どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

夏の旅 §1.旅の始まりは

2012年08月15日 | 日記
新幹線が品川に停車するようになって以降 私はここから乗車することが多くなった

5時半前にその品川駅に到着すると新幹線口へのシャッターは下りたままだったが その前には長い行列ができていた

その列の意味を知ったのは シャッターが開いてからのことだった

猛然とダッシュする人たち

指定席特急券を持たない人が自由席を求めてのことだ

だがすべり込んできた列車は すでにデッキに立つ人たちで満員

お盆の帰省時にはいつもの光景だが 時々夏休みが幾らか外れることがあって そんな時はそれほどでもないのだが 今年はこんな早い時間であってもかなりの混雑ぶり

乗るのも降りるのも一苦労で トイレに行きたくても行けないような有様だった

結果 新大阪駅に到着した時には22分の遅延になっていた

乗り換えにも余裕をみて 大阪からの阪急線には9時前後の2本のどちらかには乗れるだろうと調べておいたのだが その時間も過ぎてしまっていた

旅の最初からこれかぁ・・・


とにかく電車に乗り込み ライトの「ヨドコウ迎賓館」のある「芦屋川」に向かう

このくらいの遅れはどこででも取り返せるし まぁ良かったとほっとして荷物を下ろしたとたん やっちまったと気が付いた

大阪駅で荷物をコインロッカーに預け 多少でも身軽になる予定だった

日程表にもちゃんと書いてあったのに 遅延のドタバタですっかり忘れてしまった

これから先 ずっとこの荷物を背負って今日一日歩くのかと思うと一層重く感じる


ここ芦屋川にはこのほかに 「滴翠美術館」という素晴らしい建物がある

旧三和銀行の前身である山口銀行頭取であった故山口吉郎兵衛の邸宅だった建物を 個人の美術収集品を展示した美術館にしている

古美術など見てもわからない

だが 安井武雄の建築だというその洋館は見てみたかった

みたかった というのは ここは春・秋しか開館していないと旅の前に調べてみて知っていたからだ


駅名のとおり ここには芦屋川は流れている

そこに架けられた小さな橋を渡ると坂道になり そこを上っていくと「ヨドコウ迎賓館」旧邑山家住宅と呼ばれる建物がある

灘の酒造家8代目山邑太左衛門の依頼を受けて ライトが1918年に設計した重要文化財だ

同時期に「自由学園」も設計しているから おそらくは彼自身完成を見ることなく 弟子の安藤新に実施設計を任せて帰国したのではないかと思う

竣工は1924年

その後10年ほどして内外綿会社(現・ナイガイ)の天木氏の所有となり 戦後 淀川製鋼所へと所有が移った

重要文化財の指定を受けるまでの年月 貸家であったりヨドコウ社員の寮として使われていたこともあったという
 

川に沿って歩いていると すでに頭が見え隠れしているではないか

何度も写真や実物で見たライト独特の外観が なんともここの景観や地形と良く似合っている

橋を渡るとすぐのところに「ライト坂」と書かれた木札が立っている

けっこうな急こう配に 私の興奮による胸の高鳴りはやがて動悸に変わる

日頃の運動不足を反省した

そしてここに生活する人の日常を想像してみた


お財布や定期を忘れたと駅に向かう途中で気がついても もう引き返す気持ちにはならないだろう

中学や高校で校外マラソンなどしたら倒れるかもしれない

主婦の買い物はどうするのだろう

とても荷物を積んだ自転車では ペダルをこいでは登れまい

足腰の弱い老人や 車椅子を使う人 健康であっても足など骨折したらとてもここでは暮らせない

息も絶え絶えになりながら「ヨドコウ迎賓館」の前にたどり着いた時に わかった

芦屋の高台に住む人は お車で送り迎え お抱え運転手さえもいるのだろうと

すべては貧乏人ゆえの想像 要らぬ心配だったということに




 


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