かせてもらい本堂へ向かう。
駐車場の横に参道への入り口がある。 
本堂へ向かう参道は、行き交うお参りの人達で込み合っている。
今までは静かな雰囲気だったのが、一変してにぎやかだ。

 中山門には建設用の覆いが架けられており使用できなくなっているため、
参道は脇にある車道を利用するようになっていた。
寄進した瓦屋根を見ることが出来なくて残念だった。
 人の多い境内を眺めながら、こちらも本堂と大師堂へお参りをする。

 境内の片隅で、今度は本堂の屋根葺き用銅板への寄進を勧めている
お婆さんがいる。
一昨年のお婆さんかと思い顔を見たが違っていた。

 納経所に戻り、納経を済ませたところで、ベンチに座り昼食を取る。
足も痛いところが出来てきたので、靴を脱ぎ素足になって点検する。
足の指を1本ずつもんでみる。指を広げるように動かすと気持ちがいい。
両足の小指が痛いがマメは出来ていない。
念のためにサビオを張り、テーピングしておく。

 昼食は、ばんどう旅館で朝食用に作ってくれたおにぎりを食べる。
3個のおにぎりと漬け物もたっぷり入っているので、
1個を残しおいしくいただく。

 ここまで来ると、やっと今日の行程の半分を終了したことになり、
今日中に11番の藤井寺まで回る目処が立ってきた。少し気持ちに余裕が出てくる。

 ゆっくり休んだので、11:30分、法輪寺へ向かう。
法輪寺までは2.4キロほどだ。
 法輪寺への道は、前回、迷ってしまった道だ。注意して進む。

 法輪寺の駐車場が見えてきたときに、後ろからギュンギューンという
金属的な排気音が聞こえてきた。
振り向くとBMWの大型バイクが2台、横をすり抜けていく。

 駐車場に停まったバイクを見ると、私よりは遙かに年上のお爺さん達だ。
ナンバーを見ると水戸ナンバーときたもんだ。
自走してきたのならばたいしたもんだとバイクを見る。
バイクはよく手入れされピカピカに磨かれている。


第9番札所 法輪寺

 11:55分、法輪寺に着く。
本堂と大師堂にお参りをして納経所の方を見ると納経所前に
長い列が出来ている。
なんと、15~16人は並んでいるようだ。おまけに、その列が全然進まない。
並んでいる人に聞いてみると、中では3人が書いているようだが、
団体の納経がどっと置かれているので全然進まないとのこと。

 しばし待つこととし、山門前にある売店でジュースを買い、一休み。
この間を利用して明日の宿の予約をする。植村旅館に電話してOKをもらう。
やっと納経を済ませ、次のお寺切幡寺へ向かう。切幡寺までは3.8キロだ。

 法輪寺を出て少し行ったところで前を行くお遍路を見つける。
大きな男の人の後ろを小柄な女性が歩いている。
大きな人は足を痛めているようだ。
追い抜きざまに挨拶すると、大きな人は何と若い外国人の男性だった。
足を痛めているようで片足を引きずるように歩いており、ちょっと痛々しかった。

 切幡寺へ向かう交差点に来ると、お土産物屋さんに入るお遍路さんや
駐車場への車の出入りで、にぎやかだ。 
交差点を右に曲がり、両側のお土産物やさんを見ながら切幡寺に向かう。


第10番札所 切幡寺

 13:05分、切幡寺の山門をくぐる。
この山門はひどく傷んでいる。羽目板の下の方がボロボロになっている。
本堂は、ここからまだまだ山の上の方にあるため参道を登っていく。
上の方から沢山の人が下ってくる。

 駐車場を過ぎて少し行くと上から降りてきた男の人が「あんたもう来たのかい?
歩いているのだろう。」と話しかけてきた。手に掛け軸を持ってる。
どうやら、法輪寺で私を見かけていた車遍路の人らしい。
「早いね!」とビックリされたが、何と返事をしていいのか分からず笑っていた。
 切幡寺は、駐車場から延々と階段を上がらなければならず、
境内でも納経所が込んでいたため、歩き遍路が車遍路に追いついて
しまったということらしい。

