四国遍路テクテク日記

「四国を歩いて遍路する。」にこだわって平成14年のGWから2年間、5回に分けて歩いた記録を中心に遍路に関するあれこれ。

平成15年9月16日(土佐から伊豫・第20日目)

2005-07-29 09:18:10 | 第3回(土佐から伊予)
9月16日(火曜日)
(第4日・通算第20日目・歩行距離33.3km・歩行歩数45,959歩)

 5:30分、起きる。
昨晩も、風がバンバン吹き抜けるので部屋の中が涼しく気持ちよく寝られた。
長い距離を歩いたにもかかわらず体の疲れは思ったほど残っていない。

 6:30分、「朝食できましたよ~」奥さんの声が掛かり食堂へ行く。
久百々さんの朝食には納豆が出ている。
西日本の人達は納豆をあまり食べないと聞いていたので、
奥さんにその事を話すと、「体にいいと聞いたので私は出している。」
とのこと。
おまけに、卵は、久百々さんで飼っている鶏が生んだものだという。
納豆に卵を入れて醤油を差しかき混ぜる。
これをご飯の上にのせて一気に食べる。
いつもながら食欲が落ちないのは健康な証拠だろう。

 6:30分、奥さんの見送りを受けながら、Wさんと下ノ加江まで一緒に歩く。
Wさんは、74歳、とても元気だ。
以前はインドに興味を持っていたので、何回かインド南部にある聖地にも
行っていたが、日本にも四国遍路があることに気がついてからは、
四国を歩いている。などと話してくれる。

 前の方から3人のお遍路が歩いてくる。
どうやら安宿に泊まっていた人達のようだ。
挨拶を交わす。

 7:05分、下ノ加江の三叉路に来たので、ここでWさんと別れる。
真後ろから太陽が当たり前方に長い影ができている。
自分の影を案内役に歩き出す。
 
 水田が両側に広がる道を歩いていく。
時折、自転車で通る中学生が元気に挨拶をしていく。
車がほとんど走ってこない。ちょっと寂しい。

 7:20分、疲れたのでちょっと一休み。
道端に座り込む。風が吹いて来るとちょっと寒い。
早々に歩き出す。

 しばらく歩くと交差点がありその向こうには立派な橋が架かっている。
この橋桁にヘンロ標識があり、左に曲がる道と真っ直ぐ行く道が
書かれている。
真っ直ぐ行くと真念庵の方を回り三原村に行くようだが、
ヘンロ標識によればそちらのほうが幾分近いようだ。
 私は左に曲がり、下ノ加江川沿いの道を進むことにする。
道は細いが車がほとんど走ってこないので気持ちよく歩ける。
おまけに、左側にある山の陰となるため太陽の直射から身を守れる。
右側には、下ノ加江の川が流れているが、すでに深い谷となっている。
川の水は綺麗なグリーンだ。
サラサラという流れの音を聞きながら歩くのは本当に気持ちが良い。
道はこの川沿いを少しずつ登っていく。

 小一時間ほど歩いたので、休憩する。
道端に座り込んで、例の通り靴と靴下を脱いでくつろいでいると、
鈴の音が聞こえてきて、私が歩いてきた道から元気な若者遍路がやってくる。
挨拶を交わしながら顔を見ると、まだ20歳そこそこだろうか?
野宿で歩いているという。
真っ黒に日焼けした顔が汗で光ってまぶしい。
今日は宿毛まで行って、野宿するという。

 足も休まったので歩き出す。
しばらく歩くと前の方で携帯をかけているお遍路さんがいる。
短パン姿だが足が真っ黒に日焼けしている。
挨拶をして先に行くが、私よりは年上で60歳位だろうか。
(このおじさんとは御荘町の磯谷さんで相部屋となる。
  神戸から来て通し打ちをしている三宮のWさん。)

 9:00分、鶴場橋という橋を渡り数件の人家があるところへ来た。
立派な神社がある。神社の名前は河内神社。
ほとんど家もないところに神社があるのは、いつものことだが、
鳥居の前には狛犬がおり、杉木立の奥に小さな社が見える。
なかなか立派な神社だ。

 河内神社のすぐ先に町境があった。
これで三原村に入ったことになる。

 鶴場橋を渡る辺りでは、川岸から少し離れた道を歩くので
真後ろから太陽にガンガン照らされる。
急に暑くなってくる。

 頑張って歩いていると、集落が見えてくる。

 11:00分、久繁の集落のようだ。
左側の方に大きな木が見えてきた。「たぶの木」のようだ。
「たぶの木」というのは胸高での幹の太さは二抱えほどあろうかという
大きな木だ。
樹高は15メートルほどはあろうかという堂々とした木だ。
「たぶの木」の横にバス停があり、ベンチもあるのでそこで昼食を
取ることにする。すぐ前にお店がある。竹内商店だ。

 竹内商店で飲み物とアイスを買ってバス停に戻る。
アイスを食べているとさっき途中で抜いてきたWさんがお店へ入っていく。
「休みませんか」と声を掛けたが、飲み物を飲んですぐに歩いていく。

 小豆アイスを食べるが、噛んで小さくしたものを飲み込んでも
喉の中でジュンと溶けていく。
飲み物も飲んで一息つき、久百々さんから頂いたおにぎりを食べる。

 11:30分、お腹も一杯になったところで歩き出す。
歩き出してすぐに道の横から出てきたお爺さんにヒョイと缶ジュースを
差し出される。
あわててお礼を言うと、片手をヒョイと挙げて道路を渡っていく。

 町はずれに立派な神社がある。
社殿を眺めながら歩いていると、木の陰で若者遍路がお弁当を食べている。
 「お先に!」と言って先に行く。

 宗賀の集落に来たので簡易郵便局を探す。
小さな集落なのでキョロキョロと見回すと、
交差点を右に曲がったところにある。
中にはいると、中年女性の職員が一人いる。
この人と世間話をしている女性もいる。
3万円おろして、送金したいというと郵便局の口座にしか
送金できないと言われる。
銀行に送金するならば、農協に行かないとできないようだ。

 「どちらから?」と郵便局の女性に聞かれたので、
「北海道の札幌からです。」というと、「あら、私も研修で北海道の豊幌と
言うところに行ったことがあるんよ。」といい、
さらに、「札幌には私の友達が宮の森の病院で婦長をしている。」と
話してくれる。
思わないところで、宮の森の話で盛り上がってしまった。

 三原町の市街に入ってくると老人ホームのような建物があり、
「いきいき三原会」と書いてあり、お遍路さんお休み下さいと書いてある。
どうやらここが三原村に新しくできた宿泊所のようだ。

 農協に行くと昼休みで事務室の中が閑散としている。
金融の窓口には先約がいるので、ちょっと待つ。
応接している女性は、フジテレビのアナウンサー佐藤里佳さん似の
なかなかの美人だ。
年齢24~25歳、応接も丁寧だ。ちょっと得した気分になる。

 久百々さんに5千円振り込みして、これでやっと胸のつかえがとれる。
久百々に電話して振り込んだことを伝える。
奥さんは「忘れていた」と言っている。
 ここでついでに今晩の宿の予約をする。
延光寺前にある「へんくつや」に電話する。
お婆さんが出たので今晩の宿をお願いすると「良いですよ」と言われ、
「どこにいるの」と聞かれる。
「三原村です」と答えると、「もう少しだね」と言われる。

 人気のない三原の街を抜け、しばらく歩くと、突然、右手に立派な
団地が現れる。
星ヶ岡団地と書かれた看板があり入口の道路も広い。
12:55分、この入口でちょっと一休みする。

 ここから、船ケ峠を越えると、沢が深くなり深いグリーン色の
水が光っている。
どうやら中筋川ダムの上流に来たようだ。
前方に見えるトンネルを抜けると、深い沢の中をぐんぐん下っていく。
疲れたので休もうとするがなかなかいい場所がない。

 14:10分、やっと、川に向かって降りていく道があるので、そこで休む。

 もうすぐ平田の街だと思い頑張ることにする。
ほどなく、目の前に刈り入れの終わった水田が広がっているところに出る。
黒川に来たようだ。
ズート向こうに大きな広告看板が沢山見える。
あれが平田のようだ。
ちょっと疲れてきた体にムチ打ちながら歩く。

 陸橋を渡り、しばらく進むと大きな交差点に出る。国道56号線だ。
この国道を左に曲がり、交通量が多くにぎやかな道を宿毛市に向かって歩く。

 15分ほど歩くと右手に延光寺の標識がある。
ここから国道を曲がり、延光寺への細い道を進む。
今晩の宿「へんくつや」の前を過ぎ、ほどなく延光寺に着く。

 最後の1時間は、ほとんどヘロヘロ状態で本当にきつかった。


第39番札所 延光寺

 15:20分、団体のお遍路さんがドヤドヤと山門から降りてくるのを待って、
延光寺の山門に入る。

 境内の中には別の団体さんがおり、ガヤガヤと賑わっている。
団体遍路の合間を縫って、本堂と大師堂にお参りする。
納経所が込んでいるだろうと思ったが、たくさん積まれた団体客のを
書く手を休め、先に納経してくれた。

 「へんくつや」に入ろうとすると携帯が鳴る。
三原村の農協からで振込先の氏名が違うようだと言っている。
どうも神原という名前を「かんばら」と仮名を振ったところ
「かみはら」が正しいので何タラカンタラといっているが、
携帯が切れてしまう。こちらからかけてもすぐ切れてしまう。
どうやら、ここは山の陰なので電波の繋がりが悪いようだ。
 こちらからも数回電話して、何とか話が通じた。

 「へんくつや」に入ると、女将さんから冷たい飲み物を勧められた。
冷たいジュースが喉にしみ込む。
一息ついてから二階の部屋へ上がる。
冷房があるので早速入れて、汗を冷やす。気持ちが良い。

 ご主人手作りの岩風呂に入り汗を流す。
大きな浴槽と小さな浴槽があり岩を組み合わせてあるが、
一人で入っているとちょっと不気味だ。
洗濯機も置いてあるので一緒に洗濯もしてしまう。

 夕食まで時間があるので延光寺へ行ってみる。
するとお寺の方からWさんが歩いてくる。
「途中で昼寝をしてすっかり遅くなった。」と言っている。
今晩は、しま屋さんに泊まる。へんくつやの真ん前だ。

 午後5時を過ぎたので人影のない境内をのんびり散策する。
境内の隅に置いてあるベンチに座りぼんやりと本堂を見ていると、
アゴ髭をたくわえた白髪の老人でヒョローとした男性が話しかけてくる。
「通夜堂に泊まるの?」と聞かれたので「いいえ宿に泊まっています。」と
答えると、いきなり「お金持ちだね~」といわれる。

 この後、延々と老人の話を聞かされる。
   以前に歩き遍路をしたことがあるが、途中で足が痛くなったりして
  タクシーを使ったりしたので7~80万ほどかけたことがある。
   今回は、6万円ほどを持って1番から歩いているが、民宿に2~2泊
  したらお金がなくなってしまった。
  困っていると、托鉢をしなさいと教えてくれたお坊さんがいたのでやろう
  としたが、恥ずかしくてなかなか出来ない。
  やっとの思いで1軒の家の前で事情を話し般若心経を唱え、500円を貰った。
  これだけの思いをして托鉢をして500円しかもらえないのかと思ったら腹が
  立ってきたそうだ。
   そうして、お接待を受けながら通夜堂に泊まりお遍路を続けていると、
  疲れで足元がふらつき側溝に落ちて足を挫いてしまった。
  それからは、痛い足を引きずりながらここまで来た。
  明日は峠越えだし、松尾峠の大師堂が泊まれるかわからないし、
  この足で峠道を歩けるかも心配だし、御荘町までは距離があるので
  どうしょうか考えている。
などと一人で話している。
 
 そこへ、坊主頭の恰幅のいいお坊さんが白い犬を連れてこちらへ歩いてくる。
「住職さんだ!」と男が言う。
 住職が私に「あんたも通夜堂に泊まっているのか?」と尋ねるので、
「私は下の民宿に泊まっています。」と答える。
 すると、住職が男に向かって「余計なことかもしれないが、通夜堂を
 持っているお寺は少ないので、それを当てにしてお遍路をするのはどうかと
 思うし、何より、お金がないのならタバコをやめなさい。」と言って、
 歩いていった。
 男は、「やあ、一本取られた」と言って笑っている。

 私は、この男が一体何のためにお遍路をしているのか理解できなかった。
お金がないので家に帰ることもできないなどと愚痴ばかりこぼしている。
自分は不幸な存在で、その不幸も自分には責任がないと言ってるように聞こえる。
でも、ここに来るまでにもさんざんいろいろな人の世話になっているはずだ。
その人達に対する感謝の言葉もない。
托鉢の話だって自分は苦労したと言うが、托鉢先の家の人にとって
この人にお願いしたわけでもなく、勝手に玄関先で般若心経を唱えただけだ。
それでお金がもらえるという考えの方が虫がいいと私は思う。
こんな自分勝手な愚痴話ばかり聞かされているとイヤになってきた。
 最初に「民宿に泊まっている」と言って、「金持ちだね~」と言われた
ときからイヤな感じがしていた。
ますますイヤになってきたので、ベンチを立って別れる。


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   お遍路をしている人にもいろいろな人がいる。
  熱心にお参りをしている人、何か、願掛けでお遍路をしている人は
  表情に悲壮感がある。
   淡々と遍路をしている野宿主体の職業遍路の人、それから、後で
  出会ったホームレスのような遍路、形はいろいろあるが、今回会った
  老人には考えさせられてしまった。
   お遍路をすることがこの人にとってどういう意味を持っているのか
  私には理解が出来なかったからだ。
   お遍路がお遍路にお金を無心することが理解できない。
  確かに、歩いて遍路をしていることが分かると、団体遍路の人から
  ジュースを貰ったりしたことはあるが、それは、私が求めたわけではなく
  あくまでも善意でお接待していただいたものだ。
   この老人がお遍路をして得るものはいったい何なのでしょうか?

