千葉県の戦争遺跡

千葉県内の旧陸海軍の軍事施設など戦争に関わる遺跡の紹介
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開発で失われゆく柏飛行場の戦争遺跡

2013-12-22 | 柏市の戦争遺跡

以前、柏飛行場について、「千葉県の戦争遺跡」HPのほうで、いろいろ記載してきた。そのうち、終戦間際に柏に配備されようとしていたロケット戦闘機秋水については、以下のように記載している。

「秋水の地下燃料庫が飛行場東側に作られ、実際に使用された。それはL字形をしており、地上に径2mほどのヒューム管(長さ2.5m)を8つ連結し、20mほどとしたものと直角に7から8mほどの長さにヒューム管を接合したものと見られ、覆土していたために長年存在が分からなかったが、手賀の湖と台地の歴史を考える会の調査で、つい最近5基発見された(現在、周辺は学校や道路建設などの県の開発地域で立ち入り禁止である)。 これは、地上を少し掘り下げ直接ヒューム管を置き、接合したあとに更にコンクリートで表面を覆い、その上に土を被せて擬装している。換気孔は燃料庫の端部についているのみのようである。 一方、前述の通り、花野井と大室にも秋水の地下燃料庫が建設され、花野井の崖中段に開口のある3つほどと、花野井交番の裏手にあるコンクリート剥き出しの燃料庫が現存しているが、こちらは本格運用しようとしたものらしく、十余二(正連寺)の地下燃料庫は実験用に建設されたもののようである。 (略) 同会が秋水地下燃料庫を発見したのは、最初飛行場跡周辺の遺構として掩体壕跡を調査している際に、自然の会の方に案内されて掩体壕といわれる二つの土盛りがあるのを知り、戦後の航空写真と照合したり、終戦直後のことを知るTさんという元陸軍少尉の方や秋水実験隊の方などに聞き取りをおこなって、よくよく調べたところ、どうも秋水地下燃料庫らしいと推測したのが発端である。その後、何回か踏査の結果、あるマウンドの地上に開いた隙間から、地下燃料庫を実際に確認したものである。 

<十余二(現・正連寺)にある秋水地下燃料庫#4の内部>

 撮影:森-CHAN

プレス発表後、2010年8月8日に行われた手賀の湖と台地の歴史を考える会主催の現地見学会には、定員の90名いっぱいの人が参加した。会代表である國學院大學の上山和雄教授の挨拶と説明に続き、麗澤大学の櫻井良樹教授が柏飛行場と秋水に関する説明をおこなって、参加者は3班に分かれて見学した。 事前説明会のあったのは、柏の葉の公園センターの会議室で、そこから地下燃料庫跡のある場所までは、柏の葉公園の前の道路を渡り、数百メートル歩いていった。俗に、その道路が柏飛行場の滑走路のようにいわれているが、実際には道路の北の端がかろうじて重なっている程度で、滑走路は道路東側の科学警察研究所や関税中央分析所、税関研修所といった官庁の建物がある場所の上を通っていた。現地は、千葉県が管理している公園や小学校などの予定地であり、戦後の一時期はゴルフ場だった場所である。しかし、今はゴルフ場の面影はなく、草木の茂った荒地のような場所になっている。」

この十余二(現・正連寺)の秋水地下燃料庫は現在どういう状況か、といえば、上記のようにプレス発表まで行ったにもかかわらず、千葉県の開発に伴い、まったく打ち捨てられた状態で、保存などされないようである。

その見るも無残な状態は、上記団体とは別の、昔から柏で歴史の研究をおこなっている手賀沼と松ヶ崎城の歴史を考える会がつくった柏飛行場の動画のなかで出てくる。どこかから望遠で撮影したようであるが。

http://youtu.be/-q806Jk9rvY

 上記動画で女性の声で、柏飛行場跡地は現在官庁の建物や大学、病院、住宅地のある場所に生まれ変わったとあるように、かつての面影はほとんどなくなり、唯一建物で残っていた陸軍航空廠柏分廠の建物もつい最近取り壊されたと聞く。民間で保存してきたが、所有者が維持しきれなくなったのだろうと推測する。

なお、動画の最後のほうに荒地にあるヒューム管が出てくるが、あれが見学会を行った秋水地下燃料庫の残骸である。あんなくらいのものであれば、掘り出してそのままどこかに展示するくらいわけないと思うのであるが、如何。

開発ばかり優先され、少しの労力で保存できるような戦争遺跡まで失われるのは誠に残念なことである。

 

 


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1 コメント

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千葉県と大戦の記録・歴史 (おじん)
2014-11-08 11:34:11
年々戦争の記録が消され行く千葉県。
残念でならない、国府台・習志野、、、県民の皆さん
千葉県の歴史を見直してください。
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