日々思うこと

日常と、
日常につながるもの。

フジコ・ヘミング

2005-11-09 | 音楽
お恥ずかしながら、先日NHKの再放送番組の中で、初めてフジコ・ヘミングの演奏を聴いた。(私の悪いクセなのだが、世間的に評判になっているものにはなかなかあらためて鑑賞しようという気が起こらないのだ。ハマるタイミングを逸するという感じ^^;)

何といったらいいのかわからないのだが、それはもう曲ではなくて、「物語」だった。

定番とされている「ラ・カンパネラ」も、もちろん素晴らしかったのだが、より衝撃的だったのはショパンのエチュード「革命」だった。

ショパンがロシア軍のワルシャワ侵攻を耳にし、失望と憤怒のあまり一気に書き上げたと伝えられている曲だから、椅子から立ち上がらんばかりに激情的に弾くのが通例だし、作曲者自身もそれを望んでいると思う。

しかし彼女の弾く「革命」の凄みときたらどうだろう。
彼女はショパンの曲によって、自分自身をなぞる物語をつむぎだしてしまった。そんな印象だ。
一見静かでありながら、底知れぬ深みと「悟り」のようなものまで感じさせるその演奏は、鑑賞者の心をひきつけて離さない。

それにしても、一見運命に翻弄されてきたかのような、苦難の人生を歩んできた人の仕事のほうが、心を打つ何かを持つような気がするのはなぜなのだろう…

どこまで「人権後進国扱い」されればいいの?!

2005-11-09 | 今日の出来事。(社会編)

Yahoo!ニュース - 産経新聞 - 日本社会の「差別」指摘 国連人権委報告

(ホントはこういう話題は取り上げたくないんだけど、あまりに頭にきたので…)
ほ~ら、言わんこっちゃない!!
一部の勘違いした連中による「一方的通報」によって、今や国連は中国・韓国・北朝鮮による「日本吊るし上げ」の格好の舞台になってしまった。
国際社会での日本の権威を貶めることは、つまるところ
他の国々の発言権を拡大するだけ
なのだということが、この連中は少しはわかっているのだろうか。そしてそれが「どのような世の中をもたらすことになるのか」まで考えての行動なのだろうか。
「国連サマサマ」な人々には考えることすらできないのだろうな…

これがどういう影響をもたらし始めることになるか、よく見ていこうではないか。
深刻な影響が出始めてから「しまった!!」と言っても、もう遅い。失われた信用を回復するのにはさらに時間と手間がかかるだろう。その間に失うものは計り知れない。


日本における人権・差別問題なんて、中国や欧米のそれの根の深さに比べたらかわいいものだ。
おさまる気配のないパリでの暴動を見るまでもない。(正直私もここまでくすぶるものがあったとは…と驚いてもいるのだが。)
欧米では「みんな違ってみんないい」が実現できているなんて、実は大嘘なのだということがよくわかるというものだ。

翻って日本を見てみるといい。
たとえば阪神大震災という未曾有の災害のさなかにあって、外国のメディアから
「暴動も略奪も見られなかったことは、奇跡に近い」という見方をされていたことについて、私たち日本人は深く考えたことがあるだろうか。
(…そもそも、そんな見方をされていたということをきちんと知っていただろうか?)

「病巣」がより根深いのは…?
日本は本当に「民度の低い」国なのか…?
ちょっと理性的に考えれば分かることだと思うのだが…

(オマケ…ここぜひ読んでみて!)