四国遍路テクテク日記

「四国を歩いて遍路する。」にこだわって平成14年のGWから2年間、5回に分けて歩いた記録を中心に遍路に関するあれこれ。

夏遍路を終えて!(土佐から伊豫)

2005-08-09 09:10:35 | 第3回(土佐から伊予)
 今回のお遍路は、8月の盛夏を外しているとはいえ、
私にとっては30度を超える暑さの中を歩くということでは、まさに「夏遍路」だった。

 台風14号が九州・四国地方を直撃かという危機も、幸いに進路が西の方へずれたため、
台風一過の四国を歩き出し、台風15号の影響を受けた停滞前線による雨が1日降っただけで
後の日はほとんど晴天に恵まれるという、最高の天気の中お遍路が出来たのは幸せだった。

 気にしていた暑さも連日30度ほどの気温の中ではあったが、
初日を除くとそれほど気にならなかったし、何より、体の調子は良く、
足や膝も故障することなく歩けたため、予想以上に頑張ることが出来た。

 久百々から足摺岬を往復した45キロは、今までのお遍路を通して最長の距離を
歩いたことになる。

 宿泊したお遍路宿の女将さん達には大変お世話になった。感謝したい。

 今回も、全行程をほとんど一人ポッチで歩いていたが、峠道も寂しくはなかった。
なにより、遍路宿で同宿となった方々からいろいろな話を聞けたのが
一番楽しい時間だった。
夏に遍路をする人は少ないと聞いていたし、夏休み期間を外れて売る時期ではありましたが、
数人の遍路さんと同宿になり、いろいろな話が聞けました。
この暑さの中を歩いているという連帯感のようなものが感じられ、
楽しい会話が出来たのは幸せなことです。

 修行の道場・土佐は、札所間の間隔が広く、一日ただ歩くだけという日も多かったが、
不思議と疲労感はなかった。

「一人で歩く」という行為は、私に一番合っているようだ。
頭を空っぽにして、黙々と歩く! ただ歩く!
流れる汗と一緒に心の中のモヤモヤしたものが洗い流され、体の中に清涼感が満ちてくる。
疲れてくると自分自身の弱さも見えてくる。
歩くという行為がその弱さを自覚させ克服する勇気を与えてくれる。

遍路道を歩いていることでいろいろ考えさせられるものは多い。
自分の弱さの自覚、人の親切の暖かさ、ただ無心に唱える般若心経、
何のために歩いているのか分からなくなることもある。
でも、私は歩くことが止められない。
そして、歩いた先に何があるかを知りたくて続けている。
しかし、その先に何があるのか、私には分からない。
それを探して、さらに歩き続ける。

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  ##~五本指の靴下~##

    私は、お遍路で歩くときには五本指の靴下を使ったいます。
   五本指の靴下の方がマメが出来にくいという方がいらっしゃた
   からです。
    確かに五本指の靴下ですと指と指が擦れ合わないために、
   まめが出来にくいようです。
    指の1本1本が離れた感じは従来の靴下にはない開放感があります。
   しかし、指の長さなどには個人差があるため、指の収まりが悪く
   指の先端に圧迫感があり痛くなったり、指より靴下の方が長くて
   余った部分が邪魔になるなどいろいろな不都合が出てきます。
    私は、親指の先に圧迫感があり痛くなってきたので先端部分に
   切れ目を入れて、先端を解放するようにしました。
   また、小指に圧迫感があったので靴下の小指そのものを切り落として
   しまいました。
   こうすると、快適に歩くことが出来ました。
   この五本指の靴下ともう一枚薄めのソックスの2枚重ねで歩いて
   いました。
    歩くことに傷害となることは、早めに改善するのが大事です。
   靴や靴下に感じる不調はそのあとの歩きに大きく影響します。

   
   ##~マメの治療~##
    
     私は足に出来たマメは、その日のうちにマメの水を抜くように
    していました。 
     針の先をライターで炙って殺菌してマメに刺し、中の水を絞り
    出しておきます。
    治療はそれだけです。
    そして、マメが出来た原因が靴や靴下にあるならその原因を取り
    除くようにします。
    マメが出来たという結果を受けて、その原因を早めに改善する
    という考え方です。
    足の裏には歩いている歩数分のストレスがかかってます。
    マメの治療をいい加減にしてバイ菌が入り化膿するケースも
    あるようですので、くれぐれも殺菌には注意してください。
    

平成15年9月22日(土佐から伊豫・第26日目)

2005-08-08 09:25:50 | 第3回(土佐から伊予)
9月22日(月曜日)
(第10日・通算第26日目・歩行距離37.0km・歩行歩数56,854歩)

 5:00分、いつものように目を覚ます。
風邪を引いたと思っていたが寒気もなく、一晩寝たら良くなったようだ。
 ベランダの洗濯物を取り込み、ザックに積み込む。

 6時に食堂へ行くと、すでに、秋田のお爺さん達が食べている。
6時半頃に松山市へ向かうバスがあるようで、そのバスで浄瑠璃寺へ
行くようだ。
九州のご夫婦もやってくる。
食堂がにぎわった頃、食事も終わり、皆さんに挨拶をして、宿代を払うと、
大きなおにぎりを1個お接待してくれる。
お礼を言って、笛ケ滝を出発する。

 6:15分、昨日歩いた道を、また、大宝寺へ向かって歩く。
空気が冷えて寒いが、天気はいいようだ。
人気のない久万町の街を歩いて行くがボーとして大宝寺への曲がり角を
通り過ぎてしまう。
見慣れない景色なので立ち止まり、よく見ると曲がり角を過ぎていた。
ちょっと戻って、総門へ向かう。

 総門をくぐり、山道を歩いていくと、もう、お土産やさんが
店開きをしている。
おじさんに挨拶してから、もう一度道を教えてもらう。

 山道をそのまま進むと、ヘンロ標識があり、その先は山道となっている。
薄暗い杉林の中を歩く。
少し登りになってからダラダラと下っていく。

 7:10分、峠御堂トンネルの先にある車道に出る。
そのまま車道を下っていくと、河井の集落がある。

 7:25分、ここで一休みする。
河井の集落から、また道が登り坂となり、ダラダラと登って行くと
右手に山道の入り口がある。

 ここで車道から離れ、山道を進む。
山道を登っていくと、「マムシに注意!」と書かれた看板がある。
今までも山道を歩いていると、おそらく蛇だと思うが前方の草の中を
カサカサと音を立てて動いていたが、このようにマムシと書かれると
ちょっと緊張する。

 槇谷からの分岐点手前で、中年男性の遍路が歩いてくる。
挨拶を交わして、先を急ぐ。

 八丁坂の茶屋後の看板を過ぎると、やせた尾根道となり、
ほどなく岩屋寺が近くなったのか道が下っていく。

 この下り道の途中、途中に、沢山のお不動さんが祀られており、
せわり禅定の入り口が見えてくる。
そのままドンドン下ると、山門が見えてきて、やっと岩屋寺に着く。


第45番札所 岩屋寺

 9:15分、岩屋寺の本堂に着く。
本堂は太陽の光がまともに当たりまぶしく輝いている。
お参りしている人は、ほんの数人。
落ち着いてお参りができる。

 右手にある大師堂もお参りして、納経所へ行くと、奥さんからお菓子と
ミカンの接待を受ける。
お礼を言ってベンチで食べる。

 9:40分、岩屋寺を後にする。
岩屋寺からは、今来た道を戻るのではなく、一度、下まで降りて
車道を行くことにした。その方が早いためだ。

 階段をドンドン下りていく。
途中数人のお遍路さんとすれ違う。

 参道の両側にお土産やさんがあり、ショウガ湯を飲みませんかと
差し出される。
お礼を言ってご馳走になる。
ここでお店のおばさんと立ち話をすると、「河合から千本峠を通り高野へ
行く道は、止めた方が良い。最近は、ほとんど歩いた人がいないので
荒れ放題になっている。ここ2~3年は歩いた人がいないのではないか。」と
教えてくれる。
 車道を歩いて久万町まで戻り、三坂峠を目指した方が良いとアドバイスして
くれる。
でも、私はこの話を半信半疑で聞いていた。
インターネットを見ていてもこのような情報はなかったからだ。
折角の忠告だが、無視することにした。
おばさんご免なさい!

 バイクで来たときにお風呂に入りに入った国民宿舎小岩屋荘の前を通り、
車道をドンドン進む。

 10:40分、ゴルフ場の入り口で一休みする。

 11:05分、岩屋寺に至る山道の入り口を通りすぎる。

 11:25分、河合の集落を通り過ぎて、高野への入口を右に曲がる。
確かに夏草が生い茂り、道が見えずらくなっているところがある。
でも、それほどひどい道でもない。四国の道の標識もある。

 山道を登り終えるとここが千本峠か?
ここからは沢に向かって下っていく。
そのまま下るのかと思うと、また登っていく。この登りは一寸きつかった。
登り終えると数軒の家がある。どうやら高野のようだ。

 12:10分、ここで昼休みとする。
誰もいない車道に座り込み、笛ケ滝でいただいた大きなおにぎりを頬張る。
中に3種類ほどの具が入っており、おいしい。

 12:25分、お腹も一杯になったところで高野を立つが、
ここからは延々と下り道のようだ。
右下に採石場が見えているが、そこまでは下らなければいけないようだ。
イヤになるくらいドンドン下ると、
ようやく国道に出る。

 国道を右に曲がり、三坂峠へと向かう。
10分くらい歩くと、右側に高殿神社と大きな自然石に書かれた門がある。
奥の方を見ると、神社の社が見える。

 道が少しずつ登って行くが、暑さのため足取りが重い。

 13:20分、東明神にある閉じているお店のベンチを借りて一休みする。
自販機があるので冷たいファンタを買って、一息つく。

 1台の軽トラックがやってきて、お爺さんが降りてくる。
話しかけられたので、札幌から来ていることなどを話していると、
「三坂峠の旧道は誰も通る人がいないので荒れ放題になっている」と、
話してくれる。
あれあれ、どこかで聞いたような話だと思い、岩屋寺のお土産店の
おばさんの話を思い出す。
この時も、行ってみなければ分からないと思っていた。

 13:30分、重い足取りで坂道を登っていく。
そろそろ峠に近いはずだと思って歩いていると、
左手で大きなトンネル工事をやっている。
どうやら、三坂峠をショートカットするトンネルを造っているようだ。
かなり大規模な工事のようだ。
この工事現場を見ながら登っていくと、ほどなく、道が左に曲がっている。
ハッとしてみると、右手の草むした道にヘンロ標識を見つける。
どうやら三坂峠のようだ。 

 14:10分、車道脇から右手にのびる遍路道を進む。
民家の横からいきなり急な下り坂となる。
九十九折りの道がドンドン下っている。
転ばないように杖の助けも借り、ドンドン下る。
左の膝が悲鳴を上げる。
やっと傾斜が緩やかになったところで、舗装された車道となる。
この道をまた延々と下っていく。

 道の両側には田んぼが広がっている。
しかし、ほとんど黄金色で、ところどころで刈り入れが行われている。
収穫の秋なのだ!

 車道は、その田んぼの中をうねうねと下っていく。
 歩き疲れて、一寸休憩する。
地図を見ても全然進んでいない気がする。

 歩き出して、ほどなく網掛石大師堂に着く。
左手に真新しいお堂があり、右手には大きな石があるが、
その石の表面はまるで網を掛けた後のように窪んだ模様が残っている。
それで、網掛石と言われているのか。

 ここを少し下ったところで珍しいものを見た。
ブドウ棚みたいなものが道の脇にあり、何の気なしに見ると
緑色の葉っぱの下に5センチほどの深い黄緑色で楕円形の玉が数個なっている。
よく見ると、キィウイのようだ。
キィウイが生っているところを初めてみた。

 前方の方に街が見えてくる。
どうやら浄瑠璃寺のある坂本の街のようだ。
疲れた体に活を入れた歩いていくと、右手に4階ほどの大きな建物が見える。
長珍屋と書かれた看板がある。
長珍屋の向かい側が浄瑠璃寺だ。


第46番札所 浄瑠璃寺

 16:10分、浄瑠璃寺に着く。
階段を上がり境内に入る。正面に本堂が見える。
手水で手を洗い、本堂へ向かう。
今回、最後のお寺となるので、本堂と大師堂で気持ちを込めてお経を唱える。

 納経所で納経を済ませた後、松山市内へ行くバスの時間を聞くと、
まだ1時間ほどあると教えてくれる。
「八坂寺まで行っても間に合いますよ。」と言ってくれたのだけど、
ここから先に進む気持ちは湧いてこなかった。 

 八坂寺までは1キロもないので十分間に合うけれど、
「この次は、ここから始めたいので!」と言って、ベンチで休ませてもらう。
家に電話し、妻に、無事に松山市まで来たことを伝える。

 これで今回のお遍路は無事に終えたことになる。
ベンチに座っていても、ただただ頭がボーッとしていた。

 松山市内へ向かうバスの中で、運転手さんに大阪へ行く深夜バスの
乗り場のことを聞いた。
すると、バスの終点である松山市駅まで行くといいと教えてくれる。
良く聞くと、松山にはJR松山駅と、バスの発着場となっている
松山市駅という二つの駅があるようだ。

 終点の松山市駅に着いたが、そこは、別に駅の建物があるわけではなく、
高島屋などのデパートがある繁華街だった。
道路の中央に路面電車の発着場があり、回りの歩道が
バスの発着場となっている。

 高島屋でお土産を買い、店員さんにこの近くでお風呂に入れるところが
ないか聞くと、路面電車で15分もあれば道後温泉にいけると教えてくれる。
運賃も150円ほどですと言われ、道後温泉まで行くことにする。
 
 路面電車に乗って道後温泉に着くと、以前、バイクで来た場所に着く。
ここに道後温泉の建物があると思ったら、どうやら、ここから商店街を
抜けた先の方に、あの古めかしい道後温泉の建物があるようだ。
 杖のほかに笠を持ち、お土産も持って道後温泉へと向かう。

 3~4百メートルも歩いただろうか、商店街を右に曲がると、
すぐ前に、あの建物がある。
入口は沢山の人でごった返している。
下足箱に靴をしまい、荷物の置き場所を聞くと、横の方にある廊下に
置いて下さいと言われる。
廊下には、紙がひいてあるだけで、そこの上にザック、お土産の袋、
杖に笠を置いて風呂銭を払い、中へはいる。

 お風呂場は、特にどうっていうことのない風呂だ。
単なる銭湯と言っても良いくらいだ。
 でも、汗まみれの疲れた体にはお湯が沁みる。
日焼けした脹ら脛には、沁みるどころの話ではないが、我慢してはいる。

