四国遍路テクテク日記

「四国を歩いて遍路する。」にこだわって平成14年のGWから2年間、5回に分けて歩いた記録を中心に遍路に関するあれこれ。

平成14年4月30日(阿波・第4日目)

2005-06-30 09:39:57 | 第1回(阿波編)
4月30日(火曜日)
(第4日目・ 歩行距離26.1km・ 歩数41,423歩)

 5:00分、起床。空を見ると青空がのぞいており、今日もいい天気のようだ。

6:00分、朝食。奥さんがしきりに、ご飯が柔くてすみませんと謝っている。
娘さんに任せたら水加減を間違ってしまったとのこと。
私は軟らかいご飯が好きなので気にならない。今日も2杯をしっかりと食べる。
 今晩の宿を決めていないので、奥さんに徳島市内で紹介してもらえる宿はないか尋ねると、近藤旅館を紹介してくれる。

 玄関先の箱の中にハッサクがたくさん入れてある。
もらっていってほしいとのこと。
ハッサクは重いので1個だけいただく。
 お婆さんが玄関まで見送りに出てくれている。
お歳を聞くと80歳を越えているとのこと。
「お元気ですね!」と言うと、「お遍路さんからいつも元気をもらっています。」とのこと。

 6:35分、奥さんとお婆さんにお礼を言って、13番大日寺へ向かう。
大日寺までは、11.1キロほどだ。

 ヘンロ路は、植村旅館の裏にある橋を渡り、鮎喰川の右岸の集落の中を
下っていく。
 空にはどんどん青空が広がり、まだ空気がヒンヤリしているので
気持ちよく歩ける。
足の調子も指先が痛いだけで何とかなりそうだ。
今日は徳島市内を目指し歩く。

 ヘンロ路は鮎喰川の右岸から左岸の車道へもどる。
前を行くYさんとの距離がどんどん離れる。
車道に出る。車道は、結構な交通量がある。
通勤時間なのか、みんな結構飛ばしていく。

 7:35分、広野の集落に着く。橋を渡って広野小学校の前で一休み。 
 左足の小指のテーピングを直して、ちょっと休む。
車がどんどん増えてきて狭い路をスピードを上げて走っていく。
この道は歩道がないのでちょっとおっかない。
歩道用に書かれているラインを越えないように気をつけて歩く。

 広野の町を過ぎてから、一昨年来たときに泊まった軽井沢レジャーランドの
標識を見つける。
懐かしかった。対岸を見ると、夕食を取った食堂も見える。
懐かしい光景に気をよくしてどんどん川沿いの路を下っていく。
通勤時間が過ぎたようで心なしか車の量も少なくなったような気がする。

 8:40分、刑務所入り口手前に丁度良い木陰があったので小休止する。
Sさんが追いついてきて少し話をする。鈴をどこかに落としてしまったらしい。

 入田町に入る。日差しが強くなり気温がどんどん上がっている。
ここまで来るともうすぐ大日寺だ。
大日寺の手前で、お婆さんに呼び止められ、ハッサクのお接待を受ける。
ありがたくいただく。

 9:35分、大日寺に着く。


第13番札所 大日寺

 境内には数人のお遍路がいる。見たことのない顔の人が多かった。
 荷物を日陰のベンチに置かしてもらい、お参りをする。
納経を済ませ、ベンチに腰掛け一服する。
植村旅館から貰ったハッサクを1個食べてから、近藤旅館に電話する。
宿泊OKとのこと。これで今日の宿も決まり、ほっと一安心。

 次の常楽寺を目指す。常楽寺までは2.3キロ程と近い。
ここから17番井戸寺までは、お寺の間隔が近いので適当に休める。

 大日寺の右側を曲がり、鮎喰川を目指して歩く。 
川に架かっている橋のたもとに向かって車道が右側に曲がっている。
しかし、ヘンロ路はそちらへ行かず、逆に左に曲がり川にむかっている。
左に曲がり歩いていくと、橋の真ん中に歩道が延びて、橋の歩道に繋がっている。
 橋を渡り右に曲がると、住宅地の中をうねうねと曲がりながら路が続いている。
ため池が見えてくると、常楽寺はもうすぐだ。

 10:30分、常楽寺に着く。


第14番札所 常楽寺

 山火頭の石碑に迎えられ、記憶のある自然石の階段を上がると、
常楽寺の境内だ。
境内に広がる自然石に足を取られないように気をつけながら本堂へ向かう。 
風が強くなってきており、ロウソクに火をつけるがうまくいかない。
何とか火をつけて線香に火を移す。
人気のまばらな境内なので気兼ねなくお経を唱えられるはずが、
暑さのため気持ちが集中しない。大師堂でもお経を唱える。

納経はお婆さんがしてくれた。
 実は、常楽寺の納経所ではある期待があった。
 それは、前回来たときに納経していただいた和服姿のすてきな奥様に
会えるかもしれないという期待である。
前回は、歳の頃から住職の奥さんかと思われる上品ですてきな奥さんが
納経をしていた。
納経帳を書いている姿、納経帳の扱いも丁寧で、すてきな人だと思っていた。
今回は縁がなかったようだ。

 あきらめて、次のお寺、国分寺へと向かう。国分寺までは0,8キロだ。
 
 慈眼寺の入り口に、立派なお地蔵様を見つける。懇ろにお参りする。

 11:05分、国分寺に着く。常楽寺からは1キロ足らずなのですぐに
着いてしまった。


第15番札所 国分寺
 
 国分寺は、境内の中を風が舞い、土埃が上がっている。
風に追われるように納経を済ませ観音寺に向かう。観音寺までは1.7キロほどだ。

 山門前のT字型の交差点に来ると、ヘンロ標識は左側を指し、
四国の道の標識は右側を指している。今回は右側に行ってみる。
すると道はぐる-っと国分寺を回り、ヘンロ路と合流した。

 ほどなく、大きな車道に出る。
ここへ来ると標識も見当たらないので左に曲がって進むと、前のほうで、
国分寺にいた青いシャツの人が道を聞いており、交差点で車道を横切ったので、
ついてゆく。
この人の前にもう一人ヘンロらしい人が歩いている。
 
 小学校の横を通り、細い道をまっすぐ歩いていくと交差点があった。
その交差点を渡ろうと思って左右を見ると、右側に観音寺の山門が見えた。
前を行く人に声を掛けようと思ったが、既に100mは先を歩いているので
あきらめて、観音寺へ向かう。
11:45分、観音寺に着く。


