
(ポラリスとは「北極星」の意味です。すべての星が移動しても、ポラリスはずっと同じ場所で輝いています。チュンサンはユジンのポラリス。「もう道に迷うことはないよ。」とチュンサンがユジンに語りかけるシーンは、今でも鮮烈な印象で胸に蘇ります。)

1年前まで同じ職場で、同じ事業を担当していた仕事仲間のKさんにおよそ7ヶ月振りに、あるシンポジウムの仕事の会場で再会しました。私の異動が決まってから、非常勤で、私たちの担当業務に参加していてくれたFさんとの3人で、本場のシェフが腕を振るってくれるベトナム料理のお店でささやかなお別れ会を持って以来のことでした。話しはちょっと逸れますが、まず最初に、韓国ドラマに夢中になったのは私でした。「冬のソナタ」にうっとりしていたのは、私とその非常勤の後輩のFさんだけでした。「冬のソナタ」の地上波での再放送が始まっても、職場の人たちの反応はとても冷ややかなものでしたので、「冬のソナタ」の話しさえこっそりでないと、顰蹙を買いそうな雰囲気さえ漂っていたほどでした。そのせいもあってか、私とFさんは後ろめたさを仲介にして「冬のソナタ」に秘かに酔いしれあう仲間として、特に仲良しになったのかもしれません。Kさんは、「人間は、恋愛だけをやっているわけにはいかない!」ということで、当初は、「冬のソナタ」の筋書きに大層ご立腹でしたが、今では一番の韓国ドラマファンになってしまい、DVDを借りたり購入したりして、韓国ドラマを鑑賞することを日課にしているようです。そういう経過の中で、今や、韓国ドラマに関しての一番の通はKさんになってしまったほどです。話は戻りますが、そのお別れ会で「近いうちに、3人で韓国旅行に出かけよう!」と自然に話は盛り上がり、約束が成立したのでした。ところが、私はそのことを気には懸けながらも、仕事や家族のことで大忙しのKさんに、自分から誘いの声を掛けることには、少なからず躊躇するものがあって、日々をやり過ごしていました。非常勤の後輩のFさんも、誰かに韓国旅行を誘われることがあっても、韓国旅行は約束している人があるからと断っていたらしいのです。それなのに、最初に、私たちに声を懸けてくれた、張本人のKさんは、7月に一人で韓国に行ってきたということが、再会時の仕事終了後の、お茶を飲みながらの会話の中で判明したのです。私は思わず、「どうして誘ってくださらなかったのですか?」と問いかけてしまいました。彼女は彼女で、私たち2人は、社交辞令で同意しただけかもしれないと思っていたのだそうです。私と非常勤の後輩のFさんは本気だったので、「私たちは社交辞令でものを言う人間ではありませんよ!」と念を押してしまいました。Fさんは何につけ、計画を立てるのが大好き!という特質がありますので、今度こそどこかへの旅を実現させようと確認し合いました。それにしても、あんなに心を一つにして、大きな仕事をやり遂げた仲間でさえ、私の物言いが社交辞令かどうかを選別する勇断さを持つことができなかったのですから、いかに信頼関係を築き、本音でモノを言い合うことが世間一般では難しいかということの事実を如実に裏付ける、これはエピソードだったということになるのでしょう…。大事な人たちに、私という人間が何を考えているかを判ってもらうことは、そんなに簡単なことではないんだと再確認して、溜息をつきたい気持ちになりました。私が、メールを送ってもなかなか返事をくれないKさんに対して、私は私で、kさんの私に対する気持ちを疑って悩んでいたように、Kさんも、私の気持ちが変わっていないことを信じることが出来なかったのでしょうか?