今日も地球を歩いてます

前と後ろにバックパック担いでました。そんな頃も今は昔。今は日本で定住!専業主婦!笑

上京物語

2011年04月13日 | 日本生活10年10月~11年4月

13日の便ですが
11日の午後の新幹線で上京しました
               
最寄の駅まで母が送ってくる
父がリクエストしておいたホットサンドを持たせてくれる

                                  
ぷらっとこだま利用なので
新大阪からの利用
12:50発のこだまに乗り込んで
おとんのホットサンドを食べる

ほろ苦い親の思いを受け止める
ビター

だって焦げててんもん
                         

ちょうど焼き始めたときにお客さんが来てわたわたしていたようで
ワタシのホットサンドの存在感が薄れた模様
いいんです、中の卵がおいしかったので

京都駅に着いたときのふと見るとこんな看板
あの京都名物の夕子さん
こんな目だったっけ?                       

東京に着くまでにぜひとも富士山を見たかったのですが
あいにくの
曇天                

東京に17時前に到着
とりあえずでっかい荷物があるので地下のマクドへ
そして友達の仕事が終わるまで
スペ語の勉強

今更のかけこみ笑
現地で旅しつつ必要最低限の会話はサバイバルで学んでいこう

マクドに入ってすぐ
東京でも余震
意外と長い

後ろに座っていた女性客が思わず
「もういや・・・」


そりゃずっと余震が続いているとストレスだよな
早く完全な日常生活に戻れる日がくるといいのに

地下1階だったからゆれは小さかったけど
高層階にいた友達は「揺れた!」と

夜合流して東京駅の中に入っているパスタ屋さんへ
改札でなくてもこんなおしゃれなお店が入っているのね
途中レアキャラになっている友達も電話をかけてくれる

旅立つ連絡をしたら多くの友達がメッセージを送ってくれて
ありがたい!
元気に帰ってくるよ
                
                       東京名物・「にこ鈴」とのこと
                       今回の旅はこのウサギ娘を連れて行ってみます

翌日
なんと張家界での教え子がこのたび東京留学
なので
その学生に会いに留学先の東京外大へ
             
潜入          

学生の自宅も見せてもらった
半年以上振りに再会したけど
地震の影響で留学生の授業はまだ始まってないようだけど
それでも卒業時の語学力から下がってなかったし
むしろ結構上がってて
がんばってる姿が見られてよかった

これから本格的に始まる日本での留学生としての新生活
がんばれー!
日本をめいっぱい楽しんで欲しいなぁ

今千葉の友人宅に泊めてもらってるけど
東京外大のある調布近くまで結構な距離があった
そりゃそうだよね
しかも日中は節電運転中で各停の電車だったから
2時間半ぐらいかかった
まぁ一番安いルートで行ったから、というのもある


日本酒の飲み納め
いつもお世話になります、兄貴

魚うま!   

翌日の昼には青年nuSとも再会
ラーメンも食べ納め
                 
                    あのウサギ娘の名もめでたく「ジロー」と決定

こうやって
最後まで友達が見送ってくれる
ありがたい!

行ってきます!

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日本、楽しんでから出よう

2011年04月07日 | 日本生活10年10月~11年4月

                
寒い日とあったかい日が
交代交代だったけども
ちゃんと桜が咲いてきました

地元の動物園の
桜の季節恒例の「夜桜通り抜け」も今週末

旅立ちを春に決めた理由のひとつが
「桜を見てから出発したい」
と思ったこと

おかげさまで
週末に花見&BBQに参加予定
楽しみ

先週末は友人と神戸の居留地エリアのおしゃれなカフェでランチ
          
       

パンがやたらとうまかったとですよ
パン食べ放題
調子に乗って食べ放題

数日後には
大阪で友達と会うときに無性に食べたくなったラーメンをリクエスト

        
        中国の麺もおいしかったけど、こういう日本のラーメンがやっぱいい  
  
            節電中のグリコも見る

ふと入った居酒屋の前にこんな斬新な広告
                            

ところかわって
最寄り駅までになんともユーモアある掲示物があるのです

             

いいなぁ、ニッポン

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郵便局リピーター

2011年04月02日 | 日本生活10年10月~11年4月

常々、
「ワタシって断捨離ができないタイプだなぁ」

思ってました

空き箱とかがらくたを集めておくタイプ
ふと何かを作ってみたりするときに
ちょっとしたガラクタがあると便利なのです

しかも
収納は得意なんです
だから
許容量マックスに部屋にモノがある


去年日本へ帰ってきたときに
2年ぶりに自分の部屋を見て

「うわぁ、モノがいっぱい!」
と、まず思った
懐かしいなぁ…って思う前に

身辺整理を始めてみるも
「これ、いつかリメイクしそう」
とかで思い切って捨てられない

そもそも
壊れていないものをみすみすゴミにするのが嫌
必要としている人がいればもらってほしい

家に眠っていたぬいぐるみは
すぐに近所の保育園という引き取り手を見つけるも
その他のものをどうしようと思案しつつ春に至る

ここであったのが東日本の地震

まず
神戸市が冬服を受け付けていた

自分はもう着なくなったけどまだ比較的新しい冬服と
親に言うとどこからともなく出てきたその他の冬服を
ダンボール2箱につめてごっそり送る

郵便局から行ってらっしゃい
別の人のもとで活用されておくれ

その後
もともとアジアに文房具を送る活動をしている団体が
日本の被災地にも文房具を送る、とHPに書いてたので
なぜか十数年間もうちに眠っていた文房具をごっそり送る

