四国遍路テクテク日記

「四国を歩いて遍路する。」にこだわって平成14年のGWから2年間、5回に分けて歩いた記録を中心に遍路に関するあれこれ。

高野山での一日

2005-09-06 09:14:45 | 第5回(結願・高野山)
 昨日、奥の院にお参りしたことで私の遍路は無事に終えたことになる。
今日は一日中高野山を見て歩くことにした。

 無量光院の朝のお勤めに参加する。
6時に本堂へ行く。

本堂は狭く薄暗いが一番端に椅子がおかれており、
「お参りは時間が掛かるので、足が不自由な方は遠慮なくお座り下さい。」と
言われる。
私は、正座しても胡座をかいても足がしびれてしまうので、
遠慮なく椅子に座らせてもらう。

本堂の右側には護摩壇があり、すでに護摩供養が始まっている。
左側にご本尊が祀ってあり、こちらにお坊さんが6人ほど両側に分かれて
座っている。
正面を向いてご住職が座る席には何と外人さんが座っている。
この外人さんの合図により朝のお勤めが始まる。

延々と続く読経をきいている。
時折、護摩壇の火が大きくなるがこちらからはお経を読んでいる声が
聞こえてこない。

しばらくすると、護摩壇の方からお参りに参加している人が祭壇の方へ呼ばれる。
順番に祭壇へ歩いていくと大師像へお水をあげるようになっている。
白い湯呑みを渡され、その湯呑みに水を入れてくれる。
そして、その湯呑みを大師像へ捧げる。
そうするとその湯呑みの水をお坊さんがバケツにあけ、次の人に渡す。
これを繰り返している。
大師像の前から右手のご本尊にお参りして自分の席に戻る。
 一通りお参りを済ませるとご住職の説教がある。

 ご住職は、護摩壇の後ろに控えていた方だ。
「本堂が狭くて申し訳ない。いつもは、この後、私の部屋に来ていただき
お茶など飲んで頂くのですが、今日は沢山の方に泊まっていただいているので、
それも出来ず申し訳ない。」などと挨拶してくれる。

 およそ1時間ほど掛かった朝のお勤めは、気持ちをすがすがしくしてくれた。

 この日、せっかくの高野山は雨。
午前中は小雨だったが午後からは本降りになる。

金剛峯寺、根本大塔、宝物殿などを見る。
金堂は信者の人に対する行事があるようで観覧できない。

 雨の中を濡れながら一日中、高野山で時間を潰す。

 夕方、本降りの中を無量光院に行く。
無量光院に預かってもらっていたザックを受け取り、
雨具に身を包み菅笠を被り玄関から出ようとしたときに
青い作務衣姿の若い寺生が車で帰ってきた。

車を車庫に入れ、傘を差して玄関へ来る。
私が玄関を出ようとすると、「四国へ行って来たのですか?」と
声を掛けられ、「雨が強くなってきたので傘を使って下さい。」と
傘を差し出される。

私は、「菅笠があるので大丈夫です。今晩泊まるところも近いので!」と
いってから雨の中を歩いて門のところまで行き、
お礼をしようと思い振り返り手を合わせようとすると、
先ほどの若い寺生が両手を合わせてジッとこちらを見て見送ってくれている。

この時、私の胸の中にジーンとしたものが走り、目頭が熱くなった。
私は、宗教心も薄い一介のサラリーマンだ。
その私が修行中とはいえお坊さんに手を合わせられるような存在ではない。
しかし、目の前にいる寺生は、この私に手を合わせてくれている。

この寺生の姿が幾度となく四国で受けてきたお接待をしてくれた人達の姿と
だぶり、私の胸の中を揺り動かしてくる。
えもいわれぬ感動が湧いてくる。
このとき、本当に四国を歩いて良かったと思った。

 今夜の宿はユースホステルです。
高野山のユースも実はお寺さんなのです。
宿坊ではありませんが、気持ちよく泊まれました。
宿泊料金は宿坊に比べると格安ですが、食事もおいしかったです。

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  これで私が2年をかけて四国を歩き通したお遍路が終わりました。
 足の痛さに我慢をして歩いたときもありますが、四国の人から受けた
 暖かいお接待に助けられ歩けたのだと思います。

  しかし、2年間歩いたことが私の心に響いてきません。
 区切り打ちのせいなのか、何が達成感を呼び起こさないのか分かりません。
 今度はぜひ通しで歩きたいと思っていますが、しがないサラリーマンでは
 退職後を待つしかありません。

  この遍路日記を書き残したのもこの通し打ちに備えるという意味が
 ありました。  
 定年退職後に通し打ちが出来るときには今回歩いた記録をひもときながら
 歩いてみたいと思っています。

  さらに、今一番歩いてみたいのがチベットの奥にあるカイラス山の
 巡礼路です。
 カイラス山を1周する50キロほどの巡礼路です。
 今は、この目標に向かって体力とお金を貯めるべく頑張っています。
 もし、カイラス山に行くことが出来たときには、また巡礼日記を
 書いてみようかと思っています。  
 
 

平成16年5月3日(結願から高野山・第39日目)

2005-09-05 09:28:03 | 第5回(結願・高野山)
5月3日(月曜日)
(第5日・通算第39日目・歩行距離27.0km・歩行歩数44,280歩)

 4:45分、起床。昨晩は蒸し暑く寝苦しかった。
でも、体の方は一日休養したせいか調子はいいようだ。

 駅に向かう途中にあるローソンで朝食を買う。
昼食は高野山で取るつもりなので買わない。

 5:38分、JR和歌山線で橋本へ向かう。
電車はほんの数人を乗せて紀ノ川沿いの線路を川上に向かって走る。

 6:50分、橋本に着く。ここから南海電鉄の高野山線で九度山へ行く。

 7:23分、高野山線に乗り換え九度山駅に向かう。

 7:35分、九度山駅に着く。
改札口を出てどちらへ行けばいいのか分からなかった。
駅員さんに慈尊院への道を聞いてから、歩き出す。
慈尊院へは1キロほどだという。

 7:55分、慈尊院に着く。
1キロと聞いていたが、駅から2キロはあるようだ。
これなら、橋本での待ち時間を考えると、九度山駅までこないで
高野口駅から歩いた方が時間の節約になったようだ。

 慈尊院は、昔、高野山が女人禁制だった時代に、
ここで弘法大師とお母様が会った場所とされている。
九度山という地名もお母さんが弘法大師に会いに月に九度も来たという
由来によるものらしい。
しかし、九度山といえば、私には豊臣秀吉と徳川家康が権力争いを
していたときに、真田一族や真田十勇士がこもっていた山という記憶の方が強い。

 途中の広場でも真田市という物産市が開かれており、
幟にはおなじみの六文銭のマークが印刷されている。

 慈尊院でお参りをしてから、納経もお願いする。
納経帳は一杯なので半紙納経を頂く。
 
 五人ほどの中高年の男女がハイキング姿で階段を上がっていく。
この道はお遍路よりもハイキングコースとして歩かれる人の方が多いようだ。

 町石道は高野山にある根本大塔から一町ごとに卒塔婆の形をした石柱が
180本建てられている。
そして180本目が慈尊院にある。
この間の距離は約20キロほどだ。

 8:15分、いよいよ奥の院へ向かって町石道を歩く。
まずは、丹生官省符神社へ続く急な階段を上がる。
神社に参拝してから180町石を捜したが見あたらない。
境内にある案内板を見ると先ほど登ってきた階段の途中に180町石があるようだ。
後ろに戻るのをちょっと躊躇したが、階段を下りると中程に180町石があった。
写真を一枚撮ってから、もう一度、階段を登る。

 神社の右手から山に向かって歩く。
正面に見える柿畑の中へ道が続いている。
かなりの傾斜の道を九十九折りに登る。
振り返る度に視界が開けてくる。
目の下には紀ノ川が流れており、橋本の市街も見えている。

 一町は109メートルなので少し歩くと次々に町石が現れる。
最初は番号を確認していたが、そのうち、面倒くさくなってやめた。
標識は、ヘンロ標識でも同じだがあまり有りすぎるのも考えものだ。
景色を見るより標識に気を取られてしまうし、
何より、あまり進んでいないような気がして、精神衛生上良くない。
適当に跳ばしていく。

 9:20分、柿畑の山を登り終えて、道も土の道になる頃には
あたりは杉林となっている。
丁度、1里石が有るので、ここで休むことにした。

 ここで今晩の宿を捜さなければいけないと思い携帯電話を取り出すと、
携帯の画面にアンテナが3本立っている。
見晴らしのいい場所なので携帯も通じる。
早速、高野山宿坊組合に電話する。