 汗も流して、サッパリしたところで松山市駅に戻ろうと思い
脱衣所を出ると、女湯の脱衣所の前で「かあさん!かあさん!百円くれ~」と
大きな声を出している男性がいる。
どこかで聞いた声だと思い顔を見ると、なんと、同じ職場にいる人ではないか。
ビックリしてしまった。
どうやら、脱衣所のロッカー代を奥さんから貰うために女性用脱衣所の入口で
叫んでいたのだ。
脱衣所前の通路には沢山の人が行き交っており、こんな場所で大きな声を
出せる人はそうそういないだろう。

 この人と挨拶を交わしてから玄関へ向かったが、後で考えると
私が百円を上げれば良かったと思ったが、その時には、そんな簡単なことも
考えつかなかった。

 道後温泉の商店街で夕食を取り、松山市駅へ戻る。
23:00発、梅田行きのバスに乗り、四国を後にする。

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  大宝寺と岩屋寺は打戻になるから先に岩屋寺を打ってから大宝寺へ
 戻るのがよいといわれてる。
  しかし、私が歩いた感じでは大宝寺から岩屋寺を打って三坂峠へ歩い
 ていく順打ちで何も問題はないように感じた。
  地図上では同じ道を戻るように見えているが、実際に歩いた印象では
 同じ道を戻るわけではない。
 特に、高野を通としたら久万の市街には戻らないので、同じ道は歩かない。

  どのコースを歩くかは人それぞれだと思うが、初めて歩くなら順打ちを
 すすめます。 

平成15年9月21日(土佐から伊豫・第25日目)

2005-08-05 09:23:37 | 第3回(土佐から伊予)
9月21日(日曜日)
(第9日・通算第25日目・歩行距離38.0km・歩行歩数56,466歩)

 5:00分、起床する。
外を見ると、まだ薄暗いがどうやら天気は良さそうだ。
 おにぎりを一つ食べて裏口から宿を出る。

 5:50分、今日は久万町までの長丁場だ。気を引き締めて歩く。

運動公園をドンドン下がると市街地に出る。
せっかく内子まで来ているのだから、「内子座」だけは見てみたかった。
捜しながら歩いていると、「内子座」は、すぐに見つかった。
建物の外観だけ見て、写真を撮る。

 国道へ出て左手に進む。
ほどなく、交差点があり、右手に大宝寺の標識がある。
右手に曲がり、台風の余波の強い風に吹かれながら歩く。
強い風に吹かれていると寒気がするので雨具の上着を着る。
道路は、狭い谷間の中をうねうねと登っている。

 6:50分、中土橋と書かれたバスの停留所で一休みする。
停留所の中まで冷たい風が吹いてくるので、窓を閉めて休む。

 前方にトンネルが見えてくる。長岡山トンネルだ。
トンネルを抜けた先に、倉庫のような建物があり、「お遍路無料宿」と
書かれた大きな看板が掛けられている。
中を見てみると、畳が数枚立てかけられており、右奥には一段高くなった
ところに畳が一枚ひいてある。
壁にはお世話になった人の納め札がたくさん貼り付けられている。
左手には、いろんな農機具が置かれている。
コンクリートの土間なので、床に畳をひいただけで寝るのは
ちょっと大変かと思う。
でも、この辺りは、宿もないので野宿の人達には貴重な宿だと思う。

 このお遍路宿のすぐ先の道路の反対側に建設会社がある。
庭を見ると、2メートルはあろうかという大きな石碑が建てられており
目を引くので、よく見ると「念ずれば花開く」と俳句が彫り込まれている。
この俳句は、確か前神寺の山門を入ったところの石碑にも刻まれていた
ことを思い出す。
自分の庭に、これほど大きな石碑を建てるのは、
よくよくこの句が気に入ったからなのだろうか?
 私も、この句は好きだ。
「一途に思えば、きっと道は開ける。」と解釈している。
 
 谷間にウネウネと続く道をドンドン歩いていく。

 8:00分、掛木の集落で一休みする。

 1時間ほど歩いたところで路木という集落に来る。
この集落に来たときに、両側にあるお店の配置を見てハッとした。
確か、以前、バイクで来たときにここにあるお店で買い物をしたはずだ。
でも、右側にあるお店は建て直したのか立派なものとなっている。
このお店のすぐ先に、大師堂がある。
どうやらこれが「千人宿記念大師堂」のようだ。

 この集落のはずれで、家の前に袋詰めした柿を売っているお婆さんがいる。
挨拶して通り過ぎようとすると、柿をお接待すると行ってくれる。
柿を2個もらい、今、食べるならと言って皮をむいてくれる。
お礼を言っていただくが、甘みが薄い。
話を聞くと、これは渋柿で、炭酸ガスで渋抜きをしている、
冬柿でないので甘みが薄いのだと教えてくれる。
納め札を渡し、お礼を言って別れる。

 9:50分、内子町から小田町に入り、梅津橋を渡るとすぐに突合の三叉路だ。
以前は、ここに「さかえや旅館」という宿が1軒あったのだが、
今は廃業している。
でも、建物は残っており、壁にヘンロ標識が張られている。
この分岐点からは、左手を進み、ひわた峠を越えて久万町の大宝寺までは
20キロ余りだ。
これから峠道を越えなければならない。気を引き締めて歩く。

 10:30分、ちょっと早いけれど谷の宮口で昼食を取る。
天気はいいのだけれども、風が強く肌寒い。
日当たりの良い場所でおにぎりを食べる。
 
 11:00分、落合大師堂が右手に見えてくる。
小高い山の中腹にお堂が見えている。

 11:55分、臼杵で休憩する。
久万町の宿に電話しようとするが、山間部のため携帯が圏外となっている。

 休憩後しばらく歩くと、右手に立派な神社が見えてくる。
三嶋神社だ。大きくて立派な鳥居がある。
この臼杵にはほんの数軒しか家がないけれど昔はもっと大きな集落
だったのだろう。
今の集落には不釣り合いなほど大きな神社だ。
でも、このように小さな集落に不釣り合いなほど大きな神社には
あちらこちらでお目にかかっていたはずだ。
これが過疎が進んだ四国の現状なのだろうか。

 12:50分、車道の突き当たりにくる。ここからは山道となる。
山道で一気に高度を稼ぐと下坂場峠のようだ。
しかし、そこで、また車道と合流する。

 この峠からは携帯が通じるので久万町の「民宿笛ケ滝」へ電話し、
今晩の宿をお願いする。

 ここからは車道をどんどん下ると宮成の集落に着く。

 13:15分、ここにも立派な神社がある。葛城神社だ。
石造りの鳥居があるが、最近修復したらしく、上の方の石の色が
真新しく光っている。
鳥居に横にある石碑をみると、数年前の芸予地震で鳥居が倒れたものを、
個人の寄付によって修復したと書いてある。
このような場所にある神社の鳥居を百万以上のお金を寄付して修復する人が
いるとは信じられなかったが、立派に修復されている。
これが歴史ある土地というものなのだろうか?

 宮成からは、いよいよ、ひわだ峠へと進む。
細い車道が続くが、その道がどんどん細くなり、とうとう山道となる。
だんだん急になってくるが、両側は手入れされた杉林で気持ちがいい。

 14:10分、鴇田峠に着く。
「鴇田峠」の由来がかかれた掲示板があるので読んでみると、
弘法大師が88カ所開基の折り、大洲からずーと雨続きで、
この峠でやっと晴れ、「日和りだ」といったのが訛って「鴇田」と
なったようだと書かれている。

 この峠からは、あとは下るだけで久万町に着く。もう一息だ!

 14:45分、久万町の国道33号に着く。
ちょうどお店があったので休憩する。
ここまで来れば、後は大宝寺へのお参りを済ませてから
宿へ行こうと思っていた。

 国道と平行している旧道へ入り歩いていると遍路石があり、
右手が大宝寺と指さしている。
右に曲がると、大きな門が見える。
大宝寺の総門だった。
そのまま進んでいくと、お土産やさんの先に見覚えのある山門が見えてくる。


第44番札所 大宝寺

 15:10分、大宝寺に着く。

本道への階段を上がると数人のお遍路さんがお参りをしている。
本道と大師堂へお参りを済ませると、納経所の前にあるベンチに
荷物をおいて境内をぶらぶらする。
 これで、88カ所の半分を終えたことになるが、
疲れているためか何の感慨もない。
境内は冷たい風が吹き抜けて寒くなった来たので、宿へ向かう。

 宿はすぐ分かった。
バスセンターの隣にあるマンションのような建物だ。

 16:10分、民宿笛ケ滝に到着する。
1階にある食堂で受付をして鍵を貰う。
部屋は3階ですといわれる。
部屋に入ると、ふつうの宿とは全く違い、
1Kのマンションのような部屋だった。
手前にお風呂と台所があり、奥に8畳ほどの部屋が一部屋あるだけだ。
ベランダには全自動の洗濯機も置いてあり、洗剤も置いてある。
至れり尽くせりだ。

 風呂にお湯を張り、ベランダで洗濯をする。

 風呂に入り冷えた体を温める。
その後は、夕食の時間まで布団の上でウトウトする。

 夕食ですと電話がかかってきたので、食堂へ行こうとして布団を出ると
急に寒気がしてきて歯もガタガタと鳴る。
体にも震えが来て、立っていられない。
あわてて布団に潜り込んで、体を丸くして震えの治まるのを待つ。
やっと、震えが止まったので、ありったけの服を着る。
雨具の上着まで着て食堂へ行く。
部屋の外で風に吹かれるとまた寒気が襲ってくる。
小走りで食堂へ向かう。

 食堂にはすでに5人のお遍路さんが食事をとっている。
挨拶をして空いている席に着く。
 最初は皆さん黙々と食事をとっていたが、誰彼となく今日のことなどを
話し合うとやっと皆さんの人間像が分かってきた。

 私の左手に向かい合って座っている人はご夫婦で、
ご主人は80歳、奥さんは72歳と話してくれる。
ご主人は何回か歩いて回ったことがあるが、今回は奥さんも一緒なので
交通機関を利用しながらお遍路をしているようだ。
九州なので数日前にフエーリで四国に渡ってきたと言っている。

向かいに座っている人は、私とほぼ同年代だ。
福祉関係の仕事をしているようだ。1番の霊山寺から歩いている。
鯖大師が山道に下げている黄色いヘンロ札には随分助けられたので、
ご住職にお会いしたが、そこでも良い話を聞かせていただいた、と
話してくれる。

 右側の男性二人は秋田から来た68歳のお爺さんと、
私と同年代の坊主頭の男性だ。
秋田のお爺さんは、徳島県を歩いただけで足を痛めてしまったので、
そこからは交通機関を利用してここまで来たと話してくれる。
 右にいる男性も徳島で足を痛めたので、このお爺さんと一緒に
交通機関を利用しているようだ。

 この男性は、最初は、「ひっこみ」達と一緒に歩き出したと話してくれる。
男性の言葉には訛りもあり「ひっこみ」という言葉の意味が分からず
何回か聞き直したところ、向かいにいる男性が「引きこもり」
いわゆる自閉症のことだと教えてくれる。

 この話を詳しく聞くと、
  どこかのNPO法人が全国に呼びかけ、自閉症の人達を集め
お遍路をすることによって自信を取り戻してもらおうと企画したものだ。
 十数人の応募があり9月初めから歩き出したが、1日10キロほどの日もあり、
宿もお寺や福祉施設にお願いしたり大変なようだ。
 この男性は、足を痛めたこともあり、この集団から抜け出して、
交通機関を利用しながら先に進んできたようだ。

 自閉症の人達を治療するためのお遍路という話は初めて聞いた。

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 この話は、11月になってからNHKの朝のニュースで取り上げられたのを
 見ました。
 千葉県浦安市にあるNPO法人ニュースタート事務局が全国に向け「引きこ
 もり」や「不登校」など自閉症の人達を約2か月ほどで88カ所を歩いて回る
という企画を立て、全国から募集を開始したところ、かなりの反響があり、
 男女13名の応募があった。
 9月5日から歩き始め、11月5日に結願を迎えたとその様子が報じられた。
その中で神戸市に在住の30代の織物工芸家を目指している女性が、ただ一人、
全行程を歩いてお遍路を終えた様子も紹介されていた。
 来年3月には2回目を企画しているらしい。  

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 私の向かいに座っている男性が、この後は北条市にある鎌大師の
手束妙絹尼さんにお会いしたいと言っているので、
手束妙絹尼さんはこの4月末で鎌大師を離れているようですと教える。

笛ケ滝の夕食には、キジ鍋が出ている。
季節は夏なのに鍋とは珍しいが、体が冷え切っている私には、
ありがたい鍋だ。この鍋を食べるとからだが暖まってくる。

 明日の朝食の時間を聞くと6時からだというので、その時間でお願いする。

平成15年9月20日(土佐から伊豫・第24日目)

2005-08-04 08:59:16 | 第3回(土佐から伊予)
9月20日(土曜日) 
(第8日・通算第24日目・歩行距離29,1km・歩行歩数41,406歩)

 5:00分、起床。外はまだ暗い。
コンビニから買ってきたおにぎりで朝食を取る。
6時近くなってきたが、外はどんよりと曇っており、今日は天気予報どおり
雨かと思っていた。
荷物もできたので出発しようかと思った矢先、外でパラパラという音がする。
窓を開けて外を見ると雨が降ってきた。
あわてて雨具を出し、上下の雨具をしっかり着てホテルを出る。

 6:00分、そぼ降る雨の中を、まだ車の少ない国道を内子町を目指して歩く。
時折、走ってくる大型トラックの巻き上げるシブキと強い風に菅笠を
吹き飛ばされないように手で押さえながら歩く。

 雨は、時折強くなったり、小降りになったりしているが、止む気配はない。

 7:05分、信里で、民家の軒先を借りて休憩する。
空は幾分明るくなってきたが、相変わらずどんよりと曇っている。
この辺から少しずつ道が登ってきているので、もう少しで鳥坂(とさか)峠かと
思っていた。
 実は、鳥坂トンネルを通らずに鳥坂峠を歩く道があるのだが、
雨降りの峠道は歩く気がしないので、トンネルを抜けることにしていた。

 段々と傾斜を増してくる車道を30分ほど歩くと前方にトンネルの入口が見える。
鳥坂トンネルだ。
15分ほどでトンネルを抜けると、雨は止んでいた。

 道も下り坂になっている。
そのまま少し下っていくと札掛橋があり、その先にドライブインがあったので
休憩する。
地図を見るとウッディーライフのところだった。

 8:30分、雨具を脱いで軽快に鳥坂峠を下る。
空気がしっとりとしていて、今までの暑さが嘘のようだ。
 
 峠道を降りきったところで、左側から国道97号と合流し高速道路の入口などが
ある交差点に来る。

 遍路道は肱川の右岸へと続いている。
市街地を避けて肱川の右岸にある静かな道を進む。
柚木の辺りで肱川を渡り、市街地へと入る。
肱川の川原を見ると、広い河原に横断幕が掛けられたところがあり、
どうやら芋煮会のような野遊会が行われる会場のようだ。