平成15年9月15日(土佐から伊豫・第19日目)

2005-07-28 09:51:18 | 第3回(土佐から伊予)
9月15日(月曜日)
(第3日・通算第19日目・歩行距離45.0km・歩行歩数59,258歩)

 5:00分、起きる。
昨晩は涼しかったのでよく眠れた。
体の真は疲れが残っているが、気持ちはスッキリしている。
 今晩も久百々さんに泊まるので荷物を整理して、着替えや雨具など
必要のないものは預かってもらう。
お陰で荷物はかなり軽量化された。
 
 5:30分、「朝食できましたよ~」と奥さんから声が掛かったので、
食堂へ行く。
朝食を食べているとお昼の弁当を渡される。
おにぎりに飴や海苔が入っており、おまけにバナナも1本添えられている。
お遍路で泊まった方にはお接待していると言われる。
お礼を言ってありがたく頂く。

 窓から外を見ると今日も天気はいいようだ。
今日も暑くなると思い半ズボンにした。
今まで2日間、日焼けがいやで長ズボンを穿いて歩いていたら、
腰のバンドが当たるところと足首に汗疹ができている。
一日中汗をかきどうしなので仕方がない。

 6:00分、OさんとWさんより先に出発する。
まだ、走る車も少なく歩きやすい。

 30分ほど歩くと左手にきれいな砂浜の海岸が見えてきた。大岐浜だ。
大岐海岸への分岐点に来る。
海岸を歩こうかどうしょうか考えたが、砂地は歩きずらいので
車道を行くことにする。
大岐海岸の向こうにぼんやりと足摺岬が見えている。
 まだ、太陽が顔を出したばかりなので、涼しいうちにと思い足を早める。

 国道から旧道への入口を発見したので左へ曲がる。
ほどなく、ヘンロ標識があり、はま道と矢印が書いてある。
どうやらここを下ると海岸に降りられるようだ。
 7:00分、1時間ほど歩いたのでこの標識のところでちょっと休憩する。

 休憩後、歩き出すとすぐに、国道と合流する。
どんどん飛ばす。背中の荷物が軽いので体が良く動く。

 以布利の街に向かって降りていく旧道を港に向かって下る。
途中、墓地の中を通り、細い路地をどんどん下っていくと、左手に港がある。
正面には立派な神社がある。
その鳥居の前で数人の漁師さんが話をしている。
「お早うございます」と挨拶をすると、会釈が返ってくる。

 道が港の横から海沿いに真っ直ぐ伸びているが、
その先には崖と海しかなく、どう見ても行き止まりのように見える。
半信半疑で歩いていくと、道が無くなってしまう。
海岸を歩くようにヘンロ標識がついているが、海岸にはゴミが山のように
打ち上げられている。
その中を歩いていくと、右手に小さな谷が見えてくる。
正面は大きな岩に塞がれている。
どうやらこの谷を登るようだ。

 谷の入口に行くと、日の当たらない暗くて細い山道が見える。
ちょっと、喘ぎながら九十九折りに続くその道を登っていくと、
突然、住宅の横へ出る。どうやら旧道のようだ。
近所の奥さんが二人でなにやら話をしている。
挨拶をしながら左に曲がると、野球帽をかぶり棒を持った
イカツイおじさんが歩いていく。その後ろをついて歩く。

 ここで、肩から下げているバックを何気なく見ると携帯に付けてある
マスコットの「シューマイ君」がいなくなっている。
このシューマイ君は携帯を買ったときからストラップと一緒に
付けていたもので何回か落としたが、その度に見つけて付けていたものなのだ。
今朝、久百々さんを出たときには間違いなくついていた。
どこで落としたのだろう。考えたが分からない。
しかし、いまさら戻って捜す気もしないので、おじさんの後を歩いていく。

 おじさんが後ろを振り「歩くの早いですね。」と話しかけてくる。
「今日で3日目の区切り打ちですから、まだまだ元気です。」と答え、
しばらく一緒に歩く。
 
 この旧道は、こんもりとした樹木が日差しを遮っているので
気持ちよく歩ける。

 ~~おじさんの話~~
   私は、漁師をしている。
  腰を痛めたので、その治療を兼ねて毎朝歩いている。
  以前は大阪の方でトラックの運転手をしていたので、
  いわゆるUターン族だ。
  今やっている漁は、「めじか」という鰹の子を取っている。
めじかは脂が少ないので刺身にして食べるとおいしい。
  などと話してくれる。
「北海道でメジカといえば鮭の高級品のことを指すのですよ」と
  話しながら歩いていくと、国道に合流するところへ来た。
  おじさんはここから今きた道を戻ると言うことなので、お別れする。


 国道に出ると強い日差しがまともに当たる。

 8:10分、少し歩いたところで休憩する。
この辺りは足摺岬へ行くスカイラインの道からは外れているので
交通量が少ない。
車道の横に座り込み、例の通り靴と靴下を脱ぎ足を休める。

 休憩後、左手に海を見ながら窪津の集落を目指して歩く。
幾つかの小さな岬を回ると、向こうの方に大きな加工場が見えてくる。
どうやら窪津のようだ。
加工場の横を通ると鰹をショベルカーですくい取り運んでいる。
工場付近は鰹の匂いがたちこめている。
  窪津の街では郵便局でお金をおろそうと思っていた。
昨晩の宿代を払うと、手元には3千円ほどしか残っていなかった。
宿代は、連泊すると千円割引ですよと言われているので、5千円だ。
集落の岬寄りに郵便局があるようなので、国道をそのまま歩き、
郵便局に行くことにした。

 国道からもどるようにして集落の細い道に入り、
近くにいたおばさんに郵便局の場所を聞くと、すぐそこだと教えてくれる。
言われたとおりに進むとすぐに見つかった。
しかし、郵便局は休んでいる。
よく見ると、掲示板に休日は休みだと書いてある。
今日は月曜日だが、昨日15日の「敬老の日」の振替休日となっている。
休日ではお金が下ろせない。
でも、足摺岬の郵便局は観光地だからATMぐらい動いているだろうと思い、
気を取り直して岬を目指す。

 窪津を過ぎると道はだんだん登り坂となり、うねうねと曲がった
細い山道となる。
津呂を過ぎ、しばらく行くと右の方に「へんろ小屋」と書かれた
小さな建物がある。
建物の前面は、丸太を組んで日除けの屋根が造られており、
同じ丸太で造られたベンチなどもある。
奥の方は古いが畳をひいてあるところもあり、
寝泊まりできるようになっている。

 9:20分、ちょうど1時間ほど歩いたので、この小屋で休むことにする。
自動販売機もあるので、冷たいコーラを飲む。
コーラが喉を駆け抜けていく。おいしい!
ときどき、甘い飲み物がほしくなるのは疲れている証拠かもしれない。

 一息ついたので先を急ぐ。
ヘンロ小屋のすぐ先を曲がったところに氷水の旗をなびかせている
小さな店がある。
見るとお婆さんがやっているようで、真っ赤なTシャツを着た
坊主頭の子供の外人さんがおいしそうに氷水を食べている。
帰り道には絶対ここに寄るぞと心に決めて、先を急ぐことにした。 
ここからは、あと1時間ほどで足摺岬だと思い、頑張ることにする。

 しばらく歩くと、突然、右側に石造りの小さな鳥居が見える。
鳥居の前から見ると階段が数段あり、その上に小さな祠がある。
しかし、その奥に鳥居より大きな岩がドーンとある。
存在感十分の岩があり、この神社はこの岩を祀っているようだ。
神社の名前を見ようとしたがよく分からない。
四国を歩いていると、このような神社が思わないところに
現れるので驚かされる。

 山の中をくねくねと曲がっている道路を改良するために谷を埋め
ショートカットするように土砂を積んでいるところが何カ所もある。
少しでも、楽をしたいので危険と書かれているロープを跨ぎ、
この土の上を歩く。

 道路の両側に駐車している車が多くなってきたと思ったら、
足摺岬に着いたようだ。右手に灯台への小道が見える。


第38番札所 金剛福寺

 10:40分、金剛福寺に着く。
やっと、3日でここまで来た。岩本寺から90キロを歩いたことになる。
お遍路中、札所間最長の距離を歩いたのだ。

 山門で一礼し、境内に入る。
人影もまばらな境内に、強い日差しが照りつけている。
納経所の横にある台の上にザックを置き、白衣と輪袈裟を身につけ、
本堂と大師堂へお参りに行く。
お参りしている人も少ないので、落ち着いて般若心経を唱える。

 納経所へ行くと、「歩きですか?」と納経をしてくれた
お爺さんに尋ねられる。
「そうですが」と答えると、「これをどうぞ」と言って、
日本手ぬぐいを手渡される。
お礼を言ってありがたく頂く。

 お参りも済んだので、暑さを逃れるのとお腹がすいたので、
ちょっと早めの昼食を取ることにする。

 金剛福寺の真ん前にあるお土産やさんの2階の食堂に上がる。
食堂の中は冷房が効いて涼しい。
小上りに上がり、うどん定食(900円)を頼む。
食堂は、まだ昼食時間に早いのか、私の他には1組しかお客さんがいない。
 食堂のウエイトレスさんに郵便局の場所を尋ねたが、
「今日は休日で休んでいる」と言われる。
がっかりして、最後の望みを以布利の郵便局に賭けることにした。

 11:30分、食堂を出る。
食堂を出て久百々に向かって歩いていくと、
すぐに、向こうから歩いてくるWさんとすれ違う。
Wさんに「いや、早いねぇー」と言われる。
「久百々まで帰らなければいけないから」と返事して、別れる。

 Wさんの出で立ちを初めてみたが、なかなか立派な姿をしている。
上下をビシッと白装束で固め、手に持っているのは錫杖だ。
笠も飴色の網代笠と、私なんかの、いい加減な姿とは一味も二味も違う。
年期の入れ方が明らかに違うのだ。

 津呂にあった氷水屋さんを目指して歩く。

 途中、公民館の横を通るとカラオケが流れにぎやかな話し声が聞こえる。
紅白の幕も見える。何かのお祝いをしているようだ。

 12:30分、やっと氷水屋さんに着いたので、イスに座り店の人が来るのを待つ。
靴と靴下を脱いでからふと横を見ると、誰もいないときにはこれを
引っ張って下さいと書かれたひもがぶら下がっている。
ひもの先を見ると、隣の家へ伸びている。
ひもを引っ張ってみると下の方にある家で鈴が鳴る。
これは呼び鈴なのだ。
これで誰か出てきてくれるだろうと思ったが、出てくる気配がない。
もう一度ひもを引いて鈴を鳴らす。でも誰も出てこない。
 ここで、ふと気がついた。
この店をやっていたのはお婆さんだ。
今日は敬老の日だし、先ほど通った公民館で宴会をしていたのは、
敬老会のお祝いなのだ。
きっと、この店のお婆さんも敬老会に出席しているのだろう。
氷水はあきらめるしかない。
仕方がないので、自動販売機からスポーツ飲料を買って我慢する。
 
 気を取り直して歩き出す。
すぐ近くにあるへんろロ小屋の前でOさんに会う。
Oさんはこのへんろ小屋の管理人と話し込んでいたようだ。
Oさんは、今晩、金剛福寺に泊まる。
お別れを言って、先を急ぐ。

 昼頃になると太陽が容赦なくガンガンと照りつけてくる。
少しでも太陽を避けようとして日陰を探して歩くが、
海岸に出てしまうとそうも行かない。
窪津の集落を抜けてみる。細い道の両側に古い家が軒を連ねて建っている。
あっという間に集落を抜けてしまう。

 また国道を歩く。遙か向こうの山に白い大きな建物が見える。
その建物の裏側に久百々がある。まだまだ相当の距離がある。

 13:50分、国道から旧道への分岐点に来る。
ここから旧道に戻り、来るときに落とした「シューマイ君」を
探さねばいけないが、まずは一休みする。

 もと来た道を戻り、以布利の街で郵便局を探す。
港にいた漁師さんに聞くと郵便局はすぐ近くにあった。
しかし、郵便局はやはり休日で休みだった。
仕方がないので久百々の奥さんには事情を説明して、
明日でも三原村の郵便局でお金をおろし送金させて貰うことにしよう。
「シューマイ君」も探しながら歩いているが、見つからない。

 15:05分、浜道への分岐点に来たので、ちょっと休む。

旧道から国道に出たときに、そろそろ久百々の奥さんがWさんを迎えに
来る時間だと思っていた矢先、なんと、久百々の奥さんが運転する
軽自動車が通り過ぎる。
奥さんも気がついたようで、手を振ってくれる。

 ここからは、ただひたすら国道を歩き、16:20分、久百々さんに戻る。

 これで、今日は45キロを歩いたことになる。
今までのお遍路でこんなに歩いたことはない。最長記録だ。

 玄関を入ると、奥さんは戻っていた。「帰り道は会わなかったねぇ~」と
言われる。
「きっと、遍路道を歩いていたからですね」と答える。
「今晩は2階の部屋です」と言われ、階段を上がる。
Wさんは隣の部屋だ。廊下で会ったので挨拶する。

 風呂に入り洗濯を済ませ、時間があるのでちょっと散歩をする。
海岸に出ようと思ったが、道路から梯子で下りなければならないようで止めた。
集落の外れに行くと大きな石碑が建っている。
でも、お遍路とは関係がないようだ。

 夕食は私にWさん、それに新たに加わったSさんという私と同じ年代の
男性遍路の3人だ。
 
 夕食前に奥さんに宿代のことを話す。
奥さんはいつでも良いよと言ってくれるが、そういう訳にはいかない。
三原村から振り込むので、使っている銀行の口座番号を教えて貰う。
これで安心して夕食にありつける。