第16番札所 観音寺

 観音寺は、町の中にある小さなお寺だ。境内も狭く、こじんまりとしている。
山門の正面に本堂があり、右手に大師堂がある。

 人気の少ない境内で、本堂、大師堂にお参りする。

 納経所へ行くとお婆さんが納経してくれる。
納経が終わってから話しかけてくる。
話を聞いていると、どうもテレビニュースで報じていたこの付近であった
事件のことを話しているようで、「最近この辺も新しい住宅地が出来て
知らない人が増えたので、この辺も物騒になってきている。」とのこと。
「知らない人には話しかけることもできない。」などとブツブツ言っている。
 話の内容からすると、徳島市でもこの辺は中心街から大きく離れた町なのに、
都市化が進み、宅地開発が進みつつあり、市街からの移住者が多くなり
顔の知らない人が増え物騒になってしまったということらしい。

12時となったので昼食を取りたいと思い、お婆さんにどこか食堂はないか
尋ねると、お寺の前を左に進み突き当たりを左に進むと、
ほどなくうどん屋があるという。
地図をよく見ると、「ぬまた」といううどん屋さんがあり、
そこで一服することにして、観音寺を後にする。次の井戸寺までは2.9キロだ。

 「手打ちうどんぬまた」に入り昼食とする。「ぶっかけうどん」を頼む。
小上がりに上がり、靴を脱ぎ、靴下も脱ぐ。
足の指を前後左右に動かし揉むと気持ちが良く、生き返るようだ。 
 ここでうどんを食べていると、Sさんが来る。
さらに、喜寿のおじいさんとKさんも来る。
みんな考えることは同じようだ。
 ぶっかけうどんは、冷たくておいしかった。みんなにも勧める。

 Kさんが、いま、観音寺の納経所でお坊さんに怒っている人がいた
という話をする。
話の内容は、どうも、私の前を歩いていた青シャツの人が観音寺への交差点を
曲がらずに道を間違えてまっすぐに行ってしまったことに端を発しているようだ。
交差点に目印の標識がないということを怒っていたようだ。

 青シャツの人は道ばたにあるお地蔵さんにも手を合わせていた人なので、
そんなことで怒るということが信じられなかった。
でも、お遍路をしている人がすべていい人であるはずもないので、
「いろんな人がいるね!」ということか。

 Sさんと先に「ぬまた」を出ると、何と先ほどはなした青シャツの人が
歩いてくる。
私たちは、左に曲がろうとすると「まっすぐ行くのではないかという」
「どっちへ行っても同じですよ」と言い残し、私たちは左へ進む。

 住宅地の中を何回か曲がると、正面に井戸寺が見えてきた。

 13:30分、井戸寺に着く。


第17番札所 井戸寺

 喜寿のおじいさんは所用が出来たため、本当は通し打ちのつもりで出てきたが
今回はこの井戸寺で、一旦、家に帰るとのこと。 
 この次の健闘を願い、ここで分かれる。

 井戸寺の納経所で待っていると、先に納経を済ませたおばさんが
「小さいお金で済みません」と言って、納経料を小銭で払った。
住職らしい人が、「ドルでなければ問題ありませんよ。」と冗談を言っている。
 「大きなお金で、納経料を払われると困ることもあるけれど、
小さなお金で払われても困ることはない。そんなことも気になるのですかねぇ。」と言っている。
おもしろい住職だ。 

 井戸寺からは、丁度、一緒になったSさんと徳島市内を目指して歩く。
右手の先に見える眉山の麓が徳島市内なのでそこまで行かなければならない
とのこと。
市街地の道を快調に進む。

 鮎喰川を渡ったところで自転車に乗ってきた中年の女性から
缶ジュースをお接待される。
お礼を言って、その先にあるバスの停留所で休む。

 停留所で休んでいると青シャツの人が来る。
「この道でいいのか、今晩はどこに泊まるの?」などとしつこく聞いてくる。
口の訊き方もぞんざいな感じがする。
あまり相手にしたくない感じなので、適当に答え先を行く。
そうすると後を着いてくる。まあ、行き先は同じ方向なのだからしかたがない。
 
 佐古6番町と思われる辺りで道が大きく右に曲がっている。
地図には、こんなに道が曲がっているようには書かれていないので、
ヘンロ地図を出して見ていると、また青シャツの人が来て口を挟む。
地図には目印のガソリンスタンドが載っていたので、安心して進む。

 道路に向かい側に郵便局を見つけたので、お金を降ろすために横断歩道を渡る。
Sさんとはここで別れる。Sさんの今日の宿はワシントンホテル。

 郵便局で今日の宿である近藤旅館の場所を聞くがどうもよくわからない。
でも、駅前のほうにあることは間違いがないようだ。

 徳島市内の中心街に向かってどんどん歩いていると、
右側の小路からお遍路姿の人が出てくる。
ちょっと話していると、同じ路からあの青シャツの人も歩いてくる。
そして、道の標識が違っていると毒付いている。
横を見ると、四国の道の石柱が立っており、
なるほど、恩山寺と書いて右を指している。

この標識に従って曲がったところで先ほどのお遍路さんに会い戻ってきたようだ。

 青シャツの人を相手にせずに進んでいくと、眉山ロープウェイの駅前に出る。
横断歩道に新町橋と書かれてあるので、この辺に近藤旅館があると思い
近くの弁当屋で聞く。
しかし、どうも要領を得ない。
適当にもどって、違う人に聞き、やっと、場所がわかった。
近藤旅館の前を通り過ぎて探していたようだ。

 16:00分、近藤旅館に着く。
 フロントにいたお婆さんに「早かったですね。」と言われる。

 若奥さんに洗濯機の使い方などを聞いて、洗濯をする。
夕べ植村旅館で洗濯して乾いていないものを屋上の物干しにかける。
風があるのですぐに乾きそうだ。

 目の前には中心街が広がるので、ちょっと徳島の町の散策に出かける。
街を歩いている女学生のスカートの短さにちょっとどきどきする。
これは、この数日あまり人のいない道を歩いていたせいかもしれない。

VIVASHという珈琲ショップへ入る。カプチーノを頼む。
生クリームの泡に砂糖を浮かし飲む。おいしかった。

 お遍路から、ちょっと都会の生活に戻るが妙に落ち着かない。
徳島新聞を見ると今日の気温は26度だったようだ。6月中旬の気温とか!
道理で暑かったはずだ。

 近藤旅館に泊まっている人でお遍路は私一人だった。
あとの人たちは高知から来ている建設関係の人たちのようだ。
若い人たちで、体格もよく茶髪などで一見、暴走族風だけれど奥さんと
話しているのを聞くとごく普通のお兄さん達だ。

