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アロマな日々

一条の光に誘われて歩くうちに、この世とあの世を繋ぐ魔法の世界に紛れ込んでいました。夢のワンダーランド体験を綴ります。

風のハルカ

2005年11月10日 | my favorite・・・
NHKの朝の連続テレビ小説『風のハルカ』のストーリーの輪郭が少しずつハッキリしてきていて面白くなっています。朝日新聞のある日の夕刊の、「見ましたよ」というコラムに、新聞の読者からの『風のハルカ』についての4人の方の、代表的な感想が載せられていました。残念ながら、このドラマの登場人物の健二さんのことを話題にしている人は皆無でしたが、私の、このドラマに対するもっぱらの興味は、この健二さん、すなわち、ハルカの母の恋人である男性の行動に向けられています。人間関係においても仕事においても、人一倍秀でた能力を持ちながらも、自分の存在を誇示することもなく、とにかく自然体で、何事に対しても、苛立ちや困惑を示すこともなく、自分を取り巻く周囲の人々の気持ちに溶け込みながら、当たり前のことのように困難な出来事に対処していくのです。家事もこなすことが出来る点が、私個人としては、健二さんの一番ステキな特性に見えます!お洗濯は大好きなのですが、お料理が苦手な(聡明な女は料理上手というのは本当のことですね。つくづく、自分が聡明ではないのだ…ということを突き付けられる日々です。)私としては、それだけでも、健二さんの素晴らしさに目を奪われます。今の日本には、こういう頼もしい男性が激増しているのだと思います。NHKの朝のドラマで、こうした男性像が普通のこととして描かれていることに、アカルイ未来を予感するこの頃です。
★風のハルカ

Kさんのこと…人の心の奥深さを知る

2005年11月09日 | my favorite・・・
私が、ここ数年来、仕事の楽しさや面白さを感じつつ、仕事というものに前向きに関わってこられたのは、ひとえにKさんとの出会いがあったからこそでした。ですから、私の新職場への異動が確定した時、一つの時代の、確実で決定的な終焉をひしひしと実感したものでした。Kさんとの時間を共有できない以上、もう二度と再びKさんと過ごした時間と同質の時間を体験することは出来ないということ・心躍る煌く時間は過去のものになってしまったことを知りました。Kさんは、一見、さっぱりとしていて物事にこだわらない人に見えますが、実はナイーブで、意外に傷つきやすく、臆病でさえある一面があることを知るエピソードも、共に仕事を進める中で体験したものでした。そのKさんから、お餞別に、私のネーム入りのタオルと共に、(Kさんはタオルと石が大好きなのです。)「これからもよろしく!」の短くはないメッセージをもらった時は、その意外性にとても驚きました。クールでバリバリと仕事をこなすKさんですが、私的には、人に対して、そこまで積極的で意志的な行動を取る方ではないと思っていましたので、そんな一面があるとは考えてみたこともなかったからです。職場の異動と共に、私たちの個人的な関係も終わると思っていたからでした。けれど、その後、スッカリその気になった私が、近況報告のメールを送っても、相変わらず、仕事に追われているKさんから返事が来るのは数ヶ月も経ってからのことになるので、私は、Kさんには、私との関わりを継続させる意思は本当はないのだと考えるようになっていました。ところが、たまたまある仕事を通して再会してみると、Kさんに、他意はないことがとても良く分かりました。それが、Kさんという人の持ち味だということを理解できたのです。「私は、お返事は出せないと思うけれど、たとえ数行でもいいから、時々はメールを欲しい。」と言われました。私は、人間関係は基本的には、ギブ&テイクが最良だと思っていますので、(与えるだけや貰うだけの関係は偏った関係だと思っているからです。)本来ならば、「変な言い分!」と憤慨してしまうと思うのですが、何故か、もはや、Kさんとの関係をそういうふうには考えていませんでした。今度、私からメールを送るときは、もう返事を期待することなく、送ることが出来ると思えました。話しは変わりますが、最近、タレントの(?)山口もえさんと結婚した尾関茂雄氏が「お気楽、極楽日記」という、氏のブログの中で、「結婚することは一生ないかなと思っていたのですが、彼女はいつも私の価値観をブレークスルーしてくれます。こんな不完全で、できそこないの私を許し、認めてくれる相手とご縁があったことに感謝しております。もえさん、いつもありがとう。~中略~私自身、エゴが強く、人一倍傷つきたくないゆえに、表面的な付き合いが得意でした。深いところまで付き合うのを恐れていました。~中略~そんな小さい私に、愛の気付きを与えてくれて成長させてくれる相手がパートナーになってくれたことに感謝しております。」と、もえさんに対する素直で正直な気持ちを謙虚に、率直に書かれています。私も含め、人はいたずらに傷つくことはとても怖いので、一般的には、表面的で社交辞令的な関わりに終始しがちですが、私はそれは、もったいないことだと考えるようになりました。例え、傷ついても、相手が、私に愛をくれる人である可能性がある限りは、縁を繋ぎ止めるためにも、私の方から、相手の懐に入っていく姿勢を保持していきたいと思うようにようになったのです。だから、Kさんに対しても、表面的な見返りを求める気持ちは、あの日以来、一切持たなくなったったのです。そして、それは、Kさんに限ったことではありません。私が大事だと思うすべての人に対して、同様の思いを抱くようにもなったのです。
★「お気楽、極楽日記」

