四国遍路テクテク日記

「四国を歩いて遍路する。」にこだわって平成14年のGWから2年間、5回に分けて歩いた記録を中心に遍路に関するあれこれ。

平成14年5月1日(阿波・第5日目)

2005-07-01 10:01:08 | 第1回(阿波編)
5月1日(水曜日)
(第5日目・ 歩行距離15.3km・ 歩数25,925歩)

 5:00分、起床。窓から空を見るとどんよりとした曇り空。
眉山の山頂も雲の中で見えない。天気予報の通り今日は雨の一日か?

 6:30分、朝食を取り、宿代を払い、部屋に戻り身支度を整え出発しようと
思い窓から外を見ると雨で地面が濡れている。
雨具を出し、上だけ着てフロントに降りる。
玄関先に出ると、部屋から見たのより雨が強く降っているので、
雨具のズボンも穿く。

 7:00分、近藤旅館を出発し、雨降る徳島市の中心街を恩山寺へと向かう。
 今回は雨傘を持っていない。
雨具と菅笠で歩くが菅笠はなかなか気持ちがいいものだ。
大きいのを買ったので、顔に雨が当たらず笠から肩に雨の滴が流れる。

 5~6分歩くとワシントンホテルの前に来た。
ホテルの入り口から白装束の人が出てくる。何と、昨日別れたSさんだった。
まるで打ち合わせをしたようにホテルの前で一緒になった。

一緒に徳島の町を歩き、恩山寺を目指す。
 
 雨は、時折、強くなったり小降りになったりして降っている。
 中心街を離れ歩道が狭くなった道を歩いていると、
向こうから通学のための高校生が自転車で向かってくる。
狭い歩道で行き交うのも大変だ。
むこうにすると、この狭い歩道をじゃまなお遍路が歩いてくるといった
ところかもしれない。
傘を差し前が見えない状態で走ってくる自転車の高校生を避けながら歩く。
 
 8:00分、1時間ほど歩いたので休もうと思っているとバスの法花営業所が
見える。
バスの待合所があるので休ませて貰う。
この道路は、県道宮倉徳島線という道路のようだ。
このまま進むと国道55号線にぶつかる。
このまま、どんどん進めばいい。

 国道にぶつかる交差点が見えてきた。
交差点の向こうに競輪場が見える。
駐車場を警備する人たちの姿が目に付く。

雨が小降りになってきた。
ヘンロが一人先を歩いている。
橋の手前を堤防から歩いてきた人だ。
歩くスピードが同じなのか、なかなか追いつかない。

 道路の反対側のガソリンスタンドの裏にこんもりとした樹が茂っている
ところがある。
Sさんがお杖の水でないかという。
目を凝らしてみるとヘンロ標識があるようだ。
そうすると、我々が歩いている右手にヘンロ路があるはずだと思い道を見ると
右手の山が恩山寺のある山に見える。
 ヘンロ標識はないが右に曲がればいいものだと思い進む。

 どうも道が違っているようだけれど、山裾を走っている車が見えるので
そちらに向かい畑や水田の中を横切り進む。

 舗装された道路に出て進むと恩山寺への入り口と思ったところには
ゴミの消却施設への標識がある。
どうやら道を間違えたようだ。
でも、そんなに間違っているわけはないと思い地図を見る。
よくわからない。
 
 そこへ、軽トラックが来たので、運転していた奥さんに恩山寺までの道を聞く。
このまま進み、交差点を左に曲がり、次を右に曲がるといいですよ
と教えられる。
その通り進むと、国道から恩山寺へ向かう道路とおぼしき道に出る。
 少し進むと、右に曲がると恩山寺の標識を見つける。

 バスの待合所の中でお遍路さんがたばこを吸っている。
話してみると、どうも、私たちの前を歩いていた人のようだ。
10分前に着いたとのこと。迷って歩いたのもそれ程の時間ではない。

 ほどなく、橋を渡ると恩山寺だ。
橋の右側に見覚えのある山門がある。
橋を渡ったところで車道の右側にヘンロ標識がある。
標識に従って歩くと、いきなり急な坂道となり林の中へ道が続く。
駐車場を左下に見ながら急な階段を上がると、そこは、もう境内の中だった。