 宿坊組合の女性に「ゴールデンウィークなので料金は高くなってます。」と
言われるが、ユースホステルも満員なので料金のことは目をつぶる。
大阪のHさんから紹介されていた無量光院に泊まってみようと思っていた。
係の女性に「無量光院に泊まりたいが、無量光院が無理ならどこでもいいです。」
といって一度電話を切る。

 歩き出してすぐ携帯が鳴る。宿坊組合からだ。
「無量光院に泊まれます。料金は1万円です。」といわれる。
そして、料金は宿坊組合に支払うことになっていると教えてくれる。

 組合の事務所は大門にもあるし、中心街の観光案内所の中にもあり、
どこで支払ってもいいが、5時までしかやっていないので、
必ず5時までに来て下さいと念を押される。
まあ、昼過ぎには行けるだろうと思っているので、
「分かりました。」とだけ返事しておく。

 一里石を歩き出してすぐに六本杉の分岐点に来る。
ここから右手に行くと丹生都比売神社へ降りていく道となるが、
私は左へ進む。

 しばらく杉林の中を歩いていくと、前方にチエンソーを持った若者が
二人休んでいる。
どうやら間伐をしているようだ。

 最近、林業にも若者が回帰しているとは聞いていたが、
実際にお目に掛かったのは初めてだ。
「間伐ですか?」いうと「そうです」と元気な声が帰ってくる。

 二つ鳥居に着く。
町石道に並ぶようにして石の鳥居が二つ並んでいる。
この鳥居がどこの神社の鳥居か分からない。
付近に神社らしき建物は見あたらない。
 
 少し山を下ると、突然、前方の視界が開けてくる。何とゴルフ場がある。
町石道を歩いていくとゴルフコースの真横に出る。
四人ほどのグループが私の鈴の音を聞いて振り返る。
そのうちの一人が、今、まさにボールを打とうとしたときに鈴が鳴ったので、
振り返った目がとげとげしい。
アドレスの邪魔になったようだ。
しかし、小さな鈴の音が邪魔になるくらいでは、
まともなゴルファーではないだろう。
一応、会釈をして通り過ぎる。

 神田地蔵堂という小さなお堂の前を通る。

 しばらく林の中を歩いていると、消防車のサイレンの音が聞こえてくる。
その音がこちらの方へ近づいてくるようなのでその音のする方を見ると、
右手のゴルフ場のむこうにモクモクと白い煙が上がっている。
山の陰で建物は見えないが、こんな山の上で火事に遭うとは思わなかった。

 10:40分、96町石の横で休む。
ここまで約2時間半、ほぼ半分ほど歩いたことになる。
天気がいいのでどっぷりと汗をかいている。
林の中は日陰で幾分涼しいが、それでも気温が上がっているので暑い。
飲み物をがぶがぶ飲むと残りが少なくなってくる。
ペットボトルに半分ほどしかない。
この山の中では補充できないので、あとは我慢するしかない。

 山道を快適に歩いていくと道が下っていく。
左手の方から車が走っている音がする。
よく見ると、すぐ下に車道がある。

数人のハイカーが歩いている。
その後ろを歩いていくと車道を横断する場所に出る。
人が沢山いて賑やかだ。
どうやら矢立茶屋らしい。

道路を横断すると休憩所があり、建物の横に自販機がある。
自販機から缶ジュースを買って一気に飲む。「うまい!」これで一息つけた。

 そのまま休まずに歩く。
道はまた登って行くが、山道の脇に「袈裟掛石」、「押上石」など
いわれのある石が次々と出てくる。
それらを見ながらゆっくりと登っていくと、また、車道に出る。

 11:20分、車道を登ったところに立派な休憩所があるので、
ここで休むことにした。

見晴らしがいい場所なので風当たりがよく、汗をかいた肌に気持ちが良い。
ちょっと横になると、背中の筋肉がバリバリといって伸びる。
これも気持ちが良い。
目をつぶっていると、風が頬をなぜていく。
ちょっと、ウトウトしてしまった。

 さて、気を取り直して歩き出す。
しばらく歩くと道はだんだん急になってくる。
いよいよ最後の登りか?

 上の方から数人のグループが降りてくる。
挨拶を交わしながら登っていくと階段が現れる。
上の方に車の走る音がする。
車の音が一段と大きくなったと思ったら車道が現れ、そこは、大門の前だった。

 13:13分、左手を見ると朱塗りの大門が堂々と聳えていた。
これほど大きな仁王門は見たことがない。
あまりの大きさに圧倒されてしまった。

車に気を付けながら車道を横断する。

 山門で手を合わせ、一礼して、門をくぐる。
そこは、車と人が溢れている。狭い道に人が溢れている。
今まで一人で歩いてきた山道とは別世界が目の前に広がる。

 大門から奥の院へ向かって歩くが、行き交う人と車でむこうから
歩いてくる人とぶつかりそうになりながら進む。

 昼食のことを考えながら歩いていると食堂があるがどこも満員だ。
これではどうにもならないので、丁度、お弁当を売っている店があったので
巻きずしを1本買う。

 15分ほどで金剛峯寺に着く。お寺の前にある駐車場も車で溢れている。
奥の院に行く前に金剛峯寺にお参りをしてしまうことにした。
何故かというと、納経帳にある奥の院の裏のページに金剛峰寺の納経を
頂こうと考えたからだ。

 山門前は行き交う人で賑やかだ。
山門をくぐりお寺の正面でお経を唱える。
しかし、目の前にある寺の廊下を歩いている観光客が沢山いるため、
落ち着いてお経が上げられない。
それでもどうにかお経を唱え、納経所へ行く。

納経所も沢山の人で溢れているが、納経帳を書いてくれる人も沢山いるので
待ち時間はほとんどない。
私の納経帳は若いお坊さんが書いてくれたが、お坊さんの胸に身分証が
ぶら下がっている。
黒い法衣に近代的な身分証は違和感があった。

 13:30分、金剛峯寺にお参りして奥の院に向かう前に昼食を取ることにした。
適当な場所がないので、山門横にある植え込みの影に座り込み、
さっき買った巻きずしを食べる。
靴下も脱いですっかりくつろいでしまった。

目の前を観光客が歩いて行くが、ちょっと木陰になっているので
それほど気にならない。
缶ジュースも飲んで、やっと一息ついた。

 通り過ぎる観光客がチラッ!チラッ!と私の方へ視線を落として行くが、
どうもその目が冷たい。
まあ、髭面で汗くさい体だろうから避けていくのは当然か?

 ゆっくり休んだので奥の院目指して歩く。
車道は車が一杯で身動きができなくなっている。
歩道も先ほどより一層込み合う状態なので、狭い歩道の上を向こうから
来る人を右に左に交わしながら歩く。

 30分ほど歩くと奥の院へ続く参道の入口である一の橋に着く。
ここからは、無数の墓の真ん中を奥の院まで続く参道を相変わらずの人の中を
歩く。
 
 14:50分、灯籠堂を回り込むと奥の院の前だ。
やっとこの場所に着くことができた。
しかし、奥の院の前も人で一杯だ。
ほとんどが観光客だが、団体遍路の人達10人ぐらいがお経を唱えている。
灯明をあげようとするが灯明台はロウソクで一杯になっている。
もう火が消えそうなロウソクを抜いて、新しいロウソクを差して
火を付け、線香にも火をつける。

いつものようにお経を唱えるが、気持ちが浮ついている。
雑踏に等しい奥の院の前では、感動のカケラも湧いてこない。
それでも、お経を唱えたので納経所で納経をしてもらう。
これで、2年がかりの歩き遍路を無事終えたことになる。
でも、「やった!」という達成感があるかと思えば、
心の中に何の感情も感動も湧いてこない。

しかし、終わったのは事実だ!

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  奥の院へのお参りを終えて、これで丁度2年を要した私の遍路が
 一段落したことになる。
  でも、心の中に達成感が満ちてはいない。
 何科もの足りなさだけが残っている。
 一体どうしたことだろうか?

  2年前、霊仙寺の納経所で歩き終えた老遍路が涙を流しながらお坊さんに
 話していた光景が目に浮かんでくるが、あれほどの感激が私の心に
 湧いてこない。

  まだ歩き足りないということなのか?
 または、もっと歩きなさいということなのか?