「是より333段」「234段」と延々と続く階段も快調に登り、
本堂の前に立つ。
境内の中は、団体遍路や車遍路の人でごった返している。
今日一番の込みようだ。

 本堂からはこれから行く藤井寺がある対岸の山がぼんやり見える。

切幡寺を終えると、あとは今日の宿がある藤井寺だけだ。
しかし、藤井寺までは今日一番の長丁場、約10キロを歩かなければならない。 
吉野川を挟んだ対岸にある山裾まで歩かなければならないが、
予定より早く歩けているので、気持ちはすごく楽だ。
 
13:40分、切幡寺を立ち、藤井寺に向かう。

 藤井寺に向かい歩いていると、あちらこちらの電柱やガードレールに
藤井寺と書かれ赤い矢印のある標識が目に付く。
へんろ路保存協力会の標識とはちょっと違うような気がする。
標識を張っている箇所が多く、ちょっとうるさい感じがする。

 道標については、あまり有りすぎると「分かっているよ」という気分に
なりうるさい感じがする。
さりとて、あまり道標が見あたらないと道を間違えているのではないかと
不安になる。
この辺の微妙な心理に対しへんろ路保存協力会の道標は絶妙というしかない。
程良くつけられている。
でも、オリエンテーリングではないのだから、標識を捜し地図を見て歩けば
いいというものではない。
道に迷ったと思えば聞けばいい。
その行為から地元の人との触れ合いが生まれるし、得るものもある。

 八幡の町中にあるお店の前に、中学生が数人たむろしている。
横を通り抜けようとすると「頑張ってください。」と声が掛かる。
「ありがとう」と答えると、後ろで笑い声が聞こえた。
中学生から声が掛かると思っても見なかったし、
向こうもからかい半分で声を掛けたら思わない答えが返ってきたので、
笑ってしまったということか。

 吉野川の堤防にぶつかる。
1本目の潜水橋を渡ると、そこには広大な土地に畑や水田が広がっている。
そこは農作業の真っ最中である。のどかな田園風景が広がる。
水田に田植えをしている人、人参畑で収穫中の人、いろいろな人が働いている。
 水田の中で田植機を動かしている人がいる。
ちょっとおぼつかない動きをしており、それを見守っているご夫婦がいる。
初めて田植機を運転する息子を心配しながら見守っているようだ。

 収穫中の人参畑の横を通ると人参の匂いがしてくる。
収穫中の人参畑を見ていて、ふと、人参好きな息子が、小さい頃、
畑の人参を洗わずに食べたことを思い出す。

向こうから走ってきた車が止まる。
窓から顔を出したお爺さんが、「藤井寺までの地図を持っているか」と
聞いてくる。
「持っています」と答えると、「そうか、気をつけて!」と言って走り去る。

 2本目の大きな潜水橋を渡った堤防の上に道がある。
堤防の上からは、今日歩いてきた吉野川の左岸が目の前に広がる。
 潜水橋というのは、1車線の橋で途中に対向車がお互いに交差できる
待避場があるが、欄干はなく、洪水の時には橋自体が川の中に
飲み込まれてもいいような構造となっている橋だ。

 足もだいぶ痛くなってきた。 堤防に上がり、階段の上で一休み。
靴を脱いで足の指を見る。左足の親指と第2指が痛い。
両方の指にはマメが出来ている。
サビオとテーピングをする。
残っていたおにぎりを食べると元気が出てくる。
目の前には吉野川が見える。
吉野川は、水量も豊富だ。満々の水がとうとうと流れている。

潜水橋の向こうからお遍路が一人歩いてくる。中年の男性だ。
挨拶をして少し話をすると、広島から来た人で、
88番大窪寺から10番の切幡寺までを歩いてきたようだ。
どうやら私のように順を追って歩くのではなく、自分の日程に合わせて
88カ所の中から、歩きやすいところを選び、そこをお遍路をしているようだ。
 
