今、ショパンのエチュードop10-12(「革命」のエチュード)を練習中だ。
(プロコフィエフ「モンタギュー家…」は、一応形になった(ということにした)ので卒業^^;)
この曲は、ショパンが
「1831年にポーランドからパリに向かう途中のシュトゥットガルトで、ロシア軍のワルシャワ侵攻を耳にし、失望と憤怒のあまり一気に書き上げた」(ピティナ・ピアノホームページより)と伝えられているのだが、確かにこの曲で表されている怒りと悲しみは半端ではない。
特に再現部の「いくら怒りをぶつけてもぶつけ足りない」と言わんばかりの激情は、聞くものを圧倒する。
「革命」のショパンのやり場のない怒りを感じながら、私は
「日本では、こういう曲が生まれることはなかったのだなぁ…」ということをつくづく思った。
日本は、幸か不幸か(もちろん「幸」なのだろうが…)ポーランドのように「外国からある日突然理不尽な侵攻を受ける」というようなシチュエーションに陥ったことがない。
「祖国を理不尽に蹂躙される」というのは、まるで自分の一部を失うようにつらいことにちがいない。
もちろん日本も戦時中には惨禍を被ったのだが、日本人は本当の意味でこの絶望感を痛感させられたことがないような気がする。
これからもないことを祈るが…
話は音楽に戻るが、
名曲を残した作曲家には、「国(祖国)」というアイデンティティを強く意識していた人が多い。
「国際派」くらいならまだしも、間違っても「地球市民」や「無国籍」を気取った人には、人の心を動かす曲は書けないようだ。
“人あっての国”
は、真実ではあるが、一方で
“国あっての人”
であることも、また事実だ。
ショパン「革命」(同HPより・音が出ます)
(プロコフィエフ「モンタギュー家…」は、一応形になった(ということにした)ので卒業^^;)
この曲は、ショパンが
「1831年にポーランドからパリに向かう途中のシュトゥットガルトで、ロシア軍のワルシャワ侵攻を耳にし、失望と憤怒のあまり一気に書き上げた」(ピティナ・ピアノホームページより)と伝えられているのだが、確かにこの曲で表されている怒りと悲しみは半端ではない。
特に再現部の「いくら怒りをぶつけてもぶつけ足りない」と言わんばかりの激情は、聞くものを圧倒する。
「革命」のショパンのやり場のない怒りを感じながら、私は
「日本では、こういう曲が生まれることはなかったのだなぁ…」ということをつくづく思った。
日本は、幸か不幸か(もちろん「幸」なのだろうが…)ポーランドのように「外国からある日突然理不尽な侵攻を受ける」というようなシチュエーションに陥ったことがない。
「祖国を理不尽に蹂躙される」というのは、まるで自分の一部を失うようにつらいことにちがいない。
もちろん日本も戦時中には惨禍を被ったのだが、日本人は本当の意味でこの絶望感を痛感させられたことがないような気がする。
これからもないことを祈るが…
話は音楽に戻るが、
名曲を残した作曲家には、「国(祖国)」というアイデンティティを強く意識していた人が多い。
「国際派」くらいならまだしも、間違っても「地球市民」や「無国籍」を気取った人には、人の心を動かす曲は書けないようだ。
“人あっての国”
は、真実ではあるが、一方で
“国あっての人”
であることも、また事実だ。
ショパン「革命」(同HPより・音が出ます)
ちなみに日本が好きみたいです(笑)>息子
midさんのショパン聞いてバッハ聞き直すと「安寧」を感じます。
のだめ・・娘に笑われながら11巻目
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50745805.html
そういう形で故郷を失うということもあるんですよね。故郷があるって幸せなことなんだなぁ…
息子さんにもその幸せを伝えてあげてくださいね♪
“ばっは ぃゃヤマ親爺”さん(笑)
バッハ、いいですよね!!いろんな音楽を聴いても、バッハを聞くと「戻ってきた」という気がするんです。
順調に「のだめ」にハマってらっしゃるご様子、嬉しいです♪
よねさん、
おお!このへんの話は実は私が書きたいと思っていたことにつながる話です!
(といつも書いてるような…^^;;いや、必ず書きますから!!)