 

平成16年5月2日(和歌山市内で一休み)

2005-09-03 09:20:29 | 第5回(結願・高野山)
5月2日(日曜日)

 今日は、和歌山県の橋本市へ移動するだけだ。
明日は、九度山から高野山奥の院へ続く「町石道」を歩いてお参りする。

 大鶴旅館のお婆ちゃんが造ってくれた昼食用のおにぎりをもらい、
旅館の前で見送りを受けながら別れる。
記念にと女将さんにお婆ちゃんとのツーショットを撮ってもらう。

 徳島駅まで歩きそこから市営バスで南海フェリー乗り場へ向かう。
7:35分、運良くすぐバスが出る。乗り降りする人がほとんどいないのでドンドン進む。
フェーリ乗り場のすぐ前まで来ると車が渋滞して前に進めない。

8:10分発のフェーリーが出港準備をしている。
運転手さんにバスを降ろしてもらいフェリー乗り場へ急ぐ。
込み合う待合所で自販機から切符を買いようやくフェリーに乗り込む。
船の中は足の踏み場もないくらい人で溢れている。

後部甲板にあるベンチに腰掛けるが、風が吹き込み寒い。
和歌山までは約2時間の乗船だ。
このベンチではちょっと辛い。

 船が出る。港を出るとやはり風が吹き込んで寒い。
船室の廊下で立って休む。この混みようではこれしか方法がない。我慢!我慢!

 南海フェリーを降りると電車で南海電鉄和歌山市駅へ行き、
そこからJR和歌山駅へと向かう。
和歌山駅で時間があるので今晩の宿を決めようと思い、
橋本市の竹屋旅館に電話するが「満室です。」と断られてしまう。
YH高野山などあちらこちらに電話するがどこも満室だ。
仕方がないので今晩は和歌山に泊まることにして、
駅の中にある観光案内からホテル・旅館の案内パンフレットをもらう。

駅の近に決めようと思い電話するが、数軒の宿に「満室です。」と断られてしまう。
安い宿はどこも満室だ。
ようやく「BHかつや」という駅から7~8分くらいの場所にあるホテルに
予約を入れる。
チェックインは午後3時からといわれたので、取りあえず荷物だけを
先に預かってもらうことにする。

 ちょっと分かりづらい場所だったので捜したが、
見つけることができて何とか荷物を預かってもらう。

さて、夕方まで時間を潰さなければいけないが観光する気にもならず、
映画を見ることにする。
宿からもらった市内地図を見ると15分ほど歩いたところに帝国座という映画館がある。

帝国座では「キルビル・Ⅱ」をやっていた。
何でもいいので映画館に入る。
ガラガラの映画館なのでウトウトしながら見ていた。

 明日は一番の電車で橋本に向かうことにして早めに寝る。

平成15年5月1日(結願から高野山・第38日目)

2005-09-02 08:53:29 | 第5回(結願・高野山)
5月1日(土曜日)
(第3日・通算第38日目・歩行距離35.0km・歩行歩数56,229歩)

 5:15分、起床。
朝食用に作ってもらったおにぎりを食べて、出発の準備をする。
他の部屋のお遍路さんはまだ寝ているようだ。

 6:00分、白鳥温泉を出発する。
川筋に沿って下って行くが、谷間にはまだ日が射してこない。
しかし、空はピーカンの青空で、今日も暑くなりそうだ。
朝の道は車も走ってこないし、まだ空気がヒンヤリしていて気持ちが良い。

 しばらく下っていると宗心の分岐点に着く。
この分岐点を左に曲がると、いきなり畑の横の細い踏み分け道のようなところにでる。
ヘンロ標識はその道を差しているので標識に従って進む。
すると、目の前に新しい立派な道が現れる。
この道を歩いていくと、道が少しずつ登りとなり、登り終えたところが星越峠だ。

 ここから下っていくと右手に沼が現れる。
この、沼と思ったのは大内ダムによる大内湖だった。

 7:00分、大内ダムの手前にある大内ダム公園の手前で休む。
ここでトイレに行きたくなったが付近を捜したがトイレが見つからない。
公園の中にある建物を見に行ったが売店の建物のようでシャッターが降りている。
仕方がないので、與田寺まで我慢して歩くことにする。

ダムの下に来ると道は与田川に沿って下っていく。
両側には田んぼが広がっておりのどかな風景だ。

 道の左側に古くて立派な神社がある。
正面に回ってみると水主神社と書かれている。
古い石の鳥居はなかなか立派なものだ。

 左手の方に高速道路が走っているが、その方向へ向かって歩いていく。
高速道の下をくぐると右手の方にこんもりとした森が見えている。
どうやらそこが與田寺のようだ。


 7:55分、與田寺に着く。
山門前の両側に双抱え以上ありそうな大きな木が堂々と根を張っている。
與田寺は四国霊場の総奥の院といわれている。
境内にはいると作務衣姿の人がおり、箒で境内を掃除をしている。
本堂にお参りをしてから大師堂に行くが、大師堂は階段を上がらなければならない。
階段を上がり一番奥にある建物の前に行くが、これは大師堂ではないようだ。
辺りを見回したが大師堂が見あたらない。

仕方がないので下に降りて納経所へ行くと、納経所の窓がしまっている。
どうしょうか考えていると、境内を掃除している人が「納経ですか?今行きます」と
いう。
納経帳が一杯になっていることを告げると、「これをどうぞ」といって、
すでに半紙に墨書されているものを1枚渡してくれる。

 山門から出たところに駐車場があり、その脇にトイレがある。
我慢してきたものを出しスッキリしたところで、さあ、後は霊山寺を目指して
歩くだけだ。

 この辺りも市町村合併により「東かがわ市」という名称になっている。
白鳥町のはずれを引田町に向かって遍路道を歩く。
この辺りでは、ヘンロ標識をあまり見かけない。

 本来、お礼参りの必要があるかという議論があるが、
私は、「お遍路を始めたお寺に戻る」ということに意義を感じている。

なぜかというと、お遍路は1番のお寺から始めるのではなくて、
どこのお寺から初めても良いとされている。
しかし、始めたお寺に戻らなければいけないという話も聞いた。
津照寺の納経所で「お礼参りは必要がない。霊山寺が勝手に奨励している。」などと
いう話ではなく、「回り始めたお寺に戻る」だけのことではないか?

回り始めたお寺に戻るということは、四国で自分があるいた道筋が一つに繋がり
「環」になるということではないか。
その「環」は輪廻転生に繋がるものではないかと思っている。

 白鳥中学校の先にある角を右に曲がり歩いていると向こうから来たおじさんが
「どこへ行く?」と声を掛けてくる。
「霊山寺へ行きます。」と答えると、ちょっと首を傾げてから
「そうか、それならこの道を真っ直ぐ行けばよい。」と教えてくれる。
どうやら、與田寺へ行くのかと思ったようだ。
それなら反対の方向へ歩いていると心配になって声を掛けてくれたようだ。
 そうそう、このようにしてお遍路は地元の皆さんから見守られているのだ。

 9:30分、白鳥町の市街から外れた墓地が見える農道の横で休む。
遠くに見える墓地には色とりどりの花が咲いている。
すっかり高くなった太陽からは強い日差しが容赦なく照りつける。
北海道から来た身にとっては真夏のような日差しだ。
半袖から出ている腕が日焼けで真っ赤になっている。

 遍路道の先で国道11号に合流している。
今までのどかに歩いていたのが、うって変わって車の騒音の中を歩かなければならない。
国道の交通量は相当のものだ。
左側にある歩道に渡ろうとするがひっきりなしに行き交う車で渡ることができない。
やっと、間が空いたので走って歩道へ行く。

 引田の町に入る。市街地にはいると歩道が狭くなり、歩くのも横を走る車に
注意しなければいけない。

 町はずれにある大川橋を渡ると左手に海が広がる。

 10:40分、少し歩いたところに集落があったので、そこで一休みする。 
ここで、朝食の残りのおにぎりを食べる。

 この集落の中を歩いていくと東海寺の手前を通る。
また国道へ出るが歩道がなくなっているので道路の右端を歩いていくと
右手に大坂峠への入口を示すヘンロ標識を見つける。
ここから大坂峠を越えて行くと3番札所金泉寺へ出る。
でも今回は、一番遠回りである卯辰越えを選んでいるのでこのまま海を見ながら進む。

 左手の海側にうどん屋を見つける。
「手打ちうどん」と書かれただけで屋号を示すような看板がない。
中にはいるとセルフの店だった。かけうどんを頼み、かき揚げをトッピングする。
店はまだそれほど込んでいないので、小上がりに上がり靴下も脱いでしまう。
 うどんは美味しかった。もっちりした歯触りが心地よい。
開け放たれた窓からは気持ちいい風が吹いてくる。

 美味しいうどんが食べられたのですっかり気をよくして歩いていると、
向こうから走ってきた軽自動車が左にウィンカーを出し止まる。
運転席から60過ぎのお爺さんが降りてくる。
そして、「これを!」といって五百円玉を手渡される。
あわててお礼を言うが、お爺さんはもう車の方に歩きかけている。
車の助手席に奥さんらしい人が乗っているので、頭を下げてお礼する。
 この辺りをお遍路する人はほとんどいないのではないかと思う。
ここでお接待を受けるとは思わなかった。感謝!感謝!