 ~~Wさんの話~~
   Wさんは、2回ほど歩いてお遍路をしているが、
  最近は愛媛と高知が好きなので松山市の石手寺ら逆打ちで歩いている。
  今回は宿毛の延光寺から中村までを歩く予定できた。
  「香川と徳島は人間がひねているので好きではない。」などと
  話してくれる。

 テレビでは野球中継をしているが、阪神の優勝が懸かった1戦のようで、
今日のゲームで既に阪神は勝っており、今テレビでやっている中日と広島?戦で
中日が負ければ阪神の優勝が決まるようだ。
 久百々の奥さんがテレビに興奮している。熱烈な虎ファンなのだ。
阪神は甲子園球場で優勝を決めなければいけないと言っているが、
どうもテレビで映されている状況が飲み込めていない。
阪神は、甲子園での試合に勝利し、中日の結果待ちで優勝が決まる。
3万人の阪神フアンが帰らずに、その結果を甲子園でじーっと待っている。
この状況を奥さんさんに話すと、やっと、納得してくれる。
 騒々しく、夜が更けていく。


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  この日は今までで最長の45キロを歩いた。
 体の方にも思ったほど疲れが出ていない。
 この調子なら順調に歩けると思った。
 足摺岬からの折り返しでは誰とも会うことはなかった。
 夏遍路とはいえ9月では歩いている人は少ないようだった。 

平成15年9月14日(土佐から伊豫・第18日目)

2005-07-27 09:26:38 | 第3回(土佐から伊予)
9月14日(日曜日)
(第2日・通算第18日目・歩行距離36.7km・歩行歩数43,079歩)

 寝苦しい夜だったが、疲れもありそこそこ寝入ってしまった。

5:00分、寝覚めは悪くない。
 布団を畳み、昨晩いただいたおにぎりを一個食べて出掛ける用意をする。

 6:00分、車の少ない車道に出ると、顔を出したばかりのお日様を
背に受けて長い陰ができる。
さすがにこの時間は暑くはないが、少し歩くと汗ばんでくる。

 今回は、暑さ対策のためにできるだけ朝早い時間に歩きだし、
午前中に距離を稼ぐことにしていた。

 順調に歩いていると、ヘンロ道は左手の海岸へと降りていく。
海岸沿いに続く松林の中を歩いていく。
適当に吹く風が気持ちいい。
 海には、もう、サーフインを楽しむ人達がたくさん波待ちをしている。
この辺の海は、サーフインのメッカのようだ。
波の立ちそうな場所には、色とりどりのウェットスーツ姿の人達が
30~40人はいる。

 それが、しばらく行くと同じように波待ちをしている人達がいる。
いったい何人の人達がいるのだろう。
松林の中には、テントがたくさん建っている。
サーフインをしている人達のテントのようだ。
考えてみると今日は連休初日だ。
道理でたくさんの人達が来ているわけだ。

 道は、松林の中に続いており、適当にお日様を遮ってくれているので
気持ち良く歩ける。
時折、海から風も吹いてくる。

 しばらく歩くと松林を抜け、見晴らしのよいところに出た。
松林の内陸側の砂地で畑らしいものを作っている人達がいる。
沢山の人達が出ており、砂を均したり、溝を作ったりしている。
近くで作業をしているお婆さんがいたので聞いてみると、
らっきょを植えているとのこと。
20センチくらいの棒のような苗を植えている。
らっきょを作っているところを初めてみた。

 らっきょう畑の向こうに運動公園が見えてくる。
運動公園を通りすぎると「かきせ橋」という橋がある。
橋のたもとがちょうど日陰だし、小一時間ほど歩いたので休憩する。

 7:00分、橋のたもとの歩道に座り込み、靴を脱ぎ、
靴下まで脱いですっかりくつろぎモードに入っていると、
制服姿の中学生らしい子供達が「お早うございます。」と
元気な声を掛けて、自転車で走り抜けてゆく。
私も、「お早う!」と返す。

 歩き出してしばらく行くと大きな白い犬を連れた65歳くらいの
お爺さんが歩いている。
「お早うございます」と挨拶すると、「どこから来たの」と
話しかけられる。
「北海道からです」というと、「私も友達が旭川と言うところにいる」と
話しかけられる。
しばらく、このおじいさんと話しながら歩く。
お爺さんは、しきりに「私の体が元気だったら歩いてお遍路を
してみたい」という。
車では何回かお遍路をしたことがあるようだ。
 歩くスピードが違うようでお爺さんが遅れがちになり、
「先に行きなさい」と言われたので、お礼を言って、先を急ぐ。

 ほどなく、家が数件建っているところに来た。
交差点を見ると、正面の道路に近道の表示があり、
左に曲がると田浦と書いてある。
ちょっと迷ったが、近道を行くことにする。

 登り下りを繰り返す山の中の農道でこの道を通る車もほとんどない。
この道をただひたすら歩く。
車もほとんど走ってこないし、人家もないのでどこを歩いているか
見当もつかない。

 しばらく歩き坂を下ると、目の前には水田が広がる広いところに出る。

 道は水田の中を真っ直ぐに延びている。
ちょっと疲れたので一休み。
この時間になると結構暑くなっているので山陰になる日陰を探して休む。
しかし、風が吹き抜けるので、思ったほど暑さは感じない。
この調子で歩ければ、いいな!

 右側の方から延びてくる道路と三叉路になったところへ来る。
どうやら、右側の道路が双海方面から来る道路らしい。
前方を見ると、家がたくさん建っているのが見える。
その向こうの高いところを車が走っているのが見える。
どうやら、堤防のようだ。
四万十川の近くまで来ていると思い集落目指して歩く。

 8:55分、堤防の上に登ると四万十大橋だ。
目の前には向こう岸まで一直線に伸びる四万十大橋がある。
そして目の下にはエメラルドグリーンの水が流れている。
四万十川だ!。
四万十大橋は文字通り大きな橋だが、橋を歩いていると、
時折、強風が吹き抜けていく。
菅笠を吹き飛ばされないように両手で押さえながら歩くので、歩きずらい。

 渡り終えるの10分は掛かっただろうか。
 四万十大橋を渡り、左側にある階段を下りてホッと一息!

 ほどなく、八束の集落に入る。八束の集落を歩いていると中学校がある。
小さなグランドで野球の練習試合があるのか、ホームベースを挟んで生徒が
整列して挨拶を交わし、グランドに散っていく。
中学校の校門のところに父兄なのか、お爺さんとお孫さんらしい人が
いすに座って野球を見ている。
 
 9:15分、私は、そのグランドが見えるところで、
ちょうど自動販売機を見つけたので、一休みする。

 八束の集落に別れを告げて、しばらく行くと津蔵渕になる。
国道から右手の道を歩くと旧道になるが、この道は、津蔵渕川の
流れに沿っており、川には綺麗な水がサラサラと流れており、
ちょっと涼しく気持ちのいい道だった。

 また、国道に合流する。合流してからは、少しずつ登りとなっていく。
両側の山が迫ってきたと思ったら、正面にトンネルの入口が見える。
伊豆田トンネルのようだ。
このトンネルは、1,620メートと長いので、トンネルの手前で休憩する。

 休憩後、歩き出すと右側にお寺がある。
こんなところにお寺があるとは?と思い、地図を見るが何も載っていない。
お寺の入り口に四国の道の石柱がある。
よく見ると今大師寺と書かれている。
道路のこちら側から手を合わせてお参りする。

 伊豆田トンネルは長いトンネルだが出口が見えているし、
広い歩道もあるので、それほど圧迫感はない。
一気にトンネルを抜けるが、太陽の強い日差しが避けられて
ホッとしながら歩く。
 
 トンネルを抜けると、道の先の方に大きな水車が見える。
ドライブイン水車のようだ。
 
 11:10分、お客さんが誰もいないドライブインに入る。
うどんを頼んでから靴と靴下を脱ぐ。ついでに、足を揉むと気持ちがいい。
冷房の効いたドライブインにすっかり気をよくし、冷たい水を何杯も
お代わりする。
ああ、生き返る!
 
 さて、今晩の宿をまだ決めていなかったので、大阪のHさんお勧めの
民宿久百々にしようと思い、携帯を取り出すが、なんと、圏外の表示がでる。
下ノ加江まで行けば通じると思い、あとで電話することにした。

 40分ほど休んで気持ちもすっきりしたので11:50分、ドライブイン水車を
後にする。
ここからは、1時間ほどで下の加江と思い、頑張ることにした。

 下ノ加江の手前で右側に流れる市野瀬側の中に奇妙な人がいる。
市野瀬川はもうすぐ海に注ぐので川幅も広くなりゆったりと流れているが、
その川の中に人がいる。
ウェットスーツに潜水眼鏡を付けている。
半身を川の中に付けて、建網で川の中の石を囲み何か漁をしているようだ。
よく見ると、川の中に半球状に石を積みあげたこんもりしたところが
何カ所か見える。
どうやら、この積み上げた石の中に寄ってくる魚か何かを取っているようだ。
こんな漁は、よほど川がきれいでなければできない。

 下ノ加江の集落に入り民宿安宿(あんしゅく)の前まで来た。
ここから、民宿久百々さんへ電話する。
奥さんが出る。
今晩の宿をお願いすると「今日は結構お客さんがいるし、この時間で
下の加江まで来ているのならもう少し先までいけるよ。」と言われる。
私は、今朝も早くから歩いているし、友達から久百々さんがいいよと
聞いていると言うと、「広間でも良ければ」と言って、
やっと泊まれることになる。

 そうすると、久百々はここ下ノ加江からは3キロほどなので、
ゆっくり歩けばいいとすっかり安心してしまう。
 
下の加江の集落の先にある橋を渡り、三原町への三叉路に来ると、
ちょうどベンチがおいてあり、「お遍路さんお休みください」と書いてある。
自動販売機もあるので、飲み物を買って、例のとおり靴と靴下も脱ぎ、
すっかりくつろいでしまった。

 ベンチに横になっていると、思わずウトウトしてしまった。
この時間は日差しも強く、今朝から炎天下の中を歩いていたので
疲れも溜まっていた。
気がつくと、ここのベンチで、なんと、30分も寝ていた。

 13:30分、気持ちをお遍路モードに戻し、歩き出す。
道は上り坂となり、左手に海が見えてくる。右手は山だ。
相変わらず海の色は綺麗だ。
岬を回ると進行方向のずーと先にボーッと霞んで見えるのが足摺岬のようだ。
 
 幾つかの岬を回ると、道路工事中の場所に出る。
右側の急な山を削っている。
そのすぐ先に集落が見える。どうやら久百々の集落らしい。

 工事中の場所を過ぎると橋がある。
集落の手前で川が海に流れ込んでおり、その橋の下にパラソルを広げ、
海水浴をしている人達がいる。
海にゴムボートや浮き袋を浮かべ遊んでいる。
とても気持ちよさそうだ。

 橋を渡ると、前方右手に白い2階建ての建物が見える。
民宿久百々さんだ。

 14:05分、民宿久百々に着く。
やれやれ、これで今日のお遍路は終了だ。

 入り口で声を掛けると、奥の方から奥さんの声がする。
玄関横にある10畳ほどの広間へ案内され、風呂の場所と、
洗濯の場所を聞く。

 早速、風呂に入り汗を流す。
広間は、風がビュンビュンと通り抜け気持ちがいい。
窓も戸も開け放して風を入れ、部屋の中で畳の上にゴロリと寝て
ウトウトしていた。

 目を覚ましたが何もすることがない。
時間を持て余してしまったので、先ほど見ていた海水浴をしていた人達の
方へ行ってみる。
 民宿の裏に細い道があるのでそれを歩いてちょっと行くと、
久百々川にぶつかる。
その川がすぐ海に注いでおり、そこで海水浴をしている。
靴を脱いで川の水に足をつける。冷たくて気持ちがいい。
気持ちが良いのでしばらく足をつけていたが、
頭の方にはカンカンでりの太陽が当たるので、いい加減のところで宿に戻る。

 宿の広間の方が風が通り抜け気持ちが良い。寒いくらいだ。
またウトウトしてしまった。

 夕食ですと、女将さんから声が掛かってので、隣の食堂へ行く。
今晩は、お遍路が私を入れて三人。
海水浴のお客さんが二組四人という顔ぶれだ。

 お遍路は、いずれも年輩の人で東京のOさんと逆打ちをしている
静岡のWさんだ。
食事時間は、お遍路話で盛り上がったが、明日の予定を話していると、
皆さん足摺岬の金剛福寺に泊まると話している。
 私もそのつもりだったのだが、久百々の奥さんから、
金剛福寺はユースホステルを廃業したと聞かされる。
それでは、足摺岬に泊まる必要もないと思った。
おまけに、久百々からなら足摺岬は往復できると言われ、
私は、一日で往復することにして、明日の晩も久百々に泊めて
もらうことにする。

 今回のお遍路は予定を組んだが、最初に組んだ予定では
44番大宝寺辺りまでしかいけない。
次回のお遍路を考えると、交通の便の良い松山市までは
行きたいと思っていた。
おまけに、足摺岬までを2日で往復するとしたら、
1日の歩行距離が25キロほどなのでちょっと物足りないと思っていた。
一昨日、昨日、と2日間歩いてみたが、足の調子はいいので
思い切って久百々さんから一日で足摺岬を往復することにした。
 Oさんは、足が遅いから明日は予定通り金剛福寺に泊まると言い、
Wさんは、金剛福寺を打った後、窪津まで戻り、奥さんに車で
迎えに来てもらうことにした。
 奥さんの話では、お接待として、お遍路さんが足に合わせた
ところまで歩き、そこまでは久百々から送り迎えのサービスをしていると
言われる。
いずれにしても、私は、明日45キロは歩かなければならないので、
6時には出たい旨話し、朝食を5時半にしてもらう。

 久百々の奥さんに、昨年の夏に大阪からHさんという女性が
泊まっているはずだがと話すと、Hさん?Hさん?と
何回か言った後に、「かよこさん?」と言ったので、
「そうです!思い出しました。」と聞くと、Hさんと言われたときに
かよこさんという名前が浮かんだと言われる。