藤井寺に向かって二人で歩き出し、途中まで一緒に歩く。
ほどなく、国道らしい交通量の多い道路に出る。広島の人とはここで別れる。

 この先は、静かな住宅街の中を歩き、最後に山道を少し歩くと、
「民宿ふじや」の横に出た。

16:00分、藤井寺に着く。


第12番札所 藤井寺

 曇り空で少し肌寒くなってきたが、今日の目標である藤井寺に着いた。
山門をくぐり境内にはいると、右側に見覚えのある藤棚がある。
しかし、藤の花はもう終わりに近いようだ。ほとんどの花が散っている。
日が落ちて少し暗くなってきた境内には、まだ数人のお遍路がいるものの、
納経所も電気を灯し、その電球の明かりが何か物寂しい感じを増幅してくる。

本堂、大師堂に今日最後のお経を唱え、
今日一日、無事に歩けたことに感謝する。
 16:20分、民宿ふじやに入る。

 ふじやでは、埼玉県から来ている杉村さんという62歳の男性と
8畳ほどの部屋で相部屋になる。
話してみると温厚な人だ。

 今日一日着ていたものを洗濯し、風呂に入る。
体にまとわりついていた汗を流し、足をマッサージすると生き返る気分だ。
部屋にもどり洗濯物を干すが、明日まで乾くのか心配だ。

 6時から夕食となる。 夕食会場の座敷には中年の男性が私を含め6人、
男性1人と女性の若い3人組、若い女性が1人、途中で追い抜いた
外人の男性と女性のカップル。 年齢もいろいろで多彩な顔ぶれだ。
 
 話題の中心は、もちろん、明日の焼山寺までの「遍路ころがし」だ。
 向かい側にいる老人は10年ほど前に区切り打ちで一巡しているようで、
今回は喜寿を記念して出来れば通し打ちをしたいと話している。
通し打ちをするのはこの人ほかに若い女性が1人いた。

それぞれの思いを胸に秘め、テレビの天気予報を見ながら食事を終える。
 明日の天気予報は、徳島県の北部は曇りとのこと。

 足の手入れをしていると、もう隣の部屋は電気が消えている。
まだ8時なので就寝時間には早いけれど、こちらも寝ることにする。

 今日一日は本当によく歩いた。
足の指は痛いところがあるが明日も頑張らなければいけない。

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

 菅傘はとても便利なものです。
菅傘の代わりに帽子をかぶってもいいのですが、菅傘の方が数段優れています。
まず、傘と頭の間が離れているので、始終風が通り抜け熱がこもらない。
日差しをしっかりと遮ってくれる。
大きめの傘なら首筋に日差しが直接当たらないので熱射病の予防にもなる。
雨が降っても、菅傘があれば顔が濡れることはない。
この点は、メガネをかけている人にとってはとても助かると思います。
ただ一つの欠点は、風に弱いということです。
特に、横風が吹くと傘が吹き飛ばされそうになります。

 菅傘にはもう一つ大事な意味があると思います。
それは、遠目で見たときに菅傘を見るとお遍路さんであるということが
一目で分かることです。
この目印としての効用はとても大きなものがあります。
たとえば、遍路道から外れて歩いていたりしても、めざとい人が
傘を見つけて正しい道を教えてくれたりします。
ですから、いろいろなことを考えると、
帽子よりは菅傘をかぶって歩くことをおすすめします。

ただし、売っている菅傘は傘を顔に結ぶ紐が1本で
顎の下に結ぶ形のものが多いですが、
これですと、ちょっとした横風で吹き飛ばされそうになるので、
補強して使うことをおすすめします。
工事現場でよく使っているヘルメットのように、耳の前後を半円級に囲んだ
ものからアゴ紐を出すようにすると、横風にも強くなります。


第一歩を踏み出す!(阿波・平成14年4月27日)