 三津トンネルを過ぎると向こうの方に折野の港らしい突堤が海に突き出ている。
もう少しと思い頑張っる。
 港が近くなってきた。道路の交通標識に右を指す矢印に大麻と書かれている。
ようやく折野に着いたようだ。

 右大麻とかかれた標識の横にあるスタンドの前を歩いていると、
スタンドの事務所から「お遍路さ~ん」と呼ぶ人がいる。
後ろを振り返ると事務所の建物からお爺さんが歩いてくる。
「大麻神社へ行くのだろうと思って待っていた。車に乗っていかないか?」といわれる。
「すみませんが、歩いてお遍路しているので!」と断ると、
手に持っている缶コーヒーを渡してくれる。
缶コーヒーを2本持っていたので、どうやら、私と自分の分を買って
待っていてくれたらしい。ありがたいことだ。

 12:35分、ガソリンスタンドの先にある交差点で一休みする。
今晩の宿をまだ決めていなかった。今晩は徳島市内の大鶴旅館に泊まるつもりでいる。
電話すると女将さんが出て宿泊OKの返事をもらう。
場所がわかるかと尋ねられたので、「一度泊めていただいた。」というと
「地図の場所は間違っているから気を付けて!」と念を押される。

 さあ、いよいよ最後の峠越えだ。ここからは、折野川に沿って山へ向かって歩く。
車の通りも少なく気持ちよく歩いていると道がだんだん急になってくる。
卯辰越えの峠だ。

 九十九折りの坂道を登っていくとカーブミラーにパトカーの赤い警告灯が見える。
どうしたのかと思いカーブを曲がると、ミニパトに警官が一人乗っている。
その後ろにバイクが1台止まっている。事故でもあったのかと思いバイクを見るが、
特に傷などないように見える。
急なカーブを曲がりながら路面を見ると白墨で人影のようなものや矢印などが
書かれている。
やはり事故のようだ。バイクが車に衝突したのか?

 そのまま歩いていくと板野の方からまたパトカーが走ってくる。
こんな車がほとんど通らない峠で、何故、事故が起きるのだろう。
ヘアピンのようなカーブだったので、バイクが対向車線にはみ出したのか?
または、車が対向車にはみ出したのか?いづれかは分からないが、
バイクに乗った人は見あたらないのでもう病院へ運ばれているようだ。

 私も半月ほど前にバイク事故を起こしたので、他人事とは思えない。
幸いに、私はほとんど怪我をしていないが、事故はちょっとした油断から起きる。

 13:50分、峠に着く。ここからは下り坂となる。
登ってきた道と同じような坂道が延々と続く。
しかし、下りなので足は進むが膝に対する負担は大きい。

 坂の途中で林の中でガサゴソ音がする。
付近の谷にはゴミが散乱している。不法投棄のゴミのようだ。
よく見ると猿が数匹ゴミを漁っている。体格のいい猿がジッとこちらを見ている。
この猿はボス猿か?一枚写真を撮るとフラッシュの光りに驚いて、一瞬、身構える。
「驚かせてごめんね。」と声を掛けて歩き出す。

 14:30分、卯辰越えの峠道を下り終えると、大麻比古神社の駐車場に出る。
駐車場から社殿の正面に回ると立派な楠の古木がある。
幹の太さが三抱えはあるような堂々とした大きな木だ。
その奥に大麻比古神社の本殿がある。
お参りをした後、少し休む。ここまでほとんど休憩しないで歩いてきたから、
靴を脱ぎ、靴下も脱いですっかりくつろぐ。
なにせ、霊山寺は目と鼻の先だ。

 15分ほど休んでから、いよいよ霊山寺を目指して最後の歩きに入る。
参道を歩いていくと両側に灯籠が並んでいる。その先は高速道路が横切っている。

 大きな鳥居をくぐり大麻比古神社と別れ、高速道路の下をくぐると
すぐ目の前の森に九輪が見える。
歩いていくと霊山寺にある多宝塔の九輪のようだ。
土塀が見えてきて、どうやらここが霊山寺のようだ。


 15:00分、霊山寺の正面に回る。
すると、ここはもう今まで歩いてきた人気のない道とは別世界で、
たくさんの人が山門を行き来している。
境内の中にも沢山の人がいる。

山門で一礼して境内に入る。
早速本堂へ行きお参りする。
しかし沢山の人が行き交う中では落ち着いてお経が上げられない。
何とかお経を読み大師堂へ行く。
大師堂でも人混みの中であわただしくお経を読む。

 やり終えたという気持ちが全く湧いてこない。
納経所へ行き、最後の納経をしてもらうが、最後のページを使い終えているので
與田寺で頂いた半紙納経の裏に「願行一圓」と書いてもらう。

 これで、四国での遍路は一応終えたことになる。
さしたる感慨も湧いてこない。やり終えたという気持ちになっていない。
ここを歩き出そうとし時に涙を流しながら歩き終えたことを納経所の人に
報告していた老人のことを思い出す。
あのような気持ちが全然湧いてこない。
これは区切り打ちだからなのか?それとも、私の個人的な感情が盛り上がって
こないだけなのか? 
わからない! 
何故なのか分からない!
 でも、気持ちの中に達成感が薄いことだけは本当のことだ。
また、四国に来なさいと言うことなのか?

 2年前、ヘンロを始めるときに記入した「歩きのノート」を売店のお婆さんに
出してもらう。
奥の方から見覚えのある黒い表紙のノートを手渡される。
早速、ページを拾い自分の書いた場所を探す。
ありました、ありました!自分で書いた歩きだした日と住所と氏名。
その一番後ろに
今日の日付けを記入する。
これで、本当に完結したのだ!
ノートを見るとKさんやHさんも記入している。
しかし、SさんやMさんの名前がない。
このノートの存在に気がつかず記入せずに歩いている歩き遍路も多いのだ。

 徳島行きのバス時間を確かめると、30分以上あるので缶ジュースを買って
境内のベンチで飲む。
境内に出入りする沢山の人をぼんやりと見つめていた。
すると、大師堂にお参りしようとする人の中に志度で同宿になった
岡山からの遍路を見つける。
昨晩は切幡寺あたりで泊まっているはずなのに、なぜ、今頃、霊山寺に着くのか、
理解できない。
もっと早くに霊山寺に着いていると思っていた。
お参りの後、本堂の方へ向かっていったので、このまま声も掛けずに別れた。

 15:56分発のバスで徳島駅に向かう。
 
 大鶴旅館の場所はおぼろげに覚えている。郵便局近くの繁華街にある。
ちょっと迷っただけで、見覚えのある旅館に着く。
玄関で声を掛けると、見覚えのある元気な女将さんが顔を出す。
洗濯物を出しなさいといわれたので、部屋で着替えてパンツまでお願いする。
そして、そのまま風呂へはいる。湯船の中で手足を伸ばす。気持ちが良い!!
湯船の中でちょっとウトウトしてしまった。

 今晩ここでお世話になるお遍路は私を含め3人だという。
歩きで2巡目だという若い女性遍路と交通交通機関併用の60代の男性遍路だ。
女性遍路は、明日の宿泊が金子やさんに満室で断られたと困っていた。
私も2年前には金子やさんが満室で断られ、立江に泊まったことを話す。
でも、立江では近すぎるのだ。その先では、坂本に新しい宿ができたようだと話す。
ヘンロ保存協会の新しい地図を持っているので、その中に載っているはずだと話すと、
捜して見るという。

 大鶴旅館のお婆ちゃんと話す。
お婆ちゃんの話では、昨年、また、原チャリで徳島一国参りをしてきたという。
86歳になるというのに、このバイタリティーには驚かされる。
私がお婆ちゃんの歳になってこのような元気が残っているか?あやかりたいものだ!

