差別などの人権問題を専門とする大阪人権博物館(リバティおおさか、大阪市浪速区)を訪れる外国人が増えている。ガイドブックや口コミで知った欧米やアジアの研究者、学生らで月に150人前後にのぼる。
「」は英語でもBURAKU。肌の色や言葉、生活習慣の違いではなく、生まれた場所のわずかな違いによる日本に特有の差別だ。他にも民族差別、性差別など、均質社会と思われがちな日本に多種多様な差別がある。そのすべてを対象とする博物館は世界でも珍しい。
今年度、大阪府、市からの事業費を全額カットされ、自主財源(入館料や図録販売などの収入)のみでの運営を余儀なくされている。そうした中で開いている特別展「アジア・大阪交流史-人とモノがつながる街」(12月21日まで)は、これからの世界に求められる多文化共生について考える材料が足元にあることを教えてくれる。
古代から日本の玄関口だった大阪には、中国や朝鮮半島から先進文化を携えた人々が渡来した。江戸時代には朝鮮通信使や琉球使節が通り、善隣友好の舞台になった。近代には、働き口を求めて朝鮮半島や沖縄からやってきた人たちが、差別を受けながらも生活の場を築いた。
差別の歴史は不幸な過去の「負債」だが、人間はなぜ差別をするのか、差別のない社会を築くにはどうすればいいのかという問題を解く手がかりを得る「財産」にもなる。橋下徹知事の指示もあって、子どもたちの教育との連携を深める取り組みも始めた大阪人権博物館が、過去の闇をライトアップし、明るい未来を生み出す場としてさらに充実することを期待する。(学芸部)
毎日新聞 2008年11月23日 大阪朝刊
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