 お客さんが書いてくれた一言が残っているはずだと言われたので、
昨年のを持ってきて探してみるとありました。
 そこに書かれている奥さんのHさんに対するコメントは、
☆田村由記子ちゃん似の顔☆
    予約をいただいた時「ありがとうございます」と伝えたら、
   Hさんの方も「こちらこそありがとうございます」って
   喜んで下さった。
    落ち込んだ後に2通の喜ばしてくれる手紙を受け取った
   ときに思った。心の中の話をさせていただいた。
   3通目は女性からで私が男だったらプロポーズすると笑わせる。
   とある。
 手紙についての話はよく分からなかったが、Hさんらしいなあと思った。

 明日の朝は早いので寝ることにしたが、昨晩の寝苦しさとはうって
変わって涼しい。
窓を開けておくと涼しい風がバンバン吹き抜けていく。
ちょっと涼しすぎるので、窓を少し閉じて寝ることにした。

 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

  久百々には満室のところを無理を言って泊めて貰いました。
 でも、泊めていただいて本当によかったと思います。
 久百々さんの広間は、風がビュンビュン吹き抜け、今までの暑さが
 嘘のように涼しく、寝不足と暑さで疲れ切った体の疲れを吹き飛ば
 した宿でした。
  ここで気持ちの切り替えがついたので、これから先の遍路も順調に
 歩くことが出来たと思います。

平成15年9月13日(土佐から伊豫・第17日目)

2005-07-26 09:07:05 | 第3回(土佐から伊予)
9月13日(土曜日)
(第1日・通算第17日目・歩行距離30.9km・歩行歩数46,168歩)

 5:55分、空が薄明るくなってきた頃、バスが高知駅に着く。
空は曇り空、でもだんだん晴れてきている。

 バスを降りると、湿気の高い熱気のある空気が肌にベトベトとまとわりつく。
寝不足でぼんやりした頭で、「この中を歩かなければいけない」と思うが、
気力が全然湧いてこない。
取りあえず、お腹がすいているので何かを食べようと思うが、
駅の売店が開いていない。
仕方がないので、頭をすっきりさせようと思い、トイレへ顔を洗いに行く。

 窪川行きの普通列車の発車時間までは30分ほどあるので、
駅のベンチに座り、ぼんやりと時間をつぶす。

 売店が開いたので、おにぎりを買う。
ほどなく改札が始まったので、窪川行きの列車に乗る。
 
 6:35分、列車が窪川に向かって発車する。
この頃になると空はすっかり晴れ上がり、南国の太陽がガンガンと
照りつけてくる。
 列車が走り出すと、窓の外にはお正月以来の懐かしい景色が現れてくる。
景色に見とれていると、気持ちがどんどんお遍路モードになってくる。

 途中にある川を見ると台風による雨でかなり増水したようで、
河床にある草が下流に向かって薙ぎ倒されている。
須崎の街を過ぎ、中土佐の街を過ぎると、もうすぐ窪川だ。
 
8:50分、窪川駅に着く。
 駅のトイレを借り、日差しの強い窪川の国道を歩き岩本寺を目指す。

 15分ほどで岩本寺に着く。
山門前の駐車場に数台の車が止まり、お遍路さんの姿がちらほら見える。
山門で一礼し、境内にはいると懐かしい光景が目の前に広がる。

 手水の横にあるベンチに荷物を下降ろし、白衣を着て輪袈裟を首に掛け、
身支度を整えて本堂へ向かう。
本堂は窓が開けられ明るく、風が吹き抜けるので中は涼しい。
台風の余波の風が時折強く吹き抜けていく。
お参りをしてから、天井画のモンローさんに挨拶をする。

 大師堂をお参りしてから納経所へ向かう。
納経所では、住職の奥さんが納経をしている。
お正月に来たときにお世話になったと挨拶をしてから、六花亭のお菓子を渡す。
 「和尚さんにどなたから戴いたものか説明しなければいけない。」と
言われたので、納め札を添えて渡す。

 9:20分、岩本寺の山門を出る。
さあ、これから3回目のお遍路が始まる。
天気は快晴、既に気温は相当上がっているが、時折吹く風が体の熱気を
吹き飛ばしてくれる。
寝不足の体には暑さがきついが結構気持ちよく歩ける。
 
 窪川の市街を抜け国道56号に出ると道は山に向かってゆるやかに登っていく。
汗がじわじわと噴き出すが、頭は日差しから菅笠に守られ以外と涼しい。

 菅笠は、頭の熱気を素早く逃がしてくれるだけでなく、
照りつける太陽から首筋も守ってくれる。以外と快適だ。
しかし、時折吹く強い風には全く弱い。
風が吹く度に両手で笠の端をつかんで吹き飛ばされないようにする。

 今回は1時間歩いて10分休憩する。というペースで歩くことにした。
  
 順調に歩いていくと峠を過ぎたようで道が下り坂になってくる。
 片坂第1トンネル、第2トンネルを過ぎると道は大きな谷にさしかかる。
大きくヘアピンに曲がった橋を下ると市野瀬のようだ。
ここでちょっと休憩する。

 12:00分、市野瀬を過ぎ、伊与木川に沿って歩いていくと右側に
佐賀温泉が見える。

 ちょうどお昼なのでここで昼食を取ることにする。
食堂で牛丼(650円)を注文する。食堂の中は冷房が利いて涼しい。
出された水を一気に飲み干し、飲み足りないのでもらいに行く。
コップに2杯ほどの水をのどに流し込むと、フウと一息ついて生き返る。

  昼食後、自宅へ電話をする。
天気が悪くて心配していた妻に予定通り歩いていること。
心配した天気は快晴であることを知らせる。
 
 今日の宿を予約していないので宿を決めなければいけない。
地図を出してどこに泊まろうか考えたが、少しでも近いところにと思い
「民宿海坊主」に電話するが、今日は満室と断られる。
仕方がないので、予定通り「民宿みやこ」に電話すると宿泊できるとの
ことなので、お願いする。
今日の宿も決まったので、20キロ先の宿を目指し、頑張ることにする。

 12:25分、佐賀温泉を後にして、カンカン照りの外へ出る。
玄関を出ると熱気がワッと襲ってくるが、我慢して歩き出す。
 
 佐賀町の市街へ入る交差点に来た。
左に曲がり市街へ入ろうとすると交差点に立っていた建設作業員風の
お爺さんに呼び止められる。
「中村へ行くのだったら、市街に入らずに真っ直ぐ行くといいよ。
その方が近いし、トンネルがあるので涼しいよ。」と教えてくれる。
お礼を言ってから、ヘンロ地図を見るがこの道路は出ていない。 

 しばらく進むと左手に佐賀駅が見えてきた。
どうやら佐賀町の市街を通らないようにバイパスができているようだ。
ほどなく、トンネルが見えてきた。
横浜トンネルと書かれた大きなトンネルだ。

 トンネルの中は思ったほど涼しくはなかったけれど、
何より太陽の日差しを避けて歩けたのは嬉しかった。

 トンネルを出ると道が上り坂となっている。
少し歩くと左側に海が見えてきた。エメラルドグリーンのきれいな海だ。
14:40分、ここでしばらく休むことにした。

 このあたりの海は「土佐西南大規模公園」というらしい。
海岸線を見ると岩場があり、海もきれいだ。

 15:30分、佐賀町と大方町境を通る。

 井の崎トンネルを通り抜け、疲れのためちょっと元気なく歩いていると
向こうの方にお店が見える。
疲れた体を飲み物とアイスで元気づけようと思い店に入る。

 スポーツ飲料と小豆アイスを買ってレジでお金を払おうとすると、
私より先にお金を払っていたお婆さんが百円玉を
「ジュースでも飲みな!」といって、手渡してくれる。
あわててお礼を言って、納め札を渡す。
今回初めて頂いた「お接待」だ。

 店先の縁石に座り、アイスを食べ飲み物を飲むと少し元気が出てくる。
 
 伊豆田トンネルを過ぎしばらく行くと「海坊主」が見えてきた。
民宿みやこへはあと3キロ程と自分に言い聞かせ黙々と歩く。
この辺りの海には釣り人がたくさんいるので、「海坊主」も今晩は
釣り人でいっぱいなのだろう。

上川口の集落を過ぎ、坂道を登っていくと、
突然、左側に「民宿みやこ」の看板を見つける。

 17:10分、「民宿みやこ」に到着。
やれやれ、これで今日一日頑張って30キロを歩いたことになる。
「みやこ」は建物の左側が喫茶店で右側が民宿の入口になっている。
民宿の入口には、宿泊客は喫茶店で受付をすると書いてある。
 喫茶店に入ると冷房がよく効いている。
誰もいないので声を掛けると厨房の方からママさんが出てくる。
喫茶店が涼しいので、冷たい水をもらい、ちょっと、一息つく。
宿帳を記入し、部屋の鍵をもらう。

 部屋に入ると締め切ってあったので、ムッとした空気が充満している。
あわてて、窓を開けて風を入れる。
少し部屋の空気が入れ替わったところで窓を閉め、クーラーを入れる。
涼しい風が部屋の中に満ちてくる。
汗だくの衣類を着替え、ベランダにある洗濯機に放り込み、
風呂へ行くが、浴室も暑いので窓を全開にして風を入れる。
体にお湯をかけると、二の腕が痛い。
日焼けで真っ赤になっている。
お湯をぬるくして、石鹸で体を洗う。
頭も洗い、ぬるめにしたお湯の中に体を浸けると、
やっと、緊張がほぐれてくる。

 昨日の夜中から朝までバスに揺られ、寝不足の体で30キロを歩いて
きたのだから疲れているのは当たり前だ。
 しかし、お湯に浸かっていても暑いだけなので、早々に部屋へ戻る。
部屋の中は冷房が良く効いて涼しい。
布団をひいて、しばしゴロゴロする。

 6時に夕食と聞いていたので喫茶店へ行く。
夕食には鰹のタタキが出ていた。なつかしい。
ボリューム満点の夕食をおいしくいただく。
お遍路に出ているときは食事が一番の楽しみとなる。
 でも、今回はダイエットをするためにご飯は一膳だけと決めていた。
ちょっと物足りないけれど、暑さのため食欲が落ちているせいか
このくらいの量がちょうどいい。
 
 朝食のことを聞くと7時からとのことなので、
明日の朝は早く出たいのでおにぎりを頼む。

 早めに床についたが、やはり暑くて寝られない。
クーラーを一番高目の温度に設定するが、慣れてないせいか
クーラーの冷たい風が体に当たると寝られない。
でも、クーラーを切ると暑くて寝られない。
いったいどうすればいいのか?

 窓を開けても、外からはいる風は生温く暑い。
結局、クーラーを入れっぱなしにして寝ることにした。

いよいよ夏遍路に挑戦!!

2005-07-25 09:06:30 | 第3回(土佐から伊予)
いよいよ夏遍路に挑戦!!
 
 平成15年のゴールデンウィークは仕事の関係からちょっと休暇が取りずらく、
お遍路に出かけることができなかった。

 次の機会は?と考えると、やはり夏休みを利用するしかない。
しかし、真夏の土佐を歩く元気は出てこない。
ただでさえ30度を超えるところをアスファルトの照り返しを受けながら歩く自信はない。
おまけに足摺岬へは海のそばを延々と歩かなければならないなど、
北国暮らしの私にとって、真夏のヘンロ路を歩くというのは最悪だ。
でも、カレンダーを見ると、今年の9月は、敬老の日から秋分の日にかけて
5日間休むとなんと13日から23日まで11連休となる。
今年の夏は冷夏だし、さらに、9月になれば暑さも峠を越すだろうと考え、
9月に照準を当てお遍路に出かけることとした。

 9月12日の午後からはどうしても外せない会議があり、
この会議は例年4時頃には終わるので、これを見越して
千歳発18:30分のJAL便を予約した。

 このJAL便に乗るには遅くとも札幌を17:25分発のエアーポートに乗らなければならない。
 会議終了後に着替える必要もあり、会議場となっている職場近くのホテルまで
妻に着替えを取りに来てもらうことにした。

 会議が思ったより早く終わり、ホテルで着替えを済ませていると妻が来る。
背広からお遍路姿に変身し、手には杖と菅笠を持って、駅へと急ぐ。
 
16:40分発のエアーポートに乗り、予定より早く千歳空港に着く。
千歳発18:30分のJAL便が飛び立つと2時間ほどで伊丹空港だ。

 しかし、九州には台風14号が近づいており九州・四国地方は暴風雨となっている。
今回のお遍路はいきなり台風の歓迎を受けるのかと覚悟を決めていた。
 
 20:20分、伊丹空港に着く。
飛行機の窓から外を見るとポツポツ雨が降っている。
覚悟を決めて、取りあえずは四国に入ってからの状況次第で、
これから先の日程を考えることにする。

 飛行機から降りたとたんに湿度の高い粘りけのある空気が体にまとわり付いてくる。
この空気の中を歩くのかと覚悟を決める。

 バスで大阪市の梅田まで行って、そこで高知行きの深夜バスに乗ることにしていた。

 今回は、梅田にある新阪急ホテルで大阪のHさんに会うことにしている。
お正月に会って以来の再会であり、楽しみにしていた。
バスが高速道路に入ると全然進まなくなる。
どうやら、事故があったようだ。

 9時過ぎにようやく梅田に着いたので、新阪急ホテルへと急ぐ。
ホテルのロビーでHさんとの再会を果たす。
 久しぶりにお遍路に話をしていると、あっという間に時間が過ぎてしまう。

 11:10分発の深夜バス「よさこい号」に乗り高知を目指す。
雨はやんでいる。
どうやら台風は九州の一番西側を抜け日本海を北上するようだ。

二回目の遍路を終えて(阿波から土佐)

2005-07-22 09:02:40 | 第2回(阿波から土佐)
二回目の遍路を終えて

 今回は、「修行の道場」といわれる土佐でしたが、室戸岬までは春のような
陽気の中を歩き、岩本寺まではまさに雪降る厳冬の中を歩くという様々な
体験をしました。

 その間、一緒に歩く人も少なく、ほとんど一人で歩きましたが、
季節はずれのお遍路に対しても四国の人の温かさは身にしみる思いです。

 宿の女将さんでは、浜吉屋さんや高知屋さんの女将さんなど、
昔からのお遍路宿の人達は本当に暖かくもてなしてくれました。

 七子峠で「岩本寺まで乗りませんか。」と声を掛けてくれた若い人達には
感謝の言葉もありません。

 今回のお遍路を思い出すと歩いているつらさよりも、
いろいろなところで受けた温かいもてなしが心に残ります。

 「種崎の渡し」手前のスーパーで「ジュースでも飲みなさい。」と
お婆さんが渡してくれた2百円の重さは、同じお金でもその価値が増していると
思うのは私だけなのでしょうか?
 これらの「思い」に何をもって応えることができるのでしょうか?

