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アロマな日々

一条の光に誘われて歩くうちに、この世とあの世を繋ぐ魔法の世界に紛れ込んでいました。夢のワンダーランド体験を綴ります。

危機管理能力

2005年11月18日 | 日々の泡
固い話が続いてしまって申し訳ないのですが、【情動】…に関する報告書の中に、もう一つ大事な観点から考察がなされていることがありましたので、その問題についても少し触れてみたいと思います。以前の私だったら、このような文面を目にしても、軽く読み流してしまっていたかもしれないのですが、今では、【危機管理能力】は、この混迷の時代を生き抜いていく上での欠かすことの出来ない視点だと切実に考えるようになりました。それは、先月の【犯罪に巻き込まれて、危うく命を落としそうになった体験】への遭遇が呼び覚ました認識だと思っています。この認識がもたらす感覚は、危険に満ちた状況を微かにでも察知すると、間髪いれずに警鐘を鳴らすようになってしまっています。多くの場合、結果的には何事もない場合がほとんどですから、このような過敏な状態が続くと精神的には随分消耗してしまうので少々困ってもいるのが本音です。私は、水や空気をあって当たり前のものと考えるように、安全をも当たり前のこととして、何の疑いも持たずに、これまでは生きてこられたのですが、それは大きな間違いであったことを、今回、思い知らされました。余りにも迂闊に生きてきてしまったことの愚かさを目の前に突きつけられたのです。報告書から転記した以下の文章を読んでみてください。『社会の進展や成熟とは、私たちの生活に安全や便利さや快適さを与えてくれるものであるが、私たちの日本社会では、便利さの陰で集団の維持に必要な役割参加の体験を通じた社会性の育成と社会の構成員としての義務の観念の育成という重要な社会化が失われてきている。また、社会の成熟は安全や快適さを提供してくれる半面、自然環境や社会生活に潜んでいる危険やリスクに対する感受性や危機管理能力等を培う機会も生活環境の中から失われつつある。人間が人と交わり集団や社会を作り上げるのは、一つには、こうしたさまざまな危機に対処するためでもあり、こうした危機やリスクへの感受性の衰退は、人間の情動や心の成長に影響を与える可能性があるだけでなく、人間の社会性の基盤をも脆弱化させることになる。』  隣近所の人々との平素からの【お互いさまの】関わりは、いざという時の助けにもなりますし、‘近所の目’が不審者から我が身を守ってくれることもありうると思えます。 単に、そのような現実的な利便性だけでなく、人間の情動や心の成長にまで影響を与える可能性があるという見解にも頷けるものを感じています。