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アロマな日々

一条の光に誘われて歩くうちに、この世とあの世を繋ぐ魔法の世界に紛れ込んでいました。夢のワンダーランド体験を綴ります。

ラジウム岩盤浴&カッピング(吸い玉)

2005年11月20日 | 日々の泡
かつれん石とオーラストーンというものが敷き詰めてある遠赤ドームの中に20分間横になるだけです。カッピングとは吸い玉ともいい、体の何箇所かを、まるで大きな洗濯バサミか何かでつままれているような感覚になる治療法(?)です。要は、漢方で言うところの【瘀血(おけつ)】=血液が停滞する状態を解消するための施術法だと思います。大変気持ちはいいのですが、真っ赤な丸い跡が残ってしまいますので、(かなり異様な様相になります。知らない人が目撃したら、一体、何事が起こったのかと不審に思うでしょう…)夏場にノースリーブなどを愛用されるような方は、カッピングは無理ですネ。ゲル・ラジ温浴もラジウム岩盤浴もカッピングも続ければ、確かにそれなりの効果はあるとは思いますが、バスローブに着替えなければならないことが、私には面倒くさくて、足が遠のく原因になりそうです。でも、「やめられない。」とつぶやいていた女性がいましたので、この人気はまだまだこれからも続くに違いないと確信しました。ちなみに、面倒くさがり屋の私は、あれから、【ゲルラジ温浴】にも【ラジウム岩盤浴】にも行っていません。自分に合った健康法でないと続きませんね…。

デトストック(毒素排出)

2005年11月19日 | 日々の泡
リース今の時代はインプットよりアウトプット。ゲルマニウム温浴が時代のトレンドになっているようなので、試しに体験してきました。大変な人気で、押すな押すなの大混雑でしたので、予約なしに突然行っても、一度にすべてのメニューを試すことは出来ませんでした。なので、二度に分けて行く羽目になりました。1回目は、「ゲル・ラジ温浴」のみの体験でした。「ゲル・ラジ温浴」とは、ゲルマニウムとラジウムがオリジナルブレンドされているという意味らしいです。手足をゲル・ラジのお湯に20分つけるだけで汗が吹き出てきます。プラス、高濃度の酸素の吸入と超ミネラルドリンクのサービスもつきます。吹き出てくる汗は天然の美容液も同然なのだそうです。ですから、汗はかきっ放しのままにして、シャワーは浴びずに、入浴も2~3時間後にするよう指示されます。確かにさっぱりとしたお風呂上りの感じは悪くはありませんが、人の手で治療してもらう時の心地よさは望むべくもありませんし、20分間手足をお湯につけるだけのために支払わなければならない金額は塵も積もれば…大きな山になりすぎる気がしました。

危機管理能力

2005年11月18日 | 日々の泡
固い話が続いてしまって申し訳ないのですが、【情動】…に関する報告書の中に、もう一つ大事な観点から考察がなされていることがありましたので、その問題についても少し触れてみたいと思います。以前の私だったら、このような文面を目にしても、軽く読み流してしまっていたかもしれないのですが、今では、【危機管理能力】は、この混迷の時代を生き抜いていく上での欠かすことの出来ない視点だと切実に考えるようになりました。それは、先月の【犯罪に巻き込まれて、危うく命を落としそうになった体験】への遭遇が呼び覚ました認識だと思っています。この認識がもたらす感覚は、危険に満ちた状況を微かにでも察知すると、間髪いれずに警鐘を鳴らすようになってしまっています。多くの場合、結果的には何事もない場合がほとんどですから、このような過敏な状態が続くと精神的には随分消耗してしまうので少々困ってもいるのが本音です。私は、水や空気をあって当たり前のものと考えるように、安全をも当たり前のこととして、何の疑いも持たずに、これまでは生きてこられたのですが、それは大きな間違いであったことを、今回、思い知らされました。余りにも迂闊に生きてきてしまったことの愚かさを目の前に突きつけられたのです。報告書から転記した以下の文章を読んでみてください。『社会の進展や成熟とは、私たちの生活に安全や便利さや快適さを与えてくれるものであるが、私たちの日本社会では、便利さの陰で集団の維持に必要な役割参加の体験を通じた社会性の育成と社会の構成員としての義務の観念の育成という重要な社会化が失われてきている。また、社会の成熟は安全や快適さを提供してくれる半面、自然環境や社会生活に潜んでいる危険やリスクに対する感受性や危機管理能力等を培う機会も生活環境の中から失われつつある。人間が人と交わり集団や社会を作り上げるのは、一つには、こうしたさまざまな危機に対処するためでもあり、こうした危機やリスクへの感受性の衰退は、人間の情動や心の成長に影響を与える可能性があるだけでなく、人間の社会性の基盤をも脆弱化させることになる。』  隣近所の人々との平素からの【お互いさまの】関わりは、いざという時の助けにもなりますし、‘近所の目’が不審者から我が身を守ってくれることもありうると思えます。 単に、そのような現実的な利便性だけでなく、人間の情動や心の成長にまで影響を与える可能性があるという見解にも頷けるものを感じています。

