得能大輔の赤い薔薇の日々🌹 Hybrid Popstar "Daisuke Tokunoh" since2005

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「自称宅録作曲家」vol.3 

2005-10-17 | シリーズもの
とくのうです。 とりあえず、シリーズの続き。

緊急連載とか言いつつ、2週間くらい
この記事について書くのを放置してました(笑)

そう、大学に行った所からですね。地元を離れて東京に行ったんです。
あの当時は何も追い込まれていなかったので、
今みたいに、それ程切羽詰っていなかったのですが、
でもなんか、とにかくバンドがやりたくって。
それで、その大学に幾つかある音楽サークルの中から、
最も泥臭くて、女性が少なくて、ストイックな感じのところに入ったんです。
その名も「ロック研究会」

ここは全くサークルっぽくなかった(笑)
普通のサークルってもっと軽いノリで、チャラチャラしてる反面、
派閥があったり、規律があったり、閉鎖的だったりする。
ジャンルも決まっていたり、似たものばかりがあつまったり。
でもそこは全然違った。ただ音楽が好きな人が集まっていて、
自由で、ジャンルは殆ど関係なくて。
時代を20年くらい遡ったみたいな人が沢山いて、
文化や時代背景をよく知っている人ばかりいました。
自分なりに「そのアーティストが何故好きなのか」っていう理由を
しっかり持っている人ばかりで(実はこういう人は結構いない)。

僕は当時子供だったから、「洋楽以外の音楽はくだらない」なんて
よくある考え方をしていました。
でも、そこの研究会の方から日本語ロックの素晴らしさや、
音楽の楽しみ方というのを凄く教わったんです。

また、近くに下北沢という街があって、
そこに行くと、当時はやっぱりロックで溢れていて、
やはり20年くらい時代を間違えたような人が沢山夜中あるいてたり、
田舎者だった自分にとって、とても刺激的だったんですね。
(最近の深夜の狸小路の路上なんかは、ちょっとだけ近い雰囲気だけど
その100倍位ロックなんだよね。ロックって死語かも知れんけど)

その研究会の定期的なライブや学祭などあったり、
そんな中で100くらいのコピーバンドをやったりして。
最初は楽器が何も弾けなくて「お前なにも楽器できないじゃん」って
年下の先輩に言われて、目茶目茶悔しくて、
いろいろな楽器を練習したり。当時は無限に時間があったから、
本当によく練習したなあ(笑)
パフォーマンスなんかも凄く研究した、目立ちたくて(笑)

そんな中で、後輩達が次々とオリジナル曲を作っているのをみて、
「自分も何かできるだろう」って思ったりして、
曲を作り始めたんですね。

次回からようやく作曲の話ができます!
コメント (2)
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