             …一部

これもなぜかワタシの部屋にずっとあった
「また絵を描こうと思い立ったら使うかなぁ」
とずっとほのかに思いつつ
かれこれ十数年たったものたち

これも
郵便局からいってらっしゃい

その後
ネットで調べてみると
被災地の自治体が新品肌着を募集していると知ったので
なぜかうちにずっと潜んでいた新品紳士モノ肌着を1箱分送る

郵便局からいってらっしゃい

今の家に移る高校生のころまで
数回引っ越していた家庭とは思えない量のモノが
今回箱に詰めて送られました

なんでうち、こんなにモノがあったんだろう

最近
友達を通じて古着を寄付することもできた

国内の災害や海外の貧困に関わらず
モノが必要としている人へもっとスムースに流れていく
そんな仕組みがいっぱいあればいいのにな

そう思って調べてみると
家から5分のところで
自治体が設立しているリサイクルのコミュニティーセンターがあった

ワタシ自身がこれまで知らなかっただけなのかもな

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なぜ旅に出るのか

2011年03月31日 | 日本生活10年10月~11年4月

もう3月が終わります

あと2週間で旅に出ます
成田出発、メキシコ入り

メキシコスタートで中南米をめぐります
中米から南下して反時計回りに南米を巡り
ブラジルまで行って、
そこからヨーロッパへ抜け
北欧やちょろっとロシアへも行き、
南下してアフリカを巡り
中東、中央アジア、インド、東南アジア、
オーストラリアやオセアニアの国、
北上して台湾、韓国、
そうして日本へ戻ってこよう

というルーティングの
世界一周をもくろんでます

「春から世界一周しようかなって思ってんの」

去年ぐらいからこれまでも友人とかに言ってきましたが
「なんでそんな実行力あるの?」
とか
「よくそれを行動にしようとできるね」
って言われることも多かった

なぜか

今28だけど
やっぱ同年代のまわりは仕事してて
結婚してる子も年々増えて
子供ができた子もいる

2年協力隊で海外行ってたし
ちゃんと就職してないし
ワタシもそろそろ地に足つけるべきなんだろうけど
でも

「今できるから」するのです

もちろん今後は働きたい
日本語教師としてまた仕事をしていきたい
でも
次の仕事をちゃんと始める前の今だからこそ
時間的自由がある
今なら体力もある
ためてきたお金もある
何よりやる気がある

これまでの人生でも結構やりたいことをやってきたと思うけど
(両親に感謝ですよ)
世界旅行はやっぱり規模が違うこと

「今できるならやっておきたい」

モットーのひとつです

実は
20代初めまで祖父母4人とも元気でした
身近な人の死ってそれまでなかった
知っている人が亡くなることはあったけど
「友達の親」とか
「となりのクラスの子」とか
「父のおば」とか
必ずワタシとその人の間には誰かがいて
つながりは間接的だった、そんな関係性の人

「寿命を全うした」
そんな死をよくあることとしてイメージしてた

20代始めに祖父が相次いで亡くなって
2人とも病死だったけど
それでも「寿命」って思えた
だって高齢だったから

死っていうのは、
そうやって「寿命が来たら迎えるもの」って
漠然と思ってた

でも
そのすぐ後に
同年代の身近な人が相次いで2人も急死して
「あれ?」って思った

「寿命」があるならその人の寿命は短すぎる
成人式を迎えたばかりで
やっと精神的にも法的にも、経済的にも
自立した年齢になって
これから自分の自由があったはず
自分の意思で自分の生き方を決めれるようになった地点
なのに
もう死がきちゃった

「寿命だから」とか「運命だから」なんて
そんなん認めたくない
まだ若すぎるもん

それがきっかけで
今ワタシの周りにいる家族や知り合いが
「年の順」で死を迎える、
なんてまったく約束されていないこと
そう強く思うようになった
自覚させられた

知り合いの中で一番若い人が明日亡くなるかもしれない
たとえば今から1年間会わない中で亡くなる友達だっていないとは言い切れない
同時に
ワタシ自身がいつ死ぬかもわかんない

自殺はしないけど
明日事故死する可能性だってゼロじゃない
実は病気になっててあと半年の命かもしれない

そう思うようになって
「今したいことで
 今できることは今のうちにしておこう」
って
思うようになった

いつ死を迎えることになっても
やり残したことにできるだけ後悔しないように

「ワタシはなぜ生きていたのか」
それにひとつの理由をつけられるように
適切な表現が見つからないけど
今まで生きてきたことが「なんだったんだろう」って
思うことがないように

今旅立つのはそれが大きな理由

実は
2年半前に協力隊に行くときも
「もしかしたらワタシが2年間海外にいる間に
 親とか身近な人が亡くなるかも」
っていう不安があった
特に祖母2人の体も心配だった
だから
普段会えない人にはできるだけ会いに行った