9:55分恩山寺に着く。


第18番札所 恩山寺

 階段を上がり、右側にあった建物の屋根の下に荷物を置き、
お参りをするために、さらに、本堂までの階段を上がる。

 人影まばら、そぼふる雨の中を、本堂、大師堂でお経を唱える。
納経所で少し休み、先を急ぐSさんとは、ここで別れる。

 荷物を置いた建物に戻ると隣に赤いザックがある。
見ると、若い女性が一人でお参りをしている。

納経所から戻ってきたので、少し話をして、一緒に立江寺まで行くことにした。

10:45分、立江寺に向かう。立江寺までは3.8キロほどだ。
 恩山寺からは雨が降っているので車道を行こうと思ったが、
小降りになってきたのでヘンロ路を行く。

 薄暗い林の中をヘンロ路は続いている。
女性一人ではちょっと気味が悪いような道だ。杉林や竹林が続く。
ほどなく車道に出る。ここからは整備された歩道を歩く。

 この女性は大阪から来たと話している。
顔を見るとまだ若く24~25歳といったところか。
今日は鶴林寺まで行くという。
そして、今晩の宿は鶴林寺から太龍寺へ下った先10キロほどのところにある
ホテルだという。
そんなところに宿があったかなと思いながら歩いていた。

 彼女の雨具はノースフェイスのゴアテックス製の雨具だ。
雨対策がしっかりしているとほめたところ、友達のアドバイスでザックから
雨着まで買い求めたとのこと。
 
 お京塚に気がつかず歩いていると、もう、立江の町に入っていた。
見覚えのある交差点に来る。
立江寺の駐車場はまっすぐ進むように矢印が書いてある。
しかし、立江寺への標識が見あたらない。
しかし、路は分かっているので左に曲がり、市街地を抜け立江寺の山門に立つ。

 11:50分、立江寺に着く。
 

第19番札所 立江寺

 境内にはSさんと恩山寺手前であった人のほか数人のお遍路がいるだけだ。
そぼ降る雨の中を本堂と大師堂へお参りをする。 

お参りを済ませたので、近くにある酒井軒本舗に行く。
この前来たときにはここのお赤飯がおいしそうなので買った店だ。
薄皮饅頭を買い、半分を若い女性にお接待する。
すると彼女が納札をくれたので、名前がHさんということがわかった。
Hさんの写真を立江寺の山門前で撮り、ここで別れる。

 立江寺の隣にあるうどん屋で昼食を取る。キツネうどんを頼む。
うどん屋には先客としてSさんがいる。
 雨は上がってきたようだ。

Sさんの今日の宿は10キロ先の「金子や」なので、もう一頑張り。

私はここ立江までなのでのんびりしている。
 今日の宿「民宿ちとせ」は途中にあるので、宿の前まで一緒に行き、
そこでSさんと別れる。
 
 12:50分、「民宿ちとせ」に着く。
 雨は完全に上がってきている。
今日のお遍路を打ち止めにするにはちょっと早い時間だけれど、
今日は安息日と決めたので、のんびりすることにした。

 玄関で「ごめんください」と声をかけるが何の反応もない。
隣にある建物に声をかけると、お嫁さんらしい方が出てきて、
おばあちゃんが留守のようだけど、2階に上がり奥の部屋を
使ってくださいといわれる。
 2階に上がり奥にある6畳の和室に入る。今日はここが宿となる。

 部屋の片隅に布団が2組置いてある。
荷物を置いて、足の手入れをすると後は何もすることがない。
布団に寄りかかりテレビを見ながらウトウトする。 

下の方で話し声が聞こえる。
おばあちゃんが来たようだ。お嫁さんと何か話している。
下に行き、お婆さんに挨拶をする。
お婆さんの様子が何か変だ。
私の名前を言って「お世話になります。」と挨拶をしているのに、
どうでもいいような感じだ。
必要以外のことは話したくないような感じがする。
「風呂が沸いたら声をかけます。」と言われ、2階に上がる。
 
「風呂に入ってください。」と言われたので下に降りたが、
風呂の場所がわからない。
台所にいるお婆さんに声をかけると、風呂は台所の奥にあった。
 
 お婆さんは、台所のテーブルに腰掛け、テーブルの上から顔だけが
見えるような座り方をしている。やはり、なにか変な感じがする。

 風呂場の脱衣所に洗濯機もあったので後で洗濯をすることにした。
風呂から上がって一息ついていると、お客が来たようだ。
声を聞くと、どうもKさんのようだ。

Kさんの部屋に行き、風呂の場所を教え、洗濯物があるなら一緒に洗うと
声をかける。
Kさんの話では、ここでは食事を出してもらえないという。
そういえば、私は、お婆さんと食事の話は何もしていないことに気がついた。
食事は、向かいの方にある「うさぎ茶屋」という店で取ってくださいとのこと。
朝食もそこで食べさせてもらえるようだ。