2005-06-27 16:15:29 | 第1回(阿波編)
プロローグ

 平成12年にバイクと歩きによるお遍路を終えて、早くも2年。
予行演習のお遍路は、昨年、妻と出かけた高野山奥の院参りで無事に一巡を果たした。
あとは、念願の歩き遍路に出かけるのみだけれど、昨年は人事異動もあり、
なかなか思うように休暇を取ることが出来なかった。

 札幌へ転勤してきて二年目。
今年のGWは、4月30日から5月1日までの3日間を休むと、何と10連休になる。
これを見逃す手はないと思い、今年のGWから、念願の歩き遍路区切り打ちに
出かけることとした。


4月27日(土曜日)
 (第1日目・ 歩行距離 4.4km・ 歩数13,435歩)

 朝5時頃起き、朝食後、息子に札幌駅まで送ってもらい、札幌発6:35分の
エアーポート60号で千歳空港へ向かう。 

8:00分丁度のJAL870便、関西空港行きに乗る。ほぼ満席の状況。

 10:05分、無事関西空港に到着する。天気は快晴だ。
 徳島に向かうには高速バスを利用することにしていたが、待ち時間が1時間ほどある。
空港内をブラブラして暇をつぶし、11:10分発の徳島行き、南海バスに乗る。
乗客は、私を含め5人ほど。GWが始まったというのに寂しい限りだ。

 14:04分、若干の遅れで、徳島駅に着く。

 ここからは電車に乗り換えて、JR板東駅まで行く。
 14:27分、板野行きのワンマン電車に乗る。
 14:55分、やっと板東駅に着く。

 ここから霊山寺までは約7百メートルほど、忘れ物がないかを確認して歩き出す。
 板東駅前を歩き、突き当たりを左に曲がる。そのまま狭い道を5分ほど歩くと
右霊山寺の標識がある。標識に従って右に曲がると霊山寺を示す大きな石柱が立っている。
その向こうに懐かしい霊山寺の山門が見える。

 15:05分、やっと、霊山寺の山門に着いた。

 山門を行き交う白装束のお遍路姿の人達が見える。
 今回は、前回と違って気持ちも新たに、一応、お遍路スタイルで歩くつもりだ。

 早速、霊山寺右手にある「一番街」で遍路用品を購入する。
 菅笠、袖無しのおいづる(白衣)、杖、輪袈裟、納経帳などを購入し、約9千円ほどを払う。


第1番札所 霊山寺

 霊山寺の山門前に立つ。
 さあ、ここから念願の歩き遍路がスタートする。
 思ったほどの気負いや興奮もなく、淡々とした気持ちで一礼し、境内に足を入れる。

 まず本堂に向かい、お経を唱える。前回に較べると周りを気にすることなくお経が唱えられる。
これも進歩か?大師堂でもお経を唱え、納経所へ行く。

 納経所には、結願を果たした白髪の老人がお礼参りの納経を行っている。
かなり興奮しているようで、一生懸命ここまでの苦労話をしているが、納経所のお爺さんは
何となく適当にフンフンと聞いているだけで早く終わってくれよといった態度に見える。
このやり取りを聞いていると、老人にとっては得難い経験だが、それを毎日のように見ている
納経所の爺さんにとっては何ということのないものなのだ。
ただの風景にしか見えないものなのか。

 見ていて分かったことは、歩き遍路のお礼参りは納札を出すと納経料はいただかないことに
しているということだ。

 納経後、売店にいるおばさんに歩き遍路が記入するノートのことを尋ねると黒い表紙に
「歩き」と書いた紙を貼ったノートを出して、これに住所と名前を書いてくださいという。
ノートを見ると、27日の日付で名前があったのはほんの数人だった。

 これで、霊山寺での仕事もすべて終えたので、山門に向かい記念写真を一枚撮ってもらい、
極楽寺へ向かう。

 極楽寺へは霊山寺の山門を出て右手の車道を歩く。
時間は既に3:40分、先を急がないと3番までいけないので急ぐ。
極楽寺までの1.2キロを約15分ほどで歩き、第2番札所極楽寺に到着する。