2年たって日本に帰国して
家族も友達も変わっていない姿で再会できて
ほっとした

今回
長くて2年ぐらいのスパンで旅を計画しているけど
その間に誰かの死を迎えるかも、
と思うと怖くなる

ワタシ自身が何かの事故・事件に巻き込まれたりして
死ぬことになったら
とも想定できる

だからこそ
会える人には今会っておきたい
連絡できる人には連絡できるときに連絡しておきたい

誰か会えなくなる人がいるかも
と思うと怖いけど
それでも自分自身が後悔せずに生きていくことを優先して
今旅に出ようと思います

なので
かなり心配している両親のためにも
キケンな状況に陥らないように
安全第一で旅してきます



とりあえず
諸事情により10月末には一時帰国する予定です
(2週間ぐらいかな・・・まだ全然考えてないけど)
そのときも時間的都合がつく人、会いましょう

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凍えるバイト

2011年03月27日 | 日本生活10年10月~11年4月

以前経験した新幹線バイトの縁で
「携帯電話をバス停で配布する仕事」
をしてみました

GPS付きの携帯電話を
調査対象の条件に当てはまる通行人に渡して
翌日1日の往復の出勤ルートを調査する、というもの

貸与した携帯電話は一緒に渡す封筒に入れて後日ポストに投函、返却
その後謝礼の金券が郵送される仕組みです

今回もスーツ着用

夕方から夜10時まで
地元から近いとある駅にて

「規定の数を配布すればいいんじゃん」

楽勝に考えていたけど

現実は厳しかった

何が一番厳しかったかというと
寒さ

すぐ北にある六甲山からの六甲おろし
そして
すぐそばの川からの冷たい風
たまに暴風
どっかから飛ばされてきたダンボールまで舞うほど

スーツなんです
コート、用意してなかった
ここんとこのあったかさに油断して
中にセーターを着る、とかなんて対策もしてなかった

さむーい!
凍死する!
全身が震える!

あまりに寒さが厳しいので
社員さんがカイロを2つ買ってきてくれる

さらに
今日初めて会った社員さんが薄着のワタシを見かねてコートを貸してくれ
紳士もののコートを着つつ変な格好での調査
(それでも寒い)

おまけに
単に記入式の街頭アンケートならともかく
「携帯電話を受け取ってください」

「翌日の通勤ルートをGPSで教えてください」
というのがかなりのネック

大手メーカーが主催する調査といっても
いきなり街頭で呼び止められて
知らない調査員から急に携帯電話を預かるなんて

誰でもびっくりするよね

さらに
そこを歩いている人が誰でもいい、
んじゃなくて
「電車とバスを使う通勤者」
且つ
「バスはこれとこの路線」
という
かなりの調査対象者の限定ぶり

せっかく
「あ、協力しますよ」
と言ってもらっても
そもそもバスは使わない、とか
バスには乗るけど違う路線、とか
こういう人ばかり

というより、
この駅、普通電車しか止まらないし
利用客自体、結構少ない

おまけに
土地柄なのかこの寒風が理由なのか
話を聞こうともしてくれない通行人ばかり

結局
3人のバイト+社員1人
で配布して
配れたのは目標の85をはるかに下回る
15

この翌日も再調査が決定したけど
もとから用事が入っていたのでワタシは×
そもそも
こんなに寒いんだしまったくやる気がしないよ

いろんなバイトがあるもんです
予想外に過酷なバイトがあるもんです

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ビザ取得騒動の件(下)

2011年03月25日 | 日本生活10年10月~11年4月

ナポレオン並みの3時間睡眠
6時起き6時半出発
家族の誰も起きていない中で人知れず家を出る

まずは駅に行くまでにローソンに寄る
ネットの掲示板に
「レターパック500は郵便局以外でもローソンやその他一部のコンビニでも売ってますよ」
という情報があった
それだけが頼り

無事に購入できた
よかったー
もし無理なら梅田で
夜間早朝も開いている郵便局本局(第一ビル内)に行こうと思ってたんよね
ついでに
店内のLoppiも見てみたけどやっぱPayEasy機能はなかった

駅まで行き、
PayEasyでCビザの申請費用(140ドル=12600円)を払うべく
駅前の三井住友銀へ


朝早すぎてATMも開いていない

うわー
ここ、24時間開いてると思ってたけど
しゃあない、梅田に行こう

30分、電車で仮眠しつつ梅田到着

銀行にリベンジするとさすが大阪梅田
ちゃんとATMもオープン
まだ7時半なのに

このPayEasyって何だ?
と思いつつも
ネットでのビザ申請後に与えられた番号3種を画面に沿って入力
現金で申請費用を用意してたけど
どうやら自分の口座から直接送金となるようです

万が一のトラブルを考えて余裕をもって出発してたけど
ここまでスムーズにいろいろできた
ここで面接予約時間の8時半まで40分ほど余る

一応のために証明写真を撮っておくか
ちゃんと規定サイズのやつを

「証明写真機の設置場所地図」
がネット上にあったので(助かる!サイトの運営者に感謝!)
チェックしてみたら桜橋口に400円の写真機がある、と

阪神電車の改札前にも
あるけど、そこのは700円
時間に余裕があるのでここは400円のとこまで歩いてみる
大量の通勤者に混じって朝の梅田を歩く

その写真機にはちゃんと5×5もあった
よかったよかった
無事に面接に行く際に必要なものをすべてコンプリート

すごいぞ、この数時間のうちに全部できちゃうなんて
日本ってほんと便利

8時半前にアメリカ大使館前に行く
十数人の申請者とともに
入館前に注意事項の説明を受けて
入り口を入ってボディチェックを受けて
3階に上がってまずは必要書類のチェックを受ける