 四国で受けた数々の優しさの分だけでも、これから暮らしていく日々の中で
人に優しく接しようとする事ぐらいしか思いつきません。

 この次は、足摺岬までとお遍路道中最大の距離に挑まなければなりません。
体と心を鍛えて次に備えたいと思います。

 
 窪川からは、高知市まで鉄道で戻りました。
途中で遍路姿の老人が一人乗り込み、降りていきました。
私が歩いてきた遍路道とは離れたところを鉄道が通っているので
どこのお寺にお参りに行くのか分かりませんでしたが、
たぶん清滝寺あたりかと思います。

 高知市からは高速バスで大阪まで戻りました。

 途中、吉野川沿いの高速道路を走っているときです。
見慣れた光景の中に何とはなしにお寺を探しているとき、
熊谷寺の総門を見つけることが出来ました。

 夕日に照らされて黒く光り輝いている総門の姿は、荘厳で美しいものでした。
総門を下から見ていたときには気がつきませんでしたが、
緩やかな斜面に突き出た総門は、圧倒的な存在感を示しています。
昔の人たちは、この光景をいつも見ていたのかと思いました。

 遠ざかる総門に思わず手を合わせていました。





平成15年1月5日(阿波から土佐・第16日目)

2005-07-21 09:29:51 | 第2回(阿波から土佐)
1月5日(日曜日)
(第9日・通算第16日目・歩行距離25.8km・歩行歩数38,227歩)

 6:15分、目を覚ましたのでファンヒーターに火を付け部屋を暖める。

服を着て旅立ちの準備をしていると「朝食ができました。」と電話が入る。

 一階のお店に行くとご主人が朝食を用意してくれている。
ご主人に、「昨晩は随分雪が降りましたね。」と聞くと、「こんなに雪が降ったのは
数年振りだ。」と教えてくれる。
この旅館からは海が見えないが、安和は海沿いの町なので、めったに積もるほどの雪は
降らないようだ。
今回の寒波は、ここ数年振りにきた第一級の寒波らしい。

  7:10分、宿代を払い、お礼を言って岬旅館を立つ。

 安和の町は、一面、昨晩の雪に覆われ一面モノクロームの世界となっている。
まるで墨絵のようだ。
空には青空が広がるが、安和の町は山陰となっており町全体が薄暗く
淡い藍色に包まれている。
雪の白と藍色のモノクロームの世界だ。

 国道を走る車も少ない。
それでも、車道は雪がなくなり、両側の道端には吹き飛ばされた雪が積もっている。
この雪の上を歩いて行くが、表面が少し凍っているので、歩く度にサクサクと音を立てる。

 10分ほど歩くと焼坂トンネルが見えてきた。
このトンネルは長いけれど、向こうの出口が見えている。
幸いなことに、大雪のせいでトンネルを走る車は少ない。
何台かの車が轟音をあげて走ってきたが何とか通り抜ける。

 トンネルを抜けたところで、正面に見える山の上の方を見ると陽が射している。
木々についている雪が真っ白に輝きまぶしいくらいだ。
両側の樹木には樹氷のように雪が枝を覆っている。

焼坂トンネルをすぎ、車道をどんどん下っていくと遠くに久礼の町が見えてくる。
久礼の後方に見える山は山頂が強い風で雪が舞い上がっているのが見える。
左の海の方へ向かって雪煙を舞いあげている。
 
 道路に陽が当たり車道横の雪が解けてくる。
車道にある雪も解けてくると、車が通る度にシブキを飛ばしていく。
車が通る度に体をひねって車道に背中を向け、舞い上がるシブキが通り過ぎるのを
何回も繰り返すのは疲れる。

 大川橋から久礼の市街へはいる。
ここは、「そえみみず遍路道」への分岐点にもなっているが、
今回は、この「そえみみず」は歩かないことにきめていた。
それは、この雪で峠道がどのようになっているか分からないこともあるが、
久礼の町を歩きたかったという理由が一番大きい。
 
 久礼の町は、漫画の「土佐の一本釣り」の舞台でもあり、
作者の青柳祐介さんが住んでいた町でもある。
青柳さんはすでに亡くなってしまったが、この漫画は、私にとって忘れられない
漫画となっている。
そんなわけで、今回は、この久礼の町を歩くのも楽しみの一つにしていた。

 久礼の町を歩いていると、西岡酒造という造り酒屋の前を通る。
この酒屋さんは土佐で一番古くからやっている酒屋のようだ。
杉の玉が玄関に下がっている。
 江戸時代の商家風の美術館をすぎ、消防署の前を通り、細い道を歩いて行く。
小さな町だ。海辺の町だが波の音は聞こえない。
海へ行くには左の方へ進まなければならないが、道はまっすぐ山の方へ続いている。

8:45分、町はずれにある大坂休憩所に着いたので、東屋で一服する。

 これから先には家もあまりないようで、いよいよ峠道となるが、
車道がまだまだ続いているので、その轍を靴が濡れないように歩く。
 
 しばらく歩いていくと、右側にある白い障子が太陽を受けて輝いている家がある。
広い縁側があり、ふと見るとその縁側の右隅に猫が背中を丸めて
日向ぼっこをしている。
この、のんびりした光景は、まるで絵に描いたようだ。思わず笑みがでてきた。

 いよいよ民家がなくなり、周りは畑や山林といったところを歩いていると
向こうの方から軽トラックがゆっくり走ってくる。
 そのトラックをやり過ごし、トラックが作ってくれた轍を歩いていく。
この辺では、雪は七~八センチほどあり、靴の甲が隠れるくらいの深さになっていた。

 ちょっと広くなったところがあり、ここが車道の最後らしい。
その先は、山道となっているが、先ほど通った軽トラの人達のものらしい足跡が
山道の先へ続いている。
その足跡をどんどん歩いていくと、右側に小さな滝があり、この先には足跡がない。
どうやらここまで水をくみに来ていたようだ。

 この先は踏み後もなく、完全に私一人の世界になってしまった。
10セントほどの雪を踏みしめ山道を登っていく。
山の上の方には陽が当たっているが、私のいる沢の中は陽が当たらないため
寒さと静寂で凛とした空気につつまれてる。

ちょっと汗ばむほどの傾斜となってきた頃に、右後ろの山の方から
車が走る音が聞こえてきた。
道も急な斜面を階段が延々と続いている。
顔を上げても上の方が見えないくらいだ。
どうやら、七子峠が近いようだ。
 
九十九折りの階段が続く道を踏み板に積もっている雪に足を取られないように
気を付けながら登っていくと、急に前の方が明るくなり、
車の音が一段と大きく聞こえてくる。

 10:15分、七子峠につく。

 七子峠では七子茶屋で休むつもりでいたが、あいにくと店は休みのようだ。
隣のガソリンスタンドへ行くと既に閉店しており誰もいない。
ガソリンスタンドの入口に腰掛け、飲み物を飲んで一息つく。

 七子峠は、冷たい風が吹き抜け、汗ばんだ体が冷えてきたので歩き出そうとしたが、
車道を見ると、結構な交通量があるにもかかわらず、歩道が全くない。

 車道のどちら側を歩こうか考えたが、走ってくる車に向かって歩く方がいいかと思い、
車道の右側に渡る。 

 この時間になると、車道横の雪もすっかり解けてシャーベット状になっている。
トラックなど大型の車が走ってくると、横風で笠は煽られるし
細かなシブキは飛んでくるし、このまま歩くのはちょっと危険かと思っていた。

七百メートルほど下るとラーメンの豚太郎という店が見えてきた。
大きな駐車場があるので、その駐車場へ入ろうとすると
後ろから一台の乗用車が走ってきて、私の横に止まった。
助手席の窓が開き、30歳前後の女性が顔を出し、
「岩本寺まで行くのでしたら乗っていきませんか?」と声を掛けてくれた。
運転席には男性がいる。
「ありがとうございます。でも、歩いていこうと思っていますので。」と答えると、
「気を付けて歩いてください。」と声を掛けてくれる。
この時には、今まで車のお接待を受けたことがないので面食らってしまったというのが
本当の気持ちで、それほど感じていなかったが、時間が経つにしたがって、
ものすごくありがたいことだと思いようになった。

それは、歩道のない道路をお遍路が車道の横を走り抜ける車のシブキを
受けながら歩いており、笠もその車が作る風に巻き込まれそうになっている。
歩いている場所も、雪が解けて歩きずらそうな車道だ。
このまま岩本寺まで行くとしたら、まだまだ相当な距離がある。
乗せていってあげよう。
ちょうど、ラーメン屋さんの駐車場があり、そこに車を止めることができる。
そんな気持ちで、車を止めて声を掛けてくれたのだと思う。

 見も知らない他人のために、あのような若い人が車を止めてお接待してくれようとする
その心には本当に感謝するしかない。
このような気持ちを持っている人が年輩者だけでなく若い人にもいるということが
とても嬉しかった。
私は、自分のために歩いているにすぎないけれど、
きっと、このようにお遍路を見守ってくれている人がたくさんいるに違いない。
お遍路さんの歩いている道が違っていないかどうか気を付けて見守ってくれたり、
足を痛めているようなら、休むように声を掛けようなどと思って
見守っている人がたくさんいるのだろう。
そのことに、私が気づいていないだけかもしれないと考えると、
四国を歩いているお遍路は、大なり小なりこうした人々に見守られている。
そのことに対し、率直に感謝したい。
でも、このお接待に対し私がお返しできるものは何があるのだろうか?

豚太郎の駐車場から先は、右側だけに歩道があり、ホッとした。
正直なところ、このまま歩道がない道をズーット歩き続けなければならないとしたら
どうしょうかと思っていた。

 空には青空が広がっているのにどこからともなく雪が降ってくる。
それも、強い横風に乗って降ってくる。
不思議な現象だ。

 影野の町をすぎてしばらく歩くとお腹がすいてきたし、体も冷えてきた。

 11:20分、少し早いけれど「うどんそば根っ子」という食堂があるので、
そこで昼食を取ることにする。 

 根っ子は、ご夫婦二人でやっている食堂だった。
ガランとした店にお客は私一人だ。
窓の外を見るとまるで吹雪だ。
狐うどんを頼み、店にある週刊誌を読んだ。
久しぶりに見る活字が新鮮だ。

 お腹も一杯になり、外も時折陽が射すようになり天気も良くなってきたような
気がするので、とりあえず、頑張って先へ進むことにする。

 ここからは、線路に沿って国道が走っているので、
時折走ってくる列車や駅を見ながら歩く。

 六反地、仁井田駅をすぎて、ほどなく、高岡神社経由への分岐点にさしかかる。
高岡神社を回ると3キロほど遠くなるので、真っ直ぐに岩本寺を目指す。

 13:00分、時々吹いてくる風をさけるために道の駅「あぐり窪川」で一休み。  

ここまで来ると岩本寺へはあと3キロほどしか残っていないので、ゆっくり休む。
今日はお天候のせいか、今日で一旦区切るというせいなのか、
全然先へ進もういう気持ちが湧いてこない。

 国道から市内へと入る交差点を過ぎると、呼坂トンネルがある。
このあたりから雪が牡丹雪となり、ボトボト音がしそうなくらい降ってくる。
狭い道の両側にお店があり、旧道という雰囲気の中を進むと、
向こうの方に、見覚えのある山門が見えてきた。

 13:50分、岩本寺の山門に着く。


第37番札所 岩本寺

 今回の目的地である岩本寺に無事に着いた。
山門への階段の横には雪が積もっており、境内の中も真っ白になっている。
まずは山門で一礼し、本堂へ向かう。
境内には数人の参拝者がいるだけで閑散としている。

 本堂でお参りした後、本堂の中へはいる。
岩本寺の本堂の天井にはたくさんの絵が格天井の格子の中に一枚一枚
はめ込まれているが、実は、前回きたときにはことを知らなかった。
そのため、この絵を見逃している。
 先代の住職が本堂を建て替えるときに、いろいろな人に書いてもらった絵を
天井画とすることを思い立ち、寄進してもらったようだ。
有名な画家の絵もあるようだが、窪川に住んでいる人達の絵もたくさんあるようだ。

 ちょうど本堂の扉が開いているので中へはいる。
まだ、木の香がする本堂の天井を見ると、なるほどいろいろな絵が格子の中に
張り付けられている。
静物画あり、人物画ありといろいろな絵がいろいろな方向に向いている。
入口の上には、マリリンモンローを描いた絵がある。
この絵は、テレビにも写されていた絵だ。
しばらく天井絵を眺めてから、大師堂へお参りに行く。
雪を踏みしめながら大師堂に行く。
今回はこのお参りが最後のお参りとなるので、ここまで無事に来れたことに
感謝の気持ちを込めてお祈りをする。

納経所で納経をしてもらい、今晩宿泊を予約している者だということを話し、
宿坊に入る。今晩の泊まり客は私一人だという。

 部屋は八畳ほどの和室。
温風暖房機があるので入れるが襖の隙間から冷たい風が入ってくる。
テレビもない部屋で時間を持て余してしまう。

夕食は出せないと聞いていたので、近くのコンビニを教えてもらい買い物に行く。

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  窪川の市街を歩いて岩本寺へ向かっているときに雪が一番降っていたようです。
 菅傘に落ちる牡丹雪がボト、ボト、と音を立てて降っていました。
 雪景色は見慣れた私ですが、ここは土佐なんだという気持ちがあるために、
 この雪景色は異常なことと感じました。
 でも、窪川では年に数回はこの程度の雪が降るようです。
 

平成15年1月4日(阿波から土佐・第15日目)

2005-07-20 09:16:37 | 第2回(阿波から土佐)
1月4日(土曜日)
(第8日・通算第15日目・歩行距離31.4km・歩行歩数46,872歩)

 朝食は7時からと聞いていたので、のんびりとベットの中でウトウトしていた。

 そろそろ7時と思いロビーに行くと、まだ食堂の準備ができていない。
ロビーで待っていると、夜が明けてきた。
空がだんだん明るくなってくる。
今日は良い天気のようだ。

 「朝食の用意ができました。」と言われ、食堂へ行く。
朝食はお盆の中にセットされているが、その中に小さな凧が置かれている。
正月料理としての演出だ。
お雑煮風のお澄ましなどもある。ちょっと正月気分になる。

 食事も終え、フロントで宿代も払い、さあ、出発しようかとザックに手を掛けた
ところで、支配人の池上さんから、「お接待しますのでコーヒーでもどうですか?」
といわれる。
遠慮なくいただくことにする。 
ごちそうしてくれたコーヒーはカップチーノで美味しかった。
おまけに、昼食用のおにぎりまでお接待してくれた。

 7:20分、池上さんやフロントにいる従業員の人にお礼を言って、
国民宿舎土佐を後にする。

天気は良いがすごく寒い!

