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どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

給料は

2008年12月17日 | 日記
ISMSの会議は ほぼ2時間ぶっ続けである

やっと終わったと思ったら じゃ ちょっと食事に行こうかと社長が言う

慰労の気持ちには感謝するが 一刻も早く帰りたい

それを 毎回そうすることになっていると・・・

は? 一体 誰が何時決めて その連絡は?

会社人の常識 ホウレンソウ を知らないのか?

今日は断った

だが 次回からは会議+食事会になりそうだなぁ


給料は 我慢料とは まさにそう(粗忽)

こいつがいとおしくて

2008年12月17日 | 日記
今使用しているPCは 2002年の5月に買った 私が初めて手にしたものである

以後2回の入院をしたものの 元気に動いてくれているのだが そろそろイッパイイッパイになってきた感じも


当時 PCを買うお金は充分にあったのだが(金持ち~^^) 我が家の電話環境が面倒であり・・・

だがADSLの普及もあり また面倒だった電話環境が母の入院で変わったこともあって

そうして 遅ればせながらのIT革命が 我が家にも訪れたというわけ

だから PCの導入は母の病気や入院と深く関っている


母の回復は遅く やっとのこと先が見え始めたのは手術からなんと8ヶ月後だった

自分の時間がなんとか作れるようになったのはゴールデン・ウィークの頃で 

だから手に入れた時の年数だけではなく月まで覚えているのは そのせいである

母が ゆっくりながら階段を上れるまでになって 私の部屋に見に来てくれたこと

10歳にして家族で上京した母の 故郷の地図や写真を見せたことなどを思い出す

 
ネットに繋がってまず初めに調べたのは母の病気(胸腺腫)についてであり 

それを父とこっそり見たのも 切ない思い出である

「うっかり」このカフェに入ったのは その翌年の10月のこと

その頃には 母は無理は出来ずとも日常生活に何も支障は無いまでになっていた

母が亡くなってから 父は私と姉にフレーム入りの母の写真を用意してくれた

私は それをモニターの横に置いた


私信として初めて受け取ったメールは 昨年亡くなったPCオタクの義兄からのものである

亡くなる半年前の まだ体調の良かった頃のメールが 彼からの最後のものとなって残っている


写真を取り込むのにはかなりの枚数でも問題無いのだが あれこれ開くとだいぶ遅くなっているを感じる

丸6年以上ともなれば そろそろ新しいものを買っても良い頃だ

だが 2代(台)目以降にはこんな思い入れも思い出も持たないだろうと思うと こいつがいとおしくて

やたらとキラキラした家電のようなPCがいつかは我が家にも来るだろうが 

こいつには何とか頑張ってもらって

たとえ時代の遺物のようになろうとも サクサクでなくてもいいから 動き続けて欲しい


メモリーの 不足で固まる パソコンの 横で微笑む 在りし日の母 (粗忽)