四国遍路テクテク日記

「四国を歩いて遍路する。」にこだわって平成14年のGWから2年間、5回に分けて歩いた記録を中心に遍路に関するあれこれ。

平成15年1月3日(阿波から土佐・第14日目)

2005-07-19 09:31:16 | 第2回(阿波から土佐)
1月3日(金曜日)
(第7日・通算第14日目・歩行距離31.4km・歩行歩数46,843歩)

 6:00分、隣の大部屋に食事ですと女将さんの声が掛かる。
その声を聞いて私も起きることにした。

 布団を畳んで食堂へ行くと、大部屋の3人はすでに食べ始めている。
テレビの天気予報を見ると、今日の降雨確率は午前中80%、午後70%と報じている。

 6:40分、用意ができてしまったのでまだ暗いけれど立つことにする。
玄関まで見送りに来てくれた女将さんに挨拶して行こうとすると、杖は?といわれる。
おっと、杖と笠を部屋に置いたままだ。
あわてて部屋に戻り、忘れていた杖と笠を取り、もう一度忘れ物がないか
よく部屋の中を見回わす。
このほかに忘れ物はないようなので、もう一度玄関で女将さんにお別れを言って、
高知屋を出る。

 雪蹊寺の本堂へ行き、今日一日の無事をお祈りし、暗い道を歩き出す。 

 種間寺までは、6.5kmの道のり。歩き出して間もなく、ポツポツと雨が笠に当たる。
道が暗いので足下に注意しながら歩いていくと、雨が本格的に降り出してくる。
お店の軒下を借りて雨具のズボンをはく。
それほど寒くないが、一応防寒に注意して手袋も付けて歩く。

 ふと、前を見ると大間のおじさんが歩いている。
追いついて、種間寺まで一緒に歩いていく。
時折強くなる雨も風が付いていないのでそれほど気にはならない。

 ほとんど車の通らない田舎の道をおじさんと世間話をしながら歩いていくと、
種間寺が見えてきた。

 8:05分、種間寺に着く。


第34番札所 種間寺

 種間寺は小さなお寺だ。
本堂と大師堂が軒をくっつけるように建っている。
そぼ降る雨の中、ほとんど人気のない境内で、お経を唱える。

 納経所で清滝寺までの道を教えてもらい、お礼を言って清滝寺を目指す。
清滝寺までは、9.5km。ちょっと距離があるが、清滝寺には、
前回、お茶堂に泊めていただいたり、いろいろな思い出があるので、
なつかしく、心ウキウキで、歩き出す。 

このあたりは、歩道が整備されているので車の心配がなく歩ける。
雨も、降ったり止んだり、時折強くなったりと忙しい。
種間寺前を流れる用水路に沿って歩いていく。

 また、先に出ている大間のおじさんに追いつく。
大間のおじさんは、お寺に着くと、まず納経所へ行って納経をしてもらい、
それから、ちょこちょこっとお参りをしている。
だから、一緒にお寺についてもおじさんは先に出ていく。

 しかし、見ていると地図を持っているが見方が分からないのか、
交差点に来る度に地図を確認している。
そんなことで、私に追いつかれてしまうようだ。

 遠くに、仁淀川にかかる国道56号の橋が見えてきた。
仁淀川大橋だ。
橋の下をくぐろうとすると、橋の下で雨具を着ているご夫婦がいる。
この橋を渡るには、一度、橋の下をくぐり上流側から堤防の上に上がり
橋を渡るようになっている。
長い橋を渡り、右に曲がり堤防の上を歩く。
左手には、土佐市の高岡の市街が広がっている。
清滝寺は右手前方の山の中腹にある。

堤防の道を降り、高岡市街の道を歩く。
高岡の町を歩くが、まだ正月の3日ということでほとんどのお店は休みだ。
JA高岡のあたりで、ちょっと疲れたので休憩する。
大間のおじさんは、「休むと歩けなくなるので先に行く。」といって、歩いていく。
 
 昨日あたりから右足のお皿の上が痛くなってきた。
お皿が痛いのではなく、筋肉が痛い。
足の小指は靴を手術してから痛みはないし、マメの水もなくなり、
皮膚が乾いてすっかり治ってきている。
 その代わりというように、左膝が痛くなっている。
休んでいる間にお皿をマッサージをすると少し調子がよくなる。

 気を取り直して歩き出す。
ヘンロ標識にしたがって歩いていくと三嶋神社がある。
神社の前を歩いていくと、突然、目の前に広い車道が現れる。
どちらへ進めばいいかよく見たが、ヘンロ標識は見あたらない。
横断歩道があるので渡り、真っ直ぐ歩いていくと高速道路が目の前にある。
 その向こうに清滝寺のある山が見えている。

 このあたりは、高速道路の建設にともない、道路が新しくできているようで
地図にない道路がありよく分からない。
 でも、目指す山が見えているので、そちらへ向かって歩いていると、
清滝寺への標識を見つける。