第2番札所 極楽寺

 極楽寺は、広い境内にぽつりぽつりとお参りの人がいるだけで、境内は静かなものだ。
弘法大師が植えたという長生松をじっくり眺める。

 今年の9月には長男夫婦に子供が産まれるので、妻からどこかのお寺でお守りをもらって
来てほしいといわれていた。
 極楽寺のお大師様は子安大師と呼ばれ安産祈願などをしていただけると聞いていたので、
大師堂でも気持ちを込めてお経を唱える。
納経所で安産のお守りをもらおうとお願いすると、2千円ですといわれる。
ちょっと高いなあと思ったけれど、これはお守りなのだからと思いお金を払うと、住所と名前、
出産予定日をこれに書いてくださいといわれ、奉加帳のようなものを差し出される。
聞くと、毎月、月末近くに安産祈願の祈祷をしており、そのときに名前を呼び上げるためだ
といわれる。
2千円という金額は、この祈祷料とお守り代を含んだものということで納得する。

 納経所にいた女性が私の住所を見て、「北海道からいらしたのですか、ずいぶん遠いところ
から来たのですね。」という。

極楽寺では、ちょっと時間を食ってしまい、納経所の締切の5時まであまり時間が
なくなったので、次の札所金泉寺へ向かう。
金泉寺までは2.5キロ、ちょっと距離があるので、急ぎ足で歩く。

 金泉寺らしいお寺が見えてきたところで、ヘンロ標識が指し示す道は、
何と、田んぼの畦道みたいなところを指している。
へんろ路保存協力会の道標に出会うとやっとお遍路に出てきたのだという実感が涌いてくる。
その標識にしたがって進むと、いきなり金泉寺の大師堂の横に出た。


第3番札所 金泉寺

いきなり大師堂の横に出てしまったので、山門へ戻り、入り直しをする。
 時間は既に4:40分、納経所の締切時間が迫っているので、とりあえず納経を済ませ、
順序が逆になるが、それから本堂と大師堂へ向かいお経を唱える。

 汗をかいた背中が寒くなってきたと思ったら、日がすっかり傾いている。
境内を見渡すと、私のほかにはお遍路さんが1人しかいない。

 山門を出て、今日の宿であるばんどう旅館へ向かう。
 途中で、読売新聞の販売店を見つけ道を尋ねる。迷うことなくJR板野駅前にある
ばんどう旅館に着く。
板野の町は道路が複雑で下手にはいると迷うなどといわれていたがそんなことはない。
これで、今日一日の遍路が終了した。

 ばんどう旅館に泊まっている客は私のほかに1人しかいなかった。
 夕食は、1階にある喫茶店でいただく。カニ鍋などもある本格的な料理でおいしくいただく。

 明日の朝食は7時からだと聞いてお願いしたが、「明日はどこまで行くの。」と女将さんに
聞かれ、「藤井寺までです。」と答えると、それならば、7時では遅すぎるといわれる。
ここからは、普通10番の切幡寺までだといわれ、朝食をおにぎりにしてもらい明日は早く
出発することとし、宿代も先に払ってしまうことにした。
 
 菅笠の紐が細くて気になっていたので、夕食後に近くの「いながき手芸店」へ出かけ、
太い綿で出来た紐を買い、笠紐を補強し、かぶりやすくする。
ついでに、近くのお店で昼食用のパンと飲み物も買っておく。

 寝る前に、女将さんが朝食用のおにぎりを部屋まで届けてくれる。


 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

 平成14年のGWから平成16年のGWまで、ちょうど2年間で、
四国の遍路道を歩いて回ることが出来ました。

 四国ではたくさんの人たちに温かく迎えられ、
気持ちよく歩けたことに本当に感謝しております。

 この気持ちを忘れないように、また、いつの日か四国の空の下を歩くことが
できるときまでの思い出として綴った日記ですが、
これから歩こうと思っている人たちの参考になるかと思い、
最近流行のブログをつかって、つたない日記ですが掲載することにしました。

 読んでいただいた感想や質問がありましたらコメントに残してください。
私の知っている限りですがお手伝いさせていただきます。