観察力 2005年11月15日 | 至福の花 いつか、私がBlissさんに、「あなたは‘自我の強い人’だと思う。」と伝えたら、「そうではなくて、自分はただ周囲を見ているだけだ。」と返されたことがあります。その時は、随分面白い表現をする人だなぁと感心しました。【見ているだけ…】というのはどんな状態なのだろうと、その状態をイメージ(空想)しながら、自分もそうした状態に身を置けるようになりたいと願うようになりました。「自我の強い人になりたい!」と考えると、無理な我慢や不自然な力みが加わって、自分が自然体で、自分らしくありながら…成長・成熟していくことが困難になってしまいます。けれど、‘見ている’ことなら全然、無理がないし、感覚や感性も、自分のままでありながら、知らず知らずのうちに、それとなく磨かれていくようにも感じられました。そうした意識を持つようになってから、私もいつしか、周囲を静かに‘見ている’時間を持てるようになってきている気がしています。ただ‘見ている’だけなのですが、‘見ている’うちに、状況の微かな変化が、自分なりに掴めてくるのです。ずっと先までを見通せるわけではないのですが、自分なりに、その状況に対する、ある確信を持てるようになるのです。その思いの断片を、友人にぽろっぽろっと語ったりしていたら、「観察力が鋭い」と言われました。私の特質の中に、「観察力の鋭さ」は元々備わっているものではありません。そこにあって目に入っていても、全然、あるものの存在に気づいていないことも多々あります。ですから、すべてのものやことに対して観察力を起動させているわけではないことがよく分かります。私のある部分だけが、あることに対してだけ、何かの拍子に「観察力」を作動させているらしいのです。今まで眠っていた感覚が静かに目覚めを迎えるというような現象も起こりうるのですネ!