 車道から青龍寺へ続く遍路道は谷間にあるためにまだ薄暗い。
枯れ葉の下に石などがあり、足を取られないように注意して下る。

 10分ほどで青龍寺の山門に着く。
人気のない山門から本堂を望み手を合わせ、今日一日無事に歩けますようにと祈る。

 ここからは昨日歩いた宇佐大橋までもどる。
宇佐大橋の上では、時折強い風が吹き笠を飛ばされそうになる。
笠の縁をしっかり両手で押さえ、飛ばされないようにして歩く。
それにしても今日は寒い。
強い風が吹くので一層寒く感じる。

 宇佐大橋を渡り、宇佐の町を歩いていると、庭先の植木の中に梅の花が
咲いている木を見つける。
白い花がいくつか咲いている。
折からの日射しを受け花弁が輝いている。

 そうだ、やはりこの辺は暖かいところなのだ。
この数日は、この冬一番の寒気が日本列島を襲うと予報していたので寒いだけなのだ。
後ろから差す日射しに背中を押されるようにして浦の内湾を須崎に向かって歩く。

9:05分、深浦の集落で一休みする。
左膝のお皿の上が痛くなってくる。骨ではなくて、お皿の上の筋肉が痛い。
足の小指はすっかりマメの水もなくなり乾いている。痛みもない。
足の指が痛くなくなったら、今度は膝が痛くなってくる。
普段、これほどの距離を歩くことがないのだから、どこかが痛くなっても
仕方がないかと諦める。

立目のあたりに来ると道端にポンカンを売る無人店舗がたくさんある。
ビニール袋に10個ほど入って一番安いのは2百円から5百円ほどと値段の幅もある。
よく見ると、2百円のものは粒も不揃いだ。
5百円のものは粒も大きく色艶もいい。見るからに美味しそうだ。
ところどころに大きなビニールハウスが建っている。
この中を見るとポンカンの木がある。
温室栽培もやっているようだ。
その温室の中に、立目ポンカンと書いた段ボール箱が沢山置いてある。
今度、ポンカンを買うときには立目のものにしよう。
 
 浦の内中学校のあたりを歩いていると、目の前を何か白いものが風に飛ばされている。
雪かと思ったが、ここは南国土佐なので違うだろうと思っていたら、その白いものが
顔に当たるとひんやりと冷たい。
そうだ、やはり雪なのだ。
ここで雪を見るとは思わなかった。
冷たい風が吹いているのだから雪が降ってもおかしくはないのだが、
空には青空が広がり日射しもあると、どこからこの雪が降ってきたのかと思い
空を見たがよく分からなかった。

 10:35分、横波の集落につく。
ここからは、佛坂のコースを取るか、さらに、海沿いを進むか分かれ道となっている。
どちらを行こうか悩んだが、結局、ヘンロ標識に書かれている「こちらが本当の遍路道」
に惹かれ、佛坂へと進むことにした。

 11:07分、馬路のあたりで休憩する。
海辺から山道にはいると、風の当たりが和らぎホッとする。
そろそろ今日の宿をきめなければと思い、安和までいくことにして3軒ある宿に電話する。
今回は、宿を決めるときにヘンロ本に記載されている名簿の後ろから電話している。
民宿安和乃里は休業中との返事。
次に岬旅館に電話するとOKの返事。
宿代は6,800円だと念を押される。
財布には1万円あるから大丈夫だし、これで今日の宿も決まった。
後は安和の町を目指して歩くのみだ。
 
車道の左側に岩不動への標識を見つける。沢の中へ道が続いている。
この地点が佛坂のようだ。ここから、左へ曲がり沢の中へ続く山道へ入っていく。

 11:40分、岩不動につく。
誰もいないお堂にお線香をあげる。
お堂の中を見ると、薄暗い中に大きな岩が見える。
この岩がご本尊のようだ。谷間で陽が当たらないので寒い。
お参りもそこそこに、須崎を目指して歩く。

 車道にでてしばらく歩くと向こうの方から紙袋を下げた老人が歩いてくる。
お遍路のようだが、服装がホームレスのようにも見える。
その老人とすれ違うときに会釈をして通り過ぎようとすると
「岩不動はまだかい。」といわれる。
後ろを振り返り、車道の先に見える山道を指さして、後、10分位ですよといったが、
「まだそんなに歩くのか。」といって、スタスタと歩いていった。

 山間の道から目の前が開けてきて、左の方にはたくさんの車が行き来する
車道が見えてきた。どうやら国道のようだ。

新川橋を渡り、国道を横切り、妙見町から須崎の市街へと続く旧道を歩く。
人通りもなく寂しい町並を冷たい風が吹き抜けていく。
その風に笠を飛ばされないように両手で押さえながら歩く。

 多郷の駅をすぎ、車の交通量が増えて商店街らしい通りを歩いていると、
「鍋焼きラーメン」と書かれた黄色い旗がヒラヒラしているお店を見つける。
お腹もすいたところで、この店で昼食を取ることにする。

 12:35分、店にはいると小上がりが満員なのでカウンターに座り、
鍋焼きラーメンの小を頼む。
メニューはこの鍋焼きラーメンの大と小のみらしい。
ほかのメニューを頼んだ客は断られている。

 鍋焼きラーメンは初めて食べた。
どんなものがでてくるか興味津々だったが、でてきたラーメンは、
なるほど鍋焼き用の鍋に入れられている。
中を見ると、醤油タレの中に、ちょっと細めで縮れのないラーメンに
卵と青菜が入っているだけで、すごくシンプルだ。 
箸でかき混ぜると、鶏肉を微塵切りにしたものがはいっている。
これがスープの素らしい。
スープを一口すすると、熱いスープで口の中をやけどしそうになる。
でも、体が暖かくなる。
国民宿舎土佐でもらったおにぎりを出し、おにぎりと鍋焼きラーメンで
お腹は一杯になるし、体は暖かくなるし、やっと気力がもどってくる。

 交通量の多い国道に出て、その左側を歩いていく。
既に、須崎の町に入っているようで賑やかになってくる。

 酒屋さんを見つけたので、地酒の無手無冠があるか確かめるために入る。
店の中を見渡したがなかったのでご主人に聞くと、ここにあるといって
棚の前へ連れて行かれる。
確かに、無手無冠が数本置かれてある。
さっそく、2本を札幌へ送るように頼んでお金を払う。

 財布の中には6千円ほどしかなくなってしまう。
これでは、今晩の宿代を払うことができない。
安和の町に郵便局はあると思うが、小さな町なので開いているかどうか分からない。
今日は土曜日だし、開いていない可能性の方が強い。
 とりあえず須崎の町で郵便局を探しながら歩いていくと、
番外霊場大善寺の看板を見つける。

国道を左に折れ、少し進むと右側に小高い山が見えてきた。
この山の上が大善寺だ。
急な階段を上がると本堂がある。
人気のない本堂でお参りをする。
納経は下にある宿坊でするようなので、急な階段を下りる。
納経所に行くと、横の方から小さなリフトで山の上まであがれるようになっている。
足の不自由な人のために設けているが有料のようだ。

 ここで、須崎の郵便局までの道を聞き、お金を降ろしに行く。
5百メートルほど街の中にもどると郵便局があった。

 帰り道にあるお菓子屋さんに立ち寄り、お餅と金鍔を買う。
お店のおばさんと、しばし、立ち話をする。
「最近は、会社がリストラになったとか言ってお遍路する人が多くなった。」と
話してくれる。
店に張ってある納札を見せてくれてこの人もそうだと教えてくれる。
若いのにお遍路をするなんて感心だといわれ、そんなに若くはないのですよと答える。 
お礼を言って、このお菓子屋さんを後にする。

大善寺へもどり、その先から国道へと進む。

 新荘川橋の手前のある道の駅をのぞき、ちょっと休む。
道の駅は、すごく込んでいる。トイレを借りて、その辺をのぞくが、
お土産を売っている店が多く、今の私には用のない店ばかりだ。

 道の駅を後にして歩き出す。
しばらく歩くと、道は上り坂となっている。
ほどなく、角谷トンネルが見えてくる。
歩道もないトンネルで交通量も多い。
ちょっと気後れする。
しかし、進まないわけには行かない。

トンネルを抜けると、左側に海が見える景色のいい道となる。
ところどころに、ポンカン売りの店が建っている。
右の山を見ると、ポンカンの木らしい果樹園が広がっている。

道が下り坂になり、安和の町へはいる。
ほどなく、右手に岬旅館が見えてきた。

 15:35分、岬旅館に着く。

 岬旅館は、結構大きな旅館だ。
3階建てのビルで、1階は料理屋さんになっている。
海賊料理と看板に書いてある。
旅館の入口を捜したが、見あたらない。
料理屋さんの入り口は自動ドアとなっているが、電源が入っていないのか、
入り口の前に立っても開いてくれない。
ドアを、手でこじ開け、「ご免ください。」と声を掛けると、
中からやっと人がでてきた。

 3階の部屋に案内される。
風呂は2階にある女性用の風呂を使ってくださいといわれる。
どうやら今日の泊まり客は私一人のようだ。
 外の非常階段下にある洗濯機を借りて、昨日の分も併せて洗濯をする。
 風呂に入り、部屋にもどると、後はなにもすることがない。
布団を引いて、テレビを見ながらウトウトする。

 電話が鳴り、食事ですよといわれたので1階の食堂へ行く。
立派な和室に通され、鍋や天ぷら、それに、鰹のタタキとさらに別なお刺身などがあり、
今までで一番盛り沢山の料理が出ている。
ご飯もお代わりしてくださいといわれたので、2杯食べて、すっかり満腹してしまった。

 夜中に何か外が騒がしいので、目を覚ましてしまった。
窓を開けると、外は一面の雪で真っ白くなっている。
国道も真っ白で、わずかに車が走った跡が上下線で四本の細い線になって続いている。
車の姿はほとんど見えない。

 隣にあるコンビニの駐車場で、若い男女が雪玉をつくって投げ合っている。
その声がうるさかったのだ。
空からは、ボトボト音がしそうなくらい大粒の牡丹雪が降っている。
この景色は、札幌の雪景色と変わらないくらいだ。
どおりで、先ほどからまったく車の走る音がしないと思った。
これほど雪が降ると、こちらの車は冬用のタイヤなどは使っていないだろうから、
スリップして走れなくなってしまう。
寒くなってきたので、窓を閉めて布団の中に潜り込む。

 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

  「南国土佐」は暖かいというのが私のイメージだった。
 実際、室戸岬ではバナナが露地で実っていたし、Tシャツ1枚になって歩いていた。
 しかし、今晩は雪が降っている。
 それも、ボタボタと音がするくらいの振り方だ。
 今日一日は本当に冷たい風が吹き、寒かった。
 幾ら、この冬一番の寒気が入ってきたと天気予報で言っていたとしても、
 南国での雪は本当に意外だった。

平成15年1月3日(阿波から土佐・第14日目)

2005-07-19 09:31:16 | 第2回(阿波から土佐)
1月3日(金曜日)
(第7日・通算第14日目・歩行距離31.4km・歩行歩数46,843歩)

 6:00分、隣の大部屋に食事ですと女将さんの声が掛かる。
その声を聞いて私も起きることにした。

 布団を畳んで食堂へ行くと、大部屋の3人はすでに食べ始めている。
テレビの天気予報を見ると、今日の降雨確率は午前中80%、午後70%と報じている。

 6:40分、用意ができてしまったのでまだ暗いけれど立つことにする。
玄関まで見送りに来てくれた女将さんに挨拶して行こうとすると、杖は?といわれる。
おっと、杖と笠を部屋に置いたままだ。
あわてて部屋に戻り、忘れていた杖と笠を取り、もう一度忘れ物がないか
よく部屋の中を見回わす。
このほかに忘れ物はないようなので、もう一度玄関で女将さんにお別れを言って、
高知屋を出る。