しょっぱなで
「これ、どなたが申請しましたか?」
と窓口の担当者に聞かれる

え、ワタシですが

どうやらネットに
入力した際に
自分の誕生月を間違えていた、と

MARなんだけどMAYにしてたらしい

幸いその場で訂正してくれた
凡ミスでよかった

数十分前に用意できた写真は
「ちゃんとデータがアップロードできているので、これはいりませんよ」
とのこと
今後各国でビザが必要なときに使おう

不備がなかったので2階に移動して
ビザが下りるかどうかがかかる面接へ

といっても、
ここもガラスを通した窓口
就活みたいな面接をイメージしてたけど違ってた

ここで指紋データもとられる
初めて指紋とってもらったよ

面接官はアメリカ人男性
日本なので日本語可
申請者が英語で会話できるならそのまま英語でインタビューしてた

ワタシの旅程表を見て
「ワオ、ビックトリップ!」
と言ってくれる

なんだ、なごやかなインタビューじゃん

その面接官が
「なんでCビザを取得するの?」
と聞く

え、要るでしょ?
「片道航空券でアメリカの隣のメキシコに行くから」
と答えるワタシ

「必要だよね?」
と重ねて聞いてみると
「多分そうだと思うけど、ぼくには詳しいことはわからない」
と言われる

おいおい・・・
ま、いーけどさ

ちなみに
「アメリカ滞在中の連絡先としてアメリカ在住の人や店の情報が必要だけど
 ワタシ乗り継ぎの10時間だけでロスの空港から出ないから
 一応空港の住所とかを書いといたよ
 これでいい?」
と確認してみる

「これでいいよ」
との回答

そんなものなのね
ロスの空港に知り合いなんていないよ、ワタシ

無事にビザ申請が認められ
1週間後を目安としてパスポートが郵送返却されるとのこと

よかった
出発までに間に合うや

なんとかなるもんなのね

あ、あとは保険への申し込みだ!

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ビザ取得騒動の件(上)

2011年03月24日 | 日本生活10年10月~11年4月

「ワタシの旅程にはCビザが必要だ!」
と確信したのは
出発の3週間前

ビザって、そんなにすぐ取れないよね?
しかもアメリカのビザやし・・・

やばい、はよせな!

すぐにネットで申請

アメリカのビザを取るには
まず

①写真の用意
5×5の写真
これをスキャンかデジカメで撮ってそのデータを
240MG以下、且つ1200ピクセルの正方形以下のサイズにする
他、
輪郭が少しでもぼやけていてはいけない、とか
顔のサイズは何センチ以上何センチ未満、とか
いろいろルールがある
ちょいめんどい

②ネットでビザ申請書類を作成
アメリカ大使館のサイトから必要事項を記入
ちゃんと日本語(やら数十カ国)の訳もある

③申請費用の振込み
PayEasy(ペイジー)という、指定の銀行のATMから振り込むのです
コンビ二ではできないらしい
何それ、知らんシステムだよ

④パスポート返送用の「レターパック500」なるものを用意しておく
ネットで調べてみたら郵便局以外でもローソンでも売っている、と

⑤面接予約をネットでする

⑥Cビザの人は大まかな旅程を文書作成

⑦上記の書類の中で必要となるものをプリントアウト

以上が必要

それまで長いフリーター期間だらだらしてたけども
3月23日の夜にあせって一念発起して
②のネット申請をする
途中、
手元にある写真で5×5なんてないので
チャリンコに乗って証明写真機へ
せっかく400円の写真機に行ったのに
ピントがぼやけている写真しかでない、という故障中
400円無駄になったよ
あきらめて700円のとこに行く
4.8×6.4とかのサイズしかなかったけど
この際それを
家に帰ってデジカメで撮って処理、規定のものが完成

そうして
①のネット申請書類を一気に書き上げる
ワタシが今回申し込むのはCビザを呼ばれる通過ビザ
住所やパソポート番号などの自分の基本情報以外に
「アメリカ滞在中の連絡先」
という項目がある
知り合いの住所か、訪問先のホテルや店の名前や住所、連絡先を書く

でも
ワタシ、アメリカには乗り継ぎの10時間しかいないんですけど
そのロスの空港から出る気もないんですけど

そこを埋めないと次に進めない
しゃーない
ロスの空港の住所を書こう

そんな感じで一気に最後の項目まで埋めて
規定の証明写真をアップする

ここで、
面接の空き日程をチェックしてみると
なんと今月3月は、もう明日24日の朝しか空いていない
これを逃すと4月以降の面接になっちゃう
4月13日出発なのよ、ワタシ
何が何でも明日の朝に面接してもらうしかないじゃん!


予約する
(ちなみに、予約ができたページをプリントアウトすることも必要)

この時点で時刻はすでに面接日の24日になったところ
面接まで7時間
しかも
神戸の自宅から大阪の大使館まで1時間は必要

残された時間は6時間
やべ

とりあえず今できること
⑥の日程表作成
(ちょー大まか
 各観光地の都市の英語表記のつづりも悠長に調べていられない
 さすがに「チェチェンイッツァ」のつづりは見当が付かないので調べたけど
 他はある程度適当にフィーリングで)

⑦各種書類をプリントアウト
ワタシのパソにはプリンターがつながってないのよ
今からソフトをインストールなんてしてられないので
おとんのパソを起動させてプリントアウト

