四国遍路テクテク日記

「四国を歩いて遍路する。」にこだわって平成14年のGWから2年間、5回に分けて歩いた記録を中心に遍路に関するあれこれ。

平成14年5月3日(阿波・第7日目)

2005-07-05 09:44:24 | 第1回(阿波編)
5月3日(金曜日)
(第7日目・ 歩行距離40.8km・ 歩数57,716歩)

 5:00分、起床。空を見るが曇っている。
昨日頑張った割には、体に疲れが残っていないようだ。

 6:20分、朝食を取る。
ご主人から、「朝食後、準備が出来た人から3人づつ平等寺まで送ります。」と
のこと。
準備をして玄関に降りると昨日乗せて貰った軽のワンボックスがとまっている。
すでに、あの青シャツの人が助手席に座っている。
 6:50分、Kさんと私が後ろに座り丁度3人となり、出発する。

 平等寺前で車を降ろして貰い、ザックを背負って小坂さんに「さあ行こうか。」と声をかけ、数歩、歩き出したところで何か変なことに気が付いた。
そうだ、おいずる(白衣)を着ていない!。

 Kさんに、「忘れ物をしたので先に行って!」と声をかけ
平等寺に戻ることにする。
山門前から清水旅館に電話したが、すでに次の人たちを乗せた車は旅館を
出た後だった。
後発の人たちの乗った車にまた乗せて貰い、清水旅館戻る。

おいずるは座布団の上に置いてあった。
出がけに忘れ物がないか一応部屋の中を見渡したけれど
全く気がつかなかったのだ。
再度、平等寺まで送ってもらい、ご主人にお礼を言って、さあ出発だ。

 7:45分、Kさんから約40分遅れで歩き出す。
 空は曇っているので暑くなく、歩くには快適な気候だ。
平等寺前に架かっている橋が工事中のため、川上にある平等寺橋を渡り、
橋の向こう岸へ渡り、新野の街の中を歩く。
ほどなく大きな交差点に出るが、ヘンロ路はまっすぐ続いている。
 車がほとんど通らない車道を一人で歩く。

道の両側には水田が広がる。その向こうは山となっている。
のんびりとした田舎の道だ。まだ田植えが終わっていない水田が多い。
足の調子もまあまあなので、気持ちよく歩く。

道が少しずつ登り坂となり、両側は山となる。
坂道の右側の下に小さなお堂が見える。
月夜御前庵のようだ。

うねうねと曲がっていく道を一人で歩く、時々、お地蔵さんがあるだけで
静かなものだ。
右手に竹林が見えてきた。
きれいに整理され、山腹を横に幾重にも道が造られている。
どうやらここは、タケノコを取るための竹林らしい。
所々に上の方からタケノコを落とすためのトタン板で作られた通路がある。

 8:55分、鉦打の分岐点に来る。
上の方に国道55号線がある。交通量が多く、トラックが轟音を響かせ走っている。
歩道の縁石に腰掛け、靴を脱いで足を休める。

 ここから薬王寺のある日和佐まではこの国道をひたすら歩かなくてはならない。
車道に出る。歩道は整備されていない。
国道の両側に、白線が引かれ、これが車道と歩道の境界線となる。
左側の方が広いようなので、道を横断しようとするが交通量が多いので
横断もままならない。
左右を見て車が来ていないのを確かめ、走って横断する。

ほどなく、道の向こうにトンネルが見える。
そういえば今までトンネルを歩いたことがなかった。
今回のお遍路で初めてのトンネルを通る。トンネルの名前は鉦打トンネルだ。
出来て間もないのかヘンロ地図に載っていない。
トンネルはナトリゥム灯のオレンジ色が明るく光り、
両側に一段高くなった歩道もある。
安心して渡るが、トンネルの中に車が入ってくるとものすごい轟音が響く。