子どもに必要な体験活動

2005年11月17日 | 日々の泡
【情動】…に関する検討会報告の中から、私の心の琴線に触れた話題をもう1つ…。子どもの体験活動を考察する上で、川村女子学園大学の調査研究(平成16年)の結果を引用しているのですが、この調査の質問項目の表現がとてもいいのです。優しく柔らかい言葉が選ばれている上に、質問項目を読むだけで、その情景が生き生きとイメージされてきて、心の中に暖かみが増してくることが感じられるからです。じわじわと血液が身体の末端にまで行き渡って、無心に野山を駆け回っていた(そんな体験が本当にあったかどうかは別としても…)幼い日々の想い出が蘇るような気持ちになれるなんて!この質問事項を考え付いた研究チームメンバーの仕事振りが目に浮かぶようです。では、その質問項目をご紹介します。①日の出や日の入りを見たことがあるか?②海や川で魚釣りをしたことがあるか?③湧き水を飲んだことがあるか?④親戚や友人の家に一人で泊まったことがあるか?⑤赤ちゃんを抱っこしたことがあるか?⑥お年寄りと話しをしたり、お世話をしたことがあるか?等々です。実際のアンケートにはこれ以外の質問事項もあったのかもしれませんが、この報告書には、この6つだけが挙げられていました。このブログでは、アンケート結果の数字を挙げることはしませんが、多様な人間関係や自然体験、生活体験、社会体験等が少ないことを実証する現状結果であったことが報告されています。文部科学省の他の委託調査(平成11年)でも、生活体験や自然体験が豊富な者ほど、道徳観や正義感が高いことが示されているそうです。養育者との【愛着】を土台にして、さまざまな未知の感動体験を繰り返しながら、子ども(ヒト)はしかるべき【情動】を培っていくということのようです。 安定感のある情動は心の成長にとって必須の土台となるようです。

etcetera…

情動

2005年11月16日 | 日々の泡
「情動の科学的解明と教育等への応用に関する検討会」という検討会報告に目を通す機会がありました。子どものこころを理解するキーワードとして【情動】という観点から議論を積み重ねた経過や、検討のポイントを【情動】に置くという発案に時代を読み解く先見性を感じました。検討結果に関する考察も通り一遍のものではないと、私には思えたのです。幾つかの研究成果がありますが、★子どもの対人関係能力や社会的適応能力の育成のためには適切な『愛着』形成が重要であることを提言している部分に、(今さら…という感じがしないでもありませんが)納得しきり…でした。以下は、その提言の内容を転記したものです。‘愛着とは、人と人との間で形成される相互の親和性(相手と一緒にいることを望み、一緒にいることで大きな安心感、満足感を感じられる関係)のことである。愛着には、「相互的な関係」、「情動的満足感」、「身体接触的関係」という要素が不可欠であり、「身体接触的関係」という点で友人関係とは異なるものとなる。子どものこころの健全な発育のためには適切な「愛着」形成が必要である。愛着は、」情動、さらには他人とのコミュニケーションや対人的適応能力を発達させるための機能的準備系になると考えられる。~後半の文章はすべて割愛~」ここで言う「身体接触的関係」とは母子あるいは子とその主たる養育者の関係を指しています。【健全】で【安定した】【危なげのない】【揺るぎない】情動の持ち主となるためには、その原型が形成されると考えられている誕生から5歳位までの間の養育者との関係のあり方が鍵になるようです。

情動の科学的解明と教育等への応用に関する検討会について [報告書]→【ダウンロード】という表示をクリックすると、報告書の内容の全文を読むことが出来ます。

観察力

2005年11月15日 | 至福の花
いつか、私がBlissさんに、「あなたは‘自我の強い人’だと思う。」と伝えたら、「そうではなくて、自分はただ周囲を見ているだけだ。」と返されたことがあります。その時は、随分面白い表現をする人だなぁと感心しました。【見ているだけ…】というのはどんな状態なのだろうと、その状態をイメージ(空想)しながら、自分もそうした状態に身を置けるようになりたいと願うようになりました。「自我の強い人になりたい!」と考えると、無理な我慢や不自然な力みが加わって、自分が自然体で、自分らしくありながら…成長・成熟していくことが困難になってしまいます。けれど、‘見ている’ことなら全然、無理がないし、感覚や感性も、自分のままでありながら、知らず知らずのうちに、それとなく磨かれていくようにも感じられました。そうした意識を持つようになってから、私もいつしか、周囲を静かに‘見ている’時間を持てるようになってきている気がしています。ただ‘見ている’だけなのですが、‘見ている’うちに、状況の微かな変化が、自分なりに掴めてくるのです。ずっと先までを見通せるわけではないのですが、自分なりに、その状況に対する、ある確信を持てるようになるのです。その思いの断片を、友人にぽろっぽろっと語ったりしていたら、「観察力が鋭い」と言われました。私の特質の中に、「観察力の鋭さ」は元々備わっているものではありません。そこにあって目に入っていても、全然、あるものの存在に気づいていないことも多々あります。ですから、すべてのものやことに対して観察力を起動させているわけではないことがよく分かります。私のある部分だけが、あることに対してだけ、何かの拍子に「観察力」を作動させているらしいのです。今まで眠っていた感覚が静かに目覚めを迎えるというような現象も起こりうるのですネ!