さて
ササッとお風呂も入ってみると時刻は2時半

あと残っているのは
③の振込み
④のレターパックの購入
重要なことばかり

しかも
出発までの時間的にビザ申請のチャンスはこの一回だけ
じゃぁ一応写真も5×5の規定のものを取り直しとこう

むーん
とりあえず明日の朝、大使館までのルート上に賭けてみることにする
3時間寝ておくことに

ちゃんと目覚ましで起きられるよね、ワタシ
どきどきしつつも寝る

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Cビザは必要か!?の騒ぎ

2011年03月23日 | 日本生活10年10月~11年4月

ネットでメキシコまでの片道航空券を取るときに
大手旅行会社にも直接聞きに行ってみました

「旅行会社の窓口で聞いてみたら
 ネットより安いチケットが取れたよ」
というアメリカ人の人の話を聞いたので

格安航空路線のないアメリカ方面
少しでも安いものがいい


三宮駅前の大手を数件当たってみる

そこでひとりの社員さんが
「メキシコまでの片道だけの航空券の手配は可能です
 ただし
 ほとんどの路線がアメリカ経由となり
 その場合アメリカの通過ビザ、Cビザと呼ばれるビザが必要となります
 そのビザ手配をお客様個人でしていただけるということを条件にするなら
 航空券だけの手配を承ります」


あれ、
ESTAじゃだめなの?
あのネットでさくさくできるやつじゃ

よくよく聞いてみると
片道で、メキシコまで
というのがネックらしい
そんなものなのか

結局
そこではネットで見たものより安い商品がなく
そのまま引き上げたのですが
帰って自力でESTAとかCビザのことを調べてみても
よくわからん
「日本国籍がある人はCビザを取る必要はない」
っていう文章までもある

しかも
別の旅行会社で聞いてみたら
「え、片道でメキシコ行きであっても、
 一般的なお客様と同じくESTAで十分ですよ」
という人もいる

いったいどっちが正しいの?

こうなりゃアメリカ大使館に直接行って聞こう
と決めて
大阪の大使館に行ってみる


厳重な警備でほいほい館内に入れてもらえない
ふらふら行ったワタシを対応してくれたのは警備員の人
「こちらでは直接のお問い合わせは受け付けていないんですよ
 専門の質問ダイヤルがあるので、そこで聞いてください」
と電話番号を案内される

でもこれ、
ネットにも出てたけど有料のもので
一回の問い合わせに2000円くらいかかる

ドイツのワーホリビザを取ったときは
もっと大使館の人が身近だったけど
ビザ申請する人の数が全然違うんだろうな
そりゃいちいち質問に答えてられないよね

素直に有料の相談をすべきかぁ
と思ってたら 
その警備員さんが
「お急ぎでしたらこの番号にFAXしていただければ
 その後回答が来ますよ」
と言ってくれる

状況と質問をFAXしてみたら電話がかかってきた
電話口の人が言うには
「通常、日本国籍の方がアメリカ経由でメキシコに行かれる場合
 ESTAで十分ですよ」
とのお言葉

おぉ!やっとはっきりした
ありがたい!

一応念押しで
「でも、ある旅行会社の人が
 往復ではなく
 片道でアメリカの隣国となるメキシコまでのチケットだけでは
 Cビザが必要となる、と言ってましたが
 ESTAでいいんですね」
とワタシが言うと
「そうですね
 私は詳しいことがわかりませんので
 専用のダイアルにお電話ください」


って、
なぜにアナタが電話してくれたのですか?
しかもその番号、あの有料のやつだよ

結局
いろんなとこで聞いてみたけど決め手がなく
最終的にあの男性スタッフがいた旅行会社にもう一度聞きに行ってみる
今回対応してくれたのは別の女性社員

「ちょっと自社のビザセンターや渡航センターにも確認してみますね」

自社の専門的なところに確認してくれる
さすが大手
自社の内部機関を持っているのね
すると
「いるよ」と「いらないよ」
という、見事に2つ別々の意見

おいおい
せめてひとつの会社内では意見を統一してくれ
内部分裂せんといて

その後
初めに対応してくれた人がつかまり、詳しいことを聞く

それによると
同じくアメリカ乗り継ぎであっても
「往復でメキシコまで」
とか
「片道で(メキシコではなく隣り合っていない)別の国」
ならアメリカ経由であってもCビザは不要でESTAでOKらしい

要は
往路だけの
つまり、復路の移動手段の手配なしに
アメリカの隣国へ行く際に
アメリカに乗り次ぎや入国をすると怪しまれるらしく
だからこそビザがいる、と

ワタシのメキシコ行き、かなりめんどくなってきた
そっかー、ビザ申請が必要なのか

でもね
もうチケットを取っちゃったんです
ロス経由メキシコシティー行き

メキシコから次の国へのフライトを手配すべきか?
とも考えたけど
メキシコの詳しい日程も決めてないし、バス移動の方がいいし・・・
しかも
今回購入したのは
Cビザの申請料140ドルを足しても
まだ10万円には届かない安いチケット
(円高万歳)

というわけで
Cビザの自力取得へと動き出す

それが
4月13日のフライトの3週間まえのこと

あれ、
結構時間ギリじゃない?