平成16年4月30日(結願から高野山・第37日目)

2005-09-01 11:34:15 | 第5回(結願・高野山)
4月30日(金曜日)
(第2日・通算第37日目・歩行距離32.6km・歩行歩数46,779歩)

 5:45分、起床する。
1階にはもう一人のお遍路さんが寝ているので、物音を立てないように
出立つ準備する。
洗濯物を取り込んで、布団を畳み、ザックに荷物を積める。
ちょうど準備が終わったところへ、「朝食の用意ができました。」と、
女将さんから電話が来る。

 食堂へ行き朝食を取っているともう一人の遍路がやってくる。
「今日は、女体山を越えるのか?」と聞かれたので、「女体山を越えると、
いきなり大窪寺の境内に出てしまうので、今回は多和の集落を回って
山門に出るように歩く。」と話す。
「私はどうしょうかな?」などと、ぶつぶつ言っている。

 朝食を食べ、宿代を払い出発する。
6:55分、宿の前で女将さんの見送りを受けたので、記念に写真を1枚撮らせてもらう。
女将さんも私の写真を1枚撮ってくれる。
宿代も思ったほど高くはなかったので、夕食の内容と部屋の雰囲気を考えると
上等の部類だ。
気持ちよく泊まれた宿だ。

 朝日の当たる志度の町をゆっくりと歩く。
遍路道は、志度寺の前から右に曲がり真っ直ぐに山を目指す。
今日は、海から遙か前方に見える山を越えなければ行けない。
交通量の多い車道を歩いていく。

 高速道路の下にある大きな交差点にくるとたくさんの小学生が横断歩道を
渡ろうとしている。
父兄の人達も出ている。
挨拶すると元気な声が帰ってくる。

四国を歩いていると、どこでも小学生は元気に挨拶してくる。
これが中学生になると半分くらいになる。
中学生でも男子より女子の方が挨拶してくれる。
しかし、高校生となるとほとんど無視される。
こちらから挨拶してもほとんど返事は帰ってこない。
まあ、これも仕方がないかと思う。
北海道の小学生が通りすがりの知らない人に挨拶するかというと、
ほとんどないのが現状だ。
それに比べると、よく挨拶してくれると感心させられる。

 30分ほど歩いていると、右手にお堂があり、ここから遍路道が歩ける。
お堂の前にある東屋で長袖シャツを1枚脱いでいると車道を一人のお遍路が歩いてくる。
遍路道には来ないで車道をそのまま歩いていく。
私は遍路道を歩いていく。
遍路道は車道に沿ってウネウネと曲がりながら続いている。
民家の軒先を通り、畑の中を歩いていく。
車道がすぐ横に見えるので、少し先を先ほどのお遍路さんが歩いている。
追いかけるようにして後に続く。

 遍路道が車道を横切るところにくると、前を歩いているお遍路が遍路道に
曲がってきた。
しばらく後ろを歩いていると、立ち止まって地図を出して見ている。
横を通り過ぎるときに挨拶をすると、60歳過ぎの男性だった。
 そのまま先になって歩いていく。

 長尾の町外れに来ると遍路道は川にぶつかる。そこを右に曲がり、
川筋に沿って上流へ向かう。
ほどなく小さな橋を渡り、長尾の町へはいる。
ここから10分ほど歩くと、ようやく長尾寺に着く。


 第87番札所 長尾寺

 8:25分、長尾寺の山門に着く。
長尾寺の門前には、以前お世話になった「民宿ながお路」がある。

 広い境内に人影がほとんど見えない。まずは、正面の本堂にお参りをする。
大師堂のお参りも済ませ納経所へ行く。
先ほど追い越してきたお遍路さんが納経をしている。

 手水の横にあるベンチで少し休むことにした。
今晩の宿も決めなくてはいけない。
この調子で歩けば予定通り黒川温泉へいけるようなので電話するが「満室です。」と
断られてしまう。
次に白鳥温泉に電話するとOKの返事。
宿も決まったところで、いよいよ結願のお寺、大窪寺を目指す。

 大窪寺に向かって歩き出したところで、郵便局に寄ってお金を引き出すことにする。
明日からは5連休になるため、郵便局でお金がおろせなければ
宿代が払えなくなってしまう。
昨年は久百々さんに迷惑をかけた苦い経験がある。
 郵便局はすぐわかった。無事にお金をおろして、さあ、いよいよ大窪寺だ。

 遍路道に戻り、山に向かってゆっくりと登っていく。
しばらく歩くと、右手に酒屋やさんがあり、道の反対側にベンチがある。
そのベンチに一人のお遍路が腰掛けている。
声を掛けようとして、ちょっと、様子が違うことに気がついた。

ベンチに座っているお遍路は白衣に輪袈裟はしているが、荷物が大小のゴミ袋に
入れられ無造作にベンチに置かれている。
そして手に持っているのは500CCの缶ビールだ。
身なりはお遍路だが、ほとんど路上生活者といった感じだ。

まだ朝のうちから缶ビールを飲んでいる姿は、職業遍路とも違う自堕落な感じを与える。
今まで職業遍路と思われる人を見かけたことはあるが、
こんなに自堕落な印象を受けたことはない。
皆さんそれぞれ手押し車に荷物を積みながら一生懸命に歩いていた。
この人はほとんど乞食同様に見える。

最近、路上生活者にとって四国が住み易いという話がある。
目の前にいるお遍路は、まさにそう人ではないかという印象を与える。
 黙って通り過ぎることにした。

 9:30分、東塚原にある一心庵に来たので少し休む。
庵の前にあるベンチに腰掛けて、靴下も全部脱いで足をマッサージする。

 向かいの家からお婆ちゃんとお孫さんらしい子供が出てきて、
これから車に乗ってお出かけらしい。
お婆さんがウーロン茶の缶を持ってこちらに歩いてくる。
「暑いのにご苦労様!」といってウーロン茶を差し出される。
お礼を言ってもらう。
お婆ちゃんは私に缶を渡すと、そくさくと子供達を車に乗せていってしまった。 

 もらったウーロン茶を飲みながら歩いていくと、道は少しずつ登っていく。
右手に自然石に仏像を彫り込んだ「珍石仏」がある。
歩きながら手を合わせて通り過ぎる。

道が急になってくると前方に前山ダムの突堤が見えてくる。
道が車道と合流すると一層傾斜が増してくる。
ダムの下がキャンプ場になっているようだ。東屋などが見える。
先ほど会ったお遍路さんは、昨晩はこの東屋で野宿したのだろうか?

 ダムの突堤のところに来ると道が二手に分かれている。
左に曲がりダムの突堤の上を歩いていくと女体山を回るコースとなる。
真っ直ぐ進むと多和の集落を回るコースとなる。
このコースの方が女体山コースより1時間ほど短い時間で大窪寺へ行くことができる。
今回は、多和を回ることにしているので、真っ直ぐに進む。

 分岐点から緑色に輝くダム湖を眺めながら少し行くと道の駅があり、
その手前に「お遍路交流サロン」がある。
今回はここを見学したかった。

玄関にある杖立に杖を差し中に入る。
館内はガラーンとしてお客さんの姿が見えない。
受付の女性に会釈をして入る。お茶の接待を受ける。
奥にいるお爺さんに「歩いているのか?」と尋ねられたので、「そうです」と答え、
札幌から来たと告げると、「お遍路大使」にならないかといわれる。
「お遍路大使」とはどのようなものか聞くと「四国以外からお遍路に来ている人に
四国のいいところを紹介する役を担っていただくのだ。」といわれる。
「それならばお受けします。」と言うと、「このノートに住所と名前を書いて下さい」と
いわれ、ノートを渡される。
ノートに名前を書くとお遍路大使の認定証を渡される。A4判の立派な認定証だ。
併せてバッチをもらう。
弘法大師の遍路姿を図案化したかわいいバッチだ。このバッチはポーチに付けた。

 館内には正面のフロアーにドーンと四国の立体地図があり、各札所のボタンを押すと
その模型に電球がついてどこにあるかわかるようになっている。
その他、いろいろなものがあるが、一番目を引いたのは古い納経帳だ。
和紙を綴っただけの簡単なものだけど相当古い。
私もこの次に歩くことがあれば、手作りの納経帳に歩いて回った順番に別格も番外も
関係なしに納経帳に記帳してもらいたいと思っている。
その方が記念になる。

 「お遍路交流サロン」から、ちょっと戻って花折峠から額峠を越えることにする。
この道は昔のお遍路道だ。いきなり九十九折りの道を登って行くが、
道路は舗装されており何の心配もない。
 この道は、現在、脇道扱いのようで車はほとんど走ってこない。

 やっと平坦な道となったところで、向こうからお遍路さんが一人歩いてくる。
きちっと正装した中年男性のお遍路だった。「暑いですね!」と声を掛け、
会釈をして別れた。

 峠から下っていくと交通量のある道路にぶつかる。
この道が前山ダムから回ってくる道のようだ。
交差点を右に曲がり、さらに下っていくと多和の集落に着く。
信号のある交差点を左に曲がると小学校がある。
その一角に東屋があり、お遍路の休憩所とかかれている。

 11:35分、ここで休むことにする。
小学校の向こうには保育園があり元気な子供達の声が聞こえてくる。
東屋のベンチに腰掛け靴と靴下まで脱いでくつろぐ。
ここまで来ると、大窪寺まではあと5キロほどしかない。

 10分ほど休んで歩き出す。
ここからは歩道のない交通量のある道を歩かなければならないので、車の騒音で疲れる。

20分ほど歩くと右手に立派な宿が見えてくる。
「温泉旅館竹屋敷」と書かれた看板が掛かっている。
和風のなかなか立派な宿だ。

 ほどなく、分かれ道がありヘンロ標識が左手の道を差している。
右手は車道が続いているが、左手の道は旧道のようだ。
車の騒音から逃れられる旧道を選び歩くことにする。

 ここから先は谷を挟んで右側の斜面に車道があり、左側が旧道で畑の中を
ゆっくりと登っていく。
左手の山がドンドン迫ってきたので大窪寺が近いと思い頑張って坂道を登る。