健弱

2005年11月08日 | 日々の泡
今年の私は【健弱】の運勢にあります。ですから、今年一年は、「健康には十分に気をつけよう!」と年の初めから、そのスローガンを心にとめていました。あちこちに小さな故障が起きても、【健弱】だから当たり前…と思えば、「来た!来た!来た!」と余裕を持って、自分の状況を眺めてもいられました。【健弱】だから、控えめに行動するようにもしていました。今年、変に力んで、目一杯、頑張ってしまうと、先々、必ず、その努力が裏目に出てしまうだろうなぁ…と思えたので、少し息を潜めるくらいがちょうどいいと腹を括っていました。失意も絶望も、【健弱】のせいにしていました。生命力が弱る位が、【健弱】の運勢にはお似合いです。「ふ・ふ・ふ」と気の抜けた感じで笑ったりもしてみました。そんな中、【健弱】も終盤に差し掛かった頃、思いもかけない極めつけの大事件が起きてしまいました。【健弱】は小殺界のはずですが、危機一発のすれすれの所で、命拾いするほどの、今回の私の体験は【大殺界】並みの災難でした。尤も、モデルでタレントの山田優さんも、留守中に港区の自宅マンションの窓ガラスが割られ空き巣に侵入されるという事件に合って、その後自宅には帰っていないそうですから、(きっと高級マンションなのでしょうに…それでも、賊は、その気になれば侵入してしまうのですから、本当に物騒な世の中になったものです。)【健弱】だからといって、(大殺界ではないからと)油断は出来ないものです。結果的には、大災難にはなっていなくても、一歩間違えれば、命も落としかねない落とし穴が、人生には待ち受けているかもしれない…ということを痛切に感じさせられました。でも、今年一杯でやっと、この【健弱】という小さいながらも殺界の時期が終了します。年が明けたら、もっとのびのびと積極的に生きてみたいものです。星の力がきっと、来年は私を明るい方向へと導き、手助けしてくれると信じたい気持ちで一杯です。

毎朝届く【六星占術】メール

2005年11月07日 | my favorite・・・
星の数ほどある数々の占いの中で、以前は西洋占星術が一番好きでした。ところが、昨年からは、友人の影響もあって、【六星占術】一辺倒になっています。あれこれの占いに目を通してしまうと、幸運と不運の境目を何処に置いたらいいのかが分からなくなってしまい面倒なので、私は、占いと言えば、最近では、【六星占術】だけを参考にするようにしています。友人が携帯の配信メールへの登録の仕方を教えてくれたので、最初は面白半分にちょっとだけ体験するつもりだったのですが、もうスッカリ定着してしまい、私の携帯には、毎朝、【六星占術】メールが届けられるようになりました。占いを信じる気持ちは実は、本当はあまりありません。配信されてくる内容どおりの一日なんて、それこそ一日もないことからも、それを信じてみてもどうしようもないことが分かるというものです。けれど、「あぁそうか、今日はこういうことに気をつけるようにすればいいんだなぁ…」と注意する気持ちや心構えを、一日の初めに持つという儀式が習慣になってしまいました。こうした気分はそう悪くはないものだと思っています。また、このコンテンツは実に豊富なメニューが満載ですので、人によって、色々な楽しみ方を選択できるのも多くの人々が登録している秘密に繋がっているのだと思います。私は、細木数子さんの特別なファンというわけではありませんが、【六星占術】は利用しやすいので、嫌いではありません。細木さんがよく言われるように、占いは人生の【羅針盤】だという意見には私も同感です。占いに振り回されずに、占いを参考にすればいいのだと思います。(でも実は、そんなに参考にもならないんですよね!)まぁ、ちょっとドキドキするお遊び…くらいの乗りで楽しんでいます。細木数子/六星占術・携帯公式サイト