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出発に向けて

2011年03月20日 | 日本生活10年10月~11年4月

最近

ついに
メキシコシティーへの航空券を取りました

4月13日出発です

なぜこの日なのかというと
ちょうど5年前の2006年4月13日に出発した4カ月のドイツ旅が
めっちゃくちゃおもしろくて
すてきな出会いもたくさんあったので

そのゲン担ぎがてら
同じ日にしてみました

日本の格安航空券のサイトも調べてみたけど
メキシコ行き・片道で一番安かったのは
英語のサイトのCheap Tickets

でも、これ
聞いたことがないサイト
信頼できるのか?
クレジットカード払いだよ

怪しいと疑ってしまうと怪しく思えてしまう

でも
そうはいっても出発したい4月13日も迫ってきているので
思い切って購入
成田発、ロス経由のメキシコ行き
しかも、
メキシコに夜ではなく早朝到着
安心できる

空港税を入れても846ドル
今のレートで換算すると10万円をゆうに切る
日本のサイトでは最安値が諸税を入れて軒並み11万以上だったことを考えると
かなりいい

その後、
チケットを取ったシンガポール航空のサイトを見てみると、
ちゃんとワタシの名前が出ていました
Cheap Tickets、疑ってごめんね

さて
ちゃんとチケも取れたことだし、
本腰入れて準備しますか

いや、
さっさと本気出さないともう時間ギリだ

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神戸では今

2011年03月18日 | 日本生活10年10月~11年4月

連日地震のニュース

ここ数日、テレビの映像に目が釘付けになってます
信じられないほどの被害の規模
街が丸ごとなくなっちゃうなんて、
映画の中だけの話だと思ってた

海外でも大きくニュースになっているからこそ
海外で知り合った人たちがメールをくれる
「ニュースで日本の地震の被害を知ったけど、大丈夫?」
って
中には2年前にちょっと会っただけの人もわざわざ
人のつながりを強く感じる

でも
ワタシがいる神戸は全然大丈夫
地震の日も普通に日常生活が送れた

こうやって
いつもと変わらない日常を送ることができるという事実が
本当にありがたいことだと実感する
普通に起きて、ごはん食べて、電車に乗って、
夜は自分の部屋の布団で寝ることができること

阪神淡路大震災のとき
幸いワタシが住んでいる地域はそこまで大きな被害がなかった
当時通っていた小学校でもなくなった児童は一人だけだった
家はもとから古かったから半壊だったけど
誰もけがをせず
電気やガス、電話が回復するのを待っていた

地震がおさまってから外に出て
南北方向の坂の地形だから南の海の方を見てみると
徒歩20分ぐらいのJR六甲道駅の地域らへんからも煙が上がっていた

15年以上たった今
たまにその駅から電車に乗るために
そこまで歩くけど
途中できれいに整備された公園を通る

地震で周囲の建物が壊れてもいいように
広いスペースをもった公園
いつもは子供たちが野球をしたり駆け回ったりしている

六甲道駅周辺も数年前に完全に復興して
防災都市として生まれ変わっている
住みやすそう、って思えるほどの環境がある

火事がひどかった長田のエリアも復興している
液状化していたポートアイランドもきれいになっている
街が再生した

うちでは地元紙を取っているけど、節目の時には必ず、それ以外のときでも
震災関連の記事が出る
伝えて行こうという広い取り組み

物質面も、またそれ以上に精神面でも
復興って長い時間がかかるけど
それが一応のゴールまで辿り着いた後は
いい街になっている
人のつながりが大切と、より強く思える地域になっている

今回は被害の規模が神戸と全然違うんだろうし
津波までもあったから
復興までかかる労力もケタ違いかもしれないけど
被災した人たちにもがんばってほしいなと本当に思う

地震の後中学校に進級して
1年生のうちはまだ避難している人が校内にいた
放課後に部活をしているときに
校内の木につながれている犬を蹴っていた人がいた

その犬がその人と一緒に避難していた犬なのか、
あるいは他の避難者の犬なのか知らないけど
避難生活と将来への不安とか、その他のいろんなことが
その人にとって強いストレスになっていたんだろうな

今でもまだ、ということは
もちろんある

今回の地震発生直後からニュースを見てたけど
始めは死者数が数十人だった
情報が錯綜していたりもした
神戸の地震のニュースもそうだったんだろうな
当時は当事者で
内側から地震を見ていたからわからなかったけど

当時関東に住んでいた友達が
地震の後に手紙をくれた
確か電話がまだ復旧していなかった頃
テレビで長田の火事ばかり写っているから
灘区のワタシたちが大丈夫か案じてくれて
当時はインターネットがなかったから郵便での手紙
すぐに返事をしなかったら母に怒られた
そうだよね、相手は情報がなくて心配してるんだもん

今回被害の大きい東北地方のニュースはたくさんあるけど
千葉や茨城も心配
テレビだし伝えきれる情報量や、優先すべき内容のニュースはあるんだろうけど
もう少し広く伝えてほしい
ドラマチックな内容一辺倒ではなく

そういえば
今回地震の初日や翌日によく流れた映像の中で
横浜の市街地での地震発生時の映像があった
ビルの上から撮っているような映像で
下の道を歩いていた人たちが逃げ惑う様子
その中で2人が地震で揺れる建物に驚いて
近くの高架下に走りこんで避難していた

高架の下なんて危ないじゃん!
ってとっさに思ったけど
あんなに狭い道の両側にぎちぎちに高い建物が立ち並んでいる街中では
高架下の方がより安全なのかもしれない

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次は毬からインスピ

2011年03月17日 | 日本生活10年10月~11年4月

本屋の手芸コーナーがおもろいです
いろんなものの作り方が紹介されています

今回
「毬」の作り方が紹介されていました
着物・おかっぱ姿の少女が庭先で毬つきをしているイメージのある、あの毬です

確か加賀らへんの地方に伝わる毬で
写真で紹介されていたのは白地に赤系統の色で幾何学模様を描く
かわいらしい純和風のもの

さっそく家に帰って
実際の毬でなくていいので
キーホルダーになるような小さいものを作ることに

本屋で記憶してきた作り方を思い出しつつ
我流をテキトーに混ぜてみる
           
          