 大洲神社を右手に見て古い家並みの中を歩く。
その中に、木造でボロボロの家が並んでいるところを見つける。
家には誰も住んでいないようだが、瓦屋根からツタのような植物が下がっている。
江戸時代の長屋のような家だが、二階建てだから違うのだろう。

 この家を見ながら適当に歩いていると肱川にぶつかってしまった。
左に曲がり、進むと国道に出る。

 9:35分、肱川橋の手前に立派な東屋の休憩所があったので、
そこで休むことにした。

 休憩所を出発したところで、お金を降ろそうと思い郵便局を探しながら歩く。

 肱川橋から少しいったところに若宮郵便局があると地図に書かれている。
丁度ガソリンスタンドがあったので聞いたところ、
少し行きすぎていたようなので戻る。

 若宮郵便局でお金を降ろし、もと来た国道を歩き出したところで
急に強い雨が降ってくる。
自動車販売会社の軒先を借りて雨具を着る。

 そのまま国道を歩いて行くと歩道がなくなってしまう。
道路の反対側に歩道があるのでそちらへ渡ろうとするが、
交通量が多いのでなかなか渡れない。
やっと車が少なくなってきたので、走って反対側に渡る。

 大洲市街を抜けてしばらく進むと十夜が橋だ。
この十夜が橋には別格のお寺があるのでお参りをする。
ザンザン降りの雨の中で大師堂にお参りをする。
納経を済ませ、十夜が橋の下にある大師像にもお参りをする。
雨はいっこうに止む気配もないし、お腹がすいてきたので、
すぐ横の亀屋といううどん屋で昼食を取ることにする。

 11:00分、昼食時間にはちょっと早いのか、お客さんが誰もいない店の中で、
ずぶ濡れの体なので、ほかの客の迷惑にならない一番隅の方に席を取る。
 雨具を取り、温かいうどんを頼む。
うどんが来たので薬味皿を持ち薬味を入れようとしたとき、
手が滑って薬味皿を床に落としてしまう。
床に落ちた薬味皿が割れ、薬味が散ってしまう。
店員さんが駆けつけて掃除をしてくれる。
お詫びとお礼を言う。

 温かいうどんは冷たくなっていた体を温めてくれる。
うどんを食べ終わって、外を見ていたが雨は止みそうにもない。

 11:30分、亀屋さんを出発する。
国道をひたすら内子町目指して歩く。
30分ほど歩いたところで雨が上がってきたので、雨具を脱ぐ。

 国道の横を平行して川が流れており、その左側に集落が見える。
どうやら旧道は、川の向こうにあるようだ。
いまさら旧道に行く気もしないので、ドンドン国道を歩いていく。

 国道が少し登り坂になったところで右側にある細い川を見ると、
川幅が3メートルほどしかないの川に40~50センチはあろうかという鯉が
数匹悠々と泳いでいる。
川の水はきれいなので川底も見えるが、せいぜい20~30センチほどかという
浅い川だ。これにはビックリしてしまった。
いくら田舎の川だといっても、自然の川にこれほどの鯉が悠然と泳いでいる
ところがどこにあろうか。
誰もこの鯉を捕ろうとしないから大きくなれるのだろう。

 この川のすぐ先の国道脇に10軒ほどの集落が見える。
何の気なしにこの集落にはいると、右手に大師堂がある。

 12:30分、大師堂の上がり框に腰掛けて休むことにした。
向かい側に集会所があるので、見ると二軒茶屋集会所と書いてある。
この集落は二軒茶屋というようだ。
のんびりと、大師堂で休んでいると雨がまた降ってくる。
それほど強い降り方でもないので、しばらく休むことにした。
 
 13:00分、なかなか雨も止まないので、出発することにした。
登り坂の国道を上がりきったところが、五十崎だった。

 ここで国道と別れ、左手の遍路道を進む。
山の中の農道を進むと小高い山があり、それを越えるとドンドン下っていく。
果樹園の標識がたくさんある場所をさらに下っていくと、運動公園へ出た。
「ハイプラザうちこ」は、この運動公園の中にあるはずなので、
そのまま下っていくと左手に「ハイプラザうちこ」と書かれた看板を見つける。

 左手の道を少し登っていくと駐車場があり、その奥に今日の宿はあった。

 13:30分、今日の宿「ハイプラザうちこ」に着く。
ちょっと早い時間だけれどチェックインするために受付カウンターに行く。
案内された部屋は、従業員以外立ち入り禁止と書かれた鉄のドアを開け、
その中にある六畳間の部屋だ。
同じような部屋が二部屋ある。
部屋の中は狭いだけで、テレビもクーラーも完備されており、
設備は申し分がない。

 洗濯場所などを聞くと親切に教えてくれる。
濡れた靴を乾かすために新聞紙をもらうと、ボイラー室に置いた方が
早く乾くと教えてくれる。

 靴に新聞紙を入れてボイラー室に持っていき、
洗濯機を借りて洗濯をすると何もすることがなくなってしまう。
風呂は四時からと聞いているので、押入から布団を出して一寝入りする
ことにした。

 一寝入りして目を覚ますと雨は止んでいた。
四時を過ぎていたので、風呂に入り汗を流す。
久しぶりに大きな湯船に入る。
風呂から見ると下の方に内子の街が見えるが、歩いては行く気もしない。
ただ、ダラダラと時間をつぶす。

 夕食の案内を受けたので食堂へ行くが、夕食善を見るといわゆる
観光地のお食事といったもので、物足りなかった。
でも、しっかりと食べる。
明日の朝も早いので、おにぎりを頼み、会計も済ませておくことにした。
これで、明日はいつでも出発できる。

  ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

   この日は、今回のお遍路で初めて雨の中を歩いた。
  雨は、時折、降ったり止んだりしながら夕方まで上がらなかった。
  炎天下を歩いてきた体には、ちょうどよい骨休めになったようだ。
  宿では、温泉でゆっくりお風呂に入り、ウトウトと昼寝も出来て、
  リフレッシュできました。

   宿の従業員の方達も親切で、とても気持ちよく泊まることが出来ました。

平成15年9月19日(土佐から伊豫・第23日目)

2005-08-03 09:31:53 | 第3回(土佐から伊予)
9月19日(金曜日)
(第7日・通算第23日目・歩行距離28.1km・歩行歩数44,256歩)

 5:30分、ちょっと遅めに起床。
荷物をまとめていると、6時過ぎに、「朝食の用意が出来ましたよ~」と
声がかかったので、荷物を持って1階の食堂へ行く。

 建設作業の人達に混じって、カウンターで朝食を頂く。
いつもは6時前には朝食を終えていたので、今日はちょっと遅めの朝食だ。
さっさと朝食を食べ、朝食準備で忙しい宿の人にお礼を言って、
6:35分、出発だ。

 宿からは右手の方へ行くと国道にぶつかるが、その国道が左に曲がって
くるはずなので、そこら辺で合流できると思い、真っ直ぐに歩き出す。
早朝のため人気のない宇和島の街を歩く。

 左手が港のようで、そちらに松山方面と書かれた大きな標識のある
広い道路が見えたので、バイパスかと思い左に曲がり、その広い道路を進む。

 しばらく歩くと、その道が高架線へと続いていく。
その先にはトンネルが見え、どう見ても、人が歩いていけるような道ではない。

 右側に曲がり、丁度、犬を連れたおばさんに国道への道を聞いたが
よく分からないようだ。
でも、右手に行けば駅の方だと教えてくれるので、お礼を言って歩き出す。

 すぐ先で、お爺さんが、「お遍路道は、すぐ先の角を左に曲がり、
川にぶつかったところを右に進むといい。」と教えてくれる。
お礼を言ってその通りに進むと、小さな川にぶつかる。

 右に曲がってそのまま進むと、左手に和霊神社という、
大きく立派な神社が現れる。
地図を見ると、遍路道のすぐそばにこの神社が書かれている。
どうやら、コースは間違いがないようだ。
和霊神社の前をそのまま進むと、5分ほどで国道へ出た。
あとは、このまま左に曲がり進めばよい。

 上を見ると真っ青な空が広がっている、今日も天気がいい!!
時折吹いてくる風に吹かれて、交通量の多い国道を歩いていくと、
丁度、通学時間にぶつかり、前の方から自転車に乗った中学生や、
歩いて小学生がやってくる。
挨拶しながら歩いていく。

 挨拶をしていくのは小学生が多いが、中学生も時折挨拶していく。
でも、高校生となると、無視される。

 7:45分、根無川に沿って歩いていくと、梅林口と書かれたバス停が
あるのでちょっと一休み。

 休んでいる間に、中年のお遍路が一人追い抜いていく。
笠を被らずに登山帽を被っているが、手には杖を持ち、白衣も着ている。
首に巻いたタオルで汗をふきながら歩いていく。

 この中年遍路の後を追いかけるように歩いていく。
 
 しばらく歩くと、車道の左手にお地蔵さんが祀られている。
隣に石造りのヘンロ標識がある。
遍路標識に書かれている文字をよく見ると「中務茂兵衛」と刻まれている。
 中務茂兵衛の設置した遍路石を見たのは初めてだ。

 務田まで来たところの交差点でどちらへ進むのか分からなくなってしまった。
左手に龍光寺の標識があるが、これは、車用のものだ。
辺りをキョロキョロと見渡すと、真っ直ぐ山に向かっている道に
中年遍路の姿が見える。
その後を追うことにする。
田圃の中の道を、前方に見える山を目指して歩く。

 住宅が建て込んだ街に来たと思ったら、龍光寺と書かれた標識を見つける。
この標識に従って行くと、細い路地の正面に赤い鳥居が見える。
龍光寺だ!


第41番札所 龍光寺

 8:55分、龍光寺に着く。
龍光寺はお稲荷さんと関係があるのでお寺の山門代わりに鳥居がある。
鳥居をくぐり急な階段を上がると、左手に納経所があるので、
その前にあるベンチにザックを置いてお参りをする。

 龍光寺は山の中腹に建てられており本堂と大師堂も小さく、
こじんまりとしたお寺だ。
人影のほとんどない狭い境内の中で太陽を燦々と浴び一息つく。

 中年遍路が納経所の前を通り、左手へと歩いていく。

 9:25分、龍光寺を後にする。
階段を下りて、今、来た細い小路を戻る。
住宅街を右に曲がる。そのまま、右に右に進んでいくと大きな交差点に出る。
ちょっと方向を見失ってしまったので、丁度、トラックが止まっていたので、
佛木寺への道を聞くと、右へ進めばいいと教えてくれた。

 丁度、龍光寺の裏手あたりへ来たときに、右手にある木に小さな
ヘンロ標識を見つける。
地図をよく見ると、龍光寺から直接ここまで歩き遍路の道がある。
どうやら、遠回りをしてしまったようだ。
 

第42番札所 仏木寺

 10:05分、仏木寺に着く。
仏木寺の門前では、アイスクリームを売っているおじさんがいる。
お参りを済ませて、アイスクリームを買ってから脇にある東屋で休む。

 東屋には、お遍路とおじさんの二人が休んでいる。
お遍路さんは、歩いているようだが、車が止まるのを見ると、
「今日の納経料を稼がねば」といって、托鉢用の小鉢を持って門前へ向かう。
残ったおじさんと話をすると、「写生をしながら車でのんびりとお遍路を
している」と話してくれる。

 アイスクリームを食べ終えたところで、日が高くなるに従って
ドンドン暑くなってくる。
この後は、歯長峠越えもあるので仏木寺を後にする。

 10:35分、佛木寺前の道を真っ直ぐに進む。
橋を渡ると、右手に曲がり、田圃の中を進む。
ほどなく車道と合流し、左へ曲がり、歯長峠を目指す。

 車道から歯長峠への山道にはいると鎖場が2カ所ほどある。
狭く急な山道に鎖とロープが斜面に設置されている。
下を見ると、車道が見える。この鎖場を一気に越えると、
道は少しなだらかになり、送迎庵見送大師に着く。

 11:35分、ここから少し下り、四国電力送電線下で休む。
峠道は樹木が太陽を遮ってくれるので気持ちよく歩ける。

 11:50分、腰を上げて、しばらく行くと、山道の路面がツルツルと
滑りやすくなっているところに来る。
どうやらここが「路面浸食流失」と書かれている地点のようだ。
ここは、雨水が山道を流れるために表土が流され、その下にある岩盤が
露出してしまっており、その岩盤が滑る岩なのだ。
杖を使い注意して下る。

 歯長峠を越え、国道と合流したところを左に曲がる。
太陽の直射を浴びる。車の騒音と暑さのため頭がぼーっとしてくる。
国道の右側に旧道が走っているので、そこを歩く。
旧道はほとんど車が走っていないのでホッとする。
もう少しでレストランみやこだ。ここで昼食と取ろうと思い頑張って歩く。

 12:45分、レストランみやこに着く。
名前はレストランとなっているが、中に入ってみると小上がりと
テーブルがある単なる食堂だ。
しかし、冷房が良く効いており涼しくて気持ちが良い。
テーブル席には建設作業員風の人達がたくさんおり、中年男性のお遍路さんが
小上がりに一人いる。

 空いているテーブルに座り、冷たいうどんを頼む。
運ばれた水を何杯もお代わりしてやっと一息つく。
靴を脱ぎ、靴下を取ると、汗でベトベトしていた足がスートする。

 中年お遍路さんも出ていき、建設作業員さん達も出ていくと、
お客は私一人となる。

 店のご主人が話しかけてくる。
 「どこから来たの?」に始まるありきたりの質問に答えた後、
ご主人が「歯長峠は鎖場を来たのか?」と聞いてくる。
「はい、鎖場を歩いてきました。」と答えると、に三度うなずいて、
「それがいい、お遍路はゆっくり歩くのが一番だ。」と言う。
 「昨晩この宿に泊まったお遍路が、体調を崩し入院してしまい、
これからお見舞いに行くところだ。」と話してくれる。
先を急いで歩いたために熱射病になったようだ。
それで、ゆっくり歩きなさいと頻りに言っている。

 「ちょっとこっちに来なさい。」と言われ小上がりに誘われる。
言われるままについて行くと、小上がりの壁にこの辺りの空中写真が
掛けてあり、この写真を見ながら明石寺までの道を教えてくれる。
 お礼を言って、そろそろ出発しようかと思って準備をしていると、
ミカンを1個くれる。