 福井トンネルを抜け弥谷観音への分岐点に来ると弥谷観音の方から
広島のYさんが歩いてくる。しばらくYさんと一緒に歩く。

Yさんは薬王寺まで行って今回は打ち止めにするので、
今日はのんびりと歩いている。
広島に帰る前に、「うだつ」で有名な脇町を見てから帰るようだ。

 9:55分、星越トンネルを出たところにモーテルがある。
道路が広くなっているのでここで少し休むことにした。Yさんは先に行く。

星越茶屋の前を通り過ぎるが、店にはお客が誰もいなかった。
道は緩やかに下っているので調子よく歩く。
時折、バイクの連中が5~6台爆音を響かせ走っていく。
前回はこの辺をバイクで走ったのだ思うが、どうもよく思い出せない。

 10:50分、久望トンネルの先にある車の休憩所で少し休む。
日和佐にあるユースホステルの看板を見つける。
やはり電話番号が違っているようなので、メモしておく。
この辺りで、平等寺から約14キロは歩いている。
薬王寺までの半分は歩いたことになる。もうひと頑張りだ。

 一の坂トンネルを過ぎると深瀬だ。
この辺りへ来ると天気が良くなり、暑くなってきた。
ひっきりなしに走る車の音が耳についてくる。少し疲れてきたようだ。

 海賊船という大きな食堂がある。
建物は全体に赤く塗られており、船の形にして建てられている。
前方が開けてきたので日和佐の街がもうすぐだと思い頑張る。

 左側の方に街が見えてきた。どうやら北河内の町のようだ。
ここまで来ると日和佐の町ももうすぐだ。

 薬王寺の手前で果物を売っている店を見つける。
妻に何かおいしいお土産を送ってといわれていたのを思いだしたので行ってみる。
 この店には小夏があった。

 小夏は前回バイクでお遍路をしたときに清滝寺のお坊さんに
聞かされたミカンだ。
テニスボールくらいの大きさでレモンと同じくらい色鮮やかな黄色をしている。
「小夏ってどんな味ですか」と店の主人に尋ねると、
「それは食べてみなければ分からない」と言い、一つ剥いてくれた。
小夏はほかのミカンと食べ方が違っている。
まず、リンゴをむくようにナイフで黄色い皮をむく。
この時、中にある白い皮を残しながらむくのがちょっとしたコツだ。
つぎに、適当な大きさに切って塩を振りかけて食べる。
塩を振るのは、丁度、スイカに塩を振るのと同じで甘みを増すためのようだ。
 剥いてくれた小夏を食べる。
酸っぱい味が口中に広がる。
噛んでいると確かに甘みもある。
今まで食べたことのない不思議な酸っぱさだ。
気に入ったので1箱送ることにする。
さらに、横にあった土佐分担も1箱送ることにした。送料を含め8千円を払う。
 おじさんが後で食べなさいと言って小夏や清見オレンジを10個ほどくれる。
ザックがいっぱいになり重くなったが、これも善意の試練と思い
ありがたくいただく。
重くなったザックを背負い、目の前にある薬王寺へ向かう。

 12:30分、薬王寺に着く。


第23番札所 薬王寺

 薬王寺は観光客やお参りの人でごった返している。
今まで、静かなお寺になれていたので落ち着かない。
山門をくぐり階段を上がり本堂へ行く。
本堂からは日和佐城が見える。
お参りする人がひっきりなしに訪れる本堂と大師堂でお経を唱える。 

納経所前のベンチにザックを置き、納経を済ませベンチで休む。
昼食用のパンを食べているとYさんが納経所へ現れる。
Kさんに会ったか尋ねると、30分ほど前に薬王寺を立ったとのこと。
Yさんとはここでお別れだ。

 鯖大師に電話してみる。今晩の宿をお願いすると、「いいです。」との返事。
「今どこにいますか。」と尋ねられ、「薬王寺にいます。」と答えると、
「6時の夕食に間に合うようにお願いします。」と言われる。

 13:00分、頑張ればKさんに追いつくかもしれないと思い、
また、6時までには鯖大師までにつかなければ行けないという
プレッシャーを受けながら、約20キロ先にある鯖大師を目指す。