 明日の天気予報では雨だと言っている。
この3日間は晴天に恵まれていたので、しかたがないか。
 でも、明日は、立江までの15キロほどなので、
やはり、お大師様がゆっくりしなさいということだと勝手に解釈し、
「金子や」さんへの予約確認をあきらめ、のんびりすることに決める。


平成14年4月29日(阿波・第3日目)

2005-06-29 14:58:19 | 第1回(阿波編)

4月29日(月曜日)
(第3日目・ 歩行距離26.8km・ 歩数39,468歩)
 
 5:00分、隣の部屋が起きたようで話し声がする。

 昨晩は、痛めた足の指が気になって熟睡できなかったけれど、
旅先ではウトウトしているだけで熟睡できないのはいつものことだ。
しかし、体調はすこぶる快調。
足も痛いのは指だけで、膝とかふくらはぎに影響はないようだ。

外へ出てみると曇り空で空気が湿っぽい。少し青空も見えているので
天気は良さそうだ。

 6:30分、朝食を取る。皆さん元気な顔をしている。
今日はしっかりと2杯のご飯をかき込む。これでカロリーの補給は十分だ。
起きてすぐでも食欲があるのは元気な証拠か?
食事が済んだら、部屋にもどり荷物をまとめる。

 7:00分、民宿ふじやを立つ。
藤井寺の本堂に向かい今日一日の無事を祈願し、お参りをする。

本堂の左横にある登山口に向かう。
さあ、ここから今日一日遍路最大の難所と言われる「焼山寺の遍路転がし」が
始まる。

山道の右側にミニ遍路の石仏が置かれている。
順番を追ってみていくと、延々と続く階段の山道になる。
沢から尾根に出るための急な山道だ。両側は鬱蒼とした杉林。
薄暗くしっとりとした空気に包まれ、冷気が汗ばむ体に気持ちいい。
足元は杉の落ち葉があり、いくらかのクッションとなり踏みしめた感触は優しい。
最初はゆっくりと歩いて体調を見たが体が温まってくると調子が良くなり、
快調なピッチで登っていく。

 先に登っていた同室のSさんや数人の遍路を追い抜く。
1時間ほど登ったところで町石仏があったので小休止する。
あたりは明るくなっており山道の斜度も緩やかになってきている。
もう尾根筋に入っているようで、長戸庵も遠くないと思う。

8:10分、長戸庵に着く。長戸庵はかわいらしいお堂だ。
せっかくなので、お堂に線香を上げ、般若心経を唱える。

 長戸庵の横の広場で竹を切っている人が3人ほどいる。 
どうも、広場に生えてくる竹を切っているようだ。
チェンソーの音が響き、竹が倒れる。
作業の手を休めた人が、飴を接待してくれた。
1個いただき、お礼を言って長戸庵を後にする。

 道は緩やかな登りとなっているが、周りは明るく、空も晴れて
青空が見えている。

 尾根道に出る。
両側が鋭く落ち込み急な斜面となっているが周りが杉林となっているので
恐怖感はない。

やがて、道は下り道となる。
どんどん下がっていくと建物の屋根が見えてきた。柳水庵のようだ。
柳水庵のおじいさんと思われる人が竹箒を持って参道を掃いている。
挨拶をして柳水庵前のベンチに荷物を下ろす。

 9:20分、柳水庵に着く。先着者が一人いた。
昨日ふじやに泊まっていた大阪の人だ。
   
ここでちょっと休み、 柳水庵のお堂にお参りをする。
おじいさんが降りてきたので納経をお願いする。
 柳水庵のお婆さんから絵はがきの接待を受ける。
天気はすっかり回復し、空は一面の青空となっている。
気温も上昇しているようだ。
 ここは、丁度、中間地点。さあ、もうひと頑張りだ。

 9:45分、柳水庵を立つ。
 道は一旦下り、車道を少し歩いてから、また登りになる。
両側はよく手入れされた杉林で、明るく、時折吹き抜ける風が涼しく
気持ちがいい。 
ここでも快調なピッチで歩く。今回は、この山道でも呼吸が乱れない。
これも、普段、自転車通勤と歩いていた効果か?

 山道の向こうに階段が見える。
階段の下に立ち、上を見ると、杉の木をバックに大きな大師像が見える。
これが、あの、一本杉庵の大師像のようだ。
階段を一歩一歩上がるたびに大師像が大きくなってくる。
階段に向かって厳しい顔で見下ろしている大師像だ。
杉の古木が後ろにあるため陽の光を遮り暗くて大師の顔がよく見えない。

 大師像の大きさは3メートルはあろうか?堂々とした作りだ。
 階段を上がると自然に大師像に向かい手を合わせる。
そういう気持ちにさせる大師像だ。

 大師像の背後には、後光が差しているように伸びる大きな杉の枝が広がる。
間近で大師さんの顔を見る。なかなかいい顔をしている。
それにしても、この像をここまでどうやって運んできたのだろうか。

 10:30分、一本杉庵に着く。
大師像の右奥にある一本杉庵でもお参りをする。
 道は、ほどなく見晴らしの利くところへ出た。
目の下に左右内(そうち)の集落が見える。

正面に見える山が焼山寺がある山だと思い見ていると、
いきなり、鐘の音がゴーンと間近に響く。
本当にすぐ近くで鐘を打っているような響きだ。
この鐘の音に勇気づけられ、左右内の集落を目指し、山道を下る。

 11:00分、左右内の集落に着く。
左右内の集落を地図を見ながら歩いているうちに、
標識を見逃してしまったようだ。
丁度、農作業をしていたお婆さんに道を尋ね、言われた方に歩き、
遍路路にもどる。
歩道に腰掛けて、ちょっと一休み。

 川の中に大きなきれいな石がたくさんある沢を渡ると、
さあいよいよ焼山寺までの最後の登りとなる。

登山道のような山道を登っていくと、中年と老年の5~6人のグループが
休んでいる。
話をすると、今朝6時ころに藤井寺から登りだしたようだ。
「何時に出発したの。」と聞かれ「7時です。」と答えると、
「やあ、さすが若い人にはかなわないな。1時間も先に出たのに
追いつかれてしまった。」と言われる。
挨拶をして、先に行く。
 
林道のような道に出る。その先には舗装道路が見えている。
舗装道路に出てわかった。
この道は、前回来たときに走った焼山寺の駐車場へ行く道だ。
見覚えのある舗装された道を歩く。
遍路姿の人が何人か降りてくる。
右に大きく曲がると、その先に見覚えのある焼山寺の山門が見えてきた。