 13:20分、レストランみやこを出発する。
ご主人に説明されたとおりに歩く。
でも、明石寺の麓に来たところで、高速道が旧道を横断しており、
道がよく分からなくなっている。
適当に当たりを付けて歩いていると明石寺への標識を見つける。
山を登っていくと大きな駐車場があり、バスが何台も停まっている。


第43番札所 明石寺

 13:55分、明石寺の山門に着く。
境内の中には大勢の団体遍路さんがいる。賑やかだ!
明石寺は境内が広く、巨木も多いので、気持ちを穏やかにさせる雰囲気を
持っている。
納経所前のベンチにザックを置いて階段を上がり、本堂と大師堂へお参りをする。

 納経を済ませ、ベンチでゆっくりする。

 14:20分、今日の宿である宇和パークビジネスホテルへと向かう。
明石寺からは、裏山を一つ越えて宇和町へと向かう。

 宇和町にはいると、古い民家を保存している通りに出る。
そこで、杉玉が下がっている造り酒屋を見つける。
元見屋酒店だ。
中にはいると、「開明」という銘柄のお酒を造っているようで、
中年の女性が、この酒屋は創業2百年の歴史があるなどと、
いろいろと説明してくれる。

 酒好きの知り合い用と職場用に2本の清酒を買い求め、
我が家に送ってもらうように頼み、送り状の伝票を書く。

 ここからは、国道へ出てひたすら今日の宿を目指して歩く。

 15:40分、国道の右側に宇和パークビジネスホテルを見つける。
結婚式場を持っている大きなホテルだ。
入口を捜すと、受付は裏手へと書かれているので行ってみるが誰もいない。
レストランに回ってみると、そこが受付だった。

 受付を済ませ、部屋に入り、冷房のスイッチを入れベットで横になる。
この宿は、お風呂が別に設けられているのでゆったり出来る。
早速、風呂に入りに行く。
汗を流した後は、部屋でゆっくりくつろぐ。
 
 明日の宿をどこにするか考えていたが、どうも結論が出ない。
内子まで行こうと思っているが、内子は観光地なので宿代が高いと聞いている。
レストランのカウンターに行って相談するが、安い宿はないようだ。
そこで、市街地を避け、運動公園にある「ハイプラザうちこ」に宿を
お願いすることにして、電話をする。

 最初に聞いた料金だと休日前日の加算もあり8千円ほどになるようなので、
「歩き遍路なので、もっと安い部屋はありませんか?」と聞いてみると、
「6畳の部屋で良ければサービスできる。」と言われたので、
その部屋をお願いする。
 これで明日の宿も決まったので、夕食の時間までベットで少しウトウトする。

 6時頃にレストランで夕食を取り、テレビの天気予報を見ていると
明日は雨のようだ。
台風15号が近づいており、四国沖を北西に向かって抜けるようで、
その影響で秋雨前線が刺激され、一日雨と報じている。
 今日まで一週間、ほとんど、晴天に恵まれていたのだから、
一日ぐらい雨に降られても仕方がないと思い、
「少しは涼しくて良いかな!」と考えていた。

  ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

   内子の先にはしばらく先まで宿がないので(善根宿はあります。)
  宿泊先をどこに決めるかがこの辺を歩く行程に大きく影響します。
  20~30キロごとに泊まれる宿があれば問題はないのですが、
  50キロ先にしか宿がないなどという地域があれば、全体の計画に
  影響を及ぼします。
   このように歩き遍路にとって自分の歩く距離に応じた宿がない地域
  が、何箇所か出てきます。
  先に距離を伸ばすか、それとも、少ない距離で力を貯めるか、
  それぞれの判断が試されます。

平成15年9月18日(土佐から伊豫・第22日目)

2005-08-02 09:50:34 | 第3回(土佐から伊予)
9月18日(木曜日)
(第6日・通算第22日目・歩行距離35.8km・歩行歩数52,878歩)

 5:00、台所で朝食の準備をする音に起こされて起床。
洗濯物を取り込むために2階へ行くと、工事関係で泊まっている人達が寝ている。
音を立てないように洗濯物干場へ行き、洗濯物を取り込むと、まだ生乾きだ。
仕方がないのでこのまま持っていくことにする。

 6:00分、朝食を取り、準備万端整ったところで、出発する。
玄関先で女将さんとツーショットの写真を息子さんに撮ってもらう。
Wさんはまだ用意が出来ていないので、声を掛け、先に行くことにした。
外はまだ薄暗いが、天気はいいようだ。

 人気のない旧道から国道へ出ると、なるほど、道路標識には宇和島41キロと
書かれている。
でも、今日は柏峠という旧道を通るので、この分がショートカットされて
いるのではないか自分に言い聞かせ、黙々と歩く。

 八百坂峠を越え、菊川を過ぎると左手に宇和海が広がる。
朝日に映えてキラキラと輝いている。
エメラルドグリーンのきれいな海だ。
この海を見ながら歩いていくと、道が下り坂になり柏の集落に着く。

 柏では、自動販売機から飲み物を補給して国道を右折し峠道へと向かう。
この辺りで急に便意をもよおしたので、丁度、道の脇にあった保健センターの
トイレを借りる。

 これで、万全の体制となったので、柏峠へと向かうが、
目の前には結構な高さの山が迫っており、この上まで登るのか?と、
ちょっと不安になる。

 8:10分、どんどん狭くなる農道の先に柏峠の入口が見える。
九十九折りに続く急な山道をドンドン登っていく。
どうやらいけない予感は当たったようだ。

 流水大師では、小さなお堂の中に弘法大師の像が祀られている。
その左横には、チョロチョロと流れている湧き水がある。
でも、あまりのチョロチョロ加減なので、飲むのがはばかられた。

 清水大師を過ぎると、道が尾根道となり少し下り坂となり楽になる。
見通しの利く場所に来たので、左手を見ると宇和海が朝日にキラキラと
輝いている。
一番向こうに見えるのは佐多岬のようだ。

 平坦になった尾根道をいくと、「ねぜり松」と書かれた看板のところへ来る。
ここでちょっと一休み。
「ねぜり松」というのは、根本がねじれた大きな松の切り株があるだけだ。
 その昔、病気で足が不自由な人を乗せた箱車を50人ほどの人達で
この峠道を引っ張り上げていたところ、この松のところに差し掛かったとき、
にわかに吹いてきた一陣の風に蛇のように曲がった松に箱車が押し潰されそうに
なり、思わず箱車か ら逃げ出そうとして歩けるようになったいう話しに
由来する松の木だ。
 この松は昭和30年頃に伐採されたと看板に書かれている。

 松の切り株の前には、2体のお地蔵さんが守っている。

 ここから先は、山の中を快適に下っていく。
お日様が樹木に遮られて暑さもそれほど感じない。

 山道が終わり、山間に造られた小さな水田の中の農道を下っていく。
直射日光が容赦なく照りつけてくる。暑い!、暑い!。

 左手に国道らしい道路が見えてくる。

 10:40分、お腹がすいたので山口商店で休憩する。
飲み物と小豆アイスを買って、店先においてあるベンチで休む。
熱い体に小豆アイスが溶け込んでいく。
素足になると足が風に当たり気持ちがいい。
しばらくボーとしていた。

 いつまで休んでいてもキリがないので、腰を上げる。
ここからは、国道56号沿いに吉原川に沿って津島町を目指す。
ところどころ旧道を歩き、途中から国道脇にある自転車道路となっている
道を歩く。
この炎天下では犬も歩いていない。

 前方に大きな橋が見えてくる。
どうやら津島大橋のようだ。
交通量もずいぶん増えている。
津島町の市街を歩いていると、丁度、休憩しようと思ってたところに
酒屋さんを見つける。
横にある病院にはベンチが置いてある。

 12:05分、はちた商店横の病院のベンチで一休みする。
向こう岸には、Wさんが今晩泊まる三好旅館があるようだ。
でも、まだ昼なので、これで今日の歩きを終えるには早い時間だ。
やはり頑張って宇和島まで行かなければならない。
はちや商店でも、アイスと飲み物を買う。
この暑さに対抗するためには、もう、アイスなしではいられない。

 丁度、お昼なので今晩の宿を決めなければいけない。
千代乃屋さんへ電話する。
OKの返事をもらい、これで今晩の宿も決まった。
あとは、宇和島を目指して歩くだけだ。

 津島町内を暑さのため、幾分バテ気味で歩く。
市街を抜けると道が少しずつ登っている。
この先には、排気ガスが充満している歩道もないと恐れられている
松尾トンネルがある。
松尾トンネルは旧道があり、旧道は距離は長くなるが交通量が少ないので
気持ちよく歩けるらしい。
しかし、バテバテの体には、排ガスのトンネルの方が太陽さんから
逃れられるし、旧道よりも距離が近いということで、
今回は迷わず松尾トンネルを歩くことにした。

 12:55分、松尾トンネルの入り口が見えてくる。
松尾トンネルは全長1,710メートル、歩きだと約20分はかかるだろう。
このトンネルの中に宇和島市との町境がある。
トンネルの左手に少し高くなっている歩道らしい場所がある。
幅は50センチほどか?
この歩道を歩くが、トンネルの中は大型車が作り出す轟音が地響きとともに
鳴り響く。
排ガスは思ったほどでもない。
それよりも、日陰に入れたことの方が気持ちの方に大きく響く。

 大型車が通り抜けると轟音とともに強い風が吹き、
菅笠を吹き飛ばされそうになる。
これに負けじと笠を両手で押さえながら歩くのが一番大変だ。
そうこうしているうちに、前方から強い風が吹き付けてくる。
騒音もひどくなる。
天井を見ると大きな送風機が2機うなりをあげて風を送り込んでいる。
トンネル内を換気するための送風機のようだが、そばに行くと強い風が
まともに吹き付けて来る。
まるで、風洞実験装置の中のようだ。
 この風に菅笠を吹き飛ばされないように歩く。
送風機はこのトンネルの中に5カ所ほど設置されており、
その度に菅笠を押さえながら歩く。

 やっと、向こうの方に出口が見えてくる。
暗い中に円形の光がだんだん大きくなってくる。

 13:15分、やっと松尾トンネルを抜ける。ホッとする。

 道は下り坂になっている。どんどん下る。
疲れたので休もうと思っていると、車道の反対側に島原さんという
蒲鉾の店が見える。
道路を渡ろうとするが交通量が多くなかなか渡れない。

 13:25分、やっと道路を横断して、店先の自販機で飲み物を買い、
お店の中へはいる。
お客さんが一人もいない店なので、店員さんに「ちょっと休ませて下さい。」と
いってから、テーブルに座らせてもらう。
店内は冷房が良く効いており、涼しくて気持ちがいい。

 一息ついてから、店の中にあるショーウインドウを見せてもらうと
いろいろな蒲鉾が並んでいる。
その中に、昨晩、磯屋さんの夕食で食べたジャコ天もある。
値段を見ると結構な値段だし、蒲鉾の原料は北海道のスケソだろうと思い、
買わずにお店を失礼した。「島原」さんご免なさい。

 松尾峠をどんどん下っていくと、道の両側に少しずつ建物が増えてくる。
確実に宇和島市内に近づいていると思い頑張っていると、ホームセンターの
入り口で1台の車が右折して目の前に止まる。
中年の女性が降りて来て、「MIKOさんですか?」という。
ちょっとビックリして「はい。」と答えると「千代乃屋です。」という。

「買い物のついでに、宿までの地図を渡そうと思って来た。」といわれる。
こんな事は初めてだったので、驚いているとA4判の紙に地図が
コピーされており、宿までの道が示されている。
「あと1時間ほどですよ。」といわれ、さらに「荷物を預かりましょう。」と
いわれる。
これは、昨日泊まった磯屋さんがWさんに対して行っていたサービスと同じだ。
Wさんはすごく喜んでいたが、いざ自分に同じ事が起こったにもかかわらず、
背中のザックを渡すことに、ちょっと躊躇してしまった。
いくら疲れているといっても、あと1時間ぐらいなら荷物を背負っても
問題なく宿まで行けるだろう。
空身で歩くことに違和感を覚えた。
でも、せっかくここまで迎えに来てくれているのだから、
お接待として、素直に甘えることにした。

 妙に軽くなった背中に違和感を覚えながら、千代乃屋さんを目指して歩く。
しかし、25分ほど歩いたところに喫茶店の看板を見つけると誘惑に
負けてしまった。
冷房の効いた喫茶店で一休みする。
氷水が食べたかったが置いていないと言われたので、
しかたがなくアイスクリームを頼む。
その前にコップの水をがぶ飲みする。

 アイスクリームを食べながら、久しぶりに週刊紙に目を通す。
落ち着いて活字を見るのはしばらく振りだ。
この喫茶店には30分ほどもいただろうか?
一息ついて少しは精気が戻ってきたので、千代乃屋さんを目指す。

 15:30分、いただいた地図を頼りに、迷うことなく千代乃屋さんへ着く。
玄関で声を掛けると、私のザックは上がり框に置いてあった。
これを受け取り2階の部屋へ案内される。
案内された部屋は6畳の和室だがクーラーがあり、風呂は部屋のすぐ前だ。
洗濯機は外にあるので自由に使って下さいといわれる。

 早速、風呂に入る。洗い場が広く湯船も大きいので気持ちがいい。
体を洗って湯船に入ろうとすると、ふくらはぎが痛い。
よく見ると、ふくらはぎが日焼けで真っ赤になっている。
ここ数日は、短パンで歩いていたのでふくらはぎが日焼けしている。
痛くてお湯につけることが出来ない。
しかたがないので、湯船から足を出して入る。
まるでシンクロみたいに、足を水面から出して風呂に入る。
まっこと、落ち着かない。
でも、ベタベタまとわりついていた汗を流し、頭を洗うとスッキリする。

 風呂から上がると、1階にある駐車場へ行き、早速洗濯を始める。
一通りの作業を終えたので、部屋に戻り、クーラーをガンガン利かせて
布団の上でウトウトする。
気持ちが良い。冷たい空気が体の熱気を静めてくれる。

 夕食まで時間があるので自転車を借りて郵便局へ行く。
お金を降ろしておかないといけない。
郵便局はすぐ近くのようだ。
道順を聞いて自転車を走らせる。
すると、ほんの数分で郵便局に着く。

 お金も降ろしたので、宇和島の街をブラブラする。
アーケードのある商店街へ来たが、ほとんどのお店がシャッターを閉じている。
しかたがないので宿へもどろうとすると、小さな喫茶店に氷水の旗を見つける。
足摺岬で食べ損なった氷水が、やっと、ここで食べられると思い、店に入る。
メロン味の氷水を頼む。緑色の氷をシャカシャカかき混ぜ、口へ運ぶ、
満足!満足!