ニュートラル

2005年11月06日 | 日々の泡
ニュートラルとは、「対立する二つのいずれにも属さないこと(さま)。中立。中間。」と訳されています。この言葉の意味を十分には理解出来ていなかった頃(今でも理解できているかどうかは怪しいですが…)、私には、人間が中立などという立場を取れるわけはないと思っていました。中立であろうとすることは、要するに、目の前の人に、真に、関わることを避ける行為のように思えました。中立という言葉の意味を穿き違えていたのだと思います。ニュートラルであるとは、どちらか一方の考えには拘らない。もっと言ってしまえば、どちらの道でもいい。どちらの道にも同様の価値があるということを自然に認められる態度のことだと思えるようになりました。Aを選んだから間違いだった、とかBを選んでおけば良かったというような判断を、私たちはしがちですが、それは結果論であって、思うことは勝手ですが、思ってみても意味の無いことです。AにはAの、BにはBのそれぞれの道の味わいがあります。Aの道を選んだからこその喜びや悲しみ。Bの道を歩いたからこそ得られたものの数々。そうなんです。どっちでもいいんです。九州に行けば九州の景色が、北海道に行けば北海道の景色があります。それらの景気の価値に優劣はありません。良いも悪いも、プラスもマイナスもきっと同じ価値のものです。イコールだと思います。等しいということです。そういう、ニュートラルさが身についてくると、物事に対する執着やこだわりからは少しずつ解放されていくような気がします。そうすると、逆説的な現象が起きてきて、自分にとってのより良い方向が自然に見えてくるというか…何かに導かれているような感じになってくるから不思議です。【これでいいんだ!】あるいは、【何があっても大丈夫!】という静かな気持ちが、心の底に流れてくるようになります。話は変わりますが、私は最近、最悪の経験をしました。命を落としていたかもしれないほどのものですから、経験して良かったなどとは言えないはずのものです。けれど、こんな忌まわしい体験が、私にもたらした【良き事】は一つや二つではありませんでした。当初は怖いだけでしたし、一日も早く忘れたい体験としか思えなかったのですが、その恐怖体験が、その後の私に、もたらした数々の気づきは恩寵とも言えるほどのモノでした。その事件を体験する前の私だったら、決して気にも留めなかったであろうと、自ら自覚できるほどのものなのですから、この変化には、自分でも衝撃を感じます。(ただ、この感覚がいつまで持続するものなのかという不安はあります。また、日々のあれこれに狎れ合ってしまったら薄れていってしまうような類のものなのかもしれません。)この出来事は、私に、人生に対する態度のありかたのバリエーションを提示してくれました。一つの価値観を持つことはとても大事なことですが、その価値観では、それ以上、歩いていくことが難しくなる時機が往々にしてやってきます。そうなった時は、潔く、使い古された価値の袋を棄てて、新しい袋を持つ気持ちを(勇気という言葉には怖気づいてしまうので…軽く、気持ちと表現してみました。)持たないと命取りになるでしょう。命を落とさないまでも、苦しくて…苦しくて、前には一歩も進めなくなります。一時の私がそうでしたから、その辺の事情は間違いないと確信できます。私は、自分ではそれと気づかずに、偏った、現在の自分には役に立たない価値に、価値があると勘違いして、まだその価値を使えると疑わずに、あるいは、自分には、その価値しか使いこなせないと盲信して、その価値にしがみ続けていたのかもしれません。ですから、日々の生活に、これといった目だった支障はないものの、何か大きな不全感や不調和に気持ちが苛立ち、その兆候に怯えを感じていたのだと思います。【自我の確立】…そうしたモノが大事だと思ってもいました。自我が確立した人は、自己主張がハッキリしていて、バリバリと風を切って生きているイメージがありましたので、もたもたしている自分は自我が確立していないのだから、それではいけないという後ろめたさを感じてもいました。自分ではない何かにならなければならない感じ…自分ではないモノにならなければ成長していけない感じ…この感じが焦燥感に繋がっていたのだと思います。【自我】は水戸黄門の印籠のように、人前に差し出して誇示しなくてもいい、それを示すことによって初めて、自分が何者であるかを証明するための通行手形でなない…そんな、これ見よがしのものではないと思えるようになりました。大事な人たちにとって、風のようであり、水のようであり、空気のようであればいい。私の存在感を、ことさらに、主張しなくても、空気や水や風ならば、人が生きる上でなくてはならないものなのですから、大事な人たちにきっと、【心地よさ】を感じてもらえるはずです。透明人間のように、いるかいないか分からない位の人間になってもいいです。人が、私に気を遣わずに、私の傍にいても自由でいてくれれば、それが幸せと思えるようになりました。私といると楽しい・嬉しい・喜びを感じると言われるようになりたいです。そのためには、まず自分が自由で、人生を楽しいと感じられるような人になりたい!と、やはり、最後は、またしても自分に目が向いてしまいます。私はつくづくわがままな人間に出来ているんですネ!※それから、【広島…学会開催地】の記事の冒頭に、広島城の画像を載せ忘れていました。あまり綺麗には撮れていませんが、折角の記念写真ですので、よろしければ、ご覧になってください。★広島城のデジカメ画像