山門前の大師像が迎えてくれる。
これで、「焼山寺への遍路ころがし」を歩いたことになる。

 焼山寺までの「遍路転がし」は四国お遍路最大の難所といわれている。
しかし、私にとって、今回の「遍路ころがし」は非常に気持ちよく歩くことが
出来た。
最初の急な登り道は、前日の雨によりしっとりとした冷気に包まれ、
汗をかいた体を心地よく冷やしてくれたし、
風がないために冷えた体が寒くなることもなかった。
 日差しが強くなってきても、杉木立が日差しを遮り、
適度に調節してくれている。
足元も杉の落ち葉により適当なクッションがあり心地よい。
 一本杉庵の大師像は階段を上ってくる私を厳しい目で見ているが、
そのまなざしは決して厳しいだけではなく、よく見ると、慈愛に満ちている。
さらに、左右内の集落の見える尾根では焼山寺の鐘の音が早く来いと元気づける。
 こんなに気持ちよく「遍路転がし」を歩いてしまっていいのだろうか。
こんなに気持ちよく歩いて汗をかいたのは、本当に久しぶりだ。
 遍路中最大の難関といわれる「遍路転がし」がこんなに気持ちよく歩けるとは
思いもしなかった。

 11:55分、焼山寺に着く。


第12番札所 焼山寺

 境内にはお参りする人の姿もまばらで、静かなものだ。
時折、鐘を突く人がいる。ゴォーンといい音が境内に響き渡る。
 
本堂と大師堂にお参りをして納経を済ませると、
空いたお腹を満たすために食堂へ行く。
うどんとおにぎりを頼み、席に着く。
 靴の紐をほどき、行儀が悪いがお客さんがいないのをいいことに、靴下を脱ぐ。
足の指を揉みながら1本1本を広げる。痛いけれど気持ちがいい。

食堂でしっかり休んでしまった。
この間に、喜寿のおじいさんや、隣の若い人、大阪の人などが焼山寺に
着いているが、Sさんがなかなかこない。
どうしたかちょっと心配だけれども、今日の宿は同じ植村旅館なので
先に行くことにする。
  
 13:00分、焼山寺を後にする。天気は快晴、空には青空が広がり
気温も上昇している。
これからはアスファルトの道を下るのでちょっとげんなりする。

 時折、ヘンロ路を交え車道をぐんぐん下る。
下り道のほうが足に対する負担は重いが贅沢は言えない。
でも、相当急な下り道だ。
まっすぐに下ると膝に負担が掛かるので、車がこないのをいいことに
道幅いっぱいを使ってジグザグに下る。

 13:25分、杖杉庵に着く。
庵の前には大きな杉の古木がある。これが庵の名前の由来だろうか?

ここからはちょっと近道でヘンロ路がある。
いきなり細い農道のような道となる。土の道は、急な坂道でも足には優しい。

 14:00分、鍋岩にある公衆便所に着く。
駐車場の向かい側にある「アイスクリームあります。」の看板に
惹かれてしまった。
アイスクリームを買ってちょっと一休み。

地図を見ると、丁度、阿部商店前の交差点となっている。
ここから玉が峠に行くには車道を行く「草木繁茂期、大雨後の代替コース」か
ヘンロ路となるが、ヘンロ路を選ぶ。

 車道からのヘンロ路は、いきなり人一人が通れるだけの狭い山路となり
林の中に消えている。
しばらく進むと人家の横に出て、細い車道をヘンロ標識に従って進む。

 これより、玉が峠へ0.5キロと書かれたヘンロ標識にしたがって進むと、
道はいきなり急な折り返しの登山道となる。
右に左に折り返し一気に高度を稼いでいく。
結構きつい山道だ。汗が一気に吹き出してくる。

やっと、車道に出る。どうやら玉が峠のようだ。
少し進むと、右側に庵があり、左側には石仏がある。

 14:55分、玉が峠に着く。
 玉が峠からの車道はほとんど通る車もなく、コンクリートの急な坂道を
またもやジグザグに曲がりながら、時折、吹き抜ける風に吹かれ下っていく。

目の下に鮎喰川が流れているのが見える。
しかし、川までの標高差はかなりある。今日の宿は、川にそばにあるので、
この川と道が合流するところが宿なのだと思い頑張って下る。

消防署阿野分団と書かれた建物がある。消防車の車庫のようだ。
ここを過ぎると数軒の家がある。
その中の1軒の庭先に駕籠が置いてあり、ハッサクが入っている。
張り紙がしてあり、「お遍路さんは自由にお持ちください」と書いてある。
早速、1個いただく。

 そのハッサクは、次の休憩で食べた。
皮が少し干せていたが、ちょっと苦みがあるハッサクの味は格別だった。

 16:15分、植村旅館に着く。
 今日一日の長い遍路が終わった。

 植村旅館では、3人部屋で相部屋となる。
既に1人は来ているようで、奥さんに話を聞くと、もう一人の人は
Sさんのようだ。

 狭い階段を上がり2階に上がると、窓の下には鮎喰川が見える
景色のいい部屋だ。
先着の客は広島のYさんという人だ。
昨晩は柳水庵へ泊まったとのこと。うらやましいな~。

 洗濯をしようと思い、奥さんに話をすると、こちらで洗濯しますといわれ、
お風呂に入ってくださいとのこと。
厚意に甘え、洗濯物を渡してお風呂に入る。

風呂から上がり、部屋でくつろいでいると、Sさんが来た。
「だいぶ早く着いていたの?」と聞かれたので時計を見たら5時を
回ったところだったので、「1時間くらいですよ。」と答える。

ほどなく数人のお遍路が来たが、その中に夕べ隣の部屋にいた
喜寿の老人と若い人がいた。

 Yさんに柳水庵のことを聞く。
柳水庵は3人しか泊めないと聞いていたので、よく泊まることが出来たものだ。

柳水庵のご夫婦は高齢であり、お婆さんが入院していたとか
足がすっかり弱くなったので布団などは自分でひいてもらうことになった
などと聞いていたのでその辺の様子を聞くが、どうもその通りのようだ。

 柳水庵がなくなってしまうと、あの山道を一気に藤井寺から焼山寺まで
行くことが出来ない人には、歩いて遍路をすることが出来なくなってしまう。
 老夫婦の長命を祈るしかない。

 三人で宿の話をしていると、この先、次の難所である鶴林寺と太龍寺を
打つには鶴林寺手前にある「金子や」さんが一番都合の良い宿であるが、
この周辺にはここしか宿がないので、この宿が取れなければ手前にある
立江に宿を取るしかないことになる。
また、太龍寺の先には金龍荘と坂口屋の2軒があるが、
平等寺の周辺には宿がないので、二人とも金子やさんと金龍荘に
宿の予約をしているとのこと。