 宿へ戻り、夕食まで、またウトウトする。

 夕食ですと言われて1階の食堂へ行くと、建設関係の作業着姿の人達が
沢山いる。
私が食事をしていると、食べ終わった人の席を片づけて、またお膳を出している。
30人ほどの人が泊まっているようだ。
その中でお遍路は私一人のようだ。

 千代乃屋さんは、お遍路には宿代を千円サービスしてくれている。
いわゆるお接待だ。
おまけに、途中まで迎えに来てもらい、ザックを宿まで運んでいただいた。
感謝!感謝!です。

 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

   この日は本当に暑かった!
  途中で、暑さのためにヘロヘロになっていました。
  でも、何とか歩き通せたのはやはり四国の人たちの暖かさだと思います。
  千代乃屋さんの出迎えには感謝します。
  体の疲れはピークに達していたのだと思います。
  でも、温かい気持ちに接すると不思議と疲れが消えていきます。
  しばらくぶりに商店街をプラプラしただけでも、
  随分、気持ちがリフレッシュされました。
  長い距離を歩くことにも、体の方が適応してきたようです。
  

  

平成15年9月17日(土佐から伊豫・第21日目)

2005-08-01 09:27:37 | 第3回(土佐から伊予)
9月17日(水曜日)
(第5日・通算第21日目・歩行距離31.8km・歩行歩数44,181歩)

 6時には出たいとお願いしてあったので、5時半に「朝食です。」と
女将さんから声が掛かる。
窓から外を見ると、向かいのしま屋さんにも明かりがついている。
今日も天気は良さそうだ。

 1階の食堂に降りて朝食を取る。昼食用にとおにぎりのお接待を受ける。
お礼を言ってありがたく頂く。

 6:05分、へんくつやを出発する。
太陽は左手の山陰にあり、まだ日は射してこない薄暗い道を
国道に向かって歩く。

ほどなく国道に着く。昨日はこの距離が遠く感じたのに、
今朝は、すぐに着いてしまった感じだ。
疲れがあるかないかでこんなにも感じ方が違うし、実際の足の運びも違うだろう。

 国道を右に曲がり、宿毛市街を目指して歩く。
 しばらく行くとWさんが前を歩いている。
「お先に!」と言って先に行く。

バイパスとの分岐点で休んでいると、今度はWさんが追い抜いていく。
その後から三原村であった若者遍路が歩いてくる。
宿毛市内で野宿していたと思っていたのにどうしたことか?
挨拶をしてから、ポケットに入っていた飴をあげる。
道を聞かれたので、「このままバイパスにぶつかるまで真っ直ぐ行くと
良いよ。」と教える。

 宿毛市内に入ると朝の通勤時間と重なって、車が増えてくる。
前を見るとWさんがいる。
携帯をかけながら歩いているWさんをまた追い抜く。

交差点に来たので、この辺で左折するはずだがと思い辺りを見渡すと、
斜向かいのガードレールにヘンロ標識を見つける。
左を指しているので、この交差点を左に曲がる。

宿毛警察署の前を通り、西の方へ向かってドンドン歩く。 

しばらく行くと、片側2車線の大きな道路に出る。国道のようだ。
道路の向こう側にあるガソリンスタンドから若者遍路が頭を下げながら出てくる。
どうやら道が分からなくなったので聞いていたようだ。

 この交差点を渡るとヘンロ標識があり左手の山に向かって歩く。
住宅地の細い道を歩くとどんどん急な坂道になってくる。
やっと、車1台が通れるかという細い道になる。
 細くて急な山道を登り後ろを振り返ると、目の下に宿毛の街が広がり、
海も見える。

 8:15分、一山越えて小深浦の集落で一休みする。

 8:40分、番屋跡を通り、しばらく歩くといよいよ松尾峠への登り口のようだ。
この峠道はきつい。
九十九折りのほとんど登山道と言っていいような道が続いている。 

峠道に入って少し行くと、登山姿の夫婦が休んでいる。
40歳前後の夫婦だ。
テントも持っているのか結構大きな荷物を背負っている。
挨拶して通り過ぎる。

山道を歩いていくと時々カサカサと音を立てて何かが動いている。
どうも蛇のようだ。四国にはマムシがいる。要注意だ。

 この道は相当急な道だ。昔の街道とは思えないような険しい道だ。
喘ぎ喘ぎ登っていくと道が少し平坦になり、前方にお堂が見える。

 9:20分、やっと松尾大師に着く。
ちょっと休憩する。
お堂の先に3メートル近くある大きくて古い石柱が立っている。
石柱には「従是西伊豫國宇和島藩支配地」と書かれている。
支配地という文字に歴史を感じさせる。
 松尾峠の案内板には、この峠を江戸時代には普通の日で2百人、
多い日には3百人が通ったと書かれている。
そして、この石柱も江戸時代に建てられたもののようだ。
この急な峠道をこんなに多くの人が通ったとはちょっと信じられない。
昔の人の旅は歩くのが当たり前とはいえ、本当に健脚だったと感心させられる。

 この峠で「修行の道場・土佐」を終えたことになる。
お正月休みから半年以上かかったが、やっと徳島と高知の2県を歩き終えた。
松尾峠の登りは、修行の道場最後の試練として十分に存在感のある峠だった。

 ここからは、急な下り坂を一気に下る。

 一本松町の手前に古いヘンロ標識が立っている。
両側におなじみの手のマークが彫られている。
右と左を指した手が上下に彫られているが、それ以外に文字らしいものは
見えない。
その横には、松尾峠にあったものと同じような「西伊豫の国宇和島藩支配地」と
書かれた石柱が立っている。
目を引いたのは、これらの石柱の横に石造りの祠があり、小さなお地蔵さんが
祀られている。
お地蔵さんは赤い羽織が掛けられている。
この場所だけ昔のままで、まるで江戸時代にタイムスリップしたような風景だ。

 10:30分、一本松町の街に来た。
交差点にちょうどスーパーがあるのでここで昼食を取る。
店に入り、アイスと飲み物を買う。
店先によしずか立てかけてあり、その影にベンチが置いてある。
ちょっと失礼して、このベンチを使わして貰う。
 小豆アイスを食べると本当に生き返る。(根っからのアイス好きなので!)
このお店のそばにはバス停があるので、このベンチはバスを待つ人のために
置かれているようだ。

 11:10分、昼食を終えたので、ベンチから腰を上げる。
暑い!暑い!太陽さんがガンガン照りつける。風もない。
一本松町の市街を抜けると、国道との大きな交差点に出る。
国道を行くなら左に曲がればいいが、お遍路道は真っ直ぐ行かなければならない。
国道は交通量も多く、車の騒音を気にしながら歩くのはイヤなので、
迷わずお遍路道を選択する。
信号が変わったので直進する。

ほとんど車が走らない道を歩くが、強い日差しが遠慮なく照りつける。

 一本松町の町境にさしかかると急な坂道になる。
やっとの思いで登ると、満倉と言う集落に着く。
ちょうど12時。お昼のサイレンが鳴る。
荒屋商店というお店があるので、店先を借りて一休みする。
 ここから今晩の宿を予約する。
へんくつやさんに聞いていた「磯谷さん」に電話する。
女将さんが出て、「今日は建設関係の人で一杯なので、相部屋になるけど
良いですか。」と言われるので、「かまいません。」と答える。
やれやれ、これで今晩の宿も決まったし、あとは観自在寺を目指し頑張るだけだ。

 荒屋商店から道が下っていく。
どんどん下っていくと、豊田に出る。
ここから、四国の道となっている僧都川の左岸にある堤防の上を歩く。
堤防の上は日光の直射がまともに当たるが、風が吹いているので暑さは
それほど感じない。
並行して走っている遍路道は、狭い上に交通量もあるので危険だ。

遙か向こうに沢山の建物が見える。橋もある。
それを目指して歩く。建物の混み具合から城辺町の中心街に来ているようだ。
少し先に交通量の多い橋が見えている。
橋を渡ると道は左に大きく曲がり、少し行くと南宇和高校がある。
ここからは、交通量の多い狭い道を、車に気を付けながら歩く。

 しばらく歩くと右側に観自在寺の標識を見つける。
右に曲がると、車が1台やっと通れるほどの狭い道の先に観自在寺の山門が
見える。


第40番札所 観自在寺

 13:25分、観自在寺に着く。
山門を入ると、境内で果物などのおみやげ物を売っているテントがある。
そこのおばさんに挨拶をして本堂へ行く。

 本堂、大師堂とお参りをして納経も済ませてから、
本堂の前にあるベンチで休む。
このベンチはちょうど日陰になっているし、本堂に入る人にも邪魔にならない
場所にあるので、靴と靴下を脱いでザックを枕に横になる。
 風がスーと吹いてきて気持ちが良い。
いつの間にかウトウトしてしまった。

 15分もウトウトしていただろうか? 
ふと目を覚まして起きあがった時に、本堂に入ろうとしている
Wさんを見つける。
声を掛けると、満面の笑みを浮かべ「今日はすごく良いことがあった。」という。
「これ!」、と言って背中を私に向け、自分のザックを指さす。
最初は何を言っているのか分からなかったが、よく見ると背負っている
ザックが小さい。
見覚えのあるザックとは違うようだ。

 Wさんの話では、「今晩泊まる磯屋さんの女将さんが一本松トンネルの
ところまで迎えに来てくれていて、荷物を車に積んで、先に宿まで持って
いってくれた。」と話してくれる。
 「いや~、荷物が軽いとこんなに楽に歩けるとは思わなかった。
すごく得した。」と満面の笑みを浮かべながら話してくれる。
「良かったですね!」と言っているときに、その横をあの延光寺の
通夜堂に泊まると言っていた老人が本堂へ入っていく。
一瞬、おやっ?と思った。
Wさんに、「今晩は、私も磯屋さんに泊めてもらうことにしました。」と話し、
先に観自在寺を立った。

 観自在時から旧市街の細い道をブラブラと歩くが、
ちょっと昼寝をしたせいか体が軽く感じる。

ほどなく国道と合流する。
国道はさすが交通量が多い。
車の騒音が耳に響く。
歩道が広いので、日陰側となる左側を歩く。

 磯屋さんは国道に面していないので気を付けて歩いていた。
特に看板などもなかったのでどこにあるか分からない。
ちょうど、おじさんがいたので聞くと、「すぐ裏だ。」と教えてくれる。
裏道に入り、ちょっと歩くと磯屋さんがあった。

 14:50分、民宿磯谷着
 玄関で声を掛けると女将さんが出てくる。
「今日は建設関係の人が泊まっているので、この部屋を使って下さい。」と
玄関奥の6畳の和室に案内される。
「相部屋になりますけど。」と言われたので、「相部屋になる相手は
知っている人なので私はかまいません。」と女将さんに話す。

 古い部屋だがちゃんとクーラーもついている。
風呂の場所を聞いてから、洗濯をしようと思ったら、「洗濯物は出して
置いてくれればこちらでします。」と言われる。

 ご厚意に甘えることにして、早速、風呂に入り今日の汗を流す。
風呂から上がり、部屋に戻るとゴロゴロする。

 Wさんがやってくる。
私が割り込んで相部屋となったことをお詫びする。
ここで初めて納め札を交わした。
Wさんは神戸の人で、「8月末から通し打ちで歩いている。」と話してくれる。

 観自在寺で一緒に本堂へ入ってきた老人のことを聞く。
Wさんと一緒に本堂に来たのは偶然らしい。
バスか何か出来たようだと話してくれる。
そして「あの爺さんには参った!」という。
昨日の延光寺で渡辺さんがお参りをしたあとに、
あの老人から私のように同じような愚痴話を延々と聞かされたようだ。
Wさんは、気の毒な話を聞かされてこのまま見捨てるのも気が咎めるので、
自分の気持ちが納まるようにと、千円をお接待したと話してくれる。
「お接待したことで自分の気持ちもスッキリするしね!」という。

 夕食は豪華だった。
御荘町は漁業も盛んなようでお刺身もイサダなど今まで出ていないものがある。
Wさんも、今日の刺身にはタタキが出ていないと言って満足している。
「高知では、どこでも鰹のタタキなので参ってしまった。」と言って、
満足そうに刺身を食べている。
この辺の名物、ジャコ天も食卓に並んでいる。

 女将さんが、夕食の間一緒の席にいてくれて、いろいろな話をしてくれる。
女将さんに聞くと、宿毛から来る歩き遍路の荷物を取りに行くお接待は、
随分前からやっているようだ。
しかし、このお接待も、人によっては、「次の宿まで運んでくれないか。」とか、
「宿毛の宿まで取りに来てほしい。」とか、わがままなことを言う人が
いるようだ。
 Wさんだって、荷物を取りに来てくれるなどと言うことを微塵も
期待していないところへ、そういうお接待を受けたからあんなに感激して
いたのではないか。
 女将さんの話では、旧道を歩いて来るか、国道を歩いてくるか分からないし、
仕事のないときのお接待なので、皆さんに同じようには出来ないと話してくれる。
それが、峠下まで荷物を取りに来るのが磯屋さんのサービスなのだという
捉えられ方をすると、サービスしてもらえなかった人にすると、
「私にはサービスが悪かった。」などと苦情を言う人がいるようだ。
本当に、わがままな人はどこにでもいるようだ。

 女将さんは、30代で漁師をしていたご主人を亡くし、この宿を一人で
守ってきたと話してくれる。
息子さんが近くに住んでいるので、民宿はお嫁さんにも手伝ってもらっている。
Wさんが、「それならいい話の一つぐらいあるでしょう。」というと、
女将さんが「そんはいい話があればねぇ~」と切り返している。
すると、「そういえば迎えに来てくれた車は神戸ナンバーだったね。」と
Wさんがいうと、女将さんが物も言わずに後ろ手でス~と台所の戸を閉める。
そして「あれ!気がついていたの!」とビックリしたような声を上げる。
このことはお嫁さんにも聞かせられないような女将さんの重大な秘密が
あるようだ。
「ほらね!」とWさんが私にいたずらっぽく笑う。

 Wさんは兵庫県の西宮市で建設用の機械などを販売している会社の経営者だ。
58歳の働き盛り、思うところがあってお遍路に出てきたようだ。
それで、朝は携帯で会社と話をしているのだ。
どおりで、私が見かけるときはいつも携帯で話をしていた。

 西宮は先の阪神大震災でも一番被害がひどかったところで、
Wさんの家も倒壊したようだ。
付近の人を戸板にのせて救助したなどと震災の時の話をいろいろしてくれる。

 明日の宿を女将さんに聞くと津島町の宿が良いと教えてくれる。
Wさんは、女将さんが推薦する津島町の三好旅館を頼んでもらう。
その次の日は、佛木寺にある「とうべや」がお勧めだといわれる。