 右手の車道と合流しそうだと思って前方を見ると坂の向こうに大窪寺の
仁王門が見えてきた。
歩く度にその仁王門が大きくなってくる。
屋根の一部が見えたところからやっと入口が見えるところまで来た。


 第88番札所 大窪寺

 12:45分、大窪寺の新しい仁王門を回りこみ、お土産屋の前から階段を上がり、
古い仁王門に着く。
大窪寺は正面に木造の古い山門があり、裏側にコンクリート製の仁王門がある。

 古い山門の前で手を合わせ、一礼して、門をくぐる。
早速、正面にある本堂にお参りをするが、お経を唱えていても、
それほど感動した気持ちが盛り上がってこない。
大師堂でもお参りをするが、どうも88カ所のお寺を歩いて回ったという感動が
湧いてこない。

 大師堂では正装したご夫婦が見事なお経を唱えている。
二人の息が合いよどみなく唱えている。
私はといえば、その横でいつものように教本を見ながらお経を唱える。
境内にはお遍路や観光できている人達がお参りしている。

 納経所へ行って最後の納経をしてもらう。
これで、88カ所を歩き終えたが、一粒の涙さえ浮かんでこない。
何かあっけらかんとした気持ちだ。
昨日から歩き出してから、わずか60キロ余りでは気持ちの盛り上がりがないのか?
それとも、まだまだ歩きなさいと言うことなのか?
私には、どちらなのかわからない?

 山門をバックに写真を1枚撮ってもらおうと思い人が来るのを待っていると、
なかなか人が上がってこない。ようやく家族連れの人達が階段を上がってきたので
写真を撮ってもらう。

 山門の前にある八十窪で昼食を取ることにする。
座敷に上がり込んで靴下も脱いで「しっぽくうどん」を頼む。
テーブルにある水を飲む。おいしいので3杯も一気に飲んでしまった。
 しっぽくうどんを食べた後、外へ出て休むことにした。
八十窪の横が広場になっているのでそこのベンチで休む。

 13:30分、とりあえず今晩の宿である白鳥温泉へ向かうことにして、
大窪寺を後にする。
白鳥温泉までは約10キロほどの道のりだ。

 大窪寺のある山は香川県と徳島県の県境にある。
この山を徳島県側に向かってドンドン降りていく。
所どころ道路の切り替え工事で新しい道ができている。
こんな山奥の道でも、道路幅を拡幅したりショートカットしたりいろいろな工事が
行われている。

 1時間ほど下っていくと小さな交差点に出る。どうやら長野の交差点らしい。
左に行くと切幡寺。右に行くと白鳥温泉とかかれた標識がある。  
右に曲がるとすぐ向こうに大きなトンネルが見える。地図を見るがトンネルなど
書かれていない。
トンネルの中は涼しく気持ちが良い。
このトンネルは数年前にできたようだ。それで、ヘンロ地図に載っていないのか?
名前は五名トンネル、延長460メートルのトンネルだ。

トンネルを出るとまた交差点がある。
白鳥温泉の看板が両側にあり、車は左、歩きは右と書かれた矢印がある。
どっちに行ってもいいのかと思うが、ここは看板に従って右に曲がる。
するとすぐ左手にに大きな木が見えてきて、ここが境目の集落だった。

 14:40分、お店があったのでここで一休みする。
 店に入ろうとするが入り口の戸に鍵が掛かって開けられない。
店の中にはアイスのケースがあり大好物のアイスが目の前にあるのに買うことが
できない。
仕方がないので自販機からファンタグレイプを買って喉を潤す。
 店先のコンクリートの床に靴下を脱いだ素足を付けると冷たくて気持ちが良い。
10分ほど休んで白鳥温泉を目指す。

 車道をドンドン下っていくとヘンロ標識がある。
車道と別れて右手の谷の中へ続く細い道を差している。
この道を歩いていくと狭く急な下りを降りると水田の横に出る。
この水田脇の草藪を歩くとやっと車道に出る。
車道をショートカットした道だった。

ここからは、あと2キロほどなので川沿いに続く道をのんびりと下っていく。
しばらくすると右手に白い大きな建物が見えてきた。
ここが今晩の宿「白鳥温泉」だ。なかなか大きな建物だ。橋を渡って宿へ行く。

 15:40分、白鳥温泉に着く。
フロントで宿代を払う。朝の朝食は何時から用意できるか聞くと
7時半頃になるといわれる。
それでは遅いので朝食はおにぎりにしてもらうようにお願いした。
宿泊棟へ案内される。今晩は4人のお遍路が泊まるという。
洗濯機の場所を聞くが、すでに洗濯している人がいる。

 荷物を整理して、着替えを持って、早速、温泉に入りに行く。
温泉は気持ちが良いが、日焼けした両腕をお湯につけるとビリビリとお湯が沁みる。
半袖で歩いているので、両腕が真っ赤に日焼けしている。
それでも今日一日の汗を流すとサッパリとして気持ちが良くなる。

 夕食の案内が来たので食堂へ行くがお遍路らしい人が見あたらない。
一人で食事を済ませ、明日朝おにぎりをもらって部屋へ戻る。
洗濯機が空いているので洗濯をしてしまう。
後はテレビを見ながら布団の上でゴロゴロして時間をつぶす。

 今日で88番大窪寺を打ち終えたわけだが、気持ちの中に歩き終えたという
達成感が湧いてこない。
これは、歩き始めて1日半で結願ということと関係があるかもしれないが、
やったーという実感が薄い。
明日は1番霊山寺まで歩くが、やはり一番遠回りになる卯辰越えで行くことにする。

平成16年4月29日(結願から高野山・第36日目)

2005-08-31 09:06:24 | 第5回(結願・高野山)
4月29日(木曜日)
(第1日・通算第36日目・歩行距離28.5km・歩行歩数48,538歩)

 5:00分、起床。
目覚めは悪くない。カーテンを開け窓から外を見ると薄明るい空に青空が広がっており、
今日の天気は良さそうだ。
昨夜買っておいたカップ麺とおにぎりで朝食を取る。

 人通りのない街を琴電栗林駅へ向かって歩く。空が青さを増し明るくなってきた。

 6:07分発の電車に乗る。乗客はほとんどいない。
15分ほどで一宮駅に着く。
ここから一宮寺へは歩いて10分ほどだ。


第83番札所 一宮寺

 6:30分、一宮寺の境内に着く。
本堂に朝日が当たり眩しく輝いている。
早速、本堂と大師堂にお参りをする。
15分ほどでお参りを済ませるが、納経所が開く7時までには少し時間がある。
境内はヒンヤリして気持ちが良いが、空には青空が広がり、今日は暑くなりそうだ。

本堂前にある日当たりのいいベンチに座っていると、挨拶をしていくお婆さんがいる。
挨拶を交わして見ていると、本堂で熱心にお参りをしている。
散歩がてらに数人がお参りに来るが、皆さん中高年の人達だ。
それらの人と朝の挨拶を交わす。

 7時になったので納経所へ行くが戸が閉まっている。
「ご用の方は押して下さい。」と書かれた紙のところにインターホンの
押しボタンがあるので押してみる。
 数人のお遍路さんが来るが納経所が開いていないので一緒に待つ。
しばらくするとガタゴトと戸が開きお婆さんが納経をしてくれる。
納経帳は重ね印をお願いして御朱印を押してもらう。

 7:10分、一宮寺を後にして、屋島寺へ向かう。
今日は高松市内を横切って歩かなければいけない。
中心街へは真っ直ぐ北の方へ進めばいいが、遍路道は西の方へ続いている。
細い路地をウネウネと曲がりながら西の方へ向かう。

途中で何本か中心街へ続く広い交通量のある道を横切る。
しばらく進むと、前方に特徴のある屋島が見えてくる。
屋島は大きな台形をしており、すぐわかる。
まだ相当の距離があるが、目指す目標が見えているのは歩いていても安心感がある。

 8:10分、ちょうど1時間ほど歩き太陽も出てきて暑くなってきたので少し休憩する。
上之町郵便局の前で休む。ここで長袖のパーカーを脱ぐ。
左手には栗林公園の裏山が見えており、かなり街の中に来ているようだ。
半袖シャツで歩くのは久しぶりだ。気持ちがいい!