 私は、この先の宿はまだ取っていないので、早速、「金子や」に
電話してみるが、あさっては予約でいっぱいとのこと。
しかたがないので、立江にある「民宿ちとせ」と太龍寺の先にある
坂口屋に電話し、宿の予約をする。


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 藤井寺から焼山寺までの道は「遍路転がし」といわれ、弘法大師が歩いた
時代と同じように残されている道と言われています。

 二山越えて、さらに、次の山の中腹にあるのが焼山寺です。
四国遍路1200キロあまりある道の最大の難所といわれています。

 確かに、二山半の山道を越えるのは大変ですが、山道はよく整備されており
ゆっくり時間をかけて歩けば、普通の人でも十分に踏破できる道です。

 この「遍路転がし」を越えることによって、これから先の遍路を歩く自信が
出来たという人はたくさんいます。

 「遍路を歩き通す気持ちを試されているような気がする。」そういった道です。

平成14年4月28日(阿波・第2日目)

2005-06-28 09:47:20 | 第1回(阿波編)
平成14年4月28日(日曜日)
(第2日目・ 歩行距離33.4km・ 歩数49,372歩)

 5:30分に目を覚ます。さあ、今日からは本格的にお遍路だ。
天気は良さそうだ。昨日買っておいたパンとお茶で朝食を取り、
朝食用のおにぎりを昼に食べることにする。

 5:55分、ばんどう旅館を出発する。
 人気のない板東の町を歩く。狭く細い道がうねうねとつづく。
ひんやりとした空気が気持ちいい。空には青空が広がっている。
一路、大日寺を目指す。大日寺までは4.5キロほどある。7時までには着きたい。
 
 歩き出して40分ほどするとヘンロ路へ行く標識を見つける。
ここからは車道と分かれて、山道のヘンロ路を歩く。
 山道を抜け畑の中を曲がりながら進む。ヘンロ路は土の道で足には優しい。

 ほどなく愛染院の境内に出る。おばあさんが一人で庭掃除をしている。
境内を見た後、山門から出る。山門の両側には古くて大きな草鞋がかかっている。
 ヘンロ路が車道につながるともう少しで大日寺だ。
 前を歩いているお遍路がいる。若い男の人だ。手にゴミ袋を提げている。
どうやら道に落ちているゴミを拾いながら歩いているようだ。挨拶して追い抜く。

 やっと大日寺が見えてきた。
山門前の駐車場には車の前にブルーシートを広げ朝食を取っている人達がいる。
 

第4番札所 大日寺

7:00分、予定どおりの時間で大日寺に着く。
大日寺は、沢の一番奥にあり、両側に山肌が迫っている。
その山陰を通して境内に日が当たり出しウグイスが鳴く中でお参りをする。
境内にはほとんど人影がないので、すがすがしい気持でお経を唱える。
大師堂をお参りした後に本堂へ続く回廊の中にある仏像を見る。
納経を済ませると、次の地蔵寺へ向かう。地蔵寺までは2キロだ。
今日は11番まで行かなければならないので、ちょっと急ぐ。
地蔵寺までは、今来た車道をまっすぐに降りるだけだ。

 地蔵寺の手前で五百羅漢に入る。
 境内には人影もなく、辺りはシーンとしており、
ウグイスや鳥の声が境内に響く。

入館料5百円を払い、五百羅漢のあるお堂へはいる。
お堂の中は薄暗く、空気が冷たくひんやりしている。
なるほど、いろいろな顔をした羅漢さんがいる。
妻の父に似た羅漢さんを見つける。思わず笑ってしまった。

 五百羅漢を出て階段を下りると、すぐに地蔵寺の本堂横に出てしまった。


第5番札所 地蔵寺

 7:40分、地蔵寺の境内に入る。
 さて、お参りをと思ったら、団体遍路の人達がいる。
息のあった読経が静かな境内に響く。団体さんのお経の後で、
私も、ゆっくりとお経を唱える。
今回は、一昨年の経験が生きているのか、お経を唱える時にあまり周りを
気にすることなく唱えられる。これも経験のなせる技か?

8時丁度に地蔵寺を後にする。次の安楽寺までは5.3キロ、約1時間かかる。
途中で、別格1番大山寺への案内石柱を見つける。
今回は、別格へのお参りは道中にあるものだけと思っているので、
横目で石柱を見て通り過ぎる。

上板町の町を通り、松島神社を過ぎると、安楽寺は近い。
 9:05分、安楽寺に着く。


第6番札所 安楽寺

竜宮城のような山門をくぐり境内に入る。
ここで、ちょっと小休止、足も痛くなってきた。
今回は、お遍路用に靴を新調してきた。軽登山靴でちょっと細身だが
クッション性もよく気に入っている。
細身の靴なので大きめの靴を購入してきたし、多少は履き慣らしたつもりだ。
しかし、長くても1時間程度を歩いただけなので、こんなに長時間を
履いたのは今回が初めて。
まあ、ぶっつけ本番に近い状態だ。
したがって、靴が合わなくて足が痛くなるのは覚悟していた。
今のところ、右の小指が少し痛い程度で、快調に歩いている。

足と気持ちが落ち着いたところで、次の十楽寺へ向かう。
十楽寺までは1キロほどの距離しかないので、気持ちも楽だ。


第7番札所 十楽寺

 9:45分、十楽寺に着く。
 山門の中に、見覚えのあるお地蔵さん達がいる。
水子を祀ってある地蔵さん達だ。
大小の地蔵さんが二重三重に重なり祀られている。
ここで手を合わせ、境内へ進む。
 
 4番と5番は2キロ、6番と7番は1キロ、8番と9番の間は2.4キロと近く、
5番から6番は5.3キロ、7番から8番は4.2キロと距離がある。
ちょっと頑張って歩くと、おまけのように次のお寺があるという
お大師様の粋な計らいだ。

 次の熊谷寺までは約4.2キロ、今度はちょっと頑張らなければいけない順番だ。
熊谷寺は、前回来たときに中山門の屋根瓦を寄進したお寺だ。
思いで深いお寺なので頑張って歩く。


第8番札所 熊谷寺

熊谷寺に近くなってきたところで「たみや旅館」を見つける。
「たみや旅館」は、俳優の萩原健一などが泊まっていた旅館で、
女将さんが有名な人だ。
「たみや旅館」を右に曲がると坂の上の方に熊谷寺の総門が見えてきた。
懐かしいので写真を撮る。