クリスマスソング

2005年11月14日 | my favorite・・・
クリスマスソングが大好きです!11月の声を聞いて、木枯らし1号が吹けば、心はクリスマスモードに切り替わります。昔は記念日とかお祝いとかが大嫌いでした。それなのに、いつの頃からか、記念日とかお祝い事にめっきり縁のない自分が少し寂しく感じられるようになってきて…クリスマスのイルミネーションなどには遠巻きに憧れるようになってきています。今でもクリスマスパーティーなんてものにも縁がないし、特定の誰かとクリスマスのディナーを楽しむなんてこともありませんが、‘クリスマス’の中で幸せに包まれている自分をイメージして、その雰囲気を感じるだけでも‘Thanks god’という気持ちになれます。実体験がないのに、イメージだけで幸せな気分に浸れるというのも、よく考えると侘しいものなのかもしれませんが、実体験がいくら豊富であっても、想像力が貧困だと、経験というカードが増えるだけで、自分の幸運を対象化して眺めることが出来なくなるかもしれませんから、逆に、実体験の貧困な私としては、この際は、想像力を豊かにするしか手の打ちようがありません。山下達郎の「クリスマス・イブ」や稲垣潤一の「クリスマスキャロルの頃には」は定番中の定番です。ワムの「ラストクリスマス」やサザンの「ホワイトクリスマス」も大好きです。あまた存在するクリスマスソングの中でも、この4曲位が、私の好きなクリスマスソングの代表格になります。このブログにも度々登場する、ジャニーズファンの友人の影響で、‘嵐’の「WISH」という曲を最近聴く機会があったのですが、その曲の【さび】の部分の曲調(街に愛の歌 流れはじめたら…以降の部分)が、私にはクリスマスソングそのものに聴こえ、この曲も好きになりました。(実は、その友人に、後で聞いたところによると、あの曲はクリスマスソングだとのことでした!)新曲が出ると、しばらくは‘暴露’と言って、テレビ出演が増えるそうなので、今週はあちこちの局の歌番組で、この曲が流れると思います。この曲も機会があったら聴いてみてください!

青春アミーゴ

2005年11月13日 | my favorite・・・
メモ缶バッチ

土曜の夜9時から、日テレで放送されている『野ブタ。をプロデュース』は白石玄原作の話題のベストセラー小説をテレビドラマ化したものですが、とても不思議な雰囲気のドラマです。特に、NEWSの山Pこと山下智久の怪演ぶりが魅力的です。あの独特の‘芸’は自分で考案したものなのか、それとも誰かの発案なのか、すごく興味があります。いずれにしても、新境地開拓!っていう感じです。演技というものも一筋縄ではいかないものなのでしょうが、あんな技を思いついただけでも凄い!と思ってしまいます。主演の2人が(修二役のKAT-TUNの亀梨和也と彰役のNEWSの山下智久【特別出演扱い】)年内限定で、ドラマの中の役名どおりの「修二と彰」というユニット名で「青春アミーゴ」という主題曲を歌っています。この曲が、ナツメロ風で、‘いつかどこかで聴いた感じ’の懐かしさを含んだ哀愁に満ちていて、胸をキュンと締め付けられるような曲調なのが、何とも切ないのです。私の友人いわく(彼女はジャニーズフリークです!)こういう曲がジャニ曲の王道なのだそうです。ジャニーズファンはああいう曲がみんな大好きなのだそうです。そういえば、「サンタルチアに憧れて」を初めて聴いた時と同様のノスタルジックな気分がふつふつと蘇って来る曲でした。まだの方は是非、一度聴いてみてくださいネ!(ちなみに、アミーゴとはスペイン語で、(男性の)友だちとか親友という意味です。)青春アミーゴ」4日で100万枚超

ノートポーチ

野ブタ。をプロデュース 

代々木周辺

2005年11月12日 | 日々の泡

神田橋研究会に出掛ける時は、新宿から、いつも徒歩で代々木に向かいます。途中には沖縄の特産品がならべてあるお店があったり、高島屋が見えてきたり、IR総合病院が構えていたりします。しばらく行くと、小田急線の踏切があります。(この写真は代々木から新宿方面に帰るときに撮ったものです。)





そこを越えると、右側にちょっと洒落たレストラン(?)が見えてきますが、そこを進むと、もうその先には、これといって気にかかるようなお店もなくなります。受験に向けて、勉強一筋の学生さんたちが多くの時間を過ごす街ですから、気が散るようなものがあっては却って困るのかもしれません。

メグ・ホソキ

2005年11月11日 | my favorite・・・
ある劇団の新作のチラシに、首の長~いちょっと独特の雰囲気を持ったお手製の人形が使われていました。メグ・ホソキという方のデザインによるもののようです。とても気に入ったので、メグ・ホソキさんの情報を、私のブログにも載せてみることにしました。


★わたしを見つける場所

★Wacoal PORTRAITS メグ・ホソキ

★アーティストの声/Vol.5 メグ・ホソキさん