 私は「宇和島まで行きたい」というと、
女将さんが「宇和島までは41キロもあるよ。」という。
「地図では36キロとなっているから何とかなるでしょう。」というと、
宇和島市内にある千代乃屋さんを紹介してくれる。
千代乃屋さんは大きな宿なので予約をしなくても大丈夫だろうといわれる。
 足摺岬では、45キロを歩いたのだから何とかなるだろうと考えていた。


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   この夏遍路では給水に気をつけていました。
  一番恐ろしいのは脱水症状から熱中症になることです。
  私は、500ccのペットボトルを2本もって歩いていました。
  最初は、お茶とスポーツ飲料を持っていましたが、お茶は後味に苦みが
  舌に残るのが気になって持つのを止めました。
  スポーツ飲料もそのまま飲むと甘さが舌に残りイヤでしたので、約半分に
  薄めて飲んでいました。
   暑い暑いと飲み物ばかりを飲んでいると体調を崩しやすいので飲み物の
  取りすぎにも注意が必要です。
  体と相談しながら、早め早めに一口、二口、飲むのがおすすめです。




平成15年9月16日(土佐から伊豫・第20日目)

2005-07-29 09:18:10 | 第3回(土佐から伊予)
9月16日(火曜日)
(第4日・通算第20日目・歩行距離33.3km・歩行歩数45,959歩)

 5:30分、起きる。
昨晩も、風がバンバン吹き抜けるので部屋の中が涼しく気持ちよく寝られた。
長い距離を歩いたにもかかわらず体の疲れは思ったほど残っていない。

 6:30分、「朝食できましたよ~」奥さんの声が掛かり食堂へ行く。
久百々さんの朝食には納豆が出ている。
西日本の人達は納豆をあまり食べないと聞いていたので、
奥さんにその事を話すと、「体にいいと聞いたので私は出している。」
とのこと。
おまけに、卵は、久百々さんで飼っている鶏が生んだものだという。
納豆に卵を入れて醤油を差しかき混ぜる。
これをご飯の上にのせて一気に食べる。
いつもながら食欲が落ちないのは健康な証拠だろう。

 6:30分、奥さんの見送りを受けながら、Wさんと下ノ加江まで一緒に歩く。
Wさんは、74歳、とても元気だ。
以前はインドに興味を持っていたので、何回かインド南部にある聖地にも
行っていたが、日本にも四国遍路があることに気がついてからは、
四国を歩いている。などと話してくれる。

 前の方から3人のお遍路が歩いてくる。
どうやら安宿に泊まっていた人達のようだ。
挨拶を交わす。

 7:05分、下ノ加江の三叉路に来たので、ここでWさんと別れる。
真後ろから太陽が当たり前方に長い影ができている。
自分の影を案内役に歩き出す。
 
 水田が両側に広がる道を歩いていく。
時折、自転車で通る中学生が元気に挨拶をしていく。
車がほとんど走ってこない。ちょっと寂しい。

 7:20分、疲れたのでちょっと一休み。
道端に座り込む。風が吹いて来るとちょっと寒い。
早々に歩き出す。

 しばらく歩くと交差点がありその向こうには立派な橋が架かっている。
この橋桁にヘンロ標識があり、左に曲がる道と真っ直ぐ行く道が
書かれている。
真っ直ぐ行くと真念庵の方を回り三原村に行くようだが、
ヘンロ標識によればそちらのほうが幾分近いようだ。
 私は左に曲がり、下ノ加江川沿いの道を進むことにする。
道は細いが車がほとんど走ってこないので気持ちよく歩ける。
おまけに、左側にある山の陰となるため太陽の直射から身を守れる。
右側には、下ノ加江の川が流れているが、すでに深い谷となっている。
川の水は綺麗なグリーンだ。
サラサラという流れの音を聞きながら歩くのは本当に気持ちが良い。
道はこの川沿いを少しずつ登っていく。

 小一時間ほど歩いたので、休憩する。
道端に座り込んで、例の通り靴と靴下を脱いでくつろいでいると、
鈴の音が聞こえてきて、私が歩いてきた道から元気な若者遍路がやってくる。
挨拶を交わしながら顔を見ると、まだ20歳そこそこだろうか?
野宿で歩いているという。
真っ黒に日焼けした顔が汗で光ってまぶしい。
今日は宿毛まで行って、野宿するという。

 足も休まったので歩き出す。
しばらく歩くと前の方で携帯をかけているお遍路さんがいる。
短パン姿だが足が真っ黒に日焼けしている。
挨拶をして先に行くが、私よりは年上で60歳位だろうか。
(このおじさんとは御荘町の磯谷さんで相部屋となる。
  神戸から来て通し打ちをしている三宮のWさん。)

 9:00分、鶴場橋という橋を渡り数件の人家があるところへ来た。
立派な神社がある。神社の名前は河内神社。
ほとんど家もないところに神社があるのは、いつものことだが、
鳥居の前には狛犬がおり、杉木立の奥に小さな社が見える。
なかなか立派な神社だ。

 河内神社のすぐ先に町境があった。
これで三原村に入ったことになる。

 鶴場橋を渡る辺りでは、川岸から少し離れた道を歩くので
真後ろから太陽にガンガン照らされる。
急に暑くなってくる。

 頑張って歩いていると、集落が見えてくる。

 11:00分、久繁の集落のようだ。
左側の方に大きな木が見えてきた。「たぶの木」のようだ。
「たぶの木」というのは胸高での幹の太さは二抱えほどあろうかという
大きな木だ。
樹高は15メートルほどはあろうかという堂々とした木だ。
「たぶの木」の横にバス停があり、ベンチもあるのでそこで昼食を
取ることにする。すぐ前にお店がある。竹内商店だ。

 竹内商店で飲み物とアイスを買ってバス停に戻る。
アイスを食べているとさっき途中で抜いてきたWさんがお店へ入っていく。
「休みませんか」と声を掛けたが、飲み物を飲んですぐに歩いていく。

 小豆アイスを食べるが、噛んで小さくしたものを飲み込んでも
喉の中でジュンと溶けていく。
飲み物も飲んで一息つき、久百々さんから頂いたおにぎりを食べる。

 11:30分、お腹も一杯になったところで歩き出す。
歩き出してすぐに道の横から出てきたお爺さんにヒョイと缶ジュースを
差し出される。
あわててお礼を言うと、片手をヒョイと挙げて道路を渡っていく。

 町はずれに立派な神社がある。
社殿を眺めながら歩いていると、木の陰で若者遍路がお弁当を食べている。
 「お先に!」と言って先に行く。

 宗賀の集落に来たので簡易郵便局を探す。
小さな集落なのでキョロキョロと見回すと、
交差点を右に曲がったところにある。
中にはいると、中年女性の職員が一人いる。
この人と世間話をしている女性もいる。
3万円おろして、送金したいというと郵便局の口座にしか
送金できないと言われる。
銀行に送金するならば、農協に行かないとできないようだ。

 「どちらから?」と郵便局の女性に聞かれたので、
「北海道の札幌からです。」というと、「あら、私も研修で北海道の豊幌と
言うところに行ったことがあるんよ。」といい、
さらに、「札幌には私の友達が宮の森の病院で婦長をしている。」と
話してくれる。
思わないところで、宮の森の話で盛り上がってしまった。

 三原町の市街に入ってくると老人ホームのような建物があり、
「いきいき三原会」と書いてあり、お遍路さんお休み下さいと書いてある。
どうやらここが三原村に新しくできた宿泊所のようだ。

 農協に行くと昼休みで事務室の中が閑散としている。
金融の窓口には先約がいるので、ちょっと待つ。
応接している女性は、フジテレビのアナウンサー佐藤里佳さん似の
なかなかの美人だ。
年齢24~25歳、応接も丁寧だ。ちょっと得した気分になる。

 久百々さんに5千円振り込みして、これでやっと胸のつかえがとれる。
久百々に電話して振り込んだことを伝える。
奥さんは「忘れていた」と言っている。
 ここでついでに今晩の宿の予約をする。
延光寺前にある「へんくつや」に電話する。
お婆さんが出たので今晩の宿をお願いすると「良いですよ」と言われ、
「どこにいるの」と聞かれる。
「三原村です」と答えると、「もう少しだね」と言われる。

 人気のない三原の街を抜け、しばらく歩くと、突然、右手に立派な
団地が現れる。
星ヶ岡団地と書かれた看板があり入口の道路も広い。
12:55分、この入口でちょっと一休みする。

 ここから、船ケ峠を越えると、沢が深くなり深いグリーン色の
水が光っている。
どうやら中筋川ダムの上流に来たようだ。
前方に見えるトンネルを抜けると、深い沢の中をぐんぐん下っていく。
疲れたので休もうとするがなかなかいい場所がない。

 14:10分、やっと、川に向かって降りていく道があるので、そこで休む。

 もうすぐ平田の街だと思い頑張ることにする。
ほどなく、目の前に刈り入れの終わった水田が広がっているところに出る。
黒川に来たようだ。
ズート向こうに大きな広告看板が沢山見える。
あれが平田のようだ。
ちょっと疲れてきた体にムチ打ちながら歩く。

 陸橋を渡り、しばらく進むと大きな交差点に出る。国道56号線だ。
この国道を左に曲がり、交通量が多くにぎやかな道を宿毛市に向かって歩く。

 15分ほど歩くと右手に延光寺の標識がある。
ここから国道を曲がり、延光寺への細い道を進む。
今晩の宿「へんくつや」の前を過ぎ、ほどなく延光寺に着く。

 最後の1時間は、ほとんどヘロヘロ状態で本当にきつかった。


第39番札所 延光寺

 15:20分、団体のお遍路さんがドヤドヤと山門から降りてくるのを待って、
延光寺の山門に入る。

 境内の中には別の団体さんがおり、ガヤガヤと賑わっている。
団体遍路の合間を縫って、本堂と大師堂にお参りする。
納経所が込んでいるだろうと思ったが、たくさん積まれた団体客のを
書く手を休め、先に納経してくれた。

 「へんくつや」に入ろうとすると携帯が鳴る。
三原村の農協からで振込先の氏名が違うようだと言っている。
どうも神原という名前を「かんばら」と仮名を振ったところ
「かみはら」が正しいので何タラカンタラといっているが、
携帯が切れてしまう。こちらからかけてもすぐ切れてしまう。
どうやら、ここは山の陰なので電波の繋がりが悪いようだ。
 こちらからも数回電話して、何とか話が通じた。

 「へんくつや」に入ると、女将さんから冷たい飲み物を勧められた。
冷たいジュースが喉にしみ込む。
一息ついてから二階の部屋へ上がる。
冷房があるので早速入れて、汗を冷やす。気持ちが良い。

 ご主人手作りの岩風呂に入り汗を流す。
大きな浴槽と小さな浴槽があり岩を組み合わせてあるが、
一人で入っているとちょっと不気味だ。
洗濯機も置いてあるので一緒に洗濯もしてしまう。

 夕食まで時間があるので延光寺へ行ってみる。
するとお寺の方からWさんが歩いてくる。
「途中で昼寝をしてすっかり遅くなった。」と言っている。
今晩は、しま屋さんに泊まる。へんくつやの真ん前だ。

 午後5時を過ぎたので人影のない境内をのんびり散策する。
境内の隅に置いてあるベンチに座りぼんやりと本堂を見ていると、
アゴ髭をたくわえた白髪の老人でヒョローとした男性が話しかけてくる。
「通夜堂に泊まるの?」と聞かれたので「いいえ宿に泊まっています。」と
答えると、いきなり「お金持ちだね~」といわれる。

 この後、延々と老人の話を聞かされる。
   以前に歩き遍路をしたことがあるが、途中で足が痛くなったりして
  タクシーを使ったりしたので7~80万ほどかけたことがある。
   今回は、6万円ほどを持って1番から歩いているが、民宿に2~2泊
  したらお金がなくなってしまった。
  困っていると、托鉢をしなさいと教えてくれたお坊さんがいたのでやろう
  としたが、恥ずかしくてなかなか出来ない。
  やっとの思いで1軒の家の前で事情を話し般若心経を唱え、500円を貰った。
  これだけの思いをして托鉢をして500円しかもらえないのかと思ったら腹が
  立ってきたそうだ。
   そうして、お接待を受けながら通夜堂に泊まりお遍路を続けていると、
  疲れで足元がふらつき側溝に落ちて足を挫いてしまった。
  それからは、痛い足を引きずりながらここまで来た。
  明日は峠越えだし、松尾峠の大師堂が泊まれるかわからないし、
  この足で峠道を歩けるかも心配だし、御荘町までは距離があるので
  どうしょうか考えている。
などと一人で話している。
 
 そこへ、坊主頭の恰幅のいいお坊さんが白い犬を連れてこちらへ歩いてくる。
「住職さんだ!」と男が言う。
 住職が私に「あんたも通夜堂に泊まっているのか?」と尋ねるので、
「私は下の民宿に泊まっています。」と答える。
 すると、住職が男に向かって「余計なことかもしれないが、通夜堂を
 持っているお寺は少ないので、それを当てにしてお遍路をするのはどうかと
 思うし、何より、お金がないのならタバコをやめなさい。」と言って、
 歩いていった。
 男は、「やあ、一本取られた」と言って笑っている。

 私は、この男が一体何のためにお遍路をしているのか理解できなかった。
お金がないので家に帰ることもできないなどと愚痴ばかりこぼしている。
自分は不幸な存在で、その不幸も自分には責任がないと言ってるように聞こえる。
でも、ここに来るまでにもさんざんいろいろな人の世話になっているはずだ。
その人達に対する感謝の言葉もない。
托鉢の話だって自分は苦労したと言うが、托鉢先の家の人にとって
この人にお願いしたわけでもなく、勝手に玄関先で般若心経を唱えただけだ。
それでお金がもらえるという考えの方が虫がいいと私は思う。
こんな自分勝手な愚痴話ばかり聞かされているとイヤになってきた。
 最初に「民宿に泊まっている」と言って、「金持ちだね~」と言われた
ときからイヤな感じがしていた。
ますますイヤになってきたので、ベンチを立って別れる。


 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

   お遍路をしている人にもいろいろな人がいる。
  熱心にお参りをしている人、何か、願掛けでお遍路をしている人は
  表情に悲壮感がある。
   淡々と遍路をしている野宿主体の職業遍路の人、それから、後で
  出会ったホームレスのような遍路、形はいろいろあるが、今回会った
  老人には考えさせられてしまった。
   お遍路をすることがこの人にとってどういう意味を持っているのか
  私には理解が出来なかったからだ。
   お遍路がお遍路にお金を無心することが理解できない。
  確かに、歩いて遍路をしていることが分かると、団体遍路の人から
  ジュースを貰ったりしたことはあるが、それは、私が求めたわけではなく
  あくまでも善意でお接待していただいたものだ。
   この老人がお遍路をして得るものはいったい何なのでしょうか?

