
あの【事件】以来、私は糸の切れた凧のようになってしまいました。

もう自分の力以上のことは何も出来なくなっているのです。出来なくなっているという事情はあるものの、自分以上のことをやろうとする気力もなくなっているというのが本当のところです。何故か、向上心を敢えて持たないでいたいという気持ちがとても強いのです。何らかの【気】が抜けてしまったのでしょう…。

背伸びをする必要性も感じなければ、その気にもなれないのです。ある意味、こんなに楽な状態を今までには体験したことがなかったような気もしています。


最低ラインで低め安定に生きる事しか出来ないのです。最低限のことしか出来ない生活振りです。極端に言えば、食べて寝て呼吸をすることしか出来ない…といってもいいかもしれません。野心を抱いたり、必要以上の欲を持ったりすることが出来ません。もう、非凡であることには興味も関心もなくなってしまいました。ぼーっと周りを見つめていると、自分にとって必要なことだけには自然に気持ちが動いていきます。ほとんどの情報には目を通さなくなりました。

もう、あくせく情報をかき集めようとはしないし出来ないのです。世の中の大方の情報は自分には不要なもののような気がしています。けれど、自分にとって大切な人やものに対する気持ちの掛け方は強くなっていると感じています。

思いは強くなっているのに、執着心やこだわりの感情や気持ちには以前ほど苦しむことはなくなりました。静かに見つめているだけで、なかなか行動は伴いません。

あの【事件】を【臨死体験】とは言いませが、あんな忌まわしい【事件】だったのに、あんなことが、私にとっての何かの【通過儀礼】の役割を果たしているようなのです。

死ぬほどの恐怖体験

、自分が無になっていたかもしれない

…という体験を通過することの重大なダメージ。

それは、1つの個体から、何かをこそげ落とさせる働きを持っているようです。

プリミティブな段階でしか生きられなくなっているから…私は眠ってばかりいます。

寝ても寝ても、いつも眠くて、どこかに吸い込まれていくようです。


これから先、私はどうなっていくのでしょう?