10分ほど歩くと、昨晩泊まったイーストパーク栗林の前に来た。
ここからは、河原町に向かって昨晩歩いた道を歩く。

 商店街に入りアーケードに覆われた道を歩く。車が入らないので安心して歩ける。
でも、お店の方はまだ開店時間には早いので、ほとんどがシャッターを降ろしている。

 しばらく歩くと右側に小さなお餅やさんを見つける。祝い餅「つくし」さんだ。
お腹が空いたときのお八つにと思い餅を買うことにする。
草餅とあん餅を1個ずつ頼むと「ちょっと待って下さい。」と女将さんにいわれる。

女将さんが店の奥に入り、机の引き出しから何かを取り出している。
店先に戻り、「これを持っていって下さい。」と差し出されたのは、錦の納札だった。
「近所にいるお爺さんが四国遍路を200回以上しており、お遍路さんが来たら渡して
下さいと預かっている。」といわれる。
納札を見るとそこには巡拝242回、高松市小西84歳と書かれている。

 どのような方なのか知らないが、242回とは車で回ったにしても大変な数だ。
錦の納札は、宿や食堂などに額に入れられて飾られているのは見たことがあるが、
手にしたのは初めてだ。
お礼を言って、私の白い納め札を渡すと奥さんが「私もお遍路したときはこの札を
使いました。」などと話してくれる。
もう一度お礼を言って、錦の納札は納経帳の中にある納札入れにしまった。
 
 河原町を過ぎて、ほどなく右手に曲がり、国道11号を屋島に向かって進む。
確かこの国道には高野山讃岐の別院への標識があったはずだと思い注意しながら
歩いていると、ありました、ありました。
左への矢印とともに讃岐別院とかかれている標識を見つける。
この標識は懐かしい! 以前、来たときに讃岐の別院に泊めてもらったのだ。

 交通量の多い国道だが歩道がしっかりしているので歩いていても何の心配もない。
左手の先に見える屋島目指してドンドン歩く。
下千代橋を渡ると左手に海が見えてくる。屋島もすぐそこに見えている。
新詰田川橋、新春日川橋、新川橋と4本の橋を渡ると遍路道は左に曲がり、
いよいよ屋島への登り口となる。

9:45分、琴電潟元駅で休む。

 15分ほど休憩してから、いよいよ屋島への登りとなる。
住宅街を抜け、坂道になると右手に溜池がある。
この溜池を過ぎると道はさらに急な坂道となり、グングン登っていく。

住宅地を過ぎると車の入れない遊歩道となり屋島の中腹をジグザグに曲がりながら
ドンドン高度を上げていく。

 時折、ハイキング姿の人達が降りてくる。挨拶を交わしながら登っていくと
御加持水を通り、食わずの梨を過ぎる。
このあたりに来ると、左手には高松の町並みが眼下に広がってくる。
遊歩道は強い日差しを遮る木立があり、時折、風が吹き抜けるので、
汗をかいているが気持ちよく歩ける。

 
 第84番札所 屋島寺

10:40分、階段を上がると屋島寺の山門が見えてくる。
四天門をあがると、木立の向こうに光り輝く本堂が見えてくる。
境内には大勢の参拝客がいる。
団体遍路の人達の声のそろった読経が響く。
私も本堂と大師堂にお参りする。

 大師堂でのお参りを済ませ、納経所へ行こうとすると横手から来た白衣姿の
お婆さんがウーロン茶の缶を差しだし「お接待します。」といわれる。
ありがたくいただく。
お婆さんは小走りで仲間の方へ駆けていく。

 納経所で納経を済ませ、今回は
本堂の隣にある宝物館を見ることにする。
前回来たときには時間が早く開館していなかったのだ。
宝物館の中はヒンヤリして涼しい。
参観者もほとんどいないのでゆっくりと観ることができた。
いろいろな仏像が並んでいる。

また、屋島は源平の合戦場で有名な場所だ。
那須与一が舟の上の扇子を射落としたといういわれが残っているのも屋島での出来事だ。
これらの合戦にまつわる展示物も沢山ある。

 宝物館の裏側には庭が広がっている。
この庭が猩々囃子に出てくる狸が踊った庭なのか?
そうそう、屋島寺には狸にまつわる伝説がある。
本堂の横には籾山大明神として3メートルほどの大きな狸の石像が2体ある。

 宝物館を観た後、屋島の展望台へ行く。
展望台からは高松市の全望と瀬戸内海が一望できる。
白峰寺や根来寺のある五色台まで見える。
今まで歩いてきた道が一望できる。
 
 ここにある茶店でちょっと早めの昼食を取る。
冷やしうどん(500円)を頼み、今晩の宿に予約の電話をする。
今日は志度寺まで行き志度の町に泊まることにした。
いしや旅館に電話して,OKの返事をもらう。

 11:30分、ゆっくり休めたので八栗寺を目指して出発する。
もと来た道を下っていく。遊歩道を下っていくと家族連れで何組かの人達が登ってくる。
小さな子がお父さんに手を引かれ登ってくる姿はほほえましい。
ちょっと太めのお父さんは汗だくで登っている。
「お父さん、頑張れ!」と、思わず声を掛けそうになる。
ここで、お父さんの頑張る姿を見せることが子供達にとって何よりの思い出に
なるのだから。 頑張れ! 頑張れ!

 溜池まで戻ると東屋で休んでいる中年男性のお遍路さんがいる。
白衣は着ていないが杖を持っているのでお遍路に違いない。会釈をして通り過ぎる。

 屋島ロープウェイ駅前を過ぎ、右手に川がある車が一台やっと通れる狭い道を歩く。
時折、対向車が来るとどちらともなく譲り合って待避所で交差している。

 しばらく進むと道が右手に曲がり、牟礼の町へ入っていく。
牟礼の町にはいると州崎寺があるのでここで休む。

 12:35分、州崎寺の本堂でお参りをしてから鐘楼の角に腰掛けて休む。
誰もいない境内で、風に吹かれながら休んでいると自然に目が閉じてくる。
ちょっとウトウトしてしまった。

 牟礼は石の町。あちらこちらに彫刻された石仏や墓石などがあり、
中にはユーモラスな表情をした石仏などがあり、楽しませてくれる。

八栗寺は左手に見える山の中にある。
鋭く突き出た岩峰の下にあるのでかなりの急坂を上らなければ行けない。
ケーブルカーもあるが、ハナから使うつもりはない。

 ヘンロ標識に従って遍路道を歩いていくと「うどん山田屋」と書かれた
大きな店先に出る。門の中を覗くと待っている人達が大勢並んでいる。
ちょっと気を引かれたが、昼食はうどんを食べたので我慢する。

ほどなく、ケーブルカーの駅前に出る。
この辺りからはいよいよ傾斜がきつくなる。

右手にケーブルカーを見ながら急な坂道を登っていくと、上から黒衣に黒地に
高野山と白抜きされた頭陀袋を首から下げたお坊さんが降りてくる。
「暑いですね!」と声を掛け、顔を見るとまだ若いお坊さんだ。
大きなザックとアルミのマットを背負っているので野宿をしながら
逆打ちをしているのか?

 しばらく進むと、道ばたで休んでいる3人連れのお遍路がいる。
中高年の人達で男性1人、女性2人の人達だ。
声を掛けると、男性が休んでばかりいるのでサッパリ進まないなどと話してくれる。
どうやら高松の人達のようで、今日は行けるところまで歩いて迎えに来てもらうと
話してくれる。
長尾寺までは行きたいというが、この時間からは納経時間に間に合うか?


 第85番札所 八栗寺

13:25分、八栗寺に着く。
境内にはお参りの人が沢山いる。
このお寺は歓喜天を祀っているので、商売繁盛を願う人達のお参りもある。

 本堂と大師堂にお参りしていると、先ほどの3人連れのお遍路さん達がやってくる。
納経所で休んでいると「早いですね~」と、また声を掛けてくる。
「どちらから?」と聞かれたので「札幌からです。」と答えると、
北海道の人は多いですねといわれる。
「以前会った旭川の人も歩くのが速かった。私たちと歩いていても見る間に
離されてしまった。」などと話してくれる。

 ここも一足先に出発する。
志度の町を目指して山を下る。
九十九折りの車道をグングン下るが、最近下り道を降りるのが苦手になってきている。
何故かというと、下り道は膝にくる負担が多く、膝が痛くなってくる。
特に古傷のある右膝に対する負担が大きい。
だから、いつも急な下り坂は車道一杯を使ってジグザグに下ることにしている。
こうすることによっていくらかでも右膝の負担を軽くすることができる。

 山を下り終えたところに大きな溜池があり、公園になっている。
東屋などもあるが休まないで歩くことにした。
このため池のところに古い遍路石があり、左手の道を指しているが、
どう見ても右手に行く方がいいような気がして右手に進む。

ほどなく、国道に出てしまう。
地図を見ると道は間違っていないようなので、交通量の多い国道脇の歩道を
車の轟音に耳を塞ぎながら黙々と歩く。

 国道の先に琴電の踏切があり、国道から別れた道が左手に伸びている。
どうやら旧道のようなので、左に曲がり踏切を渡る。
旧道には入った途端、今までの轟音が嘘のように消える。
車が全く走ってこない。ホッとして、牟礼の市街を歩いていく。