平成15年9月15日(土佐から伊豫・第19日目)

2005-07-28 09:51:18 | 第3回(土佐から伊予)
9月15日(月曜日)
(第3日・通算第19日目・歩行距離45.0km・歩行歩数59,258歩)

 5:00分、起きる。
昨晩は涼しかったのでよく眠れた。
体の真は疲れが残っているが、気持ちはスッキリしている。
 今晩も久百々さんに泊まるので荷物を整理して、着替えや雨具など
必要のないものは預かってもらう。
お陰で荷物はかなり軽量化された。
 
 5:30分、「朝食できましたよ~」と奥さんから声が掛かったので、
食堂へ行く。
朝食を食べているとお昼の弁当を渡される。
おにぎりに飴や海苔が入っており、おまけにバナナも1本添えられている。
お遍路で泊まった方にはお接待していると言われる。
お礼を言ってありがたく頂く。

 窓から外を見ると今日も天気はいいようだ。
今日も暑くなると思い半ズボンにした。
今まで2日間、日焼けがいやで長ズボンを穿いて歩いていたら、
腰のバンドが当たるところと足首に汗疹ができている。
一日中汗をかきどうしなので仕方がない。

 6:00分、OさんとWさんより先に出発する。
まだ、走る車も少なく歩きやすい。

 30分ほど歩くと左手にきれいな砂浜の海岸が見えてきた。大岐浜だ。
大岐海岸への分岐点に来る。
海岸を歩こうかどうしょうか考えたが、砂地は歩きずらいので
車道を行くことにする。
大岐海岸の向こうにぼんやりと足摺岬が見えている。
 まだ、太陽が顔を出したばかりなので、涼しいうちにと思い足を早める。

 国道から旧道への入口を発見したので左へ曲がる。
ほどなく、ヘンロ標識があり、はま道と矢印が書いてある。
どうやらここを下ると海岸に降りられるようだ。
 7:00分、1時間ほど歩いたのでこの標識のところでちょっと休憩する。

 休憩後、歩き出すとすぐに、国道と合流する。
どんどん飛ばす。背中の荷物が軽いので体が良く動く。

 以布利の街に向かって降りていく旧道を港に向かって下る。
途中、墓地の中を通り、細い路地をどんどん下っていくと、左手に港がある。
正面には立派な神社がある。
その鳥居の前で数人の漁師さんが話をしている。
「お早うございます」と挨拶をすると、会釈が返ってくる。

 道が港の横から海沿いに真っ直ぐ伸びているが、
その先には崖と海しかなく、どう見ても行き止まりのように見える。
半信半疑で歩いていくと、道が無くなってしまう。
海岸を歩くようにヘンロ標識がついているが、海岸にはゴミが山のように
打ち上げられている。
その中を歩いていくと、右手に小さな谷が見えてくる。
正面は大きな岩に塞がれている。
どうやらこの谷を登るようだ。

 谷の入口に行くと、日の当たらない暗くて細い山道が見える。
ちょっと、喘ぎながら九十九折りに続くその道を登っていくと、
突然、住宅の横へ出る。どうやら旧道のようだ。
近所の奥さんが二人でなにやら話をしている。
挨拶をしながら左に曲がると、野球帽をかぶり棒を持った
イカツイおじさんが歩いていく。その後ろをついて歩く。

 ここで、肩から下げているバックを何気なく見ると携帯に付けてある
マスコットの「シューマイ君」がいなくなっている。
このシューマイ君は携帯を買ったときからストラップと一緒に
付けていたもので何回か落としたが、その度に見つけて付けていたものなのだ。
今朝、久百々さんを出たときには間違いなくついていた。
どこで落としたのだろう。考えたが分からない。
しかし、いまさら戻って捜す気もしないので、おじさんの後を歩いていく。

 おじさんが後ろを振り「歩くの早いですね。」と話しかけてくる。
「今日で3日目の区切り打ちですから、まだまだ元気です。」と答え、
しばらく一緒に歩く。
 
 この旧道は、こんもりとした樹木が日差しを遮っているので
気持ちよく歩ける。

 ~~おじさんの話~~
   私は、漁師をしている。
  腰を痛めたので、その治療を兼ねて毎朝歩いている。
  以前は大阪の方でトラックの運転手をしていたので、
  いわゆるUターン族だ。
  今やっている漁は、「めじか」という鰹の子を取っている。
めじかは脂が少ないので刺身にして食べるとおいしい。
  などと話してくれる。
「北海道でメジカといえば鮭の高級品のことを指すのですよ」と
  話しながら歩いていくと、国道に合流するところへ来た。
  おじさんはここから今きた道を戻ると言うことなので、お別れする。


 国道に出ると強い日差しがまともに当たる。

 8:10分、少し歩いたところで休憩する。
この辺りは足摺岬へ行くスカイラインの道からは外れているので
交通量が少ない。
車道の横に座り込み、例の通り靴と靴下を脱ぎ足を休める。

 休憩後、左手に海を見ながら窪津の集落を目指して歩く。
幾つかの小さな岬を回ると、向こうの方に大きな加工場が見えてくる。
どうやら窪津のようだ。
加工場の横を通ると鰹をショベルカーですくい取り運んでいる。
工場付近は鰹の匂いがたちこめている。
  窪津の街では郵便局でお金をおろそうと思っていた。
昨晩の宿代を払うと、手元には3千円ほどしか残っていなかった。
宿代は、連泊すると千円割引ですよと言われているので、5千円だ。
集落の岬寄りに郵便局があるようなので、国道をそのまま歩き、
郵便局に行くことにした。

 国道からもどるようにして集落の細い道に入り、
近くにいたおばさんに郵便局の場所を聞くと、すぐそこだと教えてくれる。
言われたとおりに進むとすぐに見つかった。
しかし、郵便局は休んでいる。
よく見ると、掲示板に休日は休みだと書いてある。
今日は月曜日だが、昨日15日の「敬老の日」の振替休日となっている。
休日ではお金が下ろせない。
でも、足摺岬の郵便局は観光地だからATMぐらい動いているだろうと思い、
気を取り直して岬を目指す。

 窪津を過ぎると道はだんだん登り坂となり、うねうねと曲がった
細い山道となる。
津呂を過ぎ、しばらく行くと右の方に「へんろ小屋」と書かれた
小さな建物がある。
建物の前面は、丸太を組んで日除けの屋根が造られており、
同じ丸太で造られたベンチなどもある。
奥の方は古いが畳をひいてあるところもあり、
寝泊まりできるようになっている。

 9:20分、ちょうど1時間ほど歩いたので、この小屋で休むことにする。
自動販売機もあるので、冷たいコーラを飲む。
コーラが喉を駆け抜けていく。おいしい!
ときどき、甘い飲み物がほしくなるのは疲れている証拠かもしれない。

 一息ついたので先を急ぐ。
ヘンロ小屋のすぐ先を曲がったところに氷水の旗をなびかせている
小さな店がある。
見るとお婆さんがやっているようで、真っ赤なTシャツを着た
坊主頭の子供の外人さんがおいしそうに氷水を食べている。
帰り道には絶対ここに寄るぞと心に決めて、先を急ぐことにした。 
ここからは、あと1時間ほどで足摺岬だと思い、頑張ることにする。

 しばらく歩くと、突然、右側に石造りの小さな鳥居が見える。
鳥居の前から見ると階段が数段あり、その上に小さな祠がある。
しかし、その奥に鳥居より大きな岩がドーンとある。
存在感十分の岩があり、この神社はこの岩を祀っているようだ。
神社の名前を見ようとしたがよく分からない。
四国を歩いていると、このような神社が思わないところに
現れるので驚かされる。

 山の中をくねくねと曲がっている道路を改良するために谷を埋め
ショートカットするように土砂を積んでいるところが何カ所もある。
少しでも、楽をしたいので危険と書かれているロープを跨ぎ、
この土の上を歩く。

 道路の両側に駐車している車が多くなってきたと思ったら、
足摺岬に着いたようだ。右手に灯台への小道が見える。


第38番札所 金剛福寺

 10:40分、金剛福寺に着く。
やっと、3日でここまで来た。岩本寺から90キロを歩いたことになる。
お遍路中、札所間最長の距離を歩いたのだ。

 山門で一礼し、境内に入る。
人影もまばらな境内に、強い日差しが照りつけている。
納経所の横にある台の上にザックを置き、白衣と輪袈裟を身につけ、
本堂と大師堂へお参りに行く。
お参りしている人も少ないので、落ち着いて般若心経を唱える。

 納経所へ行くと、「歩きですか?」と納経をしてくれた
お爺さんに尋ねられる。
「そうですが」と答えると、「これをどうぞ」と言って、
日本手ぬぐいを手渡される。
お礼を言ってありがたく頂く。

 お参りも済んだので、暑さを逃れるのとお腹がすいたので、
ちょっと早めの昼食を取ることにする。

 金剛福寺の真ん前にあるお土産やさんの2階の食堂に上がる。
食堂の中は冷房が効いて涼しい。
小上りに上がり、うどん定食(900円)を頼む。
食堂は、まだ昼食時間に早いのか、私の他には1組しかお客さんがいない。
 食堂のウエイトレスさんに郵便局の場所を尋ねたが、
「今日は休日で休んでいる」と言われる。
がっかりして、最後の望みを以布利の郵便局に賭けることにした。

 11:30分、食堂を出る。
食堂を出て久百々に向かって歩いていくと、
すぐに、向こうから歩いてくるWさんとすれ違う。
Wさんに「いや、早いねぇー」と言われる。
「久百々まで帰らなければいけないから」と返事して、別れる。

 Wさんの出で立ちを初めてみたが、なかなか立派な姿をしている。
上下をビシッと白装束で固め、手に持っているのは錫杖だ。
笠も飴色の網代笠と、私なんかの、いい加減な姿とは一味も二味も違う。
年期の入れ方が明らかに違うのだ。

 津呂にあった氷水屋さんを目指して歩く。

 途中、公民館の横を通るとカラオケが流れにぎやかな話し声が聞こえる。
紅白の幕も見える。何かのお祝いをしているようだ。

 12:30分、やっと氷水屋さんに着いたので、イスに座り店の人が来るのを待つ。
靴と靴下を脱いでからふと横を見ると、誰もいないときにはこれを
引っ張って下さいと書かれたひもがぶら下がっている。
ひもの先を見ると、隣の家へ伸びている。
ひもを引っ張ってみると下の方にある家で鈴が鳴る。
これは呼び鈴なのだ。
これで誰か出てきてくれるだろうと思ったが、出てくる気配がない。
もう一度ひもを引いて鈴を鳴らす。でも誰も出てこない。
 ここで、ふと気がついた。
この店をやっていたのはお婆さんだ。
今日は敬老の日だし、先ほど通った公民館で宴会をしていたのは、
敬老会のお祝いなのだ。
きっと、この店のお婆さんも敬老会に出席しているのだろう。
氷水はあきらめるしかない。
仕方がないので、自動販売機からスポーツ飲料を買って我慢する。
 
 気を取り直して歩き出す。
すぐ近くにあるへんろロ小屋の前でOさんに会う。
Oさんはこのへんろ小屋の管理人と話し込んでいたようだ。
Oさんは、今晩、金剛福寺に泊まる。
お別れを言って、先を急ぐ。

 昼頃になると太陽が容赦なくガンガンと照りつけてくる。
少しでも太陽を避けようとして日陰を探して歩くが、
海岸に出てしまうとそうも行かない。
窪津の集落を抜けてみる。細い道の両側に古い家が軒を連ねて建っている。
あっという間に集落を抜けてしまう。

 また国道を歩く。遙か向こうの山に白い大きな建物が見える。
その建物の裏側に久百々がある。まだまだ相当の距離がある。

 13:50分、国道から旧道への分岐点に来る。
ここから旧道に戻り、来るときに落とした「シューマイ君」を
探さねばいけないが、まずは一休みする。

 もと来た道を戻り、以布利の街で郵便局を探す。
港にいた漁師さんに聞くと郵便局はすぐ近くにあった。
しかし、郵便局はやはり休日で休みだった。
仕方がないので久百々の奥さんには事情を説明して、
明日でも三原村の郵便局でお金をおろし送金させて貰うことにしよう。
「シューマイ君」も探しながら歩いているが、見つからない。

 15:05分、浜道への分岐点に来たので、ちょっと休む。

旧道から国道に出たときに、そろそろ久百々の奥さんがWさんを迎えに
来る時間だと思っていた矢先、なんと、久百々の奥さんが運転する
軽自動車が通り過ぎる。
奥さんも気がついたようで、手を振ってくれる。

 ここからは、ただひたすら国道を歩き、16:20分、久百々さんに戻る。

 これで、今日は45キロを歩いたことになる。
今までのお遍路でこんなに歩いたことはない。最長記録だ。

 玄関を入ると、奥さんは戻っていた。「帰り道は会わなかったねぇ~」と
言われる。
「きっと、遍路道を歩いていたからですね」と答える。
「今晩は2階の部屋です」と言われ、階段を上がる。
Wさんは隣の部屋だ。廊下で会ったので挨拶する。

 風呂に入り洗濯を済ませ、時間があるのでちょっと散歩をする。
海岸に出ようと思ったが、道路から梯子で下りなければならないようで止めた。
集落の外れに行くと大きな石碑が建っている。
でも、お遍路とは関係がないようだ。

 夕食は私にWさん、それに新たに加わったSさんという私と同じ年代の
男性遍路の3人だ。
 
 夕食前に奥さんに宿代のことを話す。
奥さんはいつでも良いよと言ってくれるが、そういう訳にはいかない。
三原村から振り込むので、使っている銀行の口座番号を教えて貰う。
これで安心して夕食にありつける。

 ~~Wさんの話~~
   Wさんは、2回ほど歩いてお遍路をしているが、
  最近は愛媛と高知が好きなので松山市の石手寺ら逆打ちで歩いている。
  今回は宿毛の延光寺から中村までを歩く予定できた。
  「香川と徳島は人間がひねているので好きではない。」などと
  話してくれる。

 テレビでは野球中継をしているが、阪神の優勝が懸かった1戦のようで、
今日のゲームで既に阪神は勝っており、今テレビでやっている中日と広島?戦で
中日が負ければ阪神の優勝が決まるようだ。
 久百々の奥さんがテレビに興奮している。熱烈な虎ファンなのだ。
阪神は甲子園球場で優勝を決めなければいけないと言っているが、
どうもテレビで映されている状況が飲み込めていない。
阪神は、甲子園での試合に勝利し、中日の結果待ちで優勝が決まる。
3万人の阪神フアンが帰らずに、その結果を甲子園でじーっと待っている。
この状況を奥さんさんに話すと、やっと、納得してくれる。
 騒々しく、夜が更けていく。