文殊の知恵

2005年11月05日 | 日々の泡
正面横顔文殊観音像の画像です。左の画像は正面から見たところで、右の画像は横顔を捉えたものです。



『三人寄れば文殊の知恵』という言葉は知っていましたが、『答えは文殊にあり』という言い方があることは、ついぞ知らないことでした。『答えは文殊にあり』とは、【どこからその問いが出てきたかのかということをじっと見つめてみると、問いが出てきたところに答えが埋まっている】という意味のようです。自分で頭をひねり導き出した答えは、輸入してきた答えとは違って、黄金と銅くらいの価値の違いがあるということです。問いは答えのあり方を示しているとも言われます。知的に豊かであるということは、未だ解けていない疑問を沢山、抱えていられるということでもあり、日々、疑問がさらに深まったり、磨かれたり、運よく、思いがけずも答えが得られたりするということです。答えを知り尽くしているということではなく、自分の中に疑問や問いを持ち続けていられる懐の深さこそが、知的で豊かであることの実態のようですが、それについては、本当にそうかもしれないと、私にも思えます。また、唐突に次のような言葉をご紹介することは、部分的には矛盾を含んでいるので、話の流れが逆流するようで申し訳ないのですが、心理療法の大家である河合隼雄先生の、【優れた治療者は分からないという言葉で勝負する】という言葉はけだし名言ですよね。何故?何故?何故?と問い続ける子どものように、そこのところが分からない。何を言いたいのかが分からない。分からない…分からない…分からない!と問い続けられると、相手に分かってもらえるように、文殊の知恵を振り絞って、自分の答えは何なのだろうと、一生懸命考えますから…。自分自身に一生懸命問いかけ続けているうちには、文殊の知恵が突然、開かれてくるかもしれません。この私の考えることに興味を持ちつつ、「何故?」とか「分からないよ!」とか、いつもいつも問いかけてくれる人が傍にいてくれたらどんなに幸せで心満ち足りた生活になることでしょう。でも、今では、私の、こうした‘わがまま’な願望や要求に、このブログを通じて、Blissさんが、相当程度、応えてくれています。それに、時々は、未知の、本当にステキな来訪者の方たちが、私の記事に、嬉しいコメントをくださってもいます。ブログを始めたことによって、私は、今までには味わったことのない、新たな、大きな喜びに触れることが出来るようになっています。本当に感謝!!です。