 高速道路の下をくぐり、しばらく歩くと清滝寺の参道となった。
急な山道を歩いていくと、下の方に車道があり車が数台止まっている。
その車が全然進まない。
こちらは、急な参道をゆっくり登っていく。
すると、見慣れた山門が現れた。清滝寺の山門だ。

 10:35分、清滝寺の山門着く。


第35番札所 清滝寺

 山門の天井を見ると、龍と天女の絵が描かれている。
急な階段を上がっていくと、大きな薬師如来が見えてくる。
右側にお茶堂が見えてくるはずだと思い階段を登って行くが生け垣が見えるだけだ。
そうするうちに階段を上がりきり、境内に出てしまった。
階段の右側にあったはずのお茶堂がなくなっている。
境内をよく見ると、左端の方に新しい建物が建っている。
行ってみると、そこがお茶堂だった。
きれいで立派なお茶堂が新築されている。

 境内には、結構、人がいる。
まずは、本堂へお参りしようと思い、階段を登って賽銭を投げようとすると、
本堂の中にたくさんの人がいる。
こんなに人がいると思わなかったので、ビックリしてしまった。
お賽銭を投げ、お経を唱え、大師堂にもお参りする。

 本堂へ上がる階段の下に前回来た時と同じテントが建てられ、
数人のお爺さんが本堂の屋根葺き銅板への寄進を求めている。
 前回来たときに息子に関するいやな夢を見たが、何事もなく過ごしているので、
清滝寺さんのおかげと思い、お礼の意味を込めて今回も寄進することにした。

銅板に、私と長男の名前を書いて千円を寄進する。
お爺さんが「北海道から来たのか!」とビックリしている。

本堂にいる人達のことを聞いたら、厄除けのお祓いに来ている人達だと
教えてくれた。
しかし、下の車道で車を排水溝に落として動けなくなってしまい
お祓いを受ける人が全部来ていないので、待っている。とのこと。
それで、車が止まっていたようだ。
 
少しお爺さんたちと話をする。
真新しい鐘突堂があるのでいつできたか聞くと、なんと12月28日のことだという。
除夜の鐘に間に合わせるようにいそいで工事をしたようだ。
お爺さんの一人が、売り物のミカンを5個ほど袋に入れ直してお接待してくれた。
お礼を言って清滝寺をあとにした。

 次の青龍寺までは14.8km。
目の前に広がり雨雲に煙る横瀬山を越えて、太平洋に出た先にある。

 参道を下っているときに見ると下の車道にはまだ車が置かれたままになっている。
下から来る車が完全に道路をふさいでいる。
道を知っている地元の人は、迂回路があるのでそちらから出入りすればよい。
しかし、初めての人に迂回路を説明するのは難しいだろう。
 
11:50分、お腹がすいたのでどこかに食堂がないか捜しながら歩いていると、
高岡の市街の国道に出たところでカラオケ喫茶フェローという店を見つける。
よく見るとランチもやっているようなので、店の外で雨具を脱いで入ってみる。

常連客らしいお年寄りが3人ほど店の人と話をしている。
焼きうどん(500円)を頼む。
靴や靴下も脱いで足を休める。

 12:20分、お腹も一杯になったところで、青龍寺を目指して頑張ることにした。
ここからは、塚地峠という峠を通らなければならないが、数年前にトンネルができたので
このトンネルを通ると早く青龍寺へ行ける。
足のことを考え負担の少ないトンネルを通るか、それとも、昔からの峠道を通るか、
ずーと考えていた。

 塚地の集落のあたりでは、雨もほとんど上がり、車が跳ね上げていく水しぶきを
避けるのに忙しくなってきた。

 13:05分、塚地峠の入口に来た。
峠道を見ると水たまりもあり、歩きにくそうだ。
トンネルの方へ歩き掛けてから、結局もどった。
峠道を行かないと後で後悔しそうだと思った。

 峠道は、入口付近が荒れていただけで、ほどなく、歩きやすくなった。
車の音もほとんどなく、静寂そのものの道を一人で歩く。
峠道としてはそれほど起伏もなく、時折、木の葉から落ちる雨の滴が体に当たるだけで、
聞こえる音も自分の呼吸と足音だけだ。
15分ほどで峠に至る。

 宇佐の方が見えるようになってきたが、雲の中に煙っている。

 13:45分、宇佐の市街地に入る。
石造りの常夜燈があるところから、右に曲がって、裏道を宇佐大橋目指して歩く。

 14:10分、宇佐大橋手前にあるバス停で休む。
目の前には向こう岸へ続く宇佐大橋が延びている。橋の上は風が強そうだ。

 宇佐大橋は浦ノ内湾の入口に架かる大きな橋だ。
橋の上は、時折、強い風が吹くので、笠を吹き飛ばされないように両手で押さえながら歩く。
橋の中央から下を見ると、結構な高さだ。
やっと、橋を渡り終え、ホッとする。

 ここからは、左手に広がる太平洋を眺めながら青龍寺を目指す。
天気が良ければきれいな青い海なのだろうが、あいにくの天気で、
今日はどんよりした鉛色だ。

真黄色に塗られた三陽荘をすぎて、右に曲がると、右側の山裾に祀られている
たくさんのお地蔵さんが迎えてくれる。
お地蔵さんは、皆さん、新しい前掛けをしている。
新年を迎えるためにどのお地蔵さんにも真新しい前掛けが掛けられている。
3~4体ずつ道路際に建てられ、参拝客を迎えてくれる。