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  この日は今までで最長の45キロを歩いた。
 体の方にも思ったほど疲れが出ていない。
 この調子なら順調に歩けると思った。
 足摺岬からの折り返しでは誰とも会うことはなかった。
 夏遍路とはいえ9月では歩いている人は少ないようだった。 

平成15年9月14日(土佐から伊豫・第18日目)

2005-07-27 09:26:38 | 第3回(土佐から伊予)
9月14日(日曜日)
(第2日・通算第18日目・歩行距離36.7km・歩行歩数43,079歩)

 寝苦しい夜だったが、疲れもありそこそこ寝入ってしまった。

5:00分、寝覚めは悪くない。
 布団を畳み、昨晩いただいたおにぎりを一個食べて出掛ける用意をする。

 6:00分、車の少ない車道に出ると、顔を出したばかりのお日様を
背に受けて長い陰ができる。
さすがにこの時間は暑くはないが、少し歩くと汗ばんでくる。

 今回は、暑さ対策のためにできるだけ朝早い時間に歩きだし、
午前中に距離を稼ぐことにしていた。

 順調に歩いていると、ヘンロ道は左手の海岸へと降りていく。
海岸沿いに続く松林の中を歩いていく。
適当に吹く風が気持ちいい。
 海には、もう、サーフインを楽しむ人達がたくさん波待ちをしている。
この辺の海は、サーフインのメッカのようだ。
波の立ちそうな場所には、色とりどりのウェットスーツ姿の人達が
30~40人はいる。

 それが、しばらく行くと同じように波待ちをしている人達がいる。
いったい何人の人達がいるのだろう。
松林の中には、テントがたくさん建っている。
サーフインをしている人達のテントのようだ。
考えてみると今日は連休初日だ。
道理でたくさんの人達が来ているわけだ。

 道は、松林の中に続いており、適当にお日様を遮ってくれているので
気持ち良く歩ける。
時折、海から風も吹いてくる。

 しばらく歩くと松林を抜け、見晴らしのよいところに出た。
松林の内陸側の砂地で畑らしいものを作っている人達がいる。
沢山の人達が出ており、砂を均したり、溝を作ったりしている。
近くで作業をしているお婆さんがいたので聞いてみると、
らっきょを植えているとのこと。
20センチくらいの棒のような苗を植えている。
らっきょを作っているところを初めてみた。

 らっきょう畑の向こうに運動公園が見えてくる。
運動公園を通りすぎると「かきせ橋」という橋がある。
橋のたもとがちょうど日陰だし、小一時間ほど歩いたので休憩する。

 7:00分、橋のたもとの歩道に座り込み、靴を脱ぎ、
靴下まで脱いですっかりくつろぎモードに入っていると、
制服姿の中学生らしい子供達が「お早うございます。」と
元気な声を掛けて、自転車で走り抜けてゆく。
私も、「お早う!」と返す。

 歩き出してしばらく行くと大きな白い犬を連れた65歳くらいの
お爺さんが歩いている。
「お早うございます」と挨拶すると、「どこから来たの」と
話しかけられる。
「北海道からです」というと、「私も友達が旭川と言うところにいる」と
話しかけられる。
しばらく、このおじいさんと話しながら歩く。
お爺さんは、しきりに「私の体が元気だったら歩いてお遍路を
してみたい」という。
車では何回かお遍路をしたことがあるようだ。
 歩くスピードが違うようでお爺さんが遅れがちになり、
「先に行きなさい」と言われたので、お礼を言って、先を急ぐ。

 ほどなく、家が数件建っているところに来た。
交差点を見ると、正面の道路に近道の表示があり、
左に曲がると田浦と書いてある。
ちょっと迷ったが、近道を行くことにする。

 登り下りを繰り返す山の中の農道でこの道を通る車もほとんどない。
この道をただひたすら歩く。
車もほとんど走ってこないし、人家もないのでどこを歩いているか
見当もつかない。

 しばらく歩き坂を下ると、目の前には水田が広がる広いところに出る。

 道は水田の中を真っ直ぐに延びている。
ちょっと疲れたので一休み。
この時間になると結構暑くなっているので山陰になる日陰を探して休む。
しかし、風が吹き抜けるので、思ったほど暑さは感じない。
この調子で歩ければ、いいな!

 右側の方から延びてくる道路と三叉路になったところへ来る。
どうやら、右側の道路が双海方面から来る道路らしい。
前方を見ると、家がたくさん建っているのが見える。
その向こうの高いところを車が走っているのが見える。
どうやら、堤防のようだ。
四万十川の近くまで来ていると思い集落目指して歩く。

 8:55分、堤防の上に登ると四万十大橋だ。
目の前には向こう岸まで一直線に伸びる四万十大橋がある。
そして目の下にはエメラルドグリーンの水が流れている。
四万十川だ!。
四万十大橋は文字通り大きな橋だが、橋を歩いていると、
時折、強風が吹き抜けていく。
菅笠を吹き飛ばされないように両手で押さえながら歩くので、歩きずらい。

 渡り終えるの10分は掛かっただろうか。
 四万十大橋を渡り、左側にある階段を下りてホッと一息!

 ほどなく、八束の集落に入る。八束の集落を歩いていると中学校がある。
小さなグランドで野球の練習試合があるのか、ホームベースを挟んで生徒が
整列して挨拶を交わし、グランドに散っていく。
中学校の校門のところに父兄なのか、お爺さんとお孫さんらしい人が
いすに座って野球を見ている。
 
 9:15分、私は、そのグランドが見えるところで、
ちょうど自動販売機を見つけたので、一休みする。

 八束の集落に別れを告げて、しばらく行くと津蔵渕になる。
国道から右手の道を歩くと旧道になるが、この道は、津蔵渕川の
流れに沿っており、川には綺麗な水がサラサラと流れており、
ちょっと涼しく気持ちのいい道だった。

 また、国道に合流する。合流してからは、少しずつ登りとなっていく。
両側の山が迫ってきたと思ったら、正面にトンネルの入口が見える。
伊豆田トンネルのようだ。
このトンネルは、1,620メートと長いので、トンネルの手前で休憩する。

 休憩後、歩き出すと右側にお寺がある。
こんなところにお寺があるとは?と思い、地図を見るが何も載っていない。
お寺の入り口に四国の道の石柱がある。
よく見ると今大師寺と書かれている。
道路のこちら側から手を合わせてお参りする。

 伊豆田トンネルは長いトンネルだが出口が見えているし、
広い歩道もあるので、それほど圧迫感はない。
一気にトンネルを抜けるが、太陽の強い日差しが避けられて
ホッとしながら歩く。
 
 トンネルを抜けると、道の先の方に大きな水車が見える。
ドライブイン水車のようだ。
 
 11:10分、お客さんが誰もいないドライブインに入る。
うどんを頼んでから靴と靴下を脱ぐ。ついでに、足を揉むと気持ちがいい。
冷房の効いたドライブインにすっかり気をよくし、冷たい水を何杯も
お代わりする。
ああ、生き返る!
 
 さて、今晩の宿をまだ決めていなかったので、大阪のHさんお勧めの
民宿久百々にしようと思い、携帯を取り出すが、なんと、圏外の表示がでる。
下ノ加江まで行けば通じると思い、あとで電話することにした。

 40分ほど休んで気持ちもすっきりしたので11:50分、ドライブイン水車を
後にする。
ここからは、1時間ほどで下の加江と思い、頑張ることにした。

 下ノ加江の手前で右側に流れる市野瀬側の中に奇妙な人がいる。
市野瀬川はもうすぐ海に注ぐので川幅も広くなりゆったりと流れているが、
その川の中に人がいる。
ウェットスーツに潜水眼鏡を付けている。
半身を川の中に付けて、建網で川の中の石を囲み何か漁をしているようだ。
よく見ると、川の中に半球状に石を積みあげたこんもりしたところが
何カ所か見える。
どうやら、この積み上げた石の中に寄ってくる魚か何かを取っているようだ。
こんな漁は、よほど川がきれいでなければできない。

 下ノ加江の集落に入り民宿安宿(あんしゅく)の前まで来た。
ここから、民宿久百々さんへ電話する。
奥さんが出る。
今晩の宿をお願いすると「今日は結構お客さんがいるし、この時間で
下の加江まで来ているのならもう少し先までいけるよ。」と言われる。
私は、今朝も早くから歩いているし、友達から久百々さんがいいよと
聞いていると言うと、「広間でも良ければ」と言って、
やっと泊まれることになる。

 そうすると、久百々はここ下ノ加江からは3キロほどなので、
ゆっくり歩けばいいとすっかり安心してしまう。
 
下の加江の集落の先にある橋を渡り、三原町への三叉路に来ると、
ちょうどベンチがおいてあり、「お遍路さんお休みください」と書いてある。
自動販売機もあるので、飲み物を買って、例のとおり靴と靴下も脱ぎ、
すっかりくつろいでしまった。

 ベンチに横になっていると、思わずウトウトしてしまった。
この時間は日差しも強く、今朝から炎天下の中を歩いていたので
疲れも溜まっていた。
気がつくと、ここのベンチで、なんと、30分も寝ていた。

 13:30分、気持ちをお遍路モードに戻し、歩き出す。
道は上り坂となり、左手に海が見えてくる。右手は山だ。
相変わらず海の色は綺麗だ。
岬を回ると進行方向のずーと先にボーッと霞んで見えるのが足摺岬のようだ。
 
 幾つかの岬を回ると、道路工事中の場所に出る。
右側の急な山を削っている。
そのすぐ先に集落が見える。どうやら久百々の集落らしい。

 工事中の場所を過ぎると橋がある。
集落の手前で川が海に流れ込んでおり、その橋の下にパラソルを広げ、
海水浴をしている人達がいる。
海にゴムボートや浮き袋を浮かべ遊んでいる。
とても気持ちよさそうだ。

 橋を渡ると、前方右手に白い2階建ての建物が見える。
民宿久百々さんだ。

 14:05分、民宿久百々に着く。
やれやれ、これで今日のお遍路は終了だ。

 入り口で声を掛けると、奥の方から奥さんの声がする。
玄関横にある10畳ほどの広間へ案内され、風呂の場所と、
洗濯の場所を聞く。

 早速、風呂に入り汗を流す。
広間は、風がビュンビュンと通り抜け気持ちがいい。
窓も戸も開け放して風を入れ、部屋の中で畳の上にゴロリと寝て
ウトウトしていた。

 目を覚ましたが何もすることがない。
時間を持て余してしまったので、先ほど見ていた海水浴をしていた人達の
方へ行ってみる。
 民宿の裏に細い道があるのでそれを歩いてちょっと行くと、
久百々川にぶつかる。
その川がすぐ海に注いでおり、そこで海水浴をしている。
靴を脱いで川の水に足をつける。冷たくて気持ちがいい。
気持ちが良いのでしばらく足をつけていたが、
頭の方にはカンカンでりの太陽が当たるので、いい加減のところで宿に戻る。

 宿の広間の方が風が通り抜け気持ちが良い。寒いくらいだ。
またウトウトしてしまった。

 夕食ですと、女将さんから声が掛かってので、隣の食堂へ行く。
今晩は、お遍路が私を入れて三人。
海水浴のお客さんが二組四人という顔ぶれだ。

 お遍路は、いずれも年輩の人で東京のOさんと逆打ちをしている
静岡のWさんだ。
食事時間は、お遍路話で盛り上がったが、明日の予定を話していると、
皆さん足摺岬の金剛福寺に泊まると話している。
 私もそのつもりだったのだが、久百々の奥さんから、
金剛福寺はユースホステルを廃業したと聞かされる。
それでは、足摺岬に泊まる必要もないと思った。
おまけに、久百々からなら足摺岬は往復できると言われ、
私は、一日で往復することにして、明日の晩も久百々に泊めて
もらうことにする。

 今回のお遍路は予定を組んだが、最初に組んだ予定では
44番大宝寺辺りまでしかいけない。
次回のお遍路を考えると、交通の便の良い松山市までは
行きたいと思っていた。
おまけに、足摺岬までを2日で往復するとしたら、
1日の歩行距離が25キロほどなのでちょっと物足りないと思っていた。
一昨日、昨日、と2日間歩いてみたが、足の調子はいいので
思い切って久百々さんから一日で足摺岬を往復することにした。
 Oさんは、足が遅いから明日は予定通り金剛福寺に泊まると言い、
Wさんは、金剛福寺を打った後、窪津まで戻り、奥さんに車で
迎えに来てもらうことにした。
 奥さんの話では、お接待として、お遍路さんが足に合わせた
ところまで歩き、そこまでは久百々から送り迎えのサービスをしていると
言われる。
いずれにしても、私は、明日45キロは歩かなければならないので、
6時には出たい旨話し、朝食を5時半にしてもらう。

 久百々の奥さんに、昨年の夏に大阪からHさんという女性が
泊まっているはずだがと話すと、Hさん?Hさん?と
何回か言った後に、「かよこさん?」と言ったので、
「そうです!思い出しました。」と聞くと、Hさんと言われたときに
かよこさんという名前が浮かんだと言われる。

 お客さんが書いてくれた一言が残っているはずだと言われたので、
昨年のを持ってきて探してみるとありました。
 そこに書かれている奥さんのHさんに対するコメントは、
☆田村由記子ちゃん似の顔☆
    予約をいただいた時「ありがとうございます」と伝えたら、
   Hさんの方も「こちらこそありがとうございます」って
   喜んで下さった。
    落ち込んだ後に2通の喜ばしてくれる手紙を受け取った
   ときに思った。心の中の話をさせていただいた。
   3通目は女性からで私が男だったらプロポーズすると笑わせる。
   とある。
 手紙についての話はよく分からなかったが、Hさんらしいなあと思った。

 明日の朝は早いので寝ることにしたが、昨晩の寝苦しさとはうって
変わって涼しい。
窓を開けておくと涼しい風がバンバン吹き抜けていく。
ちょっと涼しすぎるので、窓を少し閉じて寝ることにした。

 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

  久百々には満室のところを無理を言って泊めて貰いました。
 でも、泊めていただいて本当によかったと思います。
 久百々さんの広間は、風がビュンビュン吹き抜け、今までの暑さが
 嘘のように涼しく、寝不足と暑さで疲れ切った体の疲れを吹き飛ば
 した宿でした。
  ここで気持ちの切り替えがついたので、これから先の遍路も順調に
 歩くことが出来たと思います。