宇宙人

2005年11月04日 | my favorite・・・
Blissさんに2ヶ月ちょっと振りに会いました。彼と時々、お茶や食事をしながら話しをするようになってから、かれこれ2年が経ちますが、先日のような彼の姿を目の当たりにしたのは始めてだと思います。最初、私はひどく面喰ってしまいました。彼の世界に全くアクセスできない自分をひしひしと感じて、どうすればいいのかと焦りました。今までの私ならば、万事休す!どつぼにはまってそのつぼの中から出て来れずに、関係を破壊させて、意気消沈して、とぼとぼと家路についていたと思います。まぁ、それでもチューニングは万全ではありませんでしたが、少なくとも、私は【目の前の落ち着かない彼】を受け入れることの出来る度量を持ちたいとは願っていました。時々は、彼に笑顔が戻っていたので、少しは気持ちが緩む瞬間もあったのかもしれません。つい最近の個人的に不幸な事件があってからの私には、今までとは微妙に異なる、不調和な情況に対するセンサーが作動するようになっているのです。それが確かなものなのか・鋭敏なものなのか・当てになるものなのかどうか・については…それはまったく不確かなのですが、自分にとって馴染みのない空気みたいなものに対する感覚が動く瞬間を実感するようになったのです。それは【微かな揺らぎ】の感覚です。でも、その雰囲気をイヤだと忌み嫌うということではなく、そうした感覚の由来に耳をそばだてるような、一呼吸置いた、余裕を持とうとする心理状態を経験するようになってきているのです。これは一時的なものなのか、今後も私の中に定着するようになるものなのかは分かりません。でも、その感じが、彼の存在を今までになく、私の身近に感じさせてくれる何かを呼び覚ましたのです。私に、不思議な新たな能力が備わったような印象を、彼と別れた後に勝手に持ってしまったのです。今までの彼は、落込んでひちゃかめっちゃかになった自分を、私などには、決して見せてくれませんでした。今回は、自分が絶好調ではなくても、ありのままでもいいと思ってくれたからこそ、そういう時を避けずに、私に会ってくれたのだと思えました。その結果、彼の宇宙人性がより鮮明に浮かび上がってきたのです。私のような、ごくごくありきたりの、真面目なだけが取り柄でもあり欠点でもあるような面白みのない人間が、どうして彼のような、超(一般的ではない…という位の意味です。)能力の持ち主と部分的にせよ、リンクできるのかが従来からの非常に大きな謎でした。が、少なくとも、今までのように、何が何だか訳がわからない…掴みどころがどこにもないBlissさんではなくなりました。「放っておいて欲しい。」ということの意味がやっと分かるような気もしました。【かまわれすぎるとダメになる】ということの意味もすご~くよく理解できました。私はあなたと関わるようになってから、随分と鍛えられてきたように思います。私が私の本領を発揮できるようになれば、あなたにとって、私は、殊のほか頼りがいのある人間になれるはずなのですが…。だって、人を放っておくことも、人を構わないでおくことも、私の特技だし、本来はその技においては、私は超一流のはずなんです。私は、自分の世話で精一杯の人間ですし、お世話をしてもらわないと生き延びられない種類の人間なので(生きる技や術に長けていないので)、畢竟、人のことを必要以上には構えないというバランスになっているのです。でも大人ですから、自分の世話は自分で何とかしようとはしていますし、自分以外の人間のことにも、ほどほどに気を配るようにはしています。今の私は、あなたにしがみついたりはしないだけの自我は持てるようになっていますので、心配しなくても大丈夫です。今回の、あなたとの時間は、実は、私にとっては、今までになく楽しい時間でした。端整で整然とした規律の中で、まるで作り物のように動くあなたが、今回は、やけに(立派な宇宙人ではなく)変な宇宙人に見えました。今までは、落込みそうなときは逃げるようにして、どこかの誰かに会いにいくあなたを見送るしかなかった私ですが、落ち込んでいきそうなあなたと、ある時を共有することを許されたという今回の初体験は私にとって、すごく魅力的で得がたいものでした。(時間というものは何よりのプレゼントですからね!)有り難う!と言いたいほどです。誰からも犯されずに(侵されずに・冒されずに)、無事に生き延びてください。応援しています。辛いとき、私のところへ来てもらっても、私はあなたを食べてしまったり、呑み込んでしまったりはしませんよ。多分、これからも、基本的には、あなたの強い味方になれると思います。

コミュニケーション不全

2005年11月03日 | 日々の泡
hosi←ポラリスネックレス
(ポラリスとは「北極星」の意味です。すべての星が移動しても、ポラリスはずっと同じ場所で輝いています。チュンサンはユジンのポラリス。「もう道に迷うことはないよ。」とチュンサンがユジンに語りかけるシーンは、今でも鮮烈な印象で胸に蘇ります。)