 平賀源内邸の前を通り過ぎる。
覗いていこうかと思ったが、気乗りがしないのでやめてしまった。

 しばらく歩くと右手に小さなお店があり、アイスを売っている。
暑かったのでちょっと一休みすることにした。
アイスを買って、お店のお爺さんと雑談をする。
ここはもう志度の町のようで、「この道を真っ直ぐに歩くと20分ほどで志度寺に着く。」
と教えてくれる。
アイスを食べ終わってから、お礼を言って志度寺を目指す。

 志度の町並みを眺めながら歩いていると今晩の宿である「いしや旅館」を見つける。
隣には料理店を持っている店だ。宿代のことをちょっと心配した。
でも、頼んでしまったものは仕方がない。


 第86番札所 志度寺

 15:20分、志度寺に着く。
志度寺の仁王門には、立派な阿吽像が祀られている。
その門をくぐり、樹木の多い境内を歩き本堂に行く。
本堂と大師堂にお参りをして、本堂の前にあるベンチで休んでいると、
車椅子にお婆ちゃんを乗せた奥さんが横に座る。

 木陰にいても汗をかいた体が寒くないちょうどいい気温の中でぼんやりしていた。
30分ほどすると3人連れのお遍路さんがやってきた。
男性は荷物が重いのかフウフウ言いながら歩いてくる。
私の横のベンチに荷物をおいてお参りに行く。
お参りを済ませて戻ってきたので話をすると、この先できるだけ長尾寺目指して歩き、
途中で迎えの車に拾ってもらうという。

 車椅子のお婆ちゃんが、また、戻ってきて横のベンチに座る。
白髪を短く切りそろえたお婆さんの頭を見ていると、
妻の母が入院中に車椅子に乗っていた姿とダブってくる。

そろそろ宿に行こうと思いザックを背負い杖を持ったところで、
お婆さんに話しかけた。
お婆さんからは言葉が返ってこなかったが、お婆さんの手を握り
「いつまでもお元気でいて下さい。」と声を掛けると、頷いてくれた。
奥さんにも声を掛けてお別れした。
 
 16:10分、いしや旅館には、ほんの5分ほどで着いた。
呼び鈴を押すと女将さんが出てくる。
玄関は広く趣がある。庭には金魚の入ったカメなどもあり、
なるほど料亭の造りになっている。

一番奥にある離れの2階に案内される。古いけれど8畳ほどの広い部屋だ。
風呂も沸いていると言われたので、早速、風呂に入ることにしたが、洗濯機を貸して
くれるということなので風呂の前に洗濯をしてしまうことにする。
今日一日よく汗をかいたのでズボンも洗濯してしまう。

 洗濯物を部屋の縁側に干して、風呂に入る。
汗をかいた体にお湯が気持ち良く沁みる。湯船で手足を伸ばすと生き返ったような
気がする。

風呂から上がり夕食前の時間を利用して町をぶらついた。
すぐ前が港なので、港へ行くと釣りをしている人がいる。
左手に大きな建物があるので行ってみると市役所だった。
市役所には「さぬき市」と書かれた看板が掛かっている。
そうだ、ここは志度町ではなく、いまはさぬき市なのだ。
町村合併により市に昇格しているのだ。
四国では、あちらこちらで町村合併が行われている。
この動きは北海道などとは比べようのないほど早い。

 宿に帰るともう一人お遍路さんが泊まるようだ。
私の下の部屋に洗濯物と人影が見える。
 部屋の電話が鳴り、「夕食の用意ができました。」と女将さんに言われたので
食堂へ行く。食堂には2人分の食事が用意されている。
 先に食べていると、私より少し年下に見える男性が入ってきた。
挨拶をして話をすると、「今日は根来寺から歩いてきた。」という。

 テレビのニュースで三菱自動車がトラックの車輪のハブが不良のまま
見過ごしてきたという報道をしている。
このニュースを見ていると、「この会社に勤めているのです。」という。
その口調があまりにも明るく、ちょっと自慢しているようにも聞こえたので
オヤッと思った。

 この問題は、会社の社長や幹部が自社の責任を認めずに修理しない所有者が
悪いとして自社の責任を他者に押しつけてきた三菱自動車がハブの強度等を十分に
テストしないトラックを商品として販売してしまった責任が問われている。
そして、これらのトラックから脱輪したタイヤによって数人が死亡したという事故を
起こしているのだ。

私がこの人の立場なら、このニュースを見ているときに「私の会社だ。」などと
人には言えない。
社会的な責任感が薄い会社と断罪されている問題を考えると、
ただ、黙ってこのニュースを見ることぐらいしかできない。

 この人の話では、名古屋に住んでいるが今は岡山に単身赴任している。
お遍路は10年ほど前から歩いており、順打ちで3回、逆打ちで1回歩いているようだ。
年齢は52歳だと話してくれる。

 自分が作っている製品が不良品で、そのために人が死んでいるという現実を
このように明るく他人事として話すことにちょっと驚いた。
まして、その人がお遍路であるということにさらに違和感を持った。
世の中にはいろんな人がいる!

 夕食は、お魚料理がいろいろと並んでいる。
お刺身は切り口が光り新鮮でおいしい。魚の唐揚げもおいしくいただいた。
満足のいくお料理だった。

 朝食は6:30分から用意できるということなので、それでお願いした。

いよいよ結願へ向かって!

2005-08-26 08:56:01 | 第5回(結願・高野山)
 平成16年のゴールデンウィークは5月1日から5日まで連続の休みと
なっている。
6日、7日を休むと9連休となる。
また、4月の29日を1日だけ休むと5月5日までの7連休となる。

 今年のお正月休みを頑張って歩いたので、結願までは1日半ほどを残すだけだ。
したがって、残りを歩くにはあまりたくさん休む必要がない。
高野山を回っても1週間あれば十分だろう。 
今年の連休は、お遍路をする人達にとっても休みやすいのでたくさんの人が
遍路に出るだろう。
そうすると、遍路宿が込むことも予想される。
それで早めに出発することにした。

 いろいろ考えた結果、4月28日から5月5日までの8日間を休むことにした。
時刻表を調べると大阪から高松までは距離が近すぎるので深夜便のバスがない。
最後なので、ゆっくりと移動に時間をかけることにして伊丹空港までの
チケットを予約した。
4月28日を移動日として飛行機は昼の便を予約した。
 
 28日の朝、仕事が休みの息子が札幌駅まで送ってくれるという。
平日の地下鉄に菅笠と杖を持って乗るのはちょっと気が引けるので、
送ってもらう。

 10:25分発のエアーポートに乗り千歳空港へ向かう。
手荷物として杖とハサミを預ける。
後の荷物は機内へ持ち込む。

 12:05分発、JAL2004便で伊丹空港へ向かう。
ほぼ満席の飛行機が順調に飛行し、定刻の13:55分、伊丹空港に着く。
手荷物を受け取り、梅田まではバスで行く。

 梅田までの高速道路も順調に走り、14:50分新阪急ホテルに着く。
すぐバスセンターに行くと、高松行き15:10分の便に空席があるので
チケットを買う。
 ここで、今晩の宿をイーストパーク栗林に決めて予約の電話を入れる。
宿も決まり、あとはバスに乗って高松を目指すだけだ。

 18:40分、高松市の栗林公園前にバスが着く。
ホテルはすぐわかった。
ホテルに荷物をおいて夕食を食べに出る。
その時、万歩計を忘れたことに気がついた。
確か、一駅、市内よりの河原町にデパートがあったことを思い出したので、
琴電の栗林駅に向かい河原町まで行くことにした。

 河原町のデパートは天満屋だった。北海道にはないデパートだが、
マラソンや駅伝で有名な天満屋なのだ。
そうそう、アテネオリンピックの代表となった坂本直子さんも天満屋に
所属している。

 天満屋で無事に万歩計を手に入れ、これで準備は万全だ。
 ホテル目指して歩いているとうどん屋さんを見つける。
このうどん屋さんは地方発送をしているので、お世話になっているおばさんに
うどんを送ることにして店に入りお願いする。
ここのうどんは、ちょっとモチモチしているけど真には腰がありおいしい。

 宿に帰り、早めに寝る。
明日は一番電車で一宮寺のある一宮まで行かなければならない。

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   いよいよ、結願へ向けて最後の歩きとなります。
  正確には、香川県は一度歩いたことがあるので、2度目の歩きです。
  香川県は池田町にある民宿岡田さんから運辺寺を登り、大窪寺までを
  歩いています。
   しかし、1番札所から歩きたかったので、今回の結願で念願の
  歩き遍路一巡と考えています。