 雪蹊寺の本堂へ行き、今日一日の無事をお祈りし、暗い道を歩き出す。 

 種間寺までは、6.5kmの道のり。歩き出して間もなく、ポツポツと雨が笠に当たる。
道が暗いので足下に注意しながら歩いていくと、雨が本格的に降り出してくる。
お店の軒下を借りて雨具のズボンをはく。
それほど寒くないが、一応防寒に注意して手袋も付けて歩く。

 ふと、前を見ると大間のおじさんが歩いている。
追いついて、種間寺まで一緒に歩いていく。
時折強くなる雨も風が付いていないのでそれほど気にはならない。

 ほとんど車の通らない田舎の道をおじさんと世間話をしながら歩いていくと、
種間寺が見えてきた。

 8:05分、種間寺に着く。


第34番札所 種間寺

 種間寺は小さなお寺だ。
本堂と大師堂が軒をくっつけるように建っている。
そぼ降る雨の中、ほとんど人気のない境内で、お経を唱える。

 納経所で清滝寺までの道を教えてもらい、お礼を言って清滝寺を目指す。
清滝寺までは、9.5km。ちょっと距離があるが、清滝寺には、
前回、お茶堂に泊めていただいたり、いろいろな思い出があるので、
なつかしく、心ウキウキで、歩き出す。 

このあたりは、歩道が整備されているので車の心配がなく歩ける。
雨も、降ったり止んだり、時折強くなったりと忙しい。
種間寺前を流れる用水路に沿って歩いていく。

 また、先に出ている大間のおじさんに追いつく。
大間のおじさんは、お寺に着くと、まず納経所へ行って納経をしてもらい、
それから、ちょこちょこっとお参りをしている。
だから、一緒にお寺についてもおじさんは先に出ていく。

 しかし、見ていると地図を持っているが見方が分からないのか、
交差点に来る度に地図を確認している。
そんなことで、私に追いつかれてしまうようだ。

 遠くに、仁淀川にかかる国道56号の橋が見えてきた。
仁淀川大橋だ。
橋の下をくぐろうとすると、橋の下で雨具を着ているご夫婦がいる。
この橋を渡るには、一度、橋の下をくぐり上流側から堤防の上に上がり
橋を渡るようになっている。
長い橋を渡り、右に曲がり堤防の上を歩く。
左手には、土佐市の高岡の市街が広がっている。
清滝寺は右手前方の山の中腹にある。

堤防の道を降り、高岡市街の道を歩く。
高岡の町を歩くが、まだ正月の3日ということでほとんどのお店は休みだ。
JA高岡のあたりで、ちょっと疲れたので休憩する。
大間のおじさんは、「休むと歩けなくなるので先に行く。」といって、歩いていく。
 
 昨日あたりから右足のお皿の上が痛くなってきた。
お皿が痛いのではなく、筋肉が痛い。
足の小指は靴を手術してから痛みはないし、マメの水もなくなり、
皮膚が乾いてすっかり治ってきている。
 その代わりというように、左膝が痛くなっている。
休んでいる間にお皿をマッサージをすると少し調子がよくなる。

 気を取り直して歩き出す。
ヘンロ標識にしたがって歩いていくと三嶋神社がある。
神社の前を歩いていくと、突然、目の前に広い車道が現れる。
どちらへ進めばいいかよく見たが、ヘンロ標識は見あたらない。
横断歩道があるので渡り、真っ直ぐ歩いていくと高速道路が目の前にある。
 その向こうに清滝寺のある山が見えている。

 このあたりは、高速道路の建設にともない、道路が新しくできているようで
地図にない道路がありよく分からない。
 でも、目指す山が見えているので、そちらへ向かって歩いていると、
清滝寺への標識を見つける。

 高速道路の下をくぐり、しばらく歩くと清滝寺の参道となった。
急な山道を歩いていくと、下の方に車道があり車が数台止まっている。
その車が全然進まない。
こちらは、急な参道をゆっくり登っていく。
すると、見慣れた山門が現れた。清滝寺の山門だ。

 10:35分、清滝寺の山門着く。


第35番札所 清滝寺

 山門の天井を見ると、龍と天女の絵が描かれている。
急な階段を上がっていくと、大きな薬師如来が見えてくる。
右側にお茶堂が見えてくるはずだと思い階段を登って行くが生け垣が見えるだけだ。
そうするうちに階段を上がりきり、境内に出てしまった。
階段の右側にあったはずのお茶堂がなくなっている。
境内をよく見ると、左端の方に新しい建物が建っている。
行ってみると、そこがお茶堂だった。
きれいで立派なお茶堂が新築されている。

 境内には、結構、人がいる。
まずは、本堂へお参りしようと思い、階段を登って賽銭を投げようとすると、
本堂の中にたくさんの人がいる。
こんなに人がいると思わなかったので、ビックリしてしまった。
お賽銭を投げ、お経を唱え、大師堂にもお参りする。

 本堂へ上がる階段の下に前回来た時と同じテントが建てられ、
数人のお爺さんが本堂の屋根葺き銅板への寄進を求めている。
 前回来たときに息子に関するいやな夢を見たが、何事もなく過ごしているので、
清滝寺さんのおかげと思い、お礼の意味を込めて今回も寄進することにした。

銅板に、私と長男の名前を書いて千円を寄進する。
お爺さんが「北海道から来たのか!」とビックリしている。

本堂にいる人達のことを聞いたら、厄除けのお祓いに来ている人達だと
教えてくれた。
しかし、下の車道で車を排水溝に落として動けなくなってしまい
お祓いを受ける人が全部来ていないので、待っている。とのこと。
それで、車が止まっていたようだ。
 
少しお爺さんたちと話をする。
真新しい鐘突堂があるのでいつできたか聞くと、なんと12月28日のことだという。
除夜の鐘に間に合わせるようにいそいで工事をしたようだ。
お爺さんの一人が、売り物のミカンを5個ほど袋に入れ直してお接待してくれた。
お礼を言って清滝寺をあとにした。

 次の青龍寺までは14.8km。
目の前に広がり雨雲に煙る横瀬山を越えて、太平洋に出た先にある。

 参道を下っているときに見ると下の車道にはまだ車が置かれたままになっている。
下から来る車が完全に道路をふさいでいる。
道を知っている地元の人は、迂回路があるのでそちらから出入りすればよい。
しかし、初めての人に迂回路を説明するのは難しいだろう。
 
11:50分、お腹がすいたのでどこかに食堂がないか捜しながら歩いていると、
高岡の市街の国道に出たところでカラオケ喫茶フェローという店を見つける。
よく見るとランチもやっているようなので、店の外で雨具を脱いで入ってみる。

常連客らしいお年寄りが3人ほど店の人と話をしている。
焼きうどん(500円)を頼む。
靴や靴下も脱いで足を休める。

 12:20分、お腹も一杯になったところで、青龍寺を目指して頑張ることにした。
ここからは、塚地峠という峠を通らなければならないが、数年前にトンネルができたので
このトンネルを通ると早く青龍寺へ行ける。
足のことを考え負担の少ないトンネルを通るか、それとも、昔からの峠道を通るか、
ずーと考えていた。

 塚地の集落のあたりでは、雨もほとんど上がり、車が跳ね上げていく水しぶきを
避けるのに忙しくなってきた。

 13:05分、塚地峠の入口に来た。
峠道を見ると水たまりもあり、歩きにくそうだ。
トンネルの方へ歩き掛けてから、結局もどった。
峠道を行かないと後で後悔しそうだと思った。

 峠道は、入口付近が荒れていただけで、ほどなく、歩きやすくなった。
車の音もほとんどなく、静寂そのものの道を一人で歩く。
峠道としてはそれほど起伏もなく、時折、木の葉から落ちる雨の滴が体に当たるだけで、
聞こえる音も自分の呼吸と足音だけだ。
15分ほどで峠に至る。

 宇佐の方が見えるようになってきたが、雲の中に煙っている。

 13:45分、宇佐の市街地に入る。
石造りの常夜燈があるところから、右に曲がって、裏道を宇佐大橋目指して歩く。

 14:10分、宇佐大橋手前にあるバス停で休む。
目の前には向こう岸へ続く宇佐大橋が延びている。橋の上は風が強そうだ。

 宇佐大橋は浦ノ内湾の入口に架かる大きな橋だ。
橋の上は、時折、強い風が吹くので、笠を吹き飛ばされないように両手で押さえながら歩く。
橋の中央から下を見ると、結構な高さだ。
やっと、橋を渡り終え、ホッとする。

 ここからは、左手に広がる太平洋を眺めながら青龍寺を目指す。
天気が良ければきれいな青い海なのだろうが、あいにくの天気で、
今日はどんよりした鉛色だ。

真黄色に塗られた三陽荘をすぎて、右に曲がると、右側の山裾に祀られている
たくさんのお地蔵さんが迎えてくれる。
お地蔵さんは、皆さん、新しい前掛けをしている。
新年を迎えるためにどのお地蔵さんにも真新しい前掛けが掛けられている。
3~4体ずつ道路際に建てられ、参拝客を迎えてくれる。

 15:00分、青龍寺に着く。


第36番札所 青龍寺

 青龍寺では、納経を先にするつもりだ。
その訳は、今日の宿泊は青龍寺奥の院に近い国民宿舎土佐だ。
国民宿舎土佐は、青龍寺の左側の山の上にある。
納経所まで降りてしまうとまた登らなければならないので、
先に納経を済ませてからお参りしようと思った。

本堂への階段を上がろうとすると大間のおじさんが階段を降りてくる。
おじさんは、「今回はこの青龍寺で区切ることにするつもりだ。」と話してくれる。
「足も痛いし、毎回1週間ほどしか歩いていないのに較べると、今回は十分に歩いた。」と
満足げに話してくれる。

おじさんにお別れとお礼を言って、本堂への階段を上がる。

 ほんの数人しかいない境内の本堂と大師堂でお経を唱える。
空は暗く、寒くなっているのでお経も早々に、山を登り奥の院を目指す。

 奥の院に行くには、境内から、一旦、少し下がったところから山道を
登らなければならない。

 この山道が、相当の道だった。
林の中は暗く、道には落ち葉が沢山落ちており、どこが道なのか
分からないようなところがある。
それでも、やっとの思いで登っていくと車道に出る。

 車道からは、階段状に整備された登山道を登り、再度車道に出ると、
左側に国民宿舎土佐があり、正面の参道を行くと奥の院だ。

まず、奥の院へお参りしようと思い、さらに、木立の中の細い登山道を登る。
少し行くと奥の院があった。

 奥の院は小さなお堂だが、参道はよく手入れされている。
お堂の手前には両側に小さな石仏が並んでいる。
 ロウソクに灯をともすと、周りがホッと明るくなったような気がする。
線香の香りが林の中に静かに広がる。
お賽銭を投げ、手を合わせてお祈りする。
頭の中になにも浮かんでこない。
なにも考えずに、ただただ手を合わせるだけだ。
  
 15:45分、国民宿舎土佐に着く。

やれやれ、これで今日一日のお遍路が終わった。
 フロントで宿料に記入した後、靴を乾かすために古新聞紙をもらう。
フロントの女性も親切に対応してくれる。
 国民宿舎土佐ではお遍路用の部屋に入る。
この部屋は、2段ベットが4つそれぞれ部屋の四隅に据えられ、
真ん中に小さなテレビといすが2脚ほどある。 
お茶も用意されており、設備としては文句ないが、物を置く場所がないのが不自由だ。
そのためかどうか知らないが、ござが数枚ほど用意してある。
宿では、ほとんど寝るだけの場所としている身にはこれでも十分だ。
 (今回の利用客は私一人だった。)

さっそく風呂に入りに行くと、内風呂の浴室に支配人がいる。
何か浴槽の中を調整中のようだ。露天風呂を進められたので、そちらに行く。
露天風呂は、最近作られたようで、ロビー横にある喫茶の外から階段を下がったところにある。
小さい風呂だが、浴槽からは目の前には太平洋が広がるという、抜群の眺望だ。
目の下には、打ち寄せる波が岩にあたり白波を立てている。
しかし、その波の音は聞こえない。
天気が良ければ、今回歩いてきた室戸岬の方が見えるのかもしれない。
だが、残念ながら、今日は、霞んでいる。
この浴槽の中で、足の指を揉んだり、膝を揉んだりしていると、
今日一日雨の中を歩いていたことを忘れる。

 今日は、今回のお遍路で初めて天気が崩れた。
昨日までは、本当に晴天に恵まれ、気持ちよく歩けた。
でも、今日の雨ぐらいなら風が付いていないので、篠つく雨と行ったところで、
歩いていてもほとんど気にならなかった。
雨より風の方が笠を飛ばされそうになり、そちらの方が気になる。
 明日からは、この冬一番の寒気が吹き込むらしい。
でも、北海道と違い、ここは南国、しかも四国だ。
いくら寒いと行ってもせいぜい氷点下数度の話だろう。
通勤で氷点下10度の中を歩いている私にとって何のことはない。
我慢できないほどの寒さが来るわけはないと思っている。

夕食膳はお正月の特別料理と聞いていたが、
なるほど、手の込んだ料理と思わせる物が出てきた。
しかし、酒の肴が多いため、お酒を飲まない食事中心の私にとって、ちょっと上品すぎた。
それでも、ご飯をお代わりすると気持ちよく出してくれたので、嬉しかった。
ここで、ご飯をお代わりする人はいないと思い、どうしようか考えたからだ。

 明日は、浦ノ内湾にもどって歩いて行くつもりだ。
この宿に泊まったのならば、このまま、横波スカイラインを歩いていく方が
近いのだと思うが、昔ながらの遍路道を歩きたかったので、宇佐大橋までもどることにした。


平成15年1月2日(阿波から土佐・第13日目)

2005-07-15 09:32:03 | 第2回(阿波から土佐)
1月2日(木曜日)
(第6日目・通算第13日目・歩行距離19.9km・歩行歩数30,826歩)