14:00分、日和佐トンネルを抜けたところで休む。
日和佐トンネルは暗く、歩道も狭いので車が歩いているすぐ横を走っていく。
大型のバスやトラックが来ると巻き込む風もありちょっと恐ろしい。
690mは長かった。

歩道と車道を区切っている白線を踏み出さないように歩いた。

 日和佐トンネルを過ぎて道が下り坂になると、その先に打越寺が見えてきた。
雲が厚くなり空が暗くなってきている。
夕方から雨の予報は当たりそうだ。

 日和佐町境につく。これからは牟岐町だ。
少し行くと前方を歩いているお遍路姿の人が2人いる。どうも若い女性のようだ。
さらにその向こうに男女2人組のお遍路がいる。
追いつこうと頑張って歩くがなかなか追いつかない。

 男女二人組のお遍路が道ばたにあるお地蔵さんにお参りをしている。
そこへ行って見ると、どうやら、これはへんろ路保存協力会の宮崎さんが
霊験あらたかだと言っている石仏のようだ。
私も道中の無事を願い手を合わせる。

 道路の反対側を歩いている4人のお遍路を追い抜いて少し行ったところで
Kさんに追いつく。
後ろから「頑張って歩かないと宿に着かないよ。」と声をかけると、
びっくりして後ろを振り返る。
ここから、Kさんと一緒に歩く。

 少し行ったところに、自販機の置いてある休憩所を見つける。
ここでちょっと一休み。
男女二人組のお遍路も休憩しに来る。
話をすると、お遍路は何回か回っているようで、
「今回はゆっくりと60日ぐらい掛けて歩くつもりだ。」と話してくれる。
男性の方は私より若く40歳前のように見えたので、ついどんな仕事をしている
のかと気になってしまった。
この人達の今晩の宿は、内妻荘とのこと。
鯖大師の手前にある民宿だ。

 休憩地点からほどなく小松大師のそばを通る。
この辺りから、kさんペースについていけなくなったので
先に行くように話し、後を歩いていく。
まだ、鯖大師までは8キロほどある。頑張らなければいけない。

 前を行くkさんが道路の反対側へ渡る。
手にはへんろ路保存協力会の地図を持っているのが見える。
何か勘違いをしているようだ。このまま進めばいいはずなのに、
川の右側にある集落に行こうとしている。
 まっすぐ進んでいると間違いに気がつくと思い、私は車道をまっすぐに
進んでいく。
 
 川に沿って車道を歩いていくとやっと牟岐の町に着いたようで
住宅が建て込んでくる。
車道の左側に旧土佐街道と書かれた標識のある細い道がある。
先の方でまた車道と合流しているようなので、そちらには行かず、どんどん進む。
後ろを見るとkさんも歩いている。

 ガソリンスタンドや商店がある。どうやら町の中心部に近くなっているようだ。  
地図を見ながら歩いていると、「民宿あずま」の看板を見つける。
kさんが今晩泊まる宿だ。
この宿の前の交差点を渡り、しばしkさんが来るのを待ち、
手を振って教え、ここで別れる。
「民宿あずま」の反対側を見ると、牟岐駅がある。

 私は、まだまだ、この先を数キロ歩かなければ行けない。

 牟岐警察署の辺りまで来るとポツポツと雨が落ちてくる。
早めに雨具を着た方がいいかと思い、ここで雨具を着る。

牟岐トンネルを通るが、トンネルに入ってくる車がヘッドライトを
つけないで入ってくる。
トンネルが短いのでつけないで入ってくるようだが、これは一寸怖かった。

牟岐トンネルを越え、さらに、八坂トンネルを抜けると右側に内妻湾が広がる。
初めて間近に海を見る。
このお遍路で初めて目の前に広がる海を見た。

海を見ると、雨にもかかわらずサーフィンをしている人がいる。
人数を数えてみると30人ほどいる。
上手な人はすこし沖の方で波待ちをしているが、下手な人は海岸のすぐそばに
出来る小さな波を使い練習している。
 道路から下を見るとサーファー達の車がたくさん止まっている。
その中に、着替えをしようとしているビキニの女性がいる。
こんなところで水着姿の女性に行き当たるとは、ちょっとドキドキした。
お遍路とサーファー変な取り合わせだ。