総門をくぐり、10:50分、熊谷寺の納経所に着く。

 さすがにこの時間になると納経所も人であふれている。
 本堂と大師堂はここからまだ上のほうにあるので、
荷物をベンチに置かせてもらい本堂へ向かう。
駐車場の横に参道への入り口がある。 
本堂へ向かう参道は、行き交うお参りの人達で込み合っている。
今までは静かな雰囲気だったのが、一変してにぎやかだ。

 中山門には建設用の覆いが架けられており使用できなくなっているため、
参道は脇にある車道を利用するようになっていた。
寄進した瓦屋根を見ることが出来なくて残念だった。
 人の多い境内を眺めながら、こちらも本堂と大師堂へお参りをする。

 境内の片隅で、今度は本堂の屋根葺き用銅板への寄進を勧めている
お婆さんがいる。
一昨年のお婆さんかと思い顔を見たが違っていた。

 納経所に戻り、納経を済ませたところで、ベンチに座り昼食を取る。
足も痛いところが出来てきたので、靴を脱ぎ素足になって点検する。
足の指を1本ずつもんでみる。指を広げるように動かすと気持ちがいい。
両足の小指が痛いがマメは出来ていない。
念のためにサビオを張り、テーピングしておく。

 昼食は、ばんどう旅館で朝食用に作ってくれたおにぎりを食べる。
3個のおにぎりと漬け物もたっぷり入っているので、
1個を残しおいしくいただく。

 ここまで来ると、やっと今日の行程の半分を終了したことになり、
今日中に11番の藤井寺まで回る目処が立ってきた。少し気持ちに余裕が出てくる。

 ゆっくり休んだので、11:30分、法輪寺へ向かう。
法輪寺までは2.4キロほどだ。
 法輪寺への道は、前回、迷ってしまった道だ。注意して進む。

 法輪寺の駐車場が見えてきたときに、後ろからギュンギューンという
金属的な排気音が聞こえてきた。
振り向くとBMWの大型バイクが2台、横をすり抜けていく。

 駐車場に停まったバイクを見ると、私よりは遙かに年上のお爺さん達だ。
ナンバーを見ると水戸ナンバーときたもんだ。
自走してきたのならばたいしたもんだとバイクを見る。
バイクはよく手入れされピカピカに磨かれている。


第9番札所 法輪寺

 11:55分、法輪寺に着く。
本堂と大師堂にお参りをして納経所の方を見ると納経所前に
長い列が出来ている。
なんと、15~16人は並んでいるようだ。おまけに、その列が全然進まない。
並んでいる人に聞いてみると、中では3人が書いているようだが、
団体の納経がどっと置かれているので全然進まないとのこと。

 しばし待つこととし、山門前にある売店でジュースを買い、一休み。
この間を利用して明日の宿の予約をする。植村旅館に電話してOKをもらう。
やっと納経を済ませ、次のお寺切幡寺へ向かう。切幡寺までは3.8キロだ。

 法輪寺を出て少し行ったところで前を行くお遍路を見つける。
大きな男の人の後ろを小柄な女性が歩いている。
大きな人は足を痛めているようだ。
追い抜きざまに挨拶すると、大きな人は何と若い外国人の男性だった。
足を痛めているようで片足を引きずるように歩いており、ちょっと痛々しかった。

 切幡寺へ向かう交差点に来ると、お土産物屋さんに入るお遍路さんや
駐車場への車の出入りで、にぎやかだ。 
交差点を右に曲がり、両側のお土産物やさんを見ながら切幡寺に向かう。


第10番札所 切幡寺

 13:05分、切幡寺の山門をくぐる。
この山門はひどく傷んでいる。羽目板の下の方がボロボロになっている。
本堂は、ここからまだまだ山の上の方にあるため参道を登っていく。
上の方から沢山の人が下ってくる。

 駐車場を過ぎて少し行くと上から降りてきた男の人が「あんたもう来たのかい?
歩いているのだろう。」と話しかけてきた。手に掛け軸を持ってる。
どうやら、法輪寺で私を見かけていた車遍路の人らしい。
「早いね!」とビックリされたが、何と返事をしていいのか分からず笑っていた。
 切幡寺は、駐車場から延々と階段を上がらなければならず、
境内でも納経所が込んでいたため、歩き遍路が車遍路に追いついて
しまったということらしい。

「是より333段」「234段」と延々と続く階段も快調に登り、
本堂の前に立つ。
境内の中は、団体遍路や車遍路の人でごった返している。
今日一番の込みようだ。

 本堂からはこれから行く藤井寺がある対岸の山がぼんやり見える。

切幡寺を終えると、あとは今日の宿がある藤井寺だけだ。
しかし、藤井寺までは今日一番の長丁場、約10キロを歩かなければならない。 
吉野川を挟んだ対岸にある山裾まで歩かなければならないが、
予定より早く歩けているので、気持ちはすごく楽だ。
 
13:40分、切幡寺を立ち、藤井寺に向かう。

 藤井寺に向かい歩いていると、あちらこちらの電柱やガードレールに
藤井寺と書かれ赤い矢印のある標識が目に付く。
へんろ路保存協力会の標識とはちょっと違うような気がする。
標識を張っている箇所が多く、ちょっとうるさい感じがする。

 道標については、あまり有りすぎると「分かっているよ」という気分に
なりうるさい感じがする。
さりとて、あまり道標が見あたらないと道を間違えているのではないかと
不安になる。
この辺の微妙な心理に対しへんろ路保存協力会の道標は絶妙というしかない。
程良くつけられている。
でも、オリエンテーリングではないのだから、標識を捜し地図を見て歩けば
いいというものではない。
道に迷ったと思えば聞けばいい。
その行為から地元の人との触れ合いが生まれるし、得るものもある。

 八幡の町中にあるお店の前に、中学生が数人たむろしている。
横を通り抜けようとすると「頑張ってください。」と声が掛かる。
「ありがとう」と答えると、後ろで笑い声が聞こえた。
中学生から声が掛かると思っても見なかったし、
向こうもからかい半分で声を掛けたら思わない答えが返ってきたので、
笑ってしまったということか。

 吉野川の堤防にぶつかる。
1本目の潜水橋を渡ると、そこには広大な土地に畑や水田が広がっている。
そこは農作業の真っ最中である。のどかな田園風景が広がる。
水田に田植えをしている人、人参畑で収穫中の人、いろいろな人が働いている。
 水田の中で田植機を動かしている人がいる。
ちょっとおぼつかない動きをしており、それを見守っているご夫婦がいる。
初めて田植機を運転する息子を心配しながら見守っているようだ。

 収穫中の人参畑の横を通ると人参の匂いがしてくる。
収穫中の人参畑を見ていて、ふと、人参好きな息子が、小さい頃、
畑の人参を洗わずに食べたことを思い出す。

向こうから走ってきた車が止まる。
窓から顔を出したお爺さんが、「藤井寺までの地図を持っているか」と
聞いてくる。
「持っています」と答えると、「そうか、気をつけて!」と言って走り去る。