 6:00分、起床。
昨日買っておいたおにぎりやカップ麺で朝食を取る。

 7時前に駅に着く。
時刻表を見ると7:03分発の列車がある。
ちょうど良い時間なので、その列車に乗る。

 7:07分、JR土佐一宮駅に着く。
駅の陸橋を渡ろうとすると、ちょうどお日様が顔を出すところだ。
東の空がオレンジ色に輝き、太陽が顔を出した。
今日も天気が良いようだ。

 竹林寺を目指して歩き出す。
竹林寺のある山が南の方に見えているので、あまり迷うことはない。

 土佐一宮駅前を右に進み、しばらく行くと道は左へ曲がっている。
踏切を渡ると、正面に竹林寺のある山が見えている。
道なりに進んでいくと錦功橋に出る。
地図を見ると一本川下の橋を渡るようなので、川沿いの道を進む。
ほどなく、下の瀬大橋につく。
この橋を渡ると左側にサンピア高知の大きな建物が見えてきた。

 この辺りは、何となく見たような風景だ。
前回バイクで来たときに走った道のようだ。
市電道りに出てやっと思い出した。やっぱりこの道を走っている。

 市電通りを右折して、突き当たりを左に曲がり、真っ直ぐ進むと、
竹林寺へ続く車道の入り口だった。

 ここからは、ちょっと急な坂道で九十九折りの道となっている。
少し登ったところで大きな左カーブとなっているところがある。
そこに一台軽のバンが止まっており、猫が5~6匹いて餌を食べている。
首輪をしていないところを見ると野良猫のようだ。
路肩の落ち葉を掃いている中年の女性がいる。
この人が餌をやっているようだ。

 しばらく登っていくと、道が下り坂になっている。
ほどなく、左手に竹林寺の山門へ続く階段が見えた。

 8:35分、竹林寺に着いた。


第31番札所 竹林寺

 竹林寺はよさこい節に出てくる「坊さんかんざし買うを見た。」と歌われる、
この「坊さん」がいたお寺といわれている。 

 急な階段を登り山門の中に入ると参道の両側に灯明が配置され、
それが本堂へと続いている。

 境内は陽があたり明るくて気持ちがいい。
向かい合うように配置されている本堂と大師堂。
まず、右側にある本堂へお参りし、それから大師堂へお参りする。

 納経所は、境内から少し下がったところにある。
すでに数人の人がいるが、納経をしてくれる人の姿が見えない。
しびれを切らした人が呼び鈴を押すが誰も出てこない。
「売店はすぐ開いているのに、何で納経所に人がいないのだ。」と
毒ずいている人がいる。
まあ、まあ、待てばいいでしょうと言いたくなる。

 さらにしばらくすると、やっと、和服姿の女性が出てきた。

 納経も済ませ、山門からの階段を下ると車道のすぐ前にヘンロ標識を見つける。
標識にしたがって進むと、道は自然石で造られた階段となりどんどん下っていく。
 
 足が痛くなってきたので、立ったまま一息つくと、下の方に川が見えてきた。
五台小学校の角を左に曲がり坂本を歩くが道が狭く、歩道がないので堤防の上を歩く。
川面に反射する日差しがまぶしい。

 左手の奥に球場があるようで、打順の案内放送や歓声が聞こえてくる。
へんろ橋を渡り、唐津の集落を歩く。細い道がうねうねと続いている。
その脇には、車が走れる車道も平行して続いている。

 人通りのない道を歩いていると、前方に遍路姿の男の人が歩いている。
手には同行二人の地図を持っている。
この人の歩くスピードは私のスピードとほとんど同じなので、
つかず離れずの距離を保ちながら歩いていく。

 吹井のところで広い車道に出るがこの交差点で前を歩くお遍路さんが
地図を見ながらウロウロしている。
 私が右に曲がり進むと、その姿を見て後をついてくる。
  
 しばらく進むと右側に武市瑞山の住んでいた家と書かれた標識があるので、
ちょっと見に行くことにして、道路を渡ると、後ろを歩いているお遍路さんが
付いてこようとしている。

 「禅師峰寺へは真っ直ぐ行ってください。」と声を掛けて瑞山の住んでいた家へと向かう。
 瑞山の育った家だと思ってきたところは、家のあった跡のようだ。
がっかりして、元の道へ戻る。

 石土トンネルをくぐると左右に住宅が沢山建っているところに出た。
突きあたりに池がある。
この池を右に曲がりしばらく行くと、左側に禅師峰寺のある山が見えてくる。

  交通量の多い車道に出たところに、禅師峰寺への看板があり右を指している。
前を歩くお遍路さんはその標識を見て右に曲がっていく。
しかし、禅師峰寺は左にあるので、私は左に曲がる。

 少し行くとヘンロ標識があり右に曲がるように矢印が書かれている。
標識どおり進み、禅師峰寺の山の下に着く。
ここからは少し登って禅師峰寺となる。
車道横の山道を登る。
5分ほど歩くと10:25分、禅師峰寺に着く。


第32番札所 禅師峰寺
 
 禅師峰寺の境内からは、太平洋が広がり、遠くに浦戸湾にかかる
浦戸大橋や桂浜が見える。

 まずはお参りと荷物をベンチに置いて本堂と大師堂へお参りする。

 ベンチに腰掛けて浦戸大橋から続く海を眺めながら靴を脱ぎ靴下も脱いで、
すっかりくつろぎモードに入っていた。

 するとまもなく、私の前を歩いていたお遍路さんが来た。
話をすると、下北半島の大間から来ているおじさんで63歳とのこと。
毎年、お正月休みにお遍路をしており、もう3年くらい続けているとのこと。

 今日の宿を決めているのか聞くとまだだという。
私は雪蹊寺前の高知屋に泊まることを話し、その先になると種間寺のあたりには
宿がないので、土佐市まで足を伸ばさなければいけないことを話す。

 浦戸湾も浦戸大橋を歩いて渡るか、渡船で渡るか二通りの方法があるが、
私は渡船で行くつもりであることを話す。 

おじさんが先に禅師峰寺を立つ。

 足の調子を確かめると、今までなんでもなかった左足の小指と右足の膝が
急に痛くなってきた。特に右膝はお皿の上が痛くなっている。
どうやら、足の指が痛くなくなると別のところが痛くなってくるようだ。
 左足の小指が痛いのは、右足と同じように靴に切れ目を入れ楽にしようと思った。

 納経所へ行って納経を済ませると、納経所のお婆さんにカッターがあるなら
貸して欲しいとお願いすると貸してくれたので左足の小指あたりに切れ目を入れた。
これで、万全だ。

 納経所の手前にある台の上に手縫いの巾着が沢山置いてある。
大小いろいろなサイズがあり、古い着物の生地を使って作ってあるようだ。
どうやらお接待のようだ。
「ご自由にお持ちください。」と書いてある。
この中から、絞りの生地で作られている小さい巾着と一番大きな巾着を
二ついただくことにした。
小さい方はお賽銭を入れる袋にする。
マンドリンが書かれている大きな方は、記念だから妻へのお土産にするつもりでもらった。
巾着の中にポケットもついており丁寧に作られている。

  11:00分、禅師峰寺をあとにして雪蹊寺へ向かう。
 
まずは、渡船に乗るために種崎待合所へ向かう。

 途中に福家食堂というノレンの下がっている小さな店がある。
11:45分、ちょうどお昼時だしお腹もすいていたのでこの店で昼食を取ることにする。

お婆さんが一人でやっている小さな店だ。
お客さんは一人しかいない。常連さんのようだ。
狐うどん(400円)を頼む。
 話し好きなお婆さんでいろいろ聞いてくる。
北海道から来たというと、私も北海道へは一度行ったことがある。
息子が自衛隊にいるので北海道に配属されたときに呼んでくれた。
北海道の女性は色が黒いなどと、いろいろな話を聞かせてくれる。
お腹もいっぱいになったので、種崎待合所を目指して人気のない道を歩く。

 膝が痛くなったのでちょっと休もうと思い、種崎センターというスーパーの
陰に座り、靴を脱いでいたところへ買い物帰りのお婆さんが通りかかった。
 婆さんが荷物を置き、財布をとりだした。お接待だ!
200円を手にし「ジュースでも飲みなさい。」といって差し出される。
あわてて立ち上がり、お金を受け取ってお礼を言った。
 
12:55分、種崎待合所に着いた。
待合所には2~3人の人が船を待っている。
大間のおじさん遍路の姿が見えないので、どうしたか心配していると、やってきた。

 今日の宿をどうしたか聞くとまだ頼んでいないという。
おじさんが高知屋に電話すると宿泊OKといわれ、やっと今日の宿が決まる。
大間のおじさんは随分のんびりしている。

13:10分、フェリーに乗り、浦戸湾を渡る。
乗客は私たちを入れても5~6人だ。
 5分ほどで対岸に着く。
大間のおじさんと、ここからは川沿いに歩いていけばいいと話していると、
自転車に乗った若者が、「川沿いに行けばいいよ~。」と声を掛けてくれる。
 
13:35分、雪蹊寺に着く。


第33番札所 雪蹊寺

 雪蹊寺は山門がない。
 すぐ正面に本堂が見える。大師堂は本堂の右側にある。
それぞれにお参りして納経所へ向かう。
 雪蹊寺は本堂を新築するようだ。今の本堂は相当古い。

 前住職の三回忌を済ませたので新築を決意し、喜捨を求める旨の看板が立っている。
そういえば、バイクで来た時のお葬式が前住職のお葬式だったことを思い出す。

 納経を済ませたが、今日の宿は雪蹊寺の真向かいにある高知屋さんだ。
この時間では宿にはいるのは早いと思い、境内にあるベンチに座りぼんやりしていた。

ここで、明日の宿を青龍寺奥の院近くにある国民宿舎土佐に取ろう思い、電話する。
 国民宿舎土佐は、一旦、経営不振で廃業したが、池上さんという人が支配人になり
立直し中であり、歩きお遍路には特別に配慮をしていることがネット情報に
書かれていたので泊まってみたかった。

 フロントの人が「お正月料金でちょっと高いですが。」と言うが、頼むことにする。
1万円といわれたが、「歩き遍路です。」というと「お遍路さん用の部屋があるが
そこでも良いか。」といわれる。
「いいです。」と答えると、料金は8千円とのこと。
 これで明日の宿も決まったし、高知屋へ行くことにした。

「ご免ください。」と声を掛けると、元気なおばさんが出てきた。高知屋の女将さんだ。

 持っていた杖をすぐに取り、下の方を洗って渡される。
部屋に案内されると、洗濯物を出してくださいといわれる。
洗濯物を渡すと、風呂場の場所を教えてくれるなど、すごくてきぱきとしている。

部屋は、3畳ほどの個室だが、すぐ隣は大きな部屋で、そこの大間のおじさんがいた。
どうやら今日のお客さんは10人ほどらしい。

 部屋の中に新聞の切り抜きが張ってある。
記事を読むと、女将さんのお遍路に対する思いやりがよく書かれている。
特にお遍路さんが楽しみにしている食事の中で、鰹のタタキには十分満足してもらえる
ように気を使っていることが書かれている。夕食が楽しみだ。

風呂に入り、手足を伸ばし、足や指をよくマッサージする。
やっぱり、大きな風呂はいい。
 二日続けてビジネスホテルの風呂だったので、本当にゆっくりとした気持ちで風呂に入った。
そのあとは、部屋にある布団を広げ、少しウトウトとした。

 「夕食の準備ができました。」の声で、隣の部屋へ行く。
私を含めて男性が4人、席に着く。宿帳を書くようにいわれる。
夕食のお膳を囲むのは、女将さんと顔なじみの若い人と横須賀から来ている男性。
それに大間のおじさんだ。 

 女将さんの給仕により夕食が始まる。
女将さん肝いりのたたきを食べる。
ちょっと甘めに調理されている。
女将さんの話では、土佐の人は砂糖は使わないがちょっと甘くした方が
お客さんに喜ばれるので、私はそうしているなどと話してくれる。

 若い人が国民宿舎土佐に宿の予約をしようとしたが断られたと話している。
遍路だと言ったのに断られたと言っている。
私にはそんなことがなかったな~あと思い話を聞いていた。


 **土佐屋さんの女将さんの話**
   以前はお正月休みも営業していたが、最近は大晦日と元旦はお休みさせてもら
  っている。
建物が古くなってきたので、昔から使っていた建物は痛みがひどく、
  ギシギシとうるさいので2階だけに泊まってもらう。
 今日は、夫婦が3組泊まるので、その人たちに泊まってもらう。
  雪蹊寺の本堂を新築すること、などを話してくれる。
 
 ××××××××××××××××××××××××××××××××××××
 
 話を聞いていた若者が、大晦日とお正月を休むだけでそのほかの日は営業している
ことを串間さんのホームページに書いてもいいかと聞いている。  
どうやら、この若者もインターネットで掬水へんろ館を見ているようだ。
 (札幌へ帰ってから掬水へんろ館を見ていると、この高知屋さんのお正月休みのこ
  とを書いているのは、紀州の山猿というハンドルネームの人だった。)

 横須賀から来ているおじさんは、明日、清滝寺まで打って今回は区切るようだ。
「今回は雨具がじゃまになったので途中から自宅へ送ってしまった。」といっている。
「明日は夕方から雨なので、その前に打ち終えるから大丈夫だなどと話している。」
でも、テレビの天気予報では朝から雨の予報だ!
横須賀のおじさん、明日は大丈夫か?

 私の部屋は、食堂と歩き遍路さんが相部屋となっている大きな部屋に挟まれている。
壁が薄いので両方の話し声が筒抜けだ。

 大間のおじさんの話を聞いていると、今、63歳で、鉄工場をやっているが
30代と50代と2回も椎間板ヘルニヤの手術をしている。
何か体を動かすことをしたいと思い、富士山にも登った。
その後、何かをしたいと思っていたところにテレビでお遍路をやっていたので、
これだと思い歩き出した。
今は、鉄工場の経営を息子に譲り、現役を退いている。
ぼくとつな人柄で、話す言葉に訛があるのがいい。