湾の向こうに内妻荘が見える。結構大きな民宿だ。
その向こうにトンネルが見える。内妻トンネルだ。
あのトンネルを越えとあと2キロほどで鯖大師となる。
もう少しで鯖大師なのだと自分に言い聞かせ強くなってきた雨に中を歩く。

 古江をすぎ、福良トンネルを抜けると、右側にやっと鯖大師の看板を見つける。
国道を右に曲がり、線路の下をくぐると鯖大師が見えてきた。
本堂の前を通り、宿坊へと向かう。

 17:30分、鯖大師の宿坊に着く。

 受付をしてくれた女性に「夕食は6時からです。」と言われる。
玄関で雨具の水を振り払い、とりあえず2階の部屋へ案内してもらう。
12畳ほどの部屋に一人で泊まるようだ。

 洗濯機の場所を教えてもらい行ってみると誰も使っていないので、
売店で洗剤を買い、早速洗濯機を回す。

 夕食の案内があるので二階の会場に向かう。
団体さんはもう皆さんそろっている。

 「歩き」と書かれた札のある場所に行くと、何と、大阪のHさんがいる。
 思いもしない再会に、驚き、思わず話が弾む。
鶴林寺を打った後の宿をどうしたのか聞くと、鶴林寺には16:30分頃に着いたが、
あると思っていたホテルは小松島市内のホテルということがわかったので
キャンセルし、鶴林寺の宿坊も休んでいるので途方に暮れていたら、
坂口屋まで送ってくれるという車遍路の人がいたのでお願いして坂口屋に泊り、
翌日はタクシーで鶴林寺まで戻り、また、歩き出したとのこと。

Hさんは、遍路地図も絵地図となったいる簡易な解説書しか持っていないので、
へんろ路保存協力会の地図を使うように話し、とりあえず、最御崎寺までは
私が持っているコピーをあげることとした。

お坊さんが食事の作法を説明している。
すごい早口の般若心経を唱え、感謝の言葉を唱え、夕食となる。
 歩きの席にいるのは、私とHさんのほかには、
若い女性と坊主頭の老人の四人だ。
この老人と若い女性は、薬王寺から一緒に歩いてきたようだ。
老人は何回か歩いてお遍路をしているようで、今回は別格を中心に
歩いているとのこと。
若い女性は、電車の最終駅となる甲浦(かんのうら)まで行くのだといっている。

 夕食後、Hさんと少し話をする。 
Hさんは、10日までに高知の禅師峰寺まで行きたいといっている。
そこで、一旦、大阪に帰り、また出直すのだという。
遍路地図は、最御崎寺で売っているというのでそこで買うつもりだという。
私の持っているコピーを渡し、地図の見方と、巻末についている
宿の一覧表の使い方を教える。

私は、今回ここまでで打ち終える。
あとは徳島と京都へ行ってみることを話す。

 風呂へ行くと夕食会場で一緒だった老人がいる。
小柄だけれどもがっちりした体をしている。
年齢は70歳に近いと思われるが、かくしゃくとした体だ。
私もこうありたいと思う。

 今日1日で約40キロを歩いた。その割には体がしゃっきりしている。
 時折強くなる雨の音を聞きながら寝る。


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 初めて40キロを歩いたけれど思ったほど体に負担は感じなかったけれど、
足には確実に負担がありました。
私は、O脚ですので、膝の外側にある腱が膝を曲げると痛くなっていました。
これは、この腱が膝の骨と擦り合うために炎症を起こしたものです。

 足に出来るマメなどは我慢すれば歩けますが、膝が痛むと歩けなくなります。
ですから、1日に歩く距離を何キロにするかという問題は、
とても大きな問題です。
1週間程度の区切り打ちでは多少の無理は出来ますが、通し打ちとなると
このあたりは十分に考えて歩く必要があります。

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