 2本目の大きな潜水橋を渡った堤防の上に道がある。
堤防の上からは、今日歩いてきた吉野川の左岸が目の前に広がる。
 潜水橋というのは、1車線の橋で途中に対向車がお互いに交差できる
待避場があるが、欄干はなく、洪水の時には橋自体が川の中に
飲み込まれてもいいような構造となっている橋だ。

 足もだいぶ痛くなってきた。 堤防に上がり、階段の上で一休み。
靴を脱いで足の指を見る。左足の親指と第2指が痛い。
両方の指にはマメが出来ている。
サビオとテーピングをする。
残っていたおにぎりを食べると元気が出てくる。
目の前には吉野川が見える。
吉野川は、水量も豊富だ。満々の水がとうとうと流れている。

潜水橋の向こうからお遍路が一人歩いてくる。中年の男性だ。
挨拶をして少し話をすると、広島から来た人で、
88番大窪寺から10番の切幡寺までを歩いてきたようだ。
どうやら私のように順を追って歩くのではなく、自分の日程に合わせて
88カ所の中から、歩きやすいところを選び、そこをお遍路をしているようだ。
 
藤井寺に向かって二人で歩き出し、途中まで一緒に歩く。
ほどなく、国道らしい交通量の多い道路に出る。広島の人とはここで別れる。

 この先は、静かな住宅街の中を歩き、最後に山道を少し歩くと、
「民宿ふじや」の横に出た。

16:00分、藤井寺に着く。


第12番札所 藤井寺

 曇り空で少し肌寒くなってきたが、今日の目標である藤井寺に着いた。
山門をくぐり境内にはいると、右側に見覚えのある藤棚がある。
しかし、藤の花はもう終わりに近いようだ。ほとんどの花が散っている。
日が落ちて少し暗くなってきた境内には、まだ数人のお遍路がいるものの、
納経所も電気を灯し、その電球の明かりが何か物寂しい感じを増幅してくる。

本堂、大師堂に今日最後のお経を唱え、
今日一日、無事に歩けたことに感謝する。
 16:20分、民宿ふじやに入る。

 ふじやでは、埼玉県から来ている杉村さんという62歳の男性と
8畳ほどの部屋で相部屋になる。
話してみると温厚な人だ。

 今日一日着ていたものを洗濯し、風呂に入る。
体にまとわりついていた汗を流し、足をマッサージすると生き返る気分だ。
部屋にもどり洗濯物を干すが、明日まで乾くのか心配だ。

 6時から夕食となる。 夕食会場の座敷には中年の男性が私を含め6人、
男性1人と女性の若い3人組、若い女性が1人、途中で追い抜いた
外人の男性と女性のカップル。 年齢もいろいろで多彩な顔ぶれだ。
 
 話題の中心は、もちろん、明日の焼山寺までの「遍路ころがし」だ。
 向かい側にいる老人は10年ほど前に区切り打ちで一巡しているようで、
今回は喜寿を記念して出来れば通し打ちをしたいと話している。
通し打ちをするのはこの人ほかに若い女性が1人いた。

それぞれの思いを胸に秘め、テレビの天気予報を見ながら食事を終える。
 明日の天気予報は、徳島県の北部は曇りとのこと。

 足の手入れをしていると、もう隣の部屋は電気が消えている。
まだ8時なので就寝時間には早いけれど、こちらも寝ることにする。

 今日一日は本当によく歩いた。
足の指は痛いところがあるが明日も頑張らなければいけない。

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 菅傘はとても便利なものです。
菅傘の代わりに帽子をかぶってもいいのですが、菅傘の方が数段優れています。
まず、傘と頭の間が離れているので、始終風が通り抜け熱がこもらない。
日差しをしっかりと遮ってくれる。
大きめの傘なら首筋に日差しが直接当たらないので熱射病の予防にもなる。
雨が降っても、菅傘があれば顔が濡れることはない。
この点は、メガネをかけている人にとってはとても助かると思います。
ただ一つの欠点は、風に弱いということです。
特に、横風が吹くと傘が吹き飛ばされそうになります。

 菅傘にはもう一つ大事な意味があると思います。
それは、遠目で見たときに菅傘を見るとお遍路さんであるということが
一目で分かることです。
この目印としての効用はとても大きなものがあります。
たとえば、遍路道から外れて歩いていたりしても、めざとい人が
傘を見つけて正しい道を教えてくれたりします。
ですから、いろいろなことを考えると、
帽子よりは菅傘をかぶって歩くことをおすすめします。

ただし、売っている菅傘は傘を顔に結ぶ紐が1本で
顎の下に結ぶ形のものが多いですが、
これですと、ちょっとした横風で吹き飛ばされそうになるので、
補強して使うことをおすすめします。
工事現場でよく使っているヘルメットのように、耳の前後を半円級に囲んだ
ものからアゴ紐を出すようにすると、横風にも強くなります。


第一歩を踏み出す!(阿波・平成14年4月27日)

2005-06-27 16:15:29 | 第1回(阿波編)
プロローグ

 平成12年にバイクと歩きによるお遍路を終えて、早くも2年。
予行演習のお遍路は、昨年、妻と出かけた高野山奥の院参りで無事に一巡を果たした。
あとは、念願の歩き遍路に出かけるのみだけれど、昨年は人事異動もあり、
なかなか思うように休暇を取ることが出来なかった。

 札幌へ転勤してきて二年目。
今年のGWは、4月30日から5月1日までの3日間を休むと、何と10連休になる。
これを見逃す手はないと思い、今年のGWから、念願の歩き遍路区切り打ちに
出かけることとした。


4月27日(土曜日)
 (第1日目・ 歩行距離 4.4km・ 歩数13,435歩)

 朝5時頃起き、朝食後、息子に札幌駅まで送ってもらい、札幌発6:35分の
エアーポート60号で千歳空港へ向かう。 

8:00分丁度のJAL870便、関西空港行きに乗る。ほぼ満席の状況。

 10:05分、無事関西空港に到着する。天気は快晴だ。
 徳島に向かうには高速バスを利用することにしていたが、待ち時間が1時間ほどある。
空港内をブラブラして暇をつぶし、11:10分発の徳島行き、南海バスに乗る。
乗客は、私を含め5人ほど。GWが始まったというのに寂しい限りだ。