hosi銀色に光り輝くポラリスのオブジェ







1年前まで同じ職場で、同じ事業を担当していた仕事仲間のKさんにおよそ7ヶ月振りに、あるシンポジウムの仕事の会場で再会しました。私の異動が決まってから、非常勤で、私たちの担当業務に参加していてくれたFさんとの3人で、本場のシェフが腕を振るってくれるベトナム料理のお店でささやかなお別れ会を持って以来のことでした。話しはちょっと逸れますが、まず最初に、韓国ドラマに夢中になったのは私でした。「冬のソナタ」にうっとりしていたのは、私とその非常勤の後輩のFさんだけでした。「冬のソナタ」の地上波での再放送が始まっても、職場の人たちの反応はとても冷ややかなものでしたので、「冬のソナタ」の話しさえこっそりでないと、顰蹙を買いそうな雰囲気さえ漂っていたほどでした。そのせいもあってか、私とFさんは後ろめたさを仲介にして「冬のソナタ」に秘かに酔いしれあう仲間として、特に仲良しになったのかもしれません。Kさんは、「人間は、恋愛だけをやっているわけにはいかない!」ということで、当初は、「冬のソナタ」の筋書きに大層ご立腹でしたが、今では一番の韓国ドラマファンになってしまい、DVDを借りたり購入したりして、韓国ドラマを鑑賞することを日課にしているようです。そういう経過の中で、今や、韓国ドラマに関しての一番の通はKさんになってしまったほどです。話は戻りますが、そのお別れ会で「近いうちに、3人で韓国旅行に出かけよう!」と自然に話は盛り上がり、約束が成立したのでした。ところが、私はそのことを気には懸けながらも、仕事や家族のことで大忙しのKさんに、自分から誘いの声を掛けることには、少なからず躊躇するものがあって、日々をやり過ごしていました。非常勤の後輩のFさんも、誰かに韓国旅行を誘われることがあっても、韓国旅行は約束している人があるからと断っていたらしいのです。それなのに、最初に、私たちに声を懸けてくれた、張本人のKさんは、7月に一人で韓国に行ってきたということが、再会時の仕事終了後の、お茶を飲みながらの会話の中で判明したのです。私は思わず、「どうして誘ってくださらなかったのですか?」と問いかけてしまいました。彼女は彼女で、私たち2人は、社交辞令で同意しただけかもしれないと思っていたのだそうです。私と非常勤の後輩のFさんは本気だったので、「私たちは社交辞令でものを言う人間ではありませんよ!」と念を押してしまいました。Fさんは何につけ、計画を立てるのが大好き!という特質がありますので、今度こそどこかへの旅を実現させようと確認し合いました。それにしても、あんなに心を一つにして、大きな仕事をやり遂げた仲間でさえ、私の物言いが社交辞令かどうかを選別する勇断さを持つことができなかったのですから、いかに信頼関係を築き、本音でモノを言い合うことが世間一般では難しいかということの事実を如実に裏付ける、これはエピソードだったということになるのでしょう…。大事な人たちに、私という人間が何を考えているかを判ってもらうことは、そんなに簡単なことではないんだと再確認して、溜息をつきたい気持ちになりました。私が、メールを送ってもなかなか返事をくれないKさんに対して、私は私で、kさんの私に対する気持ちを疑って悩んでいたように、Kさんも、私の気持ちが変わっていないことを信じることが出来なかったのでしょうか?