洗濯が終わり2階に上がろうとすると、玄関に2人のお遍路さんが来ている。
泊まりたいと言っているようだが、お婆さんの説明では、
「私は2年ほど前に体の調子が悪くなったので宿をやめてしまった。」と
説明している。
 今日はあいにく全部の部屋もふさがっているので、
別なところを捜してほしいと言っている。
この話を聞いてやっと事情がのみ込めた。

 「民宿ちとせ」さんは、お婆さんがやっていた宿だけれど、
体調を崩したのと高齢のため宿をやめてしまったのだ。
しかし、泊めてくださいと連絡してくる人を断るわけには行かないので
素泊まりだけで泊めているのだ。
 だから、部屋の中に布団も置きっぱなしだし、掃除も行き届いていないのだ。
食事の世話もできないのは当然なのだと思う。

へんろ路保存協力会の本に「民宿ちとせ」は載っている。
歩く遍路の大半はこの本を持ち歩いている。
この本から削除されない限り、まだまだこの宿に泊まりたいと連絡してくる
遍路はいるのだろう。

 お遍路宿を経営するのは大変なことだと思う。
商売として考えると、決して儲かるものではないだろう。
私の代までは何とか続けたいと、頑張っている人がまだまだたくさん
いるのだろう。
植村旅館のように後を継いでくれる人がいればいいが、
継いでくれる人がいなければ消えるだけなのか。
きっと、この宿は、隣にいるお嫁さんが継がない限り、
なくなってしまうだろう。
ヘンロブームというわれる中でこのような現実にぶつかると、
ちょっと寂しい気がする。

 「うさぎ茶屋」にKさんと夕食を食べに行く。
カウンターだけ6席ほどの小さなお店だ。ママさんが一人でやっている。
夕食は、海苔巻きとみそ汁、それに、タケノコ、フキや魚などの煮物、
すり身も付きなかなかの内容だ。
それで料金は5百円とすこぶる安い。

 ご夫婦が店に入ってくる。どうやら「ちとせ」の隣の部屋に来た
ご夫婦のようだ。
ご主人は2回目、奥さんは初めてのお遍路のようだ。
電車やバスも利用して歩いていると話している。
明日の宿は坂口屋に取っているようだ。そこまでは歩いていくと言っている。

 明日の朝食も6時から用意してくれると言う。6時半に頼んだ。

 お腹がいっぱいになったところで、明日の昼食用にパンと飲み物を
買いに町へ行く。
7時頃になるとほとんどの店が仕舞う町だ。
食料品のお店を見つけたので、パンと飲み物を買う。

宿へ戻る途中で、恩山寺から来たときにぶつかる交差点に出た。
交差点の左角には、立江寺駐車場の看板がある。
この看板をよく見ると、何と、四国の道の石柱に看板を縛り付けている。
どうりで立江寺への標識がみつからなかったわけだ。
標識はあるけれど、その標識がこのように駐車場の看板にすっかり隠されている。

 立江寺周辺の道路は狭く駐車場がないためこのような標識を設けている
ようだが、これでは歩き遍路はどちらに進めばいいか分からない。
困ったものだ。


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 長い遍路道を歩いていると、何箇所か泊まる宿の制限を受ける場所があります。
それは次の行程上にある宿との関係で決まります。
鶴林寺と太龍寺の間には宿がありません。
ですから、この二つのお寺を一気に歩いてしまわなければなりませんが、
鶴林寺への登り、それから一旦山を下って、さらに次の山の上にある太龍寺まで
1日分の距離としては十分な距離です。

 ですから、鶴林寺の山下にある「金子や」さんに泊まって、
次は、太龍寺を降りた山の下にある宿に泊まるのが一般的な行程となっています。

 私は、一日に歩く距離を30キロとして歩いていました。
1時間歩いたら10分ほど休憩を取る。
このペースで歩くのが一番疲れなかったようです。

 歩き出すと休憩を取らないで次のお寺を目指す人もいますが、
休憩をキチンと取る方が疲れが残らないと思います。

 数日歩いていると自分のペースというものが自然と出来てきます。

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