

『三人寄れば文殊の知恵』という言葉は知っていましたが、『答えは文殊にあり』という言い方があることは、ついぞ知らないことでした。『答えは文殊にあり』とは、【どこからその問いが出てきたかのかということをじっと見つめてみると、問いが出てきたところに答えが埋まっている】という意味のようです。自分で頭をひねり導き出した答えは、輸入してきた答えとは違って、黄金と銅くらいの価値の違いがあるということです。問いは答えのあり方を示しているとも言われます。知的に豊かであるということは、未だ解けていない疑問を沢山、抱えていられるということでもあり、日々、疑問がさらに深まったり、磨かれたり、運よく、思いがけずも答えが得られたりするということです。答えを知り尽くしているということではなく、自分の中に疑問や問いを持ち続けていられる懐の深さこそが、知的で豊かであることの実態のようですが、それについては、本当にそうかもしれないと、私にも思えます。また、唐突に次のような言葉をご紹介することは、部分的には矛盾を含んでいるので、話の流れが逆流するようで申し訳ないのですが、心理療法の大家である河合隼雄先生の、【優れた治療者は分からないという言葉で勝負する】という言葉はけだし名言ですよね。何故?何故?何故?と問い続ける子どものように、そこのところが分からない。何を言いたいのかが分からない。分からない…分からない…分からない!と問い続けられると、相手に分かってもらえるように、文殊の知恵を振り絞って、自分の答えは何なのだろうと、一生懸命考えますから…。自分自身に一生懸命問いかけ続けているうちには、文殊の知恵が突然、開かれてくるかもしれません。この私の考えることに興味を持ちつつ、「何故?」とか「分からないよ!」とか、いつもいつも問いかけてくれる人が傍にいてくれたらどんなに幸せで心満ち足りた生活になることでしょう。でも、今では、私の、こうした‘わがまま’な願望や要求に、このブログを通じて、Blissさんが、相当程度、応えてくれています。それに、時々は、未知の、本当にステキな来訪者の方たちが、私の記事に、嬉しいコメントをくださってもいます。ブログを始めたことによって、私は、今までには味わったことのない、新たな、大きな喜びに触れることが出来るようになっています。本当に感謝!!です。