どっかの絵本に出てくる星みたいだけど、
マチ針で一周を等分してみたところ
この後、
ぐるぐる刺繍糸で模様を描いてみる

そして
          
改善の余地がかなりある作品が完成
これはこれで味があるか…

適当にパーツをくっつけてみる

              
味をしめたので
今回も増殖させてみる
               

純和風のあの写真にあったのがかわいかったんだけど
安もののホビン糸が大量に余っている、という理由で
緑をベースにチョイスしてみたら
どう見てもエスニックになっちゃった

我流の結果って予測できん

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カサブランカの女

2011年03月15日 | 日本生活10年10月~11年4月

誕生日を迎えました

メールをくれた人たち、どうもありがとう!
わざわざ電話までしてくれた人もいて、ほんわかしました!

数年振りの日本での誕生日
どう過ごそうかと思ったけど
そういやバイトのシフト希望、おもっきり出してたんだった

短期だけどフルタイムの10時ー18時半で働いているので
誕生日も朝から事務バイトしてました

仕事中、なぜか(今日に限って)性格判断の話になり
マダムUが
「私、趣味で性格分析ができるの!」


年功序列、上下関係重視で順番に、
その場にいた3人のスタッフに順々に生年月日を聞き
持参している資料を見て分析

最年少となるワタシもついに聞かれ
「今日です」
と答えると
「そうなん!?おめでとう!」
とマダム一同

その後事務所のボスマダムが外から戻ってきて、
ワタシの誕生日の話が伝わり

「今日誕生日なんだ!
 わざわざバイトに入ってくれてありがとう!
 これ、持って帰りぃ!」

いただいたのがこれ
              
大輪のカサブランカ

しかもこれ、
この1時間前に事務所にお祝いの品として宅急便で届いたもの

おっと、横流しの品!
でもありがたく頂戴する

あまりに大輪なので
家までのたった徒歩10分でも重さで腕が疲れた

わざわざ娘のBDに自分の店を開いたおとん
おとんの店も無事に開店1周年を迎え
このカサブランカは翌日から店に彩りを与えることになりました

再・横流し

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チャイ語の試験

2011年03月13日 | 日本生活10年10月~11年4月

ここんとこずっと
チャイ語を勉強していました

13日にHSKを受けるためでした

HSK
Hanyu Shuiping Kaoshi
中国語能力検定試験
                   

現地の大学で日本語で日本語教師をしてたこともあり、
日常生活ではほとんど中国語を使わなかったものの
せっかく中国に2年いたんだし
行く前には基礎的に勉強してたんだし
この先もう勉強しないだろう

と思って
これまで勉強してきたことを忘れないうちに受けることにしました

日本語能力試験が日本国内と海外で実施されているように
この試験も中国国内でも実施されています

現地で同僚が受けてたりもしていました

ワタシがいた街には試験会場はなく
最寄りの省都の会場まで高速バスで4時間
朝から試験となると確実に前泊が必要
試験の申し込みと受験料の振り込みは中国で、中国語で、中国の手続き方法で

それが嫌で(というか面倒で)
現地での受験のチャンスをつかみには行きませんでした

帰国して
日本で、スムーズに、日本語で、問題なく申し込みをして
問題なく大阪の指定された会場まで行って
受験してきました

受験対策の一環で上掲の模擬試験問題集を使ったのですが
「初・中等」と表紙に書いてあるので
ずっと初中級用の問題ばかりと思い込み
中級より上の受験を決めたワタシにはいらんと思って別の教材を使っていました


「基礎的な問題であっても一度模試をしてみるのは必要だよね」
と思って
試験1週間前に初めてオープンしてみる

びっくり
          
これ
読解文の問題なのですが
全然初中級のレベルじゃないじゃん

むずいよ、はっきり言って

だって
抽象的な概念の文だって出てるんだもん
仏教用語とかまで

リスニングの会話問題も
故事成語がちりばめられていたり

とりあえず数回分やってみる

そんな中で出会った問題が
この空欄補充問題
          

「男、36歳、イスラム( )、身長1.81m、高卒、
 未( )、とある事業を行う機関の行政員…」

完全に婚活ネタじゃん
おもわずニヤリとしちゃうよ

実際の試験もこんな問題ばっかだったらいいのになぁ
と思いつつ受けた試験

簡単なものも難しいものもあり

結果はインターネットで1ヶ月後に合否が分かるそうです
成績表は2カ月後に郵送されるそうです

本国の中国で採点するから時間がかかるのだと

さて
試験会場の教室にいたのは2人のスーツを着た男性の試験監督
 

一人は見るからに中国人の外見で
問題用紙と解答用紙を配る役

もう一人は日本人にも見える
流暢な日本語で試験の説明を始めたので日本人かと思ってたら
ところどころ発音が変

「40分」の「よん」が中国語の「yun」の音だったり
清音と濁音の間のあいまいな音を出したり
とっさの文章が文法は正しくても状況にそぐわない表現だったり

名札を見ると「王」さんでした

日本の試験会場なのになぜに中国人だけで監督をするのかと思いきや
リスニング、読解、作文の3つのパートのそれぞれに移行するときなどの指示を
中国語でするからなのかも