 15:00分、青龍寺に着く。


第36番札所 青龍寺

 青龍寺では、納経を先にするつもりだ。
その訳は、今日の宿泊は青龍寺奥の院に近い国民宿舎土佐だ。
国民宿舎土佐は、青龍寺の左側の山の上にある。
納経所まで降りてしまうとまた登らなければならないので、
先に納経を済ませてからお参りしようと思った。

本堂への階段を上がろうとすると大間のおじさんが階段を降りてくる。
おじさんは、「今回はこの青龍寺で区切ることにするつもりだ。」と話してくれる。
「足も痛いし、毎回1週間ほどしか歩いていないのに較べると、今回は十分に歩いた。」と
満足げに話してくれる。

おじさんにお別れとお礼を言って、本堂への階段を上がる。

 ほんの数人しかいない境内の本堂と大師堂でお経を唱える。
空は暗く、寒くなっているのでお経も早々に、山を登り奥の院を目指す。

 奥の院に行くには、境内から、一旦、少し下がったところから山道を
登らなければならない。

 この山道が、相当の道だった。
林の中は暗く、道には落ち葉が沢山落ちており、どこが道なのか
分からないようなところがある。
それでも、やっとの思いで登っていくと車道に出る。

 車道からは、階段状に整備された登山道を登り、再度車道に出ると、
左側に国民宿舎土佐があり、正面の参道を行くと奥の院だ。

まず、奥の院へお参りしようと思い、さらに、木立の中の細い登山道を登る。
少し行くと奥の院があった。

 奥の院は小さなお堂だが、参道はよく手入れされている。
お堂の手前には両側に小さな石仏が並んでいる。
 ロウソクに灯をともすと、周りがホッと明るくなったような気がする。
線香の香りが林の中に静かに広がる。
お賽銭を投げ、手を合わせてお祈りする。
頭の中になにも浮かんでこない。
なにも考えずに、ただただ手を合わせるだけだ。
  
 15:45分、国民宿舎土佐に着く。

やれやれ、これで今日一日のお遍路が終わった。
 フロントで宿料に記入した後、靴を乾かすために古新聞紙をもらう。
フロントの女性も親切に対応してくれる。
 国民宿舎土佐ではお遍路用の部屋に入る。
この部屋は、2段ベットが4つそれぞれ部屋の四隅に据えられ、
真ん中に小さなテレビといすが2脚ほどある。 
お茶も用意されており、設備としては文句ないが、物を置く場所がないのが不自由だ。
そのためかどうか知らないが、ござが数枚ほど用意してある。
宿では、ほとんど寝るだけの場所としている身にはこれでも十分だ。
 (今回の利用客は私一人だった。)

さっそく風呂に入りに行くと、内風呂の浴室に支配人がいる。
何か浴槽の中を調整中のようだ。露天風呂を進められたので、そちらに行く。
露天風呂は、最近作られたようで、ロビー横にある喫茶の外から階段を下がったところにある。
小さい風呂だが、浴槽からは目の前には太平洋が広がるという、抜群の眺望だ。
目の下には、打ち寄せる波が岩にあたり白波を立てている。
しかし、その波の音は聞こえない。
天気が良ければ、今回歩いてきた室戸岬の方が見えるのかもしれない。
だが、残念ながら、今日は、霞んでいる。
この浴槽の中で、足の指を揉んだり、膝を揉んだりしていると、
今日一日雨の中を歩いていたことを忘れる。

 今日は、今回のお遍路で初めて天気が崩れた。
昨日までは、本当に晴天に恵まれ、気持ちよく歩けた。
でも、今日の雨ぐらいなら風が付いていないので、篠つく雨と行ったところで、
歩いていてもほとんど気にならなかった。
雨より風の方が笠を飛ばされそうになり、そちらの方が気になる。
 明日からは、この冬一番の寒気が吹き込むらしい。
でも、北海道と違い、ここは南国、しかも四国だ。
いくら寒いと行ってもせいぜい氷点下数度の話だろう。
通勤で氷点下10度の中を歩いている私にとって何のことはない。
我慢できないほどの寒さが来るわけはないと思っている。

夕食膳はお正月の特別料理と聞いていたが、
なるほど、手の込んだ料理と思わせる物が出てきた。
しかし、酒の肴が多いため、お酒を飲まない食事中心の私にとって、ちょっと上品すぎた。
それでも、ご飯をお代わりすると気持ちよく出してくれたので、嬉しかった。
ここで、ご飯をお代わりする人はいないと思い、どうしようか考えたからだ。

 明日は、浦ノ内湾にもどって歩いて行くつもりだ。
この宿に泊まったのならば、このまま、横波スカイラインを歩いていく方が
近いのだと思うが、昔ながらの遍路道を歩きたかったので、宇佐大橋までもどることにした。


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