 14:04分、若干の遅れで、徳島駅に着く。

 ここからは電車に乗り換えて、JR板東駅まで行く。
 14:27分、板野行きのワンマン電車に乗る。
 14:55分、やっと板東駅に着く。

 ここから霊山寺までは約7百メートルほど、忘れ物がないかを確認して歩き出す。
 板東駅前を歩き、突き当たりを左に曲がる。そのまま狭い道を5分ほど歩くと
右霊山寺の標識がある。標識に従って右に曲がると霊山寺を示す大きな石柱が立っている。
その向こうに懐かしい霊山寺の山門が見える。

 15:05分、やっと、霊山寺の山門に着いた。

 山門を行き交う白装束のお遍路姿の人達が見える。
 今回は、前回と違って気持ちも新たに、一応、お遍路スタイルで歩くつもりだ。

 早速、霊山寺右手にある「一番街」で遍路用品を購入する。
 菅笠、袖無しのおいづる(白衣)、杖、輪袈裟、納経帳などを購入し、約9千円ほどを払う。


第1番札所 霊山寺

 霊山寺の山門前に立つ。
 さあ、ここから念願の歩き遍路がスタートする。
 思ったほどの気負いや興奮もなく、淡々とした気持ちで一礼し、境内に足を入れる。

 まず本堂に向かい、お経を唱える。前回に較べると周りを気にすることなくお経が唱えられる。
これも進歩か?大師堂でもお経を唱え、納経所へ行く。

 納経所には、結願を果たした白髪の老人がお礼参りの納経を行っている。
かなり興奮しているようで、一生懸命ここまでの苦労話をしているが、納経所のお爺さんは
何となく適当にフンフンと聞いているだけで早く終わってくれよといった態度に見える。
このやり取りを聞いていると、老人にとっては得難い経験だが、それを毎日のように見ている
納経所の爺さんにとっては何ということのないものなのだ。
ただの風景にしか見えないものなのか。

 見ていて分かったことは、歩き遍路のお礼参りは納札を出すと納経料はいただかないことに
しているということだ。

 納経後、売店にいるおばさんに歩き遍路が記入するノートのことを尋ねると黒い表紙に
「歩き」と書いた紙を貼ったノートを出して、これに住所と名前を書いてくださいという。
ノートを見ると、27日の日付で名前があったのはほんの数人だった。

 これで、霊山寺での仕事もすべて終えたので、山門に向かい記念写真を一枚撮ってもらい、
極楽寺へ向かう。

 極楽寺へは霊山寺の山門を出て右手の車道を歩く。
時間は既に3:40分、先を急がないと3番までいけないので急ぐ。
極楽寺までの1.2キロを約15分ほどで歩き、第2番札所極楽寺に到着する。


第2番札所 極楽寺

 極楽寺は、広い境内にぽつりぽつりとお参りの人がいるだけで、境内は静かなものだ。
弘法大師が植えたという長生松をじっくり眺める。

 今年の9月には長男夫婦に子供が産まれるので、妻からどこかのお寺でお守りをもらって
来てほしいといわれていた。
 極楽寺のお大師様は子安大師と呼ばれ安産祈願などをしていただけると聞いていたので、
大師堂でも気持ちを込めてお経を唱える。
納経所で安産のお守りをもらおうとお願いすると、2千円ですといわれる。
ちょっと高いなあと思ったけれど、これはお守りなのだからと思いお金を払うと、住所と名前、
出産予定日をこれに書いてくださいといわれ、奉加帳のようなものを差し出される。
聞くと、毎月、月末近くに安産祈願の祈祷をしており、そのときに名前を呼び上げるためだ
といわれる。
2千円という金額は、この祈祷料とお守り代を含んだものということで納得する。

 納経所にいた女性が私の住所を見て、「北海道からいらしたのですか、ずいぶん遠いところ
から来たのですね。」という。

極楽寺では、ちょっと時間を食ってしまい、納経所の締切の5時まであまり時間が
なくなったので、次の札所金泉寺へ向かう。
金泉寺までは2.5キロ、ちょっと距離があるので、急ぎ足で歩く。

 金泉寺らしいお寺が見えてきたところで、ヘンロ標識が指し示す道は、
何と、田んぼの畦道みたいなところを指している。
へんろ路保存協力会の道標に出会うとやっとお遍路に出てきたのだという実感が涌いてくる。
その標識にしたがって進むと、いきなり金泉寺の大師堂の横に出た。


第3番札所 金泉寺

いきなり大師堂の横に出てしまったので、山門へ戻り、入り直しをする。
 時間は既に4:40分、納経所の締切時間が迫っているので、とりあえず納経を済ませ、
順序が逆になるが、それから本堂と大師堂へ向かいお経を唱える。

 汗をかいた背中が寒くなってきたと思ったら、日がすっかり傾いている。
境内を見渡すと、私のほかにはお遍路さんが1人しかいない。

 山門を出て、今日の宿であるばんどう旅館へ向かう。
 途中で、読売新聞の販売店を見つけ道を尋ねる。迷うことなくJR板野駅前にある
ばんどう旅館に着く。
板野の町は道路が複雑で下手にはいると迷うなどといわれていたがそんなことはない。
これで、今日一日の遍路が終了した。

 ばんどう旅館に泊まっている客は私のほかに1人しかいなかった。
 夕食は、1階にある喫茶店でいただく。カニ鍋などもある本格的な料理でおいしくいただく。

 明日の朝食は7時からだと聞いてお願いしたが、「明日はどこまで行くの。」と女将さんに
聞かれ、「藤井寺までです。」と答えると、それならば、7時では遅すぎるといわれる。
ここからは、普通10番の切幡寺までだといわれ、朝食をおにぎりにしてもらい明日は早く
出発することとし、宿代も先に払ってしまうことにした。
 
 菅笠の紐が細くて気になっていたので、夕食後に近くの「いながき手芸店」へ出かけ、
太い綿で出来た紐を買い、笠紐を補強し、かぶりやすくする。
ついでに、近くのお店で昼食用のパンと飲み物も買っておく。

 寝る前に、女将さんが朝食用のおにぎりを部屋まで届けてくれる。


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 平成14年のGWから平成16年のGWまで、ちょうど2年間で、
四国の遍路道を歩いて回ることが出来ました。

 四国ではたくさんの人たちに温かく迎えられ、
気持ちよく歩けたことに本当に感謝しております。

 この気持ちを忘れないように、また、いつの日か四国の空の下を歩くことが
できるときまでの思い出として綴った日記ですが、
これから歩こうと思っている人たちの参考になるかと思い、
最近流行のブログをつかって、つたない日記ですが掲載することにしました。

 読んでいただいた感想や質問がありましたらコメントに残してください。
私の知っている限りですがお手伝いさせていただきます。