途中
その王さんが中国語で話しているときに
「shi」というべき音を南方に多い方言という「si」で発音しているように聞こえ
ワタシがいた地域でも地元の人はそうだったので
なつかしさがこみ上げてきました
(試験中ですが)

さぁ、結果はどうなのでしょう

TOEICのスコア制と違い
英検のように受検級が区切られていて
一定以上の点を取らないと落ちます

受験料、やっぱ高い
けれども
少しは「落ちてもまぁいいか」と思えることがありました

その配布係の中国人の人が
受験生一人一人に一部ずつ配付
でもその配布がざつい!
静かに受験生の前に置いて行くのではなく
ちょっと遠い人にはバサッとやや投げる
ここらへんが中国っぽい

それがなんかおもろかった

そんな発見が思わぬ収穫だったのです

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夏休みの宿題と性格

2011年03月10日 | 日本生活10年10月~11年4月

去年の10月
中国での2年間の生活を終えるに当たり
次の進路に関して考えなければいけない状況でした

とりあえず帰国後すぐの1か月ちょいは東京での短期の仕事が決まっていたのですが
それが終わった11月下旬以降
さぁどうする?

今後もやりたい仕事としては
日本語教師

お給料の面で苦労はあるとよく聞くけども
日本語や日本文化に毎日接して
授業準備をするうえで教師として自分でもいろいろ調べなきゃいけないけど
その中でおもしろい文化面での発見があると
アドレナリン
なのです

たまらん

なので
今後もやり続けたい

ただ
本格的に日本語教師を再開するにしても
一度仕事に就いちゃうとなかなか長期休暇が取れないよね
そんなにちょいちょい職場を変えたくもないし

ということは
長期間でやりたいことをやるには
新しい仕事を始める前のフリーな状態の今がチャンスなのではないか!

何って
長期間の旅をしてみたいのです

ええ、このご時世に
今かなり中南米に行きたいのです
ついでに言うと
気力と体力と経済力が続くならばそのままアフリカ、中東へ抜けて
なんやったら地球をくまなく一周してみたいのです

タイミング信者のワタシとしては
今このタイミングは重要

ということで
「旅に出ようかな」
と考えたのであります

とりあえず
11月下旬からフリーになるけども
すぐ出発っていうのには気が進まない

だって
数年振りに日本で正月を過ごしておせちも食べたい
次の誕生日の3月が自動車免許の更新なので、それをしてからにしたい
チャイ語の試験が3月中旬やからそれも受けてからにしたい

ということは
出発は4月か?

つまり
11月下旬(まぁほぼ12月)から4月まで
数えてみると4カ月ある

フリータイム4カ月

24時間×31日×4カ月
と考えるとかなりの時間的余裕があるじゃないか!
暇すぎて死にそうになっちゃうんじゃないか?

よし
中南米といえばスペ語
スペ語を独学しよう!

という流れで、
スペ語に腰を据えて取り組んだのは12月始め


とりかかりは早いのです、ワタシ
ただ
その後中だるみがあるのです

ちょうど出会えたスペイン人の友達が引っ越しちゃったこともあり
スペ語をほったらかしにして早2ヶ月
今、4月中旬ぐらい出発とするともう1か月を切ってます

やばい、焦ってきた
あんなに時間的余裕があったはずなのに
無職なのに時間が過ぎるのがめっちゃ早い!
光陰矢のごとし!


振り返ると
昔からこんなペース配分なのです

小中学校の夏休みの宿題とか

夏休みが始まった7月20日から日記とか書きだめをしていました
いわゆる「未来日記」
計算ドリルとかも1ページ目から数十ページ分、一気にやっちゃう

でもある程度進めたら飽きて、
その後8月末までほったらかし

夏休みが残り数日になったとこで
焦ってやり終える

三つ子の魂なんちゃらというけども
このペース配分は一生ワタシの性格になるんだろうなぁ


だらだら書いてしまいましたが
このだらだらしたことが言いたかったのです


以上

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ママとマンションも時代とともに変化する

2011年03月06日 | 日本生活10年10月~11年4月

只今、1か月間の短期で
とある事務所にて事務のアルバイトをしております

そこで一緒に仕事をしている人たちはみなさまワタシより年上
母ぐらいの年代の人も多し

その中で
高校生の息子を持つマダムと話をしてたのですが
その中でびっくりしたこと

マダムM:
「この前友達のマンションに泊まりに行ったんだけど
 そのマンションにはゲストルームがあるの
 マンションの住人がお客さん用にその部屋を借りるんだけど
 布団も管理室から借りられるし
 スイートルームみたいな造りで
 キッチンもあるから食べ物を持ち込んでちょっとしたホームパーティーもできるの
 しかも
 使ったゲストルームはその後清掃スタッフが掃除してくれるから片づけなくていいし
 布団も返却スペースに返しておくだけでいいので楽なの」


なにそれ、すごい

何がすごいって

①高校生の子供がいるマダムも友達同士お泊り会をしている現代社会
(若い!
 うちの親、
子育て中にそんなことしたことないよ)

②昨今の一部マンションにはゲストルームも完備されている状況
(核家族でちょうどの狭さの家に住むこと、祖父母と離れて暮らしている分
 祖父母がちょっと泊まりに来た時も便利なのね
 布団もレンタルできるし掃除もいらんし…
 なんて便利な社会!
 そしてマンション業界も顧客獲得競争で大変なのね)

違う世代の人と話すのもいろんな発見があっておもろい

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