広島…学会開催地

2005年11月02日 | my favorite・・・
広島城
原爆ドーム
ドーム景色
慰霊碑
今回の旅の一番の目的は、広島で開催される、ある学会に出席することにありました。もうかれこれ10年以上も参加し続けているお気に入りの学会です。広島の原爆ドームは、人によっては見ているだけでも怖い…。従って、広島さえも怖い!という感想を持つ人もいるようです。けれど、今回、恐怖体験を拭えないまま、一人で、旅を続けていた私にとって、広島は、私の存在を丸ごと包み込んでくれる、包容力に富んだ神の土地に感じられました。原爆ドームを見上げて、平和記念公園を歩く時、私の気持ちは静かな癒しの感覚に包まれていました。慰霊碑やドームに向かって深く頭を垂れることによって、大いなる慰めを感じることが出来たのです。
ドレス
ドレス2
片や、広島はとても空の高い、モダンな都会でもありました。広島駅周辺などは車輌中心に道路が整備されているのです。道路が広々としているのは、とても気持ちが良くていいのですが、目的の場所まで行き着くのに、直線距離ならばすぐ目の前ほどの近さでも、人はやたら、地下道を利用して迂回しながら移動しなければならない仕組みになっているので予想外に時間がかかって大変でした。けれど、安全を第一に考えれば、確かに、事故は格段に少ないはずです。信号を無視して渡ることなど断じて出来ないようになっているからです。(たぶん、これはあくまでも広島駅周辺のことだけだと思いますが…)市街地には長い長いアーケードがどこまでも続いていて、名だたるお店がそこに集中しているようでした。また、ブライダルサロンがあちこちに点在していたことも広島市街地区の大きな特徴の一つだと思います。しかも、私のホテルから平和記念公園の中にある学会会場である国際会議場までの途中にあるブライダルサロンなどは、ウインドウの中の5着以上のドレスが毎日、すべて着せ替えられていました。私が、そのお店の前を通るのは、毎日8時だいでしたので、お店はいつも閉まっていましたが、私はその道を歩くだけで、通算15着近くのドレスを楽しめたことになりますから、お店の人の気合がいやでも伝わってくるようで、学会の会期中の3日間は、歩く度に、そのショーウインドウを眺めることがとても楽しみでした。写真は何枚も撮ったのですが、光が入ってしまって、ほとんどはうまく撮れていませんでした。
お好み焼きレストラン
広島は広島風お好み焼きと牡蠣の名産地でもあります。私の滞在したホテル近くの川沿いには、私が広島入りしたその日に、牡蠣を美味しく食べさせてくれるレストランが開店したようです。開店の次の日の朝の(ホテルの部屋の)テレビでそのことを放送していました。そのホテルは、概観はただの箱という感じの素っ気無いものでしたが、内装はクラシカルな雰囲気で統一され、機能的で清潔なとても感じのいいホテルでしたので、3日間を気持ちよく過ごすことができました。旅が思い出深いものになることの条件の一つにホテルの質がどうだったかが大きく影響すると思います。ただ学会旅行の場合は、泊まれればいいとばかりに安さ第一で選んでしまいますが、今回は、それでも、偶然にとてもいいホテルに恵まれました。傷ついたざらついた気持ちに少しも逆らってこない素晴らしい‘気’を備えたホテルだったことに心の底から救われる思いがしました。

テンプレートの変更…気分も新たに!

2005年11月01日 | my favorite・・・
11月から、ブログのテンプレートを変更してみようと思いたちました。ハロウィンにちなんだ【暗闇と星とお化けと黒猫】のレイアウトを選びました。ハロウィーンは10月31日なので、11月1日から、このテンプレートを使用するのは、記念日が終了した直後なので…タイミングが悪すぎますし、季節はずれもいいところなので、いかにも間が抜けた感じもしますが、何故か…【暗闇と星とお化けと黒猫】の取り合わせが、(ピンク色が加わっているので、とても暖かい気持ちにもなります…最近、ピンク色にすごく惹かれるようになっています。)私の、今の気分に妙にフィットしているので採用してみることにしました。今までに何度も、気分を変えるために、テンプレートの変更に挑戦してはみたものの、字体やレイアウトが今ひとつしっくりこなかったために、【ブルーフラワー】を使い続けてきましたが、今回は、私の硬い頭の構造を柔軟にするためにも(苦手なものにも敢えて親しんでみる…という心の柔軟性を自分の内に取り入れてみたくなりました。)苦手な猫…しかも黒猫を積極的に私の大事なブログの友人にしてみたいと思います。私が敬愛してやまないBlissさんが大の猫好きなので、私も猫を身近に感じてみたいということと、私自身、昔から何故か…暗闇が大好きなので、この(好きなものと苦手なものとの)取り合わせが、今の私にどんな影響を及ぼすかを確かめてみたい…という好奇心が湧いてきたのも大きな理由の一つです。忌まわしい経験の後なのに、(だからこそ…ということなのでしょうか?)光を求める強い気持ちと同時に、闇をも…私の内部に、もっともっと深い闇をも理解できる懐の深さを持ちたいという願望が拡がっているのです。
haroharo
googleの検索エンジンのWebにも、昨日までは、闇やこうもりなどのハロウィンらしいイメージのシャレた飾りが使われていたのに、ブログに載せようと思い、いざ、画像として探してみると、私には、なかなかこれといったものが見つけられませんでした。危険な雰囲気を表現したものが、いかにもハロウィンらしくて、怪しさや怖さが醸し出されていて好きのなに…。ここにアップした3枚の画像はまあまあ気に入ったものです。